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2016年9月26日 (月)

西谷の本音でトーク:自民党憲法草案の恐るべき中身

 谷内修三『詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント』(2016年8月、ポエムピース刊)の巻末付録として収録されている自民党の「日本国憲法改正草案」全文(2012年4月決定)を読んで、容易ならぬ事態が進行していることにあらためて愕然とした。自民党の政治的に腐りきった人間たちが頭をひねくって作成した草案など読む気にもならないできたのだが、谷内の危機感が呼び起こしたこの批判書(書名がユルイので、すぐ読まないできたのだが)の姿勢と視点にわたしは基本的に同意し、これまでの油断をおおいに反省させられた。この一文を急いで書くことになったのもそういう反省からである。
 安倍政権(および自民党)が戦後、営々としてもくろんできた憲法改悪の基本線がこの文書に集約して現われているのであり、これを具体的に知らずにいては安倍および日本会議に群がる軍国主義者どもの狙いに的確な思想的反撃をすることができない、といまさらながらに気がついたのである。
 ここでは谷内の書法を参考にしながら、この悪辣な自民党憲法草案の危険きわまる問題点をとりあげていきたい。
 全体的に言えることは、現行憲法が日本国民を主体とし、その正当な選挙で選ばれた政府を監視しその誤りを許さないように憲法によって縛っていくという視点によって成立しているのにたいして、自民党憲法草案は、主体を国民から国家に移行させ、自分たちを縛る憲法ではなく、国民を支配するための憲法に変質させようとしていることである。谷内がしているように、憲法草案の細かい字句を検討していかないと、一見まともなことが書いてあるように見えても、その裏に自民党(および日本会議)の国民支配、戦争政策への魂胆が透けて見えるところを見落としてしまうのである。
 こうしたは現行憲法を下敷きにしながら、細かいところで書き換えをし、その一方では現行憲法の重要な部分を骨抜きないし削除しているうえに、これだけは隠すことのできない悪質な項目を追加しているのである。ここでは主要な問題だけに絞らざるをえないので、細かい修正は(それぞれ問題をふくんでいるものも多いが)とりあげられない。
 まず指摘しておかなければならないのは、その前文である。
 現行憲法では冒頭に「日本国民は、(……)政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。(以下略)」とあって、主権が国民にあることを明確に謳っている。ところが自民党憲法草案にはそうした部分が消されている。
 つづいて恒久平和に関する部分。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。(……)/われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。」という「崇高な理想と目的」をめざしているのにたいし、自民党憲法草案では、こうした立憲が第二次世界大戦で日本の軍国主義者が招いた世界戦争の反省にもとづいていることを完全に忘却し(無視し)て、無責任きわまりないことを書いている。いわく「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、(以下略)」と、戦争責任を糊塗し、あたかも東日本大震災を喚起するような自然の大災害と同一レベルのものとするようにごまかして、その先代たち(たとえば安倍晋三の叔父にあたるA級戦犯岸信介)の戦争責任を免罪し(なかったことにし)ようとしている。かれらの言う「平和」などたんなることばにすぎない。
 第一章「天皇」の第一条では「天皇は、日本国の元首であり、(以下略)」と現行憲法にはない「元首」ということばを唐突にもってきている。これではまるで戦前の明治憲法と同じではないか。
 つぎに第三条は「国旗は日章旗とし、国家は君が代とする。」とし、2項では「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。」と現行憲法にはない一条を追加している。これは軍国主義の押しつけ以外のなにものでもない。明治天皇、昭和天皇とくらべて相対的に民主的とされる現天皇が皇位を下りたくなるのも当然であろう。
 とりわけひどいのは、安倍および日本会議の本音が出ている第二章「安全保障」である。現行憲法での第二章「戦争の放棄」がそっくり削除されて代わりに出てきているのがこの章だ。ここに軍国主義者の狙いがそっくり出ている。
 現行憲法の第九条をもういちど確認しよう。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とし、その2項には「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」としている。これにたいし、自民党憲法草案では、九条の2に「自衛隊の発動を妨げるものではない」としたうえで、あらたに「第九条の二」として「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。」と明確に軍隊の設置を掲げている。これが安倍および日本会議の最大の野望である。
 これを実現するために第三章「国民の権利及び義務」の第十二条では「国民は、(……)常に公益及び公の秩序に反してはならない」と現行憲法の「公共の福祉」としているところを「公益及び公の秩序」に置き換えており、以下すべてこのことばになっている。これは主権者としての日本国民にたいして国家的な支配者の目線で国民を従わせようと意図しているからである。
 第十九条では現行憲法の「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」としているのを、自民党憲法草案では「思想及び良心の自由は、保障する。」となっており、これも明らかに主権者としての国民を、支配者としての国家の立場から、保障する(許してあげる)という思想の反映であり、しかもそこには、後述するように、自分たちの意向に反する自由は「保障」しないというウラが隠されている。谷内が言うように、国家権力は「思想及び良心の自由」を侵すことは憲法によってきびしく禁じられているのに、国家が国民の上に立とうとしているのである。
 第二十一条は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」が規定されているのだが、自民党憲法草案には2項として現行憲法にはない文言が追加されている。「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」とされており、これなどは国家権力にとって「公益及び公の秩序を害する」とみなせば、憲法の名において国民の表現の自由を侵害することができることをちらつかせている問題のあるところだ。出版事業もこれでつぶせることになりかねない。
 第二十四条は婚姻にかんする部分だが、自民党憲法草案では「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」という文言が追加されているが、これなども家族国家観以外のなにものでもない。なぜなら現行憲法では「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、」とあるところを「両性の合意に基づいて成立し、」と「のみ」を省略し、婚姻をたんに一般化して、「両性の合意」が家族構成のための絶対条件であることを「家族」の優位性という全体主義的観点から骨抜きにしようとしているからである。これでは両性の不合意によって婚姻の解消(離婚)ということも正当な権利ではなくなって、家族という全体のなかに個人を埋没させてしまうことになる。個人への抑圧の思想があらわに出ている部分であろう。また公共福祉コストを削減し、「家族」に肩代わりさせようとしていることも見逃せない。
 第四章「国会」の第五十四条では、「衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する。」という文言が最初に追加されている。これは首相の権限強化以外のなにものでもなく、独裁への道を開こうとするものである。
 第六十三条は、内閣総理大臣及びその他の国務大臣が、「答弁又は説明のため」議院から出席をもとめられたときの出席義務を規定しているが、そこにあらたにただし書きを付けて、「職務の遂行上特に必要がある場合は、この限りではない」として具合の悪い場合には出席義務から免れる道をこっそり用意している。まったくずるがしこい。
 第五章「内閣」の第六十六条は内閣の構成にかんするものだが、その第2項は、現行憲法では「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」となっているところを「内閣総理大臣及び全ての国務大臣は、現役の軍人であってはならない。」と変更している。これは一見同じに見えるが、現役の軍人が直前で軍人をやめればすむということにすぎない。現に、防衛大臣をやっている中谷というガンのようなヤツを安倍がその手で国務大臣にしている通りの策謀である。これでは第二の東条英機の再来も可能というわけだ。もっとも安倍はそれと同じかもっとタチが悪いが。
 第七十二条には、すでに述べたが、「内閣総理大臣は、最高指揮官として、国防軍を統括する。」という恐るべき文言が追加されている。これじゃヒトラーと同じだ。
 第八章「地方自治」の第九十二条にはあらたに2項として「住民は、その属する地方自治体の役務の提供を等しく受ける権利を有し、その負担を公平に分担する義務を負う。」という文言がさりげなく追加されている。これが沖縄の米軍基地そして現在の辺野古新基地建設ほかの沖縄県への基地負担のさらなる押しつけが含意されていることは見やすい道理だ。どこが「公平」なんだ! 第九十三条の3項でも「国及び地方自治体は、法律の定める役割分担を踏まえ、協力しなければならない。」と暗に沖縄県の「協力」を強制しようとしている。
 これに関連して自民党憲法草案の卑劣なところは、現行憲法第九十五条をそっくり削除していることである。そこにはこうある。――「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。」というものであって、これは辺野古基地建設の押しつけにたいして沖縄県民が圧倒的過半数をもって不同意を表明していることを無視しようとする悪どい条文削除である。この条文を残しておいて辺野古基地建設の強行は本来はできないはずだからである。
 そしてさらに悪質なのはまったくあらたに加えられた第九章「緊急事態」である。これは第二章「安全保障」とセットになっているのは明らかである。その第九十八条は「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。」としているが、注目すべきは、「外部からの武力攻撃」と「大規模な自然災害」といったわかりやすい緊急事態のあいだにさりげなく「内乱等による社会秩序の混乱」という文言が挿入されている点である。これなどは内閣が判断すれば「緊急事態」宣言の対象になりうるというまったく恣意的なものである。わたしのこの文章だってその対象にされかねないぐらいにひどいものである。これじゃまるで戦前の特高警察の勝手な判断と同じになってしまう。
 見逃してならないのが、現行憲法の第十章「最高法規」(自民党憲法草案では第十一章)の第九十七条がそっくり削除されていることがこのこととも関連することである。そこにはこうある。「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」この文言を削除すること自体が、自民党憲法草案が意図するものが、こうした国民の基本的権利を強奪しようとするものであることは火を見るよりも明らかである。
 そして安倍および日本会議のほんとうの狙いを実現すべく憲法改悪の手順が第十章「改正」(現行憲法では第九章)がくる。現行憲法第九十六条にはこう規定されている。――「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。(以下略)」となっているのにたいして自民党憲法草案の第百条では、「この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。(以下略)」とされている。安倍および日本会議が企んでいるのは、この第九十六条でまずは憲法改悪の手順のなかでハードルを低くしていくことであり、すでにこの企みは、自民党とそのメカケ政党である公明党だけで必要議員数をクリアしてしまった以上、つまり現行憲法の範囲内でも発議までは可能になってしまった以上、この第九十六条設定の企みの意味は少なくなったかもしれないが、まだなんとかこの条件を満たさせない可能性は残っている。ただし、民進党には前原誠司、野田佳彦一派のような松下政経塾系の隠れ憲法改悪派が潜んでいることを考えると、予断を許さない状況に変わりはない。
 こうした危険分子が蔓延している日本の政治状況と、それを裏面から意識的無意識的に支えている、ものを考えない凡庸な日本人の多くがいることは、この恐るべき自民党憲法草案の真の狙いを打破することの困難を想像させざるをえないのである。谷内が指摘しているように、マスメディアも安倍政権の恫喝に挫けて戦々恐々でこういった危険を広範に告知することもできないことが、ますますこの危険を増幅させている事実もある。わたしごときが、出版事業および個人的発言でこんな主張を繰り返しても多勢に無勢という状況であるのはいかんとしがたい。細かい問題点はまだまだあるが、とりあえずは主要な問題点を明らかにしたつもりである。専門家からすれば、甘い論点もあるだろうが、逆に言えば、素人からみてもこの自民党憲法草案には危険な思想がいやというほど盛り込まれていることがわかるのである。だから、すくなくともものを考える日本人であるなら、自民党憲法草案をバカにせずに、その実体だけでも知るべきであろう。この草案を甘くみてはいけないのである。

