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2017年7月

2017年7月31日 (月)

読み書き日録2017/7/31

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。眞方忠道「プラトン主義断想――滝久雄『貢献する気持ち』によせて」の4節~おわりに。この論文も読了。
   *
加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「7章 正義のために世界が亡びるなんて本末転倒だ」の2節~3節を読む。この章もスミ。
   *
新井高子さんにtel(留守電)。きのう受け取った『東北おんば訳 石川啄木のうた』の原稿は表記を修正したWord原稿を戻すので、それから榎本さんに再入稿してほしいと伝える。~榎本了壱さんからE-mailですこし遅れそうとのお詫び。~はじめに、おんば訳の魅力、おわりにの修正案をWord原稿で赤字入れ+赤マーク付け。E-mailで新井さん、榎本さん、蛭田恵実さんに添付ファイル送付。
   *
横山克衛詩集『かりそめの日々』通読。物語的志向をもつこの詩人はかつて駒田克衛の名で不思議に野放図な言語世界を築いていた。今回も成熟を拒否したような世界にその片鱗がうかがわれる。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫)の第四部「ゲルマン世界」の「第三篇 近代」の「第二章 宗教改革が国家形成におよぼした影響」読む。へーゲルはフリードリヒII世を「哲学者の王」とし、
《宗教上の論争がきらいで、論争の渦中にある見解のいずれにもくみしないフリードリヒは、精神の奥深さと思考の自覚的な力をしめす普遍性の意識がそなわっています》(346ページ)
と高く評価している。
   *
大江健三郎『沖縄ノート』(岩波新書)VI章の途中以降を読みつぐ。演劇集団『創造』の戦いが、内なる沖縄戦の体験を踏まえて持続的な活動をしてきたことが紹介されている。それに対置される
《本土からの、およそ犯罪的なほどに鈍感な、沖縄残酷物語の収集家》(167ページ)
ということばに大江の怒りが見てとれる。

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2017年7月30日 (日)

読み書き日録2017/7/30

G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第四部「ゲルマン世界」の「第三篇 近代」の「第一章 宗教改革」のつづき~終り。
   *
加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。加藤尚武マクロ.macの追加修正も。「7章 正義のために世界が亡びるなんて本末転倒だ」の対話部分~1節まで読む。
   *
壱岐梢詩集『一粒の』通読。奇をてらわないだけに好感のもてる詩集で、家族など大切なひととのかかわりを丹念にことばに写しだしている。
   *
大江健三郎『沖縄ノート』(岩波新書) のIII章の途中以降を読みつぐ。大江は沖縄にたいする日本政府の〈中華思想〉的対応がいまにいたるもつづいていることを見抜いている。言うまでもなく、この本が書かれた以後のいま現在にいたるまでも変わらない日本人の根底に巣くうメンタリティであることに注意しよう。敗戦直前の沖縄戦で沖縄が本土防衛のための捨て石にされたように、いまもこの構図は変わっていないばかりか、支配政権を支える多くの日本人が沖縄差別に加担しているという端的な事実が教えるように、日々強化されているのである。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部/第2章/Le dehors et le dedansのつづき。
   *
新井高子さんよりE-mailで『東北おんば訳 石川啄木のうた』のおんば訳、エッセイ以外の最終原稿7本(目次、はじめに、凡例、おんば訳の魅力、お世話になった皆さん、催し一覧、おわりに)とどく。すべてダウンロード。このうち、はじめに、おんば訳の魅力、おわりにを印刷して通読。表記をすこし直せばこのままの〈あらたか節〉で進められそう。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。眞方忠道「プラトン主義断想――滝久雄『貢献する気持ち』によせて」はじめに~3節まで読む。

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2017年7月29日 (土)

読み書き日録2017/7/29

加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。加藤尚武マクロ.macの追加修正も。「6章 オレステスの犯罪とその『止揚』」読む。
   *
大江健三郎『沖縄ノート』(岩波新書) いまさらながら、読みはじめる。この本を読むときにあらかじめ認識しておかなければならないのは、この本が大江35歳のときに書かれ、また沖縄の日本復帰2年前に出版されたものであるということである。いまの沖縄と共通するところとしないところがあるということだ。
《いくたびかの沖縄への旅行で、僕がもっとも愛するようになった人びとの、絶対的な優しさとかさなりあった、したたかな拒絶があるから、問題は困難なのだ。》(14ページ)
まったくその通り。なお、大江に影響を与えた詩人で新聞記者として新川明の名前が出てくる。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部/第2章/Le dehors et le dedansのつづき。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第四部「ゲルマン世界」の「第二篇 中世」の「第四章 中世のおわりを告げる芸術と学問」~「第三篇 近代」の「第一章 宗教改革」の途中まで読む。

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2017年7月28日 (金)

読み書き日録2017/7/28

加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ通読+ファイル修正をつづける。秀丸マクロの修正も。「5章 承認は契約の前提である」の2節~3節。これでこの章もスミ。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。古田徹也「ピーパー『四枢要徳について』の要点と批評――滝久雄『貢献する気持ち』との関連において」読む。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第四部「ゲルマン世界」の「第二篇 中世」の「第三章 封建支配から君主制へ」読む。
《封建支配は多頭制で、身分としては主人と奴隷がいるだけですが、君主制では、主人はいても奴隷はいない。奴隷制は君主制とは相いれないもので、君主制では人権と法が確立され、自由が現実のものとなるのです。》(289ページ)
 これはへーゲルの妄想でしかない。
   *
「現代詩手帖」8月号、エミリ・ディキンスン特集。ひととおり目を通す。

