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2017年9月

2017年9月30日 (土)

読み書き日録2017/9/30

きのうは雑用に追われてこのページを開店休業しました。

『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』の「第一部 抽象的な権利ないし法」の「第三章 不法」のCのつづき~「権利ないし法から道徳への移行」。§101~§104。これで第一部、読了。
《報復がまず第一に反対されるのは、それがなにか不道徳なもの、復讐として現われるということ、またそれゆえ、なにか個人的なものと見なされかねないということである。だが報復そのものを遂行するのは個人的なものではなくて、概念なのである。》(§101)
 つまり、復讐は概念的にすればいいわけだ。
   *
金田久璋詩集『鬼神村流伝』読了。民俗学者としての力量をさりげなく詩的思考の粘りに溶融させつつ、自身の生涯を万遍なく書き込んだテクストは重量感があるが、そこここにユーモラスな自己戯画(「火男」)や、常民的視点からの政治批判(「ベロベロかんじょ」)などを盛り込んだ、土俗性あふれる力作詩集。七〇代の新しい実力派だ。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第六研究 隠喩と哲学的言述」の2節~3節。第六研究も読了。
《隠喩は、構成された言語を生き生きとさせるから、というだけで生きた隠喩になるのではない。隠喩が生きるのは、それが想像力を、概念のレベルで〈もっと考えること〉へと飛躍させるからである。》(395ページ)
 訳者あとがきも読み、ようやく読了。それなりに収穫の多い本だったが、ポイエーシスとしての隠喩という観点は存在しないという致命的限界があった。
   *
加藤尚武著作集第9巻収録予定の『脳死・クローン・遺伝子治療――バイオエシックスの練習問題』のテキスト処理のつづき。まずは加藤尚武マクロを走らせる。仮ゲラ印刷+通読しながら(一括処理をふくむ)ファイル修正はじめる。序章「バイオエシックスとは何か」の1節~2節。


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2017年9月28日 (木)

読み書き日録2017/9/28

ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第六研究 隠喩と哲学的言述」の1節のつづき~終り。
《哲学における隠喩について語るときには、次の二つのケースを完全に区別しなければならない。すなわち、命名の欠如にこたえるために、日常言語の語を〈広義に〉用いる、比較的ありふれたケースと、意味論的非関与性から新しい意味をひきだし、意味論的革新によって、現実の新しい相を明るみに出すために、哲学的言述が意図的に、生きた隠喩に訴えるケースで、私見によればこのケースのほうがずっと興味深い。》(372ページ)
 ここでリクールは、哲学的言述が未知の思考を展開(=意味論的革新)しようとするときに隠喩の力を借りて新しい地平を開くことを述べようとしているのであり、そこでは〈死んだ隠喩〉を拡張的に利用するよりも〈生きた隠喩〉を媒介することをより興味深い、としているのであって、それは当然だが、この指摘はとりわけ詩的言述(と呼ぶならば)にも通ずることであり、この点において詩と哲学は隠喩の力を必要とするという共通性があるのである。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき~終り。
《実際、痕跡とは意味一般の絶対的根源である。もういちど言うことになるが、意味一般の絶対的根源というものはない。痕跡とは、現われと意味作用を切り開く差延なのである。》(p. 95、拙訳)
   *
『世界の名著3875/へーゲル』で『法の哲学』の「第一部 抽象的な権利ないし法」の「第三章 不法」のB~Cの途中。§87~§100。古代ギリシャのドラコンという成文法公布者はどんな犯罪でも死刑にしたことで有名。
   *
土屋一彦詩集『みるか、ぬかるみ』通読。ことば遊びにダイレクトな政治批判。みずからの老齢をカリカチュアライズする楽しさも同居する。すこし単純すぎるかな。

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2017年9月27日 (水)

読み書き日録2017/9/27

朝方、早寝のため目が覚めたので横になりながらタブレットで「詩的断章33」を書いた。以下に掲出。

《性的共同態は、ひとりの人間がある他のものの性器と能力について行ない合う相互的な使用》であり
これが異性の場合には《自然的使用》であると
カント先生は大まじめに書いているらしい
これをヘーゲル先生が「恥ずべき――と言わざるをえない」*と批判している
どちらも笑っちゃうよね
ここだけの話
哲学ってそんなことやってるのって思われたらどうするのかって
このわたしが心配してどうする
もう二百年以上もむかしのこと
世界史はそうやって廻ってきたのさ
言われてみればさすがにものごとの真理の一端をついている
だからヘーゲルさんは恥ずかしがったのかもしれない
だって下宿した先で女あるじを孕ませちゃったぐらいだから
この哲人も自分のこと言われてしまったと勘ぐったのだろうね
相互的で自然的使用か
セックスってでも所詮そんなもんだ
そのむかし相手から「入れて」と優しく言われたときには
その優雅なエロスに感動したものだが
これも相互的使用だったわけだ
愛は使用からうまれる
いや使用こそが愛なのかもしれない
カント先生はそこまで見抜いていたのかどうか
それは学者にまかせよう
ことばが現実をつらぬいていく先が何かが問題なのだ

(*)へーゲル『法の哲学』の「第一部 抽象的な権利ないし法」「第二章 契約」§75。
   *
「季刊 未来」秋号の未読分を読み、「[出版文化再生30]ある編集者の一日」も読みなおす。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で.『法の哲学』の「第一部 抽象的な権利ないし法」の「第二章 契約」~「第三章 不法」のAまで。§78~§86。
   *
『世界の文学43/フォークナー』で「サンクチュアリ」24節を読む。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第六研究 隠喩と哲学的言述」の1節のつづき~。

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2017年9月26日 (火)

読み書き日録2017/9/26

「季刊 未来」秋号できる。拙論「[出版文化再生30]ある編集者の一日」掲載。→http://bit.ly/2wQdhUu http://bit.ly/2fbGcbr
   *
「幻竜」26号、「タンブルウィード」2号に目を通す。後者は若尾儀武さん発行で勢いがある。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第六研究 隠喩と哲学的言述」のはじめ~1節の途中。

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2017年9月25日 (月)

