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2017年8月

2017年8月20日 (日)

読み書き日録2017/8/20

『石川啄木全集 第二巻 詩集』岩城之徳の解題のつづき~終り。英詩をのぞき、いちおう完読。啄木やはり侮れず。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologieの第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。
   *
加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「ヘーゲル」の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「2 社会と国家」の途中~「3 自己展開する論理」の途中。21ページ分、スミ。
   *
イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫)の第三章「道徳形而上学から純粋実践理性批判への移り行き」のつづき。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第三部 近代世界システム」の「序論 世界=帝国と世界=経済」のつづき~「第一章 近代国家」の1節まで。

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2017年8月19日 (土)

読み書き日録2017/8/19

イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第三章「道徳形而上学から純粋実践理性批判への移り行き」のはじめ~。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の小田切秀雄の解説のつづき~終り。処女詩集『あこがれ』と晩年の〈呼子と口笛〉の評価について、など。つづいて岩城之徳の解題の途中まで。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第四章 普遍宗教」の5節~8節。第二部、読了。さらに「第三部 近代世界システム」の「序論 世界=帝国と世界=経済」の途中まで。
《ユダヤ教は民族の宗教ではなく、個々人が形成する教団として生まれた。……国家を無くしたユダヤ人は、モーセの神を信じる集団として新たに組織されたのだ。それが新たなユダヤ民族となった。つまり、ユダヤ教はユダヤ民族が選んだ宗教ではなく、逆に、ユダヤ教がユダヤ民族を創り出したのである。》(229ページ)
 これはよく言われることで、ユダヤ民族という固有の民族は存在しないらしい。

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2017年8月18日 (金)

読み書き日録2017/8/18

イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~第二章の終り。意思の最高の法則とは、
《君の格律はいついかなる場合でも同時に法則として普遍性をもち得るような格律に従って行為せよ》
であり、それはつぎのように言い換えられる――
《君の格律が自分自身を対象〔目的〕とする場合に、その対象が同時に自然法則と見なされ得るような格律に従って行為せよ》(122ページ、全文傍点付き)
となる。まことに厳格だ。
   *
「兆」175号に目を通す。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。関根清三「『貢献心』は本能か?――オペラに基づく批判的考察」のつづき~終り。いったん著者に戻す必要あり。天野さんから送ってもらう。
   *
加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「ヘーゲル」の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「2 社会と国家」7ページ分、スミ。
   *
『さよなら鮎川信夫 (特装版・現代詩読本)』で代表詩63篇の読み直しのつづき~了。読み直してみると、記憶に残っているものとそうでないものとが歴然としてあることがわかった。正直に言って、鮎川信夫の詩はうまくはない。隠喩的と批判的にみなされる技法も戦後初期のものに限られると言ってよい。従来の鮎川批判がいかに無検証的であったかを論証する必要あり。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第四章 普遍宗教」の2節~4節。《貨幣経済は個人を共同体の拘束から解放し、帝国=コスモポリスの人民とするだけではない。その「急進的平等主義」は、共同体にあった平等主義、いいかえれば、互酬的な経済と倫理を破壊してしまう。つまり、それは貧富の格差をもたらすのである。》(216ページ)
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の小田切秀雄の解説の途中まで、読む。
《かれ〔啄木〕のように、短い生涯のあいだに全人間的な飛躍を幾たびも行ないうるためには、既成の自己へのかしゃくのない対決が、そのつど、どうしても不可欠だったのである。》(477ページ)

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2017年8月17日 (木)

