読書日録

2017年10月20日 (金)

読み書き日録2017/10/20

加藤尚武著作集第3巻収録予定の単行本未収録論文「絶対的な理念」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理。長いのとイレギュラーな箇所が多いので仮ゲラ印刷をしながら通読+ファイル修正6ページ分、スミ。
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高見沢隆詩集『ネオ・リリシズム宣言』通読。思弁的な傾向の強い詩だ。〈ただ漠然とした水のようなものがあるから/漠然とした私が存在する〉(「漠然とした水」)といった具合だ。ネオ・リリシズムとはよく言ったものだ。

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2017年10月19日 (木)

読み書き日録2017/10/19

加藤尚武著作集第3巻収録予定の単行本未収録論文「歴史哲学の過去・現在・未来――進歩から定常化への世界像の転換」の仮ゲラ通読+ファイル修正つづける。三節~五節まで14ページ分。この論文もスミ。修正仮ゲラを印刷25ページ。
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アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) 第一巻第四章「議会弁論」、第五章「幸福」読む。
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中堂けいこ詩集『ニューシーズンズ』通読。未知の詩人。詩歴はあるようだが、ことばの出どころがよく読み取れない。奇想がひとつの持ち味か。


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2017年10月18日 (水)

読み書き日録2017/10/18

谷合吉重詩集『姉【シーコ】の海』通読。なかば自伝的な長篇詩。不幸な死をとげた姉を悼むとともに、東京と難波田という故郷(といっても東京近郊らしい)の往還を織りまぜながら微妙な屈託を展開する。カタカナまじり表記に独特のものがあり、その意図は不明。
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加藤尚武著作集第3巻収録予定の単行本未収録論文「歴史哲学の過去・現在・未来――進歩から定常化への世界像の転換」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理~仮ゲラ印刷25ページ分+通読+ファイル修正。一節~二節まで11ページ分、スミ。
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「イリプスIInd」23号に目を通す。今回は散文にあまり読むべきものがなかった。
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春秋社・吉岡さんからE-mailで届いていた「人文会ニュース」128号の「考えるとはどういうことか――加藤尚武著作集刊行の意義」のゲラPDFを印刷して読み直す。指摘のあった補足をふくめ若干の修正。原稿ファイルも修正しておく。~吉岡さんにE-mailで修正箇所を連絡。加藤さんの写真データも添付。
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アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) 第一巻第二章「弁論術の定義」の途中~第三章「弁論術の種類」読む。弁論術の三種類ーー審議的(勧奨と制止)、法廷的(告訴と弁明)、演説的(称讃と非難)。
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『鮎川信夫全集II 評論I』で「現代詩とは何か」再読。IV節の途中~終り。

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2017年10月17日 (火)

読み書き日録2017/10/17

「春秋」10月号の信田さよ子というひとの連載ほかを読む。「デジャヴュ」(既視)を「デジャブ」と言うのだけはやめてほしい。boire(呑む)じゃなくてvoir(視る)なのだから。
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「大学出版」112号の小柳学の〆切り論を読む。編集者の思いがこもっていて、おもしろい。「一冊入魂!――編集の愉楽」という特集テーマ。こんなテーマなら依頼があってもよかったのに(これは冗談)。
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加藤尚武著作集第4巻収録予定の単行本未収録論文「ブランダムのプラグマティズム」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理~仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正のつづき。4節~5節まで7ページ分でこの論文もスミ。
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春秋社の吉岡さんからE-mailで「人文会ニュース」128号の「考えるとはどういうことか――加藤尚武著作集刊行の意義」の初校PDF6ページとどく。



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2017年10月16日 (月)

読み書き日録2017/10/16

アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) 読みはじめる。第一巻第一章「序論――従来の弁論術と技術としての弁論術」読む。
《それ〔弁論術〕本来の仕事が説得をなしとげることそのことにあるのではなく、それぞれの問題にふさわしい説得の方法を見つけ出すことだ、ということも明らかである。……これに加えて、真実の説得方法と見せかけの説得方法とをはっきり見究めることも、明らかに、同じ弁論術の仕事である。》(29-30ページ)
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谷内修三『誤読――嵯峨信之「時刻表」を読む』通読。これを詩集と言っていいのかむずかしい。ブログ「詩はどこにあるか」を加筆修正した、とある。
《批評なのか、批評を装った詩なのか。》
とも書いている。嵯峨信之の詩集を谷内流の積極的「誤読」を試みたもの。たとえば
《ことばで生み出した「現実」を詩という。》
とか
《論理的ではないのだが「必然」を感じる。「必然」が詩である。》
といった具合である。これも谷内の詩と呼んでいいだろう。
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加藤尚武著作集第4巻収録予定の単行本未収録論文「ブランダムのプラグマティズム」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理~仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正。はじめ~3節まで12ページ分。

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2017年10月15日 (日)

