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2020年9月

2020年9月30日 (水)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/30

齋藤雅俊さんよりE-mailで『自己責任という暴力――コロナ禍にみる日本という国の怖さ』増刷にあたっての訂正一覧とどく。不要部分もあり新規には11箇所。~萩原印刷・金子さんにtel。都合のいいときに取りに来てもらい、12日に下版、21日に見本の予定とする。
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『妃』22号に目を通す。田中庸介編集・発行誌。
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ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『カフカ――マイナー文学のために』の「第七章」の途中~「第八章」を読む。
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グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話――手記と追想〈増補版〉』(筑摩叢書) 読みつぐ。カフカの金言――
《美しいものを見る能力を保っていれば、人は老いぬものです》(37ページ)
《すべて罵言というものは、人間の最大の創造物としての言葉を損ないます。ののしる人間は――魂を陵辱するのです。》(54ページ)
《芸術とはつねに全人格の関与です。芸術が究極において悲劇的である所以です。》(64ページ)

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2020年9月29日 (火)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/29

齋藤雅俊さんにtel。『自己責任という暴力――コロナ禍にみる日本という国の怖さ』の重版訂正の追加があれば、10月1日までに知らせてもらうことに。山形新聞から書評の話があり、裏の話もいろいろ聞く。外岡秀俊さんからインタビューを受け、記事が掲載されているとのことで、E-mailでURLを教えてもらう。~さっそく《外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(23)――「自己責任」論とコロナ禍》(https://www.j-cast.com/2020/09/26395159.html?p=all)にアクセス。
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伊勢功治さんにひさびさにtel。『[新訳]桜の園』の装幀の依頼。[転換期を読む]シリーズの継続。メールアドレスの変更も確認。~E-mailで装幀用データを送付。
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ポーランド・ホロコースト論集の東琢磨「『ヒロシマ』というシンボルを再考する」のテキスト化とファイル修正、スミ。テキスト整形はこれから。
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ジョージ・レイコフ/マーク・ジョンソン『レトリックと人生』の「28」~「30」、あとがき、参考文献、訳者あとがきを読み、読了。この本はほぼ全面的に批判の対象とすべきで、「言語隠喩論」で展開する予定。
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グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話――手記と追想〈増補版〉』(筑摩叢書) 読みはじめる。17歳のときに20歳上のカフカと出会い、以後カフカが亡くなる1924年までの4年間の記録。
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ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『カフカ――マイナー文学のために』の「第五章」の途中~「第七章」の途中。

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思考のポイエーシス・日録篇2020/9/28

沢田敏子詩集『一通の配達不能郵便【デッド・レター】がわたしを呼んだ』通読。以前にも読んだことのある愛知の詩人。従軍慰安婦問題や劉霞(劉暁波夫人)にもことばを寄せる知性派詩人。
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ジョージ・レイコフ/マーク・ジョンソン『レトリックと人生』の「25」の途中~「27」を読む。経験主義的「理解」という立場からの客観主義批判。こういう批判にどういう意味があるのか。
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ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『カフカ――マイナー文学のために』の「第四章」の途中~「第五章」の途中。
《彼〔カフカ〕は、自分が道化役であることを主張するにもかかわらず、またそのような主張とともに、きわめて陽気で、生きる歓びで笑っているひとりの作家である。彼はその生きる歓びを罠のようにはり、またはサーカスのように見せるのである。彼は、徹頭徹尾、未来の世界を見通す政治的な作家である。……欲求という視点から見るとき、カフカほど喜劇的で陽気な作家はいなかった。言表という視点から見るとき、彼ほど政治的で社会的な作家はいなかった。「訴訟」(=『審判』)から始まって、すべては笑いである。フェリーツェへの手紙から始まって、すべては政治的である。》(82-83ページ)

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2020年9月27日 (日)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/27

