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2019年1月

2019年1月31日 (木)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/31

堀江新二さんよりtel、のちE-mail。『俳優の仕事』第三部の重版用訂正。岩田貴さん、安達紀子さんの分を転送。自分の担当はあす夕方に。
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野村喜和夫『まぜまぜ』読みはじめる。
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『ニーチェ全集3 哲学者の書』(ちくま学芸文庫) の「われわれの教養施設の将来について」のつづき~終り。未完のギムナジウム論。

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2019年1月30日 (水)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/30

『加藤尚武著作集第12巻 哲学史』の「『加藤尚武著作集第12巻_本文.txt」で『20世紀の思想――マルクスからデリダへ』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「第五章 科学とは何か」の「ラッセル――論理と経験のあいだ」7ページ、スミ。
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松本亮[聞き手:山本かずこ]『金子光晴にあいたい』のつづき~終り。読了。金子光晴のことがよくわかるような気がするエピソードの多い記録だが、一方で森三千代との関係など謎が深まるばかりとも言える。
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『ニーチェ全集3 哲学者の書』(ちくま学芸文庫) の「われわれの教養施設の将来について」のつづき~。
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「橄欖」112号に目を通す。日原正彦編集。
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『ホメーロス』(古典世界文学1) で『イーリアス』をいよいよ読みはじめる。第一巻のはじめ~。

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2019年1月29日 (火)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/29

『加藤尚武著作集第8巻 世代間倫理』の印刷忘れ(?)の2論文を印刷。
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坂本佳子さんよりtel。デュラス×ミッテラン対談集翻訳の件で。とりあえず原稿を送ってもらうことに。版権はフランス著作権事務所に問合せ中。
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『加藤尚武著作集第12巻 哲学史』の「『加藤尚武著作集第12巻_本文.txt」で『20世紀の思想――マルクスからデリダへ』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「第四章 解釈学と構造主義」の「レヴィ=ストロース――構造としての文化の追究」6ページ、「フーコー――理性と狂気の相関」6ページ、スミ。第四章も終了。
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大橋政人さんよりtel。エッセイ集の校正ほぼ終わったとのこと。「あとがき」もできた由。来週には送るとのこと。
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松本亮[聞き手:山本かずこ]『金子光晴にあいたい』のつづき~。それにしても森三千代は写真でみるかぎり、金子光晴はもちろん、土方定一のような美男子の切れ者とつり合わないような気がするのだが。
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『ニーチェ全集3 哲学者の書』(ちくま学芸文庫) の「われわれの教養施設の将来について」のつづき~。

   

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2019年1月28日 (月)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/28

「図書」2月号に目を通す。
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『加藤尚武著作集第12巻 哲学史』の「『加藤尚武著作集第12巻_本文.txt」で『20世紀の思想――マルクスからデリダへ』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「第四章 解釈学と構造主義」の「デリダ――読むことから見た人間」11ページ、スミ。このデリダ論には納得できないものがある。
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松本亮[聞き手:山本かずこ]『金子光晴にあいたい』読みつぐ。

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2019年1月27日 (日)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/27

『ニーチェ全集3 哲学者の書』(ちくま学芸文庫) の「われわれの教養施設の将来について」のつづき~。
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樋口武二詩集『アリスの森――遊ぶことを忘れてしまった大人たちへ』通読。タイトルから想像されるとおり、ルイス・キャロルから題材を借りて自由にアリスと動物たちの遊びをなかなか楽しく創造してみた散文詩。
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『加藤尚武著作集第12巻 哲学史』の「『加藤尚武著作集第12巻_本文.txt」で『20世紀の思想――マルクスからデリダへ』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「第三章 内面性の厳密な記述」の「サルトル――決断と連帯の狭間」7ページ、「レヴィナス――他者とのかかわりの仕方なさを見つめる」10ページ、スミ。これで第三章、終り。
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La Sainte BibleのAncient Testament: La Gene`seの7章(ノアの方舟と大洪水の記述)を読む。
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松本亮[聞き手:山本かずこ]『金子光晴にあいたい』読みはじめる。金子光晴と関係の深かった弟子による聞き書き伝記。

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2019年1月26日 (土)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/26

バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第十九章のつづき~第二十章。ようやく読了。
《国家の究極目的は支配することでなく、又人間を恐怖に依つて制御して他者の権利のもとに立たしめることでもなく、むしろ反対に、各人を恐怖から解放し、かくて各人が出来るだけ安全に生活するやうにすること、換言すれば存在と活動に対する彼の自然権を自己並びに他者を害することなしに最もよく保持するやうにすることである。敢へて言ふ、国家の目的は人間を理性的存在者から動物或は自動機械にすることではなく、むしろ反対に、人間の精神と身体が確実にその機能を果し、彼ら自身が自由に理性を使用し、そして彼らが憎しみや怒りや詭計を以て争ふことなく、又相互に悪意を抱き合ふことのないやうにすることである。故に国家の目的は畢竟自由に存するのである。》(275ページ)
 スピノザの想定した国家であれば理想的なのだが、いまの国家はその正反対である。
結論――《敬虔と宗教をたゞ隣人愛と公正の実行の中にのみ存せしめ、宗教的並びに世俗的事柄にかんする最高権力の権利をたゞ行為の上にのみ及ぼさしめ、その外は各人に対してその欲することを考へ且つその考へることを言ふ権利を認めること、これほど国家の安全のために必要なことはないのである》(289ページ)
 スピノザは真正の民主主義者と言っていいだろう。
   *
関中子詩集『沈水』通読。詩集としては初めて読むひとが、定年後に詩を量産しているようだ。基本的に抒情詩だが、ところどころに人生経験の深みが感じられる。
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『加藤尚武著作集第12巻 哲学史』の「『加藤尚武著作集第12巻_本文.txt」で『20世紀の思想――マルクスからデリダへ』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「第三章 内面性の厳密な記述」の「ハイデガー――西欧の精神史的運命」8ページ、スミ。
   *
ハイデガーは『ヒューマニズムについての書簡』のなかで思索と詩作を存在の本質と結びつけている。
《あらゆるものに先立って「存在している」ものは存在である。思索というものは、その存在の人間の本質にたいする関わりを実らせ達成するのである。思索はこの関わりを作り出したり惹き起こしたりするのではない。思索はこの関わりを、ただ存在から思索自身へと委ねられた事柄として、存在にたいして捧げ提供するだけなのである。この差し出し提出する働きの大切な点は、思索において、存在が言葉となってくる、ということのうちに存している。言葉は存在の家である。言葉による住まいのうちに人間は住むのである。思索する者たちと詩作する者たちがこの住まいの番人たちである。これらの者たちは、存在の開示性を自分たちの発語によって、言葉へともたらし、言葉のうちに保存するわけであるから、そのかぎりにおいて、彼らの見張りは存在の開示性を実らせ達成することである。》
 いかにもハイデガーらしいことばだ。思索にせよ詩作にせよ、ことばが人間存在の本質にむけて意味を切り開くという働きをすることを指摘しているのであり、この働きこそ隠喩の働きそのものではないか。(詩的隠喩論2)
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『ニーチェ全集3 哲学者の書』(ちくま学芸文庫) の「われわれの教養施設の将来について」のつづき~。ニーチェはドイツのギムナジウム教育において過剰な教養教育のための過剰な教養教師の無能な存在を暴露しているが、これは現代詩の世界に似ている。しかもニーチェ的な厳しい批判に耳を貸そうとしない詩的ジャーナリズムの頽廃までそっくりだ。
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La Sainte BibleのAncient Testament: La Gene`seの5章(アダム以後ノアまで)~6章(人間の堕落とノアの方舟の準備)を読む。

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2019年1月25日 (金)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/25

大橋政人さんよりtel。きのう送ったエッセイ集の仮ゲラが届いたとのこと。場合によっては書き下ろしを加える可能性あり。その場合は3週間ほどほしいとのこと。了解。
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『加藤尚武著作集第12巻 哲学史』の「『加藤尚武著作集第12巻_本文.txt」で『20世紀の思想――マルクスからデリダへ』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「第二章 人間の意志と欲望を見つめて」の「フロイト――欲望の暗い森」8ページ、スミ。これで第二章もスミ。つづけて「第三章 内面性の厳密な記述」の「フッサール――意識内在主義の源流」7ページ、スミ。
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萩原印刷から『加藤尚武著作集第5巻 ヘーゲル哲学の隠れた位相』の初校、出校。459ページ。傍注がすべて追い込みにされてしまった。~加藤さんにtel。これから持参することに。
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バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第十九章のはじめ~。《何が国家に利益であるかを私人は公共の政務を司どる権能を持つ最高権力の決定に依つてのみ知り得る。だから何びとも最高権力のすべての決定に服従するのでなくては敬虔を正しく実践することも出来ないし、神に服従することも出来ないのである。》(258ページ)ここで最高権力とは国家権力のことであるが、スピノザの時代の国家権力とは神の代行者だったのだろうが、現在ではとても承服できない。
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こたきこなみ詩集『そして溶暗』通読。かなり年上の詩人だということがわかったが、そういうひとが母親について思いをこめて書いているのは驚き。家族への複雑な思いがこもっている。
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『ニーチェ全集3 哲学者の書』(ちくま学芸文庫) の「われわれの教養施設の将来について」のつづき~。当時のドイツにおけるギムナジウム教育への徹底的批判。
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La Sainte BibleのAncient Testament: La Gene`seの3章(アダムとイヴの説話)~4章(アベルとカインの物語)を読む。

