« 2017年9月 | トップページ | 2017年11月 »

2017年10月

2017年10月31日 (火)

読み書き日録2017/10/31

「季刊びーぐる 詩の海へ」37号、読みはじめる。添田馨が詩論時評で第二次「走都」創刊号の鮎川信夫論について1ページ以上言及してくれる。わたしの問いに答えようとしている。詩誌時評の松本秀文も「現代詩手帖」の藤原安紀子も対応していない。若いひとにはわたしの論はわからないのかも。
   *
きのう時間切れで書き切れなかった「現代詩手帖」年鑑詩集評のつづきを書く。印刷して手を入れる。いちおう完成。タイトルはとりあえず「詩のことばはどこに根ざすのか――年鑑詩集評」とする。25枚ぐらいになってしまったが許されるかな。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第三章 国家」の§261~§264。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

読み書き日録2017/10/30

アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) 第二巻第七章「親切と不親切」~第八章「憐れみ」~第九章「義憤」読む。
   *
「現代詩手帖」11月号を読みはじめるが、あまり進まず。
   *
「現代詩手帖」年鑑詩集評の対象候補詩集の読書記録データを集める。とりあえず15点にしぼる。きのうのつづきを書く。いろいろ引用しているうちに19枚ぐらいになってしまった。もうすこし書きたいことが残っているのに。藤井さんに嫌がられるだろうな。きょうは時間切れでここまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月29日 (日)

読み書き日録2017/10/29

「水の呪文」48号、通読。富沢智個人誌。農業をやりながらの資料館運営、そして詩人。よくやるなあ。これも「家が建てられるくらいの収入がなければ職業とは言えない」から詩人とは「所詮生き方」というのはほんとうだ。
   *
「地上十センチ」16号に目を通す。和田まさ子個人編集誌。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie 第1部/第3章/L'alge`bre: arcanum et transparenceのはじめ~。ここでは西欧におけるエクリチュールの歴史が検討される。。アタナシウス・キルヒャー、ジョン・ウィルキンス、ライプニッツらの漢字にたいする関心が論じられる。
《彼〔ライプニッツ〕の目には声から中国語表記=漢字を解放するものは、同時に、恣意と発明の人為によって歴史からエクリチュールをもぎ離し、それを哲学に固有のものとするのである。》(p. 113、拙訳)
   *
「現代詩手帖」12月号の年鑑詩集評の原稿を書きはじめる。詩論的部分を書いてもよいということだったので、とりあえず前書き的に6枚ほど書く。
   *
アリストテレス『弁論術』(岩波文庫)第二巻第五章「恐れと大胆さ」~第六章「恥と無恥」読む。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第三章 国家」の§257~§260。
《普遍的なものは実現されていなくてはならないが、他方、主体性も完全かつ活発に発展させられなくてはならない。この両契機が力強く存続することによってのみ、国家は分節されているとともに真に組織された国家とみなされうるのである。》(§260)
 ヘーゲルの国家理念はこうした理想的概念として提示されたものであることは銘記すべきだろう。
   *
成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』「II 戦中篇」の「〈書く〉ことと歴史」のIIIを読む。「II 戦中篇」読了。
《鮎川が二十五歳をむかえんとしていた年に、『戦中手記』をしたためたのも不思議ではない。それは、彼の引き裂かれてしまった青春の総決算であり、戦後への出発の精神的拠点であった。》(111ページ)
 鮎川がモダニズム詩を捨て、戦争という歴史体験を経て、みずからの存在の現実とのつながりをもとめて意味の回復をめざした事情がくわしく書かれていて参考になる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月28日 (土)

読み書き日録2017/10/28

成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』の「II 戦中篇」の「〈書く〉ことと歴史」のII。ここでは「戦中手記」が論じられている。
   *
アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) 第二巻第三章「穏和」~第四章「友愛と憎しみ」読む。
《怒りは時がたつにつれ癒されるが、憎しみのほうは癒すことができない。》(184ページ)
 これには心当たりがある。
   *
『加藤尚武著作集第1巻 ヘーゲル哲学のなりたち』の仮ゲラの赤字修正ほか、つづける。『ヘーゲル哲学の形成と原理』の第八章~第十章、あとがき、単行本未収録論文「ドイツ観念論の文化的背景」、「カントとドイツ観念論」、「へーゲル」、「ヘーゲル論理学の形成と変容」もスミ。著者解題もスミ。追加分の「ヘーゲル青年期論文のページ数対照表」(Nohl Konkordanz) をテキスト処理とファイル整備。さらに目次+扉+凡例の作成。これで30日に入校の準備できる。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第二章 市民社会」の§235~§256。第三部第二章、読了。つぎはいよいよ国家論。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月27日 (金)