北川朱実詩集『遠く、水門がひらいて』通読。このひとの詩は物語をつくらない。行も二、三行ぐらいで切断され、飛躍する。だから論理ではなくイメージで読み進めるしかない。〈明かりのついた窓のむこう/たどり着いた物語が//夕焼けた空の下で/一つ一つほどけている〉(「三月」)といった具合だ。もしかしたら、そのまえに新しく建てられた病院とあるから、そこに入院してきたひとたちの来歴が消滅していこうとしているという話をふくませているのかもしれない。〈いちじくの実が吹き飛び/線路が/笑いころげるように曲がった朝〉(「すいとう」)とはどんな朝なのか。きわめつきはオビにも引かれているように、〈来ない手紙を待って/私は街を歩きまわる//ひとことでも/言葉を発したら//あふれ出す川がある〉(「雨」)とは何だろうか。〈あふれ出す川〉とは涙なのだろうか。そんな湿っぽい物語はこの詩人にも似合わないのだが、不思議だ。
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ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『カフカ――マイナー文学のために』の「第三章」の途中~「第四章」の途中。
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ジョージ・レイコフ/マーク・ジョンソン『レトリックと人生』の「24」の途中~~「25」の途中。

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2020年9月26日 (土)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/26

萩原印刷より『季刊 未来』秋号100冊、宅急便でとどく。野沢啓「レトリックから言語の経験へ――言語隠喩論」コピー&スクラップ。上村忠男さんに「《独学の思想12》大学行政への関与」のPDFをE-mail添付で送付。
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高良勉詩集『群島から』通読。詩集『ガマ』以来の十年ぶりの第十詩集。収録された作品は直近二十年に及ぶなかからセレクトしているようだが、最近は作品はあまり多くない。沖縄島を中心に琉球諸島にちなむ作品を集めた「I」もあり、詩集タイトルの理由ともなっているが、追悼詩もふくむ知人を対象とした「II」の部がなんといってもおもしろい。わたしも知る川満信一さんや新川明をうたう人物詩は当人たちの存在感を彷彿させる。川満さんとは朝まで飲みあかしたことがあるが、その振舞いはまさに「タクトを振る男」にぴったりだ。沖縄のシマクトゥバ(島ことば)を使い、沖縄の歴史と風土と現在を、その苦闘を、しかしまたその豊かさを詩のことばに定着させていく高良勉の詩法は直截でおよそ現代詩的ではないが、オキナワの〈文化遺伝子〉(高良勉の用語)がどの詩にも脈打っている。沖縄の詩のためにも生産性をもっと上げるよう期待したい。
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ジョージ・レイコフ/マーク・ジョンソン『レトリックと人生』の「21」~「24」の途中。レイコフとジョンソンはメタファーを思考と行動の問題とし、言葉の問題であるのはたんに派生的な問題にすぎないと書いているが、とらえかたはまったく逆である。ことばの問題としてメタファーがあるのであり、思考と行動はそれを裏づけるにすぎないからである。
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ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『カフカ――マイナー文学のために』読みはじめる。「第一章」~「第三章」の途中。
《精神分析のあやまりは、精神分析自体が自らその術中に陥り、またわれわれをその術中に陥らせておくことにある。なぜなら、精神分析自体が神経症という商品価値によって存在しているからである。そして精神分析はこの神経症という商品価値からすべてのその剰余価値を得ている。》(16ページ)
これは辛辣だ。
《マイナーの文学は、マイナーの言語による文学ではなく、少数民族が広く使われている言語を用いて創造する文学である。》(27ページ)

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2020年9月25日 (金)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/25

菅野昭正先生の『小説と映画の世紀』の本文12章分を連結し、「小説と映画の世紀_本文.txt」としてまとめる。中見出しの一括修正。高橋君修正の第五章~第八章を確認と追加修正。さらに未修正の第九章もスミ。これでいちおう修正もすべて終り。
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山形新聞報道部よりtel。『自己責任という暴力――コロナ禍にみる日本という国の怖さ』の書評をしたいので、1冊送ってほしいとのこと。~スマートレターで送付。
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きょう届いた『現代詩手帖』10月号で中島悦子の詩誌月評が初めて『走都』を取り上げている。「隠喩言語論」の完成が待たれる、とも。ほかに詩壇の内部批判がちらほら。くすぶっていたものがようやく出てきたのか。
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ジョージ・レイコフ/マーク・ジョンソン『レトリックと人生』の「20」を読む。
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ガストン・バシュラール『火の精神分析』の付録、ノースロップ・フライの英訳序文、「バシュラール抄」の小篇6篇、「バシュラール著作一覧」「バシュラールの生涯(年譜)」、訳者の「あとがき」も読み、読了。