読み書き日録2017/9/25

新井高子編著『東北おんば訳 石川啄木のうた』見本が予定通りできる。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第五研究 隠喩と対象指示」の4節、読む。ここでは隠喩を詩的隠喩ではなく科学的言述のなかのそれを対象としているターベインやホィールライトを批判しているが、こういう非本質的な隠喩論はもともと問題にならない。第五研究、読了。
《詩的経験においては、詩人が語るたびに、詩人以外のあるものが語り、詩人がそれを制御していないのに、ある現実が言語に到達するのである。》(339-340ページ)
   *
加藤尚武著作集第9巻収録予定の『二十一世紀のエチカ――応用倫理学のすすめ』の仮ゲラの通読+ファイル修正、つづける。「III 環境・技術・国家」の「環境問題と国家主権」の2節~終り。さらに「あとがき」もスミ。これでこの本も読了。
   *
思潮社の藤井さんよりE-mailで「現代詩手帖」年鑑号の詩集評(中堅男性篇)の依頼。10月末で16枚。~了解の返信E-mail。詩集リストにコメント。
   *
『世界の文学43/フォークナー』で「サンクチュアリ」22節~23節。
   *
『世界の名著35/へーゲル』の.『法の哲学』の「第一部 抽象的な権利ないし法」の「第二章 契約」§72~§77。カントは『法論の形而上学的諸原理』のなかで〈婚姻〉について
《性的共同態は、ひとりの人間がある他のものの性器と能力について行ない合う相互的な使用》
であり、この「他のもの」が人間でありかつ異性であるばあいが「自然的使用」である、と書いているらしい。これをヘーゲルは「恥ずべき――と言わざるをえない」と批判している(§75)のがなんともおもしろい。カントも相当なことを言うわけだ。

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2017年9月24日 (日)

読み書き日録2017/9/24

ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第五研究 隠喩と対象指示」の3節、読む。
   *
加藤尚武著作集第9巻収録予定の『二十一世紀のエチカ――応用倫理学のすすめ』の仮ゲラの通読+ファイル修正、つづける。「III 環境・技術・国家」の「科学技術の倫理的価値」スミ。さらに「環境問題と国家主権」の1節まで。
   *
『世界の名著35/へーゲル』の『法の哲学』の「第一部 抽象的な権利ないし法」の「第一章 自分のものとしての所有」の「C 自分のものの外化、ないしは所有の放棄」§65~§70、「所有から契約への移行」§71。第一章、終り。著作権の問題がすでに論じられているのは驚きだ。日本だったらまだ江戸時代中期の話だ。
   *
鷲谷みどり詩集『標本づくり』通読。初めて読む若い詩人。動物園に勤めてでもいるような動物とのかかわりをもつ前半と、母や死んだらしい姉とのかかわりを書いた後半でテーマが分かれているが、いつもドッペルゲンガーのような自分でない自分をかかえている苦悩の切実さが感じられる。
   *
『世界の文学43/フォークナー』で「サンクチュアリ」21節。

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2017年9月23日 (土)

読み書き日録2017/9/23

ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第五研究 隠喩と対象指示」の2節の途中~終り。
《詩において起こることは、指示機能の抑止ではなく、両義性の働きによる指示機能の深部からの変質である。》(300ページ)
《文学は語るとおりのことを語るのであり、それ以外は語らない。詩の字義通りの意味を把握することは、詩が提示するままに、総体としての詩を理解することである。》(304ページ)
《隠喩的言表の意味は、言表の字義通りの解釈の挫折から生じる、というところから出発しよう。字義通りの解釈をしようとすると、意味が自己解体してしまうのである。ところで、この意味の自己解体が、今度は、第一次の指示の崩壊を条件づける。この点において、詩的言述の全戦略が活動する。その戦略がめざすのは、隠喩的言表の自己解体によって指示を廃棄できることであり、その自己解体は、不可能な字義通りの解釈によって明らかにされる。……意味論的非関与性という観点からすると、意味の自己解体とは、言表全体のレベルからは、意味の革新の裏側にほかならない。つまり、語の字義通りの意味の〈よじれ〉によって得られる革新である。この意味の革新こそが、生きた隠喩をつくりあげるのである。》(308-309ページ)
 ここではとても重要なことが言われている。おそらくここにリクールの主張が要約されている。
   *
中井ひさ子詩集『渡邊坂』通読。なんともとぼけた味がいい。あの世とこの世を行ったり来たりする死んだ母にたいして
〈あの世から父さんの声//こちらのみなさんに/長生きはいいもんよ いいもんよ と/自慢してこまるんだ//行ったり来たりは/ルール違反だといってやっておくれ〉(「自在に」)
とか
〈壁に向かって/大きな声でなく妹//鳴き声まで音痴やねえ〉(「留守番」)
といったぐあいだ。予想外の収穫。司修の装幀もピッタリ。
   *
『世界の名著35/へーゲル』の『法の哲学』の「第一部 抽象的な権利ないし法」の「第一章 自分のものとしての所有」§50~§53、「A 占有取得」§54~§58、「B 物件の使用」§59~§64. 63節ではマルクスの「使用価値―商品価値」の区別につながるような価値論が論じられている。
   *
加藤尚武著作集第9巻収録予定の『二十一世紀のエチカ――応用倫理学のすすめ』の仮ゲラの通読+ファイル修正、つづける。「II 地球環境の危機と対応」の「現代文明の危機と企業の行方」スミ。「II」の部、終り。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。
《(純粋な)痕跡とは差延である。》(p. 92、原文イタリック、拙訳)
《差延とは形式の形成である。しかし_¨もう一方で¨_それは刻印が刻印されること(l'e^tre-imprime+')である。》(p. 92、拙訳)
 痕跡=刻印が形成され、刻印されることそのものが差延(diffe+'rance)であるということだ。
   *
『世界の文学43/フォークナー』で「サンクチュアリ」19節の途中~20節。



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2017年9月22日 (金)