  

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2017年7月27日 (木)

読み書き日録2017/7/27

加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。秀丸マクロの修正も。「5章 承認は契約の前提である」の章のはじめの対話と1節まで、スミ。
   *
「季刊 びーぐる 詩の海へ」36号、ようやく読了。あいかわらず充実した内容だが、八重洋一郎詩集『日毒』をめぐる山田兼士・細見和之対話はあまり感心しない。『日毒』が背景にしている沖縄(石垣島をふくむ)の思想・政治状況にたいする認識が物足りない。いつもながら現代詩人たちの関心が低いのを痛感する。たとえば沖縄における天皇制の問題にたいする批判の根深さ、天皇メッセージが遺した傷のいまにいたるも癒えていない痛みをどう考えているのか疑問だ。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫)の第四部「ゲルマン世界」の「第二篇 中世」の「第二章 十字軍の遠征」読む。
   *
野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』読了。「終章 そして隠喩の問題に辿り着く」と「あとがき」を読む。書き下ろしのこの最後の章において、野村はこれまでの隠喩否定論から隠喩肯定派に転向している。1993年刊行のわたしの『隠喩的思考』まで掘り起こしてきて、《言語の本質的な隠喩性》(244ページ)に言及するにいたる。
《隠喩とは……レトリックとしてのたんなる転義的比喩ではなく、そもそもの始めから言葉を言葉たらしめているところの、意味のゆらぎやずらし、そしてまた言葉と言葉の関係における内的な、あるいは微分的な差異の生成》(245-246ページ)
であり、
《言語をその発生状態において学び直すこと、それが隠喩の使用であり》(247ページ)
と展開していく。「荒地」派に代表される〈戦後詩〉を隠喩的手法による隆盛から衰退にいたるものといった陳腐な解釈でなく、また北川透の『詩的レトリック』のような非本質的で狭く限定された技法的レトリック論でなく、詩的言語の本質論へ野村が踏み込んでくれたのはよい兆候である。それにしてもこのわたしを「ポストモダン期の詩論の書き手」と規定されちゃ困るんだけどな。


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2017年7月26日 (水)

読み書き日録2017/7/26

「詩遊」55号に目を通す。冨上芳秀「詩についてのメモ6」で第二次「走都」創刊号の批評。
《以前、私は野沢啓の評論は高く買っていたが、詩はそれほどでもなかった。しかし、今度読むと詩も評論も自由な精神の羽ばたきがよかった。(……詩の引用あり……)私がこの詩を評価するのは、個性のない感想を述べる生活詩ではなく、豊かな知識と鋭い感性による世界認識があるからである。*で区切って、次々とテーマを移動させることで、読者を飽きさせないという自由な思考の展開である。いうまでもなく筆力と内容の魅力に少しでも揺るぎがあれば、この種の詩は失速してしまうのである。こうした思考に詩の作品を取り込むことで一つの宇宙を形作っている》
とある。まあ、ちょっと気に入らないところもあるが、冨上よ、ありがとう。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。佐藤透「心のよさとは何か――『不生の仏心』と『もののあはれ』を手引きとして」の三節~五節。この論文もスミ。
   *
加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。「4章 譲渡があるから所有がある」の章、スミ。
   *
「季刊 びーぐる 詩の海へ」36号、読みはじめる。ボードレール特集。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部/第2章/Le dehors et le dedansのつづき。Saussureの方法的限定、つまり言語学の研究対象を現代の音声言語に限定すること。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第四部「ゲルマン世界」の「第二篇 中世」の第一章のつづき~終り。
   *
野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』の第9章、インテルメッツォ5、第10章を読む。
《もとより詩は言語による言語の批判である。》(215ページ)
《詩は、ある意味では、哲学の仕事が終わったところから開始される。》(233ページ)
いずれも突然の断言だが、あたっている。

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2017年7月25日 (火)

読み書き日録2017/7/25

加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。秀丸マクロの追加修正も。「3章 誰が私の身体を所有するか」の章、スミ。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。佐藤透「心のよさとは何か――『不生の仏心』と『もののあはれ』を手引きとして」の二節まで読む。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第四部「ゲルマン世界」の「第一篇 キリスト教=ゲルマン世界の諸要素」の第三章~「第二篇 中世」の第一章の途中まで。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部/第2章のLe dehors et le dedansのつづき。
   *
河野聡子詩集『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』通読。ユニークなレイアウトとコンセプトがまずなによりも特徴的だが、「代替エネルギー推進デモ」の連作40篇はとにかくおもしろい。日常のどんなものからもエネルギー転換できるという視点から、たとえば「おにぎり発電」なんてことをまことしやかに語って(騙って)みせる。そういえば、実際にドイツでは赤ちゃんのおむつから発電することが試みられた話があったが、そういう意味ではまんざらでもない想像世界が展開されている。

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2017年7月24日 (月)

