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2017年6月

2017年6月30日 (金)

読み書き日録2017/6/30

きのうは時間がとれなくてほとんど読めなかった。記録するほどのものはないので、きょうの分とあわせる。

『ホモ・コントリビューエンス』の仮ゲラ通読、つづける。田中美子「人と人との間をつなぐ貢献心――和辻倫理学を参照して」の5節~8節。この論文、読了。大きな問題はないので、このまま入校してよさそう。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の第一部「東洋世界」の「第2篇 インド」のつづき。
《歴史上の真理や真実、事件の知的で合理的な把握、正確な記述、などといったことは、インド人の場合にはまったく問題とならない。インド人の過敏で脆弱な神経をもってしては、事実と辛抱づよくつきあってこれを明確に把握することなど不可能で、かれらが感覚的ないし空想的にとらえるものは幻覚に類するものだし、他方、歴史の真実をもとめることほどかれらの本性に反することはなく、自分のよく知っていることについては、それと知りながら意図的に嘘をつくのです。》(266-267ページ)
といった具合にへーゲルは平気でインド人をみくびっている。
   *
大岡信『現代詩試論 詩人の設計図』(講談社文芸文庫) の「メタフォアをめぐる一考察 詩の方法の問題」を読む。期待したが、新しいことは書いていなかった。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「暴力国家」のつづき~。
   *
「現代詩手帖」7月号、読みつぐ。

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2017年6月28日 (水)

読み書き日録2017/6/28

大岡信『現代詩試論 詩人の設計図』(講談社文芸文庫) のうち、『詩人の設計図』の部分を読みはじめる。「「詩人の設計図」「鮎川信夫ノート」読む。
《読者は詩人が詩という厳密な言葉の組織体のなかに、ある自由な運動を展開していると感じうるかぎり詩人を支持するだろう。自由な運動は、それが自由であるかぎり、詩という組織体の枠を突きやぶっているはずであり、そのとき読者の精神の自由な運動を触発するはずのものである。》(134ページ「詩人の設計図」)
《詩の表現は常に自己を消去することによって詩そのものの形造る自己集中的な世界を生かすのである。》(141ページ「鮎川信夫ノート」)
 若き大岡信のことばには詩への強い信念とあるべき詩へのくっきりしたイメージがある。読んでいていつも励まされるのだ。
《伝統について言えることといえば、それが変えうるものであり、また変えてゆかねばならぬものだということに尽きるようにおもわれる。むしろ、これを変える地下の伝承こそ伝統の本質的部分だとさえいえよう。伝統とは共存する形成力と破壊力であり、同時に存在する形成と破壊なのだ。》(154-155ページ)
 後年の大岡はおそらくもうすこし伝統に含みをもたせる言い方をしただろうけど。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の仮ゲラ通読、つづける。田中美子「人と人との間をつなぐ貢献心――和辻倫理学を参照して」の1節~4節。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の第一部「東洋世界」の「第2篇 インド」のつづき。
   *
「現代詩手帖」7月号、読みつぐ。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「暴力国家」のはじめ~。

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読み書き日録2017/6/27

G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の第一部「東洋世界」の「第2篇 インド」のはじめ~。
《(インドでは)事物には、原因と結果の有限なつながりのような理解できる筋道がなく、人間には、確固とした自由な自立性や人格や自由が欠けているのです。》(233ページ)
 ここでも東洋蔑視が見られる。しかし中国に比べると、政治的には「自立した部分」が見られるとする一方、カースト制度の固定性への批判も見られる。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「要石」読む。
《軍事戦略と言っても、何の戦略だろうか。まず、沖縄の基地は沖縄を守るためなのか。それはとんでもない話だ。米軍が沖縄で一番守りたいのは、基地だ。》(164ページ)
 平和憲法擁護と日米安保支持のヤマトの矛盾と欺瞞を鋭く暴いている。
   *
「現代詩手帖」7月号、読みはじめる。とりあえず若い(ばかりではないが)詩人たちの作品や発言を読む。時代のことばが自分以外の何をめざして動こうとしているのか、すこしも判明しない。
   *
Jacques Derrida: De la GrammatologieのPremie`re Partie/chapitre I/Le programmeのつづき~。

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2017年6月26日 (月)

読み書き日録2017/6/26

G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) pp. 219-228. 第一部「東洋世界」の「第1篇 中国」のつづき~終り。へーゲルの中国理解はすべてにわたって列島種族扱い。これじゃヒトラー的民族差別まるだしであまり気分のいいものではない。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の仮ゲラ通読、つづける。幸津國生「藤沢周平の作品世界における〈貢献〉する態度の描写」の4節~5節。この論文も読了。冗長さが気になる。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「自衛隊はカンボジアに何をして行ったか――司令官は語る」読む。自衛隊が国連平和維持活動に参加しても現場ではお荷物であり危険の種だったという現場指揮官の打ち明け話。役立たずだが、国連の平和憲法否定に利用されているだけだとの指摘。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie のPremie`re Partie/chapitre I/Le programmeのつづき~。この50年前の書物でデリダは「書物の死」「書物文明の死」について触れている。それは「パロールの死」でしかないが、それは隠喩であって、「パロールの新しい状況について《考え》なければならない」(p. 18) と指摘している。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「雑誌に発表された詩」の部、つづき。

