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2018年6月17日 (日)

偏執的編集論3:目次は本の設計図である

 さて、著者から受け取った出版用原稿データをどう処理していくのか、基本的な方法と手順を記していこう。前提として原稿がワードでできたファイルを想定する。なぜなら昨今の出版用原稿入稿データは不幸なことに99パーセントと言っていいほどワードでできているからである。そしてワードでできたファイルをテキストファイルに変換することがまず最初におこなうべき仕事である。印刷所でゲラに出力するのはすべてテキストファイルが基本だからだ。
 このローカルで不出来なワープロソフト、ワードにもすこしだけ取り柄がある。原稿のタイプにもよるが、専門書などではドイツ語やフランス語の原語が使われたり、傍点やルビ機能が使われることがかなり多い。そうしたときに、いきなりテキスト化してしまうと、こうしたワード特有なローカル機能はすべて消失してしまう。とくにルビなどは親文字ごと消えてしまうのでタチが悪い。ドイツ語のウムラウト、エスツェット、フランス語のアクサンなどはすべて「?」に変換されてしまう。マイクロソフトのLINUX系無償対応ソフトであるOpen Officeもこれには対応できないし、それ以外でも閉じカッコ(」)が消えて改行されてしまうなど欠点も多い。結局、出版社側ではこのテキスト変換のためだけにでもMicrosoft Officeを買わされるハメになる。
 とにかくそれではどうするか。これは後述する手法とかかわるので、いまは簡単に記しておかざるをえないが、ウムラウト、アクサンなどはテキスト変換するまえにワード上で所定の文字データに検索・置換してしまうしかない。ワードでも単純な検索・置換はできるので、たとえばウムラウト付き文字(大文字小文字のAEIOU, aeiou)はそれぞれのうしろに「``」を付けて「a``」のように置換してしまう。(これはのちに印刷所のDTPで本来の形に戻すように指定すればいい。)傍点とルビはお手上げなので、ワード原稿を印刷しておいて確認しながらテキストデータにそれぞれの指定を入力していくしかない。
 さて、こうした最小限の処理をすませてしまったらワード上で[ファイル]メニューから[名前を付けて保存]を選択し、保存先を確定(通常は元原稿と同じフォルダでいい)したうえで、呼び出される保存画面で[ファイル名」欄にしかるべき名前を入力し、[ファイルの種類]で「書式なし」を選択して「保存」を押せばいい。すぐ警告画面でごちゃごちゃ言ってくるが、無視して「OK」を押せばテキストファイルに変換される。これだけで仕事のための準備は完了である。ほかのワープロソフト(たとえば「一太郎」)などでも基本的に同じ。もともとテキストファイルで入稿してきたものは、言うまでもなくそんな必要はない。
 これでとりあえず専門編集者として出発点に立ったわけである。

 そこでまず最初にすべきことは何か。編集者の仕事は、まずこの本がどういう構成でできているかを把握することである。どういうことかと言うと、この本が何部構成なのか、何章でできているのか、中見出し、小見出し、節といったようなランク付けされた構成をとっているのか、注はあるのか(原注と訳注がありうる)、図版や写真があるのか、といった全体をまず掌握することである。こうしたことは編集者なら誰でもあたりまえに考えることだから、ことさらに言うほどのこともない。しかし、問題はそこから始まるのである。それは「目次」作りをきちんとすることである。目次とは英語でcontentsと言うが、これはもともとは「内容」を意味する。つまり本の内容をメニューとして差し出したものが「目次」なのである。そしてこの目次には以下の内容をどのレヴェルまで表示するかという編集者にとって最初に意識しなければならない問題がある。そしてもちろんのことだが、章節などの本体と目次に違いがあってはならない。しょっちゅうあることだが、著者が最初に目次の原稿を作成したあと、当該の箇所で考えが変わって章節タイトルの変更がなされたさいに、目次の部分が修正されないままのことがある。編集者はそういうことまで配慮しなければならない。著者が最後にタイトルを付けたり、目次立てを考えるのとは逆に、編集者はできたものから逆算して目次をきちんと把握する必要があるのは、書いてみないとどうなるかわからない著者とは立場が逆だからである。それがプロとしての編集者意識である。本の目次は編集者にとって最初に全体の見取り図を与えるための設計図なのである。
 それでは具体的にどうするか。まずテキストデータを本文データとして一本化しておく必要がある。章ごとにファイルが分かれている場合などが多いが、それぞれのデータをテキスト化したあとで結合させておく。(たとえば秀丸エディタでは「カーソル位置への読み込み」コマンドでファイル連結させる。)注は別ファイルにしたほうがいいだろう。
 つぎに本の最初にあるべき目次扉(省略する場合もある)、目次、本扉、中扉などを指定する。ほかに凡例や装幀者名のページなどもある。これを順番に設定していく。ページの切れ目には【改ページ】などと入力しておく(印刷ユーティリティによっては「/*改頁*/」という文字列の入力で印刷時に改ページが実現できる。)
 ところで、ここでは目次を問題にしているわけだから、本文との対応は厳密になされなければならない。わたしのやりかたを言えば、章などの大見出しは<H1>……</H1>、中見出しは<H2>……</H2>、小見出しや節などさらに下位の項目があれば<H3>……</H3>、<G>……</G>などを設定する。これはHTMLタグ(注 Hyper Text Markup Language インターネットのブラウザなどの指定タグ)を応用したもので、そういう方面の知識のあるひとにはなんら異和感はないはずである。もちろん、最初のほうは開始タグ、スラッシュ「/」付きのほうは終止タグであり、該当する文字列をこの開始と終止のタグではさむのである。これは目次を確認しながら最初におこなうべきである。そして同時にその前後のアキ行も改行を入れることで設定する。たとえば大見出し(<H1>……</H1>)をページの右寄せ、文頭とのあいだを5行アキとする場合、大見出しのタグ付けのあとに改行を5回入力する。中見出しの場合(<H2>……</H2>)なら、たとえばその前に2行アキ、うしろに1行アキを入れるとすれば、その数だけの改行を入力する。さらに小見出し、節の場合(<H3>……</H3>、<G>……</G>)にはその前に1行分の改行を入れておく。こうしておけば、データをスクロールするさいにこうしたアキが目立つので、そうした見出しの位置などが見つけやすい。ちなみに秀丸エディタでは「マーク」というコマンドがあるのでそういう場所へのジャンプが容易である。また高機能テキストエディタでは改行コードやタブコードなどのコントロールコードとか全角半角スペースの画面表示が可能であるし、印刷ユーティリティによってはこれらの表示分を印字することも可能である。こうした表示機能がないと、文中に誤ってスペースが入力されていたり、よくあることだが、行頭に半角スペースが二つ入っていたりすることにも気づかない。編集者はこうした細部のチェックができなければならないので、そのためのツールを持ち合わせる必要がある。間違ってもワードではこうした編集は不可能なのである。
 なお、今後のテキスト編集についての議論は秀丸エディタをベースに説明するつもりである。興味のあるかたはわたしの『[編集者・執筆者のための]秀丸エディタ超活用術』(翔泳社、二〇〇五年)を参照してほしい。基本的なテクニックとテキスト編集にかんする高度な技法について詳述している。刊行は古いがまったく古びていない。テキスト編集の基本はそんなに変わらないからである。