読み書き日録2017/7/24

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。清水正之「石田梅岩 『心を知る』学問と貢献」読む。このままゲラにすることにし、あす天野さんに渡す。
   *
野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』のインテルメッツォ4、第8章を読む。
《私や城戸朱里や守中高明らが詩の前線を担うようになった一九八〇年代後半から九〇年代前半にかけて……》(197ページ)
とはちっとも知らなかった。自負するのは勝手だけどね。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第四部「ゲルマン世界」の「第一篇 キリスト教=ゲルマン世界の諸要素」の「第一章 民族大移動」のつづき~「第二章 イスラム教」読む。
《アラビア人の血縁者による復讐(仇討ち)は、家族の名誉がそこなわれたという感情にもとづくものですが、ゲルマン人が復讐におもむくことがないのは、共同体が個人の上にたつことがないからです。ゲルマン人が社会的関係をつくろうとする場合、自由の要素がなにより重視されるのです。》(217ページ)
 アラブの復讐心はたしかにすごい。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部/第2章のLe dehors et le dedansのはじめ~。Saussure理論の検討からはじめるが、かれはエクリチュールに「狭く派生的な」機能しか見ていなかった。
   *
加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。秀丸マクロの追加修正も。「2 友愛こそは自由であり平等である」の章、スミ。
   *
石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿ノート」の「残花帳」の部。都からの「落人」として東北の新聞に書いた連載エッセイ。
《故郷こそはげに我が世のいと安けき港なりけれ、わが舟そこに休らへば、人の情の海は深うして、なつかしき鄙言葉【ひなことば】のさゞめきの浪は子守歌の様におだやかに、……》(379ページ)

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2017年7月23日 (日)

読み書き日録2017/7/23

G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第四部「ゲルマン世界」のはじめ~「第一篇 キリスト教=ゲルマン世界の諸要素」の「第一章 民族大移動」の途中まで読む。
《ゲルマン精神は新しい世界の精神であり、自由が無限に自己をあきらかにするところにうまれる絶対の真理を実現すること、いいかえれば、形式と内容が絶対的に統一された自由_¨そのもの¨_を実現することにあります。》(200ページ)
 第四部冒頭のことばだが、ちょっと自己過大評価じゃないの。
   *
野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』のインテルメッツォ3、第7章を読む。
   *
加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ通読+ファイル修正をつづける。秀丸マクロの追加修正も。「1 へーゲルに『法哲学』なんてありはしない」の1節~3節。「1」の章、スミ。
   *
『小熊秀雄賞受賞詩集詩撰 しゃべり捲くれ』の序、新井高子、与那覇幹夫、ほかを読む。有志の努力によって賞が持続しているらしい。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部/chapitre 2 linguisutique et grammatologieのつづき。

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2017年7月22日 (土)

読み書き日録2017/7/22

浜田優詩集『哀歌とバラッド』通読。追憶めいたセンティメントが全体を支配していて、自身かこの時代かどこか深い疲労が感じられてしかたない。哀歌がバラッドになろうがその逆であろうが、逃避ではなく抗うことだ。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第三部「ローマ世界」の「第三篇 帝制の時代」の第二章「キリスト教」のつづき~第三章「東ローマ帝国」読む。これで第三部、読了。
《人間は人間自身が目的であり、内部に無限の価値をもち、永遠をめざして生きるものです。したがって、超感覚的な無限の内面世界が人間の故郷であり、そこにいたるには、ありのままな生活や願望と手を切り、そうしたものを自分の内面からたたきだすほかはない。》(186ページ)
 けだし至言だが、難題だ。
   *
加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』のテキスト処理をはじめる。秀丸マクロがうまく対応しないのでひさびさに秀丸エディタをv.8.73の64bit版にアップデート。最新版の「加藤尚武マクロ.mac」を走らせて一括処理。見出しタグなどもすませる。マクロの追加と修正も。とりあえず仮ゲラを印刷して通読をはじめる。「まえがき」~「1 へーゲルに『法哲学』なんてありはしない」のはじめの対話まで、スミ。
   *
野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』インテルメッツォ2、第6章を読む。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部/chapitre 2 linguisutique et grammatologieのつづき。

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2017年7月21日 (金)

読み書き日録2017/7/21

きのう書いた「詩的断章32」を読み直し、すこし修正していちおう完成。

「動物は無自覚なまま神と一体化している」(*)
なんでも精神のヘーゲルおじさんには困ったものだが
ときどきいいことも言う
うちのナイジェルなんか生きていたときからカミだったから
死んでもますますカミさんだ
無自覚だろうがなんだろうがかまうものか
心に邪気がないかは目を見りゃわかる
動物の目には不安はあっても悪意はない
目は口ほどにものを言う
とは誰が言ったのか
ほんとうはもっと深い意味があるかもしれないけれど
いまのところはいいことにする
ひとは信じないけど犬は信じられるね
これって不幸なの
まあそういう運命にあるのか性格なのか
自分で判断してもしかたあるまい
人間なんか精神腐ってるのほど心は闇よ
動物の心なんかわかりゃしない
生きることに真剣さが足らないからさ
よく遊びに来てくれるダンボさんは真剣だもんね
おやつが目当てなんだけど
それでいいのだ
そうやって問題をせまく限定したほうがときには現実的で
ワイドにものを見ようたって
できる人間なんかそんなにいるかい

(*) G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』岩波文庫166ページ。
   *
加藤尚武著作集の『バイオエシックスとは何か』の仮ゲラ通読+ファイル修正、つづける。8節~14節。本文、読了。あとがき2ページ、スミ。これでこの本も終り。
   *
野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』の第4章~第5章を読む。レヴィナスの他者論とランボーの "Je est un autre" についての哲学まぶしエッセイ。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部/chapitre 2 linguisutique et grammatologieのはじめ~。エクリチュールの学の問題設定。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第三部「ローマ世界」の「第三篇 帝制の時代」の第2章「キリスト教」のつづき。
《認識とは、意識にとってよそよそしい外部世界を否定し、主観が自己へとかえってくることなのです。》(168-169ページ)
へーゲルにはこういうなにげない金言がこぼれ出るところがある。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿ノート」の部のつづき。

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2017年7月20日 (木)