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2017年6月25日 (日)

読み書き日録2017/6/25

Jacques Derrida: De la Grammatologie のPremie`re Partie/chapitre I: la fin du livre et le commencement de l'e+'critureのはじめ~Le programmeの途中、を読む。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「雑誌に発表された詩」の部、つづき。
   *
加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+通読、つづける。「第七章 『経験』のひろがり」の五節~七節。第七章も読了。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の第一部「東洋世界」のはじめ~「第1篇 中国」の途中。
《思考のないところに滅びはなく、思考なきインド人たちは混合され、強制され、抑圧されるほかはありません。》(194ページ)とか、
中国は《客観的な存在とそのもとでの主観的な運動との対立が欠けているために、そこではいかなる変化も生じようがなく、わたしたちが歴史と名づけるもののかわりに、永遠におなじものが再現する》(195ページ)
などとへーゲルの記述は無知と偏見にあふれている。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「ラディカルな日本国憲法――国家の権力から国民の権力へ」読む。
《日本は、憲法に書かれたプランを確かに持っている。もし日本国民が政府に対し、第九条を拘束力のある法として施行せよと迫るならば、それは自衛隊の撤廃、安保破棄を意味するだろうし、世界中の国民は愕然とし、まったく新しい形の希望を与えられるにちがいない。》(149ページ)
 まさにラディカルだ。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の仮ゲラ通読、つづける。幸津國生「藤沢周平の作品世界における〈貢献〉する態度の描写」の3節まで。大幅な手入れが必要か、あるいはカット?

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2017年6月24日 (土)

読み書き日録2017/6/24

G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の序論の「E 世界史の時代区分」読む。歴史の幼年期:東洋、青年期:ギリシア世界、壮年期:ローマ帝国、老年期:ゲルマン世界という区分をへーゲルは立てている。いかがなものか。これで長い序論を読了。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』で「イデオロギーとしてのアメリカ近代化論」の5節以下を読了。アメリカで近代化論が覇権を握っていた1970年代の博士論文の抜粋。当時アメリカの学術雑誌で掲載拒否されたもの。近代化論の愚劣さが批判されている。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の仮ゲラ通読、つづける。幸津國生「『ホモ・コントリビューエンス』――『貢献人』という人間像への問いに対する原理的な答え」18ページ、スミ。
   *
加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+仮ゲラ印刷+通読、つづける。「第七章 『経験』のひろがり」のはじめ~四節。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「雑誌に発表された詩」の部、つづき。
   *
Jacques Derrida: De la Grammatologie 読みはじめる。avertissement (pp.7-8), Premie`re Partie/L'e+'criture avant la lettre: exergue (pp. 11-14) を読む。デリダはルソーの『言語起源論』を「あまり知られていない (peu connu) 短いテクスト」と書いているが、当時はあまり読まれていなかったらしい。先駆的なおもしろい本だが。
 デリダは「エクリチュールの学――グラマトロジー」(p. 13) とさりげなく併記している。

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読み書き日録2017/6/23

『ホモ・コントリビューエンス』の仮ゲラ通読、つづける。幸津國生「〈貢献〉する態度と〈人間〉であること」7ページ、「『貢献』・『人間』の語義について」20ページ、読了。不要な部分もいろいろあり。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の序論の「D 世界史の地理的基礎」のつづき~終り。
《_¨アジア¨_は日の出の地域です。アジアはアメリカの西に位置しますが、旧世界の中心とおわりをなすのがヨーロッパで、そのヨーロッパが絶対の西ですから、アジアは絶対の東です。アジアのうちに精神の光がたちのぼり、それとともに世界史がたちあらわれます。》(170ページ、傍点─原文)
 勝手な序列化だ。
   *
「イリプスIInd」22号、読了。藤井貞和シンポジウムの後半とアドルノ/ツェラン往復書簡を読む。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「イデオロギーとしてのアメリカ近代化論」の4節を読む。

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2017年6月22日 (木)

読み書き日録2017/6/22

加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+通読、つづける。「第六章 人倫の理念の崩壊と回復」の八節~十節。第六章も一気に終わらせる。
   *
「イリプスIInd」22号、読みはじめる。関西でがんばっている詩誌のひとつ。高橋秀明「死に場所」がとてもいい。
   *
ジャック・デリダ[足立和浩訳]『根源の彼方に――グラマトロジーについて 下』の訳者あとがき(II)読む。上巻の(I)とあわせて長い訳者解説、読了。隔世の感を感じさせる論評だ。

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2017年6月21日 (水)

