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2017年11月

2017年11月30日 (木)

読み書き日録2017/11/30

きのうは忙しすぎてなにも読めず。
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紀伊國屋じんぶん大賞」のアンケートに回答文を書いてFAX。『加藤尚武著作集第1巻 ヘーゲル哲学のなりたち』のほかアガンベン『哲学とはなにか』、星野太『崇高の修辞学』を挙げる。
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「季刊 未来」冬号の上村忠男さんの新連載「独学の思想」1回目「フッサール『危機』書からの再出発」の仮ゲラ印刷+通読。~上村さんにtel。いくつか確認して本ゲラにすることに。感想と情報いろいろ。
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「現代詩手帖」12月号、読みつぐ。
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マーサ・ナカムラ詩集『狸の匣』通読。ことばを語る動物や天狗など、これはたしかに民話といえるかもしれない要素が揃っているが、その展開の仕方は破格で、想像力が自在に動いていて何が出てくるか予断を許さない。むりにまとめる必要はないが、いつまでも破調のままでおもしろがらせるわけにもいくまい。跳び跳ねる想像力とどう折り合いをつけていくのかがこれからの課題だろう。

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2017年11月28日 (火)

読み書き日録2017/11/28

「季刊 未来」冬号の佐々木力「二十世紀中国革命について省みる――中国論・論中国・On China 12」のテキスト処理+通読+ファイル修正+仮ゲラ印刷。かなりパンク。~仮ゲラをPDFにしてE-mailで佐々木さんに送付。
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「季刊 未来」冬号の上村忠男さんの新連載「独学の思想」1回目「フッサール『危機』書からの再出発」のテキスト処理。通読以降はあすに。
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田中さとみ詩集『ひとりごとの翁』通読。評判がいいので読んでみたのだが、たしかに、死んだカラスを仲間のカラスたちが集まってきて〈みんなくちばしを死んだカラスにたたきつけて泣いていた/カラスはなかまを大切にするんだってね/でも、きみはそっとしたんだ/道を塞ぐように黒くて泣き喚くものが埋めつくして/死んだものの足を生きたものたちが咥えている〉(「ひとりごとの翁」)という合理的解釈にもかかわらずいだく異和感をあざやかに定着している。全体にことばの運びと連接には、荒削りだが特異な飛躍力があり、伸びしろを感じさせる神人の第一詩集。
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「多島海」32号に目を通す。
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ヘイドン・ホワイト[上村忠男監訳]『実用的な過去』の第5章「歴史的言述と文学理論」のはじめ~5節を読む。《モダニズム的な出来事に立ち向かうモダニズム的な方法の真髄とは、ものごとには「本質」もなければ「実体」もないという認識にほかならない。》(131ページ)
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「現代詩手帖」12月号、読みつぐ。

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読み書き日録2017/11/27

ヘイドン・ホワイト[上村忠男監訳]『実用的な過去』の第4章「コンテクスト主義と歴史的理解」を読む。
《「真実」とは、外部世界の「どこかに」ある事物の性質や、それらの事物に内在する性質などではなく、むしろある種の言語使用、また言語の成り立ちがもつ性質なのだ》(114ページ)
とホワイトはローティにならって言う。これは哲学または歴史解釈の言語論的転回(または転倒)と言うべきだろうが、歴史叙述の問題としてははたしてどこまで有効か。
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「現代詩手帖」12月号、読みつぐ。

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2017年11月26日 (日)

読み書き日録2017/11/26

加藤尚武著作集第5巻収録予定の単行本未収録論文「『弁証法』の21用語例in『精神現象学』」の仮ゲラ通読26ページ+ファイル修正。この厄介な論文もスミ。
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Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第3章/La science et le nom de l'hommeのつづき~。
《ここでわれわれに告知されるように思えるのは、一方でグラマトロジーは_¨人間諸科学¨_のひとつであってはならないことであり、他方では、多くのうちのひとつの_¨領域科学¨_であってはならない、ということである。》(p. 124、拙訳)
 つまりたんなる専門分野のひとつにすぎないものであってはならないということだ。
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「現代詩手帖」12月号、読みはじめる。「詩のことばはどこに根ざすのか」の読み直し、展望鼎談ほかの展望批評を読む。
   
ヘイドン・ホワイト[上村忠男監訳]『実用的な過去』の第3章「歴史的な出来事」の5節~7節。この章も終り。

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2017年11月25日 (土)