読み書き日録2017/7/20

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。高橋文博「伊藤仁斎の仁愛の思想」の七節~十二節。この文、読了。このままゲラにすることにし、天野さんに渡す。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第三部「ローマ世界」の「第三篇 帝制の時代」の第1章~第2章の途中。
《罪なく楽園に生きるという境遇は、動物の境遇です。楽園は、動物なら踏みとどまれるが、人間はそこに踏みとどまることができない。動物は無自覚なまま神と一体化しているが、人間は自分を自覚する精神だからです。この自覚、この意識は、同時に、一般的な神の精神からの離脱でもあって、わたしが善と対立する抽象的自由に執着するかぎり、それこそがまさに悪の立場にたつことです。したがって、原罪は人間につきまとう永遠の神話であって、まさにそれによって人間は人間になるのです。》(166ページ)
 動物は無自覚なまま神と一体化しているというのは実感できるが、人間とはご苦労なものだ。
   *
加藤尚武著作集の『バイオエシックスとは何か』の仮ゲラ通読+ファイル修正、つづける。7節、スミ。
   *
「孔雀船」90号に目を通す。継続は力なり、を地でいっている望月苑巳編集誌。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿ノート」の部のつづき。
   *
野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』の「インテルメッツォ1」を読む。忘れていたが、小林康夫『歴史のディコンストラクション』刊行にちなんで依頼した原稿だった。こんなかたちで再会するとは。野村の「機会哲学」の本領発揮の文章だ。

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2017年7月19日 (水)

読み書き日録2017/7/19

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、再開。高橋文博「伊藤仁斎の仁愛の思想」の六節まで。
   *
加藤尚武著作集の『バイオエシックスとは何か』の仮ゲラ通読+ファイル修正、はじめる。6節まで。
   *
野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』の第2章~第3章を読む。ハイデガー、ルネ・シャール、ツェランにわたしが編集したラクー=ラバルト、小林康夫の本をとりまぜて論じている。なかなかいい線いってるよ。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部第1章のL'e^tre e+'critのつづき~終り。第1章、読了。
《へーゲルは_¨また¨_還元不可能な差異を思考するひとである。……書物についての最後の哲学者であり、エクリチュールについての最初の思考者である。》(p. 41. 拙訳)
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿ノート」の部のつづき。「江畔雑詩」の前文に啄木の故郷への思いがけぬ境地が見られる。都を去り、《今はあたゝかき愛の新苑に心の限り甘き慰めを呼吸するなり。》と。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第三部「ローマ世界」の「第二篇 第二回ポエニ戦争から帝制成立までのローマ」読む。
《キケロが師と仰いだプラトンは、自分の目の前にあるアテネ国家が長つづきしないことを十分に意識していたから、自分の見解にもとづいて、完璧な国家体制の見取図を書きました。これに反して、キケロは、ローマの共和制が長もちできないなどとは考えなかったので、いつもその場かぎりの弥縫策をさがしもとめた。国家、とくに、ローマ国家の本質について、かれにはなんの意識もないのです。》(148-149ページ)
 これは痛烈なキケロ批判だ。
《ローマの原理は支配力や軍事力に全面的に依拠するものです。内部に精神的な中心があって、それが目的や活動力や精神の満足につながるということがない。》《ローマ人がギリシャの各地からひきずってきた芸術作品は、かれら自身がつくりだしたものではなく、富も、アテネの場合とちがって、自分たちの勤勉さがうんだ果実ではなく、略奪してきたものでした。》(149ページ)
とローマには厳しい。

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2017年7月18日 (火)

読み書き日録2017/7/18

加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+仮ゲラ通読、つづける。「第十章 弁証法の成立根拠」の五節~十二節。第十章、一気に終わらせる。あとがき2ページもスミ。ようやくこの本も終わる。加藤さんの既刊本のなかで質量ともに最もヘビーな本だろう。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第三部「ローマ世界」の「第一篇 第二回ポエニ戦争以前のローマ」の第一章のつづき~第二章。第一篇、終り。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の第一部第1章のL'e^tre e+'critのつづき。
《脱構築の試みは、必然的に内部からの働きかけであり、古い構造から転覆の戦略的経済的なあらゆる手段を借用しつつ、それらを構造的に、つまりその要素や原子を孤立させられないままに、つねになんらかの方法で、みずからの作業によって運び去られるのである。》(拙訳、p. 39)
 これはデリダによる〈デコンストラクション〉の最初の定義ではなかろうか。
   *
野村喜和夫詩集『デジャヴュ街道』通読。20代のときの着想、十数年後に書かれた詩篇をもとにさらなるモチーフの展開としてまとめられたという、この持続力には感心。野村の詩の生理的口唇的なとめどなさ、制御できない運動であるという特徴がよく出ている。たとえば
〈おるよおれが、/住む巣〉
〈ふらっ)蛇)いるな)〉
はオルガスムスやフラジャイルを分解/結合するものだが、こういう言語の解体遊戯が口唇的な痙攣以外のどこにいきつくのかは、わたしの感知するところではない。
   *
野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』の第1章も読む。「芸術作品の根源」におけるハイデガーの、ゴッホの農夫の靴を描いた作品にたいする散文詩もどきの論説を詩人になれなかった哲学者のエクリチュールと読むことは正しい。

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2017年7月17日 (月)