2018年6月14日 (木)

偏執的編集論2:出版の仕事はテキストデータの処理からはじまる

偏集者(偏執的編集者を略して) それでね、まず編集者は何をするのかということなんだけど、まずは著者からの原稿がとどいたとして、最初にするべきことは何だと思う?
F君 そうですね、まずは原稿の中身を確認することでしょうか。
偏集者 もちろん、そうだよね。内容もさることながら、原稿データがちゃんと使えるものになっているかどうかも確認する必要がある。データが壊れていたり、文字化けがあったりすることはいまでもよくある。おいおいそういう話題にもふれていかなければならないんだけど、編集者が最終的にするべきことは原稿データの中身を入校用のデータに変更することで、印刷所はそれをDTP(注 Desk Top Publishing、つまり机上編集機のこと)で出版用のデータをつくる。いまほどDTPが出版編集の中心でなかったころはいろんな編集ソフトが印刷所ごとにあって、電算写植なんて言われた時代があったことは知らないだろうね。
F君 そういう話は聞いたことがありますが。
偏集者 そのころのデータは復元できないなんてことが実際に起こっている。書物復権(注 一九九六年に専門書出版社が集まって共同復刊事業をつづけていまも継続中)の本なんかをひさしぶりに復刊しようと思うと既存データが使えず、君もすでに知っているように、本をスキャンして制作することになるなんてとんでもないことになっている。ところで何の話だったっけ。
F君 出版物の原稿データの話だったんですけど。
偏集者 そうだったね。印刷所に入校するデータの中身の話だったね。西谷流の編集技法は著者からとどいた原稿データをそのまま渡すんじゃなくて、それ以前にDTPオペレーターがする仕事のほとんどを自分のパソコンで先取り的にやってしまうところに真骨頂がある。あとでくわしく説明するけど、テキストエディタの検索・置換で正規表現(注 regular expression パソコンの演算処理能力を活用する検索・置換用ツール)を使って用字用語の高速変換処理をしたり、データを変換させるためのさまざまな編集タグと呼ばれる指定データを埋め込むことによって、印刷所での一括処理を実現できるようにする。これには多少のツールが必要ではあるけれど、基本的には高機能テキストエディタと周辺のユーティリティがすこしあれば、ほとんど実現可能なんだよ。印刷所がほしいデータ形式はどういうものかね、F君?
F君 いつもそうですが、理想的にはテキストファイルです。いまは著者がワード(注 Word マイクロソフト社のワープロソフト)で作成したままの原稿データが多いですね。
偏集者 それをワード帝国主義と呼ぶんだよ。ワープロ形式が一般的だと思っている著者も編集者も圧倒的に多いんじゃないかな。昔からそうだけど、ワープロというのはプレゼンテーション用ソフトで中間形式の発表媒体(たとえばパンフレット、紀要などそんなに専門的な編集の手がかからないもの)にはそれなりに見てくれのいいものを作ることはできるんだけど、専門的な出版編集のレヴェルに対応できるほど高度な機能を具えていない。たとえば、いずれくわしく論ずることになるが、さっき言ったタグ付き正規表現を使った検索・置換などの機能はまったく装着していないに等しい。まったくオモチャのようなソフトなんだよ、ワードっていうのは。すくなくとも編集者が使うべきソフトではない。それはともかく、ワープロのデータをテキストデータにしなきゃならないんだけど、その変換のさいにさまざまな機能が失なわれてしまうことがある。とくに日本語ネイティヴでないワードはね。
F君 それはどんな機能ですか。
偏集者 たとえば、ルビとか傍点、フランス語やドイツ語のアクサン、ウムラウトといった特殊記号のほかにもたくさんある。ワードは優れたソフトのように見えても、しょせんはローカルな機能、つまりはワードならワードの世界だけでしか流通しないもので、およそ標準的とは言えない。だけどそういうことを知らない編集者がワードをスタンダードだと思って著者にもワードでの入稿を推薦するなんて本末転倒の事態が現実のものになっているらしい。
F君 印刷所ではワードからテキストへの変換をひとつの業務としていますが……
偏集者 それをひとむかしまえはイヴァン・イリイチ(注 Ivan Illich オーストリア生まれの思想家)のタームを使って「シャドウワーク」と呼んでいたわけで、要するにお金にならない日陰の仕事というわけさ。いまは女性が強くなったけど、むかしは主婦の家庭での仕事は典型的なシャドウワークだった。夫は外で働いて稼ぎ、主婦は家で食事、洗濯、掃除からなにからなにまでおこない、それらはすべて無償労働。それとどこか同じで、パソコンのことを知らない編集者は著者からのワード入稿原稿がそのまま印刷所のゲラになると思っているから、出力原稿に昔ながらの赤字で割付指定をして入校すればいいだけだと思っている。データ入稿なんだから組み代が安くなって当然だとさえ言ってくる編集者もいるそうだ。しかし、F君も知っているように、ワード原稿はそのままでは印刷原稿には使えない。さっきも言ったような現象が起こるからだが、著者によってはどんな使い方をしているかわからないケースもある。印字されたものを鵜呑みにしているから、そんな無知がまかり通ると思っているわけだよ。印刷所にシャドウワークを強いていることの認識さえもっていない。データの変換などは本来は編集者の仕事だし、西谷流[出版のためのテキスト実践技法]はテキストデータへの変換から本格的なテキスト編集の仕事がはじまっていく。これから君に話そうとするのはそういう話だし、著者や編集者にも知っておいてもらいたいことばかりだよ。しばらくは黙ってていいよ。

2018年6月10日 (日)