読み書き日録2017/6/21

「NO NUKES Voice」12号、読みつぐ。山城博治さんのインタビューほか、発行人松岡利康さんの蒙った出版弾圧事件の詳細など、「共謀法」なる戦前治安維持法再現の陰湿悪質ぶりを暴く記述は貴重。闘争することは命がけになってきた。
   *
『ホモ・コントリビューエンス』の仮ゲラ通読、つづける。加藤尚武「『Human』と『貢献心』――『Human』をどう読むか」読む。この論文もスミ。これで加藤尚武さんの論文4本はスミ。
   *
ジャック・デリダ[足立和浩訳]『根源の彼方に――グラマトロジーについて 上』の長い訳者あとがき(I)のつづき~終り。デリダがハイデガー的呪縛から脱却できていないことを「息切れ」と指摘するなどユニークな解釈がみられるが、この時点ではデリダの解説は至難のものだったろう。

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2017年6月20日 (火)

読み書き日録2017/6/20

『ホモ・コントリビューエンス』の仮ゲラ通読、つづける。加藤尚武「利他主義の文献――最新事情」の四節~七節、まとめ。この論文もスミ。
   *
為平澪詩集『ネバーランド』通読。掌詩集だが、すこし統辞法がゆるんでいないか。前の詩集はよかったが、拙速で詩集を出すのはあまり感心しないな。
   *
加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+印刷+通読、つづける。「第六章 人倫の理念の崩壊と回復」の六節~七節。

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読み書き日録2017/6/19

『ホモ・コントリビューエンス』の仮ゲラ通読、つづける。加藤尚武「利他主義の文献――最新事情」のはじめ~三節。
   *
「NO NUKES Voice」12号を読みはじめる。新潟県元知事の泉田裕彦インタビューを読む。このひとは通産省出身だが、柏崎原発にたいしても毅然と対応したために「新潟日報」による反知事キャンペーンによって四選を断念させられたらしい。福島県の元知事佐藤栄佐久も原発ムラの陰謀でやめさせられている。原発の邪魔者は消せ、というあくどい政府と原発ムラの策動は陰湿で徹底している。こういう実態は広く知らせる必要がある。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「雑誌に発表された詩」の部、つづき。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の序論の「D 世界史の地理的基礎」のつづき。へーゲルの黒人蔑視も相当なものだ。

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2017年6月18日 (日)

読み書き日録2017/6/18

G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) 序論の「D 世界史の地理的基礎」のはじめ~途中。へーゲルのヨーロッパ人/北半球>アジア人/南半球という思い込み(偏見)は歴史的制約があるとはいえ、マルクスにも持ち越され、現代でもヨーロッパ人の根底に残っている原型ではないか。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「イデオロギーとしてのアメリカ近代化論」の3節を読む。近代化論とは新しいへーゲル主義かもしれない。
   *
『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」を読了。最後は放蕩息子の帰還がほんとうには愛をもって迎え入れられないことを記述して終わる。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「雑誌に発表された詩」の部、つづき。
   *
加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+印刷+通読、つづける。「第六章 人倫の理念の崩壊と回復」のはじめ~五節。
   *
ジャック・デリダ[足立和浩訳]『根源の彼方に――グラマトロジーについて 上』読みはじめる。訳者まえがき、訳者あとがきをまず読みはじめる。これは原書を本格的に読むにあたっての準備作業。可能なかぎり注釈を書いていくつもり。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第十五章 権利としての正当防衛」のつづき~結語、解説 (II)。これでついに2巻あわせて1000ページを超える問題の書を読了。訳者も言うとおり、人種主義に徹した、ある意味で首尾一貫した悪魔的な書であった。

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2017年6月17日 (土)

読み書き日録2017/6/17

G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の序論の「C 世界史のあゆみ」のつづき~終り。
《作品には、その要素の一つとして、普遍的な思考がふくまれます。思考なくして作品に客観性はなく、思考が作品の基礎です。一民族の教養文化の最高点は、自分たちの生活や状況、法律や正義や道徳を、思考ないし学問によってとらえることにある。思考の統一こそ精神のもっとも内面的な自己統一だからです。精神はその作品において自分の対象化をめざしますが、自分の本質を対象化するには、自分を思考するほかありません。》(132ページ)
 こういう意識で詩を書けないか。
《わたしたちにとって精神の理念こそが重要であり、世界史上の一切がもっぱら精神のあらわれと見なされるべきだとすれば、過去の事実をたどるに際しても、その過去がどんなに偉大であろうと、わたしたちは_¨現在にかかわるもの¨_だけを問題としなければならない。というのも、真理の探究をこころざす哲学は永遠の現在にかかわるものだからです。……過去の段階は、たしかに、それぞれが独立の段階として順を追って形成されてきてはいるが、精神のありかたという点からすれば、精神自体は不変のままであり、段階のちがいは、精神自体の発展のちがいをしめすにすぎないのです。》(137ページ)
 これはヘーゲルの歴史哲学の基本的な理論的枠組みなのだろう。
   *
谷内修三がブログで第二次「走都」創刊号の詩「発熱装置」についていろいろ書いてくれているのを発見。谷内らしい思いがけない読み方で、おもしろく読む。→http://bit.ly/2sJ3sFB
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「雑誌に発表された詩」の部、つづき。啄木の散文詩はとてもいい。犬を冗談で殺す羽目になった詩はいただけないが。
   *
「詩界」264号で荻悦子のエッセイ、田原の詩の翻訳をめぐる講演記録を読む。一般に翻訳のやりかたにおける二つの方向性が「素っぴん訳」と「厚化粧訳」と呼ばれていることは知らなかった。
   *
『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」を読みつぐ。第二部のつづき。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「イデオロギーとしてのアメリカ近代化論」のはじめ~2節。博士論文からの抜粋とのことだが、近代化論というパラダイム自体を鋭く批判している。
   *
加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+通読、つづける。「第五章 疎外と承認――『精神現象学』における疎外論の構造」の十節~十二節。第五章も読了。
   *
「歴程」601/602号に目を通す。歴程賞特集。どういうわけか合併号。鈴村和成の新しい『地獄の季節』論が始まった。

