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2018年1月

2018年1月31日 (水)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/31

天野さんからノルベルト・ボッビオ『ホッブズの哲学体系――「生命の安全」と「平和主義」』の仮ゲラをふくむ一式をデータとともに受取り。これも進行させることに。
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「現代詩手帖」2月号、読みはじめる。
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『世界の文学43/フォークナー』の「七 バーベナの匂い」一~二の途中。

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2018年1月30日 (火)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/30

加藤尚武著作第6巻収録予定の『倫理学で歴史を読む――21世紀が人類に問いかけるもの』の仮ゲラ通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第2章 自由主義の時代――その光と影」の9節~11節、10ページ、スミ。この章もスミ。リバータリアン=共和党、リベラル=民主党、という図式がおもしろい。リベラルはかなりバカにされているらしい。
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たかとう匡子『私の女性詩人ノートII』の伊藤比呂美論、平田俊子論、小池昌代論、あとがきを読んで読了。2冊合わせて26人の女性詩人が論じられていて、知り合いの詩人が何人もいて興味深く読めた。まじめな論集だ。
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「地上十センチ」17号、通読。和田まさ子個人誌。
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「冬に花を探し、夏に雪を探せ。」1号、通読。岡田幸文が始めた個人誌。「走都」再刊の影響かな?
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ジャック・デリダ/エドムント・フッサール『幾何学の起源』のデリダの「『幾何学の起源』序説」のIIIを読む。
《科学というものは絶対的な無時間的な諸価値に対する称号である。かような価値はいずれも一度発見されたとなると、それから先はずっと人類ならだれにでも彼の価値の宝庫に帰属することになり、そしてすぐにまごうかたなく、教養や知恵や世界観並びに世界観の哲学などの理念の実質的内容を決定するのである。》(フッサール『厳密な学としての哲学』からの引用)。
 これを受けてデリダは言う。
《科学的段階とは単に「_¨事実上後にくる意味¨_ではなくて、先行する意味の全体を新たな企てのなかへ組み入れることである。》(73ページ)
 科学の発見は無時間的な価値であり、後生へ影響するが、新しい企ては先行するすべての科学的価値を再編するということである。

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2018年1月29日 (月)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/29

加藤尚武著作第6巻収録予定の『倫理学で歴史を読む――21世紀が人類に問いかけるもの』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第2章 自由主義の時代――その光と影」の5~8節、10ページ、スミ。
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たかとう匡子『私の女性詩人ノートII』の倉田比羽子論、井坂洋子論を読む。
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ジャック・デリダ/エドムント・フッサール『幾何学の起源』のデリダの「『幾何学の起源』序説」のIIの途中~終り。
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『杉谷昭人詩集 全』で詩集『わが町』の途中~。

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2018年1月28日 (日)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/28

エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の「付録2 幾何学の起源について」の途中~終り。さらに木田元の解説も読んで、ようやくこの大著も読了。幾何学を歴史から超越した純粋普遍的な学とするのは尤もだが、そこと超越論的現象学との関係がよくわからない。つづけてこの論文についての長文の解説を書いた若きデリダの『幾何学の起源』を読むことにする。
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ジャック・デリダ/エドムント・フッサール『幾何学の起源』読みはじめる。まずは訳者あとがき。つづいてデリダの「『幾何学の起源』序説」のIIの途中まで。これは専門的すぎてむずかしい。
   *
『世界の文学43/フォークナー』の「六 サートリス農園の小競合い」の二~三。この章も終り。
   *
加藤尚武著作第6巻収録予定の『倫理学で歴史を読む――21世紀が人類に問いかけるもの』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第2章 自由主義の時代――その光と影」の2~4節、10ページ、スミ。不必要な改行が多いので、オリジナルにもとづいて改行を減らすことにし、これまでの分も修正。かなりすっきりする。
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『杉谷昭人詩集 全』で詩集『日之影』の途中~終り。さらに詩集『わが町』の途中まで。
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たかとう匡子『私の女性詩人ノートII』の山本道子論を読む。

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2018年1月27日 (土)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/27

きのう加藤尚武さんからE-mailで届いた「中央公論」連載の「倫理学講義」のテキストファイル12本をダウンロードしてファイル連結。WinLPrtで流し込んでみると88ページ分もあることがわかる。~加藤さんにE-mailで状況報告。他の単行本未収録論文を削除か他の巻への移動について検討してもらうよう依頼。
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たかとう匡子『私の女性詩人ノートII』石川逸子論の途中~宇多喜代子論を読む。
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加藤尚武著作第6巻収録予定の『倫理学で歴史を読む――21世紀が人類に問いかけるもの』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第1章 歴史の未来を予見することができるか」の9~10節、8ページ。第1章、スミ。つづけて「第2章 自由主義の時代――その光と影」の1節、4ページ、スミ。このファイルも修正が多いので手間どる。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第2部/chapitre I/la guerre de noms propres(固有名詞の闘い)のつづき~。名づけるという原-エクリチュールの第一の暴力の存在について。
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『世界の文学43/フォークナー』の「征服されざる人々」の「五 ヴァンデエ」の三~四、「六 サートリス農園の小競合い」の一。
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エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の「付録2 幾何学の起源について」の途中~。これについてはあらためてフッサール/デリダ『幾何学の起源』でデリダの解説付きで読み直す予定。
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第二次「走都」2号の詩「発熱装置」の読み直し。前回落とした「22」は今回、復活させることにする。さらに「34」のつづきを書く。
   *
『杉谷昭人詩集 全』未読分を読みはじめる。まずは略年譜、収録詩集自解――あとがきにかえて、を読む。詩集『日之影』も読みはじめる。

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2018年1月26日 (金)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/26

「図書」2月号に目を通す。ブレイディみかこ、ほか。金子文子が出会った詩とは誰のだろう。
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上村忠男『ヘテロトピアからのまなざし』の書店用新刊案内原稿を「つきもの原稿」のデータを流用して作成。天野さんに渡す。
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加藤尚武著作第6巻収録予定の『倫理学で歴史を読む――21世紀が人類に問いかけるもの』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第1章 歴史の未来を予見することができるか」の6~8節、12ページ、スミ。
   *
たかとう匡子『私の女性詩人ノートII』の久坂葉子論と石川逸子論の途中まで読む。

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2018年1月25日 (木)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/25