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2019年1月24日 (木)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/24

大橋政人エッセイ集の鈴木さんが作成してくれた仮ゲラの通読+ファイル修正のつづき。「未来」連載分の「第二部 アンイマジナブルということ」12本65ページ。これですべて読了。~大橋さんにtel。問題点を指摘。1週間ぐらいで校正を戻してもらうことに。「あとがき」原稿も頼む。
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バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第十八章を読む。

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2019年1月23日 (水)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/23

バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第十七章のつづき~終り。
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大橋政人エッセイ集の鈴木さんが作成してくれた仮ゲラの通読+ファイル修正のつづき。5篇59ページ分。つづけて第二部の仮ゲラ印刷66ページ分。
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『加藤尚武著作集第12巻 哲学史』の「『加藤尚武著作集第12巻_本文.txt」で『20世紀の思想――マルクスからデリダへ』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「第二章 人間の意志と欲望を見つめて」の「ニーチェ――生の根源性」8ページ、スミ。
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新延拳『虫を飼い慣らす男の告白』通読。寓話的な作品から実直な生き方をのぞかせた作品が並ぶが、想像力の飛躍というものはない。
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『ニーチェ全集3 哲学者の書』(ちくま学芸文庫) の「われわれの教養施設の将来について」のつづき~。
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La Sainte BibleのAncient Testament: La Gene`seの2章を読む。

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2019年1月22日 (火)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/22

『加藤尚武著作集第12巻 哲学史』の「『加藤尚武著作集第12巻_本文.txt」で『20世紀の思想――マルクスからデリダへ』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「第一章 進歩と革命への期待」の「マルクス――永遠の批判者」9ページ、スミ。これで第一章、終り。
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大橋政人エッセイ集の鈴木さんが作成してくれた仮ゲラ第一部を印刷82ページ分。第二部とあわせて154ページ。とりあえず読みはじめる。2篇22ページ分。ファイル修正も。
   *
バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第十七章のつづき~。これをきっかけにフランス語版聖書をあらためて読むことにする。
   *
松尾真由美詩集『雫たちのパヴァーヌ』通読。森美千代という写真家の花や植物の写真と松尾の短詩のデュオ。松尾の硬質なことばはやや単調で、無限の反復はどこへも導かない気がするのだが。
   *
『ニーチェ全集3 哲学者の書』(ちくま学芸文庫) の「われわれの教養施設の将来について」のつづき~。森の中での哲学者との出会いを短篇小説ふうに書いている。若きニーチェの客気あふれる作品。《ひとびとは、自分自身の教養の労力と教養の必要とを免れようとして、天才の権利を民主化しようとするのだ。》(61ページ)
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La Sainte Bible読みはじめる。Ancient Testament: La Gene`seの1章を読む。

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思考のポイエーシス・日録篇2019/1/21

バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第十七章のはじめ~。
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里中智沙詩集『花を』通読。民話や謡曲、グリム童話などをベースに組み立てた物語は読ませる。言外に現代の政治や社会への寓話的な批判も醸し出している。
   *
『加藤尚武著作集第12巻 哲学史』の「『加藤尚武著作集第12巻_本文.txt」で『20世紀の思想――マルクスからデリダへ』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「第一章 進歩と革命への期待」の「J・S・ミル――もっとも現代的な理性人」8ページ、スミ。加藤さんのミル評価は高い。
   *
『ニーチェ全集3 哲学者の書』(ちくま学芸文庫) の「われわれの教養施設の将来について」のつづき~。

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2019年1月20日 (日)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/20