読み書き日録2017/11/25

「現代詩手帖」12月年鑑号とどく。「詩のことばはどこに根ざすのか」掲載。[今年度の収穫アンケート]で井川博年さんが「走都」の「発熱装置」を挙げてくれる。
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ロジェ・グルニエ[宮下志朗訳]『書物の宮殿』読みはじめる。「『詩人たちの国』」、「待つことと永遠」の章を読む。おもに文学書から豊富な実例を引き出して分析する主題論的エッセイ。
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加藤尚武著作集第5巻収録予定の単行本未収録論文「『弁証法』の21用語例in『精神現象学』」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理。つづけて見出し、引用タグ付け、改行チェック、小活字化タグ付け、表記統一、などの一括修正。仮ゲラ印刷26ページ分。きょうはここまで。
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上村忠男さんよりE-mailで「季刊 未来」冬号の連載第1回原稿「独学の思想第1章.doc」とどく。新井高子編著『東北おんば訳 石川啄木のうた』のお礼と12月24日の成城寺小屋講座へのお誘い。『言説の異他なる反場所から』はどうなったかの問合せも。
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ヘイドン・ホワイト[上村忠男監訳]『実用的な過去』の第3章「歴史的な出来事」のはじめ~4節。
《歴史とは過去に_¨現実¨_に起きた出来事が、_¨プロット¨_をもつ_¨ストーリー¨_の形式で表現された_¨写実的な¨_記述である、とする観念が得られるとわたしは提言したい。》(85ページ)
 ここにホワイトの方法論が端的に表明されている。
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『鮎川信夫全集II 評論I』で「『反荒地派』について」を再読。鮎川信夫は論争術という点において相当に過激であり、巧妙であることがあらためてわかる。

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2017年11月24日 (金)

読み書き日録2017/11/24

加藤尚武著作集第5巻収録予定の単行本未収録論文「フィチーノとシェリング」の仮ゲラ印刷16ページ+通読+ファイル修正、スミ。
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ヘイドン・ホワイト[上村忠男監訳]『実用的な過去』第2章「真実と環境――ホロコーストについて(何かを語りうるとして)何が正しく語りうるのか」の4節~8節。この章、スミ。


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2017年11月23日 (木)

読み書き日録2017/11/23

『続・鮎川信夫詩集』(現代詩文庫)読了。吉本隆明は「鮎川信夫の根拠」でつぎのように書いている。
《たしかなことは、〈かれ〉の詩が、わたしにとって、詩を創ることを刺戟するたぐいの詩で、決して詩を鑑賞する場所に、読むものをさらってゆく_¨てい¨_のものでなかったことである。この感じは、たれにとってもたぶん、おなじにちがいない。創造を刺戟する詩と、鑑賞を刺戟する詩とは本質的にちがっている。いつまにか、詩作品の流れが、じぶんに滲透し、さらわれてしまうように働きかけてくるとき、ひとは、あっという間に、詩を創るという場所にたたされている。》
《読むものに創造を刺戟する詩には、ひとつの本質的な条件と、属性が存在するような気がする。本質的な条件とは、その詩作を、どの断面から切っても《ひとつの主調音》の流れが聴かれることである。》
《この《ひとつの主調音》が聞えてくるとき、読者は、ひとつひとつの詩句がどうだったかを忘れても、どうでもいいとおもいはじめる。じぶんもまた、じぶんの《ひとつの主調音》を探求すること、いいかえれば詩作行為を強いられるからだ。》
《かれが戦火をくぐることで〈喪失〉したものは、全生涯であり、そうだとすれば、戦火をくぐって生きのこったことで獲得するものも、全生涯を賭けたものでなければ、釣り合いはとれない。きみは、青春の途上で、生きながら全生涯を〈喪失〉した、という体験が、どういうものか知っているか。鮎川信夫は、《ひとつの主調音》のなかで、繰返しそう云っているようにみえる。》(140-141ページ)
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加藤尚武著作集第5巻収録予定の単行本未収録論文「フィチーノとシェリング」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理。つづけて見出し、引用タグ付け、改行チェック、小活字化タグ付け、表記統一、などの一括修正。きょうはここまで。
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高橋薫詩的作品集『夜更けの階段』通読。「詩的作品集」と言っても悪夢的な物語的要素をもった詩集で、自作の線画も各篇ごとに加えてある。読ませるものが多い。
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ヘイドン・ホワイト[上村忠男監訳]『実用的な過去』の第2章「真実と環境――ホロコーストについて(何かを語りうるとして)何が正しく語りうるのか」の1節~3節。
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成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』読了。「V 諸篇」の「吉本隆明との別れ目」「詩人の独身」「鮎川信夫『現代詩作法』と吉本隆明の詩」と「あとがき」まで一気に読む。ほぼ40年にわたって鮎川論を書きつづけてきた執念はすごいし、最後の吉本との訣別についてもその「暴走」ぶりを的確に受けとめている。

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2017年11月22日 (水)