偏執的編集論1 偏執的編集論への序論

F君 お聞きするところによると、なにか新しいアイデアがあるそうですが、何を書き始めるつもりなんですか。
偏執的編集者(以下、略して「偏集者」) いやあね、さきに「季刊 未来」二〇一七年秋号に「[出版文化再生30]ある編集者の一日」というのを書いて、さりげなく業界発言から足を洗って、自分が書きたいものを書くことに専念したいと思っていたんだが、どうもなにか書いていないと、どこかからだの具合でも悪いのかと心配してくださる読者がいてくれたりするので、この雑誌をやっていくかぎりはなにか役に立つことのひとつもしておかなくちゃいけないのかな、と思い直したんだけど、さて、いまさらなにか出版業界に物申すのもむなしい気がするし、それよりもなによりもこの業界にたいして発言したいこともなくなってしまったわけで、いろいろ考えていたら、やっぱりわたしの編集にたいする技法とか考え方をマニュアル化して後生のために残しておくぐらいしかやることが残っていないな、と思ったわけだ。F君はウチの担当になってまだ一年も経っていないけど、わたしが昨年十一月から隔月刊行で始めた加藤尚武著作集(全十五巻、既刊四冊)のほかにすでに何冊もわたしの編集本を手がけてくれているからもうわかっているだろうけど、わたしの編集技法がどれほど効率のいいものか、よく知っているだろう。
F君 ええ、そりゃもう。おかげで忙しくさせてもらっていますが、びっくりもしています。ほかにこんなに早く刊行するところなんてありませんから。
偏集者 もちろん、それにはわたしのパソコンを使う[出版のためのテキスト実践技法]がフルに活かされているからできるんだけど、そうは言っても、編集の基本は本を作るにあたってどういうコンセプトでどういう方向づけで進行するかということと、いかにそれを最初の読者として読み解くかというところにあるので、誰かさんがかつてわたしを批判したつもりでいたように、パソコンを使って本などできるものか、というようないまさら時代遅れが証明されたようなトンチンカンはさすがに消滅したようだけれど、いまだに校正を三校もとっているような前時代的編集が世の中ではつづけられていると聞いては、わたしのような経営者としては黙っていられないことになってしまうんだよ。知り合いの社長さんたちにももっと認識してもらっていいんじゃないかと思っているのも、編集者たちにこうした方法論があることを理解してもらうことで実際に経営的にもおおいに利用してもらいたいからなんだけど。これを「労働強化」だと言ったひともかつていたんだけど、言語道断だよね。まるで理解していない。F君ならわかるでしょ。
F君 わかります、わかりますとも。未來社の本は加藤尚武著作集のような厄介な内容のもので四五〇ページ以上になるような本がすべて初校責了なんですからね。初校の赤字も一〇ページに一、二箇所ぐらいですから、文句なしに初校責了になります。印刷営業としてこれほど回転のいい商品はありがたいですね。
偏集者 出版社としてもだらだら仕事をされるより資金回収が早くて都合はいいわけよ。まあ、作った本がもっと売れてくれればなおさらいいんだけど。それに、他社の編集者がどういうふうに仕事をしていようと、わたしがしゃしゃり出る必要はないけど、そのうちわたしもこういう仕事ができなくなるまえに、出版業界に遺しておけるわたしの独善的(笑)編集技法をマニュアル化しておこうという気持ちになったわけだ。社内的にもまだ十分に消化されていないところもあって、社員教育にもなるわけだ。まあ、出版界への遺書みたいなものだと思ってもらっていいよ。
F君 ちょっと、それはどうですか。(苦笑)
偏集者 ともかくこの原稿は「季刊 未来」に掲載しようと思っているが、原稿はどんどん書いてしまうかもしれないし、区切りごとに[出版文化再生]ブログにアップしていくことにしようかなとも思っているんだ。。どうせ「季刊 未来」の読者はあんまりブログなんか読まないだろうし、そもそも「季刊 未来」もほとんどわたしがひとりで編集していて、書き手もぎりぎりまでページが確定できないひともいるんで、台割(注 8ページ単位を基本とするページ配列のこと)の問題で余ったページにこの原稿を掲載することにしようと思っているんで、いつも余分に書いておくつもりなんだ。
F君 そうすると最大8ページ以内、書くということですか。
偏集者 しょうがないよね。不安定だけど台割で苦労することがなくなるからね。
F君 でもこんな調子でダラダラやるんですか。
偏集者 よくもわるくもそういうことになるね。君の出番もときどきあるかもしれないよ。

2017年9月10日 (日)

[出版文化再生]II-22 ある編集者の一日

 ひと(他人)の書いたものをメールで受け取り、テキスト編集しながら通読し、行数やページ数を数えたりしては印刷し、電話やFAXで校正を送ったり受け取ったり、これが日々繰り返される。そこに装幀者やデザイナーとの確認、打合せ、催促、また確認、データの受取り、そしてまた確認。こうして毎日が始まり終わる。これがある編集者の一日であり一生つづくかと思われる毎日である。
 編集者とは何だろうか。御用聞きなのか、お産婆役なのか、誰も読まない本をせっせと世に送り出している奇特なクリエーターなのか。こんなに本が売れなくなった時代にも著者と編集者、その予備軍はいっこうに減りそうもない。研究しても創造しても本を出すことがますますむずかしくなっているのに。
 今回は、たとえばきょうという特定の一日を編集という側面に限って反省的にドキュメントしてみるということを思いついた。いよいよアイツも言うべきことがなくなってここまできたか、という声がさっそく聞こえてきそうだが、それも事実だからいっこうにかまわない。そろそろ矛先を収めて自分のやりたいことに専念することにしようかと思っているところだからである。
 そんな気分のなかでこの文章を書いているわけだが、じつはきょうあたりをピークとしてここ何日か「季刊 未来」秋号の編集に追われているからで、その間隙をぬってこの[出版文化再生]コラムの文章も書かなければいけないのである。自分のノルマも果たしていないのにひと(他人)の原稿を追い追われるこの怒濤の時間――「僕って何」(三田誠広)というわけだ。
 ――S氏から論集収録用原稿の見直し分もどる。こちらの校正の指摘にたいしてご不満のお手紙付き。これまで他社では注文をつけられなかったらしい。読みやすさと正確な表記をお願いしたところ編集者の越権行為で不遜な振舞いとされてしまった。ときどき自分の原稿の「完全さ」にケチをつけられたと思うひとがいる。未來社では遠慮なく指摘させてもらう方針なので、こういうひとにあたった場合は運が悪いと思うことですましておく。算用数字の漢数字化などの不備にたいしてはこちらの一括処理を任される。プロとして完璧を期せ、と。こちらは秀丸マクロがあるので、お任せあれ。
 ――同じ論集に収録予定の中国人研究者S氏からは収録依頼状への返信メールも届く。快諾。連絡先不明でようやく連絡ができたので、この原稿も読まなければならない。
 ――もうひとりのSさんから「季刊 未来」連載のゲラの件で初校一〇ページの再修正を速達で送ったとの電話。こちらの勘違いで半ページほど削除を依頼していたところ逆に半ページほど不足だったことがわかり、削除部分の復元もふくめて初校校正のし直しを前日頼んでいたもの。メールアドレスを変更したらしくプロバイダが不親切でメール送信がまだできないらしい。
 ――同じく「季刊 未来」連載のFさんよりメールで原稿とどく。テキスト処理+通読+ファイル修正して印刷。六ページのところ一八行パンク。Fさんに電話してPDFをメール送信。Fさんから電話で、あす午前中に校正をすませると連絡あり。
 ――進行中の本の編著者Aさんよりメールで初版部数などを聞いてくる。電話を入れてその返事。略歴に表記する追加事項を説明。付きものをめぐっていろいろ意見と注文があり、かなり大変。その間にデザイナーと電話でカバー、オビ、表紙などの修正点、意見交換、スケジュール調整などをしたうえで、メールにて付きものの仕様とどく。仕様の確認、表紙の指定を依頼し、印刷所にも電話で束見本に使った用紙を確認する。この間なんども電話とメールの交換。その間にもAさんからメールであれこれ修正点や意見などあり、頭がぐちゃぐちゃになりながらも、なんとか本文と付きもののPDF入稿のメドがつく。あさって入稿してくれれば十二日に色校出校、十五日に印刷、二十五日に見本という予定は前日、印刷所と確認してある。
 ――「季刊 未来」秋号のGさんの連載の初校一〇ページ、出校。確認してとくに問題なし。控えゲラをGさんに送付。Gさんの原稿は精度が高く量も計算通り、ルビ指定などもわかるようにしてくれているので、もっとも安心していられる模範的な執筆者である。もちろん内容もいつも切れ味がいい。若いときからわたしの文章上の指南役である。
 ――Kさんからきのうメールで届いた「季刊 未来」秋号の連載原稿の追加分を取り出し、テキスト処理して追加。挿入された部分以降をKさん宅にFAX。メールで七ページ分の残りの使える行数を連絡。長い長いつきあいだが、原稿はけっこう手がかかる。理系なのにテキスト処理系はあまり得意でない。もっとも理論的理系は工学的理系とちがってコンピュータに強いとは限らないというのが当人の説であるが。今回はたまたま見つけた古い詩を関連する箇所に追加挿入するということになり顰蹙覚悟のうえとか。わたしの今回の文章もそれに倣ったもので顰蹙覚悟ものであるかもしれない。
 そんなわけでほんとうは毎日のように原稿を読みテキスト処理をして準備を進めておかなければならない加藤尚武著作集全一五巻の仮ゲラ作りの仕事もここ二日はまったくストップ状態である。この十一月からスタートしたいこの著作集は各巻四〇〇~四八〇ページぐらいになりそうで隔月刊。総ページ六五〇〇ページ以上となると、相当なストックを作っておかないと追いつかれてしまう。いまのところ一〇〇〇ページに届いたかどうか。プレッシャーがかかりっぱなしの日々なのだが、こんな一日一日を過ごしている「僕って何」をはたから見たら「このひと、何」となるんだろう。(2017/9/7)

