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2017年8月

2017年8月30日 (水)

読み書き日録2017/8/30

加藤尚武著作集第4巻収録予定の『哲学原理の転換――白紙論から自然的アプリオリ論へ』の単行本最終データと入校用データのファイル比較を秀丸上でおこないながら通読つづける。「第5章 ヘーゲルとマルクス」のはじめ~五節。
   *
トリスタン・ツァラ『トリスタン・ツァラ詩集』のルネ・ラコート/ジョルジュ・アルダスのツァラの紹介のつづきを読了。
《ツァラの異常な言葉の力はこんにち、詩の運動にわれわれの前進の意味さえも与えるまでに、発展し構成されてきた。……ツァラを認識するためには彼を読まなければならない。……彼は変貌したのではない。おなじ人間が、絶えず構成され明るみに出されてゆく啓示と思想のなかで、壮大なものとなってきたのである。》(92ページ)
ようやく詩作品を読みはじめる。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。
《〔言語の〕戯れについて根源的に考えるためには、まず存在論的・超越的な問題系を真摯に_¨掘り尽くす¨_必要があり、存在の意味、存在者の存在の、そして世界の超越的な起源――世界の世界性――の意味を我慢づよく厳密に横断し、フッサール的ハイデガー的諸問題の批評的運動を効果的にかつ究極まで追尋し、それらの有効性と可読性を保存しなければならない。》(p. 73、拙訳)
《〈記号の恣意性〉の学、痕跡の無動機化(immotivation)の学、パロールの以前にそしてそのなかでのエクリチュールの学であるグラマトロジーは、もっとも広大な領域をカバーすることになり、その領域のなかでは言語学者は抽象によってその固有の空間を素描するが、それもソシュールがその内的システムにたいして規定した制限とともにであって、世界と歴史をつうじてそれぞれのパロール/エクリチュールのシステムのなかでこの制限を再検討しなければならないのである。》(p. 74、拙訳)
 いよいよエクリチュール学としてのグラマトロジーの問題が佳境に入ってきた。デリダはソシュールの『一般言語学講義』のなかの、言語学にたいする記号学の優位性(記号学の一部としての言語学という位置づけ)を記号学をグラマトロジーに置き換えることによってグラマトロジーの優位性を設定しようとするのである。
   *
ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) の「第一研究 弁論術【レトリック】と詩学の間――アリストテレス」の1節~2節の途中。
《死んだ学科》(1ページ)としての修辞学――《文彩の分類趣味がすっかり哲学的感覚をおしのけてしまったとき、修辞学は死んだのである。》(2ページ)
《修辞学【レトリック】が文彩の分類学に堕すまえに、アリストテレスの偉大な弁論術【レトリック】があった》(3ページ)
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第三部 近代世界システム」の「第三章 ネーション」の3節~5節。
《感性と悟性の分裂ということは、具体的にいうと、ひとが自分でそう考えているのとは違った在り方を現にしているということである。たとえば、資本制社会では誰でも平等だと考えられているが、現実には不平等である。とすれば、悟性と感性の分裂が現にあるわけだ。その分裂を想像力によって越えようとするとき、文学作品が生まれる。》(351ページ)
 前段はいいが、最後のところは納得できない。

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読み書き日録2017/8/29

トリスタン・ツァラ『トリスタン・ツァラ詩集』ルネ・ラコート/ジョルジュ・アルダスのダダの歴史のつづきを読む。

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2017年8月28日 (月)

読み書き日録2017/8/28

ポール・リクール『生きた隠喩』(岩波現代選書) 読みはじめる。訳者まえがき、日本語版への序文、序論、読む。この解釈学の大家の隠喩論は、意味の解釈のほうからのアプローチだろうということで、隠喩は〈ポイエーシス〉の問題として考えたいと思うわたしはこれまで敬遠してきたが、念のため読んでみることにした。
《隠喩とは、言葉を修飾するための単なる_¨文体の文彩¨_をはるかに越えたものです。隠喩は言語の創造性の、もっとも明瞭な表現なのです。》(p. v)
と「日本語版への序文」にはある。
《詩的言語は日常言語の多義性を縮小するのでなく、逆にゆたかにしようとして、その多義性に接木されることができます。詩においては、言語を能うかぎり表意する、と言われます。科学的言語がその表意能力をもっぱら削減しようとするのに対し、詩はその表意能力を満ち溢れんばかりに言語にとりもどそうと努めます。》(p. vi)
《隠喩が存している異例な属性賦与というものが、新しい関係の像【ヴィジョン】という、見る行為に基づいていなければ、言語は新しい意味を創造しません(……)。他方では、想像力を知覚の付属としたり、単なる再現としたりすることをやめて、言語それ自体が動揺しているときに、言語と想像力とのつながりを認めるのでなければ、想像力はその役割をはたしません。まさに生まれ出ようとする言語と、その創造的機能を発揮している想像力との、このような相互帰属こそ、〈生きた〉隠喩において働いている意味論的革新の秘密なのです。》(pp. vii-viiiI)
 ここにリクールの方法論の独自性と同時にその限界も見えている。
   *
加藤尚武著作集第4巻収録予定の『哲学原理の転換――白紙論から自然的アプリオリ論へ』の単行本最終データと入校用データのファイル比較を秀丸上でおこないながら通読つづける。「第4章 プラトン主義と生命・環境・地域紛争」スミ。
   *
『鮎川信夫全集IV 評論III』再読。「批評精神について」を読んでも、印象批評はいけないとか、自他にたいする教育的精神でなければならないとか、そんなことぐらいしか言っていない。鮎川の批評は時代にたいする臨床批評としての鋭敏さはあっても、理論的な深さはない。
   *
トリスタン・ツァラ『トリスタン・ツァラ詩集』pp. 65-69. ルネ・ラコート/ジョルジュ・アルダスのダダの歴史のつづきを読む。