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2017年6月16日 (金)

読み書き日録2017/6/16

『ホモ・コントリビューエンス』の仮ゲラ通読、つづける。加藤尚武「世界の思想動向と『貢献する気持ち』研究の位置」14ページ、通読。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第十四章 東方路線か東方政策か」のつづき~。「第十五章 権利としての正当防衛」の途中。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の序論の「C 世界史のあゆみ」のつづき~。
《どんな内容であれ、それを構成要素に分解し、その要素を思考観念ないし思考形態としてとらえるというだけでは、形式的思考たるをまぬかれない。自由な一般観念がそれだけ独立して意識の対象にされる必要があるのに、そうはなっていないからです。思考をそのように形式的に理解し、素材から形式だけをとりだしてくるような哲学は、いうまでもなく、教養の域を出ることのない哲学です。》(120ページ)
 さすがにへーゲルはさりげなく厳しいことを言っている。こちらも用心してかからねば。
   *
阿蘇豊詩集『とほくとほい知らない場所で』通読。マレーシア、ヴェトナムでの異国生活を風物詩的に書いている。だからどうだというわけではないが、詩がイージーに流れないようにもうひと工夫してほしい。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「影の学問、窓の学問」読む。ラミスの学問批判は相当にラディカルだ。プラトン国家論の洞窟の比喩を使って本質的な学問をしないですますことのできる日米の大学制度を叩いている。
《学生たちは有識者になるためというよりむしろ「知識を怖れる人」となるべく教育されるわけだ。》(68ページ)
 つまり従順な人間になること。その典型が官僚というわけである。
《今日の状況では真理の探求そのものがラディカルなのだ。学問自体が反乱であり、反乱の現場こそ真に学ぶ場にふさわしい。》(77ページ)これが書かれたのが1976年とは驚きだが、事態はますます切迫している。
   *
『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」を読みつぐ。 第二部のつづき。

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2017年6月15日 (木)

読み書き日録2017/6/15

『ホモ・コントリビューエンス』の仮ゲラ通読、つづける。加藤尚武「プラトン主義と自然主義――滝久雄『貢献する気持ち』の哲学的な分析」六節~一〇節。この論文、読了。伊藤仁斎は知識を確かめる喜びを「ちんぽが突然立ち上がったかのように、爽快でたまらない」と形容したことが紹介されている。68歳で子供を生ませた仁斎とはとんでもないヒトだったようだ。
   *
加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+印刷+通読、つづける。「第五章 疎外と承認――『精神現象学』における疎外論の構造」の七節~九節。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の序論の「C 世界史のあゆみ」のはじめ~。
《世界史は、自由の意識を_¨内容¨_とする原理の_¨段階的¨_発展としてしめされます。》(101ページ、傍点─原文)
 ふむふむ。でもホントかな。
   *
貞久秀紀詩集『具現』通読。わたしの感度が悪いせいか、この細部の描写力の洗練が詩的にどういう意味をもつのか、よくわからない。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』「『菊と刀』再考〈パートII〉」のつづき~終り。自分の心のなかの『菊と刀』を壊すことがセラピーにつながったとラミスはミニ解題で書いている。ベネディクトの差別的日本分析から脱するための論文だった、と。
   *
『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」を読みつぐ。第二部のつづき。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第十四章 東方路線か東方政策か」のつづき。《戦争意図を目的として含まないような同盟はナンセンスであり、また無価値である。戦争のためにのみ同盟は結ばれるものである。》(404ページ)これはヒトラーの数少ない正論である。してみると、日米安保同盟の本質は戦争だということになる。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「雑誌に発表された詩」の部、つづき。啄木が『あこがれ』以降もさまざまな音数律を実験していたことはわかるが、やはり音数律という呪縛に囚われていたことに変りはない。

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2017年6月14日 (水)