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2020年9月24日 (木)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/24

菅野昭正先生の『小説と映画の世紀』連載第十一回「永劫回帰と非回帰――ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』」仮ゲラ通読+ファイル修正のつづき27ページ分。これでこの回、スミ。すべて読了。あとは高橋君修正分のチェックのみ。
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池田瑛子詩集『星表の地図』通読。初めて読む富山の詩人。7歳のときの空襲経験からはじまるさまざまな経験をゆるやかな抒情に溶かし込んでいる。
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『週刊読書人』より9月25日号とどく。仲里効『遊撃とボーダー――沖縄・まつろわぬ群島の思想的地峡』書評(丸川哲史氏評)掲載。批評の原基としての「沖縄」を浮かび上がらせる、と。
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ジョージ・レイコフ/マーク・ジョンソン『レトリックと人生』の「18」~「19」を読む。
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ガストン・バシュラール『火の精神分析』の「第五章」の途中~第七章、結論も読む。本文、読了。最後に〈隠喩の隠喩〉という重要な概念が出てくる。

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2020年9月23日 (水)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/23

菅野昭正先生の『小説と映画の世紀』連載第十一回「永劫回帰と非回帰――ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』」仮ゲラ通読+ファイル修正7ページ分。
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ガストン・バシュラール『火の精神分析』の「第四章」の途中~「第五章」の途中。
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『思想』9月号の上村忠男さんのヴィーコ論を読む。『普遍法』というヴィーコの法学論についての一回目。

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2020年9月22日 (火)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/22

『みすず』9月号に目を通す。
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ジョージ・レイコフ/マーク・ジョンソン『レトリックと人生』の「17」を読む。
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ガストン・バシュラール『火の精神分析』の「第三章」~「第四章」の途中。

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2020年9月21日 (月)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/21

菅野昭正先生の『小説と映画の世紀』連載第十回「国家管理と暴力の行方――アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』」仮ゲラ通読+ファイル修正つづき12ページ分。これでこの回もスミ。残りはあと1回。
   *
ジョージ・レイコフ/マーク・ジョンソン『レトリックと人生』の「15」~「16」を読む。
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ガストン・バシュラール『火の精神分析』読みはじめる。「序論」~「第二章」を読む。哲学的エッセイ。エンペドクレス・コンプレックスという、灼熱の火口に魅入られた精神というのはおもしろい。エンペドクレスはたしかエトナ山の火口に身を投げた哲学者だ。

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2020年9月20日 (日)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/20

『一冊の本』9月号に目を通す。
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菅野昭正先生の『小説と映画の世紀』連載第十回「国家管理と暴力の行方――アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』」仮ゲラ通読+ファイル修正つづき12ページ分。
   *
『現代詩手帖』9月号、読了。
   *
ジョージ・レイコフ/マーク・ジョンソン『レトリックと人生』の「10」の途中~「14」まで。このひとたちの隠喩論は死んだ隠喩を生きた隠喩として生活のなかに溶け込んでいるというあまりにも凡庸な発想でまったくの期待外れ。言語隠喩論では批判的に言及するしかない。
   *
「言語隠喩論7」の原稿のつづき。「言語隠喩論の中間総括」という節を4枚ほど書き足す。

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2020年9月19日 (土)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/19

『UP』9月号に目を通す。
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ジョージ・レイコフ/マーク・ジョンソン『レトリックと人生』「4」の途中~「10」の途中。
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『現代詩手帖』9月号、読みつぐ。大岡信夫人のインタビューがおもしろい。
   *
「言語隠喩論7」の原稿を書きはじめる。とりあえずジェイムソンの引用をきっかけに2枚ほどの問題提起。

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2020年9月18日 (金)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/18