読み書き日録2017/11/22

『加藤尚武著作集第1巻 ヘーゲル哲学のなりたち』見本できる。マスコミ書評者用の挨拶文を作成&印刷して横山さんから発送。
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加藤尚武著作集第5巻収録予定の単行本未収録論文「ヘーゲルによる乱暴なカント批判」と「カントの述べなかったことによってこそカントは理解できる」の見出し、引用タグ付け、改行チェック、小活字化タグ付け、表記統一、などの一括修正。~仮ゲラ印刷それぞれ4ページ+通読+ファイル追加修正。この2論文もスミ。
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成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』の「V 諸篇」の「『荒地』の詩人の体験と言葉」を読む。
《はたして、ひとは戦争の体験を共同の体験として語りうるのだろうか。戦争という時代を生きた誰もが、それを宿命として共有しあっただろうか。そうかもしれないが、私の疑いはまずここにある。そこから「われわれ」という一般化された主格で語られてしまうことに、私は物足りなさと「荒地」の陥穽部をみるおもいがする。体験や現実という対象にたいして、世代的=同時代的意味を背負いながら記述をすすめるとなると、言葉は認識の言葉から理念の言葉へと昇華していくであろう。そしてその結果、達成された言葉(理念)からは、自己の拠ってたつ足元の意味場が問われなくなってしまうのである。》(344ページ)
 少々まだるっこしいが、要するに共同化され理念化された詩のことばはそれだけ希薄化するということだろう。
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紀伊國屋書店学術情報販売促進本部 書籍営業部の一戸さんよりE-mailで西谷の「人文会ニュース」用の「考えるとはどういうことか――加藤尚武著作集刊行の意義」を掲載したいので、原稿データを送ってほしいとの依頼。~返信E-mailで原稿データ送付。掲載は「人文会ニュース」が12月刊行なので、すこしずらせてほしいと伝える。加藤さんの写真と未來社ロゴは金曜に。
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「兆」176号に目を通す。
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ヘイドン・ホワイト[上村忠男監訳]『実用的な過去』の第1章「実用的な過去」の8節~終り。トニ・モリスン『ビラヴド』が論じられている。
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『続・鮎川信夫詩集』(現代詩文庫)の「最初期詩篇についての感想」で鮎川は最初の投稿について書いている。
《それが佐藤惣之助に拾われて、佳作欄に組み込まれているのを見たときのオドロキは、今も異様に新鮮である。僥倖をねがって、もしかしたらという気持がないわけではなかったけれど、実際に初めて活字化された自分の詩を見たときの感激は、予想をはるかに上まわるものであり、その後、再び味わうことのできない種類のものであったといっていい。……毎日そわそわと落着かなくなり、欣喜雀躍というより狼狽というのに近い状態であったと思う。》(95ページ)
 この体験はそっくりわたしもしたことがある。そのときは佐藤惣之助ではなく長谷川龍生が選者だったが。

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2017年11月21日 (火)

読み書き日録2017/11/21

加藤尚武著作集第5巻収録予定の単行本未収録論文「生という存在の原型」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理。加藤尚武マクロと「漢字を開くマクロ必須篇.mac」「複合動詞の修正マクロ.mac」のバグ修正。つづけて見出し、引用タグ付け、改行チェック、ルビ、小活字化タグ付け、表記統一、などの一括修正。~仮ゲラ印刷15ページ+通読+ファイル追加修正。この論文もスミ。~つづけて第5巻収録予定の単行本未収録論文「ヘーゲルによる乱暴なカント批判」と「カントの述べなかったことによってこそカントは理解できる」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理まで。いずれも岩波書店版カント全集の月報。
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「詩遊」56号に目を通す。藤富保男が冨上芳秀詩集評を遺稿として残したことを冨上は敷衍して書いている。
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「GATE」25号に目を通す。老成したひとが多く覇気があまり感じられないのが残念だ。
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成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』「IV 晩年篇」の「詩集『難路行』の誕生」を読む。晩年の死へ傾斜していく鮎川のことばを跡づけている。「IV 晩年篇」も終り。
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Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第3章/La science et le nom de l'hommeのはじめ~。エクリチュールの歴史と言語の科学はしばしば協力というより敵対関係にあることの指摘。
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ヘイドン・ホワイト[上村忠男監訳]『実用的な過去』の第1章「実用的な過去」の途中~。
《過去二世紀にわたって歴史が「科学的」になろうとし、「文学」生まれという自らの出自の汚点を拭い去ろうと尽力したとしても、それでも、歴史はこの努力に完全に成功することはなかった。……歴史は、自らの反対に立つ他者として「文学」を想定することなしには、科学性の主張を表明することはできなかった。》(18ページ)
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『続・鮎川信夫詩集』(現代詩文庫) の詩篇の分、スミ。

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2017年11月20日 (月)

読み書き日録2017/11/20

ヘイドン・ホワイト[上村忠男監訳]『実用的な過去』読みはじめる。序言、第1章「実用的な過去」の途中まで。ゼーバルトの『アウステルリッツ』は事件なき小説というものらしい。この章では「歴史的な過去」にたいして「実用的な過去」が対照されている。そもそも「歴史的な過去」とは
《近代的な専門的な歴史家によって、歴史の全体のうちで、修正され組織化された部分として構築された過去を指》し、《専門的な歴史家によって出版された著作や論文のなかにしか存在しない、理論的な動機のみに起因する構築物なのである。》
《これまで、だれひとりとして、この歴史的な過去を実際に生きたり体験したりしたことはない。というのも、過去の動作主体が、_¨自分たちにとっての¨_現在において世界について知り、考え、想像していたものがどんなものであったとしても、歴史的な過去とは、そうしたものにもとづいて把握されるわけではないからである。》(13ページ)
「実用的な過去」とはこのあとから振り返った過去ではなく、現在を生きるために過去から実践的な情報、ヒントを得ようとするひとにとっての過去のことらしい。
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『続・鮎川信夫詩集』(現代詩文庫)読みつぐ。