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2017年8月27日 (日)

読み書き日録2017/8/27

トリスタン・ツァラ『トリスタン・ツァラ詩集』のルネ・ラコート/ジョルジュ・アルダスのダダの歴史のつづきを読む。
《状況の詩は存在し、つねに存在しつづける。それはその内容がある定まった事象に限定された詩であり、しかも、それが詩であるという限りにおいて限定されない詩のことである。》(60ページ)
これはサルトル的「参加の芸術」にたいする批判として言われている。
   *
日原正彦詩集『瞬間の王』通読。さりげない日常的事物や自然とのかかわりのなかにことばとの関係を見出していく微細な精神の働きが写し出されていく。
〈うつむいて歩いてばかりいるうちに/かお を 落としてしまったらしい〉
とはじまる「かお」という作品などは顔にまつわる縁語をからませておもしろい。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。
   *
加藤尚武著作集第4巻収録予定の『哲学原理の転換――白紙論から自然的アプリオリ論へ』の単行本最終データと入校用データのファイル比較を秀丸上でおこないながら通読つづける。「第2章 違法性の根拠と自由主義」~「第3章 哲学の国と周辺の国々」スミ。
《すでに学問として完成した一定の領域について、それを哲学的に基礎づけるという作業が行なわれたという例はほとんどない。……哲学からさまざまな学問が生まれていったという歴史的な経緯は確かに存在する。学問が発生するとき、十分に洗練されてはいないが、やがて構造が明らかになるような概念が登場するので、そのような初期の概念は必ず哲学に関わりをもつと考えることもできるだろう。》
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第三部 近代世界システム」の「第三章 ネーション」の1節~2節。

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2017年8月26日 (土)

読み書き日録2017/8/26

柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第三部 近代世界システム」の「第二章 産業資本」の4節~8節。この章もスミ。
《マルクスは、産業資本主義の成立とともに、商人資本はとってかわられ、産業資本の商業部門におとしめられるといっている。金貸し資本のついても同様である。しかし、産業資本の発展によって、商人資本や金貸し資本の形式が消えるわけではない。差異から剰余価値を得る資本は、本性上、差異が何であってもかまわないのだ。資本にとっては、利潤率だけが問題である。》(307ページ)
《土地の私有化は共同体の解体にとどまらず、自然環境(エコシステム)一般の破壊となる。というのは、農業共同体の営みがそれ自体、自然環境の維持になっていたからである。》(315ページ)
 たしかに、資本主義は本質的に自然破壊を導くからだ。
   *
加藤尚武著作集第4巻収録予定の『哲学原理の転換――白紙論から自然的アプリオリ論へ』の萩原印刷から出してもらった単行本最終データと入校用データのファイル比較を秀丸上でおこないながら通読はじめる。これだと編集タグがほぼそのまま活かせるため。「序文 世界の現状と哲学の現状」~「第1章 技術革新と倫理」スミ。
   *
トリスタン・ツァラ『トリスタン・ツァラ詩集』でルネ・ラコート/ジョルジュ・アルダスのダダの歴史を読む。
《対立が深刻なのはツァラとブルトンとの間だけである。ほとんどのシュールレアリストにとって、ダダとシュールレアリスムとの間には断絶はない。》(41ページ)
という通り、政治主義的で狷介なブルトンがツァラを一方的に断罪したにすぎない。ここでは筆者たちはツァラに同情的肯定的である。
《シュールレアリストといえば、彼〔ツァラ〕は事実誰よりもまえにそうであり、その運動の定義に関して論議し相互に排除しあうために絶えず策略を弄する数多くの者たちよりも正統のシュールレアリストである。》(47ページ)
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。パースの記号学の三つの部門のうち、純粋文法、論理学につぐものとしての純粋修辞学とは何か。
《その務めとは、あらゆる科学的知において、或る記号signeが別の記号を生み、さらにより特別なものとしては或る思念pense+'eが別の思念を生み出す、その拠るべき法則を決定することである。》(p. 71、デリダの引用を拙訳)
 この概念は興味深い。

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2017年8月25日 (金)

読み書き日録2017/8/25

『東北おんば訳 石川啄木のうた』の初校通読のつづき。pp. 51-177.「二」の部~「おわりに」まで。すべてスミ。同時に編者略歴、奥付、広告ページの原稿とファイルを作成&印刷。~萩原印刷・中山君にtel&E-mailで送付。初校はアタマトテインターナショナルに送付。
   *
トリスタン・ツァラ『トリスタン・ツァラ詩集』読みはじめる。詩集と言っても最初のほうは詩人論と伝記的解説。8ポ1段組はかなり読みづらい。

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2017年8月24日 (木)

読み書き日録2017/8/24

加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「ヘーゲル」の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「4 存在の泡立ち」11ページ分、スミ。これでこの長大な論文も読了。本文69ページ分、注5ページ分を印刷。第1巻はこれでスミ。
《ヘーゲルは書くということに一度も情熱を感じたことのない人間である。話の糸口となるメモがあれば、とめどもなくしゃべる。ときどき泥臭いジョークを交えて、得意げにしゃべる。それがヘーゲルの自己表現であり、……》
と加藤さんはヘーゲルを突き放してみているのがおもしろい。人間ヘーゲルというわけだ。
   *
きのう新井高子さんからE-mailで届いた「季刊 未来」秋号用の「大船渡の詩人による震災詩――金野孝子と中村祥子」の校正PDFを見ながらファイル修正。あとはマクロで一括修正とタグ指定など。9ページ分もある。あす天野さんから入校へ。
   *
「森羅」6号、通読。
   *
新井高子さんから『東北おんば訳 石川啄木のうた』の初校校正とどく。~夜、読みはじめる。49ページまでで「一」の部、スミ。
   *
マルティン・ハイデガー『ハイデッガー選集15 放下』読了。対話篇「放下の所在究明に向って」のつづき。訳者によれば、〈放下〉Gelasenheitとは思惟の本質ということになるが、ハイデガー的言い回しが多く、ドイツ語の語感がわからないから、きわめて難解だ。ある種の受動性のもとに活動する精神のありかたが問われているようだ。