2015年12月30日 (水)

西谷の本音でトーク:「裸は顔だ」という詩的レトリック

 ロマン・ヤコブソンは「言語学と詩学」という講演のなかで、アフリカ人の信徒が裸で歩きまわっているのを咎めた宣教師にたいして、このアフリカ人は宣教師の顔を指さして「あんたも裸のところがあるじゃないか」と反論し、これは顔だという宣教師に「そんなら俺たちはどこもかも顔だ」と言ったという話を紹介している。この例を引いて、「これとおなじように、詩においても、いかなる言語的要素も詩的言語の文彩に転換されるのである」(『ヤコブソン・セレクション』234ページ)と書いている。言語のレトリック的転換を一瞬にしてのけたこの現地人は西欧の勝手な価値観に凝り固まっただけのこの宣教師よりも圧倒的に正しい。

2015年11月23日 (月)

西谷の本音でトーク:鮎川信夫の思想的なるものへの先駆性

 鮎川信夫は1939年に書かれた「覚書」という文章で詩における思想性、主題性の必要をいちはやく力説している。
《何が故に、詩には方法の進歩のみが大切で、思想性や主題の追求は不必要であり、物体の不可思議性を含んだオルドルの世界のみが重要であるか、などといふことを学んで詩の限界を益々狭めてゆくよりも、何が故に、純粋なる詩には不必要であるかも知れないところの思想性について考へたり、主題の追求をしなければならないか、といふことを、背後にある時代を意識して真剣に考察してみることの方が更に重大なことである。》(『鮎川信夫全集II 評論I』365ページ)
 戦前の若書きでたどたどしくはあるが、十代ですでに詩における思想性の必要を考えていたことがわかる。だからこそ、「不安の貌」という同時期の文章で、当時の文学者の動向を見ながら戦後の戦争責任論に通ずる批判をすでに書いているのは先見的である。
《さて現代の我が国の文学が、表面は戦争文学その他いろいろと新らしい局面への転回で活況を呈してゐても芸術的価値から見てむしろ低下してゐることは、時が経つに従って次第に誰の眼にもはっきり顕れてくるであらう。文化に対して一定の落ちつきを持って冷静なる批判力を回復するやうになった時、其処に見出す文学は如何なる相貌を呈してゐるであらうか。》(『鮎川信夫全集II 評論I』374ページ)
 この前後にも世間の民族主義的昂揚などをもくろむ言辞への批判もあり、コスモポリタン的世界主義への方向性を打ち出していたり、いくらか抑制しているところはあるものの、この時代の検閲的状況からみると勇気ある主張だったとさえ言えるのではないか。こういう鮎川信夫の姿勢には信頼できるものがある。

2015年11月22日 (日)

西谷の本音でトーク:鮎川信夫におけるエリオットの影響と詩の近代性

 鮎川信夫は「現代詩との出合い」という文章(1968年刊行の『わが愛する詩』に収録で執筆時は不明)のなかでこんなことを書いている。
《エリオットは、およそ詩人が与えうる最大の影響ともいうべきものを、私に与えた詩人である。特にその詩が好きで熱中したとか、彼の思想に深く共鳴したとか、というのではない。……ただ、近代文明全体にたいする強烈なヴィジョンを、そのネガティヴなイメジを通して受けとったのであった。/それは、知的な認識とは言えない。しかし、感性的なものであるだけに、深く心の土壌にしみ込んでしまったように思われる。詩が一種の(感性的な)認識の具として、近代文明全体に対抗してゆけるという、漠然たる信念を抱くに至ったのは、エリオットの詩を読んだことからである。》(『鮎川信夫全集II 評論I』345ページ)
 ここには鮎川におけるT・S・エリオットの与えた影響の大きさとその意味が率直に述べられている。戦後直後の荒廃した日本のなかでエリオットの『荒地』のイメージがピッタリと符合したというのはこれまでも言われてきた通りであるが、鮎川にとってはそれがさまざまな近代的で「感性的」なイメージをともなったものでもあったことが重要なのだった。
《われわれのやらなければならないことは、近代をのりこえてゆくこと――絶対的に近代的であること――であって、近代からあとずさりすることではない。自分にとって、近代的であるということは、世界と接触を失わないということでなければならないと思った。私にとって、詩はそのための唯一の窓だったのである。》(同351ページ)と鮎川は同じ文章の末尾で書いている。鮎川信夫における詩の絶対性はときにいささか過剰に思われるが、あたかもランボーのように(「絶対的に近代的であること」)、近代を乗り越えていくためにはみずからは詩を「唯一の窓」として、近代性をけっして手放さないという姿勢が鮎川にとっては必須であったことがここでは告げられている。

2015年11月10日 (火)