J· L· オースティンは『言語と行為』のなかでこんなことを言っている。
《問題の行為遂行的発言は、まさに_¨発言¨_であるが故に_¨すべての¨_発言を汚染する別種の災禍を_¨もまた¨_被ることになる。……この災禍という語で、私は、たとえば、次のようなことを考えているのである。すなわち、ある種の遂行的発言は、たとえば、舞台の上で役者によって語られたり、詩の中で用いられたり、独り言の中で述べられたりしたときに、_¨独得の仕方で¨_実質のないものとなったり、あるいは、無効なものとなったりするというような種類のことがらである。……発言はそれぞれの特殊な状況においては大きくその相貌を変化させるのである。そのような状況において言語は、独得な仕方で――すなわち、それとわかるような仕方で――まじめにではなく、しかし正常の用法に_¨寄生¨_する仕方で使用されている。この種の仕方は言語_¨褪化¨_(<I>etiolation</I> of the language)の理論というべきものの範囲の中で扱われるべき種類のものであろう。》(38ページ)
 まったく言語学者としてはひどいことを言っている。日常言語学派と呼ばれるだけあって、言語の通常的用法(と思われているもの)だけが言語学の対象であって、劇中言語や詩の言語はそれから逸脱した、まじめでないもの、「褪化」したもの、寄生的なものだと規定しているのである。デリダがこの部分をとりあげて、むしろそうした非日常的言語もまた言語学の対象であり、その非日常的ありかたこそが日常的言語を裏づけているのではないか、と批判するのは当然である。(詩的隠喩論1-2)
   *
バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第十六章のつづき~終り。最後にオランダと日本の条約の話が出てくる。
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『加藤尚武著作集第12巻 哲学史』の「『加藤尚武著作集第12巻_本文.txt」で『20世紀の思想――マルクスからデリダへ』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「プロローグ――思想の二十世紀」の途中~終り。
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『ニーチェ全集3 哲学者の書』(ちくま学芸文庫) 読みはじめる。「運命と歴史」「意志の自由と運命」読む。さらに「われわれの教養施設の将来について」のはじめまで。

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2019年1月19日 (土)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/19

アマゾンからちくま学芸文庫版『ニーチェ全集3 哲学者の書』とどく。
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バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第十五章のつづき~第十六章の途中。理性と国家、各人の自然権との関係に主題が移る。《民主制とは為し得る一切事に対しての最高権利を団体として有する人間の総体的結合と定義される。》(173ページ)
   *
志村喜代子詩集『後【のち】の淵』通読。初めて読む高崎の詩人。端正な作風のなかに不穏な女性性を感じさせる。三浦雅士が力を入れた栞で論じているのもわかる気がする。
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『加藤尚武著作集第12巻 哲学史』の「『加藤尚武著作集第12巻_本文.txt」で『20世紀の思想――マルクスからデリダへ』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をはじめる。「まえがき」~「プロローグ――思想の二十世紀」の途中まで。
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ジャック・デリダ『哲学の余白 下』の「署名 出来事 コンテクスト」のつづき~終り。訳者謝辞。読了。
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デリダが《或る種の言表はそれらが<G>客観的な</G>意味作用を欠いているときでも意味をもちうる。「円は四角い」は意味をそなえた命題である。この命題は、私がそれを偽である、あるいは矛盾していると判断しうるくらい十分に意味をそなえている》(248ページ)と言うとき、その意味とは現実的に意味をなさない、というときの〈意味〉ではない。ひとつの言表として意味をそなえているというだけのことである。しかし、この〈意味〉は、それが現実の場では意味をもたない、矛盾でしかない、としても、ある種の言表においては可能性として存在の意味をもつ。それがたとえば、言説行為としての詩においては場合によっては可能であるということである。たとえばこれをオースティンの言語行為論におけるパフォーマティヴとして詩的言説行為を解釈することも可能だが、それはいわば宛先のない言語行為、それ自体で完結するしかない言語行為にすぎないことになる。ただ、それが詩という言説内部においてなにごとかを隠喩的に志向することはありうるのであって、一概に否定することではない。この無意味を詩の文脈において生かすことは不可能ではない。(詩的隠喩論1)

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2019年1月18日 (金)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/18

『加藤尚武著作集第12巻 哲学史』の本文データを作成。『20世紀の思想――マルクスからデリダへ』『進歩の思想・成熟の思想――21世紀前夜の哲学とは』のデータ連結。総目次、扉類、本ごとの目次、一部OCRデータを必要なところに取り込み。加藤尚武マクロでテキスト一括処理をとりあえずすませておく。
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きょうは東大闘争安田講堂(砦)攻防戦の五十周年にあたる。マスコミ各社の反応が鈍いのはいまにはじまったことではないが、東大闘争の意義をあらためて問う『東大闘争総括――戦後責任・ヴェーバー研究・現場実践』がこの風化状況を問題としていることをあらためて考えてほしいと願わざるをえない。
   *
バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第十五章の途中まで読む。神学と理性の関係がどちらも従属関係にないことが論じられる。

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2019年1月17日 (木)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/17