読み書き日録2017/7/17

野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』読みはじめる。まずは序章を読む。連載で読んでいたから驚かないが、野村の哲学への志向は若いときからのもので、相当な蓄積を踏まえている。それがどこまで系統的なものかはよくわからないが。
   *
清岳こう詩集『つらつら椿』通読。清岳の出生地、熊本(肥後)の特産、椿にちなんだ作品集。熊本大地震をふくめ、望郷とともに家系へのさまざまな思いをこめていて、不明ながらも気持ちが伝わってくる。
   *
加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+仮ゲラ印刷+通読、再開。「第十章 弁証法の成立根拠」のはじめ~四節。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie pp. 36-38. 第一部第1章のL'e^tre e+'critのつづき。
《〔こうしたことが示しているのは、〕根本的には、なにものもシニフィアンの運動を逃れることができないこと、結局のところ、シニフィエとシニフィアンの差異は_¨なにもない¨_ということである。》(p. 36)
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第三部「ローマ世界」の「第一篇 第二回ポエニ戦争以前のローマ」の第一章のつづき。
《東洋には最初の粗野な詩情と、有限なものすべてを転倒させる感覚があり、ギリシャには美しく調和のとれた詩情と軽やかに安定した精神の自由があったとすれば、ここローマには、散文的な生活と有限を自覚する意識と抽象的な知性と頑固な人格がある》(112ページ)
 ほんとかね。

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2017年7月16日 (日)

読み書き日録2017/7/16

G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第三部「ローマ世界」のはじめ~「第一篇 第二回ポエニ戦争以前のローマ」の第一章の途中。
《東洋では_¨専制政治¨_が、ギリシャでは_¨民主政治¨_が政治生活の基本をなしていましたが、ローマの基本は_¨貴族政治¨_で、しかも民衆と対立する厳格な貴族政治です。》(98ページ)
として貴族制と王制の対立、平民と貴族制の対立があって民主制になるが、今度は党派が登場し、後期貴族制が生まれる。二元対立がローマの根深い本質とされる。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿ノート」の部のつづき。
   *
「LEIDEN――雷電」11号に目を通す。瀬尾育生の評論は吉本隆明アンソロジーの「解題」として書かれたものらしい。数いる吉本エピゴーネンのものとしては祖述としてよくまとめられている部類に属するが、吉本思想の独自性を盲目的に評価するあまり、さまざまに矛盾錯綜する吉本思想の限界点や問題をも剔抉するところまでにはいたっていない。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie のPremie`re Partie/chapitre I/L'e^tre e+'critのつづき。

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読み書き日録2017/7/15

もう日も変わってじつは16日だが、時間と体力をとられてこんな時間になってしまった。

大岡信『現代詩試論 詩人の設計図』(講談社文芸文庫) の「自動記述の諸相 困難な自由」読む。さらに三浦雅士の解説「若き大岡信の射程」も読む。これで読了。三浦も書いているように、大岡信という詩人・批評家の存在はこれまでまともに論じられてきていないが、その仕事は巨大であったと言うしかない。

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2017年7月14日 (金)

読み書き日録2017/7/14

最近また書くことができていないのでしばらくぶりに詩を2篇ほど書いてみた。そのうちの1篇。

ひとはなぜことばの恣意的な配列である連続と断絶にタイトルをつけたがるのだろう
ことばがことばを呼ぶ
その必然か偶然か
未知は未知のままにしていいんじゃないの
でもたんなる横着じゃないかって説ももちろん成り立つ
わたしの場合それでいっこうにかまわないんだけど
ひとはそう融通ムゲというわけにいかない
(だけどなぜこのアプリはムゲが無碍に変換できないんだバカめまるでわたしがこんな字も書けないみたいじゃないか)
でなんだったっけ
そうそうタイトルなしで詩を書けないか書いちゃいけないのって話
まあいいかこうして書いているんだし
これが詩ならばというだけで誰も困るわけじゃないし
面倒だよね
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第二部「ギリシャ世界」の「第3篇 外交の時代」の第四章、第五章~「第4篇 ギリシャ精神の没落」読む。第二部、読了。 《〔ソクラテスのような〕道徳的な人間とは、正義を意思し実行するというだけの無邪気な人間ではなく、自分の行為を意識しておこなう人間なのです。》(81ページ)
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie のPremie`re Partie/chapitre I/L'e^tre e+'critのはじめ~。
《彼〔ニーチェ〕が書いたのは、まずは彼のエクリチュールがもともとロゴスと真理に服従しているものではないということである。》(p. 33)
 エクリチュールはなにものにも拘束されないということである。
   *
秋山基夫詩集『月光浮遊抄』通読。〈とりかへばや〉物語をベースに引用をくわえて現代詩のかたちにリメイクしたもの。引用詩論という本があったのを思い出す。いろいろ試みるひとだ。

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2017年7月13日 (木)

読み書き日録2017/7/13

大岡信『現代詩試論 詩人の設計図』(講談社文芸文庫) の「シュルレアリスム ひとつの視点」のつづき~終り。
《シュルレアリストの詩作品は、霊感を与えられ、言いかえれば想像力を解放された読者との共同的な創造行為によってはじめて完成されるものといえる。その意味でぼくらは、詩的想像力と技術の解放、個人的なもろもろのタブーを打ち破ってゆく勇気を得る上で、常にシュルレアリスムに帰ることができるし、そこから必ず何らかの前進的エネルギーを汲みとることができるだろう。》(328-329ページ)
 大岡信はシュルレアリストではなかったが、若いときは相当な支持者だったことがわかる。
   *
「生き事」12号に目を通す。佐々木安美が前立腺肥大の組織採取のことを書いているが、そのさいの大きな採取音にはわたしにも経験がある。あんなに大げさな音を立てなくてもいいのに、と思ったことがある。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie の Premie`re Partie/chapitre I/Le signifiant et la ve+'rite+'のつづき~終り。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第二部「ギリシャ世界」の「第3篇 外交の時代」の第二章~第三章。
《ギリシャの共同体精神は、最高の美しさと愛らしさと魅力をもってあらわれてはいるが、しかし、精神的な自己意識の最高の段階をしめすものではありません。そこには、思考が自分を反省するという無限の形式が欠けている。…思考が自分で自分をとらえる、という無限の自己意識が成立していないといってもよい。》(73ページ)
 どうもこのあたりヘーゲルの思考が独断的になっている。