西谷の本音でトーク:デリダの責任=応答可能性の定義

 デリダは『死を与える』のなかで〈責任〉についてこんなことを書いている。デリダの責任論、アカウンタビリティにかんする重要な問題提起と思われる部分だ。
《責任とは何であるのか、何で_¨あるべき¨_なのか、ということについての不十分な主題化は、_¨無責任な¨_主題化にほかならないことをけっして忘れないようにしよう。_¨責任を負う¨_ということは何であるかということを知らないこと、それについての知も意識も十分に持たないこと、そのことはそれ自体で責任に違背することなのだ。責任を負うためには、責任を負うということがどういう意味なのかについて請け合うことができなければならない。》(ちくま学芸文庫版56ページ、傍点は原文通り【なお、ここでは傍点箇所は_¨と¨_ではさんである】)
 責任をもつとはここまで自覚的かつ知的な強度を要請することなのだ。さらにデリダはすこし先のほうでこうも言っている。
《責任とは、もっとも信念に満ち、もっとも説得的な意見【ドクサ】によれば、応答すること、すなわち他者と法の前で他者に応答することであり、そして可能ならば、みずから公的に、みずからの意志によって、みずからの目的を持って、そして責任あるとみなされる動作主の名において応答することにほかならない。》(同前59ページ)
 これはほとんど責任=応答可能性の定義と言ってもさしつかえない。ある意味ではおそろしくリゴリスティックな概念規定だと言ってもいい。ここまで倫理的にならなければ責任を負うことはできないとなると、ふつうの人間が軽々しく責任をとることなどできないことになる。
 しかしデリダの責任=応答可能性の定義はそう簡単なことではない。
《責任の行使は転向と背教の危険をもつねにはらんでいる。伝統や権威や正統性や規則や教義に対して、離反や創意という破壊を行なわないような責任はないのだ。》(同前61ページ)
 ということになると、責任を行使することは伝統や権威や正統性や規則や教義というものにたいして、否定的な対応をすることを前提としていることになり、だからこその「転向と背教の危険」を、つまり体制的なものからの圧力や懐柔に屈する危険をはらんだ両義性の刃の上にあるものだからこそ、これだけぎりぎりの倫理性を問われるものにならざるをえないのだ。この規定を無視して責任について語ることはもはやできない。

西谷の本音でトーク:鮎川信夫の黒田三郎批判

 鮎川信夫に「詩人と民衆」という黒田三郎批判の文章がある。1956年に発表されたものだ。鮎川はこのなかで、黒田の詩をいくつも引用しながら、黒田が戦後詩のなかでいちはやく「民衆」という視点を打ち出したことの先駆性を評価しつつ、その詩が「庶民」の立場に立って書かれていることの観念性と不十分さ、卑小な社会人としての「自己憐憫」という立場からの民衆性という黒田の方法の限界を明らかにしている。
「荒地」の仲間であり、後年は共産党との親疎の関係において離反していく両者の関係は、まだこれが書かれた時点ではそれほど距離は離れていない。そのせいか、鮎川のふだんの辛辣な批判からすれば、どこか甘いというのか、手加減しているところが感じられる。いまで言う「仲間褒め」ならぬ「内輪批判」でお茶を濁しているところがある。
 この鮎川の視点のなかでどうしても納得できないのは詩人のエリート性にたいする言及である。鮎川は言う。
《詩人は、詩を書くことによって、いやおうなくエリートの位置に立つのである。彼自身がエリートの意識をもっているかいないかということは、彼がエリートであることと何の関係もないことである。意識しようとしまいと、彼はエリートとしての責任をのがれることはできない。》(『鮎川信夫全集II 評論I』255ページ)
 このエリート意識はいったいどこからくるのだろう。すくなくとも現代詩人はこんな意識はもちたくてももつことはできない。むしろこういう鮎川の言挙げには気恥ずかしささえ感じてしまうだろう。
 しかしここで鮎川はこの視点から黒田の庶民意識を否定的に評価し、みずからのエリートとしての立脚点を放棄した方法の弱さと見るのである。いまから見れば、黒田の詩の古さは否定できないが、にもかかわらずそこにある苦いペーソスはいまでも読むに耐える味わいをもっている。黒田の詩を読み直すには別の視点が必要だろうが、いまはそのことには触れない。鮎川信夫の批評がここではやや紋切り型であることを指摘しておけば足りるだろう。

2015年11月 2日 (月)

西谷の本音でトーク:宮澤賢治「雨ニモマケズ」をどう読むか

 中村稔は『宮沢賢治』(1972年、筑摩叢書)のなかで「雨ニモマケズ」にたいして厳しく批判している。
《「雨ニモマケズ」は僕にとって、宮沢賢治のあらゆる著作の中でもっとも、とるにたらぬ作品のひとつであろうと思われる。》(193ページ)と中村は断言し、その理由をこう書いている。
《「春と修羅」における賢治はとどまるところを知らぬ大河の奔流のように、かくれた魂の自然の襞をさぐり、暗がりをあかるみにだし、へりくだった低いつぶやきからたかぶった叫びまで、あらゆる振幅をしめして飽くことを知らなかった。そこでは修辞などという作業がはいりこむ余裕はなかったのだ。詩人はその魂の動揺をそれほどに忠実においかけたのであり、そのためにこの詩集は、あたらしい言葉の戦慄をみつけだしたのであった。だが、「雨ニモマケズ」においては、もはやそうした詩人の魂は振幅をとめてしまっているのである。》(194-195ページ)
 そしてこう結論づける。
《「雨ニモマケズ」は羅須地人協会からの全面的退却であり、「農民芸術概論」の理想主義の完全な敗北である。そしてこの作品は賢治がふと書きおとした過失のように思われる。》(197ページ)
 この批判は相当な説得力がある。この論は中村稔が二十八歳のときのもので、その批評の若々しさには驚嘆すべきものがあり、この書が長く読みつがれてきている理由でもある。この批評にたいして谷川徹三の批判があり、それにたいする篠田一士による批評的介入もあり、それらを踏まえた中村の反論も本書に収められているが、谷川も篠田も簡単に論破されている。
 この中村稔の「雨ニモマケズ」評価がその後のこの作品にたいするひとつの里程標になったことを思えば、いまではゴマンとある宮澤賢治論の古典として、賢治理解のための再検討の対象のひとつにもなっているのだろう。
 中村自身も賢治評価を変更していると伝えているし、ここまでリゴリスティックに「雨ニモマケズ」を読む必要があるのか、わたし自身も疑問をもつ。総合的見地からの検討を要するので、今後の課題としたい。

2015年10月31日 (土)

西谷の本音でトーク:鮎川信夫の戦後全否定

「ミて」132号での樋口良澄の連載「鮎川信夫と三つの戦後」がなかなかいい。以前から注目している論考だが、今回の「30 吉本隆明と鮎川信夫(二)」ではこう書いている。
《結局、鮎川の立った場所は、戦争体験を軸として日本の戦後を全否定する位置だったろうと思う。……/鮎川にとっては、日本の体制側のめざす所も、反体制側の主張も解ってしまったことにすぎないと思ったのだろう。だが、高をくくってしまった分だけ、鮎川の思想が停滞してしまったことは否定できない。》
 この指摘は基本的に正しい。鮎川信夫が戦争体験に固着して戦後社会の動勢にたいして一貫して傍観者的な批評に終始してきたことをよく見ている。六〇年安保反対運動にたいする反発も、戦後左翼やマルクス主義への批判も、運動や思想の低い部分を見て嘲笑しているにすぎないところが目につく。吉本隆明がそういうところにとどまらず、運動においても思想においても鮎川を遠く置き去りにしていったのは当然の帰結であった。

2015年8月 8日 (土)

