« 思考のポイエーシス・日録篇2020/2/11 | トップページ | 思考のポイエーシス・日録篇2020/2/13 »

2020年2月12日 (水)

思考のポイエーシス・日録篇2020/2/12

『UP』2月号に目を通す。
   *
きのうファイル修正の終わった『デュラス・ミッテラン対話 パリ六区デュパン街の郵便局』の本文、原注、訳注を42字×16行で印刷。本文87枚、注30枚。組み指定書(「『デュラス・ミッテラン対話』組体裁.txt」)を作成&印刷。とりあえずこれで入校可能になる。原稿のデータはとりあえず萩原印刷・金子さんに送付。
   *
『孔雀船』95号に目を通す。望月苑巳編集誌。
   *
『ウィトゲンシュタイン全集8』で『哲学探究』の161節~269節を読む。
《ある文章を理解するということは、ある言語を理解するということ。ある言語を理解するということは、ある技術に通暁するということ。》(161ページ)
《わたくしは、現状のあるがままに、たとえば誰もしないようなゲームを発明することができる。――しかし、人類が一度もゲームをしたことがないのに、あるとき誰かがあるゲームを――それは、そのときもちろん一度も行なわれたことのないゲームであるが――発見した、というようなことも可能なのであろうか。》(163ページ)
 もちろん可能である。
   *
イマニュエル・カント『純粋理性批判 (中)』(岩波文庫) の「I 先験的原理論」の「第二部門 先験的論理学」の「第二部 先験的弁証論」の「第二篇 純粋理性の弁証的推理について」の「第二章 純粋理性のアンチノミー」の第九節のIIIを読む。
《自由は、自然必然性におけるとはまったく種類を異にする条件に関係することが可能であるから、自然必然性の法則が自由を触発するということはない、したがって自然必然性の法則と自由とは互いに無関係に、また互いに妨害しあうことなく成立し得る、と。》(228ページ)

|

« 思考のポイエーシス・日録篇2020/2/11 | トップページ | 思考のポイエーシス・日録篇2020/2/13 »

思考のポイエーシス・日録篇」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 思考のポイエーシス・日録篇2020/2/11 | トップページ | 思考のポイエーシス・日録篇2020/2/13 »