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2017年7月12日 (水)

読み書き日録2017/7/12

「ガーネット」82号に目を通す。実力派のそろった軽み系の詩誌だが、神尾和寿が詩誌時評をはじめたので、次回は期待できそうだ。
   *
大岡信『現代詩試論 詩人の設計図』(講談社文芸文庫) の「シュペルヴィエル論」のつづき~終り。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿ノート」の部のつづき。「沈黙の声」は短いが北村透谷ばりの劇詩だ。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第二部「ギリシャ世界」の「第3篇 外交の時代」のはじめ~第一章。

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読み書き日録2017/7/11

「図書」7月号に目を通す。
   *
大岡信『現代詩試論 詩人の設計図』(講談社文芸文庫) の「パウル•クレー 線と胚種」読む。さらに「シュペルヴィエル論」の途中まで。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「想像しうる最小の軍隊――ガンジーのインド憲法私案と日本の平和憲法」のつづき~終り。あとがきも読んで、この本もようやく読了。古い論文が多いが、いまでも十分に通用するものばかりだ。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第二部「ギリシャ世界」の「第2篇 美しき個人の形成」の第3章。

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2017年7月11日 (火)

読み書き日録2017/7/10

「みすず」7月号に目を通す。上村忠男、岡真理、大井玄を読む。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の 第二部「ギリシャ世界」の「第2篇 美しき個人の形成」の第1章、第2章。
《精神が自分をうみだし、本当の自分をつくりだすというのは、たしかに精神の一面ではあるが、他の一面は、精神がもともと自由であり、自由こそ精神の_¨本性¨_ないし概念だということです。》(49ページ)
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「想像しうる最小の軍隊――ガンジーのインド憲法私案と日本の平和憲法」のつづき~。ガンジーの憲法私案は川満信一琉球共和社会憲法と似ている。

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2017年7月 9日 (日)

読み書き日録2017/7/9

大岡信『現代詩試論 詩人の設計図』(講談社文芸文庫) の「エリュアール論」のつづき~終り。
《常に新鮮であるために常におのれに袂別すること、あらゆる所有の観念に無縁であることを宣言した時、彼の愛は恋人を通じて世界そのものを所有したのだ。》(273ページ)
 これは大岡信自身についても言える。エリュアールほど大岡に似た詩人はいなかったかもしれない。
《彼〔エリュアール〕の詩は、美しい素材だけがむきだしになって山積しているていの詩である。つまり、彼の詩は読者の中でこそ、はじめてみごとに一篇の詩となって結晶するような詩なのだ。動かしがたく完成しているにもかかわらず、無限に読者の心理を誘惑し、その限りにおいて無限に未完成である詩、これがエリュアールの詩だ。》(277ページ)
 ある意味では、これこそ詩の究極の姿ではなかろうか。
   *
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) の第二部「ギリシャ世界」の「第1篇 ギリシャ精神の諸要素」のつづき~終り。
《自然物は、むきだしの自然物としてではなく、精神の息のかかったものとしてとらえられる。自然は人間にはたらきかけてくるものであり、そこから精神的なものがとりだせるかぎりで価値がある。》(26ページ)
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「想像しうる最小の軍隊――ガンジーのインド憲法私案と日本の平和憲法」のつづき~。
   *
「春秋」7月号の島薗進論文に目を通す。明治天皇の死の直前の二重橋外での大衆による集団祈祷や明治神宮創建の愚かさを批判した石橋湛山の論の紹介。




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2017年7月 8日 (土)

読み書き日録2017/7/8

「ミて」139号、読了。新井高子さんがトルコの詩祭に招待されて行った模様が書かれている。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「想像しうる最小の軍隊――ガンジーのインド憲法私案と日本の平和憲法」のつづき~。
《国家が行う戦争の根源的な形は、国家が自身を立ち上げ、自身の存立を守るために、自身の国民を相手に戦うというものだ。国家による正統な暴力の独占は、暴力によって確立し、暴力によって維持されている。》(284ページ)
 国家暴力というものはまずなによりも国内にむけての鎮圧的暴力だということだ。
   *
大岡信『現代詩試論 詩人の設計図』(講談社文芸文庫) の「エリュアール論」のはじめ~。
《新しい自然ではなくて、新しい光をあてられた自然……。奇妙なことだが、日本のモダンな詩人達に新しい詩の先駆者として映ったエリュアールが、ぼくに、新しい詩などない、新しい光をあてられた詩があるだけだ、と教えてくれたのだ。ぼくのエリュアール理解の方向は、このときすでに決定的にきめられていた。》(243ページ)
《エリュアールの希望の歌が倦むことなく続いてきたということは、それ故、エリュアールの絶望が、昨日も今日も、常に新しく彼をさいなんだということ以外のなにものでもなく、又ぼくらが彼の希望の歌をきいて倦むことがないとすれば、ぼくらの絶望がそのように深く、言うならば豊かであることを示す以外の何ものでもない。》(245ページ)
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie のPremie`re Partie/chapitre I/Le signifiant et la ve+'rite+'のつづき~。
《問題は、固有の意味と比喩的意味を逆転させることではなく、エクリチュールの「固有の」意味を隠喩性(me+'taphoricite+')そのものとして規定することである。》(p. 27)
 これはエクリチュールがそれ自体で隠喩的意味をもつということであろうか。
   *
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫) 読みはじめる。第二部「ギリシャ世界」のはじめ~「第1篇 ギリシャ精神の諸要素」のはじめ~。
《ギリシャにやってくると、ただちに故郷にいるような気分になる。そこに精神の土台がしっかりとあるからです。》(8ページ)
と冒頭からヘーゲルは言う。最初に結論ありきのヨーロッパ礼賛だ。ギリシャが世界史の青年期だというのは
《完成にはほど遠い、まちがいだらけの青年期、という意味ではなく、窮屈な分別くさい目的のための労働や労苦に身をいれる必要がいまだなく、具体的で新鮮な青春生活を謳歌できるという意味での青年期、いいかえれば、肉体化された精神、ないし、精神化された感性として、精神的な統一のもとに感覚的な現在を生きるという意味での青年期》
と再定義されている。