加藤尚武著作第6巻収録予定の『倫理学で歴史を読む――21世紀が人類に問いかけるもの』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第1章 歴史の未来を予見することができるか」の3~5節、8ページ、スミ。
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萩原印刷より上村忠男『ヘテロトピアからのまなざし』初校、出校。ほぼ予定通りで奥付までで453ページ。~引合せのチェック。目次の照合とノンブル入れ。~上村さんに仮ゲラ赤字とともに初校を送付。~広告ページ3ページ分を作成。前回のポイエーシス叢書『沖縄思想のラディックス』を流用。目次の初校戻しとともにあす入稿。
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Jacques Derrida: De la Grammatologie の第2部/chapitre I/la guerre de noms propres(固有名詞の闘い)のつづき~。レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』におけるナンビクワラ族の子どもたちとの接触のしかた(禁忌である固有名詞の聞き出し)がルソーの『散歩』におけるしかた(リンゴ売りの少女から取り巻きの少年たちのためにリンゴを買ってあげるささやかな悦び)が対比される。
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エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の「付録1 『危機』続稿のためのフィンクの構想」読む。さらに「付録2 幾何学の起源について」の途中まで。後者はデリダが論じた一冊があるが、未読のままになっている。
   *
「季刊 びーぐる 詩の海へ」38号(追悼 藤富保男)に目を通す。藤富さんとは家が近かったが、会う機会はなかったままだった。詩誌時評で松本秀文が「現代詩手帖」12月号の拙文「詩のことばはどこに根ざすのか」と第二次「走都」創刊号について触れてくれているのだが、ひとつ誤読しているところがある。「手帖」の拙文のなかで、
《通常のことはすでに誰かが書いているのだから、いまさらことあたらしく再説する必要も意味もないことが多い。》
という文意を
《このような言説自体を「通常のこと」と思ってしまう》
と。それでもかまわないが、わたしが言っているのは、詩論が詩論になっていなくて、すでに言い古されたことを書いているだけの詩論(批評)について言っているので、詩論すべてがそうだというわけではない。そうでないと、いまさら詩論なんて書いて意味があるのか、というニヒリズムに陥ってしまうのではなかろうか。もっとも松本は「詩と批評」を両輪とすべきだともきちんと主張しているので、真意がよくわからないままなのだが。

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2018年1月24日 (水)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/24

『ヘテロトピアからのまなざし』の装幀用キャッチコピーとネーム案を作成。~上村忠男さんにE-mailで「ご意見頂戴」の依頼。~のち、telあり。一部修正してOKに。キャッチコピーは
《思想史を中心に/欧米の最新の学問的成果を/精力的に紹介しつつ/自身も〈ヘテロトピア〉をキーワードに/新しい歴史学的方法論を構想してきた/著者の最新の批評論集。/ヴィーコに依拠しながら/ヘイドン・ホワイト、エドワード・サイード、/カルロ・ギンズブルグ、ジョルジョ・アガンベン、/G・C・スピヴァク、柄谷行人、マッシモ・カッチャーリ/などを縦横無尽に渉猟し、/同時に沖縄をめぐる諸問題など/現代日本の思想的課題を/徹底的に解明する上村思想史学の集大成。》
となる。~戸田事務所の濱浦さんにE-mailで送付。
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加藤尚武著作第6巻収録予定の『倫理学で歴史を読む――21世紀が人類に問いかけるもの』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第1章 歴史の未来を予見することができるか」の1~2、7ページ、スミ。
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第二次「走都」2号の「鮎川信夫と近代――鮎川信夫という方法(2)」の3節に若干の追加。追加分ファイルを本文と合体させる。83枚になっていたことがわかる。ほぼ23ページ。これでいよいよ完成か。
   *
エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第七十三節〈結語〉を読む。これであとは付録、など。
《哲学つまり学問はそのあらゆる形態においてより高い合理性への途上にあるのであり、それは、その不十分な相対性を繰り返し発見しつつ、真の完全な合理性にゆきつかんとする苦難、それを闘いとらんとする意志へと駆りたてられている合理性なのである。だが、この合理性はついには、そうした真の完全な合理性とは無限の彼方に存する理念であり、したがって事実上は必然的にそれへの途上にあるしかないのだということを発見するのだが、……》(379ページ)
 哲学の永遠性と無限性。また、デカルトは〈近代という歴史的時代の創建者〉(380ページ)とも。
   *
たかとう匡子『私の女性詩人ノートII』読みはじめる。石垣りん論、石牟礼道子論、森崎和江論まで読む。


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2018年1月23日 (火)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/23

加藤尚武著作第6巻収録予定の『現代倫理学入門』の本文テキストの仮ゲラ通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第15章 科学の発達に限界を定めることができるか」8ページ、「あとがき」2ページ、スミ。これでこの本も完了。全ページの仮ゲラ印刷160ページ分+注。つづけて同じ巻に収録予定の『倫理学で歴史を読む――21世紀が人類に問いかけるもの』の加藤マクロによるテキスト一括処理。大中小の見出しタグ付け処理。このタグを使ってGrepで目次の抽出。仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正+表記の一括修正をはじめる。まずは「プロローグ」4ページ、スミ。
   *
中原秀雪『モダニズムの遠景――現代詩のルーツを探る』の金子光晴論のIV~VII、補遺、年譜、あとがき、を読んで読了。論じられた丸山薫、春山行夫、金子光晴はいずれも愛知県にゆかりのある詩人。著者も(ついでに帯文の北川透も)愛知にかかわりがあり、名古屋モダニズム色が濃厚。これまであまり読んだことのない著者だったが、得るところのあった好著。
   *
『世界の文学43/フォークナー』の「征服されざる人々」の「四 第三の構えによる突返し【リポスト・イン・ターシオ】」の四~「五 ヴァンデエ」の一~二。
   *
第二次「走都」2号の鮎川信夫論の初校読み直し。タイトルを「鮎川信夫と近代――鮎川信夫という方法(2)」に変更。3節に若干の追加。これで23ページ弱に収まる見込み。

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2018年1月22日 (月)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/22