読み書き日録2017/9/22

加藤尚武著作集第9巻収録予定の『二十一世紀のエチカ――応用倫理学のすすめ』の仮ゲラの通読+ファイル修正、つづける。「II 地球環境の危機と対応」の「石油消費と温暖化対策」「地球環境問題と政治経済」スミ。
   *
「NO NUKES voice」13号で鵜飼哲さん、東京新聞女性記者のインタビューを読む。いずれも厳しい現実批判を実践している。
   *
『世界の名著35/へーゲル』の『法の哲学』の「第一部 抽象的な権利ないし法」の「第一章 自分のものとしての所有」§41~§49.
《人間はしばしば他人の財にたいして欲望を起こすということは、まったくそのとおりである。だがまさにそのことが不法なのである。というのは、法は、特殊性にたいしてどこまでも無関係のままでいるところのものだからである。》(§49)
これはヘーゲル的詭弁というものではなかろうか。
   
『世界の文学43/フォークナー』で「サンクチュアリ」19節の途中まで。

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2017年9月21日 (木)

読み書き日録2017/9/21

加藤尚武著作集第9巻収録予定の『二十一世紀のエチカ――応用倫理学のすすめ』の仮ゲラの通読+ファイル修正、つづける。「II 地球環境の危機と対応」の「地球を早死にさせてはいけない」「環境倫理学の直面する課題」スミ。
   *
吉田広行詩集『記憶する生×九千の日と夜』通読。前半が抒情的な長詩1篇、後半は評論に近いエッセイの組合せ。評論は現代文明批評をかねた魅力的な詩論にもなっているが、対象の選択に異和感が残る。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第五研究 隠喩と対象指示」の2節~。<

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2017年9月20日 (水)

読み書き日録2017/9/20

「大学出版」111号に目を通す。科学書の執筆者、編集者の現場感覚。それぞれの哲学があるようだ。
   *
ダーチャ・マライーニ『ある女の子のための犬のお話』初校通読つづける。pp. 77-104. 2話分、訳者あとがきもスミ。~天野さんに戻し。
   *
加藤尚武著作集第9巻収録予定の『二十一世紀のエチカ――応用倫理学のすすめ』の仮ゲラの通読+ファイル修正、つづける。「II 地球環境の危機と対応」の「応用倫理学の領域」「環境倫理学の視点」「環境問題の三つの原理」スミ。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie pp. 88-91. 第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。デリダは《原-エクリチュール、差延(diffe+'rance)の運動》(p. 88) と同格づけしている。現前(pre+'sent)と痕跡(trace)の問題も論じられていく。
   *
吉田義昭詩集『結晶体』通読。妻の死を書いた読むのもつらい詩集だ。
〈「生きろ」と、自分に向かって語れる者は幸せなのかもしれない。「生きていることの尊さ」に気づいた者はきっと不幸を背負っている者なのだ。〉(「家族という病」)
――なんとも重いことばだが、真実だ。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書)の「第五研究 隠喩と対象指示」の1節まで。《〈文学〉とは、もはや外示的意味【コノタシヨン】はもたず、共示的意味【デノタシヨン】しかもたないような種類の言述のことである。》(293ページ)

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2017年9月19日 (火)

読み書き日録2017/9/19

加藤尚武著作集第9巻収録予定の『二十一世紀のエチカ――応用倫理学のすすめ』の仮ゲラの通読+ファイル修正、つづける。「I バイオエシックスの課題」の「癌の告知は相当か否か」「脳死臨調の中間意見をめぐって」「宗教的信念と法的権利」「エイズ対策と国民のリスク負担義務」「安楽死と自己決定の条件」スミ。これで「I」の部、終了。
   *
ダーチャ・マライーニ『ある女の子のための犬のお話』初校通読つづける。pp. 51-75. 5話分、スミ。
   *
「図書」9月号に目を通す。加藤典洋が特高時代の父の罪業について書いているが、親子の葛藤をどうしていまごろこういう場所で明らかにしようとしているのだろう。エディプス的なものがあるのか。
   *
宇田智子さんより「A book in the life of RYUKYU 私のおきなわの本」フェア協力の再依頼E-mail。~宇田さんにtel。他社本で推薦はむずかしいので『フォトネシア』についての思いを書かせてもらい、本も仕入れてくれることに。
《わたしが沖縄の思想や運動に出版を通じて深くかかわるようになったのは、仲里効さんとの仕事を通じてですが、とりわけこの『フォトネシア――眼の回帰線・沖縄』(2009年)は、その後の沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉全9冊刊行という無謀とも言える大事業の導火線にもなった感慨深い一冊です。明快でクリアーな批評の力が沖縄の無類の潜勢力を指し示しています。》
という文面を宇田さんに送る。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第四研究 類似の作業」の4節。この節で論の対象となるのはポール・ヘンリとマーカス・B・へスターである。第四研究、読了。
《陳腐な隠喩と詩的な隠喩との違いは、一方がパラフレーズされ得るが、他方はそうでない、ということではなく、詩的隠喩のパラフレーズは、やり出したらはてしないということである。》(255ページ)
 この隠喩的把握はすばらしい着眼だ。
   *
『世界の文学43/フォークナー』で「サンクチュアリ」18節の途中~終り。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』の「第一部 抽象的な権利ないし法」§34~§40.

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2017年9月18日 (月)

読み書き日録2017/9/18

『世界の名著35/へーゲル』の『法の哲学』の「緒論」§30~§33。緒論、終り。
《概念の運動原理は、普遍的なものの特殊化したもろもろのあり方をただ解消するばかりではなくて、産出しもするものとして、私はこれを_¨弁証法¨_と呼ぶ。》(§31)
 弁証法の定義のひとつ。ここから
《もっと高い、概念の弁証法とは、規定をたんに制限や反対物として産出するのではなくて、規定から_¨肯定的¨_な内容と成果を産出し把握すること――このことによってのみ規定は_¨展開¨_ないし_¨発展¨_であり、内在的な前進であるとして――である。それゆえ、この弁証法はなにか主観的な思惟の_¨外的¨_な行ないではなくて、_¨内容自身のたましい¨_であり、有機的にそのもろもろの枝や果実を生じるのである。》(§31)
となるわけである。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie 第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。Hjelmslevによるglosse+'matique(言理論)を一定評価しつつ、archi-e+'critureのほうが表記的表現ばかりでなく非-表記的表現まで対象にしうるという点での優位性を強調する。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第四研究 類似の作業」の2節~3節。
   *
ダーチャ・マライーニ『ある女の子のための犬のお話』初校通読はじめる。p. 49まで。5話分、スミ。
   *
『世界の文学43/フォークナー』で「サンクチュアリ」18節の途中まで。