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読み書き日録2017/11/19

成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』「IV 晩年篇」の「愛の死の手前にて 晩年詩篇」を読む。鮎川の晩年の寂しさを母のいる家と隠れた妻のいる家との往還やその生活のなかに見てとる成田の解読はよくわかる。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で.『法の哲学』「第三部 倫理」の「第三章 国家」の§330~§360。「B 国際公法」~「C 世界史」読む。
《普遍的精神は即自かつ対自的には_¨理性¨_であり、理性の対自存在は精神においては知であるから、世界史はむしろ、もっぱら精神の自由の_¨概念¨_からする理性の_¨諸契機¨_の必然的発展、したがって精神の自己意識と精神の自由との必然的発展であり、――_¨普遍的精神¨_の展開であり_¨現実化¨_である。》(§342、強調へーゲル)
 これはへーゲル的世界史の定義と言っていいだろう。
 これでようやく『法の哲学』読了。マルクスのへーゲル法哲学批判を読み直す必要あり。ついでに年譜も読む。
   *
『鮎川信夫全集II 評論I』で「われわれの心にとって詩とは何であるか」のつづき~終りを再読。
《すぐれた詩を読んだ時の新鮮な衝撃の底にあるものは、「いままでの世界に欠けていたもの」という実感であります。/さらに言い方を変えれば、われわれが現実に対して不満を抱いたり、淋しさを感じたりする、その言い知れぬ空虚は、「その詩」が欠けていたためだといえるような実感です。》
《詩を書いていれば、いつかはかれの心のすべてが、すっかり明るみに出るものです。》

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2017年11月18日 (土)

読み書き日録2017/11/18

成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』の「III 戦後篇」の「夕暮れと鮎川信夫」を読む。「III 戦後篇」終り。
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「ERA」第三次9号に目を通す。
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加藤尚武著作集の原稿準備を4日ぶりに再開。第4巻収録予定の単行本未収録論文「ヘーゲル研究者は、200年間、何をしてきたか」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理。つづけて見出し、引用タグ付け、改行チェック、小活字化タグ付け、表記統一、などの一括修正。~仮ゲラ印刷24ページ+通読+ファイル追加修正。この論文もスミ。
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『続・鮎川信夫詩集』(現代詩文庫)読みはじめる。拾遺詩篇のおもむきのある詩が並んでいるが、こういうなかにこそ鮎川の寂しさが表われているかもしれない。
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Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第3章/L'alge`bre: arcanum et transparenceのつづき~終り。象形文字の解読によって 《エクリチュールとパロールの関係にかんする体系的な考察が生まれることができる》(p. 121) というわけだ。

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2017年11月17日 (金)

読み書き日録2017/11/17

加藤尚武編著『ホモ・コントリビューエンス――滝久雄・貢献する気持ちの研究』見本できる。すでにホモコントリビューエンス研究所の菊池さんが20冊取りに来社。~加藤尚武さんにtel。本ができたので、昼まえに持参することに。
   
「VAV」28号の成田昭男の菅谷規矩雄論、岡田啓インタビューに目を通す。どちらもおもしろいが、北川透を中心とした名古屋文化圏の事情はよくわからないところがある。

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読み書き日録2017/11/16

すでに日付も替わってしまったが、ようやく決算の処理から解放されてこのページにたどりついた。
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アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) の第三巻第一六章「陳述」~第一七章「説得(証拠立て)」~第一八章「質問・答え、冗談」~第一九章「結びについて」。これでようやく本文、読了。さらに訳者の解説も読む。そこに書かれているように、第三巻の表現論が重要で後生への影響も大きかったが、論述として不十分なところもあって、さほど収穫はない。
   *
成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』の「III 戦後篇」の「喪失と不安の抒情 姉さんごめんよ(亡姉篇)」を読む。鮎川の亡姉篇と呼ばれる一連のテクストは仮構された姉の存在に象徴される母へのオイディプス・コンプレックスがあると思うが、その甘えたようなレトリックには感心しないし、どこか不気味なところがある。

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2017年11月15日 (水)