読み書き日録2017/6/14

ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「『菊と刀』再考〈パートII〉」の途中まで読む。
《『菊と刀』の大きな影響は、それ自体が再考される十分な理由である。しかし、さらに重要な理由は、この本の影響が大部分において有害であるということである。つまりこの本が文化的誤解の主たる源となっているのである。》(33ページ)
とし、日本文化のみならず「文化」についての誤った概念を提示しているからである、としている。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の序論の「B 歴史における理性とはなにか」のつづき~終り。世界精神とは民族精神のそれぞれの段階が宗教、芸術、哲学などとして実現していくものらしいが、なんだかね。
   *
高柳誠詩集『放浪彗星通信』読了。高柳の詩はひとつひとつの完成度が高いし、記述もしっかりしていてユーモアさえもあるのだが、形式的な変化が乏しいため、途中で読むのがしんどくなるのが常だ。書くことのモチーフが固着してしまっているからかも。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第十四章 東方路線か東方政策か」のはじめ~。
   *
『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」を読みつぐ。第二部のつづき。






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2017年6月13日 (火)

読み書き日録2017/6/13

『ホモ・コントリビューエンス』の仮ゲラ通読、はじめる。まずは加藤尚武「プラトン主義と自然主義――滝久雄『貢献する気持ち』の哲学的な分析」一節~五節。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) pp. 364-375.「第十三章 戦後のドイツ同盟政策」のつづき~終り。
   *
加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+印刷+通読、つづける。「第五章 疎外と承認――『精神現象学』における疎外論の構造」の四節~六節。
   *
G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の序論の「B 歴史における理性とはなにか」のつづき~。
《国家こそが、絶対の究極目的たる自由を実現した自主独立の存在であり、人間のもつすべての価値と精神の現実性は、国家をとおしてしかあたえられない》(73ページ)
というへーゲルの国家観は時代の制約もあるとはいえ、この国家主義はおおいに問題だ。
《父なる国家が共同の生活を保障し、人びとの主観的意思が法律にしたがうとき、自由と必然の対立は消滅します》(74ページ)
というのも理想的な国家がありうるとしての願望にすぎない。いまの日本はまったくその逆だ。
   *
高柳誠詩集『放浪彗星通信』読みはじめる。宇宙空間の成り立ちを擬科学的な話題を盛り込んだ擬物語ふうに仕上げているが、ところどころに巧まざるユーモアがあって笑わせる。宇宙の折りたたみ理論だの出し抜き理論だのによって宇宙旅行の超短縮ができるなどというのがそういう例のひとつだ。
   *
『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」を読みつぐ。第二部のつづき。

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2017年6月12日 (月)

読み書き日録2017/6/12

友人・知人から第二次「走都」創刊号のお礼や感想がぼつぼつ届きはじめる。なかでも小林康夫さんから詩「発熱装置」について「このまま数千行、いや、数万行、書くべき」との激励はうれしい。あとは仲里効さんから「沖縄詩篇」を喜んでもらったり、繁忙のなかだからこそ生み出されざるをえない詩と批評の言葉との激励もわかってもらえてうれしい。わかるひとはわかってくれるんだなあ。
   *
「みすず」6月号に目を通す。大井玄さんの医療論はおもしろい。現代の医療がいかに機械に頼っていて触診も問診もしないかを体験にもとづいて批判している。なんでも心のない効率化はだめだ。
   *
加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+印刷+通読、再開。「第五章 疎外と承認――『精神現象学』における疎外論の構造」のはじめ~三節。
   *
ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』読みはじめる。冒頭の「イデオロギーとしての英会話」が古いものだが、英会話教室の差別意識を批判していて読ませる。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「雑誌に発表された詩」の部、つづき。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第十三章 戦後のドイツ同盟政策」のつづき。
   *
『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」を読みつぐ。第二部のつづき。犬が自分を「死」から守れなかった「僕」のせいにして死ぬ話は切ない。
   *
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) 序論の「B 歴史における理性とはなにか」のつづき~。
《歴史上の偉人とは、自分のめざす特殊な目的が、世界精神の意思に合致するような実体的内容をもつ人のことです。》(58-59ページ)
《世界史的個人は世界精神の事業遂行者たる使命を帯びていますが、かれらの運命に目をむけると、それはけっしてしあわせなものとはいえない。かれらはおだやかな満足を得ることがなく、生涯が労働と辛苦のつらなりであり、内面は情熱が吹きあれている。》(60ページ)
 そういう意味ならプチ世界史的個人も世にはいっぱいいるんだが。



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2017年6月11日 (日)