読み書き日録2017/10/27

春秋社の吉岡さんよりE-mailで「人文会ニュース128号の「考えるとはどういうことか――加藤尚武著作集刊行の意義」再校とどく。~PDFを確認。吉岡さんにこれでOKの返信E-mail。PDFは印刷してあとで加藤尚武さんに渡す。
   *
「グッフォー」68号、「イリヤ」19号、「るなりあ」39号に目を通す。
   *
成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』の「II 戦中篇」のはじめ~。
   *
『世界の名著35/へーゲル』『法の哲学』「第三部 倫理」の「第二章 市民社会」の§222~§234。
   *
アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) pp. 157-171. 第二巻第一章「聴き手の心への働きかけ」~第二章「怒り」読む。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月26日 (木)

読み書き日録2017/10/26

『ホモ・コントリビューエンス』の加藤尚武さんのあとがき原稿を印刷して赤字を入れながら通読。20枚以上もあり、論文にちかいあとがきになっているのはさすが。Word原稿をテキストファイル化して天野さんに渡す。最新の加藤尚武マクロも渡して、テキスト処理をしてもらい、入稿へ。
   *
加藤尚武著作集第1巻解題原稿を印刷。加藤尚武マクロによるテキスト一括処理+通読+ファイル修正。なんと60枚ぐらいあり、手間取るがなんとかスミ。仮ゲラ印刷24ページ。
   *
成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』の「I 戦前篇」の途中~終り。成田は戦前の都市への出郷者の精神構造を鮎川の父・上村藤若のなかに見出し、父との葛藤を軸に鮎川のエディプス的意識を探っており、いわば社会史的外挿をもって鮎川を理解しようとしている。
   *
アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) の第一巻第一四章「より大きな不正行為」~第一五章「弁論術に本来属さぬ説得」読む。これで第一巻、読了。ここまでは法廷弁論のための準備のようなもの。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月25日 (水)

読み書き日録2017/10/25

加藤尚武著作集第4巻収録予定の単行本未収録論文「ヘーゲル哲学と懐疑主義」の仮ゲラ通読+ファイル修正、2節~8節。18ページ分。この論文もスミ。修正仮ゲラ印刷23ページ。
   *
アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) 第一巻第一二章「不正をなす者と蒙る者」、第一三章「不正行為の分類」読む。
   *
阿部嘉昭詩集『橋が言う』通読。8行詩が84篇。どうしてこんなに形式的に書けるのか、よくわからない。それにオビに「減喩」を駆使した、とあるのもわからない。ふつうの短詩にしか読めないのだが。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第二章 市民社会」の§213~§221を読む。
《私の意志は理性的意志であり、また妥当するものである。そしてこの妥当は、他人によって承認されなければならない。だからこの場合、私の主観性も他人の主観性も消え失せなくてはならず、意志は確実性と不動性と客体性を得なければならないのである。そして意志がこれらを得るのはただ形式によってのみ可能なのである。》(§217)
《法律の形式をとって現存在するに至った法は、対自的であり、法について_¨特殊的な意志¨_や_¨意見をもつこと¨_に対して、自主的に対立するものである。だからこの法は、おのれを普遍的なものとして貫かなくてはならない。》(§219)
 ここでは法(と裁判)の形式的手続きの正当性が主張されている。
   *
『鮎川信夫全集II 評論I』で「現代詩とは何か」再読。VI節の途中~。
《古いものと新しいもの、可視的なものと不可視的なもの、それらを意識的に結びつけることも、一つの調和の発見であろう。僕は敢えて調和の発見といったが、方法論的に言うならば発明というべきかも知れない。なぜなら詩の調和とは、決して自然そのものの調和ではなく、極めて意識的な努力と未知の世界を作ろうとする詩人の作像的意志とを要するからである。》(117ページ)
 ここで〈発明〉とか〈作像的意志〉と呼ばれているものこそ隠喩なのである。
   *
成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』の「I 戦前篇」の途中~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月24日 (火)

読み書き日録2017/10/24

加藤尚武著作集第4巻収録予定の単行本未収録論文「タブラ・ラサとア・プリオリ」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理~変動が多そうなので仮ゲラ印刷をすこしずつしながら通読+ファイル修正、途中でファイルが印刷物とまったく一致しないことがわかり、中断。OCRの必要あり。しょうがないのでつぎの単行本未収録論文「ヘーゲル哲学と懐疑主義」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理+仮ゲラ印刷21ページ+通読+ファイル修正、はじめ~1節。5ページ分、スミ。
   *
甘里君香詩集『ロンリーアマテラス』通読。家庭崩壊のなかに子どもと生きる女の生きざまなどを赤裸に描き、それでいてけっこう楽天的なのか、詩のことばの力を考えさせる。
   *
成田昭男『鮎川信夫――薄氷をわたるエロス』読みはじめる。「I 戦前篇」の途中まで。長年書きためてきた鮎川論。まじめな研究だ。鮎川のモダニズム時代の詩的青春の挫折を西脇への一時的傾倒と関連づけているのは正しい。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie 第1部/chapitre 3 de la grammatologie comme science positiveのはじめ。エクリチュールはいつ、どこで始まるのか、という根源的な問いが立てられる。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第二章 市民社会」の§205~§212読む。
《_¨即自的に¨_法であるところのものがその客観的現存在において_¨定立される¨_と、すなわち思想によって意識に対して規定され、法であるとともに効力をもつところのものとして_¨周知される¨_と、それが_¨法律¨_である。そして法はこうした規定によって_¨実定¨_法一般なのである。》(§211)
 要するに、法そのものは法思想(法哲学)となり、効力をもつものとして認識されると法律という実定法となるということ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月23日 (月)

