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2017年7月 2日 (日)

読み書き日録2017/7/2

「現代詩手帖」7月号の伊藤浩子×鹿島徹対談を興味深く読む。わたしも編集にかかわったベンヤミン『[新訳・評注]歴史の概念について』が鮎川信夫賞受賞詩集『未知への逸脱のために』に深く影響しているというからでもあるが、伊藤における「喪失」というモチーフは何なのだろう。
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加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+通読、つづける。「第八章 直接性と意味の先験性」の三節~六節。第八章も終り。
《自然的意識の世界とは、経験のあらゆる次元に成り立つ概念の直接性だけをつまみとって拾い集めた世界であり、哲学は、概念形成の歴史をたどることによって、それに必然性を与えるのである。》
 こういう哲学なら納得できる。
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Jacques Derrida: De la Grammatologie のPremie`re Partie/chapitre I/Le signifiant et la ve+'rite+'のはじめ~。
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大岡信『現代詩試論 詩人の設計図』(講談社文芸文庫) の「中原中也論 宿命的なうた」のつづき~終り。
《彼〔中原中也〕にとって、倦怠は生のリズムそのものだった。彼にとって、歌いえないものがあったろうか。一定のリズムの基調がある以上、いかなるものも彼の歌になった。口ずさめば、それがすなわち、中原中也の歌、だった。》(192ページ)
《端的に言えば、彼は詩の中から意味を追放する。意味があるということは、認識する主体と認識される対象とがあるということだが、中也の詩法は、彼という認識の主体を自ら消し去ることで、対象をも関係の領域から脱落させる。(……)中也と対象との形づくる関係の一方から中也が脱落するとき、取り残された対象が置かれる世界、この、関係の領域から切り離され、それ自身で完結して漂っている世界こそ、中也のうたの世界だった。(……)中也の詩は、本質的に中也という生身の人間の不在証明なのだ。》(194ページ)
 みごとな中也論だ。
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ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「イラクで考えたこと」のはじめ~。
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G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の第一部「東洋世界」の「第3篇 ペルシャ」のつづき。

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