読み書き日録2017/6/11

森洋子『ブリューゲルの世界』の第5章「作品篇4 ブリューゲルは語る――寓意画の世界」読む。《死の勝利》《絞首台の上のかささぎ》ほかの図像学的読解。さらにブリューゲル一族の系譜など、読了。これまでの研究を存分に盛り込んだコンパクトなブリューゲル紹介の書になっている。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「雑誌に発表された詩」の部、つづき。
   *
『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」を読みつぐ。第一部、読了。つづけて第二部へ。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第十三章 戦後のドイツ同盟政策」のつづき。
   *
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) いよいよ読みはじめる。長谷川宏訳。序論の「A 歴史のとらえかた」「B 歴史における理性とはなにか」の途中まで読む。序論の最初からこの講義の対象は〈哲学的な世界史〉との規定がある。《精神が世界をみちびくさまを認識する》(22ページ)のが目的である、と。しかし《世界史が理性的にすすむこと、世界史が世界精神の理性的かつ必然的なあゆみであることは、世界史を考察することによってはじめてあきらかになる》(26ページ)なんてことはありえない。
《哲学の教えによると、精神のすべての性質は自由なくしては存在せず、すべては自由のための手段であり、すべてはひたすら自由をもとめ、自由をうみだすものです。》《精神の統一は外部にあるのではなく、内部に見いだされるので、精神は自分の内部で安定しています。┉精神は⎯¨自分のもとで安定している¨⎯。それこそがまさに自由です。》(38ページ)
《〔わたしは〕自由であるのは、自分のもとにあるときです。精神がこのように自分のもとにあるとき、精神は自己を意識する自己意識です。》(39ページ)

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2017年6月10日 (土)

読み書き日録2017/6/10

「UP」6月号に目を通す。「学術出版」コラムでKさんが学術書出版300部の時代がきていることを書いているが、恐るべきことに限りなく現実的な話だ。これは現代詩の世界と同じで、著者が寄贈する部数を含んでいるとしたら、マーケットは存在しないも同然ということになる。
   *
『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」を読みつぐ。以前読んだときは感動した記憶はあるが、今回読むとどこかセンチメンタルなところが気になってあまり進まない。
   *
森洋子『ブリューゲルの世界』の第4章「作品篇3 農民の季節の仕事と楽しみ」読む。《干草の収穫》《雪中の狩人》ほかの図像学的読解。ブリューゲルには農民への共感があった。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「雑誌に発表された詩」の部、つづき。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第十三章 戦後のドイツ同盟政策」のつづき。ドイツでの新しい校訂版の『わが闘争』出版問題が大問題になっていることは深井智朗さんから聞いていたが、日本のテレビでも特集されたらしい。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「III 形而上学についての省察」の7節の途中~12節を読む。
《カントの真理概念の権威性は、絶対者を考えることを禁圧することによってテロリスト的になった。この禁圧は、考えることそのものの禁止にまでとどまることなく突きすすむ。》(477ページ)
《私は愚かさより道化を選ぶ。道化のたわごと、それは真理のある形態なのである。それは、人間が真ならざるもののただなかにありながら真理を断念すまいとすると、ただちに人間を罰する真理の形態なのだ。》(499ページ)
《弁証法はどのような歴史的形態を取った場合でも常に、弁証法の外に出ることを禁じてきた。弁証法は、好むと好まざるとにかかわらず、無制約的〔絶対的〕な精神と有限な精神を概念によって媒介してきた。それゆえ弁証法は断続的に神学を敵とすることになったのである。弁証法は絶対者を思考するには違いないが、その絶対者といえども弁証法によって媒介されたものであり、その意味ではあくまで限界づけられた思考に属している。ヘーゲルの絶対者は神の世俗化されたものには違いなかろうが、まさに世俗化だということを見てとる必要があろう。》(500ページ)
《弁証法の歩みの過程で同一性のテーゼを捨て去ることはなんら大罪ではないのだ。運動をやめ、止まってしまって、あたかも自分がすでに全体であるかのごとくに振る舞ったりしないことこそ、否定弁証法の定義に含まれることなのである。それこそが否定弁証法の希望の形態である。》(502ページ)
 これがアドルノ否定弁証法の結論ということだろう。訳者解題、あとがきも読んでついに読了。まことに読みにくい本であった。

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2017年6月 9日 (金)

読み書き日録2017/6/9

「季刊 未来」夏号の「[出版文化再生29]加藤尚武著作集いよいよ刊行へ」の初校を読み直し。修正すこし。責了に。~「出版文化再生ブログII-21」として取り込み、ココログの「出版文化再生」ブログと未來社ホームページの[出版文化再生]ブログにアップ。→http://bit.ly/2s3Iqka http://bit.ly/2sJX6TD
   *
森洋子『ブリューゲルの世界』の第3章「作品篇2 聖書の世界――ヒエロニムズ・ボスなど先人画家への挑戦」のつづき~終り。《十字架を担うキリスト》《聖マルティンのワイン祭り》ほかの図像学的読解。
   *
「春秋」6月号に目を通す。
   *
「Griffon」40号に目を通す。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「III 形而上学についての省察」の7節の途中まで読む。

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2017年6月 8日 (木)

読み書き日録2017/6/8

加藤尚武さんよりE-mailで「季刊 未来」夏号の著作集広告用原稿「私の著作集」とどく。~ファイル修正+通読。1ページ半あるので、残りの半ページに著作集の内容を入れることにする。~きのう作成した加藤尚武著作集(全15巻)内容見本用原案をさらに増補。判型、ページ数、出版社などを追加。すべて網羅できず。
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アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第十二章 労働組合の問題」~「第十三章 戦後のドイツ同盟政策」の途中まで。

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2017年6月 7日 (水)