『ヘテロトピアからのまなざし』の著者略歴原稿を作成&印刷。奥付原稿も作成。ここまで入稿。広告ページは準備だけ。ページ数が台割りが確定してから入稿。
   *
法政大学出版局から宇京賴三さん訳のエンツォ・トラヴェルソ『左翼のメランコリー――隠された伝統の力 一九世紀~二一世紀』とどく。ダニエル・ベンサイドの『時ならぬマルクス――批判的冒険の偉大と逆境(十九―二十世紀)』がかなり引用されているようだが、邦訳書はいっさい言及しない方針のようだ。~宇京さんにお礼のE-mail。
   *
「Down Beat」11号に目を通す。金井雄二から送ってもらったが、いい詩人が揃っている。
   *
加藤尚武著作第6巻収録予定の『現代倫理学入門』の本文テキストの仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第13章 現在の人間には未来の人間にたいする義務があるか」10ページ。この章も終り。
   *
*萩原印刷より第二次「走都」2号の「鮎川信夫という方法(2)」初校出校。23ページ目に3行ほど入ったところ。追加予定分を入れてももうすこし書けそう。
   *
エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第七十二節を読む。これが実質的な最終節。
《これ以上にないほどに徹底した完全な超越論的判断停止によって獲得される絶対に先入見を去った立場に立つことによってはじめて、伝統的誘惑から実際に解放されることが可能になるのであり、ということは、人びとはそのときはじめて、人間や、志向的-内面的に結合した人間共同体や、彼らがそこで生きている世界が、それ自体そこに志向的に包みこまれている主観的なものの全体を所有し、われわれが以前に、与えられ方の〈いかに〉(Wie) とよんだものを、それとして見たり体系的に研究したりできるようになるのだ》(371ページ)
 要するに超越論的ということは先入見をもたないということだったわけだ。
《現象学的研究は、それが世界そのものの構成の歴史を、単に一つの新しい学問を付け加えることによって豊かにするというだけではなく、あらゆる点において世界の内容を豊かにするものであるかぎり、それ自体一つの世界史的過程なのである。》(同)
 こういう言い方はどこかへーゲル的だ。
   *
藤井晴美詩集『電波、異臭、工学の枝』通読。現代のモダニズム詩人か。脈絡はほとんどつかめないが、断片的な行にはおもしろいものが多い。不思議な読ませる詩人だ。
   *
中原秀雪『モダニズムの遠景――現代詩のルーツを探る』の春山行夫論のVIの途中~終り。さらに金子光晴論のI~III。

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2018年1月21日 (日)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/21

第二次「走都」2号のための鮎川信夫論「鮎川信夫という方法(2)」の「3 〈戦後詩〉と近代」の「3-4」の部分に新たな一節26行分と注2つを加筆修正。これを初校ゲラに追加する。

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『鮎川信夫全集II 評論I』で「意味への意志」再読。

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Jacques Derrida: De la Grammatologieの第2部/chapitre I/la guerre de noms propres(固有名詞の闘い)のつづき~。

   *

加藤尚武著作第6巻収録予定の『現代倫理学入門』の本文テキストの仮ゲラ通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第12章 貧しい人を助けるのは豊かな人の義務であるか」9ページ。この章も終り。

   *

『世界の文学43/フォークナー』の「征服されざる人々」の「四 第三の構えによる突返し【リポスト・イン・ターシオ】」の二~三。

   *

エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第七十一節を読む。自我と他者のそれぞれの自己移入の結果としての普遍的な共主観の地平の確認。その地平を志向性と名づけている。

   *

崔龍源詩集『遠い日の夢のかたちは』通読。韓国人の父と日本人の母をもつなかで現実のさまざまな苦闘を経て、生きることの苦渋にいたりついたようだ。生にむかうことばの真摯な姿勢だ。〈だれもまだ ほんとうには生きて/いない だれもまだほんとうには死んで……〉(「風が」)

   *

中原秀雪『モダニズムの遠景――現代詩のルーツを探る』の春山行夫論のV~VIの途中。春山評価をめぐって大岡信、吉本隆明の否定的批判を批判しているが、それはどうかな。

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2018年1月20日 (土)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/20

エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第六十八節~第七十節を読む。
《ここでわれわれが最初になさねばならぬことは、そこにおいて、またそれによって世界がわれわれにとってそのあるがままに――つまり、現実的および可能的経験の全体【ウニウェルスム】として――存在することになる意識生活を、人間の実在的な、つまりその物体性と同じような意味で実在的な一属性にしてしまうような素朴さ――つまり、〈世界の中にはさまざまな特性をもったいろいろな物があるが、それにまじって、自分自身の外にあるものを経験したり、理性的に認識したりするような物もあるのだ〉という図式に従って意識生活を考えるような素朴さ――を克服することである。》(330ページ)
 それにしてもフッサールにおける現象学と心理学の、判断中止と還元の方法の一致がよく理解できない。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第2部/chapitre I/la guerre de noms propres(固有名詞の闘い)のつづき~。
《固有名詞が或る体系のなかで削除されたときにエクリチュールが存在し、固有なもののこの抹殺が生じると、すなわち固有なものの出現と言語の最初の朝がくると「主体」が存在する。》(p. 159、拙訳)
   *
『世界の文学43/フォークナー』の「征服されざる人々」の「三 侵略」の三の途中~「四 第三の構えによる突返し【リポスト・イン・ターシオ】」の一。
   *
加藤尚武著作第6巻収録予定の『現代倫理学入門』の本文テキストの仮ゲラ通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第11章 他人に迷惑をかけなければ何をしてもよいか」の途中~終り8ページ。この章も終り。
   *
福田知子詩集『あけやらぬ みずのゆめ』通読。老いた両親の姿をみつめる視線は限りない愛に充ちていて、このひとの生き方を納得させる。愛猫や沖縄へのかかわりかたにもそれが仄見える。
   *
中原秀雪『モダニズムの遠景――現代詩のルーツを探る』の春山行夫論のIIIの途中~IV。春山の詩学が現代詩への分岐点となったことを指摘する。
《詩の基盤は、「情感」から「理知」に移り、「音韻」を離れて、「イメージ」の創造に力が注がれることになる。詩そのものは、「自然発生」ではなく、「意識化・方法化」され、「歌う行為」から「思考の美学」へと変貌するのである。》(91ページ)あるいはそうも言えるかもしれない。
   *
「発熱装置」34を書きはじめる。
   *
『鮎川信夫全集II 評論I』で「現代詩との出合い」を途中~終り、再読。《いくら、詩に関する認識が新しくなっても、なかなか感情の質をかえることができるものではない。多くのモダニストの躓きの石となったものはその知性と感情のアンバランスであった。モダニストといえでもけっきょくは土台となっている感情が古く、環境が閉鎖されると土着的な思想に敗北することになった。》(347ページ)これはモダニストの弱点をよくついている。

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2018年1月19日 (金)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/19