読み書き日録2017/10/23

アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) 第一巻第一〇章「法廷弁論」の途中~第一一章「快楽」読む。
   *
広瀬大志詩集『魔笛』通読。ここで広瀬はいつも以上に言語的な実験を試みている。〈詩想はあるがままに望むところへと疾走せよ。〉で始まる「Hurricane」など、詩の自己言及的展開も新しい境地かもしれない。
   *
加藤尚武著作集第3巻収録予定の単行本未収録論文「絶対的な理念」の仮ゲラ印刷をしながら通読+ファイル修正つづき。7節~10節+注、28ページ分。これでこの論文もスミ。
《主観と客観の統一が主観的な理念である。無限と有限の統一が無限的な理念である。これがヘーゲル的観念論の中心的な意味である。》
《病気は臓器や細胞の犯罪なのである。ある細胞が自分は全体の部分であるという有限性の自覚をもたないで勝手に自己増殖すると、まるで自分が独立した個体であるかのようにエゴイスティックに振る舞うことになる。これにたいする治療薬が観念論である。観念論は有限者に有限性の自覚を与える。》
《その〔『精神現象学』の〕中心的な観念は、多様から統一へ収斂し、統一から多様へ放散するという息づかいのなかに絶対的な理念が生きているということである。不思議なのは、そのあらゆる段階が、それぞれの特質的な関係のありかたと無関係に「対立の総合」という杓子定規の形式で語られていることである。そのために論述はその実質的な豊かさとはうらはらに難解をきわめている。》
   *
春秋社・吉岡さんより返信E-mailで「人文会ニュース」128号の「考えるとはどういうことか――加藤尚武著作集刊行の意義」初校ゲラ校正受取りのお礼と加藤尚武さんの写真の組み込みの予定。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第二章 市民社会」の§196~§204を読む。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月22日 (日)

読み書き日録2017/10/22

「角」44号(岡﨑純追悼特集号)の弔辞などのほか、送ってくれた金田久璋の島尾敏雄論を読む。
   *
加藤尚武著作集第3巻収録予定の単行本未収録論文「絶対的な理念」の仮ゲラ印刷をしながら通読+ファイル修正つづき。4節の途中~6節。12ページ分、スミ。
   *
加藤思何理詩集『水びたしの夢』通読。SF的ホラーもふくめて妄想的な物語志向はややマンネリ気味か。ことばが粗いのも問題だ。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第二章 市民社会」の§185~§195。
   *
『鮎川信夫全集II 評論I』で「現代詩とは何か」再読。V節の途中~VI節の途中。
   *
アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) 第一巻第一〇章「法廷弁論」のはじめ~途中まで読む。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月21日 (土)

読み書き日録2017/10/21

『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第一章 家族」の§180~「家族から市民社会への移行」の§181~「第二章 市民社会」の§182~§184、読む。
《市民社会においては、各人が自分にとって目的であり、その他いっさいのものは彼にとって無である。しかし各人は、他の人々と関連することなくしては、おのれの諸目的の全範囲を達成することはできない。だからこれらの他人は、特殊者の目的のための手段である。ところが特殊的目的は、他の人々との関連を通じておのれに普遍性の形式を与えるのであり、自分の福祉と同時に他人の福祉をいっしょに満足させることによっておのれを満足させるのである。》(§182)
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie 第1部/第2章/La brisureのつづき~終り。これで第2章も終り。
《シニフィエが根源的に本質的に(そして有限な創造された精神にとってばかりでなく)痕跡であること、それが_¨いつもすでにシニフィアンの地位にあること¨_、――これが無垢な外観をもつ命題であるが、そこではロゴスの、現前の、意識の形而上学はエクリチュールをみずからの死もしくは手段=資源(ressource)として反省しなければならないのである。》(p. 108、拙訳、強調は原文イタリック)
   *
橋本シオン詩集『これがわたしのふつうです』通読。若い感性がふるえているような、病んだ精神をひたすら鼓舞するために書かれたと思われる日常と願望のすきまに生きることの必死さがうかがえる。母との微妙な関係をなかばフィクション化した長篇「鉄塔の真下、のいちごのカクテル」は読み応えがある。
   *
近藤久也詩集『リバーサイド』通読。なんと手作りの詩集。栞で中上哲夫が書いているように、近藤の詩はテンションが低い。その低さがひとつの主張になっているのかは判然としないが、こんな手作り詩集を出すのだから本気なのだろう。
   *
加藤尚武著作集第3巻収録予定の単行本未収録論文「絶対的な理念」の仮ゲラ印刷をしながら通読+ファイル修正つづき。1節の途中~4節の途中。16ページ分、スミ。
   *
アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) 第一巻第八章「国制」、第九章「演説的弁論」読む。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月20日 (金)