読み書き日録2017/6/7

「走都」第二次創刊号200部とどく。95通発送。
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小林康夫さんからtel&E-mail。きのうFAXした「季刊 未来」夏号の「星形の庭の明るい夢(1970-1989)――オペラ戦後文化論II(6)」の校正の件。~tel入れして、追加修正がないことを確認。ファイル修正して印刷。天野さんから入校へ。
   *
森洋子『ブリューゲルの世界』の第3章「作品篇2 聖書の世界――ヒエロニムズ・ボスなど先人画家への挑戦」のつづき。《バベルの塔》の図像学的読解。
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「季刊 詩的現代」第二次21号に目を通す。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「III 形而上学についての省察」の6節を読む。
《実証主義の教説は、いっさいがそれにかかっているような問いであっても、その問いを廃棄することで回避し、間接的にその問いに否定的な判決をくだしている》(469ページ)

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2017年6月 6日 (火)

読み書き日録2017/6/6

「季刊 未来」夏号の小林康夫「星形の庭の明るい夢(1970-1989)――オペラ戦後文化論II(6)」のファイル処理+通読。6ページびったりだが、広告の入る余地がない。
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郷原宏さんより「季刊 未来」夏号の連載「岸辺のない海――石原吉郎ノート8 (八)望郷」の仮ゲラ校正もどる。4行分追加あり。~ファイル修正して天野さんから入校へ。
   *
深井智朗さんより「季刊 未来」夏号の連載「宗教改革から五百年」2回目の仮ゲラ校正とどく。メインタイトルは「『教養宗教』としてのプロテスタンティズム」となる。天野さんにファイル修正してもらう。きのうE-mailでとどいた追加分をファイル処理+通読。天野さんに社内LAN経由で渡し、ドッキングしてもらい入校へ。
   *
佐々木力さんより「季刊 未来」夏号の「ライプニッツ編『中国最新事情』への序文(2)――中国論・論中国・On China 10」のゲラ校正とどく。写真の差し替えはとくにしないでもいい由。~責了でもどす。
   *
第二次「走都」創刊号の一部抜き、とどく。いよいよあす刊行。
   *
きのう書いた「季刊 未来」夏号のための[出版文化再生29]を読み直し、若干の修正。タイトルは「加藤尚武著作集いよいよ刊行へ」とする。印刷して天野さんから入校へ。
   *
「図書」6月号に目を通す。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第十一章 宣伝と組織」のつづき~終り。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「雑誌に発表された詩」の部、つづき。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「III 形而上学についての省察」の5節を読む。
《人生に意味などないというテーゼは、積極的なテーゼとしては愚劣きわまりない。ちょうど、その逆のテーゼが虚偽であるのとまったく同じことである。人生に意味などないというこのテーゼが真となることがあるとすれば、それは、意味を認めたがる安っぽいきまり文句に対する反撃として作用するときのみである。》(462ページ)
 これ自体がアドルノの人生哲学だ。
《無を信仰することは存在を信仰することと同様に悪趣味であって、ペテンを見抜くことに誇らかな満足をおぼえる精神の鎮静剤にほかならない。》(465-466ページ)

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2017年6月 5日 (月)

読み書き日録2017/6/5

「季刊 未来」夏号のための原稿を[出版文化再生29]として書く。タイトルはいまのところ「加藤尚武著作集の刊行へむけて」とする。印刷してみると予定より短かったのでさらなる補足をしてとりあえず完成。ほぼぴったりか。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第十一章 宣伝と組織」のはじめ~。
   *
森洋子『ブリューゲルの世界』の第3章「作品篇2 聖書の世界――ヒエロニムズ・ボスなど先人画家への挑戦」のはじめ~。《バベルの塔》《反逆天使の転落》の図像学的読解。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「III 形而上学についての省察」の4節を読む。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の.「雑誌に発表された詩」の部、読みはじめる。
   *
『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」読みつぐ。

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2017年6月 4日 (日)

読み書き日録2017/6/4

加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+印刷+通読、つづける。「第四章 知性主義への転回」の四節~七節。第四章、スミ。
《矛盾は真なるものの規則である。無矛盾は偽なるものの。》とヘーゲルはイエナ大学就任テーゼの第一条に書いているそうだ。加藤尚武はこれをもってヘーゲルの弁証法的理性の誕生と言っている。
   *
広田修詩集『vary』通読。
〈何を探すかをまずは探さなければ。何を生きるかをまずは生きなければ。〉
と冒頭の連作「探索」の最後のほうでこの詩人はうめくように書く。飛躍の多い難解派詩人かと思いきや後半は土の香りのする出自をきちんと言語化している。
 こんな詩行もある。
〈君の死は君の詩の敗北ではなかった。君の死は君の詩の完成ではなかったか。社会を生き抜いた君は社会に殺される直前に君の詩を完成させたはずだ。自らの存在と倫理の根拠としての詩を完成させて、その安堵の中で斃れたはずである。〉(「未来 D.K.へ」)
 これは固有の誰かを暗示しているのだろうか。ややセンチメンタルになってしまった。
   *
森洋子『ブリューゲルの世界』の第2章「作品篇1 広場のブリューゲル――諺・祝祭と禁欲・子供」のつづき~終り。《ネーデルラントの諺》《謝肉祭と四旬節の喧嘩》の図像学的読解。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「新聞に発表された詩」の部、読む。詩集『あこがれ』以降のものが多いが、別名または無署名のものもある。まだ無名だったということか。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「III 形而上学についての省察」の2節~3節を読む。
《アウシュヴィッツ以降の文化はすべて、……ゴミ屑である。だがこの文化は再建された。しかも、この文化の風土の中で抵抗なくできることのみが再建された。それによって文化は、それが潜在的にそうであったもの、つまりイデオロギーになった。》(447ページ)
 文化というイデオロギー。
   *
『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」読みつぐ。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第十章 連邦主義の仮面」のつづき~終り。