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2017年9月17日 (日)

読み書き日録2017/9/17

北川朱実詩集『夜明けをぜんぶ知っているよ』通読。このひとはショート・ストーリーに向いているのかもしれない。プロットのある展開のほうが細部の観察力と描写力が生きてくるんじゃないか。「水の中の用意された一日」などはその一例。行分け詩の場合、書き込みがそのぶん足りない気がする。
   *
加藤尚武著作集第9巻収録予定の『二十一世紀のエチカ――応用倫理学のすすめ』の仮ゲラの通読+ファイル修正、つづける。「I バイオエシックスの課題」の「自己決定権の限界」「病名の告知と信頼関係」「医師はひとりの患者だけを診るのではない」「痛みを緩和する『思いやり』」「議論と紹介の現状」「遺伝子治療と人間改造の可能性」スミ。
   *
『世界の文学43/フォークナー』で「サンクチュアリ」17節。
   *
『世界の名著35/へーゲル』の.『法の哲学』の「緒論」§18~§29。
《意志は普遍性を、つまり無限な形式としての自己自身を、自分の内容、対象、目的としている以上、_¨即自的に¨_自由な意志であるばかりではなく、同様にまた_¨対自的に¨_も自由な意志――真の理念である。》(§21)
《およそ現存在が、_¨自由な意志の現存在¨_であるということ、これが_¨法¨_ないし_¨権利¨_である。――法ないし権利はそれゆえ総じて自由であり、理念として有る。》(§29)
 ここで法ないし権利はいずれもRechtであって、それが自由であるという場合、〈権利〉として理解したいところだが、ヘーゲルの場合はかならずしもそうでない。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie 第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。イェルムスレウとコペンハーゲン学派の問題設定の拡張の評価。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第四研究 類似の作業」のはじめ~1節。
《アリストテレス以後、彼が隠喩と直喩の間に認知していた関係は逆転する。直喩はもはや隠喩の一種ではなく、隠喩こそ直喩の一種なのである。つまり短縮した直喩なのである。比較の辞項の省略だけが隠喩を直喩から区別する。》(224-225ページ)
《構造言語学は、二分法的熱意をもって、転義的比喩の複雑な表を極端に単純化する方向に進み、ついに今やそこには隠喩と換喩しか残らなくなってしまった。換言すれば、類似と隣接性のみ、というわけである。》(225ページ)
《ヤコブソンの天才ぶりは、この本来比喩論的、修辞学的な二元性を、もっと根本的な両極性に、つまり言語の比喩的な用法だけでなく、言語の働きそのものにかかわる両極性に結びつけたところにある。隠喩性と換喩性とは、文彩や転義的比喩を名づけるだけにとどまらず、以後、言語の一般的な過程を指すようになる。》(225ページ)
 ここではたてつづけに重要な指摘がなされている。
   *
『鮎川信夫全集IV 評論III』再読つづける。「詩と政治と表現の問題」の途中~終り。さらに「戦争責任論の去就」。この文章は鮎川としてもみずからの思考の弱点を端的に語っている重要な文書である。鮎川の〈近代〉を論じるうえで手がかりにすべきものだ。

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2017年9月16日 (土)

読み書き日録2017/9/16

「THROUGH THE WIND」37号に目を通す。原田勇男が巻末のあとがきで昨年刊行された現代詩文庫版『原田勇男詩集』のことを書いており、《評論のなかで初めて本格的な「炎の樹」論を展開してくれた野沢啓さん》ほかへの感謝のことばを書いている。《少し照れ臭い思もする》とも。正直で謙虚なひとだ。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第三研究 隠喩と言述の意味論」の4節途中~終り。第三研究、スミ。この節はモンロー・ビアズリーの文芸批評的隠喩論を検討している。これはブラックの隠喩論をさらに推し進めるものとして注目していい。
 ビアズリーの理論は、《隠喩的言表の、発明的、革新的性格》を強調し、《二重の利点をもたらす》。
 その第一は、《比喩的な意味と本来の意味という古めかしい対立の土台がまったく新しくされたことである。本来の意味とは、語に登録された語彙的な意味作用、つまりその語の明示作用をなす意味作用にしか訴えない言表の意味のことである。比喩的な意味とは、語の逸脱した意味ではなく、特定の主語に、様態辞の共示的価値を賦与するところから出てくる言表全体の意味である。》
 その第二は、《外示を共示に移動させる意味論的衝突は隠喩的属性賦与に、独自の性格だけでなく、つくりあげられた性格を与える。辞書に隠喩はなく、それは言述にしか存在しない。》(いずれも209ページ)
 わかりにくいが、隠喩は語のレベルを超えて言述のレベルで意味賦与されるものであるということだ。
 したがって、《斬新な隠喩はどこからも引きだされない、と言いきることは、隠喩をあるがままで認めること、つまり言語の瞬間的な創造として認めることである。それは外示としてでも、共示としてでもない、要するに既定のものとして言語の中に位置をもたない、_¨意味論的革新¨_である。》(212ページ)
ということになる。隠喩は〈瞬間的な創造〉として新しく出現するが、それはいずれ明示的な隠喩として辞書的に登録されていく。それはすでに〈死んだ隠喩〉である。
 したがって《真正の隠喩だけが、つまり生きた隠喩だけが、出来事であると同時に意味となるのである。》(214ページ)
 ここがリクールの主張になってくるのだろう。
   *
『世界の名著35/へーゲル』の『法の哲学』の「緒論」§8~§17。
《たんに概念からいって意志であるだけの意志は、即自的に自由であるが、同時にまた不自由でもある。というのは、意志は真に規定された内容としてはじめて真に自由といえるだろうからであって、このとき意志は対自的に自由であり、自由を対象としており、自由そのものである。》(202ページ)
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。
   *
加藤尚武著作集第9巻収録予定の『二十一世紀のエチカ――応用倫理学のすすめ』の仮ゲラの通読+ファイル修正、つづける。「I バイオエシックスの課題」の「ホスピスとビハーラ」「パターナリズムと成人の条件」スミ。
   *
『鮎川信夫全集IV 評論III』再読つづける。「翻訳詩の問題」のつづき。「詩と政治と表現の問題」の途中まで。パステルナークのノーベル賞受賞辞退と最近の中国での事件が重なる。