読み書き日録2017/11/15

アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) 第三巻第一三章「言論の部分」~第一四章「序論」~第一五章「中傷」読む。
   *
思潮社の藤井さんよりE-mailで「現代詩手帖」12月号のの「詩のことばはどこに根ざすのか――年鑑詩集評」の最終校正PDFとどく。修正案をざっと確認して藤井さんにtel。
   *
水出みどり詩集『夜更けわたしはわたしのなかを降りていく』通読。家族との、とりわけ母とのかかわりのなかで自分をみつめる詩人はついにひとつの着地点――無の境地に達したようだ。夜更けわたしのなかを下りていくと波の音が聞こえてくる。〈いつかわたしは波のおおきな循環のひとしずくになる。寄せては返す波のひとしずくになってあなたのなかへ還っていく。〉(タイトルポエム末尾)
   *
『世界の名著35/へーゲル』で.『法の哲学』「第三部 倫理」の「第三章 国家」の§321~§329。「A 国内公法」の「II 対外主権」読む。
《精神は自由においては_¨おのれに対する無限に否定的な¨_関係であるから、精神は同じくまた本質的に、存立している区別を_¨おのれのうちへ吸収してしまっている¨_ところの_¨対自存在¨_、したがって排他的であるところの_¨対自存在¨_である。》(§321、強調へーゲル)
 なんともやっかいな存在が精神というものだ。なお、注によれば、へーゲルは『小論理学』§96ではこうも言っているそうだ。
《対自存在は、それ自身への関係としては_¨直接性¨であり、否定的なものそれ自身への関係としては、それ自身だけで存在するもの(対自存在するもの)、すなわち_¨一者¨_である。一者は、それ自身のうちにおいて区別なきもの、したがって_¨他者¨_をおのれから_¨排除するもの¨_である。》
 なんでも精神主義者へーゲルの面目躍如といったところか。これは詩的だ。またこんなことも言っている。
《総じて概念および哲学は、たんなる偶然性の見地を消滅させ、たんなる偶然性を_¨仮象¨_とし、仮象としての偶然性のなかにその本質である必然性を認識する。占有や生命といった有限なものが偶然的なものとしての_¨運命に定めおかれる¨_のは、_¨必然的¨_なのである。なぜなら、このことが有限なものの概念であるからである。》
 参りましたと言うしかない。
   *
『鮎川信夫全集II 評論I』で「われわれの心にとって詩とは何であるか」のつづきを再読。戦争詩人のなかには《当時の情勢に、深刻な懐疑を覚えたとして、その懐疑を外部の動きの必然性以上に、強い内的基礎のうえに打ちすえることができるかといえば、》否定的にならざるをないと指摘している。つまり書くことの必然性への問いがないところに戦争翼賛詩が書かれたというのである。本質的な指摘だが、鮎川はそのことをもっと主張すべきであった。

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2017年11月14日 (火)

読み書き日録2017/11/14

みすず書房から上村忠男『ヴィーコ論集成』、H.ローニツ/C.ゲッデ編『ヴァルター・ベンヤミン/グレーテル・アドルノ往復書簡1930-1940』送ってくれる。両方あわせると1000ページ超。~川崎さんにお礼のtel。いろいろ話を聞く。
   *
加藤尚武著作集第4巻収録予定の単行本未収録論文「言葉と〈コギト〉」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理。つづけて見出し、引用タグ付け、改行チェック、傍点、ルビ、イタリックの指定、小活字化タグ付け、表記統一、などの一括修正。~仮ゲラ印刷13ページ+通読+ファイル追加修正。修正仮ゲラを印刷。この論文もスミ。
   *
アリストテレス『弁論術』(岩波文庫)の第三巻第一一章「生々とした表現と味のある言葉」~第一二章「表現方法の種類」読む。
   *
カニエ・ナハ詩集『IC』通読。ページ作りがユニークだが、意図は不明。ことばを映像的に書き割り的に並べることでひとつの世界を構築しているが、詩的な広がりに欠けるかな。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第三章 国家」の§309~§320。「A 国内公法」の「I それ自身としての国内体制」終り。
   *
成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』の「III 戦後篇」の「白痴願望の詩 『詩語』のとまどい」、「詩の借り方をめぐって 鮎川詩『白痴』の場合」を読む。

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2017年11月13日 (月)

読み書き日録2017/11/13

「アリゼ」181号に目を通す。
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春秋社・吉岡さんよりE-mail。「人文会ニュース」128号の必要部数と原稿料の振込先の件。~返信E-mailで10部を希望、振込先の連絡。
   *
成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』の「III 戦後篇」の「責任としての戦後詩」を読む。「戦争責任論の去就」について論じられるかと期待したが、成田の論点は
《戦争詩があって、その批判として書かれた戦後詩の作品があるかぎり、責任は誰がはたすのかという課題は生きつづける。書かれたものによって自己の責任は問いかえされる。つまり作品が作者を批判する。》(217ページ)
というところにあるが、問題は解決されていない。
   *
加藤尚武著作集第4巻収録予定の単行本未収録論文「確率論の哲学」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理。つづけて見出し、引用タグ付け、改行チェック、イタリック指定、小活字化タグ付け、表記統一、などの一括修正。~仮ゲラ印刷31ページ+通読+ファイル追加修正。この論文もスミ。ただしこれがヘーゲル論なのかは要検討。
   *
アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) の第三巻第九章「文体表現の構成」~第一〇章「洗練された表現」読む。
   *
『鮎川信夫全集II 評論I』で「われわれの心にとって詩とは何であるか」途中まで再読。対話体で、ここでも現代詩は考える詩、読む詩であって、歌う詩ではないことが強調されている。