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2017年8月23日 (水)

読み書き日録2017/8/23

加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「ヘーゲル」の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「3 自己展開する論理」のつづき~終り。18ページ分、スミ。
《ヘーゲルの『歴史哲学講義』は、一枚はがすとモンテスキューの『法の精神』で、もう一枚はがすとアリストテレスの『政治学』である。》
こういうところが加藤尚武さんらしい。
   *
「森羅」4号、5号、通読。池井昌樹による手作り詩誌。限定100部とは貴重だ。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第三部 近代世界システム」の「第二章 産業資本」の2節~3節。
《産業資本とは、労働者に賃金を払って協働させ、さらに、彼らが作った商品を彼ら自身に買いもどさせ、そこに生じる差額(剰余価値)によって増殖するものである。……産業資本の画期性は、労働力という商品が生産した商品を、さらに労働者が自らの労働力を再生産するために買うという、オートポイエーシス的なシステムを形成した点にある。》(298ページ)
 このあたりの柄谷はマルクスをベースに社会システム論を流用しているようだ。
   *
マルティン・ハイデガー『ハイデッガー選集15 放下』読みはじめる。故郷メスキルヒでの講演「放下」とそれをめぐる対話篇の途中まで。ハイデガーは原子力発電建設を問題にしている。
《我々は、この考える〈表象する〉ことができないほど大きな原子力を、いったいいかなる仕方で制御し、操縦し、かくして、この途方もないエネルギーが突如として――戦争行為に依らなくても――何処かある箇所で檻を破って脱出し、いわば〈出奔〉し一切を壊滅に陥れるという危険に対して、人類を安全にしておくことができるか、という問い》(20ページ、表記を変更してある)
を1955年の時点でいちはやく提出しているのはさすがである。さらにこう述べる。
《本当に不気味なことは、世界が一つの徹頭徹尾技術的な世界になる、ということではありません。それよりはるかに不気味なことは、人間がこのような世界の変動に対して少しも用意を調えていない、ということであり、私どもが、省察し思惟しつつ、この時代において本当に台頭してきている事態と、その事態にふさわしい仕方で対決するに至るということを、未だに能くなし得ていない、ということであります。》(22-23ページ)
これはまったくフクシマと現代日本の原発科学の事態を予言していると言っていい。

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2017年8月22日 (火)

読み書き日録2017/8/22

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。ランドル・ショート「キリスト教の貢献心」のつづき~終り。これでとりあえず収録予定論文すべて読了。もしかするとあと2本。~天野さんに入校用に渡す。
   *
おととい受け取った野家啓一さんの加藤尚武著作集内容見本の推薦文をあらためて読み直す。ヘーゲル学の革新と応用倫理学への進展への豪腕のなせるわざの集大成、と。
   *
「人文会ニュース」127号に目を通す。大月書店の岩下さんという編集者の「編集者が語るこの叢書・このシリーズ12」のLGBTQの話はなかなかよかった。ニーズから企画するということはわたしはしないが、編集姿勢は建設的。差別をスルーすることは差別に加担することだという認識は正しい。定有堂の奈良さんもがんばっているようだ。
   *
「季刊 未来」秋号の佐々木力「ニーダム難題に挑む――中国論・論中国・On China 11」の仮ゲラ通読。~入校用に天野さんに戻す。
   *
新井高子さんの原稿「大船渡の詩人による震災詩――金野孝子と中村祥子」修正版をダウンロード、印刷して通読。なかなかいい。~新井さんにtel入れ。通読した原稿の赤字入りをPDFで送ることに。修正ポイントを伝える。~E-mailでPDF送る。略歴原稿の件も。
   *
加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「ヘーゲル」の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「3 自己展開する論理」のつづき。5ページ分、スミ。
   *
アンドレ・ブルトン/ポール・エリュアール『処女懐胎』読了。
《愛にはいつでも潮時がある。潮時がくると、思想が湧き起こるかのような額、いつでも楽しもうとする眼、音が転がりでる咽喉、乳房、それから口の奥がある。潮時がくると、鼠蹊部の皺、かけてきた足、帆布からおりてくる蒸気があり、窓に降る雪のたのしみがある。舌は唇を浮き出させ、眼をつむらせ、乳房をふくらませ、腋の下をえぐり、窓を開かせる。口は力の限り肉を吸い、あすこここさまよう接吻に酔い心地、口は自分がとらえた口を置き換え、昼と夜とがまじり合う。男の腕と腿は女の腕と腿とにしっかりむすばれ、風は煙とまじり合い、掌は欲情のあの箇所をとらまえる。》(「恋愛」95-96ページ)
 これはおそらくエリュアールが書いた部分だろう。エロスの自動記述にも彼らしい特徴が出ている。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。
《言わなければならないことは――ソシュールはそうは言っていないけれども――、ソシュール的言語のなかには象徴も記号も存在せず、あるのは象徴の生成-記号(devenir-signe〔記号の生成〕)である。》(p. 69、拙訳)
 ここでは実体ではなく
trace〔痕跡〕ということが問題になる。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第三部 近代世界システム」の「第二章 産業資本」の1節~。

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2017年8月21日 (月)