『加藤尚武著作集第5巻 ヘーゲル哲学の隠れた位相』の本文の仮ゲラ赤字のファイル修正。注の別ファイル化。第VI部、スミ。初出一覧のデータを見ながら追加情報。ひとつのファイルにまとめた注の原稿も印刷。~萩原印刷・藤野君にE-mailで本文と注のデータ送付。来社した藤野君に入校原稿も渡す。
   *
『加藤尚武著作集第12巻 哲学史』の単行本『20世紀の思想――マルクスからデリダへ』『進歩の思想・成熟の思想――21世紀前夜の哲学とは』の原稿チェック。後者の一部がOCR読み取りになっているので、合体する必要あり。
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アマゾンでギフト券2000円分を追加して、ちくま学芸文庫版『ニーチェ全集3 哲学者の書』を注文。
   *
バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第十四章を読む。
   *
ジャック・デリダ『哲学の余白 下』の「署名 出来事 コンテクスト」のはじめ~。〈コミュニケーション〉をめぐる国際会議発表原稿。
   *
「GATE」27号に目を通す。塚本敏雄ほかの典型的な同人誌。

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2019年1月16日 (水)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/16

『加藤尚武著作集第5巻 ヘーゲル哲学の隠れた位相』の本文の仮ゲラ赤字のファイル修正。注の別ファイル化。第III部の途中~第V部。
   *
「みすず」2018年12月号に目を通す。郷原佳以さんのデリダ論がなかなか刺戟的。ちょうど読んだばかりのデリダの「繋辞の代補」が主題のひとつだったせいもあるが。バンヴェニストをロラン・バルトは肯定し、デリダは批判する、そこのところがおもしろい。
   *
バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第十三章のつづき~終り。《聖書の諸巻はつまり民衆の把握力に応じて語ってゐるのであり、聖書は民衆を学者にしようとしてゐるのではなくたゞ従順な者にしようとしてゐるのである。》(125ページ)
   *
ジャック・デリダ『哲学の余白 下』の「痛み 源泉――ヴァレリーの源泉」のつづき~終り。ヴァレリーのフロイト嫌いは、みずからの異常性欲(カミーユ・クローデルのストーカーだったっけ)を図星で指摘されているような気がしたからではないか。

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2019年1月15日 (火)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/15

「UP」1月号に目を通す。
   *
『加藤尚武著作集第7巻 環境倫理学』見本できる。
   *
『加藤尚武著作集第8巻 世代間倫理』の仮ゲラ印刷。単行本未収録論文「生き甲斐の哲学」12ページ、本文313ページ+注11ページ分。~『加藤尚武著作集第7巻 環境倫理学』見本渡し、『加藤尚武著作集第5巻 ヘーゲル哲学の隠れた位相』仮ゲラ赤字引取りをかねて加藤さんにとどける。
   *
受け取ってきた『加藤尚武著作集第5巻 ヘーゲル哲学の隠れた位相』の本文のデータの連結と修正はじめる。目次~凡例、本扉、中扉。追加原稿を挿入、通読+ファイル修正。第III部のはじめまで。
   *
「THROUGH THE WIND」38号に目を通す。原田勇男+玉田尊英二人誌。
   *
バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第十二章のつづき~第十三章の途中まで。
   *
ジャック・デリダ『哲学の余白 下』の「痛み 源泉――ヴァレリーの源泉」のつづき~。

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思考のポイエーシス・日録篇2019/1/14

加藤尚武さんからE-mailで『加藤尚武著作集第5巻 ヘーゲル哲学の隠れた位相』の構成を六部構成とし、各部の冒頭に入れるイントロダクションの文章、とどく。
   *
『加藤尚武著作集第8巻 世代間倫理』の『教育の倫理学』の仮ゲラの印刷+通読+ファイル修正、つづける。「第17話 大学論」10ページ、「第18話 人文科学の存在理由」8ページ、「第19話 反自然的文化の強制」6ページ、「第20話 職業のための教育」8ページ、「第21話 ゼロ歳からの倫理教育」11ページ、「あとがき」5ページ、初出一覧、スミ。これでこの本も終了。つづけて最後に残った単行本未収録論文「生き甲斐の哲学――生きる意味を考える」11ページ、スミ。これでこの巻もすべて終了。あす仮ゲラを印刷して、加藤さんに渡す。
   *
「現代詩手帖」1月号、読みつぐ。~了。
   *
バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第十二章のはじめ~。スピノザは律法は人間の精神に書き込まれたものであって、聖書として書かれたものは欠陥だらけであることをさかんに言い訳しているが、同胞たるユダヤ人からこそ忌み嫌われたことがよくわかる。
   *
ジャック・デリダ『哲学の余白 下』の「痛み 源泉――ヴァレリーの源泉」のつづき~。この論文はことばのギリシア語源からの言い回しが多く、難解。《ヴァレリーが哲学者に思い出させるのは、哲学は書かれるということである。そして哲学者はこのことを忘れるかぎりで哲学者なのだ、と。》(203ページ)

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2019年1月13日 (日)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/13

バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第十一章を読む。
   *
ジャック・デリダ『哲学の余白 下』の「痛み 源泉――ヴァレリーの源泉」のつづき~。デリダ的ことばのアクロバットがつづく。
   *
夜中に加藤尚武さんよりE-mailで『加藤尚武著作集第5巻 ヘーゲル哲学の隠れた位相』の目次、初出一覧、加筆原稿、『加藤尚武著作集第7巻 環境倫理学』の贈呈先リストとどく。~tel入れ。あさって午前中に第7巻の見本とどけ、第5巻の仮ゲラ赤字受取りに行くことに。
   *
「αρχη」19号に目を通す。中原秀雪編集誌。小野十三郎論はもっと長く書けないか。
   *
「アリゼ」188号に目を通す。
   *
『加藤尚武著作集第8巻 世代間倫理』の『教育の倫理学』の仮ゲラの印刷+通読+ファイル修正、つづける。「第12話 放任主義教育の失敗」7ページ、「第13話 民主主義社会はどのような教育を必要とするか」6ページ、「第14話 知識に所有権が成り立つか」8ページ、「第15話 教育における情報技術と倫理」4ページ、「第16話 教育における情報技術と倫理」9ページ、スミ。

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2019年1月12日 (土)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/12

ジャック・デリダ『哲学の余白 下』の「痛み 源泉――ヴァレリーの源泉」のつづき~。
   *
バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第十章のつづき~終り。聖書学的信憑の問題。
   *
『加藤尚武著作集第8巻 世代間倫理』の『教育の倫理学』の仮ゲラの印刷+通読+ファイル修正、つづける。「第10話 印刷による教材革命」9ページ、「第11話 大村はまとEBM――教材論」9ページ、スミ。
   *
「現代詩手帖」1月号、読みつぐ。

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2019年1月11日 (金)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/11

『加藤尚武著作集第8巻 世代間倫理』の『教育の倫理学』の仮ゲラの印刷+通読+ファイル修正、つづける。「第8話 義務教育の必要性」8ページ、「第9話 どうしたら亀がアキレスに追いつくことができるか」7ページ、スミ。
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萩原印刷より第二次「走都」3号200冊とどく。~127通を佐川急便から発送。
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上村忠男さんよりE-mailで「季刊 未来」の「独学の思想」6の原稿「・狼・のオトシマエ」とどく。
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「現代詩手帖」1月号、読みはじめる。

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2019年1月10日 (木)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/10

『加藤尚武著作集第8巻 世代間倫理』の『教育の倫理学』の高橋さん作成の仮ゲラの通読+ファイル追加修正、つづける。「第5話 獣性抑制論の系譜」6ページ、「第6話 自閉症、アスペルガー症候群、母性剥奪」10ページ、「第7話 天才をつくる方法」6ページ、スミ。
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大橋政人エッセイ集の原稿整理。鈴木さん作成の仮ゲラ全ファイルを連結し、目次、扉なども追加。通読はあすぐらいから。
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「人文会ニュース」130号に目を通す。武庫川女子大学の川崎安子さんの図書館論がおもしろかった。会員社の研修旅行、グループ訪問の記録も読む。
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バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第九章のつづき~終り。
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ジャック・デリダ『哲学の余白 下』の「繋辞の代補――言語学の前にある哲学」のつづき~終り。e^treについての検討。
   *
「詩的現代」第二次27号、読みつぐ。~了。

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2019年1月 9日 (水)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/9

あすの支払いのための資金振替、「68期月別支払い表.xls」昨年12月末版の作成、買掛金・未払金の振替伝票、手形・小切手渡しの準備。e-Taxソフトで12月分の源泉徴収税の申告書を作成~納付、などを一気に片づける。
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『加藤尚武著作集第8巻 世代間倫理』の『教育の倫理学』の高橋さん作成の仮ゲラの通読+ファイル追加修正、再開。とりあえず「第4話 人間弱者論の系譜」5ページ、スミ。
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「詩的現代」第二次27号の茨木のり子特集の評論を拾い読む。その詩の説教調にたいしてかなり反発もあるようだ。

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2019年1月 8日 (火)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/8

『ヴァルター・ベンヤミン著作集8 シュルレアリスム』の「パリ書簡」、針生一郎の「解説」を読み、読了。ベンヤミンのフランスへの関心をシュルレアリスムに即して編集したもの。
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新保啓詩集『岬の向こうに』通読。「詩的現代」所属の新潟の詩人。スタイルはいたって古風な抒情詩で、風土に根ざした作風は安定感があるが、詩的工夫が足りないので、やや退屈か。
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バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第八章のつづき~第九章の途中。聖書はひとりの作者が連続的に書いたものであるという驚くべき説を立てているが、これは後世の研究では批判されているらしい。
   *
ジャック・デリダ『哲学の余白 下』の「繋辞の代補――言語学の前にある哲学」のつづき~。

