読書日録

2017年8月20日 (日)

読み書き日録2017/8/20

『石川啄木全集 第二巻 詩集』岩城之徳の解題のつづき~終り。英詩をのぞき、いちおう完読。啄木やはり侮れず。
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Jacques Derrida: De la Grammatologieの第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。
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加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「ヘーゲル」の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「2 社会と国家」の途中~「3 自己展開する論理」の途中。21ページ分、スミ。
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イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫)の第三章「道徳形而上学から純粋実践理性批判への移り行き」のつづき。
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柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第三部 近代世界システム」の「序論 世界=帝国と世界=経済」のつづき~「第一章 近代国家」の1節まで。

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2017年8月19日 (土)

読み書き日録2017/8/19

イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第三章「道徳形而上学から純粋実践理性批判への移り行き」のはじめ~。
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『石川啄木全集 第二巻 詩集』の小田切秀雄の解説のつづき~終り。処女詩集『あこがれ』と晩年の〈呼子と口笛〉の評価について、など。つづいて岩城之徳の解題の途中まで。
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柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第四章 普遍宗教」の5節~8節。第二部、読了。さらに「第三部 近代世界システム」の「序論 世界=帝国と世界=経済」の途中まで。
《ユダヤ教は民族の宗教ではなく、個々人が形成する教団として生まれた。……国家を無くしたユダヤ人は、モーセの神を信じる集団として新たに組織されたのだ。それが新たなユダヤ民族となった。つまり、ユダヤ教はユダヤ民族が選んだ宗教ではなく、逆に、ユダヤ教がユダヤ民族を創り出したのである。》(229ページ)
 これはよく言われることで、ユダヤ民族という固有の民族は存在しないらしい。

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2017年8月18日 (金)

読み書き日録2017/8/18

イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~第二章の終り。意思の最高の法則とは、
《君の格律はいついかなる場合でも同時に法則として普遍性をもち得るような格律に従って行為せよ》
であり、それはつぎのように言い換えられる――
《君の格律が自分自身を対象〔目的〕とする場合に、その対象が同時に自然法則と見なされ得るような格律に従って行為せよ》(122ページ、全文傍点付き)
となる。まことに厳格だ。
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「兆」175号に目を通す。
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『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。関根清三「『貢献心』は本能か?――オペラに基づく批判的考察」のつづき~終り。いったん著者に戻す必要あり。天野さんから送ってもらう。
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加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「ヘーゲル」の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「2 社会と国家」7ページ分、スミ。
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『さよなら鮎川信夫 (特装版・現代詩読本)』で代表詩63篇の読み直しのつづき~了。読み直してみると、記憶に残っているものとそうでないものとが歴然としてあることがわかった。正直に言って、鮎川信夫の詩はうまくはない。隠喩的と批判的にみなされる技法も戦後初期のものに限られると言ってよい。従来の鮎川批判がいかに無検証的であったかを論証する必要あり。
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柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第四章 普遍宗教」の2節~4節。《貨幣経済は個人を共同体の拘束から解放し、帝国=コスモポリスの人民とするだけではない。その「急進的平等主義」は、共同体にあった平等主義、いいかえれば、互酬的な経済と倫理を破壊してしまう。つまり、それは貧富の格差をもたらすのである。》(216ページ)
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『石川啄木全集 第二巻 詩集』の小田切秀雄の解説の途中まで、読む。
《かれ〔啄木〕のように、短い生涯のあいだに全人間的な飛躍を幾たびも行ないうるためには、既成の自己へのかしゃくのない対決が、そのつど、どうしても不可欠だったのである。》(477ページ)

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2017年8月17日 (木)

読み書き日録2017/8/17

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。関根清三「『貢献心』は本能か?――オペラに基づく批判的考察」の途中まで読む。
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柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第三章 世界帝国」の5節の途中~「第四章 普遍宗教」の1節。
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Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。
《われわれが努めようとするのは、われわれが必然的に借用してきた古典的言説からこのふたつの概念〔シニフィアンとシニフィエ〕をゆっくりともぎ離そうとすることになろう。》(p. 68、拙訳)
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村野美優詩集『むくげの手紙』通読。〈わたしもしずくだった/どこからか遠く ここへ落ちてきた〉(「雨の感覚【サンサシオン】」)――さりげない筆致で日々の滴を丹念に拾うこの詩人にしてはすこし淡泊な詩が多かったかも。
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イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫)の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~。

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2017年8月16日 (水)