菅野昭正先生の『小説と映画の世紀』連載第十回「国家管理と暴力の行方――アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』」仮ゲラ通読+ファイル修正7ページ分。
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森文子詩集『野あざみの栞』通読。未知の福井の詩人。花や野菜といった土に育つものを個別に丁寧に詠う。ケレン味のない率直さがほほえましい。
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フレドリック・ジェイムソン『言語の牢獄――構造主義とロシア・フォルマリズム』の「III 構造主義の冒険」の5節の途中~7節。本文、読了。さらに訳者あとがきも読む。ジェイムソンのこの本は1972年に刊行されている。いわば構造主義の全盛期、サルトルの実存主義もまだ勢いを失っていなかったころで、そのせいか著者のマルクス主義的立場からの構造主義の批判的紹介といった趣きがあり、デリダへの言及も初期のものが対象。その意味でやや古びた印象は拭えない。
   *
ジョージ・レイコフ/マーク・ジョンソン『レトリックと人生』読みはじめる。恥ずかしいタイトルだが、原題は「われわれがそれによって生きているメタファー」である。「人生」というのは決定的な誤り。名著なのに台なしにしている。横組みも邪道だ。とりあえず「まえがき」「謝辞」と「1」~「4」の途中。例文がやたら多い。

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2020年9月17日 (木)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/17

『[新訳]桜の園』初校のチェック。1箇所、脱落あり。細かい修正も確認し、ファイルも修正。~メッセージを付けてレターパックライトで送付。
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菅野昭正先生の『小説と映画の世紀』連載第九回「平和の功罪――グレアム・グリーン『第三の男』」仮ゲラ通読28ページ。この回もスミ。ファイル修正は高橋君へ。~第五回以降の修正分、受取り。
   *
伊良波盛男小説集『神歌【カンヌアーグ】が聴こえる』の「明けの明星」を読む。宮古島の人頭税廃止を訴えた白木武恵という先駆者の悲劇的物語。鈴木比左雄の解説も。読了。

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2020年9月16日 (水)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/16

菅野昭正先生の『小説と映画の世紀』連載第八回「不条理との遭遇――アルベール・カミュ『異邦人』」のファイル整備のあと仮ゲラ印刷28ページ。一気に通読、スミ。さらに残り3本のファイル整備のあと仮ゲラ印刷。第九回「平和の功罪――グレアム・グリーン『第三の男』」28ページ、第十回「国家管理と暴力の行方――アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』」31ページ、第十一回「永劫回帰と非回帰――ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』」34ページ。
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伊良波盛男小説集『神歌【カンヌアーグ】が聴こえる』の「酋長」を読む。宮古島の若者が沖縄の中山王の配下に入る話。
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萩原印刷・金子さんよりtel。『[新訳]桜の園』初校が出たので、帰りに届けてくれる由。~夕方、来社。初校、持参。奥付までで153ページ。
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『PO』178号に目を通す。
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フレドリック・ジェイムソン『言語の牢獄――構造主義とロシア・フォルマリズム』の「III 構造主義の冒険」の3節の途中~4節の途中。

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2020年9月15日 (火)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/15

菅野昭正先生の『小説と映画の世紀』連載第七回「メコン河を遠く離れて――マルグリット・デュラス『愛人』」の通読22ページ。この回もスミ。
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伊良波盛男小説集『神歌【カンヌアーグ】が聴こえる』の「海を越えて」のつづき~終り。
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『アリゼ』198号に目を通す。
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フレドリック・ジェイムソン『言語の牢獄――構造主義とロシア・フォルマリズム』の「III 構造主義の冒険」の3節の途中~。

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2020年9月14日 (月)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/14

濱浦恵美子さんにE-mailで『季刊 未来』秋号の表4の『遊撃とボーダー――沖縄・まつろわぬ群島の思想的地峡』の内容説明をもともとの改行形式にしてもらいたい、と連絡。~濱浦さんより返信E-mail。校正はあす出るとのことも伝える。~再E-mailでPDFとどく。確認してOKの連絡E-mail。~濱浦さんからE-mailでデータ入校の連絡。~金子さんに転送E-mail。
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萩原印刷・金子さんよりtel。『季刊 未来』秋号の再校が出校したとのことで、1時に行くことに。~12時40分すぎ、萩原印刷へ。『季刊 未来』秋号の出張校正、スミ。責了に。
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菅野昭正先生の『小説と映画の世紀』連載第第七回「メコン河を遠く離れて――マルグリット・デュラス『愛人』」の通読10ページ。
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『図書』9月号に目を通す。
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伊良波盛男小説集『神歌【カンヌアーグ】が聴こえる』の「海を越えて」のはじめ~。補陀落渡海の話。
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フレドリック・ジェイムソン『言語の牢獄――構造主義とロシア・フォルマリズム』の「III 構造主義の冒険」の2節の途中~3節の途中。