読み書き日録2017/8/17

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。関根清三「『貢献心』は本能か?――オペラに基づく批判的考察」の途中まで読む。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第三章 世界帝国」の5節の途中~「第四章 普遍宗教」の1節。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。
《われわれが努めようとするのは、われわれが必然的に借用してきた古典的言説からこのふたつの概念〔シニフィアンとシニフィエ〕をゆっくりともぎ離そうとすることになろう。》(p. 68、拙訳)
   *
村野美優詩集『むくげの手紙』通読。〈わたしもしずくだった/どこからか遠く ここへ落ちてきた〉(「雨の感覚【サンサシオン】」)――さりげない筆致で日々の滴を丹念に拾うこの詩人にしてはすこし淡泊な詩が多かったかも。
   *
イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫)の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~。

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2017年8月16日 (水)

読み書き日録2017/8/16

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。宮坂純一「貢献意欲、インセンティブそしてビジネスエシックス」読む。このまま入校へ。天野さんに渡す。
   *
加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「ヘーゲル論理学の形成と変容」の最終仮ゲラ印刷23ページ。つづけて「ヘーゲル」の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をはじめる。「1 生命という構造」12ページ分、スミ。
   *
「独合点」129号、「タルタ」42号に目を通す。
   *
イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~。意志を規定する実践的命法――
《君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつでもまたいかなる場合にも同等に目的として使用し決して単なる手段として使用してはならない。》(103ページ)
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologieの第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のはじめ~。
   *
『さよなら鮎川信夫 (特装版・現代詩読本)』で代表詩63篇の読み直しのつづき。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第三章 世界帝国」の4節~5節の途中。

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2017年8月15日 (火)

読み書き日録2017/8/15

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。小林朋道「動物行動学から見た人間の貢献心」、大谷卓史「匿名的コミュニケーション環境での協力行動――ウィキペディアとパソコン遠隔操作事件」読む。
   *
『さよなら鮎川信夫 (特装版・現代詩読本)』で代表詩63篇の読み直しのつづき。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第三章 世界帝国」の2節~3節。
《彼〔ソクラテス〕はプラトンがいう哲学者=王とは無縁であった。ソクラテスを受け継いだ弟子は、プラトンではなく、むしろ犬儒派ディオゲネスに代表される外国人らであった。そして、後者は、ポリスが滅んだのちのコスモポリスにふさわしい哲学をもたらしたのである。》(188ページ)
《外に対しては帝国主義的収奪、内に対しては民主主義と福祉政策というのが、アテネの民主主義であり、それゆえ、今日の国家の範例たりうるのである。》(189ページ)
 柄谷はアテネやスパルタではなく、イオニア諸都市にあった〈イソノミア〉という、部族やポリスを超えた世界に成立する原理を評価する。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors et le dedansのつづき~終り。
《ソシュールがあからさまにエクリチュールについてはもはや取り扱わず、この問題についてはカッコを閉じたと信じたまさにそのときに、かれはグラマトロジー一般の領野を解放したのである。》(p. 64、拙訳)





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2017年8月14日 (月)

読み書き日録2017/8/14

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。塩尻和子「イスラーム倫理思想における利他心」の(4)~終り。
   *
イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~。
《格律は、主観がそれに従って_¨行為する¨_ところの原則にほかならない。これに反して法則は、すべての理性的存在者に例外なく妥当する客観的原理であり、また主観が_¨行為¨_にさいして則るべき原則すなわち命法である。》(85ページ)
 ここから唯一の定言的命法としてつぎの命題が導かれる。
《君は、君の格律が普遍的法則となることを、当の格律によって同時に欲し得るような格律に従ってのみ行為せよ。》(85ページ、すべて傍点)
となり、さらにそこから「義務の普遍的命法」とは
《君の行為の格律が君の意志によって、あたかも普遍的自然法則となるかのように行為せよ。》(86ページ、すべて傍点)
という定式が得られる。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第二章 世界貨幣」の6節、「第三章 世界帝国」の1節。
《ロシアや中国における社会主義革命は、世界=経済(世界資本主義)の中で、それを拒否する世界システム(非利得的な交換にもとづく経済圏)を確立させた。》(517ページの注)
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors et le dedansのつづき。
   *
『さよなら鮎川信夫 (特装版・現代詩読本)』で代表詩63篇の読み直し。