読み書き日録2017/10/20

加藤尚武著作集第3巻収録予定の単行本未収録論文「絶対的な理念」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理。長いのとイレギュラーな箇所が多いので仮ゲラ印刷をしながら通読+ファイル修正6ページ分、スミ。
   *
高見沢隆詩集『ネオ・リリシズム宣言』通読。思弁的な傾向の強い詩だ。〈ただ漠然とした水のようなものがあるから/漠然とした私が存在する〉(「漠然とした水」)といった具合だ。ネオ・リリシズムとはよく言ったものだ。
   *
「タラの木」25号に目を通す。おの・ちゅうこうが創刊した詩と童話の雑誌らしい。
   *
アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) 第一巻第六章「よいもの」、第七章「より大なる善・利益」読む。
   *
『鮎川信夫全集II 評論I』で「現代詩とは何か」再読。V節の途中まで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月19日 (木)

読み書き日録2017/10/19

加藤尚武著作集第3巻収録予定の単行本未収録論文「歴史哲学の過去・現在・未来――進歩から定常化への世界像の転換」の仮ゲラ通読+ファイル修正つづける。三節~五節まで14ページ分。この論文もスミ。修正仮ゲラを印刷25ページ。
   *
アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) 第一巻第四章「議会弁論」、第五章「幸福」読む。
   *
中堂けいこ詩集『ニューシーズンズ』通読。未知の詩人。詩歴はあるようだが、ことばの出どころがよく読み取れない。奇想がひとつの持ち味か。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月18日 (水)

読み書き日録2017/10/18

谷合吉重詩集『姉【シーコ】の海』通読。なかば自伝的な長篇詩。不幸な死をとげた姉を悼むとともに、東京と難波田という故郷(といっても東京近郊らしい)の往還を織りまぜながら微妙な屈託を展開する。カタカナまじり表記に独特のものがあり、その意図は不明。
   *
加藤尚武著作集第3巻収録予定の単行本未収録論文「歴史哲学の過去・現在・未来――進歩から定常化への世界像の転換」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理~仮ゲラ印刷25ページ分+通読+ファイル修正。一節~二節まで11ページ分、スミ。
   *
「イリプスIInd」23号に目を通す。今回は散文にあまり読むべきものがなかった。
   *
春秋社・吉岡さんからE-mailで届いていた「人文会ニュース」128号の「考えるとはどういうことか――加藤尚武著作集刊行の意義」のゲラPDFを印刷して読み直す。指摘のあった補足をふくめ若干の修正。原稿ファイルも修正しておく。~吉岡さんにE-mailで修正箇所を連絡。加藤さんの写真データも添付。
   *
アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) 第一巻第二章「弁論術の定義」の途中~第三章「弁論術の種類」読む。弁論術の三種類ーー審議的(勧奨と制止)、法廷的(告訴と弁明)、演説的(称讃と非難)。
   *
『鮎川信夫全集II 評論I』で「現代詩とは何か」再読。IV節の途中~終り。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月17日 (火)

読み書き日録2017/10/17

「春秋」10月号の信田さよ子というひとの連載ほかを読む。「デジャヴュ」(既視)を「デジャブ」と言うのだけはやめてほしい。boire(呑む)じゃなくてvoir(視る)なのだから。
   *
「大学出版」112号の小柳学の〆切り論を読む。編集者の思いがこもっていて、おもしろい。「一冊入魂!――編集の愉楽」という特集テーマ。こんなテーマなら依頼があってもよかったのに(これは冗談)。
   *
加藤尚武著作集第4巻収録予定の単行本未収録論文「ブランダムのプラグマティズム」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理~仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正のつづき。4節~5節まで7ページ分でこの論文もスミ。
   *
春秋社の吉岡さんからE-mailで「人文会ニュース」128号の「考えるとはどういうことか――加藤尚武著作集刊行の意義」の初校PDF6ページとどく。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月16日 (月)