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2020年9月13日 (日)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/13

伊良波盛男小説集『神歌【カンヌアーグ】が聴こえる』の「ニルヤカナヤ王国」のつづき~終り。ユタと結婚するヤマトの医者の物語。
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『タンブルウィード』8号に目を通す。若尾儀武発行。
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戸田事務所の濱浦さんよりE-mailで『季刊 未来』秋号の表紙のPDFとどく。キャッチが短いので追加を希望。~返信E-mailで追加案を送付。
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La Sainte BibleでLe Le+'vitique(レビ記)の9章(Premiers sacrifices offers par Aaron et ses filsアーロンとその息子たちによって捧げられた最初の生贄)を読む。このあたり燔祭など動物を生贄にする話ばかり。ユダヤの野蛮さが出ている。
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フレドリック・ジェイムソン『言語の牢獄――構造主義とロシア・フォルマリズム』の「II フォルマリズムの冒険」の4節~「III 構造主義の冒険」の2節の途中。

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2020年9月12日 (土)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/12

『書標』(ジュンク堂発行書評誌)8月号の東京大学出版会・黒田さんの「コロナ禍の中で想像力を鍛える」を読む。未來社の本が3冊紹介されている。かれはよく読んでいる。
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三角みづ紀詩集『どこにでもあるケーキ』通読。38歳の三角が13歳のときになりかわってその当時の記憶にもとづいて書いたという小詩集。家族や学校での生活のなかでのみずみずしい感受性が復元(?)されている。
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La Sainte BibleでLe Le+'vitique(レビ記)の8章(Conse+'cration d'Aaron et de ses filsアーロンとその息子たちの叙階式)を読む。
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フレドリック・ジェイムソン『言語の牢獄――構造主義とロシア・フォルマリズム』の「I 言語モデル」の1節の途中~終り。ここまではソシュール言語学の再検討。つづいて「II フォルマリズムの冒険」の3節まで。
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伊良波盛男小説集『神歌【カンヌアーグ】が聴こえる』の「ニルヤカナヤ王国」の途中まで。小さな島でのコレラ流行の予言の話。いまのコロナの話と重なる。

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2020年9月11日 (金)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/11

きのう安達紀子さんからE-mailで届いた『[新訳]桜の園』の訳者あとがき原稿を印刷~テキスト処理~通読。仮ゲラ4ページ印刷。~萩原印刷・金子さんにE-mailで原稿と仮ゲラPDFを送付。
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菅野昭正先生の『小説と映画の世紀』連載第六回「共和主義のために――アーネスト・ヘミングウェイ『誰がために鐘は鳴る』」の仮ゲラ通読再開。19ページ分。この回も終り。さらに第七回「メコン河を遠く離れて――マルグリット・デュラス『愛人』」のファイル整備のあと仮ゲラ印刷32ページ。
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管理画面から未來社ホームページで『季刊 未来』秋号の情報をアップ。
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伊良波盛男小説集『神歌【カンヌアーグ】が聴こえる』の「神歌【カンヌアーグ】が聴こえる」のつづき~終り。宮古島のそばの神島という小さな島の神女の物語。
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フレドリック・ジェイムソン『言語の牢獄――構造主義とロシア・フォルマリズム』の「I 言語モデル」のつづき~。

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2020年9月10日 (木)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/10