加藤尚武著作第6巻収録予定の『現代倫理学入門』の本文テキストの仮ゲラ通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第10章 正直者が損をすることはどうしたら防げるか」10ページ、スミ。つづけて「第11章 他人に迷惑をかけなければ何をしてもよいか」の途中まで7ページ分。
   *
冨上芳秀詩集『白豚の尻』ようやく読了。冨上の幻想の世界は基本的にエロスと暴力とナンセンスでできている。この類型化をあきることなく繰り返すエネルギーは不思議だ。
   *
中原秀雪『モダニズムの遠景――現代詩のルーツを探る』の春山行夫論のIIIの途中~。

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2018年1月18日 (木)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/18

『加藤尚武著作集第9巻 生命倫理学』見本できる。~加藤さんにtel、さっそく見本を持参。次回分の仮ゲラ受取りは2月1日までに。2日から九州大学の集中講義があるとのことで、それまでに。
   *
「孔雀船」91号に目を通す。望月苑巳編集誌。継続は力なり。
   *
加藤尚武著作第6巻収録予定の『現代倫理学入門』の本文テキストの仮ゲラ通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第9章 思いやりだけで道徳の原則ができるか」のつづき9ページ+注、スミ。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第2部/chapitre I/la guerre de noms propres(固有名詞の闘い)のはじめ~。レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』について。
   *
エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第六十五節~第六十七節を読む。
   *
冨上芳秀詩集『白豚の尻』を途中まで読む。このところ年始代わりにとどく詩集で、いつに変わらぬ散文詩をよくもまあ根気よく書きつづけている。この生産性はマネができない。
   *
中原秀雪『モダニズムの遠景――現代詩のルーツを探る』の春山行夫論のIIの途中~。
《絶えず「新しいもの」を渇望する彼〔春山〕の資質は、あらゆるものに食指が動き、未だ自分の詩のスタイルを持ち得ていないと言う見方も出来る。それは逆に、言葉への感覚や音韻に鋭敏で、言語的な吸収力や消化力が過剰なための不幸とも取れる》(60ページ)
 けっこう突き放して見ているところがいい。

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2018年1月17日 (水)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/17

上村忠男さんより『ヘテロトピアからのまなざし』の仮ゲラ初校もどる。~本文、注のファイル修正、スミ。注は追加が多いので再印刷。初出一覧の原稿も作成。あわせて転載許可願いを7社に送る準備(あす横山さんに送ってもらう)。~上村さんにtel。修正上の確認いくつか。索引は今回は不要。~萩原印刷・藤野さんにtel。あす朝イチで入稿。データはE-mailで送付。本文だけでもテキストで555KBもある。上村さんも早いけど、こちらも早い。~上村さんにも最終データを送付。略歴原稿もあわせて依頼。
   *
加藤尚武著作第6巻収録予定の『現代倫理学入門』の本文テキストの仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第9章 思いやりだけで道徳の原則ができるか」3ページ、スミ。
   *
エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第六十二節~第六十四節を読む。
《物理学の類似品としての「精密な」心理学というもの(したがって、実在性、方法、学問の二元論的平行論)は背理なのである。》(315ページ)
 これを聞いてようやく安心した。
   *
「現代詩手帖」1月号、読みつぐ。~了。ことしも現代詩は前途多難だな。
   *
中原秀雪『モダニズムの遠景――現代詩のルーツを探る』の春山行夫論のII~。

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2018年1月16日 (火)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/16

「UP」1月号に目を通す。
   *
加藤尚武著作第6巻収録予定の『現代倫理学入門』の本文テキストの仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第8章 正義の原理は純粋な形式できまるのか、共同の利益できまるのか」8ページ、スミ。これも追加修正がかなり多い。
   *
萩原印刷・藤野さん、来社。第二次「走都」2号の鮎川信夫論の入稿。E-mailで原稿を送付。
   *
「現代詩手帖」1月号、読みつぐ。
   *
中原秀雪『モダニズムの遠景――現代詩のルーツを探る』の春山行夫論のIまで。

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2018年1月15日 (月)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/15

井崎外枝子詩集『出会わねばならなかった、ただひとりの人』通読。タイトルにもある通り、夫を亡くした自失の心境を書いたもの。ちょっとレアかな。
   *
紀伊國屋書店学術情報販売促進本部書籍営業部の一戸さんよりE-mailで「人文会ニュース」128号に書いた「考えるとはどういうことか――加藤尚武著作集刊行の意義」の修正版アップの連絡。~確認。提案した修正はほぼ実現。~一戸さんに返信E-mailで確認した、と返事。
   *
加藤尚武著作第6巻収録予定の『現代倫理学入門』の本文テキストの仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第6章 判断能力の判断は誰がするか」10ページ、つづけて「第7章 〈……である〉から〈……べきである〉を導き出すことはできないか」11ページ、スミ。いずれも追加修正がかなり多い。
   *
第二次「走都」2号のための鮎川信夫論「鮎川信夫という方法(2)」の「3 〈戦後詩〉と近代」をLightWayTextの「走都」評論形式(28字×25行×2段)に流し込み、全文の読み直しと新たな加筆修正。これで入校用原稿完成。22ページに収まりそう。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第2部/chapitre I/la violence de la lettre: de Le+'vi-Strauss a` Rousseauのつづき~終り。ルソーがヴィーコの隠喩的言語論を『言語起源論』に取り込んだのはどうやらほんとうらしい。カッシーラーもそう断言しているとのこと。
   *
中原秀雪『モダニズムの遠景――現代詩のルーツを探る』読みはじめる。なぜか丸山薫を読む。
   *
「現代詩手帖」1月号、読みつぐ。掲載された詩人は年齢順に並んでいるようだ。その半分以上が60代以上とは驚くべきか。
   *
エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第五十九節~第六十一節を読む。心理学がなぜ役立たなかったか。

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2018年1月14日 (日)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/14