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2017年9月15日 (金)

読み書き日録2017/9/15

加藤尚武著作集第9巻収録予定の『二十一世紀のエチカ――応用倫理学のすすめ』の仮ゲラの通読+ファイル修正、つづける。「I バイオエシックスの課題」の「助け合いの倫理と献身の倫理」スミ。
   *
『齋藤恵美子詩集』(現代詩文庫) の未読分を読む。作品論などを読むと、この詩人の力量が並のものでないことが強調されている。既読詩集を読み直してみる必要あるかも。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第三研究 隠喩と言述の意味論」の4節~途中まで。

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2017年9月14日 (木)

読み書き日録2017/9/14

「春秋」8/9月号に目を通す。島薗進が引用している明治期の挙国一致体制への石橋湛山の批判精神は見事だ。
   *
「PO」166号に目を通す。
   *
『ホモコントリビューエンス』収録予定の朱坤容「先秦儒家学説における奉献心についての一考察――墨子、荀子と孟子を中心に」読む。これですべての原稿を読了。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第三研究 隠喩と言述の意味論」の3節、読む。この節はマックス・ブラックの隠喩解釈について。いまや古典と評価されているブラックだが、リクールの説明だけではよくわからず。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。ここでようやく〈原エクリチュールarchi-e+'criture〉という新しい概念が出てくる。
《われわれがエクリチュールと呼びつづけるのは、それがエクリチュールの通俗的な概念と本質的に通ずるものがあるゆえでしかない。この通俗概念が歴史的にみずから押し通すことができるのは、原エクリチュールの隠蔽によってのみであり、パロールがみずからの他者であり分身でもあるものを追い払い、その差異を削減しようとするその欲望によってのみである。われわれがこの差異をエクリチュールと名づけることにこだわるとすれば、それは、歴史的抑圧の辛苦のなかで、エクリチュールが状況しだいではこの差異のもっとも怖ろしい部分を意味するべく宿命づけられていたからである。エクリチュールは、そのもっとも周辺的な部分では、生きたパロールの欲望を脅かすものであり、そして内側から、始まりのときから、パロールに_¨切りつける¨_(entamer) ものだったからである。》(83ページ、拙訳)
   *
『世界の文学43/フォークナー』の「サンクチュアリ」12節~15節。
   *
『世界の名著35/へーゲル』の法の哲学』の「緒論」§5~§7.
《人間は自己自身の純粋な思惟であって、思惟するものとしてのみ人間は、おのれに普遍性を与えるという力なのである。》(194ページ)

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2017年9月13日 (水)

読み書き日録2017/9/13

『ホモ・コントリビューエンス』収録予定の李萍「中国近代における奉献心を否定する主な思潮についての一考察」読む。
   *
「みすず」9月号に目を通す。
   *
『世界の文学43/フォークナー』の「サンクチュアリ」9節~11節。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第三研究 隠喩と言述の意味論」の2節、読む。この節はI・A・リチャーズ『修辞学の哲学』を主として論じる。
《言語は本質的に隠喩的である。つまり言語はこれまで理解されなかった事物の関係をはっきり示し、その理解を恒久化する。》(218ページ注)
これはI・A・リチャーズが引用したシェリーのことばである。
   *
『鮎川信夫全集IV 評論III』再読つづける。鮎川の戦争責任論は吉本隆明に比べるとあきらかに弱い。そこは鮎川も認めている。
   *
『世界の名著35/へーゲル』の『法の哲学』の「緒論」§4。

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2017年9月12日 (火)

読み書き日録2017/9/12

加藤尚武著作集第9巻収録予定の『二十一世紀のエチカ――応用倫理学のすすめ』の仮ゲラの通読+ファイル修正、つづける。「I バイオエシックスの課題」の「危険を冒す権利と『他人への危害の原則』」「誰が医療を行なうか」スミ。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第三研究 隠喩と言述の意味論」の1節の途中~終り。ラングの言語学/記号論性【ル・セミオティク】と言述の言語学/意味論性【ル・セマンティク】というバンヴェニストの設定。
《記号論性は言語内関係しか知らない。意味論性のみが記号と外示された事物との関係を、つまり究極にはラングと世界の関係を引き受ける。》(165ページ)
 リクールの立ち位置はこの言述の言語学=意味論的隠喩論である。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』の「緒論」§1~§3。
   *
『世界の文学43/フォークナー』で「サンクチュアリ」7節の途中~8節。
   *
『鮎川信夫全集IV 評論III』再読つづける。「詩劇について」のつづき。

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2017年9月11日 (月)

読み書き日録2017/9/11

「UP」9月号に目を通す。隈研吾の東大建築科にたいするアンビヴァレントな批判的言及は、国家主導の発注システムに乗っかって恩恵を受けた分、東日本大震災以後、東京オリンピックで試練にさらされるとしている。原発後の日本を世界に見せられなければ、「世の中から用がないものとして、忘却されるに違いない」と悲壮な覚悟をしている。
   *
加藤尚武著作集第9巻収録予定の『二十一世紀のエチカ――応用倫理学のすすめ』の天野さん修正すみ分の仮ゲラの通読+ファイル修正、はじめる。「I バイオエシックスの課題」の「高齢化社会と生命の質」「子どもは誰のものか」スミ。

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2017年9月10日 (日)