萩原印刷・金子さんに『季刊 未来』秋号の初校戻し、残りの原稿渡し、『[新訳]桜の園』原稿一式渡し。のち、E-mailで『季刊 未来』秋号の広告原稿zipと表2広告のPDF、追加原稿、『[新訳]桜の園』原稿データ一式を添付で送付。
   *
高橋君より『小説と映画の世紀』第四章のファイル修正ずみデータを受取り。~確認と追加修正、スミ。
   *
フレドリック・ジェイムソン『言語の牢獄――構造主義とロシア・フォルマリズム』の「I 言語モデル」のはじめ~。
   *
伊良波盛男小説集『神歌【カンヌアーグ】が聴こえる』の「神歌【カンヌアーグ】が聴こえる」を読みはじめる。

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2020年9月 9日 (水)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/9

安達紀子さんから届いた『[新訳]桜の園』の著訳者略歴のデータを整備。奥付原稿とあわせて入校へ。未來社ホームページの著訳者略歴部分ほかの修正。
   *
『季刊 未来』秋号の広告ページ、『[新訳]桜の園』+折原浩著『マックス・ヴェーバー研究総括』の予告、『自己責任という暴力――コロナ禍にみる日本という国の怖さ』の著者紹介の追加を作成し、7月以降の「出た本+重版+書評・紹介」ページとあわせて萩原印刷・金子さんにE-mailで送付。
   *
『季刊 未来』秋号の表紙用原稿を作成し、書影2点とともに戸田事務所・濱浦さんにE-mailで送付。
   *
『季刊 未来』秋号の「執筆者一覧+編集後記」の原稿をとりあえず書き上げる。31字×47行。あす再度確認してから入校の予定。
   *
フレドリック・ジェイムソン『言語の牢獄――構造主義とロシア・フォルマリズム』読みはじめる。「はしがき」を読む。
   *
菅野昭正先生よりtel。『小説と映画の世紀』の刊行の件につき、先約に断わりを入れてくれた由。これで本格的に進められることになった。2週間ぐらいで残りを仕上げる予定に。

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2020年9月 8日 (火)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/8

新訳『桜の園』の通読+ファイル修正つづける。第三幕の途中~第四幕、41ページ分、スミ。これですべて終り。仮ゲラ印刷、本文133ページ、訳者解説20ページ。組み指定書も作成&印刷。奥付原稿も作成。
   *
『詩の練習[なぜ詩を書くか vol. 3]』を読む。渡辺武信さんに送ってもらった。杉中昌樹編集発行。
   *
濱浦恵美子さんにtel。戸田ツトムさん死去の件でいろいろ。『季刊 未来』秋号で追悼はさせてもらう。表紙の原稿はあすまでにE-mailで送付。
   *
「新刊案内解説.txt」で新訳『桜の園』の分を作成。~未來社ホームページの管理画面で「刊行予定」ページにとりあえずアップ。~安達紀子さんにtel。内容紹介、著訳者略歴の確認と追加を依頼。今後の予定など。
   *
『飛脚』25号に目を通す。石毛拓郎個人誌。石毛が従軍慰安婦問題に厳しい批判を展開している。

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2020年9月 7日 (月)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/7

『桜の園』の通読+ファイル修正つづける。第二幕~第三幕の途中まで。45ページ分、スミ。
   *
La Sainte BibleでLe Le+'vitique(レビ記)の7章(Re`gles sur holocaustes, les offrandes et les diverses esp`eces de sacrifices 燔祭の規則、供物とさまざまな種類の生贄のつづき~終り)を読む。
   *
スーザン・A・ハンデルマン『誰がモーセを殺したか――現代文学理論におけるラビ的解釈の出現』の「第二部 モーセを殺す人たち――フロイト、ラカン、デリダ、ブルーム、そして転位の暗黒面」の「第八章 カバリストとしての批評家――ハロルド・ブルームと異端的解釈学」のつづき~終り。これで本文、読了。さらに「付録」と長い訳者あとがきも読み、ようやく読了。現代の文学理論においてユダヤ的ラビ的解釈の方法を系譜的に跡づけているという意味で画期的な本。この線でフロイト、デリダが解釈しやすくなるとも言える。
   *
『現代詩手帖』9月号、読みつぐ。

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2020年9月 6日 (日)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/6