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2017年8月13日 (日)

読み書き日録2017/8/13

イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~。
《客観的原理の表象は、その原理が意志にとって強制的である限り、命令(理性の)と呼ばれる、そしてかかる命令の方式が_¨命法¨_〔Imperativ〕である。》(65-66ページ)
《もし行為が何か_¨或る別のものを得るための¨_手段としてのみ善であるならば、その命法は_¨仮言的¨_〔hypothetischer〕である。ところでもし行為がそれ自体善であるとして提示されるならば、すなわちそれ自体理性に従うような意志において必然的であるとして――要するにかかる意志の原理として提示されるならば、その命法は_¨定言的¨_〔kategorischer=断言的〕である。》(69-70ページ)
《定言的命法は、いかなる条件によっても制限されない、そして実践的-必然的ではあるが、しかしまた絶対的-必然的であるから、これこそ本来の命令と呼ばれてよい。》(75ページ)
 このあたりはカント的語法がよくわかる。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部/第2章/Le dehors et le dedansのつづき。デリダはいよいよここで
《(ソシュールの)_¨一般¨_言語学の企てが、_¨言語一般の内的システム一般¨_にかかわりながら、エクリチュールという_¨特殊な¨_システムを――それがいかに重要であり、_¨事実上¨_普遍的であるとしても――_¨外部性一般¨_として排除しつつ、その分野の限界を描き出そうとするのはなにゆえであるか》(p. 58、拙訳)
という問いを立てている。
   *
根津真介詩集『不無非未』通読。〈無〉を主語として延々と展開される変奏曲。ときに哲学的に、ときに無をいたぶるように(「無が無を釣っている状態を太公望というらしい」「無は後ろ指をさされたくてたまらない」)。おもしろいが、やや単調なのが惜しい。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第二章 世界貨幣」の1節~5節。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。塩尻和子「イスラーム倫理思想における利他心」の(1)~(3)まで読む。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿より他」の「詩稿より」の部の途中~「日記より」「書簡より」「作歌ノートより」「唱歌」「その他」。「詩稿より他」スミ。さらに「参考資料」も読む。これで残るは解説と解題のみ。

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2017年8月12日 (土)

読み書き日録2017/8/12

柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第一章 国家」の4節~6節。この章も終り。
《王権(国家)は共同体の内部からではなく、その外部から来る。だが、同時に、それは共同体の内部から来たかのように、つまり、共同体の延長としてあるかのようにみえなければならない。さもなければ、王権(国家)は確立されないのである。》(113ページ)
《マルクスは、アジア的な共同体を「全般的隷従制」と呼んだ。それは奴隷制でも農奴制でもない。各人は自治的な共同体の一員である。だが、その共同体全体が王の所有である。王は共同体に介入する必要はない。人々は共同体の一員であることによって拘束される。ゆえに、共同体の自治を通じて、国家は共同体を支配することができる。》(119ページ)
   *
岡田哲也詩集『花もやい』通読。どことなく懐かしい詩情が全篇にあふれている。
〈あのほくろがあそこにあるから/あのひとだと わたしは わかる//だれもきづかない かたすみのものにも/おおきないみは あるものです。〉(「かたすみのうた」)
――同世代の開き直りを感じさせる意気は好ましい。
   *
加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「ヘーゲル論理学の形成と変容」の仮ゲラ印刷23ページ+通読+ファイル修正、スミ。ヘーゲル論理学にかんしては、《『大論理学』で完成、「小論理学」はその講義用の要約版であるという見方を否定することが重要である》と結論づけられている。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の.「詩稿より他」の「詩稿より」の部のつづき。
   *
イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~。
《我々の遣り方は……道徳的法則は理性的存在者一般に例外なく妥当すべきであるとする建前から、これらの法則を理性的存在者一般という普遍的概念から導来するのである。》(63ページ)
 いかにもカント的だ。