 *この文章は「未来」2017年秋号に連載「出版文化再生30」としても掲載の予定です。

2017年6月 9日 (金)

「出版文化再生」II-21 加藤尚武著作集いよいよ刊行へ

 この五月に「[新版]日本の民話」シリーズ全七九巻が完結した。一昨年四月から巻数順に毎月三冊ずつの刊行ペースを維持してきたわけで、わたしも実質二年半にわたって二万ページ超のゲラを読みつづけてきたことになる。民話という内容の性格上それほど専門的知識を必要とせず、読みやすさもあってなんとかクリアしたが、それでも日々一定のページ数をこなすというノルマは日常的にプレッシャーとなっていたことは事実である。それに見合う発見もいろいろあって楽しかったから、それなりに民話通になったこともたしかだろう。
 編集者とは因果なもので、なにかつねに仕事に追われていないと気がすまないものらしい。昨年、民話の刊行もメドがついてきたころ、別件で哲学者の加藤尚武さんの家へお邪魔したときに、以前からお願いできないものかと考えていた著作集刊行の話を持ち出したところ、加藤さんからも色よい返事がもらえた。わたしは加藤さんの歯切れのいい明快な文章が好きで、ヘーゲルなどもあまりよく読んでいないのにわかったような気にさせてもらえるところがあって、これを機会にあらためて勉強させてもらおうという編集者特権を活かした企画でもあった。
 小社ではすでに加藤さんの第一論文集『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』(一九八〇年、山崎賞受賞)、『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』(一九九二年、和辻哲郎文化賞受賞)、『哲学原理の転換――白紙論から自然的アプリオリ論へ』(二〇一二年)といったヘーゲル関係書のほか、生命倫理学関連の日本におけるパイオニア的告知書『バイオエシックスとは何か』(一九八六年)、『二十一世紀のエチカ』(一九九三年)などを刊行させてもらってきている。このうち『哲学の使命』『哲学原理の転換』はわたしが企画・編集したものである。
 偶然だが、加藤さんはしばらく文京区小石川の小社のすぐ裏のマンションに住んでいらしたこともあって、よくコピーを取りに来社されたり、道でばったりお会いすることもあった。山形大学、東北大学、千葉大学、京都大学から鳥取環境大学初代学長などの経歴のほか、日本ヘーゲル学会会長、元日本哲学会会長といった要職をかねて指導的立場をこなされてこられたうえにいまも現役バリバリの著作活動をつづけておられるにもかかわらず、まったく気さくで驕らない人となりは、わたしのようなヘーゲル門外漢でも近づきやすいところがあって、けっこう言いたい放題や無理を言わせてもらいつつ、あいまをぬってなんとか著作集のプランを練り、データや本を受け取りながらようやく著作集の全容が固まりつつある。
 加藤さんの膨大な著作、論文の整理がなかなか進まないのは、コンピュータの発展によって原稿が手書きからパソコン入力に変わっていったことが理由のひとつにあげられる。パソコン以前の本とそれ以後の本ではデータの有無と再現可能性が問題になる。出版の技術革新もめざましく、活版印刷からオフセット印刷に変わるなかで著者の元データが本のデータとしてかなりの程度まで再現可能になったことによって、著者がもっている初期データを利用することができるようになったというわけである。当然ながら、この初期データが本として完成する段階までで校正その他によって改変されているので、あくまでも慎重な処理が必要だが、いずれにせよ、著作集に収録ということになればあらためて原稿の再チェックが必要になるわけだから、この時点で内容を再構成するつもりで進めるしかない。単行本や雑誌の出版社の都合で最初の原稿が大幅に削減されたことなどもあるとのことなので、今回これを復元することもありうるし、出版当時の書誌情報が古くなっている場合は最新情報を取り込む作業も必要になる。全面的に書き換えることは不可能だが、最大限の編集努力をするのは読者にたいする義務であろう。
 そういうなかで、いまはとにかく収録の確定している原稿を著作集仕様予定のページで通読を進めながらストック作りをしているところである。今回も一日のノルマを一〇ページと想定してファイル処理や編集タグ付けもかねて通読をこつこつと続けている。こういうときにはわたしが作った編集用マクロ(一括検索・置換処理プログラム)が物を言うのであって、テキストのファイル一括処理ができないと効率も精度も圧倒的に悪くなる。というより、この専門度の高い内容で、想定しているA5版四〇〇ページ超、全一五巻を隔月刊、つまり二年半で六〇〇〇ページ超の著作集を完結できることなどひとりの編集者の仕事としてはありえない。久しぶりにこのマクロ処理をしながらまだまだバグのあるプログラムを修正して精度を上げる追加処理も加えるなど、半分はわが趣味であるテクスト処理プログラムの改訂も同時におこなっている。もちろん、加藤さんの文章のクセや内容上の特性にあわせた専用の「加藤尚武マクロ」も作ってこちらの精度も上げるようにしているところ。繰り返すが、加藤尚武さんの文章は読んでいてわかりやすいし、歯切れもよく、読んでいるとこちらのアタマが良くなっていくことを感じさせてくれる感度のいいものなので、なんとか早く実現したいし、読者と喜びを共有したいというのがいま心底思っていることである。
 さいわいこの七月にはわれわれの共同復刊事業をおこなっている書物復権の会が新企画説明会を開いて取次関係者、主要書店のひとたちに集まってもらい、それぞれの社から新しい企画を直接アピールする会が予定されている。昨年から準備をしてきてまだ全容を発表できるところまできていないこの加藤尚武著作集を、企画説明会でおおいに宣伝するための整理にラストスパートをかけているところである。そしてできればことしの秋ぐらいから刊行開始といきたいと望んでいる。

 *この文章は「未来」2017年夏号に連載「出版文化再生29」としても掲載の予定です。

2017年3月 9日 (木)