山田兼士ブログで野沢啓詩集『発熱装置』へのコメントを発見。《野沢啓『発熱装置』(思潮社)古今東西の詩人や哲学者の言葉を引用しつつ自身の精神と感覚を確認し批判する書き手は、やはり詩人と呼ぶしかない存在だ。連作長編の他に、短期間の入院体験の中で死と死の外と生を垣間見て凝視したイメージが斬新。さらに次なるポエジーの胚芽を見た思いがする。》(7月9日)と。
   *
『現代詩手帖』9月号、読みはじめる。
   *
スーザン・A・ハンデルマン『誰がモーセを殺したか――現代文学理論におけるラビ的解釈の出現』の「第二部 モーセを殺す人たち――フロイト、ラカン、デリダ、ブルーム、そして転位の暗黒面」の「第八章 カバリストとしての批評家――ハロルド・ブルームと異端的解釈学」のつづき~。

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2020年9月 5日 (土)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/5

仲里効さんよりE-mailできょうの『沖縄タイムス』の『遊撃とボーダー――沖縄・まつろわぬ群島の思想的地峡』書評(呉世宗氏評)PDFとどく。
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樋口武二詩集『遠い声』通読。このひとの身辺寓話的な書き方はどこか粕谷栄市ふうなところがあり、不思議な情感が粘液質な文体で迫ってくる。見開き2ページを基調として、ほとんど中断したかたちになっているのが特徴だが、やはり完結させてほしい。この宙吊り形式が有効なら別だが。
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スーザン・A・ハンデルマン『誰がモーセを殺したか――現代文学理論におけるラビ的解釈の出現』の「第二部 モーセを殺す人たち――フロイト、ラカン、デリダ、ブルーム、そして転位の暗黒面」の「第八章 カバリストとしての批評家――ハロルド・ブルームと異端的解釈学」のつづき~。

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2020年9月 4日 (金)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/4

『午前』17号に目を通す。冨岡悦子さんから送ってもらった布川鴇発行詩誌。
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高橋君から戻ってきた『桜の園』の修正を確認。まず「解説」のチェック、スミ。本文の仮ゲラ印刷129ページ。~安達紀子さんにtel。書名に工夫が必要。凡例または「あとがき」で原著名など必要な項目を入れること。とりあえず「あとがき」を早めに書いてもらうことに。~通読+ファイル修正はじめる。とりあえず第一幕、終了。これでほぼ三分の一。
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菅野昭正先生の連載第六回「共和主義のために――アーネスト・ヘミングウェイ『誰がために鐘は鳴る』」の仮ゲラ通読5ページ分。
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スーザン・A・ハンデルマン『誰がモーセを殺したか――現代文学理論におけるラビ的解釈の出現』の「第二部 モーセを殺す人たち――フロイト、ラカン、デリダ、ブルーム、そして転位の暗黒面」の「第八章 カバリストとしての批評家――ハロルド・ブルームと異端的解釈学」のはじめ~。

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2020年9月 3日 (木)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/3

萩原印刷・金子さんよりE-mailで『季刊 未来』秋号の目次、湯浅博雄「新しい詩的言語の創出の試みIV――ランボー『言葉の錬金術』における詩学を探究するために10」、野沢啓「レトリックから言語の経験へ――言語隠喩論」の初校PDFとどく。~すべて印刷。湯浅さんのゲラを確認。中見出しの前後1行アキがとれているので、入れる指示。湯浅さんにE-mailでゲラPDFを添付して送付。
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菅野昭正先生の連載第六回「共和主義のために――アーネスト・ヘミングウェイ『誰がために鐘は鳴る』」の仮ゲラ30ページ分印刷、通読6ページ分。
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スーザン・A・ハンデルマン『誰がモーセを殺したか――現代文学理論におけるラビ的解釈の出現』の「第二部 モーセを殺す人たち――フロイト、ラカン、デリダ、ブルーム、そして転位の暗黒面」の「第七章 レブ・デリダのエクリチュール」のつづき~終り。
《いかにもデリダらしいユダヤ的異端主義は隠喩に転化した換喩ではなくて、暴れ狂う換喩、あらゆる基盤から独立していると宣言しながらも、あらゆるものの起源と法則であることを主張する換喩の形をとる。》(327ページ)
《ユダヤ人にとって――そして詩人にとって――、本は折りたたまれて、それ自体に綴じ込まれたものになり、無限に自己を省み、それ自体の主題になり、それ自体の表現となる。ユダヤ人と詩人の帰るべき故郷はテキストである。》(329ページ)
 このデリダ論はおもしろいが、訳文には〈diffe+'rance〉を〈遅延〉と訳すなどデリダ概念の致命的な誤訳がいくつかある。
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『季刊 未来』秋号の「レトリックから言語の経験へ――言語隠喩論」の読み直しと最終加筆。これで責了に。ファイルも修正。
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『交野が原』89号に目を通す。金堀則夫編集誌で、詩と詩集評が中心。中堅詩人を集めている。