読み書き日録2017/8/21

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。ランドル・ショート「キリスト教の貢献心」の途中まで読む。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第三部 近代世界システム」の「第一章 近代国家」の2節~5節。この章、終り。
《議会制民主主義とは、実質的に、官僚あるいはそれに類する者たちが立案したことを、国民が自分で決めたかのように思い込ませる、手の込んだ手続きである。》(274ページ)
まったくその通りである。
   *
イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第三章「道徳形而上学から純粋実践理性批判への移り行き」のつづき~終り。読了。
《理性は、行為の格律の普遍妥当性が意志の十分な規定根拠であるときだけ、この行為に直接の関心をもつ、そしてかかる関心だけが純粋な関心である。》(170ページ)
 要するに、みずからにおいて必然性のある関心が純粋な関心だということか。
《我々は、なるほど道徳的命法の実践的な無条件的必然性を理解できないにせよ、しかしこのこの命法はもともと_¨理解できないもの¨_であるということを理解するのである。そしてこれが、道徳の原理に関して人間理性の限界を究めようとする哲学に対して、公正に要求せられ得るすべてである。》(177ページ)
 カントはこの論をこうしたかたちで締めくくるのだが、カントさん、すこしずるくないかい。最後はわからなくなったと言って問題を投げ出している。
   *
アンドレ・ブルトン/ポール・エリュアール『処女懐胎』読みはじめる。初期シュールレアリスムの記念碑的散文作品。

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2017年8月20日 (日)

読み書き日録2017/8/20

『石川啄木全集 第二巻 詩集』岩城之徳の解題のつづき~終り。英詩をのぞき、いちおう完読。啄木やはり侮れず。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologieの第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。
   *
加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「ヘーゲル」の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「2 社会と国家」の途中~「3 自己展開する論理」の途中。21ページ分、スミ。
   *
イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫)の第三章「道徳形而上学から純粋実践理性批判への移り行き」のつづき。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第三部 近代世界システム」の「序論 世界=帝国と世界=経済」のつづき~「第一章 近代国家」の1節まで。

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2017年8月19日 (土)

読み書き日録2017/8/19

イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第三章「道徳形而上学から純粋実践理性批判への移り行き」のはじめ~。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の小田切秀雄の解説のつづき~終り。処女詩集『あこがれ』と晩年の〈呼子と口笛〉の評価について、など。つづいて岩城之徳の解題の途中まで。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第四章 普遍宗教」の5節~8節。第二部、読了。さらに「第三部 近代世界システム」の「序論 世界=帝国と世界=経済」の途中まで。
《ユダヤ教は民族の宗教ではなく、個々人が形成する教団として生まれた。……国家を無くしたユダヤ人は、モーセの神を信じる集団として新たに組織されたのだ。それが新たなユダヤ民族となった。つまり、ユダヤ教はユダヤ民族が選んだ宗教ではなく、逆に、ユダヤ教がユダヤ民族を創り出したのである。》(229ページ)
 これはよく言われることで、ユダヤ民族という固有の民族は存在しないらしい。

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2017年8月18日 (金)

読み書き日録2017/8/18

イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~第二章の終り。意思の最高の法則とは、
《君の格律はいついかなる場合でも同時に法則として普遍性をもち得るような格律に従って行為せよ》
であり、それはつぎのように言い換えられる――
《君の格律が自分自身を対象〔目的〕とする場合に、その対象が同時に自然法則と見なされ得るような格律に従って行為せよ》(122ページ、全文傍点付き)
となる。まことに厳格だ。
   *
「兆」175号に目を通す。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。関根清三「『貢献心』は本能か?――オペラに基づく批判的考察」のつづき~終り。いったん著者に戻す必要あり。天野さんから送ってもらう。
   *
加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「ヘーゲル」の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「2 社会と国家」7ページ分、スミ。
   *
『さよなら鮎川信夫 (特装版・現代詩読本)』で代表詩63篇の読み直しのつづき~了。読み直してみると、記憶に残っているものとそうでないものとが歴然としてあることがわかった。正直に言って、鮎川信夫の詩はうまくはない。隠喩的と批判的にみなされる技法も戦後初期のものに限られると言ってよい。従来の鮎川批判がいかに無検証的であったかを論証する必要あり。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第四章 普遍宗教」の2節~4節。《貨幣経済は個人を共同体の拘束から解放し、帝国=コスモポリスの人民とするだけではない。その「急進的平等主義」は、共同体にあった平等主義、いいかえれば、互酬的な経済と倫理を破壊してしまう。つまり、それは貧富の格差をもたらすのである。》(216ページ)
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の小田切秀雄の解説の途中まで、読む。
《かれ〔啄木〕のように、短い生涯のあいだに全人間的な飛躍を幾たびも行ないうるためには、既成の自己へのかしゃくのない対決が、そのつど、どうしても不可欠だったのである。》(477ページ)

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2017年8月17日 (木)

読み書き日録2017/8/17

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。関根清三「『貢献心』は本能か?――オペラに基づく批判的考察」の途中まで読む。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第三章 世界帝国」の5節の途中~「第四章 普遍宗教」の1節。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のつづき。
《われわれが努めようとするのは、われわれが必然的に借用してきた古典的言説からこのふたつの概念〔シニフィアンとシニフィエ〕をゆっくりともぎ離そうとすることになろう。》(p. 68、拙訳)
   *
村野美優詩集『むくげの手紙』通読。〈わたしもしずくだった/どこからか遠く ここへ落ちてきた〉(「雨の感覚【サンサシオン】」)――さりげない筆致で日々の滴を丹念に拾うこの詩人にしてはすこし淡泊な詩が多かったかも。
   *
イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫)の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~。

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2017年8月16日 (水)