西谷の本音でトーク:高良勉さんの『言振り――琉球弧からの詩・文学論』出版祝賀会へのメッセージ

 きょうの夜に開かれる予定の高良勉『言振り――琉球弧からの詩・文学論』出版祝賀会にむけてつぎのようなメッセージを送りました。会場で読まれるのかどうか、わかりませんが、以下に掲出しておきます。
   *
 勉さん、出版おめでとうございます。
 今回、どうしてもからだがあけられなくて出席できないことをとても残念に思っています。せっかく多くの知り合いにお会いする機会なのに、どうしようもなく、すみません。
 優れた本を出版することが、それ自体闘いであるようないまの日本で、出版界もますます混迷を深めていますが、そういうなかで貴兄の本を出すことができたことはとても良かったと思っています。
 前著『魂振り――琉球文化・芸術論』が沖縄タイムス芸術選賞大賞を取られたことも、貴兄のこれまでの努力が報われたものとして喜ぶべきものでしたが、今回の『言振り』は貴兄の本来のフィールドでのお仕事の集大成であり、日本の現代詩のなかでもユニークな視点からの評論集になったと思います。これは今後の沖縄の文学のみならず、ヤマトの詩や文学を論じていくうえでも欠かすことのできない一書になるでしょう。
 沖縄の政治状況はますます大変なことになっていますが、文学もまた闘いの拠点のひとつです。文学を語ることがおのずから政治的でもあるような沖縄というホットな場所は、いまのヤマトにはありません。だから今後もおおいに論陣を張って闘いをつづけていってほしいです。
 元気になられた勉さんとまた呑みかつおしゃべりできる日がくることを楽しみにしています。わたしの心はつねに沖縄にあります。皆さんにもよろしくお伝えください。

2015年7月17日 (金)

西谷の本音でトーク:ついに出た「県外移設」ヤマト受け入れ論――高橋哲哉『沖縄の米軍基地』を読む

――高橋哲哉『沖縄の米軍基地』を読む 高橋哲哉さんからは沖縄米軍基地論の刊行予定を以前から聞いていたが、このほど集英社新書の一冊として刊行された『沖縄の米軍基地――「県外移設」を考える』が送られてきた。すでに相当な話題書になっていることはアマゾンのランキングを見ていてもわかる。もちろんさっそくにも読んだが、そのまえに刊行されていた岡野八代さんとの対談『憲法のポリティカ――哲学者と政治学者の対話』(白澤社)もあわせて読ませてもらったので、いちど整理しておきたいと思っていたところ、ウェブで高橋さんを中心に大阪府民が結成した市民団体「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動」主催の「辺野古で良いのか――もう一つの解決策」講演会のニュースを見つけた。7月12日に大阪市で開かれたもので高橋さんは講演で「日米安保条約をただちに廃棄できないなら、その間は本土に在沖基地を引き取るべきだ」と本と同じ主張を展開したということだ。
 きょう(7月15日)はすでに報道されているとおり、衆院平和安全法制特別委員会での与党だけによる安全保障関連法案の強行採決がおこなわれた。安倍晋三という超右翼ナショナリストによる戦争国家化への野望が「切れ目のない」反動化政策によって日本はアメリカに追随するだけの、世界からの孤立化への道を邁進している。祖父のA級戦犯、岸信介の野望をここへきて実現しようとする長州藩的DNAの覇権主義がとどまるところを知らない。ヒトラー顔負けの野望に充ちたこの下劣漢は、それに同調するしか能のない取り巻き連中を従えて、なんでも自分の思い通りにできると勘違いしている。民主主義など眼中にないこの男からすれば、沖縄米軍基地などハナから撤廃する気などないし、なにがなんでも辺野古への移設を強行しようとしている。理屈の通らない妄想家を政治の表舞台に押し上げている盲目のどうしようもない日本人たちがはたして今回の暴挙を暴挙として認識することができるかどうか、はなはだ疑わしい。かつて岸を辞任に追い込んだように、なんとかこの妄想家を引きずりおろすしか、これからの日本を救う手立てはないだろう。
 少々脱線したが、高橋哲哉さんはヤマトゥンチュとして初めて正式に沖縄米軍基地のヤマト受け入れの必要性を明示した。
《「本土」の八割という圧倒的多数の国民が日米安保条約を支持し、今後も維持したいと望んでいる。日本に米軍基地は必要だと考えている。そうだとすれば、米軍基地を置くことに伴う負担やリスクは、「本土」の国民が引き受けるのが当然ではなかろうか。》(『沖縄の米軍基地――「県外移設」を考える』89ページ)
《沖縄にある米軍基地は、本来、「本土」の責任において引き受けるべきものなのに、「本土」はその責任を果たしていない。県外移設要求は、その責任を果たすことを求めているのである。》(同、90ページ)
「本土」人=ヤマトゥンチュを敵にまわす覚悟の勇気ある発言だと思う。なぜなら知念ウシさんや野村浩也氏などが主張しているように、「本土」人=ヤマトゥンチュこそ「無意識の植民地主義」の体現者であり、沖縄の基地問題にたいしては知っていてもシランフーナー(知らんふり)をして問題を回避する人間たちだからだ。知念ウシ『シランフーナー(知らんふり)の暴力──知念ウシ政治発言集』(未來社、2013年)にもくわしく書かれているように、どんなに沖縄好き、沖縄への「連帯」をうたうひとたちでも、ひとたび基地を「本土」=ヤマトに引き取れという話をすると、とたんに凍りついてしまうのである。あたかも自分の家の隣にでも米軍基地が引っ越してくるかのように、だ。高橋さんが言うように、《県外移設に関する限り、右も左も護憲派も改憲派もなく、沖縄を除く「オールジャパン」で固まっているようにしか見えないのだ。》(同、46ページ)これはもちろんいまの沖縄が「オール沖縄」でまとまっていることとの対比で言われている。
 この本にはみずから編集にかかわった本や論争の引用が多く、なかなか言及しにくいのだが、知念ウシさんと石田雄さんとの往復書簡はわたしが仕掛けた「論争」であり、一般的にヤマトの知識人のなかには、あれじゃ石田さんがかわいそうだ、という意見もある。たしかにヤマトの視点からみれば、人情論としてはありうるが、基地問題にかんする沖縄人の生活権の問題としての側から考えると、やはり石田さんの分が悪いのは否めない。石田さんは平和主義者としての自身の論点を超えていかないのに比して、知念ウシの日々を生きる人間としての権利という視点からの正攻法は一貫しているからである。
 これともうひとつ気になる論争で高橋さんが論及しているものに、琉球大学教授新城郁夫氏の沖縄米軍基地県外移設論批判があり、わたしもあらためて「現代思想」2014年11月号の新城「『掟の門前』に座り込む人々――非暴力抵抗における『沖縄』という回路」を読んでみた。これまでにも同趣旨の批判を繰り返しているらしいが、野村浩也や知念ウシを激しく批判している。ウチナーンチュの内部論争にはヤマトゥンチュとしては軽々しく参加はしたくないが、新城の論は「県外移設論」をあるべき基地闘争にたいする「人種主義的境界化を導入する流れ」だとして攻撃している。高橋も言うとおり、野村や知念が言う「ウチナーンチュ(沖縄人)対ヤマトゥンチュ(日本人あるいは日本「本土」人)」という分割線は、新城の言うような単純な人種主義的分断ではなく、政治的権力的立場選択としての〈ポジショナリティ〉の対立線であり、それは人種とはちがって選択し直すことができるものとしてとらえられなければならない。たとえば新城はこんなふうに書いている。
《スローガン化した感のある「日本人は基地を引き取れ」「基地平等負担」等の主張が実現してしまうのは米軍基地への制度批判の抹消であり、そこでは、民族的枠組みを装う軸において国内的に配分され切り分け可能な実体的面積という形象化において、米軍基地が錯視されている。》
《日本人対沖縄人という対立は、いまや政治的暴力の根本を不問とする憎悪を生み出しているが、この憎悪によって抹消されるものこそ日本という制度への批判であり、国家暴力の源泉たる人種主義への批判である。》
 一見して明らかなように、ここには論理の飛躍がはなはだしい。〈ポジショナリティ〉という政治対立はあっても、それがすぐに人種的あるいは民族的な対立を生むわけではないし、ましてや基地問題や日本の政治制度の問題を「錯視」させるものではない。むしろその反対ではないか。そうした問題の根底を問い直す視点としても現実に基地の県外移設を実現させるべく無知を決め込むヤマトゥンチュに問題を突きつけ、意識変革を迫ることこそが、抽象的闘争論を描いているより必要なことではなかろうか。
 新城の論にはほかにも矛盾がいろいろあり、たとえば沖縄反基地闘争の現場リーダーでもある山城博治氏を高く評価するしかたと県外移設主張者たちを否定する論法とのあいだに断絶があってはならないはずである。ちなみに山城氏は昨年、未來社から刊行した川満信一・仲里効編『琉球共和社会憲法の潜勢力――群島・アジア・越境の思想』に激烈な「沖縄・再び戦場の島にさせないために――沖縄基地問題の現状とこれからの闘い」という、昨年暮れの県知事選挙における「オール沖縄」的共闘を提唱する予見的な文章を書いているが、そのなかで県外移設論について《「米軍基地は沖縄にも要らなければ全国のどこにも要らない」、それゆえに「県外移設の要求はおかしい」という「もっともな主張」が踏み誤っているのは、政府の統治の論理に絡められている点だ。》(201ページ)とはっきり書いているのである。深追いするつもりはないが、新城の論は現代思想的なタームをつらねて論点を補強してみせているが、ほとんど内容がない、反基地闘争に無用な分割線を入れるだけの批判のための批判でしかないという印象である。
 沖縄をずっとアメリカに譲り渡そうとした戦後直後の「天皇メッセージ」と称される、沖縄の日本からの隔離、便利な基地押しつけ場所として沖縄を利用しようとした昭和天皇および歴代自民党政権の長年の策謀の結果として今日の沖縄米軍基地があるという歴然とした現実をみるとき、安保廃止はもちろんのこと、80%以上の安保体制支持者がいるという日本「本土」=ヤマトの責任において、高橋哲哉の言うように、基地を応分に引き取るしか手はないと言うべきである。そうしてから初めて、ヤマトゥンチュは沖縄人=ウチナーンチュと対等に米軍基地撤廃すなわち安保廃棄に起ち上がる権利をもてるのである。当然、そのさきにはこうした今日の日本の、あるべき姿から遠く外れた現状を導いた責任者たちの追及も見据えていくことになろう。