「ミて」141号に目を通す。新井高子編著『東北おんば訳 石川啄木のうた』増刷のお知らせが掲載されている。
   *
エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第五十七節~第五十八節を読む。
《あらゆる学的伝統および学問以前の伝統から徹底的に解放されることによって得られる真の端緒には、カントは達しなかった。彼は、すべての存在者を意味と妥当とに関して構成する絶対的主観性と、この主観性をその必当然性において捉え、問いかけ、必当然的に解釈する方法にまでは肉薄しなかったのである。》(281ページ)
 このカント批判はともかく、フッサールの《「真の決断の場」》という「真の心理学」への過剰な思い入れには疑問が残る。
   *
十田撓子詩集『銘度利加』通読。銘度利加とはハリストス正教の受洗者名簿(メトリカ)のことらしい。出身地、秋田の奥深い大湯というところは戊申戦争で冷や飯を食わされた旧南部藩士がひそかに住んだところらしい。詩を読むだけではわかりにくいが、黒ミサ的な雰囲気の暗い情念がこもっている。第一詩集。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第2部/chapitre I/ la violence de la lettre: de Le+'vi-Strauss a` Rousseauのつづき~。レヴィ=ストロースのルソー評価をデリダは支持する。ルソーの『言語起源論』からの引用があるが、確認のためルソーの本から引く。
《人間にものを言わせた最初の動機が情念であったとすれば、その最初の表現は「譬【たとえ】」であった。比喩的な言い方が最初に生まれたのであり、語の固有の意味は最後に見出された。事物をありのままの形で見るときが来るまで、人はそれを本当の名称で呼ぶことはなかった。はじめ人は詩でしか語らず、ずっとのちになってようやく理性を働かせるようになったのである。》(白水社ルソー選集6『人間不平等起源論/言語起源論』145ページ)
 これはヴィーコの言語論と似ている。
   *
加藤尚武著作第6巻収録予定の『現代倫理学入門』の本文テキストの仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第5章 どうすれば幸福の計算ができるか」13ページ分。追加修正がかなり多い。この章もスミ。
   *
「現代詩手帖」1月号、読みはじめる。

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思考のポイエーシス・日録篇2018/1/13

上村忠男さんにtel。これから家へ行くことに。~2時すぎに上村家へ。『ヘテロトピアからのまなざし』の仮ゲラの残りを渡す。校正の戻しは20日をメドに。久しぶりのMacにLightWayTextをインストールと執筆用の書式設定など。途中でいろいろ手間取るが、なんとかうまくいく。夕食をしながらいろいろな話。
   *
たかとう匡子『私の女性詩人ノート』の富岡多惠子論の途中~終り。さらに新井豊美論、あとがきを読む。読了。女性の弱さをやや過剰に述べるところがあるが、詩史的に見るとそうでも、本質的にはそんなことは考えなくてもいいのではないか、と思うところがあった。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第2部/chapitre I/ la violence de la lettre: de Le+'vi-Strauss a` Rousseauのつづき~。
   *
エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第五十五節~第五十六節を読む。
《技術は学ではない。現実に、さらにその究極の意味において理解されているものの知を、究極的な意味の源泉の解明を通じて獲得することこそが、学の根源であり、学の決して放棄されるべきでない志向なのである。根本的に無前提であり、究極的に基礎づけられている学ないし哲学とは、この知の別名にすぎない。》(277ページ)
 無前提的で、かつ究極的に基礎づけられたものとしての学ないし哲学!
   *
根津真介詩集『枝葉末節』通読。身辺のいろいろなものに呼びかけたり、便器になって尻を観察してみたり、忙しい。ときにユーモアたっぷり、ときに老いの悲哀をこめて、元気な老人の詩だ。

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2018年1月12日 (金)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/12

以倉絋平選詩集『駅に着くとサーラの木があった』読了。以倉の詩は余韻が残る抒情性豊かなものが多い。再読だが、ガダルカナル島で戦死した叔父が残した爆撃中でのアリたちの「戦争」を書いた「遊戯」、敗戦直後にできた食べ物屋の記憶を共有する家族がいなくなった悲しみをうたった「おたふくてい」などが心に沁みる。
   *
萩原印刷より『加藤尚武著作集第9巻 生命倫理学』の一部抜き、とどく。白焼きのチェック、一部抜きセットを造る。これで2冊目も終わる。
   *
上村忠男『ヘテロトピアからのまなざし』の原稿通読+テキスト処理+ファイル修正、つづける。「IV」部の「柄谷行人をめぐる断想」13ページ、「民族衣装を着なかったアイヌ」4ページ、「『サークル村』再訪」4ページ、「怨歌の誕生」4ページ、「内村剛介のラーゲリ体験」7ページ、「棄郷を生きる」4ページ、「『有限性の近代』を生き抜くための処方箋――加藤典洋『人類が永遠に続くのではないとしたら』を読む」7ページ、「『叛史』のこころみ」4ページ、「流砂のなかで」4ページ、「『声ノマ』――吉増剛造の現在」11ページ、「チリの闘い」4ページ、「恋のハレルヤ」4ページ、「中動態の世界」4ページ、「歴史の地震計」4ページ。これで「IV」も終り。さらに「ビブリオグラフィティ」31ページ、あとがき1ページ。これですべて終了。すでに上村忠男さんに送ってある分以降の380ページ分と注を印刷。
   *
たかとう匡子『私の女性詩人ノート』の吉原幸子論、多田智満子論を読む。さらに富岡多惠子論の途中まで。

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2018年1月11日 (木)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/11

紀伊國屋書店学術情報販売促進本部書籍営業部の一戸さんよりE-mail(きのう)で「人文会ニュース」128号に書いた「考えるとはどういうことか――加藤尚武著作集刊行の意義」をWebに掲載する予定とのことで確認の依頼。~ダウンロードしてPDFを確認。細かい修正案をつけて一戸さんにE-mailで返事。

   *

上村忠男『ヘテロトピアからのまなざし』の原稿通読+テキスト処理+ファイル修正、つづける。「III」の「イメージが歴史と詩的に交わる場――東松照明『太陽の鉛筆』をめぐって」10ページ、「追悼・中平卓馬」7ページ、「テロルの伝説、あるいは桐山襲『聖なる夜 聖なる穴』をめぐって」4ページ。これで「III」の部、終了。つづけて「IV」部の「介護民俗学への挑戦」4ページ、「関係の絶対性」4ページ、「能面以前」4ページ、「子供が子供であったとき」4ページ。

   *

たかとう匡子『私の女性詩人ノート』の白石かずこ論を読む。

   *

エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第五十四節を読む。

《判断中止は独得な哲学的孤独をつくり出すが、これは真に徹底した哲学にとっての方法的要求なのである。》(264ページ)

   *

以倉絋平選詩集『駅に着くとサーラの木があった』読みつぐ。

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2018年1月10日 (水)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/10