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2017年8月11日 (金)

読み書き日録2017/8/11

柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第一章 国家」の1節~3節を読む。
《一つの国家が存在するならば、その周辺の共同体はその国家に服属するか、ないしは、自ら国家となるほかない。したがって、たとえ共同体がそのまま内部から国家に転化したようにみえても、その背後に必ず他の国家との関係が存在するのである。》(112ページ)
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部/第2章/Le dehors et le dedansのつづき。ソシュールはエクリチュールにたいしてvicieuse(欠陥がある)として厳しく排斥しようとしているが、それにたいするデリダの批判――
《われわれが思うに、ソシュールの諸論拠は悪くない(bonnes)ものであり、ソシュールが言っているレベルで、このようなアクセントをこめてかれが言っていることの真理を問題にしないことである。》(p. 58、拙訳)
は、ソシュールの論点をずらすことにある。
   *
藤井貞和詩集『美しい小弓を持って』通読。「落ち込みからの快復期の所産」(謝辞)と述べられているように、東日本大震災以後の作品を集めたもので、藤井の詩としてはあまり上出来ではないが、こういうことばの危機の乗り越えを詩で果たそうとするところに、藤井の詩人ならではの矜持がうかがわれる。
   *
イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第一章「道徳に関する普通の理性認識から哲学的な理性認識への移り行き」のつづき~弟二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」の途中まで。意志の唯一の原理としての普遍的合法則性=《_¨私の格律が普遍的法則になるべきことを私もまた欲し得る¨_ように行動し、それ以外の行動を決してとるべきでない、ということ》(42ページ)とカントは規定する。

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2017年8月10日 (木)

読み書き日録2017/8/10

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。シュタイネック羅慈「キリスト教神秘主義と日本仏教における貢献する気持ち」の3節~終り。
   *
加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「へーゲル論理思想の背景――無限性をめぐって」の仮ゲラ通読+ファイル修正、スミ。最終仮ゲラ印刷19ページ。
   *
イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) 読みはじめる。序言~第一章の途中まで。カントは本書の意図を
《およそ経験的であって人間学の一部と見なされるようないっさいのものをすっかり除き去った純粋な道徳哲学》(11ページ)
と明示している。あとでも《_¨道徳の最高原理¨_の探求と確立》(20ページ)とも言っている。
《道徳的に善であるべき事柄においては、それが_¨道徳的法則に適合している¨_というだけでは十分でない。それはまた_¨道徳的法則の為に¨_なされたものでなければならないのである。》(14ページ)
 なるほど確かに。

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2017年8月 9日 (水)

読み書き日録2017/8/9

加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「ドイツ観念論の文化的背景」の仮ゲラ通読+ファイル修正、スミ。修正版仮ゲラ印刷11ページ。さらに「へーゲル論理思想の背景――無限性をめぐって」のテキスト処理(加藤尚武マクロの大幅追加・修正と一括処理、見出しタグ付け、小活字化タグ付け、表記統一など)と仮ゲラ印刷19ページ。
   *
古田嘉彦詩集『華茎水盤』通読。花や樹木とのかかわりをみずからの生と死につなげて考察している。〈この世にあることにおいて 自分が/下手なままで いつまでも未熟で/泣きたくなる〉(「樹を前に」)――わかりますね。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。シュタイネック羅慈「キリスト教神秘主義と日本仏教における貢献する気持ち」の2節まで読む。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第一部 ミニ世界システム」の「第二章 贈与と呪術」の1節~「第二部 世界=帝国」の「序論 国家の起源」読む。





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2017年8月 8日 (火)