読み書き日録2017/8/16

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。宮坂純一「貢献意欲、インセンティブそしてビジネスエシックス」読む。このまま入校へ。天野さんに渡す。
   *
加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「ヘーゲル論理学の形成と変容」の最終仮ゲラ印刷23ページ。つづけて「ヘーゲル」の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をはじめる。「1 生命という構造」12ページ分、スミ。
   *
「独合点」129号、「タルタ」42号に目を通す。
   *
イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~。意志を規定する実践的命法――
《君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつでもまたいかなる場合にも同等に目的として使用し決して単なる手段として使用してはならない。》(103ページ)
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologieの第1部/第2章/Le dehors est× le dedans(estの上にバッテン)のはじめ~。
   *
『さよなら鮎川信夫 (特装版・現代詩読本)』で代表詩63篇の読み直しのつづき。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第三章 世界帝国」の4節~5節の途中。

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2017年8月15日 (火)

読み書き日録2017/8/15

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。小林朋道「動物行動学から見た人間の貢献心」、大谷卓史「匿名的コミュニケーション環境での協力行動――ウィキペディアとパソコン遠隔操作事件」読む。
   *
『さよなら鮎川信夫 (特装版・現代詩読本)』で代表詩63篇の読み直しのつづき。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第三章 世界帝国」の2節~3節。
《彼〔ソクラテス〕はプラトンがいう哲学者=王とは無縁であった。ソクラテスを受け継いだ弟子は、プラトンではなく、むしろ犬儒派ディオゲネスに代表される外国人らであった。そして、後者は、ポリスが滅んだのちのコスモポリスにふさわしい哲学をもたらしたのである。》(188ページ)
《外に対しては帝国主義的収奪、内に対しては民主主義と福祉政策というのが、アテネの民主主義であり、それゆえ、今日の国家の範例たりうるのである。》(189ページ)
 柄谷はアテネやスパルタではなく、イオニア諸都市にあった〈イソノミア〉という、部族やポリスを超えた世界に成立する原理を評価する。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors et le dedansのつづき~終り。
《ソシュールがあからさまにエクリチュールについてはもはや取り扱わず、この問題についてはカッコを閉じたと信じたまさにそのときに、かれはグラマトロジー一般の領野を解放したのである。》(p. 64、拙訳)





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2017年8月14日 (月)

読み書き日録2017/8/14

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。塩尻和子「イスラーム倫理思想における利他心」の(4)~終り。
   *
イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~。
《格律は、主観がそれに従って_¨行為する¨_ところの原則にほかならない。これに反して法則は、すべての理性的存在者に例外なく妥当する客観的原理であり、また主観が_¨行為¨_にさいして則るべき原則すなわち命法である。》(85ページ)
 ここから唯一の定言的命法としてつぎの命題が導かれる。
《君は、君の格律が普遍的法則となることを、当の格律によって同時に欲し得るような格律に従ってのみ行為せよ。》(85ページ、すべて傍点)
となり、さらにそこから「義務の普遍的命法」とは
《君の行為の格律が君の意志によって、あたかも普遍的自然法則となるかのように行為せよ。》(86ページ、すべて傍点)
という定式が得られる。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第二章 世界貨幣」の6節、「第三章 世界帝国」の1節。
《ロシアや中国における社会主義革命は、世界=経済(世界資本主義)の中で、それを拒否する世界システム(非利得的な交換にもとづく経済圏)を確立させた。》(517ページの注)
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第1部/第2章/Le dehors et le dedansのつづき。
   *
『さよなら鮎川信夫 (特装版・現代詩読本)』で代表詩63篇の読み直し。

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2017年8月13日 (日)

読み書き日録2017/8/13

イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~。
《客観的原理の表象は、その原理が意志にとって強制的である限り、命令(理性の)と呼ばれる、そしてかかる命令の方式が_¨命法¨_〔Imperativ〕である。》(65-66ページ)
《もし行為が何か_¨或る別のものを得るための¨_手段としてのみ善であるならば、その命法は_¨仮言的¨_〔hypothetischer〕である。ところでもし行為がそれ自体善であるとして提示されるならば、すなわちそれ自体理性に従うような意志において必然的であるとして――要するにかかる意志の原理として提示されるならば、その命法は_¨定言的¨_〔kategorischer=断言的〕である。》(69-70ページ)
《定言的命法は、いかなる条件によっても制限されない、そして実践的-必然的ではあるが、しかしまた絶対的-必然的であるから、これこそ本来の命令と呼ばれてよい。》(75ページ)
 このあたりはカント的語法がよくわかる。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部/第2章/Le dehors et le dedansのつづき。デリダはいよいよここで
《(ソシュールの)_¨一般¨_言語学の企てが、_¨言語一般の内的システム一般¨_にかかわりながら、エクリチュールという_¨特殊な¨_システムを――それがいかに重要であり、_¨事実上¨_普遍的であるとしても――_¨外部性一般¨_として排除しつつ、その分野の限界を描き出そうとするのはなにゆえであるか》(p. 58、拙訳)
という問いを立てている。
   *
根津真介詩集『不無非未』通読。〈無〉を主語として延々と展開される変奏曲。ときに哲学的に、ときに無をいたぶるように(「無が無を釣っている状態を太公望というらしい」「無は後ろ指をさされたくてたまらない」)。おもしろいが、やや単調なのが惜しい。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第二章 世界貨幣」の1節~5節。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。塩尻和子「イスラーム倫理思想における利他心」の(1)~(3)まで読む。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿より他」の「詩稿より」の部の途中~「日記より」「書簡より」「作歌ノートより」「唱歌」「その他」。「詩稿より他」スミ。さらに「参考資料」も読む。これで残るは解説と解題のみ。

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2017年8月12日 (土)