読み書き日録2017/10/16

アリストテレス『弁論術』(岩波文庫) 読みはじめる。第一巻第一章「序論――従来の弁論術と技術としての弁論術」読む。
《それ〔弁論術〕本来の仕事が説得をなしとげることそのことにあるのではなく、それぞれの問題にふさわしい説得の方法を見つけ出すことだ、ということも明らかである。……これに加えて、真実の説得方法と見せかけの説得方法とをはっきり見究めることも、明らかに、同じ弁論術の仕事である。》(29-30ページ)
   *
谷内修三『誤読――嵯峨信之「時刻表」を読む』通読。これを詩集と言っていいのかむずかしい。ブログ「詩はどこにあるか」を加筆修正した、とある。
《批評なのか、批評を装った詩なのか。》
とも書いている。嵯峨信之の詩集を谷内流の積極的「誤読」を試みたもの。たとえば
《ことばで生み出した「現実」を詩という。》
とか
《論理的ではないのだが「必然」を感じる。「必然」が詩である。》
といった具合である。これも谷内の詩と呼んでいいだろう。
   *
加藤尚武著作集第4巻収録予定の単行本未収録論文「ブランダムのプラグマティズム」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理~仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正。はじめ~3節まで12ページ分。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月15日 (日)

読み書き日録2017/10/15

『鮎川信夫全集II 評論I』で「現代詩とは何か」III節を再読。
《戦争は僕たちにいろいろな教訓をもたらした。東洋と西洋の文化が混交して、一種独得の形で進展した近代日本の異端的文明に対して、第二次大戦の結果はまさに全世界によって下された審判であった。それは日本の前近代的な社会の弱点を暴露すると共に、われわれの文化が伝統の力を全く持っていないことを明かにした。日本に於て伝統と考えられていたものは、すべて封建的な遺制に過ぎず、因習が心理的に固定化したものに過ぎないことが明瞭となった。》(82-83ページ)
 この鮎川の近代日本観=前近代、封建遺制、という視点は鮎川の近代を考えるうえで出発点になる。
   *
加藤尚武著作集第2巻収録予定の単行本未収録論文「ヘーゲル『概念論』のなかの自己関係性」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理~仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正。16ページ分、スミ。
《判断力というのは、状況証拠から犯人を探す仕方である。カントは判断還元主義者であるくせに、「状況証拠は採用しない」というのだ。○1耳が長い、○2後足が大きい、○3跳ぶようにして動く、○4体長が五〇センチ程度である、○5目が大きい――これだけ状況証拠がそろえば「兎だ」と判断していいではないか。それでもカントは「あたかも兎のごとく思われる」と言うべきだという。頑固というべきか、馬鹿というべきか。》
 笑える。
   *
根津真介詩集『生老病死』通読。70歳を過ぎてから2~3か月に1冊というペースで詩集を出しはじめた驚異の老詩人の7冊目。前の詩集もそうだが、変幻自在のことばの繰り出しかたは恐れ入るが、ややワンパターンなのが惜しい。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie 第1部/第2章/La brisureのつづき~。
   *
「河口から」IIIに目を通す。季村敏夫編輯。
   *
「弘前詩塾」30号=休刊記念号に目を通す。藤田晴央編集。地方で14年間にわたって詩の講座をベースに参加者たちで継続してきた詩誌。いろいろ大変だったようだ。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第一章 家族」の§165~§169。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月14日 (土)

読み書き日録2017/10/14

加藤尚武著作集第9巻収録予定の単行本未収録論文「人間の尊厳アプローチの吟味」の仮ゲラ通読+ファイル修正。24ページ分、スミ。これで第9巻収録予定分、すべて終わる。
   *
古賀大助詩集『汽水』通読。相当な詩的技倆の持ち主だが、定年後の23年ぶりの詩集とか。過去の記憶を復元しようとするなかにも部分部分の映像がクリアに描き出されている。事実かどうかよりことばとして屹立するものがあることが重要だ。
   *
「風都市」32号に目を通す。瀬崎祐編集。海東セラさんから送ってもらったもの。
   *
「歴程」603号に目を通す。以倉絋平の「うた」は無くなった娘への思いが込められた痛切な歌だ。
   *
『鮎川信夫全集II 評論I』で「現代詩とは何か」再読。I節~II節。
《僕等の詩人としての敗北性については疑問の余地がない。そんなことは僕たちには戦前から明らかなことなのである。今日、一部のコミュニスティクな詩人たちが僕等を攻撃しているが、みんな見当違いも甚だしい。彼等の攻撃によって僕等が敗北的なのではなく、僕等の自覚によって敗北的なのである。》(75ページ)
 これは有名なことばだが、実は過剰に自己劇化しているだけで、詩は定義上、敗北するようなものではない。敗北するとすれば詩人の生にたいする詩人自身の問題にすぎない。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」の「第一章 家族」の§158~§164。
《愛においては、私は私だけで孤立しているのではなく、私は私の自己意識を、私だけの孤立存在を放棄するはたらきとしてのみ獲得するのであり、しかも私の他者との一体性、他者の私との一体性を知るという意味で私を知ることによって、獲得するのである。》
《愛における第一の契機は、私が私だけの独立的人格であることを欲しないということ、もし私がかかるものであるとすれば、私はおのれが欠けたものであり、不完全なものであると感じるだろうということである。》(§158)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月13日 (金)