*この文章は加筆修正をして「出版文化再生」ブログの「II-11」として転載しました。

2015年6月26日 (金)

西谷の本音でトーク:真の愛国者マルク・ブロックの遺言

 リュシアン・フェーヴルとともにフランス・アナール派歴史学の創設者のひとりであるマルク・ブロックという大歴史家のことは知らないわけではなかったが、きちんと読んだことはなかった。『封建社会』という主著は書棚に眠ったままであった。
 そんなブロックの『奇妙な敗北――1940年の証言』という本を読むにいたったのは、ちょうど編集にたずさわっているホルヘ・センプルンの講演集『人間という仕事――フッサール、ブロック、オーウェルと抵抗のモラル』のなかのブロックにかんする部分を読んで、感銘を受けたからである。当初、原書目次にあるBlochはエルンスト・ブロッホのことだと思っていたというオチもつくのだが(ブロッホはドイツ語読みだが、同じ綴りでもフランス語ではブロックになる)、なにはともあれ、センプルンの連続講演集は1930年代後半から第二次世界大戦中の三人の哲学者、歴史家、作家のナチズム、ファシズムに抵抗する人間としての生き方を論じたもので、いまのきな臭い世界ひいては日本の政治状況のなかで人間としていかに生きるべきかを示唆するものとして非常に重要な本に思われるのである。
 というわけで『奇妙な敗北――1940年の証言』についてコメントしておきたい。この本はもともと第二次世界大戦に志願兵として対独戦に参加し、1940年のフランス軍のみじめな敗北を味わうなかで書かれた手記である。ブロックは若いときにすでに第一次世界大戦にも従軍した経験があり、その戦功によりいくつもの勲章を得ているほどの実績ある軍人でもあった。1886年生まれのブロックは参戦当時すでに54歳。年齢的にも社会的にも兵役免除されている身分でありながらの参戦であった。
 ブロックは冒頭でこう書いている。
《ここに書き綴っているものは、出版されることがあるだろうか。私にはわからない。いずれにせよ、長い間これは知られぬままになったり、私の直接の仲間たち以外のところに埋もれてしまう可能性は高い。それでも私は書こうと決心した。(……)証言というものは、それがまだ新鮮なうちに書きとめられてこそ価値があるはずであり、私にはそうした証言にまったく意味がないとはどうしても思えない。》(平野千果子訳、39ページ)
 はたして生きて戻れるか、書いたものが後生に読まれうるのかどうかも不明なままで、それでも歴史家としてリアルタイムで戦争の記録を残さねばならないという気概にみちたものである。ここでブロックは英仏連合軍の参謀将校としての立場からフランス軍が負けるべくして負けたことを、その内部の戦略的甘さ、読みの悪さ、軍機構のつまらぬ官僚的体質、上層部から政権全体に及ぶ判断力と決断力の欠如、といった側面を余すところなく暴いている。たとえばブロックはこんなふうに書いている。
《私たちの軍が敗北したのは、多くの誤りがおかされ、その結果が積み重なったためである。それらの誤りは種々雑多だったが、共通しているのはいずれにも怠慢がはびこっていることだった。司令官や司令官の名のもとに行動していた者たちは、この戦争についてじっくり考えることができなかったのだ。言い換えるなら、ドイツ軍の勝利は、基本的には頭脳による勝利であり、そこにこそもっと重大な問題があるはずである。》(82ページ)
 それは端的に言えば、距離と速度の問題である。第一次大戦の経験にふんぞりかえるフランス軍上層部の古い頭では第二次大戦時における軍事技術の進歩、それに対応する戦略においてヒットラー・ドイツにまったく遅れをとっていたのである。「ドイツ軍のテンポは、新しい時代の速度を増した振動に合わせたものだった」のにたいして「私たちは、長い投げ槍で銃に対抗するという、植民地拡張の歴史にはなじみのある戦闘を再現したにすぎない。そして今回、未開人の役を演じたのは私たちだった。」(83ページ)――そしてこれは戦時中の日本軍が国内戦にそなえて国民に槍と刀で米軍に立ち向かわせようとした愚かさを思わせないわけにいかない。
 要するに、ドイツの電撃作戦に古い頭のフランス軍はその速度と距離感をまったく想定できなかったのである。「ドイツ軍は行動と不測の事態というものを信条とし、フランス軍は動かずにいることと既成事実とを信条としたのだ。」(96ページ)ベルギーとフランスの国境あたりでドイツ軍の予想外の追撃の早さにあわてふためく英仏連合軍のみっともなさが活写されている。
《速度の戦争においては、ドイツの心理学に基づく計算は当然のことながら的を射たものだった。しかしフランスでは、戦略について意見を聞くために、奇妙にも感情を測ることに専念する学者を何人か、その研究室から引っ張り出して来たらどうかと提案をしただけで、参謀部ではどのような嘲笑が起きたことだろう!》(106ページ)
 ブロックの憤懣が爆発しているが、そのあたりのことはいまは措いておこう。
 しかしこれらはけっして批判のための批判ではなかった。ユダヤ人であるブロックは遺書にもあるように「ユダヤ人として生まれたことを否認しようなどと考えたことは一度もなかった」(242ページ)にもかかわらず、それ以上にフランス人として生きてきた。だからこそブロックはこう書いたのである。
《だが何が起きようと、フランスは私の祖国でありつづけるだろうし、私の心がフランスから離れることはないだろう。私はフランスに生まれ、フランス文化の泉から多くを享受した。フランスの過去を自分の過去とし、フランスの空の下でなければ安らげない。だから今度は私がフランスを守る番だと、最善を尽くしたのだ。》(42ページ)
 なんとも感動的なことばである。こんなふうに書くことのできるブロックをうらやましくさえ思える。そしてブロックはフランス敗北のあとも、当然のように、対独協力のヴィシー政権に抗して対独レジスタンスを継続する。著名な学者でありながらひとりのレジスタントとしてあくまでも故国フランスのために命を捧げる覚悟であった。この覚書の最後にブロックはこう書いている。
《私たちはまだ血を流すべきだと思う。たとえそれが大切な人たちのものだとしてもである(……)。なぜなら犠牲のないところに救済はないのであり、全面的な国民の自由も、自らそれを勝ち取ろうと努力しなければならないからだ。》(238ページ)――そしてブロック自身、ゲシュタポに逮捕され、フランス解放をまぢかに控えた1944年6月16日、ナチズムの兇弾に斃れたのである。
 真の愛国者とはこういう人間のことを言うのである。そしてこうした人間が存在したことをいまこそわれわれは再確認し、そのことばを遺書として学び直さなければならない。
(この文章は「出版文化再生」ブログにも転載する予定です。)