「春秋」1月号の信田さよ子の連載を読む。妻の側からの夫の問題がよくわかる。
   *
たかとう匡子『私の女性詩人ノート』の牟礼慶子論を読む。「荒地」の紅一点としての存在も戦争体験の不在において遅れをとったとする視点から戦後初期の女性詩の困難を指摘する。
   *
上村忠男『ヘテロトピアからのまなざし』の原稿通読+テキスト処理+ファイル修正、つづける。「III」の「グラフト国家」4ページ、「転生しつつ交差する〈眼差しの政治〉――沖縄写真家シリーズ『琉球烈像』(未來社)全九巻完結によせて」5ページ、「標的の村」4ページ、「川満信一さんへ――「琉球共和社会憲法C私(試)案」をめぐって」(元の入稿用原稿と秀丸の「他の秀丸エディタとの内容比較」コマンドを使って処理)20ページ、「困民主義革命」4ページ、「『琉球民族独立』論の陥穽」4ページ、「『越境広場』」4ページ、スミ。
   *
以倉絋平選詩集『駅に着くとサーラの木があった』読みはじめる。さすがにいい詩がセレクトされていて再読に耐えるが、とりわけシュペルヴィエルの詩を引用した「馬」がすばらしい。源平合戦のさいに平知盛を救った馬がやむなく岸へ返される。主との別れを惜しんで振り返る馬の見たものは何か。
〈この馬は、ふりかえっていったい何を見たというのだろう。十代の頃、私はこの馬のいななきに、人間と馬の親密な絆を思って涙した。二十代で、厳然たる運命の支配に対する澄明な悲しみを見た。三十代で、王朝世界の滅亡の挽歌を聞いた。そして、四十代になって私は確信するに至った。人間の愚かしい営みなど、あの澄んだ馬の瞳は何も映していなかったのだと。〉
   *
第二次「走都」2号のための鮎川信夫論「鮎川信夫という方法(2)」の「3 〈戦後詩〉と近代」の「3-5」、「3-6」の読み直しと新たに加筆修正。とりあえず完成。82枚になる。これだと23ページになりそう。

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2018年1月 9日 (火)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/9

たかとう匡子『私の女性詩人ノート』の新川和江論を読む。→「思考のポイエーシス・日録篇」。
   *
休み中に仮ゲラ作成まで進めた加藤尚武著作集第12巻収録予定のの単行本未収録論文「技術と権利」の仮ゲラ印刷12ページ、同13巻の「形とエロティシズム」15ページ。つづけて第6巻収録予定の『現代倫理学入門』の本文テキストの仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第4章 エゴイズムにもとづく行為はすべて道徳に反するか」9ページ分。追加修正がかなり多い。この章もスミ。
   *
上村忠男さんにtel。『ヘテロトピアからのまなざし』の進行状況を伝え、もうすこし時間がかかる見込みを伝える。LightWayTextの件で家まで行くのは仮ゲラを渡すときにしたいとも。文献注の記載は出版社のあとに発行年が正しいらしいので、直すことに。
   *
「水の呪文」49号、通読。「アリゼ」182号に目を通す。

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2018年1月 8日 (月)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/8

たかとう匡子『私の女性詩人ノート』の茨木のり子論を読む。
   *
エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第五十一節~第五十二節、読む。
《この新たにはじめられた現象学的-超越論的徹底主義の哲学の本質的特徴は、……客観的哲学とはちがって、自明性の基盤をあらかじめ用意しておくことなく、そのたぐいの(異なってはいるにしても)意味の基盤を原理的に排除する、という点にある。したがってこの哲学は、さしあたっては基盤なしに出発しなければならない。……この哲学の最初の一歩は、……素朴な明証性の中で経験し思考する歩みなのである。この哲学は、すでにつくられてあるようないかなる論理も方法論もあrかじめもってはならず、その方法、またその作業の真の意味をさえも、つねに新たな自己省察を通じてしか獲得しえないのである。》(259-260ページ)
   *
『世界の文学43/フォークナー』の「征服されざる人々」の「三 侵略」の二の途中~終り。
   *
『鮎川信夫全集II 評論I』で「現代詩との出合い」を途中まで再読。《(「詩と詩論」を見つけて以来)詩も評論も、難かしくてよく分らなかったが、私は萩原朔太郎をやめて、たちまちこちらに転向してしまったのである。以来、私は本質的にはモダニストである、――と自分では思っている。》(339ページ)

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2018年1月 7日 (日)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/7

加藤尚武著作集第6巻収録予定の『現代倫理学入門』の本文テキストの仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第3章 一〇人のエイズ患者にたいして特効薬がひとり分しかないとき、誰に渡すか」8ページ分。この章もスミ。
   *
上村忠男『ヘテロトピアからのまなざし』の原稿通読+テキスト処理+ファイル修正、つづける。「II」の「関係の彼方へ」4ページ、「カテコーン再考」19ページ、スミ。これで「II」部も終り。
   *
劉暁波詩集[田島安江・馬麗編・訳]『牢屋の鼠』読了。妻の劉霞への恋唄でもあり、獄中の苦しみの訴えであり、妻への励ましの詩が延々とつづく。
〈愛する人よ/僕の妻よ/この世の中に/すべての卑劣きわまる人々の中で/君はなぜか/ただ僕だけを選び堪え忍ぶ〉(「貪欲の囚人――奪い取られる妻へ」)
 反体制リーダーでノーベル平和賞作家のものとしてはややセンチメンタルなのが気になるが、これも中国政府の非人道的な監禁という事情からもいたしかたないか。結局その後、必要な治療もさせず病死させられたわけだ。
   *
エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第四十八節~第五十節、読む。デカルト的に「自我【エゴ】―意識作用【コギト】―意識対象【コギタトゥム】」という設定からはじまる。
   *
第二次「走都」2号のための鮎川信夫論「鮎川信夫という方法(2)」の「3 〈戦後詩〉と近代」の「3-5」、つづけて「3-6」の前置き部分の読み直しと若干の加筆修正のあと。「3-6」のつづき。鮎川の「戦争責任論の去就」を中心に論じる。とりあえずこの章の結論部分まで書き終わる。15枚ちょっと+注。これで注も入れて合計77枚ちょっとになる。もうすこし加筆する必要もあるが、やや長すぎたか。

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2018年1月 6日 (土)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/6