読み書き日録2017/8/12

柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第一章 国家」の4節~6節。この章も終り。
《王権(国家)は共同体の内部からではなく、その外部から来る。だが、同時に、それは共同体の内部から来たかのように、つまり、共同体の延長としてあるかのようにみえなければならない。さもなければ、王権(国家)は確立されないのである。》(113ページ)
《マルクスは、アジア的な共同体を「全般的隷従制」と呼んだ。それは奴隷制でも農奴制でもない。各人は自治的な共同体の一員である。だが、その共同体全体が王の所有である。王は共同体に介入する必要はない。人々は共同体の一員であることによって拘束される。ゆえに、共同体の自治を通じて、国家は共同体を支配することができる。》(119ページ)
   *
岡田哲也詩集『花もやい』通読。どことなく懐かしい詩情が全篇にあふれている。
〈あのほくろがあそこにあるから/あのひとだと わたしは わかる//だれもきづかない かたすみのものにも/おおきないみは あるものです。〉(「かたすみのうた」)
――同世代の開き直りを感じさせる意気は好ましい。
   *
加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「ヘーゲル論理学の形成と変容」の仮ゲラ印刷23ページ+通読+ファイル修正、スミ。ヘーゲル論理学にかんしては、《『大論理学』で完成、「小論理学」はその講義用の要約版であるという見方を否定することが重要である》と結論づけられている。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の.「詩稿より他」の「詩稿より」の部のつづき。
   *
イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」のつづき~。
《我々の遣り方は……道徳的法則は理性的存在者一般に例外なく妥当すべきであるとする建前から、これらの法則を理性的存在者一般という普遍的概念から導来するのである。》(63ページ)
 いかにもカント的だ。

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2017年8月11日 (金)

読み書き日録2017/8/11

柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第二部 世界=帝国」の「第一章 国家」の1節~3節を読む。
《一つの国家が存在するならば、その周辺の共同体はその国家に服属するか、ないしは、自ら国家となるほかない。したがって、たとえ共同体がそのまま内部から国家に転化したようにみえても、その背後に必ず他の国家との関係が存在するのである。》(112ページ)
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部/第2章/Le dehors et le dedansのつづき。ソシュールはエクリチュールにたいしてvicieuse(欠陥がある)として厳しく排斥しようとしているが、それにたいするデリダの批判――
《われわれが思うに、ソシュールの諸論拠は悪くない(bonnes)ものであり、ソシュールが言っているレベルで、このようなアクセントをこめてかれが言っていることの真理を問題にしないことである。》(p. 58、拙訳)
は、ソシュールの論点をずらすことにある。
   *
藤井貞和詩集『美しい小弓を持って』通読。「落ち込みからの快復期の所産」(謝辞)と述べられているように、東日本大震災以後の作品を集めたもので、藤井の詩としてはあまり上出来ではないが、こういうことばの危機の乗り越えを詩で果たそうとするところに、藤井の詩人ならではの矜持がうかがわれる。
   *
イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) の第一章「道徳に関する普通の理性認識から哲学的な理性認識への移り行き」のつづき~弟二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」の途中まで。意志の唯一の原理としての普遍的合法則性=《_¨私の格律が普遍的法則になるべきことを私もまた欲し得る¨_ように行動し、それ以外の行動を決してとるべきでない、ということ》(42ページ)とカントは規定する。

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2017年8月10日 (木)

読み書き日録2017/8/10

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。シュタイネック羅慈「キリスト教神秘主義と日本仏教における貢献する気持ち」の3節~終り。
   *
加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「へーゲル論理思想の背景――無限性をめぐって」の仮ゲラ通読+ファイル修正、スミ。最終仮ゲラ印刷19ページ。
   *
イマニュエル・カント『道徳形而上学原論』(岩波文庫) 読みはじめる。序言~第一章の途中まで。カントは本書の意図を
《およそ経験的であって人間学の一部と見なされるようないっさいのものをすっかり除き去った純粋な道徳哲学》(11ページ)
と明示している。あとでも《_¨道徳の最高原理¨_の探求と確立》(20ページ)とも言っている。
《道徳的に善であるべき事柄においては、それが_¨道徳的法則に適合している¨_というだけでは十分でない。それはまた_¨道徳的法則の為に¨_なされたものでなければならないのである。》(14ページ)
 なるほど確かに。

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2017年8月 9日 (水)

読み書き日録2017/8/9

加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文「ドイツ観念論の文化的背景」の仮ゲラ通読+ファイル修正、スミ。修正版仮ゲラ印刷11ページ。さらに「へーゲル論理思想の背景――無限性をめぐって」のテキスト処理(加藤尚武マクロの大幅追加・修正と一括処理、見出しタグ付け、小活字化タグ付け、表記統一など)と仮ゲラ印刷19ページ。
   *
古田嘉彦詩集『華茎水盤』通読。花や樹木とのかかわりをみずからの生と死につなげて考察している。〈この世にあることにおいて 自分が/下手なままで いつまでも未熟で/泣きたくなる〉(「樹を前に」)――わかりますね。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。シュタイネック羅慈「キリスト教神秘主義と日本仏教における貢献する気持ち」の2節まで読む。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第一部 ミニ世界システム」の「第二章 贈与と呪術」の1節~「第二部 世界=帝国」の「序論 国家の起源」読む。





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2017年8月 8日 (火)

読み書き日録2017/8/8

「UP」8月号に目を通す。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。栗原隆「犠牲と承認――ヘーゲルの人倫的共同論とその背景」読む。ちょっと学術論文的すぎるかな。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の「第一部 ミニ世界システム」の「第一章 定住革命」~「第二章 贈与と呪術」の1節まで読む。
《互酬原理が階級の出現、国家の形成を妨げる。その意味で、定住がただちに国家をもたらしたのではない。それは逆に、階級社会や国家を拒むシステムをもたらしたのである。》(p. 72)
 首長は存在するが、互酬原理によって富を喪失し権力者になることができない。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿ノート」の「残花帳」の部のつづき。「呼子と口笛」読む。

