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2019年1月20日 (日)

思考のポイエーシス・日録篇2019/1/20

J· L· オースティンは『言語と行為』のなかでこんなことを言っている。
《問題の行為遂行的発言は、まさに_¨発言¨_であるが故に_¨すべての¨_発言を汚染する別種の災禍を_¨もまた¨_被ることになる。……この災禍という語で、私は、たとえば、次のようなことを考えているのである。すなわち、ある種の遂行的発言は、たとえば、舞台の上で役者によって語られたり、詩の中で用いられたり、独り言の中で述べられたりしたときに、_¨独得の仕方で¨_実質のないものとなったり、あるいは、無効なものとなったりするというような種類のことがらである。……発言はそれぞれの特殊な状況においては大きくその相貌を変化させるのである。そのような状況において言語は、独得な仕方で――すなわち、それとわかるような仕方で――まじめにではなく、しかし正常の用法に_¨寄生¨_する仕方で使用されている。この種の仕方は言語_¨褪化¨_(<I>etiolation</I> of the language)の理論というべきものの範囲の中で扱われるべき種類のものであろう。》(38ページ)
 まったく言語学者としてはひどいことを言っている。日常言語学派と呼ばれるだけあって、言語の通常的用法(と思われているもの)だけが言語学の対象であって、劇中言語や詩の言語はそれから逸脱した、まじめでないもの、「褪化」したもの、寄生的なものだと規定しているのである。デリダがこの部分をとりあげて、むしろそうした非日常的言語もまた言語学の対象であり、その非日常的ありかたこそが日常的言語を裏づけているのではないか、と批判するのは当然である。(詩的隠喩論1-2)
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バルーフ・デ・スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由 下』(岩波文庫) の第十六章のつづき~終り。最後にオランダと日本の条約の話が出てくる。
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『加藤尚武著作集第12巻 哲学史』の「『加藤尚武著作集第12巻_本文.txt」で『20世紀の思想――マルクスからデリダへ』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「プロローグ――思想の二十世紀」の途中~終り。
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『ニーチェ全集3 哲学者の書』(ちくま学芸文庫) 読みはじめる。「運命と歴史」「意志の自由と運命」読む。さらに「われわれの教養施設の将来について」のはじめまで。

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