読み書き日録2017/8/8

「UP」8月号に目を通す。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。栗原隆「犠牲と承認――ヘーゲルの人倫的共同論とその背景」読む。ちょっと学術論文的すぎるかな。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第一部 ミニ世界システム」の「第一章 定住革命」~「第二章 贈与と呪術」の1節まで読む。
《互酬原理が階級の出現、国家の形成を妨げる。その意味で、定住がただちに国家をもたらしたのではない。それは逆に、階級社会や国家を拒むシステムをもたらしたのである。》(p. 72)
 首長は存在するが、互酬原理によって富を喪失し権力者になることができない。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿ノート」の「残花帳」の部のつづき。「呼子と口笛」読む。

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2017年8月 7日 (月)

読み書き日録2017/8/7

加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文の「カントとドイツ観念論」のテキスト処理(加藤尚武マクロの修正と一括処理、見出しタグ付け、表記統一など)~通読とさらなるファイル修正、スミ。
   *
「りんごの木」46号に目を通す。荒木寧子編集。
   *
「αρχη」16号に目を通す。中原秀雪編集。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿ノート」の「残花帳」の部のつづき。「閑天地」21篇、読了。「はてしなき議論の後」も。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の序説「交換様式論」の7節~「第一部 ミニ世界システム」の「序論 氏族社会への移行」読む。
《私がここで書こうとするのは、歴史学者が扱うような世界史ではない。私が目指すのは、複数の基礎的な交換様式の連関を超越論的に解明することである。》
《世界共和国への移行に関する手がかりを見出すことである》(47ページ)
としている。

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2017年8月 6日 (日)

読み書き日録2017/8/6

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。森一郎「メメント・モリ、または先駆的決意性」のつづき~終り。故渡邉二郎氏の死をまえにした壮絶な仕事がハイデガーの〈先駆的決意性〉をめぐる考察と結びつけられて説得力があった。
   *
添田馨詩集『非=戦 (非族)』読了。ひさしぶりに添田の詩を読んだ。とくに後半の「非=戦」は1000行の書き下ろしですこしまだるっこいところはあるが、なかなかの力作。現政権および現代政治への批判が存分にこめられている。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部/第2章/Le dehors et le dedansのつづき。
《エクリチュールの原初的な暴力があるというのは、言語とは、徐々に明らかにされてくるだろうある意味において、まずなによりもエクリチュールだからである。》(p. 55 拙訳)
そのまえに《エクリチュールとは……忘却を意味する》ということばもあり、当然ながらプラトンの『パイドロス』が参照されているが、エクリチュールはパロールの忘却のあとにやってくる(survenir)ものだからである。ここでソシュールにおいて言語とはパロールと同義であるから、エクリチュールとは暴力的出現となるわけである。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿ノート」の「残花帳」の部のつづき。
《一度読んだものを忘れるやうでは一人前の仕事が出来るものにあらず、そんな人は一生復習許りして、辞書に成つて墓穴に這入るにや……》(「閑天地(十二)」)
と啄木は書いている。どきりとさせられる言葉だ。それにしても啄木のエッセイはおもしろい。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の序説「交換様式論」の3節~6節。マルクスにはエコロジー的視点がすでに見られたことを知る。
《ヨーロッパがギリシア・ローマ文化を受け継いだのは、イスラム圏を通してである。その意味で、ギリシア・ローマからゲルマンへ、というヘーゲル的な継起的発展は、西洋中心主義的な虚構にすぎない。》(40ページ)
 まったくその通りだ。

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2017年8月 5日 (土)

読み書き日録2017/8/5

柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の序文のつづき~序説「交換様式論」の2節。柄谷は交換様式の発展として互酬性=贈与(A)~略取と再分配=支配と保護(B)~商品交換=貨幣(C)~Aの高次元の回復=社会主義、共産主義、アナーキズムなどに類するが命名しないほうがいいもの(X)としている。このA~Dに対応する社会構成体としてネーション~国家~資本~Xとしている。それぞれが他の交換様式をふくむが、あくまでも時代のドミナントとして取り出すことのできるものと考えられている。
   *
加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ通読+ファイル修正をつづける。「12章 国家――結晶と流出」と「あとがき」、「増補新版にむけて」読む。「関連著作目録」は大幅なファイル修正。これで『へーゲルの「法」哲学』も終了。
   *
添田馨詩集『非=戦 (非族)』を途中まで読む。