読み書き日録2017/10/15

『鮎川信夫全集II 評論I』で「現代詩とは何か」III節を再読。
《戦争は僕たちにいろいろな教訓をもたらした。東洋と西洋の文化が混交して、一種独得の形で進展した近代日本の異端的文明に対して、第二次大戦の結果はまさに全世界によって下された審判であった。それは日本の前近代的な社会の弱点を暴露すると共に、われわれの文化が伝統の力を全く持っていないことを明かにした。日本に於て伝統と考えられていたものは、すべて封建的な遺制に過ぎず、因習が心理的に固定化したものに過ぎないことが明瞭となった。》(82-83ページ)
 この鮎川の近代日本観=前近代、封建遺制、という視点は鮎川の近代を考えるうえで出発点になる。
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加藤尚武著作集第2巻収録予定の単行本未収録論文「ヘーゲル『概念論』のなかの自己関係性」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理~仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正。16ページ分、スミ。
《判断力というのは、状況証拠から犯人を探す仕方である。カントは判断還元主義者であるくせに、「状況証拠は採用しない」というのだ。○1耳が長い、○2後足が大きい、○3跳ぶようにして動く、○4体長が五〇センチ程度である、○5目が大きい――これだけ状況証拠がそろえば「兎だ」と判断していいではないか。それでもカントは「あたかも兎のごとく思われる」と言うべきだという。頑固というべきか、馬鹿というべきか。》
 笑える。
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根津真介詩集『生老病死』通読。70歳を過ぎてから2~3か月に1冊というペースで詩集を出しはじめた驚異の老詩人の7冊目。前の詩集もそうだが、変幻自在のことばの繰り出しかたは恐れ入るが、ややワンパターンなのが惜しい。
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Jacques Derrida: De la Grammatologie 第1部/第2章/La brisureのつづき~。
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「河口から」IIIに目を通す。季村敏夫編輯。
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「弘前詩塾」30号=休刊記念号に目を通す。藤田晴央編集。地方で14年間にわたって詩の講座をベースに参加者たちで継続してきた詩誌。いろいろ大変だったようだ。
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『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第一章 家族」の§165~§169。

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2017年10月14日 (土)

読み書き日録2017/10/14

加藤尚武著作集第9巻収録予定の単行本未収録論文「人間の尊厳アプローチの吟味」の仮ゲラ通読+ファイル修正。24ページ分、スミ。これで第9巻収録予定分、すべて終わる。
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古賀大助詩集『汽水』通読。相当な詩的技倆の持ち主だが、定年後の23年ぶりの詩集とか。過去の記憶を復元しようとするなかにも部分部分の映像がクリアに描き出されている。事実かどうかよりことばとして屹立するものがあることが重要だ。
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「風都市」32号に目を通す。瀬崎祐編集。海東セラさんから送ってもらったもの。
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「歴程」603号に目を通す。以倉絋平の「うた」は無くなった娘への思いが込められた痛切な歌だ。
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『鮎川信夫全集II 評論I』で「現代詩とは何か」再読。I節~II節。
《僕等の詩人としての敗北性については疑問の余地がない。そんなことは僕たちには戦前から明らかなことなのである。今日、一部のコミュニスティクな詩人たちが僕等を攻撃しているが、みんな見当違いも甚だしい。彼等の攻撃によって僕等が敗北的なのではなく、僕等の自覚によって敗北的なのである。》(75ページ)
 これは有名なことばだが、実は過剰に自己劇化しているだけで、詩は定義上、敗北するようなものではない。敗北するとすれば詩人の生にたいする詩人自身の問題にすぎない。
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『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第一章 家族」の§158~§164。
《愛においては、私は私だけで孤立しているのではなく、私は私の自己意識を、私だけの孤立存在を放棄するはたらきとしてのみ獲得するのであり、しかも私の他者との一体性、他者の私との一体性を知るという意味で私を知ることによって、獲得するのである。》
《愛における第一の契機は、私が私だけの独立的人格であることを欲しないということ、もし私がかかるものであるとすれば、私はおのれが欠けたものであり、不完全なものであると感じるだろうということである。》(§158)

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2017年10月13日 (金)

読み書き日録2017/10/13

加藤尚武著作集第9巻収録予定の単行本未収録論文「方法としての『人格』」の仮ゲラ通読+ファイル修正つづける。5節~7節、8ページ分。この論文、スミ。修正仮ゲラ印刷15ページ。つづいて「人間の尊厳アプローチの吟味」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理~仮ゲラ印刷24ページ分。
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「図書」10月号に目を通す。ゴリラは胃腸の調子が悪いときにほかのゴリラのうんちを食べて、その菌で胃腸を整える話はおもしろい。
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『鮎川信夫全集II 評論I』で「『荒地』について」再読。途中~終り。

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2017年10月12日 (木)

読み書き日録2017/10/12

「UP」10月号に目を通す。瀧川裕英「思想に日付はあるか」というタイトルに惹かれて読んでみたが、やはりデリダについての言及ぐらいはしてほしかった。
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「人文会ニュース」の「編集者が語るこの叢書・このシリーズ」のための原稿をさらに読み直し、加筆。タイトルを「考えるとはどういうことか――加藤尚武著作集刊行の意義」とする。28字×159行+著作集概要となる。コピーを水谷君に渡す。担当の春秋社・吉岡さんにE-mailで送付。
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加藤尚武著作集第9巻収録予定の単行本未収録論文「方法としての『人格』」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理~仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正7ページ分。時間不足で4節まで。
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四元康祐詩集『単調にぽたぽたと、がさつで粗暴に』読了。
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『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」のつづき。§152~§157。

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2017年10月11日 (水)

読み書き日録2017/10/11

『アフリカの民話集 しあわせのなる木』の「アフリカの民話を楽しく読むために」(島岡由美子)初校通読。pp. 173-222. これでこの本のゲラも読了。
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加藤尚武著作集第9巻収録予定の単行本未収録論文「日本での生命倫理学のはじまり」の仮ゲラ通読+ファイル修正+印刷15ページ。
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「みすず」10月号、読みつぐ。加藤典洋の日本哲学会ワークショップの話題を読む。論理的な世界市民的思想と身体実感的な「ただの人」的感情との二階建て構造が護憲論を構成しているという発想はおもしろいけど、いかにも文学的情念的ではないか。
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Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/La brisureのつづき~。
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四元康祐詩集『単調にぽたぽたと、がさつで粗暴に』途中まで読む。アイデア豊富な器用な詩人だ。長くてシチュエーションのあるものが概しておもしろい。
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『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」のつづき。§149~§151。

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