読み書き日録2017/8/16

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。宮坂純一「貢献意欲、インセンティブそしてビジネスエシックス」読む。このまま入校へ。天野さんに渡す。
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加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「ヘーゲル論理学の形成と変容」の最終仮ゲラ印刷23ページ。つづけて「ヘーゲル」の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をはじめる。「1 生命という構造」12ページ分、スミ。
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「独合点」129号、「タルタ」42号に目を通す。
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イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~。意志を規定する実践的命法――
《君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつでもまたいかなる場合にも同等に目的として使用し決して単なる手段として使用してはならない。》(103ページ)
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Jacques Derrida: De la Grammatologieの第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のはじめ~。
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『さよなら鮎川信夫 (特装版・現代詩読本)』で代表詩63篇の読み直しのつづき。
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柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第三章 世界帝国」の4節~5節の途中。

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2017年8月15日 (火)

読み書き日録2017/8/15

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。小林朋道「動物行動学から見た人間の貢献心」、大谷卓史「匿名的コミュニケーション環境での協力行動――ウィキペディアとパソコン遠隔操作事件」読む。
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『さよなら鮎川信夫 (特装版・現代詩読本)』で代表詩63篇の読み直しのつづき。
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柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第三章 世界帝国」の2節~3節。
《彼〔ソクラテス〕はプラトンがいう哲学者=王とは無縁であった。ソクラテスを受け継いだ弟子は、プラトンではなく、むしろ犬儒派ディオゲネスに代表される外国人らであった。そして、後者は、ポリスが滅んだのちのコスモポリスにふさわしい哲学をもたらしたのである。》(188ページ)
《外に対しては帝国主義的収奪、内に対しては民主主義と福祉政策というのが、アテネの民主主義であり、それゆえ、今日の国家の範例たりうるのである。》(189ページ)
 柄谷はアテネやスパルタではなく、イオニア諸都市にあった〈イソノミア〉という、部族やポリスを超えた世界に成立する原理を評価する。
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Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors et le dedansのつづき~終り。
《ソシュールがあからさまにエクリチュールについてはもはや取り扱わず、この問題についてはカッコを閉じたと信じたまさにそのときに、かれはグラマトロジー一般の領野を解放したのである。》(p. 64、拙訳)





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2017年8月14日 (月)

読み書き日録2017/8/14

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。塩尻和子「イスラーム倫理思想における利他心」の(4)~終り。
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イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~。
《格律は、主観がそれに従って_¨行為する¨_ところの原則にほかならない。これに反して法則は、すべての理性的存在者に例外なく妥当する客観的原理であり、また主観が_¨行為¨_にさいして則るべき原則すなわち命法である。》(85ページ)
 ここから唯一の定言的命法としてつぎの命題が導かれる。
《君は、君の格律が普遍的法則となることを、当の格律によって同時に欲し得るような格律に従ってのみ行為せよ。》(85ページ、すべて傍点)
となり、さらにそこから「義務の普遍的命法」とは
《君の行為の格律が君の意志によって、あたかも普遍的自然法則となるかのように行為せよ。》(86ページ、すべて傍点)
という定式が得られる。
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柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第二章 世界貨幣」の6節、「第三章 世界帝国」の1節。
《ロシアや中国における社会主義革命は、世界=経済(世界資本主義)の中で、それを拒否する世界システム(非利得的な交換にもとづく経済圏)を確立させた。》(517ページの注)
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Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors et le dedansのつづき。
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『さよなら鮎川信夫 (特装版・現代詩読本)』で代表詩63篇の読み直し。

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2017年8月13日 (日)