加藤尚武著作集第6巻収録予定の『現代倫理学入門』の本文テキストの仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第2章 一〇人の命を救うためにひとりの人を殺すことは許されるか」6ページ分、スミ。
   *
たかとう匡子『私の女性詩人ノート』永瀬清子論を読む。
   *
上村忠男『ヘテロトピアからのまなざし』の原稿通読+テキスト処理+ファイル修正、つづける。「II」の「アガンベンと『ティックーン』」7ページ、「所有することなき使用――アガンベンの『いと高き貧しさ』をめぐって」19ページ、スミ。
   *
エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第四十四節~第四十七節、読む。
《各人は、それぞれ自分の知覚や自分の現前化作用、自分の調和性をもち、また自分の確信がその価値を失って、単なる可能性とか、疑わしさとか、問いとか、仮象とかへと変わってゆくということを経験する。しかし_¨他人とともに生きる¨_(Miteinanderleben)ことによって、だれでもが他人の生にあずかることができる。こうして一般に世界は、個別化された人間にとってのみ存在するのではなく、人間共同体にとって存在するのであり、しかも端的に知覚可能なものを共同化することによって存在するのである。》(231ページ)
 各人の存在感覚が他者と共同化することによって世界が存在することになる、ということか。
   *
劉暁波詩集[田島安江・馬麗編・訳]『牢屋の鼠』読みはじめる。このノーベル平和賞詩人の詩集は以前、訳者でもある田島安江さんの書肆侃々房から送ってもらったもの。
〈夜半に僕は自らの血で/秘めた一つの言葉を書く/覚えておいてくれ/一つひとつの文字を/そのすべてが最後の文字と思って〉(「一通の手紙で十分だ――霞へ」)
――妻への獄中からのメッセージ。
〈どんなに偉大な著作でも/射精時の興奮には換えられない〉(「太史公の遺志――劉霞へ」)
――去勢されて官吏に昇進した司馬遷への批判。
   *
第二次「走都」2号のための鮎川信夫論「鮎川信夫という方法(2)」の「3 〈戦後詩〉と近代」の「3-5」の読み直しとさらなる若干の加筆修正。つづけて「3-6」の前置き部分を6枚ちょっと書く。つづきはあす。

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2018年1月 5日 (金)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/5

きのうから読みはじめた佐川亜紀詩集『さんざめく種』読了。政治的メッセージの濃い詩集で、ときに理詰めになりすぎるが、女性ならではの感性の柔らかさもみせる。
〈放射性物質の針千本が突き刺さる/人に/山にも 海にも 子供にも/約束を破った大人/生命の約束を/国の約束を/これ以上 破ってはなりません/その言葉は/もっと遠くから来たのです/もっと広く集めたのです/ずっと昔から渡されたのです/ずっと未来から届いたのです/私達の中から生れたのです/私達の祈りを記したのです〉(「約束」)
真摯な詩人だ。
   *
上村忠男『ヘテロトピアからのまなざし』の原稿通読+テキスト処理+ファイル修正、つづける。「II」の「ソレルとマルクス主義」の4節~9節+注。元の原稿と秀丸の「他の秀丸エディタとの内容比較」コマンドを使って処理。37ページ分。この論文もスミ。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第2部のchapitre I/ la violence de la lettre: de Le+'vi-Strauss a` Rousseauのつづき~。
   *
『世界の文学43/フォークナー』の「征服されざる人々」の「三 侵略」の一~二の途中。
   *
エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第三十九節~第四十三節を読む。生活世界の研究のためには
《_¨全面的な¨_態度変更が、すなわち_¨まったく他に類のない普遍的な判断中止¨_が必要となる。》(208ページ)
 この方法をとることによって
《わたしは、世界を_¨超えている¨_のであり、世界は、いまやわたしにとっては、まったく特殊な意味で_¨現象¨_となっているのである。》(214ページ)
 これを〈超越論的還元〉と呼ぶ、と。
   *
第二次「走都」2号のための鮎川信夫論「鮎川信夫という方法(2)」の「3 〈戦後詩〉と近代」の「3-5」の読み直しと2枚弱の加筆修正。
   *
『鮎川信夫全集IV 評論III』で「戦争責任論の去就」再読。これは鮎川信夫論ではどうしても論じなければならない論文であることを再確認。

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2018年1月 4日 (木)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/4

たかとう匡子『私の女性詩人ノート』の林芙美子論を読む。『蒼馬を見たり』『放浪記』をそのうち読んでみよう。
   *
『世界の文学43/フォークナー』の「征服されざる人々」の「二 退却」の二の途中~終り。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第2部のchapitre I/ la violence de la lettre: de Le+'vi-Strauss a` Rousseauのはじめ~。
《ひとつのテクストは<I>諸根元(racines)のシステム</I>でしかないと言うこと、それはシステムの概念と同時に根元の図式とおそらく矛盾する。しかし、この矛盾が純粋な見かけではないためには、けっして終わることなくまだ名づけられてもいない諸根元のシステムの内部で把握された有限の図表(configuration)――形而上学の歴史――のなかで思考されるかぎりにおいて、この矛盾が矛盾することの意味をもち、その非論理性を受け取るのである。》(p. 150、拙訳)
つまり形而上学の歴史の内破としてのテクストの存在、ということか。
   *
加藤尚武著作集第6巻収録予定の『現代倫理学入門』の本文テキストの仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正+表記の一括修正をつづける。「第1章 人を助けるために嘘をつくことは許されるか」7ページ分、スミ。けっこう細かい修正がある。小見出しを追加。注のデータも「『現代倫理学入門』_傍注.txt」として分別。第2章以下の章タイトル、小見出しのタグ付けまですべて終わらせる。
   *
エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第三十八節を読む。ここで「独特な新しい学の創造」が提起される。すなわち、
《この学は、いままで企てられてきたすべての客観的科学、すなわち世界の基盤の上に立つ学に対して、世界があらかじめ与えられているその普遍的な与えられ方を問う学であり、したがってそれは、それぞれの客観性に対して、普遍的な基盤としての存在を形づくっているものについての学なのである。》(205ページ)

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2018年1月 3日 (水)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/3