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2019年1月 7日 (月)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/7

仕事始め。
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加藤尚武さんにtel。『加藤尚武著作集第5巻 ヘーゲル哲学の隠れた位相』の仮ゲラ校正はもうすこし手を加える必要ありとのことで、15日に受け取ることに。
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『ヴァルター・ベンヤミン著作集8 シュルレアリスム』の「フランスの作家たちの現在の社会的立場について」のつづき~終り。ヴァレリーとジッドは評価されるが、バンダには否定的だ。
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「兆」180号に目を通す。小松弘愛と林嗣夫を中心とする実力詩誌。
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バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) 読みはじめる。第八章のはじめ~。モーゼ五書はモーゼの手に成るものではなく、後生の誰かが書いたものであることの証明。
   *
ジャック・デリダ『哲学の余白 下』の「繋辞の代補――言語学の前にある哲学」のつづき~。

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2019年1月 6日 (日)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/6

『加藤尚武著作集第8巻 世代間倫理』の『教育の倫理学』の高橋さん作成の仮ゲラの印刷+通読+ファイル追加修正、つづける。「第3話 どういう教育の可能性があるのか」13ページ、スミ。
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バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 上』(岩波文庫) の第七章「聖書の解釈について」のつづき~終り。ローマ教皇のなかにも異端者・瀆神者がありえた、というスピノザの論法はすこぶる過激である。この本が戦争中の1944年に刊行されたことは、特高警察の目が節穴でしかなかったことを示すにしても、驚きだ。上巻、読了。

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2019年1月 5日 (土)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/5

『加藤尚武著作集第8巻 世代間倫理』の『教育の倫理学』の高橋さん作成の仮ゲラの印刷+通読+ファイル追加修正、はじめる。「プロローグ――現代教育観の枠を超えて」6ページ、「第1話 政治学としての教育学」7ページ、「第2話 儒教における政治と教育」5ページ、スミ。
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バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 上』(岩波文庫) の第七章「聖書の解釈について」のつづき~。
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「地上十センチ」20号、通読。和田まさ子個人誌。今回は井坂洋子がゲスト。
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『ヴァルター・ベンヤミン著作集8 シュルレアリスム』の「フランスの作家たちの現在の社会的立場について」のつづき~。
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「水の呪文」52号に目を通す。富沢智個人誌。現代詩資料館も20周年になるとのこと。鮎川信夫についての話をさせてもらったのは3年ほど前だったか。
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ジャック・デリダ『哲学の余白 下』の「繋辞の代補――言語学の前にある哲学」のつづき~。言語のカテゴリーと思考のカテゴリーをめぐるアリストテレスとバンヴェニストへの批判。

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2019年1月 4日 (金)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/4

『加藤尚武著作集第8巻 世代間倫理』の『子育ての倫理学――少年犯罪の深層から考える』の高橋さん作成の仮ゲラの通読+ファイル追加修正、つづける。「第12章 いじめから抜け出す方法――権利の倫理学」9ページ、「あとがき」2ページ、スミ。これで『子育ての倫理学』終了。
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バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 上』(岩波文庫) の第六章「奇蹟について」のつづき~第七章「聖書の解釈について」の途中。スピノザの聖書解釈は聖書至上主義かつ非合理否定の徹底と言っていいだろう。
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『ヴァルター・ベンヤミン著作集8 シュルレアリスム』の「フランスの作家たちの現在の社会的立場について」の途中まで読む。
《真の光栄は詩をみすてて、科学、哲学、アクロバット、慈善、社会学などに移った。今日、詩人はほかのことには役だたない、金をもらうことにしかむいていない。かれらはほとんどはたらかないし、大部分は(小唄作家たちやその他の数人をのぞけば)まったく才能がなく、したがって弁解の余地もまったくないからだ。中途半端に才能のある詩人になると、なおさら有害である。なぜなら、何ももらわず、何にも手がとどかないので、めいめい一連隊以上にさわぎたてるからだ。……こういう連中はみな、もう全然生存権をもたない。かれらにあたえられる賞金は、労働者、発明家、識者、哲学者、曲芸師、慈善家、社会学者などからかすめとられたものである。詩人は無条件で消滅しなければならない。》(87ページ、これはアポリネールがドイツ人化学者が書いたものとして引用したもの)
 この引用は考えさせる。いまにも十分通じることだからだ。
   *
「歴程」606/607号に目を通す。受賞詩人の作品特集をするほど受賞者が多いとは、これいかに。若い詩人の入会も多いようで、いかがなものかな。岡野絵里子「祝宴」のシニシズムがよかった。
   *
「発熱装置」40を書く。

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2019年1月 3日 (木)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/3