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2020年9月 2日 (水)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/2

菅野昭正先生の連載第五回「空虚と狂躁の果てに――ピエール・ドリュ・ラ・ロシェル『ゆらめく炎』」の通読20ページ分で、この回もスミ。
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柴田秀子詩集『遠くへ行くものになる』通読。
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スーザン・A・ハンデルマン『誰がモーセを殺したか――現代文学理論におけるラビ的解釈の出現』の「第二部 モーセを殺す人たち――フロイト、ラカン、デリダ、ブルーム、そして転位の暗黒面」の「第七章 レブ・デリダのエクリチュール」の途中まで。
《脱構築主義の中において、我々は再び〈聖なるエクリチュール〉を手に入れる。抑圧されたラビ学の回帰を見る。フロイト、パウロなどと同じように、〈自由な遊戯〉の名において、父=創始者=テキストの道筋を転位して、閉じられた形而上学を開くデリダの姿勢は、それ自体の外部にあるいかなるものをも閉め出すイデオロギーとなる。デリダの企図は西洋の形而上学を打倒することにだけあるのではなく、自分の思想以外のすべての思想の可能性を巧妙に転覆させることにもあるのである。その原理は自由な遊戯と放散であるかもしれないが、応用面で言えば、その作業は、すべてのテキストを、終わることのない、苦しい、予見可能な反復的な読みの行為の中で、脱構築という機械にかけてすり砕くことになる。》(310-311ページ)
これは目の覚める、強烈なデリダ批判だ。デリダ主義者はこれにどう反応したのだろう。
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La Sainte BibleでLe Le+'vitique(レビ記)の6章(Re`gles sur holocaustes, les offrandes et les diverses esp`eces de sacrifices 燔祭の規則、供物とさまざまな種類の生贄)を読む。

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2020年9月 1日 (火)

思考のポイエーシス・日録篇2020/9/1

夜中に湯浅博雄さんより『季刊 未来』秋号の原稿「新しい詩的言語の創出の試みIV――ランボー『言葉の錬金術』における詩学を探究するために10」とどく。~印刷とテキスト化。通読+ファイル修正。仮ゲラ印刷10ページ。~野沢啓「レトリックから言語の経験へ――言語隠喩論」13ページとあわせて原稿とPDFを萩原印刷・金子さんにE-mailで送付。さらに目次ページも作成&印刷。原稿を金子さんにE-mail貼付で送る。
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『詩と思想』8月号にざっと目を通す。
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菅野昭正先生の連載第五回「空虚と狂躁の果てに――ピエール・ドリュ・ラ・ロシェル『ゆらめく炎』』のファイル一括修正のあと仮ゲラ印刷31ページ。通読11ページ分。
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スーザン・A・ハンデルマン『誰がモーセを殺したか――現代文学理論におけるラビ的解釈の出現』の「第二部 モーセを殺す人たち――フロイト、ラカン、デリダ、ブルーム、そして転位の暗黒面」の「第五章 ヤーコプの息子ソロモン=ジークムント」のつづき~終り。フロイトの精神分析はユダヤ的であり、ラビ的解釈学だという説をハンデルマンは展開する。説得力がある。つづけて「第六章 筆記者としての分析家――ジャック・ラカンと父の御名の回帰」も読む。ラカンはフロイトをさらに別の預言的メッセージに転位する、としている。

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