読み書き日録2017/10/13

加藤尚武著作集第9巻収録予定の単行本未収録論文「方法としての『人格』」の仮ゲラ通読+ファイル修正つづける。5節~7節、8ページ分。この論文、スミ。修正仮ゲラ印刷15ページ。つづいて「人間の尊厳アプローチの吟味」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理~仮ゲラ印刷24ページ分。
   *
「図書」10月号に目を通す。ゴリラは胃腸の調子が悪いときにほかのゴリラのうんちを食べて、その菌で胃腸を整える話はおもしろい。
   *
『鮎川信夫全集II 評論I』で「『荒地』について」再読。途中~終り。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月12日 (木)

読み書き日録2017/10/12

「UP」10月号に目を通す。瀧川裕英「思想に日付はあるか」というタイトルに惹かれて読んでみたが、やはりデリダについての言及ぐらいはしてほしかった。
   *
「人文会ニュース」の「編集者が語るこの叢書・このシリーズ」のための原稿をさらに読み直し、加筆。タイトルを「考えるとはどういうことか――加藤尚武著作集刊行の意義」とする。28字×159行+著作集概要となる。コピーを水谷君に渡す。担当の春秋社・吉岡さんにE-mailで送付。
   *
加藤尚武著作集第9巻収録予定の単行本未収録論文「方法としての『人格』」の加藤尚武マクロによるテキスト一括処理~仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正7ページ分。時間不足で4節まで。
   *
四元康祐詩集『単調にぽたぽたと、がさつで粗暴に』読了。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」のつづき。§152~§157。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月11日 (水)

読み書き日録2017/10/11

『アフリカの民話集 しあわせのなる木』の「アフリカの民話を楽しく読むために」(島岡由美子)初校通読。pp. 173-222. これでこの本のゲラも読了。
   *
加藤尚武著作集第9巻収録予定の単行本未収録論文「日本での生命倫理学のはじまり」の仮ゲラ通読+ファイル修正+印刷15ページ。
   *
「みすず」10月号、読みつぐ。加藤典洋の日本哲学会ワークショップの話題を読む。論理的な世界市民的思想と身体実感的な「ただの人」的感情との二階建て構造が護憲論を構成しているという発想はおもしろいけど、いかにも文学的情念的ではないか。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/La brisureのつづき~。
   *
四元康祐詩集『単調にぽたぽたと、がさつで粗暴に』途中まで読む。アイデア豊富な器用な詩人だ。長くてシチュエーションのあるものが概しておもしろい。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第三部 倫理」のつづき。§149~§151。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月10日 (火)

読み書き日録2017/10/10

きのう書いた「人文会ニュース」の「編集者が語るこの叢書・このシリーズ」のための加藤尚武著作集についての原稿を読み直し、加筆。タイトルを「考えることのすすめ――加藤尚武著作集刊行の意義」とする。28字×157行でとりあえず完成。
   *
「みすず」10月号、読みはじめる。今福龍太のゴイティソーロ論は熱い。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第二部 道徳」の第三章「善と良心」の「道徳から倫理への移行」~「第三部 倫理」の途中まで。§141~§148。
《倫理とは生きている善としての_¨自由の理念¨_である。》(第三部の冒頭、§142)
 このテーゼはへーゲル的自由の理念と〈倫理〉を結びつけるものである。
   *
『鮎川信夫全集II 評論I』で「『荒地』について」再読。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 9日 (月)

読み書き日録2017/10/9

加藤尚武著作集第9巻収録予定の単行本未収録論文「エンハンスメントの倫理問題」のテキスト一括処理~仮ゲラ印刷7ページ+通読しながら(一括処理をふくむ)ファイル修正、スミ。
   *
「人文会ニュース」の「編集者が語るこの叢書・このシリーズ」のための加藤尚武著作集についての原稿「加藤尚武著作集刊行の意義」(仮)の第一稿をとりあえず書く。28字×152行。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologieの第1部/第2章/La brisureのつづき~。
   *
深沢レナ詩集『痛くないかもしれません。』通読。未知の若い詩人だが、ホラーというかナンセンスというか、とにかく読ませる構築力とどことなく暴力的なユーモアがあっておもしろい。「マンボウの皮膚」「空腹」などがとくに傑作だ。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第二部 道徳」の第三章「善と良心」のつづき~終り。§140の途中~終り。
   *
『鮎川信夫全集II 評論I』で「詩人の出発」再読。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 8日 (日)