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2017年7月 7日 (金)

読み書き日録2017/7/7

大岡信『現代詩試論 詩人の設計図』(講談社文芸文庫) の「立原道造論 さまよいと決意」読む。
《立原〔道造〕の詩の世界は、本質的に物語の世界なのだ。それは中原中也の詩の世界が歌の世界であったというのと同じほどに本質的なことである。》(226ページ)





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読み書き日録2017/7/6

「UP」7月号に目を通す。あまり読むところがなかった。
   *
「Down Beat」10号に目を通す。金井雄二君がいつも送ってくれる中堅詩人たちの詩誌。とくにこれといった特徴はない。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の第一部「東洋世界」の「第3篇 ペルシャ」のつづき~終り。これで上巻、読了。ヘーゲルの論理はヨーロッパ世界(ゲルマン世界)を最高位に置き、東洋(中国、インド)からペルシャ、ギリシアと段階を追って精神的に進歩するという独断的な汎ヨーロッパ主義である。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie pp.25-26. Premie`re Partie/chapitre I/Le signifiant et la ve+'rite+'のつづき~。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「詩稿ノート」の部の途中~。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「意見書『天皇制・君が代について』」読む。
《「君が代」強制の狙いは、子どもたちに、「考えないこと」を教えているのではないかと思います。》(258ページ)
 思想の自由とは裏腹に「君が代」を強制することで、思想と行動を別々のものと考えさせることの権力の深い企みをラミスは暴いている。

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2017年7月 5日 (水)

読み書き日録2017/7/5

大岡信『現代詩試論 詩人の設計図』(講談社文芸文庫) の「小野十三郎論 歌・批評・リズム」読む。
《歌の中に風景を閉じこめるのではない。風景の中に歌を離してやるのだ。これはたしかに新しい外界の発見であり、同時に新しい歌の発見だった。》(205ページ)
と小野の詩を評価しつつ、一方で
《問題というものの重要さは、それを論じることによってぼくらの詩に関する認識が深められ、また詩作に有効な助言が与えられるかどうかという点にかかっている。理論は実際的であり、生産的でなければならないのだ。》(219ページ)
と大岡は小野のリズム論の欠陥をきびしく批判している。大岡ならではの指摘である。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「ラディカルな民主主義」のつづき~終り。
《ラディカルな民主主義の政治哲学が存在しない……理由は、それが自ら正統性を主張する必要のまったくない、唯一の政治的状態だという点にある。……ラディカルな民主主義は正統性そのものである。》(243ページ)
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie のPremie`re Partie/chapitre I/Le signifiant et la ve+'rite+'のつづき~。
   *
加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+仮ゲラ通読、つづける。「第九章 真理と存在」の四節~五節。第九章、スミ。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「雑誌に発表された詩」の部、つづき~終り。問題作「はてしなき議論の後」で啄木は社会主義者としての側面を見せている。
《されど、誰一人、握りしめたる拳【こぶし】に卓をたゝきて、/「V NAROD!」と叫び出づる者なし。》
とリフレーンで慨嘆しており、労働者知識人から「君の言ふ所は徹頭徹尾煽動家の言なり。」と批判されながら、はてしなき議論をするエピソードが記されている。これは晩年の啄木の実話にちがいない。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の第一部「東洋世界」の「第3篇 ペルシャ」のつづき。
《スフィンクスはエジプトの精神の象徴と見ることができるので、動物の体の上に乗る人間の頭は、精神が自然の上に出て、自然から身をひきはなし、自分のまわりを見まわしはじめたことを、とはいえ、自然の桎梏から完全に自由になったわけではないことを、あらわしています。》(325ページ)
 まったくヘーゲル的な解釈だ。

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2017年7月 4日 (火)

読み書き日録2017/7/4

加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+仮ゲラ通読、つづける。「第九章 真理と存在」の三節、スミ。
   *
「現代詩手帖」7月号、ようやく読了。坪井秀人の長期連載が終了。読み応えがあったが、やや冗長とも言えるのは研究論文スタイルのゆえか。
   *
橋場仁奈詩集『空と鉄骨』通読。少ないヴォキャブラリーでやや偏執狂的に同じイメージが全篇にわたって繰り返されるのはちょっとシンドイ。
   *
届いたばかりの「ひょうたん」62号に目を通す。いつも岡島弘子さんが送ってくれる。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の第一部「東洋世界」の「第3篇 ペルシャ」のつづき。
《ユダヤ教の宗教はどうしても排他的な要素をかかえこまざるをえず、一民族だけが唯一神を認識し、一民族だけが唯一神にみとめられる、という考えをぬけでることができない。》(319ページ)
 このあたりへーゲルの認識はまともである。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「ラディカルな民主主義」のはじめ~。