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2017年8月 4日 (金)

読み書き日録2017/8/4

加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「11章 権利と市民社会」読む。残りの12章、あとがき、増補新版にむけて、関連著作目録の仮ゲラを印刷。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。森一郎「メメント・モリ、または先駆的決意性」の途中まで。故渡邉二郎氏の死をまえにした壮絶な学者魂について。
   *
「ココア共和国」21号に目を通す。秋亞綺羅の連載エッセイの転載16本が軽いが、なかなかおもしろい。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) 読みはじめる。ヘーゲル『歴史哲学講義』を読んだので、その関連でひさしぶりに柄谷を読む。この本では《私の課題は、ある意味で、マルクスによるヘーゲルの批判をやりなおすことであった。》(序文、ixページ)と宣言されている。確かめてみよう。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿ノート」の「残花帳」の部のつづき。

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2017年8月 3日 (木)

読み書き日録2017/8/3

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。田島卓「マルティン・ブーバーにおける貢献心」つづき~終り。このまま入校していいので、天野さんに渡す。
   *
加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「10章 トポスとしての家」読む。ヘーゲルの『法の哲学』に遺言についてこんな一節がある。
《遺言する権利の原理に、故人のたんなる直接的な恣意を置くことはできない。それが家族の実体的な権利と対立するときにはとくにそうである。故人の恣意をその死後にも尊重しようとするのは、なんと言っても、家族のかつての成員にたいする愛と尊敬だけしかない。反対に、そのような恣意には家族の権利以上に尊重されなければならないものはなにもない。最後の意志による裁定が効力をもつのは、他の人びとがそれを恣意的に承認した場合だけであろう。このような効力は、承認の権限をにぎる家族関係が縁遠く、無効である場合に限ってしか容認できない。家族関係が現にあるのに、それを無効にすることは人倫にそむく。》(一八〇節注解)
と。加藤さんはこう注釈する。
《故人の意志は、そのままで有効なのではなくて、遺族の承認によって有効となる。したがって故人の意志に反したとしても、遺族の決定を無効とすることはできない。》
 世の中の遺言書の有効性にしがみつく者には決定的な宣告であろう。
   *
「みすず」8月号に目を通す。アラブ諸国の情報いろいろ。アラブの若者の意識も相当ひどいことになっているらしい。
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榎本櫻湖詩集『Ro``ntgen、それは沈める植木鉢』読了。とても難解で読みづらい詩集だが、読んでいてわかってきたことは、ことばがひとつの像を構成していくというのではなく、ひとつながりの断片を連想的あるいは連辞的に結合させていく手法なので、意味を求めても意味がないのだということがわかれば、難語を駆使しつつことばと戯れていく詩人の遊びに乗っかればいいとわかる。ただそれはやはりとてもしんどい。
《……このように、このような、おなじことばかりを述べたててしまうのは、もはやくちのなかで粘ついた思想の不自由さがもたらすのだと、いっこうに、羽搏いたり、舞いあがったりもしない、鈍重なそれを、不用意に、無辺の島島のあつまりにむやみに膠着させようとしているので、はっきりといっておくべきかもしれないが、これはもうまったくほんとうのことなのだが、ああ、この土地にはもう、随分と永いあいだ、それらがあったという痕跡のすべてが、きれいさっぱり消し去られてしまっているので、もちろんわたしたちはそれを黙ってしずかに看すごすことしかできなかったのだし、あなたがたはそういうわたしたちをやたらに咎めだてることで、埋没してしまうことをまぬかれようとしたのだろうが、結末にはなにも、それとわかるようななにかが用意されているわけではなかったのだから、自分たちの手で、不毛な営みに、朧げな蓋をかぶせておくしかないのだった、……》(104-105ページ)
というわけなのだ。ある意味ではとても自省的な、それでいて挑発的な詩なのだと言えるだろう。
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G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第四部「ゲルマン世界」の「第三篇 近代」の「第三章 啓蒙思想とフランス革命」のつづき~終り(読了)。へーゲルはここでヨーロッパ主要国の国民性やさまざまな政治形態などについて論究し、本当かどうかは別にして、おもしろい特徴づけをしている。たとえばイギリスでは、
《すべての市町村やすべての下部組織や下部団体が、独立してみずから運営にあたります。そういうやりかたで全体の問題が具体的に解決され、特殊な問題も知と意思の対象とされる。特殊な利害がかかわることに、全体の組織が口出しするということがない。したがって、抽象的な一般原理はイギリス人の心を動かすことなく、むなしく耳を通りすぎるのです。》(370ページ)
とか、
《イギリス人は、自分の票を売ったり、議席を買ったりできることすらも、自由の名で呼ぶのです。》(371ページ)
といった具合でおもしろいが割愛する。へーゲルはこの歴史講義を《自由の原理を実現していく主要な精神の形態》(373ページ)と要約しているが、精神主義的歴史解釈の典型と言えようか。
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『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿ノート」の「残花帳」の部のつづき。 《躊躇する事勿れ、顧慮する事勿れ、敵たるを敵とせよ、我が最強の味方は我なりと知れ、心眼をひらいて自家胸中の宇宙を仔細に観よ、……》(「閑天地(六)」) と断言している。