「現代詩手帖」2018年12月号、読了。
   *
『加藤尚武著作集第8巻 世代間倫理』の『子育ての倫理学――少年犯罪の深層から考える』の高橋さん作成の仮ゲラの通読+ファイル追加修正、つづける。「第10章 体罰の方法――父性の倫理学」11ページ、「第11章 少年法は役に立つか――更正の倫理学」7ページ、スミ。
   *
「Down Beat」13号に目を通す。金井雄二から送ってもらっているが、柴田千晶が発行人。柴田のエロい詩は独特のリアリティがある。
   *
『ヴァルター・ベンヤミン著作集8 シュルレアリスム』の「ポール・ヴァレリー」を読む。
《理念はどこでも「生活」や「現実」と遭遇しない。思想は音声以外の何ものとも無関係だ。それが純粋詩の精髄である。》(80ページ)
ベンヤミンはヴァレリーの反ユダヤ主義を知らなかったようだ。
   *
「PO」171号に目を通す。高橋玖未子のエッセイほか。彼女は小学校の先生だったんだ。
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バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 上』(岩波文庫) の第六章「奇蹟について」のつづき~。
《我々は断然かう結論する。聖書の中に実際の出来事として語られてゐるすべてのことは、凡そ生起する一切事と同様に、必然的に自然の法則に従つて生起したのである、と。そして若し自然の法則に矛盾すること或は自然の法則の結果でないことが不可疑的に証明されるやうな何事かが見出されるとしたら、それは涜神の徒に依つて聖書に附加されたものであることを我々は固く信ずべきである。何故なら自然に反することは理性に反し、理性に反することは不条理であり、従つてまた排斥されねばならぬのであるから。》(220ページ)
   *
ジャック・デリダ『哲学の余白 下』再読はじめる。未読分の「繋辞の代補――言語学の前にある哲学」のはじめ~。ニーチェの「哲学者の書」という文章に、隠喩をいっさいの言語作用といっさいの概念の構造とみなす、あるいはそれらの可能性の条件とみなす解釈があるそうだ。ちくま学芸文庫の『ニーチェ全集3 哲学者の書』があるので購入すること。初期の遺稿らしい。

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2019年1月 2日 (水)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/2

バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 上』(岩波文庫) の第六章「奇蹟について」のつづき~。
《我々は奇蹟に依っては神及び神の存在と摂理とを認識することが出来ぬ。むしろそれらは確乎に〔と〕して不可変的な自然の秩序から遙かによく結論され得る》(209ページ)
のであって、
《反自然的奇蹟並びに超自然的奇蹟は不条理以外の何物でもなく、従って聖書に於ける奇蹟は、人間の把握力を超越する或は超越すると思われる自然の業以外の何ものをも意味しないのである》(210ページ)
という結論が導かれる。
   *
『加藤尚武著作集第8巻 世代間倫理』の『子育ての倫理学――少年犯罪の深層から考える』の高橋さん作成の仮ゲラの通読+ファイル追加修正、つづける。「第9章 こころの教育は可能か――家庭で育てる倫理学」8ページ、スミ。
   *
『ヴァルター・ベンヤミン著作集8 シュルレアリスム』の「アンドレ・ジッドとの対話」を読む。
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「朝明」6号に目を通す。三田洋編集。三田の「高原ホテルの霧の歌」は鮎川信夫「繋船ホテルの朝の歌」をもじっていて、笑わせる。
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「現代詩手帖」2018年12月号、どうにか読めるものを読みつぐ。

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2019年1月 1日 (火)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/1

あけましておめどうございます。
このブログは2年目に入ります。閲覧してくださるひとも増えてきましたので、情報量をふやしたいと思っています。
ことしもどうぞよろしく。
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バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 上』(岩波文庫) の第五章のつづき~第六章「奇蹟について」の途中。
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『加藤尚武著作集第8巻 世代間倫理』の『子育ての倫理学――少年犯罪の深層から考える』の高橋さん作成の仮ゲラの通読+ファイル追加修正、つづける。「第8章 自律を目標とした子育て――『ダメ』と言わない倫理学」8ページ、スミ。
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『ヴァルター・ベンヤミン著作集8 シュルレアリスム』読みはじめる。とりあえず1929年に書かれた「シュルレアリスム」ほかを読む。ベンヤミンはこの段階ではやくもシュルレアリスムの本質が集団的な身体性にあり、イメージ空間のなかでその身体性が革命的爆発につながる可能性を使命とする、そのことを理解している唯一の存在である、と指摘している。
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「現代詩手帖」2018年12月号、読みつぐ。残念ながら読むべき論考が少ない。批評をできる詩人がほとんどいないという惨状をどうしたものか。

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