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2017年8月 7日 (月)

読み書き日録2017/8/7

加藤尚武著作集第1巻の単行本未収録論文の「カントとドイツ観念論」のテキスト処理(加藤尚武マクロの修正と一括処理、見出しタグ付け、表記統一など)~通読とさらなるファイル修正、スミ。
   *
「りんごの木」46号に目を通す。荒木寧子編集。
   *
「αρχη」16号に目を通す。中原秀雪編集。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿ノート」の「残花帳」の部のつづき。「閑天地」21篇、読了。「はてしなき議論の後」も。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の序説「交換様式論」の7節~「第一部 ミニ世界システム」の「序論 氏族社会への移行」読む。
《私がここで書こうとするのは、歴史学者が扱うような世界史ではない。私が目指すのは、複数の基礎的な交換様式の連関を超越論的に解明することである。》
《世界共和国への移行に関する手がかりを見出すことである》(47ページ)
としている。

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2017年8月 6日 (日)

読み書き日録2017/8/6

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。森一郎「メメント・モリ、または先駆的決意性」のつづき~終り。故渡邉二郎氏の死をまえにした壮絶な仕事がハイデガーの〈先駆的決意性〉をめぐる考察と結びつけられて説得力があった。
   *
添田馨詩集『非=戦 (非族)』読了。ひさしぶりに添田の詩を読んだ。とくに後半の「非=戦」は1000行の書き下ろしですこしまだるっこいところはあるが、なかなかの力作。現政権および現代政治への批判が存分にこめられている。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部/第2章/Le dehors et le dedansのつづき。
《エクリチュールの原初的な暴力があるというのは、言語とは、徐々に明らかにされてくるだろうある意味において、まずなによりもエクリチュールだからである。》(p. 55 拙訳)
そのまえに《エクリチュールとは……忘却を意味する》ということばもあり、当然ながらプラトンの『パイドロス』が参照されているが、エクリチュールはパロールの忘却のあとにやってくる(survenir)ものだからである。ここでソシュールにおいて言語とはパロールと同義であるから、エクリチュールとは暴力的出現となるわけである。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿ノート」の「残花帳」の部のつづき。
《一度読んだものを忘れるやうでは一人前の仕事が出来るものにあらず、そんな人は一生復習許りして、辞書に成つて墓穴に這入るにや……》(「閑天地(十二)」)
と啄木は書いている。どきりとさせられる言葉だ。それにしても啄木のエッセイはおもしろい。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の序説「交換様式論」の3節~6節。マルクスにはエコロジー的視点がすでに見られたことを知る。
《ヨーロッパがギリシア・ローマ文化を受け継いだのは、イスラム圏を通してである。その意味で、ギリシア・ローマからゲルマンへ、というヘーゲル的な継起的発展は、西洋中心主義的な虚構にすぎない。》(40ページ)
 まったくその通りだ。

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2017年8月 5日 (土)

読み書き日録2017/8/5

柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) の序文のつづき~序説「交換様式論」の2節。柄谷は交換様式の発展として互酬性=贈与(A)~略取と再分配=支配と保護(B)~商品交換=貨幣(C)~Aの高次元の回復=社会主義、共産主義、アナーキズムなどに類するが命名しないほうがいいもの(X)としている。このA~Dに対応する社会構成体としてネーション~国家~資本~Xとしている。それぞれが他の交換様式をふくむが、あくまでも時代のドミナントとして取り出すことのできるものと考えられている。
   *
加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ通読+ファイル修正をつづける。「12章 国家――結晶と流出」と「あとがき」、「増補新版にむけて」読む。「関連著作目録」は大幅なファイル修正。これで『へーゲルの「法」哲学』も終了。
   *
添田馨詩集『非=戦 (非族)』を途中まで読む。

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2017年8月 4日 (金)

読み書き日録2017/8/4

加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「11章 権利と市民社会」読む。残りの12章、あとがき、増補新版にむけて、関連著作目録の仮ゲラを印刷。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。森一郎「メメント・モリ、または先駆的決意性」の途中まで。故渡邉二郎氏の死をまえにした壮絶な学者魂について。
   *
「ココア共和国」21号に目を通す。秋亞綺羅の連載エッセイの転載16本が軽いが、なかなかおもしろい。
   *
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫) 読みはじめる。ヘーゲル『歴史哲学講義』を読んだので、その関連でひさしぶりに柄谷を読む。この本では《私の課題は、ある意味で、マルクスによるヘーゲルの批判をやりなおすことであった。》(序文、ixページ)と宣言されている。確かめてみよう。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿ノート」の「残花帳」の部のつづき。

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2017年8月 3日 (木)