読み書き日録2017/9/10

「季刊 未来」秋号のために書いた「[出版文化再生30]ある編集者の一日」を「[出版文化再生II-22]として取り込み、ココログの「出版文化再生」ブログ(http://poiesis1990.cocolog-nifty.com/shuppan_bunka_saisei/2017/09/ii-22-b83e.html)と未來社ホームページの[出版文化再生]ブログ(http://www.miraisha.co.jp/shuppan_bunka_saisei/#entry-572)にアップ。
   *
『世界の名著35/へーゲル』で『法の哲学』読みはじめる。まずは長い序文を読む。訳注も多くて長い。
《自然の認識とちがっている点は、法のおきてのばあいは考察の精神が起こることであって、もろもろの法律のちがいということがもうそれらの法律は絶対的ではないということに注意させる。法のおきては_¨さだめおかれたもの¨_、人間に_¨由来するもの¨_である。》(159ページ)
 これがへーゲルの法にたいする基本姿勢か。
《理性的であるものこそ現実的であり、/現実的であるものこそ理性的である。》(169ページ、全文傍点付き)
 これはたしか『精神現象学』にあることばじゃなかったかな。
   *
倉橋健一詩集『失せる故郷』通読。〈不思議な孤独の達成点をもった一角獣〉サイに擬して〈生き延びる最後の機会〉を得たいとする詩人の、老境をも乗り越えようとする想像力のもたらすイメージ世界はいまだ若々しく健在で、励まされる。
   *
『世界の文学43/フォークナー』で.「サンクチュアリ」6節~7節の途中まで読む。
   *
『鮎川信夫全集IV 評論III』再読つづける。『死の灰詩集』論争などは相手のレベルが低すぎて鮎川の相手にならないが、鮎川の批判的言説も通り一遍でしかない。状況的把握は的確だが、理論的裏づけはあまりないひとだったことがよくわかる。
   *
第二次「走都」創刊号の「鮎川信夫の方法(1)」を読みなおす。連載2回目をそろそ書きはじめる必要あり。

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2017年9月 9日 (土)

読み書き日録2017/9/9

新井高子編著『東北おんば訳 石川啄木のうた』の四校PDFを印刷して通読のつづき。四部~五部、ノート、おわりに、編著者経歴、奥付、広告ページ。すべて読了。修正点と疑問点をE-mailに書き出し、新井さん、アタマトテの榎本さん、蛭田さんに送付。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第二研究 隠喩と語の意味論」の5節の途中~終り。第二研究、読了。
《語義変換と論理変換の区別で、依然として真実であるのは、語義変換が、語のレベルで偏差を指示すること、その語を通して言表が意味を回復することである。しかしこの偏差が、言表全体に関係する意味論的現象の、語への効果にほかならないことを認めるならば、その新しい意味をもつ言表全体をこそ隠喩と呼ぶべきであって、言表全体の意味の変動を語に焦点を絞る、範列的偏差のみを隠喩と呼ぶべきではないのである。》(139ページ)
《隠喩=言表理論のみが、文彩を言述理論の枠に置きかえることによって、〈語への還元〉が閉じてしまう、意味と指示作用の問題を開くことができるのである。》(146ページの注)
 リクール隠喩論の問題は、隠喩の創造の理論というよりも既成の隠喩の解釈学的了解の理論にすぎない。しかし、ここで言われていることは(わかりにくいが)隠喩を、語のレベル(偏差、代置)でなく、語の偏差をふくむ言表全体の問題として捉えようとしていることである。このあとの研究を期待しよう。
   *
『世界の文学43/フォークナー』「サンクチュアリ」2節の途中~5節。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。ソシュールに追随するA. マルチネの批判。
   *
加藤尚武著作集第4巻収録予定の『哲学原理の転換――白紙論から自然的アプリオリ論へ』の単行本最終データと入校用データのファイル比較を秀丸上でおこないながら通読、再開。「第8章 心身論史――『離存』問題の跡をたどって」のはじめ~七節。この章もスミ。あとがき、初出一覧もスミ。これでこの本もスミ。

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2017年9月 8日 (金)

読み書き日録2017/9/8

萩原印刷より「季刊 未来」秋号の佐々木力「ニーダム難題に挑む――中国論・論中国・On China 11」三校、深井智朗「一八一七年のナショナリズム 宗教改革三百周年――宗教改革から五百年3」の初校、西谷の「[出版文化再生30]ある編集者の一日」の初校、出校。責了でもどす。西谷の分は校了。
   *
新井高子編著『東北おんば訳 石川啄木のうた』の四校のPDFを印刷しながら読み直しとチェックをはじめる。三部まで、スミ。
   *
「アリゼ」180号に目を通す。
   *
「現代詩手帖」9月号、読了。森本孝徳の荒川洋治論が意外にも特集では出色の出来で、若い世代の批評として異和感を具体的にしめしている。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第二研究 隠喩と語の意味論」の4節~5節の途中。
《新修辞学〔ヌーヴェル・レトリック〕は、転義理論をより形式的なだけの用語で再定式化したものに還元できるようなものでは断じてない。新修辞学はそれよりも、文彩【フィギュール】理論に、その全体的な大きさをとりもどさせることをもくろんでいるのである。》(97ページ)
   *
『世界の文学43/フォークナー』で「サンクチュアリ」読みはじめる。

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2017年9月 7日 (木)

