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2018年8月 4日 (土)

思考のポイエーシス・日録篇2018/8/4

デイヴィド・ヒューム/大槻春彦訳『人性論(一) 第一篇 知性に就いて(上)』(岩波文庫) の「第三部 絶対的知識と蓋然的知識に就いて」の第十四節のはじめ~読む。
《若し我々が力能一般の何等かの観念を所持するとすれば、我々は、この力能の或る特殊な種類も同じく想うことができなければならない。ところで、力能は単独に存立できず、常に或るものの属性と、即ち或る存在の属性と、考えられる。従って、我々はこの力能を或る特殊なもののうちに置くことができなければならず、且つこの或るものを以て、某の結果を必然的に齎すように作用する真の力と勢力とを賦與されたものと想うことができなければならない。即ち、我々は原因結果間の結合を判明且つ事細かに想わなければならず、従って、因果の一方を只単に観ただけで、他方が随伴し或いは先行すると宣言できなければならない。これが、或る特殊な物体に即して或る特殊な力能を想う真の様式である。……私は次のように結論せざるを得ない。即ち、或る特殊な力能が或る特殊な事物に仮初めにも宿り得る模様を判明に想うことは断じて不可能である限り、力能の一般観念を何等か造ることができると想像するとき我々は思い違いをしている、と結論せざるを得ないのである。》(249-251ページ)
〈力能〉というものが観念にすぎず、すべてなんらかの物体に属するものとして考察されなければならない、ということ。ヒュームの経験主義の本領か。
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加藤尚武著作集第8巻の単行本未収録論文「子どもの存在論」の鈴木さん作成の仮ゲラ通読+ファイル追加修正、つづける。岩波本からカットされた分もふくむ。とりあえず、その部分はわかるように処置して残しておく。9節~10節まで22ページ分。これでこの論文もスミ。
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深井智朗『プロテスタンティズム――宗教改革から現代政治まで』(中公新書) の第6章のはじめ~。ルター派がナチの思想に反対しなかった事情の背景説明。
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Jacques Derrida: Marges de la philosophieのなかのla mythologie blanche: la me+'taphore dans le text phisophique(「白い神話――哲学テクストのなかの隠喩」)読みはじめる。Exergue(銘)の節のはじめ~。

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