読み書き日録2017/8/3

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。田島卓「マルティン・ブーバーにおける貢献心」つづき~終り。このまま入校していいので、天野さんに渡す。
   *
加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「10章 トポスとしての家」読む。ヘーゲルの『法の哲学』に遺言についてこんな一節がある。
《遺言する権利の原理に、故人のたんなる直接的な恣意を置くことはできない。それが家族の実体的な権利と対立するときにはとくにそうである。故人の恣意をその死後にも尊重しようとするのは、なんと言っても、家族のかつての成員にたいする愛と尊敬だけしかない。反対に、そのような恣意には家族の権利以上に尊重されなければならないものはなにもない。最後の意志による裁定が効力をもつのは、他の人びとがそれを恣意的に承認した場合だけであろう。このような効力は、承認の権限をにぎる家族関係が縁遠く、無効である場合に限ってしか容認できない。家族関係が現にあるのに、それを無効にすることは人倫にそむく。》(一八〇節注解)
と。加藤さんはこう注釈する。
《故人の意志は、そのままで有効なのではなくて、遺族の承認によって有効となる。したがって故人の意志に反したとしても、遺族の決定を無効とすることはできない。》
 世の中の遺言書の有効性にしがみつく者には決定的な宣告であろう。
   *
「みすず」8月号に目を通す。アラブ諸国の情報いろいろ。アラブの若者の意識も相当ひどいことになっているらしい。
   *
榎本櫻湖詩集『Ro``ntgen、それは沈める植木鉢』読了。とても難解で読みづらい詩集だが、読んでいてわかってきたことは、ことばがひとつの像を構成していくというのではなく、ひとつながりの断片を連想的あるいは連辞的に結合させていく手法なので、意味を求めても意味がないのだということがわかれば、難語を駆使しつつことばと戯れていく詩人の遊びに乗っかればいいとわかる。ただそれはやはりとてもしんどい。
《……このように、このような、おなじことばかりを述べたててしまうのは、もはやくちのなかで粘ついた思想の不自由さがもたらすのだと、いっこうに、羽搏いたり、舞いあがったりもしない、鈍重なそれを、不用意に、無辺の島島のあつまりにむやみに膠着させようとしているので、はっきりといっておくべきかもしれないが、これはもうまったくほんとうのことなのだが、ああ、この土地にはもう、随分と永いあいだ、それらがあったという痕跡のすべてが、きれいさっぱり消し去られてしまっているので、もちろんわたしたちはそれを黙ってしずかに看すごすことしかできなかったのだし、あなたがたはそういうわたしたちをやたらに咎めだてることで、埋没してしまうことをまぬかれようとしたのだろうが、結末にはなにも、それとわかるようななにかが用意されているわけではなかったのだから、自分たちの手で、不毛な営みに、朧げな蓋をかぶせておくしかないのだった、……》(104-105ページ)
というわけなのだ。ある意味ではとても自省的な、それでいて挑発的な詩なのだと言えるだろう。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第四部「ゲルマン世界」の「第三篇 近代」の「第三章 啓蒙思想とフランス革命」のつづき~終り(読了)。へーゲルはここでヨーロッパ主要国の国民性やさまざまな政治形態などについて論究し、本当かどうかは別にして、おもしろい特徴づけをしている。たとえばイギリスでは、
《すべての市町村やすべての下部組織や下部団体が、独立してみずから運営にあたります。そういうやりかたで全体の問題が具体的に解決され、特殊な問題も知と意思の対象とされる。特殊な利害がかかわることに、全体の組織が口出しするということがない。したがって、抽象的な一般原理はイギリス人の心を動かすことなく、むなしく耳を通りすぎるのです。》(370ページ)
とか、
《イギリス人は、自分の票を売ったり、議席を買ったりできることすらも、自由の名で呼ぶのです。》(371ページ)
といった具合でおもしろいが割愛する。へーゲルはこの歴史講義を《自由の原理を実現していく主要な精神の形態》(373ページ)と要約しているが、精神主義的歴史解釈の典型と言えようか。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿ノート」の「残花帳」の部のつづき。 《躊躇する事勿れ、顧慮する事勿れ、敵たるを敵とせよ、我が最強の味方は我なりと知れ、心眼をひらいて自家胸中の宇宙を仔細に観よ、……》(「閑天地(六)」) と断言している。

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2017年8月 2日 (水)

読み書き日録2017/8/2

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。田島卓「マルティン・ブーバーにおける貢献心」の途中まで。
   *
加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。加藤尚武マクロの追加も。「9章 習慣という怪物の背中で」読む。
   *
「図書」8月号に目を通す。熊野純彦が対談で、自分は読書に追われた経験がないと言ってそれはほかに趣味がないから、と二度も言っているのはおかしい。わかるけど、ゲラ読みの場合は必ずしもそうはいかない。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第四部「ゲルマン世界」の「第三篇 近代」の「第三章 啓蒙思想とフランス革命」の途中まで読む。

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2017年8月 1日 (火)

読み書き日録2017/8/1

加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。加藤尚武マクロの追加も。「8章 エゴイズムと正義の錬金術」読む。
   *
大江健三郎『沖縄ノート』(岩波新書) 読了。この本の最終章「『本土』は実在しない」で大江は、沖縄戦において住民に集団自決を強要した渡嘉敷島元守備隊長の20数年後の「帰還」に対する沖縄人の拒否について異様なほどの筆力で記録している。これがのちに右翼からの大江・岩波裁判のきっかけとなるものだ。そこではさらに、日本軍から追われ米軍に投降を強いられたある老女が米軍の前で沖縄民謡「唐船どうい」トーシンドーイを舞い狂う姿を描いている。大江は書く。
《日本軍に戦火のなかで見捨てられ、そしてついに異様に強大な敵軍のまえに投降しなければならぬ、その絶体絶命の場所で、歌いつつ_¨舞い狂う¨_老女は、そのまま日本軍、米軍をともに拒絶しながら、沖縄の民衆としての自己表現に、すべての情念を燃やしている人間である》
とし、そこからさらに
《沖縄のこの無名の老女と、われわれの間には、容易にこえがたい裂け目が開いているのであり、その深い裂け目の向うで舞い狂っている老女によって、まずわれわれはしたたかに拒絶されていると認めるべきであろう》(217-218ページ)
と。この本との出会いが遅かったそのぶん、ここでの一貫した大江の思想的闘いを継承していかなければならないと強く思う。
   *
榎本櫻湖詩集『Ro``ntgen、それは沈める植木鉢』読みはじめる。これは容易ならぬ作品だ。

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