読み書き日録2017/10/8

金子光晴『マレーの感傷――金子光晴初期紀行拾遺』(中公文庫) のIII部のつづき~終り。略年譜、鈴村和成の解説も読んで読了。とにかく金子光晴の世界を股にかけた放浪と波乱の人生はおもしろい。
   *
「侃侃」28号(田島安江編集)、「たぶの森」(号数なし、村野美優編集)に目を通す。
   *
黒岩隆詩集『青蚊帳』通読。詩人の追悼詩もふくめてみずからの死の想念をやや諧謔的に書いた「折り鶴」のような作品に世代的な共感をもてる。タイトルポエムなどもノスタルジックだ。
   *
加藤尚武著作集第9巻収録予定の『脳死・クローン・遺伝子治療――バイオエシックスの練習問題』の仮ゲラ印刷+通読しながら(一括処理をふくむ)ファイル修正。第四章「患者の権利」の2節~4節。第四章、スミ。さらに第五章「遺伝子治療と人類の未来」の1節~2節。第五章もスミ。あとがきもスミ。これでこの本も一気に終了。
   *
菊田守詩集『蛙』通読。タイトルからいつものように小動物づくしかと思いきや記憶のなかの人間たちがいろいろ出てくる。寒いからビールを暖めて出してくれる伯母さんやコロッケを買ってから倒れて死んでしまった弟など、心に沁みるひとたちが今回は主役だ。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第二部 道徳」の第三章「善と良心」のつづき~。§140の途中~

| | コメント (0) | トラックバック (0)

読み書き日録2017/10/7

きょうは東京外語大学にて国際シンポジウム《『メタヒストリー』の射程で考える歴史叙述と記憶の問題系》に参加。体調悪く、帰宅後いったん寝てしまう。

金子光晴『マレーの感傷――金子光晴初期紀行拾遺』(中公文庫) のII部のつづき~III部の途中。
   *
丸田麻保子詩集『あかるい時間に』読了。新井豊美の詩の教室出身らしい。若くして死んだらしい姉のことや家族とのからみが出てくる。秘められた屈折が書くことのモチベーションになっているようだ。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第二部 道徳」の第三章「善と良心」のつづき~。§140のはじめ~途中まで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 6日 (金)

読み書き日録2017/10/6

加藤尚武著作集第9巻収録予定の『脳死・クローン・遺伝子治療――バイオエシックスの練習問題』の仮ゲラ印刷+通読しながら(一括処理をふくむ)ファイル修正。第四章「患者の権利」の1節、スミ。
   *
金子光晴『マレーの感傷――金子光晴初期紀行拾遺』(中公文庫) のII部の「フランドル遊記」のつづき。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 5日 (木)

読み書き日録2017/10/5

加藤尚武著作集第9巻収録予定の『脳死・クローン・遺伝子治療――バイオエシックスの練習問題』の仮ゲラ印刷+通読しながら(一括処理をふくむ)ファイル修正。第三章「クローン人間の練習問題」の3節~6節。第三章もスミ。
   *
鈴村和成さんから送ってもらった金子光晴『マレーの感傷――金子光晴初期紀行拾遺』(中公文庫) 読みはじめる。II部の途中まで。フランドルでの古きつきあいの家族との別れに哀愁がこもる。そして森三千代とのすさまじい葛藤。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/La brisureのつづき~。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』「第二部 道徳」の第三章「善と良心」のつづき~。§138~§139。
《自然的意志はそれ自身において矛盾である。すなわち、おのれをおのれ自身と区別するという矛盾、対自的かつ内面的であるという矛盾である。》
《ひとが人間のことを論じるときは、子供ではなくて自己意識的、自覚的な人間のことを言っているのであり、善について論じるときは、善の知のことを言っているのである。》
《人間は悪を欲しうる、しかし必然的に悪を欲せずにいられないのではない、というのが悪の本性なのである。》(いずれも§139)
 ここでは悪の本質についてすごいことが言われている。
   *
『鮎川信夫全集II 評論I』で「近代詩における『近代』の運命」再読。短いけれど検討すべき問題を孕んでいる。
《事実上、戦後詩は、戦前の詩的意識と全く断絶したところから始まったにもかかわらず、「荒地」はモダニズム詩派の、「列島」はプロレタリア詩派の役割を引きついだと見られる部分があったのである。》(313ページ)
 ここで鮎川の批判する「近代」の意味があらためて問われねばならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 4日 (水)