2015年6月15日 (月)

西谷の本音でトーク:出版モラルの頽廃

 1997年に起こった神戸連続児童殺傷事件の加害者「酒鬼薔薇聖斗」が「少年A」の名前で太田出版から刊行した『絶歌』という内幕暴露ものの手記が話題になっている。初版10万部という。情報によると、当初は幻冬舎から出版されることになっていたらしいが、週刊誌にすっぱ抜かれて太田出版に移行したらしい。編集担当者は100万部を売ったという『完全自殺マニュアル』の編集者(現取締役)とのこと。当然のことながら、被害者遺族は猛反発し、太田出版に抗議書(この抗議書はインターネットでも公開されている)を送っているらしい。遺族は、この手記の出版によって子どもを二度殺されたことになる、とはっきり言明している。しかも、印税はこの少年Aに払われることになっているという。人を殺してそのネタで荒稼ぎするというわけだ。
 内容は報道から得たものだけで、現物をみたわけではないが(ページの映像はいくつか見た)、およそ想像のつくものでしかないだろう。わたしは読む気にはまったくならないし、読めば気分が悪くなるにきまっているからだ。
 とにかくこうした出版をおこなう著者はもちろんだが、同業者として太田出版の出版モラルを厳しく問わざるをえない。言ってみれば、確信犯的な出版行為としか言いようがないから、モラルなどと言ってもなにも感じないだろうが、同業者としては絶対に許せない。話題になり儲かればどんな本でも出版していいのか。自分が犯した犯罪への反省はいちおう書いているらしいが、いずれにせよ、遺族への配慮などまったく無視しているこうした本を無神経に出版してしまう姿勢が出版界の信用をますます落としていくことになるだろうことは目に見えている。出版モラルの頽廃ここに極まれりと言うしかない。
 出版社の多くはこうした出版物には否定的だろうが、同業者批判をしたがらない悪弊があるので、ここははっきり言っておく。こういう本を出して恥じないならば、太田出版は出版業から手を引くべきである。

2015年4月22日 (水)

西谷の本音でトーク:「買われないことの自由」

「みすず」の今福龍太ヘンリー・ソロー論連載をおもしろく読んでいるが、4月号の「書かれない書物」も身につまされるところがあり、興味深い指摘があった。
 ソローの生前刊行された2冊のうちの1冊『コンコード川とメリマック川の1週間』という本は予定の販売期間終了後に製作費用の全額弁済を条件として1000部刊行されたが、ほとんど売れず4年後に706部の在庫をソローは引き取ることになった。そのことを通じて本を出すだけでは見えてこなかった「幸福の断片」をソローは見出す。この奇妙な幸福感とは、今福によれば、「彼自身の私的な自由にたいして物質世界が干渉しないことの幸福感である。商品世界から疎外されることで、彼は彼自身の精神が世俗的な何ものにも束縛されていない、より自由なものであると真に感じられるのだった」というものである。わたしなども売れない本を出しているからよくわかるが、どうもこの解釈はやけっぱちにも聞こえる。これはソローだからこそしゃれになる話であって、世の中にゴマンとある売れない本の書き手がそんな幸福感を味わっているとはとうてい思えない。
 ソローの時代もいまも売れない本はやっぱり1000部程度しか作らない(作れない)というのは残念だが、ほんとうである。この1000部が1500部だろうと2000部だろうと、本なんか読まない金勘定屋なんかになると、どっちにしたところ「誰が買うんですか?」といった程度の差異でしかない。1億3000万だか4000万だかの日本人のうち1000人とか2000人程度の購買者などかぎりなくゼロに見えてしまうのだろう。まあ理想も使命感ももったことのない人間には1000部や2000部の意味を講釈しても馬の耳に念仏だろう。これじゃ馬もかわいそうか。
 ともかく強がりでもいい、こういうひとたちに理解されない「買われないことの自由」を満喫し、そこからもうすこし「買われる自由」に転換したいものである。わたしの『出版とは闘争である』はそういう本のつもりである。

2015年4月18日 (土)

西谷の本音でトーク:知念ウシさんの県外移設論からあらためて思うこと

 きのうは沖縄から知念ウシさんを迎えて普天間基地の県外移設にかんする小さな研究会があり、ウシさんに誘われてオブザーバー参加してきた。直前に会のメンバーでもある高橋哲哉さんからも連絡があり、三人で会場である岩波書店へ出向いた。
 研究会の正式の名前は「思想・良心・信教の自由研究会」というもので教師やキリスト者を中心に10年つづいている会だとあとで知った。話の骨子は、知念ウシさんの『シランフーナー(知らんふり)の暴力──知念ウシ政治発言集』(未來社、2013年)にあるように、沖縄の過剰負担となっている米軍基地をこれ以上、沖縄に置いておくわけにはいかない、日米安保を多くのヤマトンチューが支持している現状では、ヤマトが責任をもって基地を引き取るべきではないか、その痛みを知るなかで安保の存続を考えるべきではないか、という持論を展開するものであった。わたしには馴染みの説だが、この会のメンバーの多くにとっては初めて聞く話だったらしい。ウシさんの基本的見解は基地はなくすべきものであって移すだけのものではない、というものであって、基地の県外移設が最終目的ではない。ここは誤解のないようにすべき点である。沖縄人としては自分にイヤなものを他人に押しつけることはいけない、という基本的な精神的傾向がある。だからと言って、もともと自分たちが引き受けたものではない米軍基地を、普天間基地が世界一危険な基地だからという理由で同じ沖縄県にたらい回しされる謂われはない、ということである。ヤマトが必要にしているのなら応分に負担すべきじゃないか、というのがウシさんのまっとうな主張である。また、沖縄人は反基地運動のために生まれてきたわけじゃないともウシさんは言う。沖縄に行くとよくわかるが、日常生活のなかで反対運動などのために必要以上に時間とエネルギーを奪われているのが沖縄人なのだ。ヤマトでは考えられないことである。なにしろ事あるたびに県民人口140万のうち10万人の集会が開かれるのだから。東京で言えば、100万人の大集会を想像してみればよい。こうした運動のために日常生活を犠牲にしないですむようにしたい、というのがほんとうの沖縄人の心なのだと思わざるをえない。
 同じ日に翁長沖縄県知事がようやく安倍晋三首相と面談することになったが、翁長知事はウシさん同様に、もともと自分たちが招いたものでない米軍基地の代替地をどうしてまた提供しなければならないのか、という毅然とした批判を用意して安倍に迫ったが、そのあたりのことに安倍はいっさい答えようとせず、普天間基地の危険性を軽減するために、とか人道的な装いのもとにあくまでも「唯一の解決策」としての辺野古移設を押しつけようとするだけ。まったく傍若無人な振舞いだ。昨年11月の県知事選のあと、安倍は自分の思い通りにならない知事とは面会さえ拒否しつづけたのに、訪米をまえに突然の面会をすることにしたのは、言うまでもなく、マスコミ向けの(そしてヤマトンチュー向けの)「対話姿勢」といういまさらながらの擬制的なパフォーマンスにすぎない。
 ウシさんの話を聞いていて、こうした安倍のやり口を(ひそかに)自分のなかに内面化している多くのヤマトンチューの存在こそをどうにかしなければならないとあらためて強く思った。こうした傲慢で強暴な人間を行政のトップに据えているみずからの恥知らずぶりに気がつかないふり(シランフーナー)をしているヤマトンチューをどうするのかが問われているのである。

2015年4月13日 (月)