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2017年7月 3日 (月)

読み書き日録2017/7/3

『ホモ・コントリビューエンス』の原稿通読、つづける。増田正昭「渋沢栄一における貢献の概念」通読。「校正についてのお願い」メモを付けて増田氏に送付。
   *
加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+仮ゲラ印刷+通読、つづける。「第九章 真理と存在」のはじめ~二節。
   *
中神英子詩集『夢に見し木の名前を知らず』通読。無名で終わった父の短歌を織り込みながら、さまざまな記憶のシーンを蘇らせる。娘とはどうしてこうも父親思いなのだろう。
   *
「水の呪文」47号に目を通す。富沢智個人誌。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の第一部「東洋世界」の「第3篇 ペルシャ」のつづき。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie のPremie`re Partie/chapitre I/Le signifiant et la ve+'rite+'のつづき~。
   *
「現代詩手帖」7月号、読みつぐ。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「イラクで考えたこと」のつづき~終り。

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2017年7月 2日 (日)

読み書き日録2017/7/2

「現代詩手帖」7月号の伊藤浩子×鹿島徹対談を興味深く読む。わたしも編集にかかわったベンヤミン『[新訳・評注]歴史の概念について』が鮎川信夫賞受賞詩集『未知への逸脱のために』に深く影響しているというからでもあるが、伊藤における「喪失」というモチーフは何なのだろう。
   *
加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+通読、つづける。「第八章 直接性と意味の先験性」の三節~六節。第八章も終り。
《自然的意識の世界とは、経験のあらゆる次元に成り立つ概念の直接性だけをつまみとって拾い集めた世界であり、哲学は、概念形成の歴史をたどることによって、それに必然性を与えるのである。》
 こういう哲学なら納得できる。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie のPremie`re Partie/chapitre I/Le signifiant et la ve+'rite+'のはじめ~。
   *
大岡信『現代詩試論 詩人の設計図』(講談社文芸文庫) の「中原中也論 宿命的なうた」のつづき~終り。
《彼〔中原中也〕にとって、倦怠は生のリズムそのものだった。彼にとって、歌いえないものがあったろうか。一定のリズムの基調がある以上、いかなるものも彼の歌になった。口ずさめば、それがすなわち、中原中也の歌、だった。》(192ページ)
《端的に言えば、彼は詩の中から意味を追放する。意味があるということは、認識する主体と認識される対象とがあるということだが、中也の詩法は、彼という認識の主体を自ら消し去ることで、対象をも関係の領域から脱落させる。(……)中也と対象との形づくる関係の一方から中也が脱落するとき、取り残された対象が置かれる世界、この、関係の領域から切り離され、それ自身で完結して漂っている世界こそ、中也のうたの世界だった。(……)中也の詩は、本質的に中也という生身の人間の不在証明なのだ。》(194ページ)
 みごとな中也論だ。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「イラクで考えたこと」のはじめ~。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の第一部「東洋世界」の「第3篇 ペルシャ」のつづき。

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2017年7月 1日 (土)

読み書き日録2017/7/1

G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の第一部「東洋世界」の「第2篇 インド」のつづき~「第3篇 ペルシャ」のはじめ。
《散文的な知性をもつ中国人は、抽象的な天帝を最高の存在として尊敬するのみで、個々の場面では恥ずべき迷信にとらわれています。インド人は、知性に反するという意味での迷信はもたないのですが、迷信がないのではなく、むしろ、その生活と観念の全体がそっくり迷信です。》(273ページ)
とまったくむちゃくちゃな規定をへーゲルはやっている。さらに
《発展の原理はペルシャ史とともにはじまるので、だからこそ、ペルシャ史が世界史の本来のはじまりとされる。》(283-284ページ)
とこれまたいい加減な規定ですませてしまう。このあたりばからしいぐらいの思い込みにすぎない。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie のPremie`re Partie/chapitre I/Le programmeのつづき~終り。サイバネティクスとエクリチュール学との結合の重要性が指摘されているが、どういうことか。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「暴力国家」のつづき~終り。Violence, Gewalt、暴力ということばのニュアンスの相違の確認からウェーバーによる国家の「正統な暴力」の概念が骨抜きにされている問題の指摘まで。
   *
「ファントム」2号に目を通す。為平澪編集・発行。
   *
「アリゼ」179号に目を通す。以倉絋平発行。以倉の詩が人生への別れのようなものになっているが、どうしたのか。
   *
具莱●【あい】詩集『史詩賦聯 瓦に寄せて――「平城【なら】の明日香【あすか】を見【み】らくし好【よ】しも」――』通読。大伴坂上郎女の歌に引き寄せられるように奈良の旧跡をたどる詩人の見果てぬ夢か、知を織り混ぜての紀行の味がある。
   *
加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正++仮ゲラ印刷通読、つづける。「第八章 直接性と意味の先験性」のはじめ~二節。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「雑誌に発表された詩」の部、つづき。
   *
「季刊 未来」夏号の未読分を読む。「[出版文化再生29]加藤尚武著作集いよいよ刊行へ」も読みかえす。言うべきことはいちおう書けている。
   *
大岡信『現代詩試論 詩人の設計図』(講談社文芸文庫) の「中原中也論 宿命的なうた」を途中まで読む。
《中也のなかに入ってゆくためには、ぼくらは単一で同時に複合的な感受性を持つことを要請される。》(166ページ)
 たしかにそう言える。

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