読み書き日録2017/8/13

イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~。
《客観的原理の表象は、その原理が意志にとって強制的である限り、命令(理性の)と呼ばれる、そしてかかる命令の方式が_¨命法¨_〔Imperativ〕である。》(65-66ページ)
《もし行為が何か_¨或る別のものを得るための¨_手段としてのみ善であるならば、その命法は_¨仮言的¨_〔hypothetischer〕である。ところでもし行為がそれ自体善であるとして提示されるならば、すなわちそれ自体理性に従うような意志において必然的であるとして――要するにかかる意志の原理として提示されるならば、その命法は_¨定言的¨_〔kategorischer=断言的〕である。》(69-70ページ)
《定言的命法は、いかなる条件によっても制限されない、そして実践的-必然的ではあるが、しかしまた絶対的-必然的であるから、これこそ本来の命令と呼ばれてよい。》(75ページ)
 このあたりはカント的語法がよくわかる。
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Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部/第2章/Le dehors et le dedansのつづき。デリダはいよいよここで
《(ソシュールの)_¨一般¨_言語学の企てが、_¨言語一般の内的システム一般¨_にかかわりながら、エクリチュールという_¨特殊な¨_システムを――それがいかに重要であり、_¨事実上¨_普遍的であるとしても――_¨外部性一般¨_として排除しつつ、その分野の限界を描き出そうとするのはなにゆえであるか》(p. 58、拙訳)
という問いを立てている。
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根津真介詩集『不無非未』通読。〈無〉を主語として延々と展開される変奏曲。ときに哲学的に、ときに無をいたぶるように(「無が無を釣っている状態を太公望というらしい」「無は後ろ指をさされたくてたまらない」)。おもしろいが、やや単調なのが惜しい。
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柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第二章 世界貨幣」の1節~5節。
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『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。塩尻和子「イスラーム倫理思想における利他心」の(1)~(3)まで読む。
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『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿より他」の「詩稿より」の部の途中~「日記より」「書簡より」「作歌ノートより」「唱歌」「その他」。「詩稿より他」スミ。さらに「参考資料」も読む。これで残るは解説と解題のみ。

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2017年8月12日 (土)

読み書き日録2017/8/12

柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第一章 国家」の4節~6節。この章も終り。
《王権(国家)は共同体の内部からではなく、その外部から来る。だが、同時に、それは共同体の内部から来たかのように、つまり、共同体の延長としてあるかのようにみえなければならない。さもなければ、王権(国家)は確立されないのである。》(113ページ)
《マルクスは、アジア的な共同体を「全般的隷従制」と呼んだ。それは奴隷制でも農奴制でもない。各人は自治的な共同体の一員である。だが、その共同体全体が王の所有である。王は共同体に介入する必要はない。人々は共同体の一員であることによって拘束される。ゆえに、共同体の自治を通じて、国家は共同体を支配することができる。》(119ページ)
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岡田哲也詩集『花もやい』通読。どことなく懐かしい詩情が全篇にあふれている。
〈あのほくろがあそこにあるから/あのひとだと わたしは わかる//だれもきづかない かたすみのものにも/おおきないみは あるものです。〉(「かたすみのうた」)
――同世代の開き直りを感じさせる意気は好ましい。
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加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「ヘーゲル論理学の形成と変容」の仮ゲラ印刷23ページ+通読+ファイル修正、スミ。ヘーゲル論理学にかんしては、《『大論理学』で完成、「小論理学」はその講義用の要約版であるという見方を否定することが重要である》と結論づけられている。
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『石川啄木全集 第二巻 詩集』の.「詩稿より他」の「詩稿より」の部のつづき。
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イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~。
《我々の遣り方は……道徳的法則は理性的存在者一般に例外なく妥当すべきであるとする建前から、これらの法則を理性的存在者一般という普遍的概念から導来するのである。》(63ページ)
 いかにもカント的だ。

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2017年8月11日 (金)

読み書き日録2017/8/11

柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第一章 国家」の1節~3節を読む。
《一つの国家が存在するならば、その周辺の共同体はその国家に服属するか、ないしは、自ら国家となるほかない。したがって、たとえ共同体がそのまま内部から国家に転化したようにみえても、その背後に必ず他の国家との関係が存在するのである。》(112ページ)
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部/第2章/Le dehors et le dedansのつづき。ソシュールはエクリチュールにたいしてvicieuse(欠陥がある)として厳しく排斥しようとしているが、それにたいするデリダの批判――
《われわれが思うに、ソシュールの諸論拠は悪くない(bonnes)ものであり、ソシュールが言っているレベルで、このようなアクセントをこめてかれが言っていることの真理を問題にしないことである。》(p. 58、拙訳)
は、ソシュールの論点をずらすことにある。
   *
藤井貞和詩集『美しい小弓を持って』通読。「落ち込みからの快復期の所産」(謝辞)と述べられているように、東日本大震災以後の作品を集めたもので、藤井の詩としてはあまり上出来ではないが、こういうことばの危機の乗り越えを詩で果たそうとするところに、藤井の詩人ならではの矜持がうかがわれる。
   *
イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第一章「道徳に関する普通の理性認識から哲学的な理性認識への移り行き」のつづき~弟二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」の途中まで。意志の唯一の原理としての普遍的合法則性=《_¨私の格律が普遍的法則になるべきことを私もまた欲し得る¨_ように行動し、それ以外の行動を決してとるべきでない、ということ》(42ページ)とカントは規定する。

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