[出版文化再生]II-20 大いなる裏切り――辺野古埋立て承認取消しの取消し

「高江のヘリパッド基地工事の強行に見られるように、二〇一六年七月の参院選後の安倍改造内閣の強権が沖縄においてとみに顕著になっている状況がある。その権力意思の源流がこの裁判の法廷の中にまで流出していたと考えられる」と仲宗根勇さんは「越境広場」3号で書いている(「辺野古=高江・我が闘争――裁判抗争にあらがい、闘いの現場に立つ」)。「この裁判」とは、昨年七月二十二日に国土交通大臣が、翁長知事の辺野古埋立て承認の取消しに対する国の是正指示に応じないのは違法だとして翁長知事を相手とする「違法確認訴訟」を福岡高裁那覇支部に提訴した裁判を指す。昨年三月四日に成立した国と沖縄県との形式的な和解条項をたてに、国家権力が自分の意のままにならない怒りと焦りから沖縄県知事を訴えた訴訟であって、そもそも和解条項とは無縁な訴訟であるにもかかわらず、和解条項の手続き上の問題を利用するかたちで権力的に沖縄県知事をねじ伏せようとした見え透いた策略である。しかしすでにこの訴訟のために政府にべったりの裁判官を一か月前に那覇支部に赴任させたうえで、超短期間であたかも既定の事実であるかのごとく、「県が国の是正指示に従わないのは違法であることを確認する」という判決主文でもって、沖縄県の辺野古・高江の闘いとそれを支持する翁長知事の埋立て承認取消しを違法とする、というまことに政治的な裁判であった。この権力によって送り込まれた多見谷寿郎という裁判長は、成田空港建設をめぐる裁判のさいにも証拠調べもろくにせず、国の権力意思をそのままに判決を下すという札付きの権力代弁人にすぎない裁判官で、上ばかり見ている「ヒラメ裁判官」(仲宗根勇)の典型である。
 沖縄の圧倒的な民意を無視するこうした安倍強権政治は、アメリカの最悪の大統領にも世界じゅうの顰蹙を買いながら誰よりも先に尻尾を振りにアメリカに出向き、内向きには沖縄に対してこれまでのどんな首相もしてこれなかった権力意識丸出しの暴力的圧力をかけ、その挙げ句に「家庭内野党」などと欺瞞と嘘っぱちで固まった昭恵【あきえ】夫人が悪乗りしたあげくシッポを出した森友学園問題で、みずからの私欲のためにいかに国民を欺いているかを暴露されているしまつである。野党議員から「アッキード事件」と揶揄され、血相を変えてもし事実なら首相を辞職するとタンカを切ってみせた。日本支配を裏で企む日本会議からも迷惑だと言われている森友学園とやらは、児童に長州藩の天下乗っ取りの芝居までさせているという。この長州藩覇権主義の亡霊、これほど無知で薄汚い男を冠に乗せている国がいったいどこにあるのか。いや、金正恩とトランプがいるから、いまや唯一とは言えないが、同類かそれ以下であろう。――こんな正当なことを書くと、第一次安倍政権のさいに、こんな男は一年ももたないだろうと予測した文章を発表したら、そんなことを書くおまえこそ日本から出て行け、という匿名の恫喝のハガキ(「未来」の挟み込みハガキで)を頂戴したことがあるから、今回も期待したい。実際、わたしの予想したとおり、「心身耗弱」とかいう深刻なビョーキでみずから退陣したが、現首相にはそのビョーキがますます昂進しているのじゃないか。精神科医の大井玄氏はトランプのことを「嘘つきで、人種差別を行ない、強者の論理を弱者に押しつけるガキ大将的精神年齢の持ち主である」と適切に指摘している(「みすず」3月号)が、そのまま安倍首相にも言えるのがこわいところだ。
 さて、そんな緊迫した沖縄の政治情勢のなかで、仲宗根勇・仲里効編『沖縄思想のラディックス』という論集が緊急出版される。これは本誌でリレー連載《オキナワをめぐる思想のラディックスを問う》というかたちで都合六人の筆者(編者のほかに八重洋一郎、桃原一彦、宮平真弥、川満信一の諸氏)に、現代沖縄の政治的・歴史的・文化的諸問題を思想的に深めるかたちで論じてもらうという意図のもとで二年ほどのあいだに書かれた論考を元に集めたものだが、これにくわえて最新の政治情勢や思想問題をふくめて両編者に「総括的まえがき」(仲宗根)と「展望的あとがき」(仲里)を書き下ろしてもらった。このアイデアとネーミングはわたしが発案したものだが、それに呼応して書かれたそれぞれの文章は、深く沖縄の思想の根底(ラディックス)に届いていると思う。
 とりわけ巻頭におかれた仲宗根さんの「総括的まえがき」は、昨年十二月二十六日に発覚した翁長県知事の、前知事による辺野古埋立て承認の取消し処分のさらなる取消しという、沖縄県民の期待を大きく裏切り、その後の辺野古の新基地建設工事再開に道を開いてしまう決定的な錯誤につながる行為を、専門の法律の知識を動員して徹底的に批判している。権力の茶番である「違法確認訴訟」前後の経過から知事による辺野古埋立て承認の取消しの取消しという歴史的な策動までの本質を的確に暴き出しているという意味で本書の白眉であると言っても過言ではない。とりかえしのつかない政治的錯誤のあとの、それでも闘いを継続していかなければならない沖縄のひとたち、それを支持するひとたちとその闘いの方法論たるラディカルな思考の歩みはとどまるところを知ることはないからである。
 本書はその意味でこれからの沖縄の思想が向かうべきところを多様なかたちで示唆しているはずである。わたしがこれまでその思想のアクチュアリティの面で力を入れてきたポイエーシス叢書に本書を加えることにしたのも、心ある思想系の読者たちに沖縄の問題のリアリティとアクチュアリティをもっと知ってほしいからでもあった。
 そして本書をめぐってこの四月十五日に那覇の県立博物館講座室で両編者による(おそらく)熾烈な講演と対談がおこなわれる予定であることをお知らせしておきたい。

 *この文章は「未来」2017年春号に連載「出版文化再生28」としても掲載の予定です。

2016年12月13日 (火)