西谷の本音でトーク:時ならぬベンサイド

 ダニエル・ベンサイドの『時ならぬマルクス――批判的冒険の偉大と悲惨(19-20世紀)』(Daniel Bensai``d: MARX L'INTEMPESTIF Grandeurs et mise`res d'une aventure critique (XIXe- XXe sie`cles) を佐々木力監訳で読みはじめているところだが、これはおもしろそうだ。さすがにデリダが当代最高のマルクス主義思想家とみなしただけのことはある。1995年刊行の大部の本だが、いまをときめくトマ・ピケティなどのデータ分析一辺倒の無思想家とはモノがちがう。いわゆるトロツキストだが、フランスでは共産党もトロツキズムとは必ずしも相容れなくはない関係を保っているらしい。この本も刊行当時かなり広く読まれたそうで、フランス共産党とも理論的共存関係にあると聞いた。
 ともあれ、まだ最初のところだが、「第一部 聖から俗へ 歴史的理性の批判家マルクス」の「第1章 歴史の新しい記述法【エクリチュール】」のなかで、ベンサイドは歴史的理性を批判的に検討している。ベンサイドによれば、マルクスは「歴史のカオスに秩序を導き入れるような一般史を廃棄」し、ヘーゲル的な「本来的歴史、反省された歴史、哲学的歴史」を再吟味する。ここはベンヤミンの「歴史の概念について」とも同調する視点をベンサイドは採用している。歴史が普遍的になるのは、現実の普遍化〔世界化〕の過程を経てはじめて生成する普遍化として歴史を考えはじめることができるとベンサイドは言うのである。
 ベンサイドによれば、マルクスは『ヘーゲル法哲学批判』への序説のなかでドイツ史の「逆説的な特異性」をつかみ、「革命はフランスでは政治的であるが、ドイツでは哲学的となる」という認識をもつにいたる。これは「経済的、政治的、哲学的な領域のヨーロッパ的規模での不均等発展を表わしている」のであり、この不均等性のもとで、先進は後進になり、後進は先進になるということである。《ドイツの政治的かつ経済的な「後進性」は、ドイツの哲学的「先進性」を規定するのにたいして、英国の経済的「先進性」はその内部に政治的かつ哲学的な「後進性」をはらんでいるのである。》(ベンサイド)だからマルクスは『ヘーゲル法哲学批判』への序説のなかでこう書いたのだ。《われわれは現代の歴史的な同時代人ではないが、その哲学的な同時代人なのである。》
 このヨーロッパ的な「不均等発展」の歴史的現実のなかで、政治経済的先進性と哲学的後進性(イギリス、フランス)とそれを逆転した政治経済的後進性と哲学的先進性(ドイツ)の対比はわかりやすい。ドイツ観念論からヘーゲル、マルクスへのドイツ哲学の先取性が18-19世紀ヨーロッパをリードしながら、どうして政治的経済的にドイツが立ち遅れていたのかを(ややドイツ的な解釈ながら)理解させてくれる。ヘーゲルが同時代のフランス革命をうらやんだ話はよく知られているが、この不均等発展のギャップの転倒性はおもしろい。
 ベンサイドのマルクス論を読むことによって、新しいマルクス解釈が期待できそうな気がする。大澤真幸が言うように、いまこそ読まれるべきなのは『資本論』なのかもしれない。

2015年4月 9日 (木)

西谷の本音でトーク:ピケティには分析はあるが思想がない

 トマ・ピケティの分厚い『21世紀の資本』(みすず書房)をようやく読み終えた。従来の経済学研究書にくらべて歴史的スパンにおいても対象国の多さにおいても桁外れのデータに裏づけられた分析であるところにこの本が大ベストセラーになった理由が見出されることは確かだ。
《不等式r>gは、過去に蓄積された富が産出や賃金より急成長するということだ。この不等式は根本的な論理矛盾を示している。事業者はどうしても不労所得生活者になってしまいがちで、労働以外の何も持たない人々に対してますます支配的な存在となる。いったん生まれた資本は、産出が増えるよりも急速に再生産する。過去が未来を食い尽くすのだ。》(602ページ)
 このかなり退屈な本は結局のところこの一節に集約できる。ここで「r」とは資本の平均年間収益率で歴史的に見て戦後以降はほぼ4~5%で推移している。たいして「g」は一般的な経済成長率を指す。二回の世界戦争のときを別にすると、世界じゅうのどこでも先進国での経済成長は1~1.5%ぐらいにとどまっている。となると、この差こそが問題となる。潤沢な資金をもっているひとは、資金を投資や不動産などにふりむけることによって、経済成長率を大幅に上回る資本収益を継続的に確保できるので、豊かな生活を送りながらもこの差額を確実に新しい資本ストックに組み入れることによってますます肥大していき、これが他方の無産者にたいして格差を拡大していく一方になるという理論である。さらにいまのアメリカのように、もう一方で経営者や高級エリートには破格の給与所得を供与することによってすさまじい所得格差を生み出している。こうした結果、富の極端な偏りが加速している格差社会になっているというのがピケティの見立てである。この本の英訳がアメリカで大ベストセラーのきっかけになった理由にはこうしたアメリカ社会の病的な現状によって資本主義の危機が誰の目にも見えてきたからであろう。
 これにたいするピケティの対策は、資本に対する高率の累進税を課すことで、資本主義という〈果てしない不平等スパイラル〉を抑止することができるということにとどまる。当面の打開策としての提案だろうが、はたして実現可能性があるものかどうか疑わしい。ヨーロッパでの民主主義の討議能力などをあてにしているが、昨今の金融危機にたいするEUなどの各国の対応などをみるかぎり、これもかなりハードルが高そうだ。
 なによりもピケティにはデータ分析ととりあえずの対策はあるが、新たな世界を刷新する思想の構想がない。現象を追うに精一杯で原理的な対案がない。こういう本を読むと、やはりマルクスの、世界を根本から問い直す思想のラディカルさと豊かな思想的触発力があらためて見直されるべきだと感じる。『21世紀の資本』を21世紀の『資本論』という呼び声があるようだが、マルクスとは構想力のレヴェルにおいて似て非なるものと言うしかない。

2015年4月 1日 (水)

西谷の本音でトーク:日本は頽廃へ向かって奈落へ沈もうとしていくのか

 安倍晋三政権は辺野古に米軍基地を強行移設するためにいよいよむき出しの国家暴力的振る舞いを開始した。ついに反対派に逮捕者が出たという。沖縄県民の意思をねじ曲げ、県知事の岩礁破砕許可取り消し要求を独裁的に「一時停止」(実際は工事強行を推進可能にするもの)という「法的措置」をとり、あくまでも民意を無視してアメリカ政府の言いなりに自分の「わが軍」的軍国主義の野望を実現すべく、問答無用の国家権力濫用に突き進んでいる。
 辺野古の基地建設は辺野古沖の天然記念物である珊瑚礁を破壊するばかりでなく、いったん基地ができてしまうと100年や200年は据え置きにされる可能性が高く、維持費もいまの普天間基地の70倍になると言われている。もちろんこれは日本国民の血税が使われることになるのを多くの日本人は知らされていない。
 そもそも沖縄県民が知事選とそれにつづく衆議院選挙地方選においてはっきりと辺野古移設拒否を明確に示しているのに、これを無視して「粛々と」(安倍の茶坊主菅官房長官のバカのひとつ覚えのセリフだ)進めるというのは民主主義の基本を全面的に否定するものだ。言ってみれば、民主的に選ばれた地方首長の存在など国家権力の前では無にひとしいと言っているのと同じだ。ヤクザが衆人環視の前で弱い者いじめをしているのと同じで、ヤマトの人間はそれを黙って見過ごしているといった構図だ。そろって頽廃のかぎりである。
 このままいけば民主的討論も成立しなければ道義心もない国として、日本は政治的にも人道的にも世界の笑い者どころかガキ・ブッシュ以後のアメリカのようなゴロツキ国家に成り下がっていくだろう。安倍が政権を握っているかぎり、日本は(すでに三流国だが)五流国ぐらいに落ちていくことになるだろう。知能的欠陥のある人間ばかりが巣くっているいまの政権にこのまま政治をやらせていくほどいまの日本人も低能化しているのだろうか。

2015年3月29日 (日)