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2017年11月12日 (日)

読み書き日録2017/11/12

加藤尚武著作集第4巻収録予定の単行本未収録論文「ヘーゲル、パース、ウィトゲンシュタイン、クワイン」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理。マクロのバグ修正。つづけて見出し、引用タグ付け、改行チェック、表記統一、小活字化タグ付け、などの一括修正。~仮ゲラ印刷15ページ+通読+ファイル追加修正。この論文もスミ。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で.『法の哲学』「第三部 倫理」の「第三章 国家」の§301~§308。
   *
思潮社の藤井さんよりE-mailで「現代詩手帖」12月号の「詩のことばはどこに根ざすのか――年鑑詩集評」の追加分のPDFと、2000年代詩論の今後の展開についての考え。~PDFを印刷してかなり手を入れる。~藤井さんに返信E-mailでパラグラフごと送る。
   *
アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) の第三巻第三章「生彩のない表現」~第四章「譬え」~第五章「表現のよさ」~第六章「表現の重厚さ」~第七章「表現の適切さ」〜第八章「リズム」読む。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie 第1部/第3章/L'alge`bre: arcanum et transparenceのつづき。ライプニッツの普遍言語の企てがロゴサントリスムと手を切らなかったことについての批判。 《ロゴサントリスムは、始原的な、非〈相対主義的〉な意味で民族中心主義的な形而上学である。》(p. 117、拙訳)
   *
「季刊びーぐる 詩の海へ」37号、読了。今回の新川和江特集は読み応えがあった。添田馨の引用にある野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』終章の「隠喩は謎の提示であり、……」はアリストテレスが『弁論術』で提示しているものと同じ。野村は知らずに書いたのか。新川和江の詩「比喩のように」は愛の直喩を使って新鮮だが、隠喩論として論じられるかもしれない。

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2017年11月11日 (土)

読み書き日録2017/11/11

『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第三章 国家」の§290~§300、読む。
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木村友祐『幸福な水夫』の初校通読、つづける。短篇「突風」28ページ、書き下ろしエッセイ「黒丸の眠り、祖父の手紙」29ページ、読む。これでこの本も終り。
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「ガーネット」83号に目を通す。神尾和寿の詩誌時評をあらためて読む。第二次「走都」の創刊を「事件」と言ってくれるのはありがたい。第一次「走都」も2号からはわたしの個人誌だったので、長い中断があっただけでなにも変わったわけではない。詩「発熱装置」の冒頭部分(〈ことばが放たれたがっている/誰のものでもないことばが場所をもとめている/だからこの空間は用意されるのだ〉)は何人かが引いてくれたけど、そんなに深く意味づけしたつもりはないのだけれど。
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加藤尚武著作集第4巻収録予定の単行本未収録論文「sich entschleiB&enとsich aufschlieB&en」の仮ゲラ通読13ページ分+ファイル追加修正。この論文もスミ。
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成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』の「III 戦後篇」の「戦後の意味と愛の隘路 繋船ホテルの朝の歌」の3~5を読む。この論文も終り。
《戦後詩は、言語と現実の関係を、言葉の内発性の挑戦と失敗において生成してきたのである。戦争を必死でくぐりぬけた詩人たちによって、詩の内発する根拠は追求されてきたのである。》(189ページ)
として成田は戦後日本が内発的な復興する力をもてなかったことと対比している。鮎川信夫そして戦後詩を救抜する視点としていちおうの説得力がある。
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Jacques Derrida: De la Grammatologie 第1部/第3章/L'alge`bre: arcanum et transparenceのつづき。デカルトの普遍言語の構想をライプニッツが発展的に継承しようとしたことについて。
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アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) 第三巻第一章「第三巻の主題」~第二章「表現の優秀性」読む。 《じつに比喩は、なによりも特に、明瞭さと快さと斬新さを文章に与えるものであり、しかも、それは他の人から学ぶことのできないものなのである。》(312ページ) 《一般に、巧みに作られた謎からは優れた比喩を得ることができる。なぜなら、比喩も謎のように何かを仄めかしており、したがって、謎としてよければ、当然、巧みな比喩が与えられたことになるからである。》(315ページ)
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『鮎川信夫全集II 評論I』で「現代詩の機能」再読。
《近代の文学思想史上においてサンボリスムの果した役割の大きさは測り知れないものがある。サンボリスムの運動がなかったら、ヴァレリイもリルケもエリオットもなかったであろう。それは、近代におけるさまざまな文学的諸流派の母胎となったという点で、決定的な意味を持っていたといえるのである。》(131ページ)
 こう言いながらも鮎川はサンボリスムを最終的に否定するのである。
《この時代をいかに生きようとも自由だが、いかなる詩人も、けっして盲目的に仕事をするわけにはゆかない現実的条件というものがある。環境を超えて自由な生命をのばしうる者は、まず社会、文化、身辺の諸環境を認識し、統禦しうる者でなければならないであろう。生きている詩人にとって、詩がひとつの道具であるということには一面の真実がある。ある時は逃避の翼であり、ある時は敵と戦う武器であり、またある時は単に米塩の資を得る手段にすぎぬであろう。しかし、自覚の極点における詩は、決してそのような生の代用物ではないのである。》(140ページ)

