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2017年7月 5日 (水)

読み書き日録2017/7/5

大岡信『現代詩試論 詩人の設計図』(講談社文芸文庫) の「小野十三郎論 歌・批評・リズム」読む。
《歌の中に風景を閉じこめるのではない。風景の中に歌を離してやるのだ。これはたしかに新しい外界の発見であり、同時に新しい歌の発見だった。》(205ページ)
と小野の詩を評価しつつ、一方で
《問題というものの重要さは、それを論じることによってぼくらの詩に関する認識が深められ、また詩作に有効な助言が与えられるかどうかという点にかかっている。理論は実際的であり、生産的でなければならないのだ。》(219ページ)
と大岡は小野のリズム論の欠陥をきびしく批判している。大岡ならではの指摘である。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「ラディカルな民主主義」のつづき~終り。
《ラディカルな民主主義の政治哲学が存在しない……理由は、それが自ら正統性を主張する必要のまったくない、唯一の政治的状態だという点にある。……ラディカルな民主主義は正統性そのものである。》(243ページ)
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Jacques Derrida: De la Grammatologie のPremie`re Partie/chapitre I/Le signifiant et la ve+'rite+'のつづき~。
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加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+仮ゲラ通読、つづける。「第九章 真理と存在」の四節~五節。第九章、スミ。
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『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「雑誌に発表された詩」の部、つづき~終り。問題作「はてしなき議論の後」で啄木は社会主義者としての側面を見せている。
《されど、誰一人、握りしめたる拳【こぶし】に卓をたゝきて、/「V NAROD!」と叫び出づる者なし。》
とリフレーンで慨嘆しており、労働者知識人から「君の言ふ所は徹頭徹尾煽動家の言なり。」と批判されながら、はてしなき議論をするエピソードが記されている。これは晩年の啄木の実話にちがいない。
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G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の第一部「東洋世界」の「第3篇 ペルシャ」のつづき。
《スフィンクスはエジプトの精神の象徴と見ることができるので、動物の体の上に乗る人間の頭は、精神が自然の上に出て、自然から身をひきはなし、自分のまわりを見まわしはじめたことを、とはいえ、自然の桎梏から完全に自由になったわけではないことを、あらわしています。》(325ページ)
 まったくヘーゲル的な解釈だ。

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