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2017年8月 2日 (水)

読み書き日録2017/8/2

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。田島卓「マルティン・ブーバーにおける貢献心」の途中まで。
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加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。加藤尚武マクロの追加も。「9章 習慣という怪物の背中で」読む。
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「図書」8月号に目を通す。熊野純彦が対談で、自分は読書に追われた経験がないと言ってそれはほかに趣味がないから、と二度も言っているのはおかしい。わかるけど、ゲラ読みの場合は必ずしもそうはいかない。
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G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第四部「ゲルマン世界」の「第三篇 近代」の「第三章 啓蒙思想とフランス革命」の途中まで読む。

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2017年8月 1日 (火)

読み書き日録2017/8/1

加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。加藤尚武マクロの追加も。「8章 エゴイズムと正義の錬金術」読む。
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大江健三郎『沖縄ノート』(岩波新書) 読了。この本の最終章「『本土』は実在しない」で大江は、沖縄戦において住民に集団自決を強要した渡嘉敷島元守備隊長の20数年後の「帰還」に対する沖縄人の拒否について異様なほどの筆力で記録している。これがのちに右翼からの大江・岩波裁判のきっかけとなるものだ。そこではさらに、日本軍から追われ米軍に投降を強いられたある老女が米軍の前で沖縄民謡「唐船どうい」トーシンドーイを舞い狂う姿を描いている。大江は書く。
《日本軍に戦火のなかで見捨てられ、そしてついに異様に強大な敵軍のまえに投降しなければならぬ、その絶体絶命の場所で、歌いつつ_¨舞い狂う¨_老女は、そのまま日本軍、米軍をともに拒絶しながら、沖縄の民衆としての自己表現に、すべての情念を燃やしている人間である》
とし、そこからさらに
《沖縄のこの無名の老女と、われわれの間には、容易にこえがたい裂け目が開いているのであり、その深い裂け目の向うで舞い狂っている老女によって、まずわれわれはしたたかに拒絶されていると認めるべきであろう》(217-218ページ)
と。この本との出会いが遅かったそのぶん、ここでの一貫した大江の思想的闘いを継承していかなければならないと強く思う。
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榎本櫻湖詩集『Ro``ntgen、それは沈める植木鉢』読みはじめる。これは容易ならぬ作品だ。

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