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2017年11月10日 (金)

読み書き日録2017/11/10

島岡由美子[文]+ヤフィドゥ・マカカと8人のティンガティンガ・アーティストたち[絵]『アフリカの民話集 しあわせのなる木』見本できる。
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萩原印刷・藤野さんよりE-mail&tel。『加藤尚武著作集第1巻 ヘーゲル哲学のなりたち』の修正確認。白焼き出校は夜7時ごろになりそう。月曜朝もどし。~8時すぎ、本文白焼き、とどく。10時45分までかかって責了に。
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思潮社の藤井さんにtel。きのうE-mailで送った「現代詩手帖」12月号の「詩のことばはどこに根ざすのか――年鑑詩集評」の追加分の語調のわずかな調整。とりあえずこれで進めてみるとのこと。
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アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) の第二巻第二四章「見せかけの説得推論」の途中~第二五章「説得推論の反駁」~第二六章「説得推論の注意事項」読む。これで第二巻、終り。次はいよいよ表現論としての弁論の問題。
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加藤尚武著作集第4巻収録予定の単行本未収録論文「sich entschleiB&enとsich aufschlieB&en」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理。つづけて見出し、引用タグ付け、改行チェック、表記統一、小活字化タグ付け、などの一括修正。~仮ゲラ印刷18ページ+通読5ページ分+ファイル追加修正。これはたいへんな難物。
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「瑠璃坏」10号に目を通す。
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送られてきた「ガーネット」83号で神尾和寿が詩誌時評で第二次「走都」創刊号をとりあげ、「事件」と言ってくれる。「ついに尻をまくったぞ」とも。「豊富な引用句を伴って壮大な対話とも成っている超大作」として詩「発熱装置」の冒頭が引かれている。うれしいが、欲を言えばもっと具体的に書いてほしいけど。
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成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』の「III 戦後篇」の「戦後の意味と愛の隘路 繋船ホテルの朝の歌」の2を読む。
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「KANA」24号に目を通す。高良勉発行。1年ぶりだが、今回は山之口貘特集。勉さん編集・解説の岩波文庫『山之口貘詩集』が主題のひとつ。勉さんから送ってもらって読ませてもらった。

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2017年11月 9日 (木)

読み書き日録2017/11/9

「UP」11月号に目を通す。
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前回、ファイルの不備で中断した加藤尚武著作集第4巻収録予定の単行本未収録論文「タブラ・ラサとア・プリオリ」の新しいファイルで加藤尚武マクロによるテキスト一括処理~仮ゲラ印刷12ページ+通読し直し+ファイル追加修正。修正仮ゲラを再印刷。
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思潮社の藤井さんより「現代詩手帖」12月号の「詩のことばはどこに根ざすのか――年鑑詩集評」ゲラPDFとどく。分量はこのままで、加筆してもいい、と。どういうこと?~ざっと読み直す。修正案も取り込んでファイルも修正。あとで加筆するかも。~夜、結局2枚分ほどを加筆。可能ならば追加してもらうことにし、修正箇所の指定とともに藤井さんにE-mailで送付。
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舟橋空兎詩集『羊水の中のコスモロジー』読了。未知の詩人だが、詩的キャリアは短いわりに古文体を用いるなど教養として老成したところもある。まとまりのないところが問題か。
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『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第三章 国家」の§280~§289。へーゲル国家論の骨格の説明だが、君主制の絶対化はどうにも納得がいかない。
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成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』の「III 戦後篇」の「戦後の意味と愛の隘路 繋船ホテルの朝の歌」の1を読む。

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2017年11月 8日 (水)

読み書き日録2017/11/8

「図書」11月号に目を通す。

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2017年11月 7日 (火)

読み書き日録2017/11/7

「みすず」11月号に目を通す。
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「妃」19号に目を通す。なつかしい詩誌だ。田中庸介編集。顔ぶれはずいぶん変わったが、まだつづいているのが驚きだ。
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成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』の「III 戦後篇」の「時間と方位の迷宮 橋上の人」の途中~終り。ここで成田は鮎川の父との葛藤~離反について言及している。
《その〔鮎川の生への〕欲望とは、父を殺し、世界を疑う欲望である。子は父の欲望=戦争遂行に逆らったが、結局はそれに従属し戦場に赴いた。青年の欲望は破砕され、その一片が〈荒地〉への強迫なる思いをつのらせ、戦後空間の構築と戦争責任の追及に鮎川をむかわせたのである。》(163ページ)
そしてここから「荒地」の共同性にむかうのだが、その共同性の本質を言語にみているのは正解である。
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『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第三章 国家」の§274~§279読む。
《国家は一つの偉大な建築学的構造物、現実世界のなかに現われる理性の象形文字、とみなされなくてはならない。それゆえたんに効用性、外面性などに関連するものはすべて、哲学的取り扱いから閉め出されなくてはならない。》(§279)
 この国家論は国家の理念化の極致として理想化されすぎている。しかも立憲君主制という矛盾した形態への夢想でもあるから理論的に破綻している。
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アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) の第二巻第二三章「説得推論の論点」の途中~終り、読む。