読み書き日録2017/10/4

『アフリカの民話集 しあわせのなる木』初校通読はじめる。p. 172まで。民話20篇を読了。
   *
加藤尚武著作集第9巻収録予定の『脳死・クローン・遺伝子治療――バイオエシックスの練習問題』の仮ゲラ印刷+通読しながら(一括処理をふくむ)ファイル修正。第二章「性と生殖の倫理」の3節、スミ。第二章、終り。つづけて第三章「クローン人間の練習問題」の1節~2節。
   *
大岡信『うたげと孤心』(岩波文庫) の岩波同時代ライブラリー版あとがき「この本が私を書いていた」(pp. 367-378) を読む。
《閉鎖性、排他性を本質的にもつ同質社会の幻想に強くひたり、巨大な車座を組んでいるともいえるこの日本において、自分の中に頑強に根づいている孤心というものをどのようにしたら枯渇させることなく生きのびさせてゆけるか、という課題に対する、長い年月をかけての実践的解答というようなものであった。》(371ページ)
《相反する要素の共存に耐えることが、私にとっては必要だった。それを簡単に一方に統一することは、私自身の「孤心」を掃除器にかけ、さばさばした顔つきで「うたげ」の世界に埋没することを、たぶん意味していて、これほど気色の悪いことはないのだった。》(373ページ)
 これは大岡信が病気で倒れるすこしまえに書いたものと思われる。さらに三浦雅士の解説 (pp. 379-413)も読む。
   *
きのう届いた「ミて」140号に目を通す。『東北おんば訳 石川啄木のうた』の編集協力者ふたりの詩も掲載され、新井高子の詩もすっかりおんば調になっているところがおかしい。
   *
『世界の文学43/フォークナー』で「サンクチュアリ」読了。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 3日 (火)

読み書き日録2017/10/3

加藤尚武著作集第9巻収録予定の『脳死・クローン・遺伝子治療――バイオエシックスの練習問題』の仮ゲラ印刷+通読しながら(一括処理をふくむ)ファイル修正。第一章「脳死と臓器移植」の3節。この章、スミ。つづけて「第二章 性と生殖の倫理」の1節~2節、スミ。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/La brisureのつづき~。
   *
三角みづ紀エッセイ集『とりとめなく庭が』通読。初のエッセイ集ということだが、フレッシュで繊細な感覚の持ち主が、詩人として日々ことばを生きていこうとする姿勢がよく出ていて好感をもてる。三角の詩のことばの出どころがわかるような気がする。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』で「第二部 道徳」の第三章「善と良心」のはじめ~途中。§129~§137。
《善は特殊的意志の真理である。だが意志とは、意志がそれをめざしておのれを定立する当のものにほかならない。すなわち、意志は生来はじめから善いのではなくて、ただおのれの労働【はたらき】をとおしてのみ、おのれの真のすがたになることができるのである。》(§131)
《真実の良心は、_¨即自かつ対自的に¨_善であるところのものを意志する心がけである。》(§137)
   *
『世界の文学43/フォークナー』の「サンクチュアリ」28節~30節。
   *
『鮎川信夫全集IV 評論III』再読つづける。「精神・言葉・表現」を読む。鮎川の言語論は、時代的制約を措くとしても、相当に初歩的で通り一遍だということがわかってガッカリさせられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 2日 (月)

読み書き日録2017/10/2

加藤尚武著作集第9巻収録予定の『脳死・クローン・遺伝子治療――バイオエシックスの練習問題』の仮ゲラ印刷+通読しながら(一括処理をふくむ)ファイル修正。第一章「脳死と臓器移植」の2節、スミ。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』の「第二部 道徳」の第二章「意図と福祉」読む。§119~§128。とてもわかりにくい章。
   *
「現代詩手帖」10月号(特集:詩と料理)をひととおり読む。もうちょっと現代詩の方向性を主導する理論的な評論が必要じゃないかな。
   *
『世界の文学43/フォークナー』の「サンクチュアリ」26節~27節、読む。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 1日 (日)

読み書き日録2017/10/1

『世界の文学43/フォークナー』で「サンクチュアリ」25節、読む。
   *
加藤尚武著作集第9巻収録予定の『脳死・クローン・遺伝子治療――バイオエシックスの練習問題』の仮ゲラ印刷+通読しながら(一括処理をふくむ)ファイル修正。序章「バイオエシックスとは何か」の3節~4節。序章、スミ。つづけて第一章「脳死と臓器移植」の1節までスミ。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』の「第二部 道徳」のはじめ~第一章「企図と責任」まで読む。§105~§118。
《人間が自己自身を絶対的なものと知り、かつ自己を規定するという、このことがまさに人間の高い価値なのである。……教養のある、内面的となりつつある人間は、自分の為すところのどんなもののうちにも自分みずからがいることを欲するのである。》(§107)
   *
四元康祐詩集『小説』通読。詩によって小説と詩人を表象する試み。多様な素材と多彩なアイデアで読ませる。
〈思想は彼の貞淑な正妻であり/比喩は我儘な愛人だった〉(「水曜日の詩人」)なんてフレーズが随処にちりばめられている。「旅の詩学」は自身の詩人としてのスタンスを伝えている(ような気がする)。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/La brisureのはじめ~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年9月 | トップページ | 2017年11月 »