[出版文化再生]II-19 それでも専門書を売る――柴田信さんを偲んで

 書店業界のシンボルとも言うべき柴田信さんが急逝され、それにつづいて柴田さんが会長をつとめてきた岩波ブックセンター信山社が倒産に追い込まれたことは、二〇一六年末におけるもっとも暗い話題である。柴田さんにかんしてはわたしなどよりもっと長くもっと深くつきあってきたひとたちがたくさんいるので、できればそういうひとたちの考えを聞かせてほしいぐらいで、わたし自身としてはあまり書きたくないテーマであるが、この問題をこのまま沈黙してやり過ごすことは、生前に柴田さんとなんらかのかかわりをもった人間として避けて通ることは許されないと思うのである。
 最初から歯切れが悪くなってしまうのは、倒産の問題は結局、当事者にしかわからない事情がいろいろあるからで、客観的な状況がわかったとしても最後の決断は当事者がなすべきであるからだ。負債額が一億三千万円弱あったからといって、このぐらいの歴史と知名度のある企業の場合、どうにもならないような額では必ずしもない。現に柴田さんは私財を投じて経営を支えてきたとも言われており、その柴田さん本人が亡くなってしまった以上、その意志を受け継ぐ力量も意欲もあるひとがいなかったということになる。関係の深かった岩波書店や取次の大阪屋栗田などの業界的なバックアップが可能であれば、こんなにあっという間の倒産劇は避けられたのではないか、と思わないわけでもない。柴田さんが高齢とはいえ突然の死であったために、十分な準備も申し送りもできていなかったのかもしれないが、あるいはすでに家族や周辺ではそうした覚悟をあらかじめしていたのかもしれない。すべては推測になってしまうが、どうにも納得しがたいものを感じる。
 晩年の柴田信さんと親しく接していた元「新文化」編集長の石橋毅史によれば、柴田さんは「経営とは資金繰りの苦しみを楽しむことだ、そうした日々を送りながら、いつかどこかで野垂れ死にする覚悟でいるのが経営者だ」と語っていたそうである。(「本屋な日々46/物語はつづく」)まあ、どこまで本気で言っていたのかはもはや不明だが、なんとも身につまされる話だ。書店業界(だけではないのはもちろんだが)の絶望的な不況のなかで、岩波ブックセンター信山社も売上げは最後のころは相当に低迷していたようで、倒産は時間の問題にすぎなかったのかもしれないが。
 信山社の(柴田さんの)意図していた書店展開は専門書を棚で関連づけて売る、というきわめてオーソドックスな手法である。神保町といういまでも本の町として通用している数少ない立地だからこそかろうじて可能かもしれない「専門書の専門書店」という実験的コンセプトは、書店としては理想的な形態である。現代の書店としてはワンフロア一〇〇坪にも満たない店構えではけっして十分なスペースではない。だからこそ限られたスペースのなかでできるだけ無駄のない選書で勝負するしかない。それが柴田さんのもくろんだ「専門書の専門書店」のイメージであっただろう。しかし、いまでもよくわからないのは、そのなかの相当なスペースを岩波書店の本が占めており、柴田さんによれば、実効性としてはきわめて厳しいものだったにもかかわらず、なぜ棚の配分をもっと抜本的に変えようとしなかったのだろうかということである。岩波ブックセンター信山社は岩波の名を冠しているとはいえ、資本的には完全に切れていたはずで、そこまで岩波書店に義理を立てる必要があったのか。それとも柴田さんはやはり専門書とは岩波書店の本が中心にあるべきで、その他の専門書出版社の本はその衛星のようなものだと考えていたのだろうか。ちなみに未來社の本などは常備として二〇冊程度しか置いてもらっていなかった。それはないだろうといつも思っていたが、それはスペースの配分を大きく変えてしまわないかぎり、不可能だったはずである。
 それでも店の入口の平台スペースを使って書物復権の会や人文会、歴史書懇話会のフェアなどを頻繁におこなって店に合ったロングセラーアイテムの発掘に力を入れていた時期もあり、出版社も協力してそれなりの成果も上がったようだが、そうしたノウハウも継続的に店の展開力を高めていったのか、わたしが書店現場に疎くなっていることもあって、そのあたりはもうひとつはっきりしない。仕入れのための資金などの問題もあっただろうが、新刊仕入れにそれほど積極的に取り組んでいたとも思われないところがあったのも事実で、そうした既刊本と新刊の組合せの関連づけと展開力不足に、柴田さんの「専門書を棚で売る」戦略イメージとのギャップがあったのではないか。
 いまさらこんなことを書きつらねたところでどうしようもないのだが、なんとか柴田さんが実験的に実現しようとしていたことを既存の書店が、たとえその一部でも取り込んでみてほしいと思わざるをえない。書店のなかに「専門書店」を意識的に作り出すことである。経営効率上は現実的でないかもしれないが、すくなくとも人文会が定期的に作っている専門書の必須アイテムリストなどを参考に、専門書を棚で関連づけて売る、という基本的な棚作りを心がけてほしい。アマゾンがヴァーチャルなかたちで読者へのお薦め本を関連づけてくるように、現物を並べて見せているリアル書店(何度も言うが、いやなことばだ!)の、そこに本があるという強みを生かして読者を動かせてほしい。そのことを最初からあきらめない姿勢こそが柴田さんの実験的意志を積極的に受け継ぐことになるはずである。出版社だって売れないだろう専門書をそれでも信じて世の中に送り出しているのだから、関連づけで客単価を上げるかたちで連携してもらう以外にないのである。
 ここまで言えば、柴田さんなら、「その通り!」と返事してくれそうな気がする。

 *この文章は「未来」2017年冬号に連載「出版文化再生27」としても掲載の予定です。

2016年9月24日 (土)