たかとう匡子『私の女性詩人ノート』の藤田文江論を読む。未知のモダニズム詩人だが、鹿児島の地で過激に生き、早世。
   *
加藤尚武著作集第6巻収録予定の『現代倫理学入門』の本文テキストの仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正+表記の一括修正をはじめる。とりあえず「まえがき」5ページ、スミ。
   *
中村純詩集『女たちへ Dear Women』通読。未知の詩人だが、被差別の苦労のすえにフェミニストになった、反戦平和などへのメッセージ性の強い詩集。
〈あなたは わたしが産んだ 赤ちゃんです/兵士は だれかが産んだ 赤ちゃんです/ころされるのは だれかが産んだ 赤ちゃんです/陽の光に驚き 目をみはった 赤ちゃんです〉(「小さな手」末尾)
 女性らしい腰の据わった思想はゆるぎがない。
   *
上村忠男『ヘテロトピアからのまなざし』の原稿通読+テキスト処理+ファイル修正、つづける。「II」の「ソレルとマルクス主義」の1節~3節+注。13ページ分。これも元の原稿と秀丸の「他の秀丸エディタとの内容比較」コマンドを使って処理。
   *
エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第三十五節~三十七節を読む。客観的・論理的アプリオリは生活世界的アプリオリによって基礎づけられている。あたりまえだが、フッサールによれば、この問題意識は以前には認識されていなかったとのこと。
   *
北川透さんより恒例の「謹賀新年」E-mailで「西日本新聞」元旦号の詩とエッセイとどく。 〈これまで生きてきた年数よりも/これから生きられる わずかな年月を/想うようになった/自分から働きかけるよりも/誰かから声をかけられるのを/待つようになった〉 なんて詩を書いている。北川さんもことしで83歳、そんなものかな。
   *
『世界の文学43/フォークナー』の「征服されざる人々」の「二 退却」の一~二の途中。
   *
第二次「走都」2号のための鮎川信夫論「鮎川信夫という方法(2)」の「3 〈戦後詩〉と近代」の「3-4」を読み直しとさらなる加筆修正。「3-5」で詩「アメリカ」論をひととおり書く。11枚半ちょっと。これで注をいれて52枚弱となる。

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2018年1月 2日 (火)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/2

たかとう匡子『私の女性詩人ノート』の江間章子論を読む。むかし一度ある小さな会で会ったことがあり、ほんのひとこと、ことばを交わした記憶がある。名前は知っていたが、モダニズムの時代のことは知らなかった。左川ちかと親交があったんだ。
   *
上村忠男『ヘテロトピアからのまなざし』の原稿通読+テキスト処理+ファイル修正、つづける。「II」の「アントニオ・ラブリオーラと『不実な』弟子たち――イタリア版『マルクス主義の危機』論争(一八九五―一九〇〇)」の6節~10節。19ページ分。元の原稿と秀丸の「他の秀丸エディタとの内容比較」コマンドを使って処理をしたので、時間がかかったが、この論文もスミ。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第2部のintroduction a` l'<<e+'poque de Rousseau>>のつづき~終り。レヴィ=ストロースを参照しながらルソーを読解する方法論が述べられる。
   *
『世界の文学43/フォークナー』の「征服されざる人々」の「一 待伏せ」の三~五。
   *
エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第三十四節「生活世界についての学という問題の提示」を読む。ここでは生活世界と客観的諸科学の対比と本質的結合が論じられている。
《具体的な生活世界は、「学的に真の」世界に対してはそれを基礎づける基盤であるが、それと同時に、生活世界独自の普遍的具体相においては学を包括するものである。》(183ページ)
   *
加藤尚武著作集第6巻収録予定の『現代倫理学入門』の本文テキストを加藤尚武マクロによるテキスト一括処理。6巻全体の前付け部分(扉、総目次、凡例、など)を作成。つづけてこの本の目次を作成。元データがOCRなのであとは仮ゲラ印刷+通読しながらファイル修正をしていくことになる。

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2018年1月 1日 (月)

思考のポイエーシス・日録篇2018/1/1

あけましておめでとうございます。

本年よりこれまでの「読み書き日録」を改め、「思考のポイエーシス・日録篇」と変更しました。これまでの読書記録、執筆記録のほか、個人的発言や感想などを発信します。これにともない、個人のTweetは廃止し、こちらに統合することになりました。

今後ともよろしくお願いします。

   * * *
ことしもデッキから初日の出が見られました。なぜか山の元日は快晴が多い。
   *
エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第三部「超越論的問題の解明とそれに関連する心理学の機能」の第三十二節~第三十三節。ヘルムホルツの比喩=《平面に生きるものは、彼らの平面の世界が、それの投影にすぎないような奥行の次元についてはまったく知らない》(167ページ)が紹介される。。フッサールによれば、カントの超越論的哲学以前の学は平面的生の学であった。このたとえは平面(表層)しか考えない凡人と、物事を立体的に考えることのできる智者との差とすれば、どこにでもある認識力の差の問題だ。ここから生活世界が問題の対象となる。
   *
ヘルムホルツの比喩で言えば、詩的言語における隠喩と換喩のレベルもそれに近い。換喩は平面のなかでの全体と部分の関係、あらかじめ存在するものの言い換えのレベルであり、隠喩はそれを超えて発見のレベルにあるからだ。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie のDeuxie`me Partie: Nature, Culture, E+'critureのintroduction a` l'<<e+'poque de Rousseau>>のはじめ~。ルソーの作品をまずはプラトンの『パイドロス』とヘーゲルの『エンチクロペディー』のあいだに設定する。
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『世界の文学43/フォークナー』の「征服されざる人々」読みはじめる。「一 待伏せ」の一~二。南北戦争の南軍の将軍家の話。
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『鮎川信夫全集II 評論I』で「戦後詩の拠点」再読。鮎川信夫詩論集(1964年)に掲載されたもの。
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第二次「走都」2号のための鮎川信夫論「鮎川信夫という方法(2)」の「3 〈戦後詩〉と近代」の「3-3」に加筆。この論の最後は「戦争責任論の去就」を論じる必要あり。5節に「アメリカ」を論じ、その次に予定。
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上村忠男『ヘテロトピアからのまなざし』の原稿通読+テキスト処理+ファイル修正、つづける。「II」の「アントニオ・ラブリオーラと『不実な』弟子たち――イタリア版『マルクス主義の危機』論争(一八九五―一九〇〇)」の以前の『イタリア版「マルクス主義の危機」論争――ラブリオーラ、クローチェ、ジェンティーレ、ソレル』のデータが流用できそう。~上村さんにtel入れ。原則的に本になったものは修正はしていないが最初の原稿の可能性があるので、こちらの入校用データのほうがむしろいいとのことがわかる。すでに送りずみの仮ゲラの修正案★の部分の確認も先行してもらうことに。「季刊 未来」連載のPDF化の件も了解。リストを送ってくれれば「季刊 未来」そのものを送ることに。~一節~五節、20ページ分、スミ。
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たかとう匡子『私の女性詩人ノート』読みはじめる。女性詩の不遇について。たとえば敗戦直後の女性の戦いが不問に付されていることへの問題設定。意外な発見がありそうな本だ。与謝野晶子論、左川ちか論を読む。

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