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読み書き日録2017/11/6

アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) の第二巻第二三章「説得推論の論点」のはじめ~途中、読む。
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「CROSSROAD」10号、通読。北川朱実個人編集誌。北川のエッセイはうまいし、おもしろい。
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「Rurikarakusa」6号に目を通す。
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成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』の.「III 戦後篇」の「時間と方位の迷宮 橋上の人」を途中まで読む。

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2017年11月 5日 (日)

読み書き日録2017/11/5

思潮社の藤井さんに返信E-mailで「現代詩手帖」用の「詩のことばはどこに根ざすのか――年鑑詩集評」の1枚分は削除していいと返事。
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『鮎川信夫全集II 評論I』で「現代詩とは何か」再読。VI節の途中~終り。この論文も終り。
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『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第三章 国家」の§271~§273。
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木村友祐『幸福な水夫』初校通読、つづける。pp. 42-120.「幸福な水夫」読了。残りは短篇が一篇。

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2017年11月 4日 (土)

読み書き日録2017/11/4

成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』の「III 戦後篇」の「『犠牲になった世代』について」「死んだ男/一九四七」を読む。
《わたしたちは、「死んだ男」に、鮎川信夫の「個人的な感情」を読みとるレベルを放棄する必要はない。無論、ここでは鮎川の「個人的な感情」が含まれているかどうかということが問題なのではない。彼にそのような発言をうながしている文脈こそが問題の所在なのである。それは、自己と他者とのあいだの問題である。》(132ページ)
 ここで成田は鮎川と森川義信の関係を粘り強く論じている。
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アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) の第二巻第二〇章「共通の説得手段――例証」~第二一章「共通の説得手段――格言」~第二二章「共通の説得手段――説得推論」読む。このあたりは弁論のための基礎的方法の検討。
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Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第3章/L'alge`bre: arcanum et transparenceのつづき。

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2017年11月 3日 (金)

読み書き日録2017/11/3

アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) 第二巻第一三章「年齢による性格(二)――老年」~第一九章「共通の論点――各論」読む。
《自分たちは官職につくべき人間であると考えることも、金持の特徴である。というのは、自分たちには官職について当然なだけの資格がある、と思っているから。つまり、一言で言って、幸運に恵まれた愚か者の性格が、冨のもたらすものなのである。》(235ページ)
 いまの日本の政治にあてはめてみると、いわゆる「二世議員」というのがほとんどすべて該当する。
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「現代詩手帖」11月号を読了。
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「森羅」7号、通読。いつものように手書き。今回は岸田将幸が招待。
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「ひょうたん」63号、「二兎」8号に目を通す。
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『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第三章 国家」の長い§270の途中~終り。ここでは国家と宗教の関係についての3つの問題点が分析されている。

 

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2017年11月 2日 (木)

読み書き日録2017/11/2

思潮社の藤井さんに「現代詩手帖」年鑑号用の原稿「詩のことばはどこに根ざすのか――年鑑詩集評」をE-mailで送付。
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木村友祐『幸福な水夫』初校通読、はじめる。40ページほど。
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夕方、『加藤尚武著作集第1巻 ヘーゲル哲学のなりたち』初校441ページ、出校。残りは著者略歴、奥付、広告で6ページ分。合計448ページ+索引。。~すべてチェック。サブタイトルが活字が小さくなっていないのを修正。目次ノンブルを記入。これから加藤さん宅へ届ける。
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『加藤尚武著作集第1巻 ヘーゲル哲学のなりたち』と同時に出校した『ホモ・コントリビューエンス』白焼きのチェックを第二部の終り、94ページまで。
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「現代詩手帖」11月号を読みつぐ。榎本櫻湖の過激なカムアウト文ほかを読む。

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2017年11月 1日 (水)

読み書き日録2017/11/1

きのう書きあげた「現代詩手帖」年鑑詩集評「詩のことばはどこに根ざすのか――年鑑詩集評」の読み直しと手入れ。いちおう脱稿。
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アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) 第二巻第一〇章「妬み」~第一一章「競争心」~第一二章「年齢による性格(一)――青年」読む。
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『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第三章 国家」の§265~§270の途中。
《愛国心といえばしばしばもっぱら、_¨異常な¨_献身や行為をしようとする気持ちだと解される。しかし本質的には愛国心は、平常の状態や生活関係において、共同体を実体的な基礎および目的と心得ることを、ならいとしている心術である。》(§268)
 こう考えれば「愛国心」というものを強権政治に独占されるべきでないということになるが、それにしてもあまりに汚染されすぎたことばになってしまっている。
   *
「現代詩手帖」11月号を読みつぐ。


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