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2017年7月27日 (木)

読み書き日録2017/7/27

加藤尚武著作集第3巻の『へーゲルの「法」哲学』の仮ゲラ印刷+通読+ファイル修正をつづける。秀丸マクロの修正も。「5章 承認は契約の前提である」の章のはじめの対話と1節まで、スミ。
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「季刊 びーぐる 詩の海へ」36号、ようやく読了。あいかわらず充実した内容だが、八重洋一郎詩集『日毒』をめぐる山田兼士・細見和之対話はあまり感心しない。『日毒』が背景にしている沖縄(石垣島をふくむ)の思想・政治状況にたいする認識が物足りない。いつもながら現代詩人たちの関心が低いのを痛感する。たとえば沖縄における天皇制の問題にたいする批判の根深さ、天皇メッセージが遺した傷のいまにいたるも癒えていない痛みをどう考えているのか疑問だ。
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G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(下)』(岩波文庫)の第四部「ゲルマン世界」の「第二篇 中世」の「第二章 十字軍の遠征」読む。
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野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』読了。「終章 そして隠喩の問題に辿り着く」と「あとがき」を読む。書き下ろしのこの最後の章において、野村はこれまでの隠喩否定論から隠喩肯定派に転向している。1993年刊行のわたしの『隠喩的思考』まで掘り起こしてきて、《言語の本質的な隠喩性》(244ページ)に言及するにいたる。
《隠喩とは……レトリックとしてのたんなる転義的比喩ではなく、そもそもの始めから言葉を言葉たらしめているところの、意味のゆらぎやずらし、そしてまた言葉と言葉の関係における内的な、あるいは微分的な差異の生成》(245-246ページ)
であり、
《言語をその発生状態において学び直すこと、それが隠喩の使用であり》(247ページ)
と展開していく。「荒地」派に代表される〈戦後詩〉を隠喩的手法による隆盛から衰退にいたるものといった陳腐な解釈でなく、また北川透の『詩的レトリック』のような非本質的で狭く限定された技法的レトリック論でなく、詩的言語の本質論へ野村が踏み込んでくれたのはよい兆候である。それにしてもこのわたしを「ポストモダン期の詩論の書き手」と規定されちゃ困るんだけどな。


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