読み書き日録2017/9/7

きのう書いた「季刊 未来」秋号の「[出版文化再生30]ある編集者の一日」原稿読み直しと修正。天野さんから入校へ。データはほかの分とあわせて萩原印刷・中山君にメール送付。
   *
小林坩堝『エンド・ロール』読む。薄いが一篇の長詩でできていて、主語が〈わたし〉〈おれ〉などと自在に変わっていくところは、これまでもそうだった気がするが、〈あなた〉〈おまえ〉といった対象を求めて乾いた抒情を発散していく。とはいえ、〈われわれすなわち/行ける行旅死亡人〉(16ページ)とはなんだかこの世代の生きにくさを象徴しているようにも思われる。〈――あなたは誰?〉この切実さがこの詩人の初発の根拠なのだろう。そう言えば『でらしね』という詩集があったな。
   *
「現代詩手帖」9月号、読みつぐ。松下育男「初心者のための詩の書き方」はそれ自体が詩であり、詩の形式をまとったプラグマティズムである。教えられることはあっても、詩を変革することはできない。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第四部 現在と未来」の「第二章 世界共和国へ」のはじめ~6節。この章、第四部、読了。あとがきも読み、ようやく読了。
《資本主義の揚棄は、それが同時に国家の揚棄をもたらすものでなければ、意味がないのだ。》(458ページ)
《産業資本は、あくまで商品交換の原理を貫徹しつつ、剰余価値を得るというシステムである。旧来の「階級闘争」の観念をもちこむことでは、それに対して対抗することはできない。だが、それは「階級闘争」が終わったということを意味するのではない。資本と賃労働という関係から来る対立は、それが揚棄されないかぎり、終わることはない。》(461ページ)
《産業資本におけるプロレタリアは新たな消費者として出現したのだ。つまり、労働者が同時に、彼らが生産した物を買いもどす消費者としてあらわれるときに、産業資本主義ははじめて、自己再生的システムとして自律性を獲得するのである。》(465ページ)
《われわれは、カントはへーゲルによって乗り越えられ、へーゲルはマルクスによって乗り越えられたというような通念を斥けなければならない。われわれはむしろ、カントを、各地の資本と国家への対抗運動やコンミューンが分断され対立させられないようにするにはどうすればよいのか、という問題意識から読み直すべきである。》(487ページ)
 この本は独自の交換様式論から主として国家と経済を軸にして世界史を解読するという方法で、予想に反してヘーゲル的世界史とはほとんど接点がなかった。

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2017年9月 6日 (水)

読み書き日録2017/9/6

深井智朗さんよりE-mailで「季刊 未来」秋号の原稿「一八一七年のナショナリズム 宗教改革三百周年――宗教改革はどう祝われたか3」とどく。テキスト処理+通読+ファイル修正して印刷。18行分パンク。~深井さんにtel。PDFでE-mail送信することに。
   *
「季刊 未来」秋号の[出版文化再生30]は「ある編集者の一日」としてきょう一日の仕事内容を書いてみることにする。もちろん、この書くこと自体も自己言及的に触れることになる。きょうの夜のお仕事。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第二研究 隠喩と語の意味論」の2節の途中~3節。多義性の重要性について。
《隠喩が意味の革新でなくなり、慣用的隠喩に、つまり、きまり文句になったとき、隠喩は多義性に、いわば付け加わるのである。……はじめの多義性はラングに等しく、生きた隠喩はパロールに等しい……。慣用的隠喩は、パロールのラングへの還帰に等しく、あとの多義性はラングに等しい。》(85ページ)
   *
「現代詩手帖」9月号をよみつぐ。久しぶりのねじめ正一の物語詩がなかなかおもしろかった。ドタバタ調は変わらずだが。
   *
「季刊 未来」秋号の「[出版文化再生30]ある編集者の一日」原稿、とりあえず完成。28字×87行。あすにも入校。

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読み書き日録2017/9/5

「現代詩手帖」9月号、読みはじめる。荒川洋治・福間健二対談を読むが、荒川の確信犯的なアルチザンの立場からの発言は毎度のことだが、福間の発言はお粗末としか言いようがない。なんの裏づけもない放言ばかりで、たとえば90年代に「これからはポストモダンだ」と誰かが言ったとかいうことになっているが、そんなバカげたことを言う詩人なんているはずがない。どうせ自分の周辺のヨタ話にでも出たぐらいだろうが、こういうレベルの批評性のなさにはあらためて驚き入る。鮎川信夫批判をしているが、ほとんどちゃんと読んでいないんじゃないの。こういうのは放談というより猥談とでも思うしかない。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第四部 現在と未来」の「第一章 世界資本主義の段階と反復」の3節~5節。この章も終り。
《一九九〇年以後、ソ連圏の解体とともに生じた事態は、グローバリゼーションと呼ばれているが、実際は、ヘゲモニーをめぐる「帝国主義的」な競争という事態である。》(445ページ)
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第二研究 隠喩と語の意味論」の2節~

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2017年9月 4日 (月)

読み書き日録2017/9/4

小林康夫さんよりE-mailで「季刊 未来」秋号の連載原稿「オペラ戦後文化論II-7」とどく。telもあり。~テキスト処理+通読。5ページ半弱しかないことがわかる。~返信E-mailで不足分を伝える。
   *
きのうE-mailで届いた「季刊 未来」秋号の郷原宏「岸辺のない海――石原吉郎ノート9 沈黙と失語」のテキスト処理+通読。ほぼ完璧なので、このまま入校することに。~郷原さんにお礼のE-mail。「走都」への励ましについても感謝。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第一研究 弁論術【レトリック】と詩学の間――アリストテレス」の5節のつづき~了。つづけて「第二研究 隠喩と語の意味論」の1節まで。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologieの第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。ソシュールの音韻論主義(phonologisme)に依拠したヤコブソンとハレの音響的実質(substance sonore)における不変項(invariants)の存在にたいするデリダの批判――実行不可能、権利上認めがたい。
   *
「雨期」69号に目を通す。
   *
『鮎川信夫全集IV 評論III』再読。
《何よりも詩人自身が、良い詩を鑑賞する能力を持たなければ、つまらぬ詩が多くなるばかりである。/マス・コミュニケーションに便乗することを考えたり、「やさしい言葉で、迅速に」の宣伝詩や、素朴な感情を売物にする人生詩が氾濫している反面、およそ諒解不可能な実験詩や、未熟なモダニズムの詩も一向に跡を絶たないのは、やはりこの鑑賞力の低下に起因するものと考えなければならない。》(380ページ、「詩人への報告」より)
 おそろしいことにこの63年前の鮎川の指摘がいまそのまま通用してしまうのは驚きだ。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第四部 現在と未来」の「第一章 世界資本主義の段階と反復」の1節~2節。
《それ〔国民国家〕は歴史的な構築物であり、且つ不安定なものである。とはいえ、それは容易に解体されるものではないこと、また、下手に解体されるならば宗教的あるいは血縁的共同体が出てくるだけだ、ということを心得ておく必要がある。》(442ページ)