西谷の本音でトーク:村山淳彦さんの退官

 きのうは村山淳彦さんの昨年11月に未來社より刊行された『エドガー・アラン・ポーの復讐』の出版記念会をかねた東洋大学退官のお祝いの会が市ヶ谷アルカディアで開かれた。70歳になった村山さんはこれからは悠々自適とのこと。いいなあ。
 わたしもスピーチを頼まれていたので、村山さんの5冊の翻訳と最後の著書を刊行させてもらったお礼を述べるとともに、村山さんの特徴づけとして3点あげさせてもらった。これは言わずもがなだろうが誰もが知る村山さんの実力は別として、ひとつめは「謙虚」。この本の「まえがき」の冒頭部分が典型的なので、それを読み上げさせてもらった。つづいて「仕事の早さ」。わたしは催促したことがない。というか、いつもすでに原稿はできていたのだった。ただし、こんどの著書はわたしが「背を押した」ことにされていて、それは最後の村山さんの挨拶で触れられたことだが、わたしが村山さんに翻訳ばかりでなくて著書を出さなければいけない、と言っていたことを指していることがわかった。そう言えば、そんなことを言った気がする。失礼な話だよね。最後は「コンピュータに強いこと」。なにしろ1990年に刊行した最初の訳書『アンチ・ソシュール』の原稿を一太郎のデータ原稿で受け取ったのは、わたしとしても初めてのデータ入稿だったので、印象に残っている。その後もわたしの[出版のためのテキスト実践技法]を学習してくれた原稿データをもらうこともあった。
 いろいろなひとの話を聞いていて、村山さんの面倒見のいいことともに、けっこう天の邪鬼だったということもわかって、ほほえましかった。当人は思いっきりシャイだと言うが、親しいひとにはけっこう辛辣なところもあったらしい。ともあれ、そういう村山淳彦さんがこれからはやりたいことをやるという身分になられたことは慶賀すべきことなのだろう。また仕事をいっしょにさせてもらう機会があればうれしいのだが。(2015/3/29)

2015年3月19日 (木)

西谷の本音でトーク:自然の生態系から学ぶこと――レイチェル・カーソンの思想

 遅まきながらレイチェル・カーソン『沈黙の春』を読んで、この1962年――すでに半世紀以上前だ――に刊行されたこの書物の思想に感銘を受けた。その自然にたいする慈しみの精神とともに、どんな微小な虫類や微生物にも種族保存の強い意志のようなものがあることにあらためて驚かされる。地球の生態系はとても微妙なバランスで成り立っていて、それを人間が自己本位に変更しようとすることはこの自然の原理を壊そうとすることであり、無謀で傲慢な考えなのであることをとことん指弾している書なのだ。生物学者としての英知と経験から人間の科学盲進と金もうけ主義からくる非人間的、非自然的振る舞いにたいして静かな怒りを表明している。
 この警世の書が書かれるには、戦後まもなくのアメリカで害虫駆除のためにDDTなどの無差別な農薬撒布をすることによってもともとの目的の害虫駆除ばかりか益虫、樹木や鳥や魚類などまで深刻なダメージを与えてしまったことにたいする痛切な反省があった。事態は小さな異変への対応から発覚していき、しまいには牛馬、犬猫そして人間にまで被害が及ぶにいたって、ようやく政府も動き出さざるをえなくなるのだが、そこにいたるまでのカーソンたちの批判は金の力や凡庸な精神によって押しつぶされようとしてきた。
 害虫駆除も当面はうまくいったとみえても、それと同時に地球の生態系のバランスをとることに貢献してきた虫たちをも死滅させてしまうことによって、新しい害虫の発生あるいは天敵の死滅による異常な復活ぶりがみられるようになる。われわれにも経験的にわかることだが、強い薬でも飲みつづけると効き目かなくなってくるように、殺虫剤でも除草剤でも相手がそれにたいする抵抗力をつけてくることによって、より強力な化学薬品を作って対応していかなければならなくなる。麻薬と同じだ。この科学への盲信のために、地球の生態系は深いところまで破壊されてきてしまったのである。化学薬品は食べ物や環境のなかに蓄積されつづけ、ガンの発症率の上昇など人間の生命にとっても危険な兆候をどんどん見せはじめている。
「とにかく、どちらの道をとるか、きめなければならないのは私たちなのだ。長いあいだ我慢したあげく、とにかく《知る権利》が私たちにもあることを認めさせ、人類が意味のないおそるべき危険にのりだしていることがわかったからには、一刻もぐずぐずすべきでない。」
 これは直接的には殺虫剤などの化学薬品について言われていることばだが、原子力にもそっくりあてはまるだろう。カーソンはすでにこの時代に原子力の危険についても言及しているが、化学薬品はその原子力に優るとも劣らぬ危険な害悪だと見たのである。カーソンは本書の最後をこんなふうに結んでいる。
《応用昆虫学者のものの考え方ややり方を見ると、まるで科学の石器時代を思わせる。およそ学問とも呼べないような単純な科学の手中に最新の武器があるとは、何とそらおそろしい災難であろうか。おそろしい武器を考え出してはその鉾先を昆虫に向けていたが、それは、ほかならぬ私たち人間の住む地球そのものに向けられていたのだ。》

2015年3月15日 (日)

西谷の本音でトーク:アメリカの広島・長崎原爆使用の実態解明

 安倍政権による辺野古への米軍基地移設の企てはいよいよその狂暴さをむき出しにしてきている。いまに警察による殺人事件になりかねない危険も増している。翁長沖縄県知事をはじめ県民の反対をよそに、どうしてこうまで安倍は移設工事を焦っているのか。近く予定されている訪米でアメリカ側の不満をあらかじめ封じたいというのがその本音か、とも言われている。
 核の問題について研究している明田川融によって、米軍による広島、長崎への原爆投下の決定プロセスが明らかにされている。詳しくは「みすず」3月号の論文を参照してほしいが、当時の理研を中心とする研究開発(「ニ号」研究)は皇族もふくめてかかわりをもっており、東条英機などは原爆による戦況の一発逆転をもくろんでいたが、その研究開発が不発に終わった日本にくらべて、アメリカの「マンハッタン計画」はウランのみならずプルトニウムによる原爆開発において日本より一歩も二歩も先んじていた。要するに原爆投下はその研究の集大成(最終人体実験)としていわば時間の問題にすぎなかった。
 1944年9月の米英の「ハイドパーク覚書」で原爆使用対象国としてドイツを外し、日本だけをターゲットにする取り決めがなされていたらしいが、ここには白人種ではなく黄色人種を対象とするという人種差別的意図があったとされている。また、日本のどの都市を対象とするかについては、マンハッタン工兵管区所属の軍人と科学者からなる「目標選定委員会」などが議論したが、一部の科学者や軍人のなかには原発使用における瞬間大量虐殺、事後の放射能被害にかんする道徳上・政治上の警告があったにもかかわらず、多くは米軍兵士の人命喪失というコストを避け、相手に最大の損失を与えるという戦略的見地と、相手に深甚な心理的効果(戦意喪失)を与えるべきであるという「思想」に「全員が同意する」というかたちで最終的に広島と長崎が選ばれたことが明らかにされている。当初は17の地域が候補に挙げられ、そこからさらに5地域に絞られたが、そのなかには京都、横浜、新潟もふくまれていたという。古都京都まで最後の候補のひとつに挙げられていたというのだから、当時のアメリカ政府が人命無視はもちろん、日本文化にたいするどれほどの無知または認識不足にあったかがわかる。それは戦後も沖縄における米軍支配からいまの日本政府を通じての間接支配のしかたを見ても、基本的に変わっていないのではないかと思わざるをえない。
 そのことはアメリカ国内においても、核開発はもちろん、化学薬品開発とその使用のずさんさにかんしてレイチェル・カーソンの『沈黙の春』が暴いている通り、金もうけ主義の薬品会社とそれとつるんだ官僚による野放しの結果、国内の動植物の死滅や人間における大量の癌発生などを招き、自然環境破壊をどんどん進行させていった経緯を考えるとき、そうした科学盲進と利権主義によって現実を認識しえない国家体制ができあがっていることを痛感する。アメリカにはたしかにすぐれた良識派もいることはいるのだが、それは圧倒的少数派であり過大評価することはできない。自国の内情はそのままにみずからの判断を絶対化して世界におしつける姿勢をもちつづけるかぎり、アメリカはけっして信用できる国ではない。そのアメリカと結託しているいまの日本も徐々にそうなりつつあるが、原発推進などにかまけている人間や自己エゴイズムに邁進している人間どもを政治的に排除できない国に成り下がっていることを認めざるをえないのである。(2015/3/15)

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