[出版文化再生]II-18 翻訳出版の危機

 明るい話題に事欠く昨今の出版界にまたひとつあまり感心しない問題を提示しなければならないことになった。今後の出版文化において――すくなくとも日本の翻訳出版文化のありかたにおいて――大きな変化というか停滞が余儀なくされる可能性が出てきたということである。
 というのは、ここ最近のことだが、人文系専門書の翻訳出版において、原書にはない訳者解説、訳者あとがきなどの収録にたいして原出版社側ないし原著作権者側から(あらかじめ版権契約の段階で)厳しい制約が課されるようになってきたことであり、そうした文書を付加する場合には事前にその内容、分量、そうした文書を付加する理由書を原出版社に提示し、著作権者の許諾を得なければならず、しかも通常はよほどのことがなければ、承諾を得られないだろうというのである。かれらからすれば、日本語で書かれたその種の文書はそもそも判読が困難であり、場合によっては原書の内容を損なうものになりかねない、というのがその理由のようである。
 この問題を一般に理解してもらうためには、出版におけるさまざまな歴史的・技術的な問題点をきちんと指摘しておかなければならない。そして読者の側においても、こうした問題の所在を知っておいてもらいたいのである。
 どうしてこういう問題が生じたかというと、まずなによりも単純な理由は、翻訳作業が横文字(アルファベット)を縦文字(日本語)に転換することの困難さにあることである。翻訳という作業はある言語(ラング)を別の言語に置き換えることであるが、欧米語間の翻訳は広い意味でインド【=】ヨーロッパ語族と呼ばれる言語同士の翻訳であるから、さまざまなニュアンスのちがいもあるとはいえ、同じ語源をもつ単語も多いし、翻訳の問題は同族言語間の差異を克服することが中心となる。平たくいえば、言語間の移動であると言っていいが、日本語化という作業はそもそも共通するところがほとんどない言語間の変換であり、日本語特有の膠着語法とも呼ばれる文法的な形態的差異がなんとも大きく、そこにさらに歴史的文化的差異もくわわって、翻訳作業をいちじるしく困難なものにしている。欧米語間の翻訳では翻訳者の名前さえ掲出されないことがあるのは、翻訳という作業がそれほど重視されていないという理由でもあるのかもしれないが、日本語ではそう簡単なものではない。とりわけ専門書の翻訳では、言語的能力のみならず、原書の置かれている歴史的文化的社会的背景を十分に理解する知識と能力を必要とする。それがないと日本語として読めるものにならないばかりか、とんでもない誤訳だらけの本になりかねない。ヴァルター・ベンヤミンが「翻訳者の使命」で言うような、諸言語を貫いて抽出されうる〈純粋言語〉といった理想の言語の概念はここでは別の話であり、現実的には翻訳上のさまざまな工夫によってこの差異を埋めるべく日本語の翻訳者たちは悪戦苦闘しているのである。それでもどうしても訳文のうえでは実現できない、文脈上の背景の違いや問題点の所在などを読者に「解説」しなければ翻訳者としてのつとめを果たすことができないと考える訳者の姿勢は、翻訳者として誠実だと思う。読者もそうした「解説」を通じてその翻訳が信頼できるものであるかどうかを判断することができるし、そうならばその「解説」をおおいに参考にして理解につとめようとするのである。
 こうした言語間の差異、文化間の差異を埋める翻訳者たちの努力こそが、明治以来の日本の翻訳文化を形成してきたし、そのことを通じて欧米とのさまざまな格差やギャップを縮めてきた歴史がある。もちろん、それらを踏まえた多くの論者たちの研究や論説を通じて世界との知的交通が拓けてきたことも忘れるわけにいかない。長い自国文化をもつとはいえ、これまた長い鎖国状態を脱して明治以来せいぜい一五〇年間に日本がここまで世界水準の文化を(再)形成してくることができたのは、こうした独自の翻訳文化を実現してきたことにも一因がある。これは世界的には相当に稀有のことであるかもしれない。訳者たちの努力の蓄積、またそれを出版物として実現してきた各出版社の努力がなければ、こうした水準の実現は不可能であっただろうし、この努力はいまだ未完のプロジェクトとして今後も推し進めていかないわけにはいかないのである。
 こうした近代日本文化形成の特殊性にたいして欧米の原出版社はもうすこし関心をもってほしい。欧米語間の翻訳とちがって知的土壌の違う風土における文化的移植の営みが日本語への翻訳なのだということへの理解が十分とは言えない。日本語への根気の必要な翻訳とそれと一体化した理解への努力とはひとつの〈創造行為〉でもあるのだ。そうした認識のうえで対処してもらわないと、今後、訳者はそうした創造的努力をする気力を喪失してしまうだろう。
 また出版の条件として、刊行間際にならないと提出しづらい本文訳文や装幀プランの提出、付加文書の内容説明ないしその訳文提出も課され、それらの点検をするために二週間から一か月ぐらいの待機時間を必要とするとなると、出版社も刊行予定が立てにくくなってしまい、そこまでするのなら面倒な翻訳書出版を断念してしまう方向に傾いてしまいかねない。こうなると、これまでせっかく相互の文化的歴史的差異を縮めるべく努力してきた出版文化の歴史とは逆の方向に向かうことになってしまう。たとえば小社で刊行を準備しているジャック・デリダの宗教論が意図しているような、いまこそ相互理解を深めあうことを必要とする世界的状況のなかで、原著作権の防御的な法的権利ばかりが主張され、相互の無理解のほうに拍車をかけてしまうならば、歴史的にも社会的にも大きな禍根を残すことになるだろう。
 *この文章は「未来」2016年秋号に連載「出版文化再生26」としても掲載の予定です。

2016年6月13日 (月)

[出版文化再生II-17:20周年の書物復権――いろいろ思い出すこと

 ことしは専門書の復刊を主な目的として始まった書物復権運動の20周年にあたる。これを記念していつもの専門書復刊にくわえて、これまでに復刊してきた書籍のなかからオプションで連動フェアを全国の書店で展開してもらっている。これまでに復刊してきた書籍は毎年各社5点、総点数で700点ほど。そのうち在庫のあるものが500点ぐらいはあるようなので、そのなかから書店が選択して(あるいはおまかせで)ことし分の復刊書籍と並べて販売してくれている。大規模に展開してくれているところもあり、20年間の集大成として、どのような結果が出てくるか楽しみでもあり不安でもある。
 ともあれ、昨今の書物復権の会は一昨年から青土社、吉川弘文館が参加して10社の会となっており、それとともに会の構成メンバーもずいぶん様変わりしてきた。わたしなどはいつのまにか最年長者になってしまい、いまや唯一の創立時メンバーであるみすず書房・持谷寿夫社長ともども、実務的な活性化を進める若い世代の台頭に押されっぱなしである。そうしたこともあって、この20年という節目をひとつの機会としてあらためて書物復権運動を回顧してみようかという気になった。すでにこの会については何度も書いてきているが、重複をおそれずいまの時点で振り返ってみるのも悪くない。
 そもそもこの会の成り立ちは、みすず書房元社長の小熊勇次さんが専門書の危機をなんとか打開する必要を感じて提唱した〈書物復権〉という考えにもとづいている。小熊さんの考えでは岩波書店をどうしても巻き込まなければ始まらないということで、当時の岩波の安江社長に談判して実現したのである。専門書取次の鈴木書店が倒産するすこしまえのころで、いまよりはまだ本が売れてはいた時代ではあったが、それでも専門書業界では出版不況を先取りして、専門書に厳しい状況が始まっていたのである。ある新年会だったと思うが、当時の岩波の辣腕営業部長であった後藤勝治さんと坂口専務から「今度ちょっと相談したいことがある」と言われたことがあるが、どうもこの会の発足にかんする話だったのではないかと思っている。ともあれ書物復権の会は1996年に岩波書店、東京大学出版会、法政大学出版局、みすず書房の4社でスタートすることになり、未來社は勁草書房、白水社とともに声がかかり、二年目から参加することになる。そのさらに翌年、紀伊國屋書店出版部が参加して、それから十数年はこの8社の会の体制がつづくことになるのだが、紀伊國屋書店の参加によって、図書館への働きかけなど販売において大きな成果があげられてきたことは特筆しておいてよい。
 とはいえ、いまでもはっきり覚えているのは、(こんなこと書いていいのかな)後藤部長があるときしみじみ「もう岩波も独力ではむずかしくなって、みなさんの協力なしではやっていけなくなったんですよ」とわたしに言ったことである。岩波の営業の顔であった後藤さんがそんなことを言うのか、と驚いた記憶が鮮明だ。そういう状況認識のなかでの書物復権の会の出発だったわけである。
 会の活動の当初はマスコミの受けもよく、初回配本も350~400セットぐらいだったし、返品率もいまよりはだいぶ低かったように思う。ハガキによる読者リクエストなどもはるかに活発であって、参加した最初の年に復刊したE. H. カーの新組版『カール・マルクス』が読者リクエストで堂々ダントツの第一位となったこともあって、各社の驚きを呼んだことなどを誇らしく思い出す。マルクス本が売れなくなりはじめていたころで、思い切って新組にして出したところが思った以上の反応もあって驚いたが、もともとたしか43刷か44刷までいっていた本だっただけにこれはいわば「隠し球」のようなものだったかもしれない。
 2004年から東京国際ブックフェアへの共同出展という試みも始まっていまにいたっている(残念ながら未來社は2013年から出展をとりやめている)。また各地の書店や生協での編集者と読者の集いとか、紀伊國屋ホールを使っての各社主催連続セミナーの催しなど、編集者や著者を巻き込んでの大々的なイベントの取組みなども実現した。400人超のホールをある程度以上一杯にするためには事前の準備から宣伝にいたるまで、たいへんな努力を強いられたわけで、いまからみれば、相当にすごい活動をしてきた観がある。あるときには紀伊國屋書店からの急な提案を受けて会ではいったんキャンセルせざるをえなかったイベントを翌日にかけてわたしのコネクションを動員し、旧友の宮下志朗さん、鹿島茂さんらに声をかけて土壇場で実現させてみたこともあった。書物に造詣の深い著者たちによる、本にかかわる者たちの「総決起集会」ということばが壇上から発せられるようなホットな会になったこともいま思い出すとなんともおかしい。
 わたしも若かったんだな、という思いがよぎるが、しんどかった反面、けっこう楽しかったとも言える時代だったのかもしれない。それなりに時間もあったわけで、いまのように経営や本作りに追われまくっていろいろなケアができないことが残念でならない。編集した本が売れてこそ、喜びも倍増するのだが、そういうオイシイ場面を「編集」する楽しみが得られなくなっているからである。まあ老兵の出番ではなくなったのだろうが。
 自社だけではとうていできない(とくに未來社のような小さい所帯では考えられもしない)企画を考えられるのがこの会のいいところであって、最近は大学の図書館員などとも連携して読者との接点を作ろうとする動きも出てきており、そんな試みのなかからなにか新しい可能性が生まれてくることを期待したいと思うのである。