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読み書き日録2017/9/3

加藤尚武著作集第4巻収録予定の『哲学原理の転換――白紙論から自然的アプリオリ論へ』の単行本最終データと入校用データのファイル比較を秀丸上でおこないながら通読つづける。「第7章 白紙論崩壊とアメリカに登場したヘーゲル主義」スミ。
   *
トリスタン・ツァラ『トリスタン・ツァラ詩集』読了。ツァラの作品のつづきと関連資料、訳者あとがき、などを読む。ツァラの言語破壊的な作品もあるが、翻訳となると理解がより厳しい。ただ最近の日本の詩にも見られそうな詩でもあるような気がする。詩人としての再評価はむずかしいかも。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie pp. 75-78. 第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第三部 近代世界システム」の「第四章 アソシエーショニズム」の8節~9節。これで第四章、第三部も終り。
《英米では、カントは主観的倫理学として斥けられ、彼が批判した功利主義が優勢になった。その場合、善は、経済的な効用=利益とほぼ同じことになる。いいかえれば、倫理学は経済学と同じことになる。ロールズはそのような文化的土壌に、カント的倫理学を導入したようにみえる。しかし、そうではない。ロールズは功利主義の基盤である資本主義経済を不問に付した上で、「善」を考え、分配による「平等」を考えた。そこでは、「自由の相互性」が考えられていない。ゆえに、それをカント的と呼ぶのは的外れである。》(426ページ)
 ロールズ的正義は「分配的正義」にすぎない。
   *
「詩的現代」第二次22号に目を通す。清水博司が詩誌評で第二次「走都」創刊号の詩「発熱装置」について言及してくれる。 《長編詩とはいえないが、全体を通して凜とした姿勢で貫かれ統一性が保持されている。《箴言のような古今東西の人々の言葉がとりあげられ、そのとりあげた言葉に触発されるように、詩人のことばが発光し、詩的な緊張が生み出されていく。……実に優れて刺激的な思索の世界が展開される。》と。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第一研究 弁論術【レトリック】と詩学の間――アリストテレス」の5節~。

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2017年9月 2日 (土)

読み書き日録2017/9/2

柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第三部 近代世界システム」の「第四章 アソシエーショニズム」の3節の途中~7節。
《民族の独立や前近代的な社会の改革を目指す者は、社会主義者しかいないのである。社会主義者は、したがって、絶対王権ないしブルジョア革命が果たしたことを果たさなければならない。/マルクスがいったように、これらは本来、社会主義者がやるべき仕事ではない。しかし、周辺部諸国では、社会主義者以外に、それを実行することができない。そして、社会主義者がそうするのは当然であり、むしろ称賛されるべきことである。ただ批判されるべきなのは、彼が実行したことを「社会主義」と呼んだことである。そのことによって、社会主義という理念が回復不可能なまでに傷つけられた。》(414-415ページ)
   *
トリスタン・ツァラ『トリスタン・ツァラ詩集』の作品部分のつづき。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第一研究 弁論術【レトリック】と詩学の間――アリストテレス」の3節~4節。
《アリストテレスから見ると、隠喩において比較の辞項が不在であることは、クィンティリアヌス以来言われているように、隠喩が短縮した直喩である、ということを意味しない。むしろ逆に、直喩は発展した隠喩なのである。》(28ページ)
《直喩は、その類似を特徴づける比較の用語によって、類似を明示する。隠喩の巧みな技法は、つねに類似を認知することにあるということ、それは直喩との比較によって確認される。隠喩において言表はされないが働いている関係を、直喩は言語化するのである。……『詩学』で述べられているように、詩人とは「類似に気づく」人である。》(32ページ)
   *
「Shinado」25号に目を通す。林信弘編集誌。
   *
「モデラート」45号に目を通す。初めて見る詩誌だが、宮内憲夫が送ってくれたもの。
   *
加藤尚武著作集第4巻収録予定の『哲学原理の転換――白紙論から自然的アプリオリ論へ』の単行本最終データと入校用データのファイル比較を秀丸上でおこないながら通読つづける。「第6章 ヘーゲル体系論の四つのモチーフ」の二節~四節。この章もスミ。 《彼の言葉は、哲学体系について、ヘーゲルが何を望んだかを示しているが、彼がその体系の記述で達成したことを示してはいない。ヘーゲルは体系の夢想家であって、体系の可能性の思索者でも、体系を基礎づける者でもなかった。》


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2017年9月 1日 (金)

読み書き日録2017/9/1

ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第一研究 弁論術【レトリック】と詩学の間――アリストテレス」の2節のつづき~。
《隠喩がある秩序をこわすのは、別の秩序を創りだすためであり、範疇誤り〔カテゴリー・ミステイク〕とは単に、発見の論理の裏返しにすぎない、と言ってはいけないだろうか。》(21ページ)
《根源の隠喩的なものという観念は、本義と転義の、普通と風変りの、秩序と違反の、諸対立をこわしてしまう。この観念は、類と種とが発生してくる意味論的な場の隠喩的構成から秩序それ自体が生じてくる、という考え方を示唆している。》(23ページ)
 隠喩こそが新しい秩序を構成することを言わんとしている。
《創造についての現代の理論がすべて確言するように、創造のための規則はないのであり、よい仮説をつくるための規則もなく、ただその仮説を有効ならしめる規則だけがあるのである。》(24ページ)
 ここにはアリストテレス『詩学』の、巧みな隠喩を創ること=巧みな類似を見つけ出すこと、それは天賦の才能であることが踏まえられている。
   *
加藤尚武著作集第4巻収録予定の『哲学原理の転換――白紙論から自然的アプリオリ論へ』の単行本最終データと入校用データのファイル比較を秀丸上でおこないながら通読つづける。「第5章 ヘーゲルとマルクス」の六節~八節。この章もスミ。つづけて「第6章 ヘーゲル体系論の四つのモチーフ」のはじめ~一節。
   *
「雛罌粟【コクリコ】」3号、4号、5号に目を通す。粟津則雄さんのエッセイのほか安住紀宏という若いひとのエッセイも読む。




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読み書き日録2017/8/31

柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第三部 近代世界システム」の「第三章 ネーション」の6節~「第四章 アソシエーショニズム」の2節。

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