2016年3月 9日 (水)

出版文化再生II-16:いまこそ出版の原点へ

 月刊PR誌「未来」を「季刊 未来」に変更してからほぼ一年半になる。それにともない、この[出版文化再生]ブログの執筆回数も減少しているが、必要と思われる文章はそのつど書いて発表してきたので、当人にとってはさほど変化があるとは思っていない。むしろ強制が少なくなった分だけ、書きたいことだけを書けるようになってきている。
 さいわいなことにこの[出版文化再生]ブログのアクセス数はコンスタントに毎月2000~3000となっているので、なにかしら参照してくれているらしい。執筆の間があいてきているにもかかわらず、定期的にチェックしてくれているひとがいるのである。すでに『出版文化再生――あらためて本の力を考える』としてまとめてある[未来の窓]ブログのほうもいまだに毎月300超のアクセスがあるのが不思議で、刊行時に付けた注などを見てもらう価値があると思っているのだが、本のほうはあまり動きがない。その後に書いたブログをまとめた『出版とは闘争である』(論創社)のほうもいまひとつ。出版にかんする本は売れない、という常識があるらしいが、ブログのアクセス数との不均衡が気になる。
 それはともかく、「未来」季刊化にともなって新刊にかけられる編集の時間が増えたせいか、昨年はかなりの新刊を刊行することができた。わたしが仮ゲラ(未來社独自の編集タグ付きプリント)ないし初校ゲラで通読をするかたちでかかわった新刊は、4月から毎月3点の刊行をつづけてきている「[新版]日本の民話」シリーズの昨年刊行分27冊をふくめて44冊を数えた。ほとんどの本はほかの編集者との連携で進めたものだから、実際のところはかなり割り引いて考えなければならないだろうが、なかにはマーク・マゾワーの待望の『暗黒の大陸――ヨーロッパの20世紀』やダニエル・ベンサイド『時ならぬマルクス――批判的冒険の偉大と逆境(十九―二十世紀)』などといったいずれも550ページ以上の大著もふくまれているから、経理業務などにとられる時間のことも考えれば、これは相当な仕事量だろう。ことしは順調にいけば、この数はさらにもうすこし増えるだろう。いいトシをしてこんなに編集の仕事をしていいのだろうか、と我ながら恥ずかしいほどである。
 昨年からことしにかけて栗田出版販売の民事再生申請に始まる一連の騒動、ここへきての太洋社の自主廃業といった中堅取次会社の経営破綻をみるにつけ出版業界の先行きはますます厳しくなっているが、そういうなかで未來社では新刊点数の増加ということもあって、このところ売上げはまずまず伸びてきている。もっとも製作費も相対的に増えているから、差引き勘定からすればまだそれほど好転しているわけではないが、先行投資的に進めてきた「[新版]日本の民話」シリーズが、ようやくここへきて刊行継続を知られだしたらしく読者の支持もふえつつあり、図書館の購入数も上がってきているので、この方向で推移してくれれば、かなりバランスがとれてくるだろう。ことしの最初からアマゾンと有償契約をしたベンダー・セントラルでも売行きの情報がつかめるようになった結果、こうした傾向が確認できるようになった。
 問題はいわゆるリアル書店(ふつうの書店)の元気のなさである。わたしは「[新版]日本の民話」シリーズの書店での売れ行きを、現在の書店の活性力のひとつのバロメーターとみているが、このシリーズの販売においても、せっかく期待して仕入れてくれた書店(大都市の大型書店、ご当地の地方書店)での販売が当初期待したほどの成果を上げるまでにいたらず、配本開始した時点から徐々に新刊配本部数が減ってきている。その反面、取次の専門書センターなどからの補充はどの巻もコンスタントにあり、既刊にさかのぼっての全巻購入などもあるので、どこかの書店経由で売れていることになるが、そのあたりがよく見えないところがこのシリーズが通常の書籍とちがうところなのかもしれない。これは元版のロングセラー「日本の民話」シリーズが、地元の一番店、二番店と言われるような老舗書店を中心に大きく販売実績を上げてくれた昔の事情とは食い違ってきている。そもそもそういったかつての老舗書店が低迷し、つぎつぎと廃業に追いやられつつある現在、いまや地方でもナショナル・チェーンの書店が支配的になり、そういうところではそれほど力を入れて販売してくれているように思えない店が多いように感じられる。とはいえ、巻数によっては、その地に根づいている地元書店がおおいに気を入れて売ってくれようとしているところも出始めているので、かつてほどではないにせよ、ご当地本として喜ばれるようになることも期待できる。わたしとしては幼いときから本を読む習慣を身につけるには絶好のシリーズだと思っているし、「ふるさと再生」ではないが、その地方ならではの方言を生かした地方文化の再生と活性化に寄与できるものと考えてきたので、これはなんとしても広く読まれてほしいのである。
 ここまで書いてきて、やはり出版というものはひとつの力になりうるし、ならなければならないとあらためて痛感する。出版界の不況はさまざまな要因があるので解決は簡単ではないが、出版されるべき企画はこんな時代であるからこそなおさら多種多様に存在しているとみるべきである。読者はそういうものをこそ待ってくれている。最近刊行された木村友祐『イサの氾濫』なども、小社ではめずらしい小説だが、東日本大震災による東北のダメージとそれにたいする中央政府の無策(というより無作為の放置)にたいする心底からの怒りを方言を駆使してぶつけた異色の作品で、初期の反応もいい。本が社会をよりよくしていく力となる可能性をあらためて教えてくれる本となるかもしれない。いまや東北は沖縄とともに、日本の政治的経済的矛盾の集約点と化しており、そうした問題の所在を明らかにしていく使命が出版に課されている。そういうものに応える出版こそが時代の隘路を切り開けるのではないか。出版とはまさに闘争なのだから。(2016/3/6)
 *この文章は「未来」2016年春号に連載「出版文化再生24」としても掲載の予定です。

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