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2017年6月 3日 (土)

読み書き日録2017/6/3

森洋子『ブリューゲルの世界』読みつぐ。第2章「作品篇1 広場のブリューゲル――諺・祝祭と禁欲・子供」の途中まで。情報量が思ったより豊富だ。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第十章 連邦主義の仮面」のはじめ~途中。当時のドイツにおけるプロイセン(北ドイツ)とバイエルン(南ドイツ)の敵対関係とはどういうものだったのだろう。ヒトラーによればユダヤ人はこの敵対関係を利用して反ユダヤの動きを逸らさせようとしたというのだが。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』で詩集『あこがれ』のつづき~終り。上田敏の序文、与謝野鉄幹の跋文をもつ破格待遇の処女出版だが、いまからみると定型詩の窮屈さは、当時としては新しかっただろう恋の思いの熱さにもかかわらず、否定しがたい。啄木はやはり詩人というより歌人だった。
   *
加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+印刷+通読、つづける。「第四章 知性主義への転回」のはじめ~三節。「同一性と非同一性の同一性」というのはヘーゲルらしい。
   *
「PO」165号に目を通す。〈現代の「荒地」〉という特集だが、本格的な論はなかった。このテーマで論を立てられるひとがいないからだろう。
   *
「gaga」17号に目を通す。
   *
『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」を読みつぐ。
《しかしいつか、僕の手が僕から切り放されて、何かを書けと命令しても、僕の考えもせぬことを書くかもしれぬ。……今度は、いわば僕が書かれるのだ。僕がが何か書くというより、むしろ僕が何かに書かれてしまうのだ。》
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「III 形而上学についての省察」の1節を読む。

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2017年6月 2日 (金)

読み書き日録2017/6/2

「CROSS ROAD」9号、通読。北川朱実のエッセイはおもしろい。ジャッキー・マクリーンのことを書いていたけど、ジャズの好みがけっこう似ていて、ピントのあったコメントをしている。
   *
加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+印刷+通読+表記の一括処理、つづける。「第三章 『疎外』意識と『歴史』意識――ユートピアのジレンマ」の六節~七節。第三章もスミ。
   *
「兆」174号に目を通す。
   *
森洋子『ブリューゲルの世界』読みはじめる。コート紙にカラーをふんだんに使った贅沢な本。これで1800円とは、さすがに新潮社だ。何部刷ったんだろう。

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2017年6月 1日 (木)

読み書き日録2017/6/1

「季刊 未来」夏号の深井智朗さんの連載「宗教改革から五百年」2回目の仮ゲラ通読。メインタイトルがないこと、20行ほど余白が出る。~深井さんにE-mailで仮ゲラ送付の件と問題点を連絡。
   *
「季刊 未来」夏号の郷原宏さんの連載「岸辺のない海――石原吉郎ノート8 (八)望郷」の仮ゲラ通読。数行余りそうだが、ほぼちょうど。~郷原さんにE-mailで仮ゲラ送付の件とお礼。
   *
さとう三千魚詩集『浜辺にて』読了。600ページ超の日常詩はどうしても繰り返しが多くなって読むにはつらいものがある。しかしそのなかに母の死などの亀裂が入ってくるところが、詩を書きつづけることの意味を逆照射している。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「II 世界精神と自然史――ヘーゲルへの補説」の25節~27節を読む。これで「II」のブロックも読了。
《イデオロギーというものは、分離可能な層として社会的存在の上にかぶさっているわけではない。それはむしろ社会的存在に内在している。》(430ページ)
 言われてみればあたりまえだが、イデオロギーというものの根深さが指摘されているのである。
   *
「現代詩手帖」6月号(大岡信特集号)読みつぐ。ひととおり目を通したが、それぞれの大岡信への思いはともかく、どうも類型的にしか読まれていない感じだ。

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読み書き日録2017/5/31

きょうは月末の振込みや支払いと、そのデータ処理、また思いがけない編集処理に追われてしまい、あいまに「現代詩手帖」6月号(大岡信特集号)読みつぐことができただけ。しかも夕食後には疲れが出て早寝。夜中すぎになって起き出してこの記録をつけている始末だ。もう6月になったというのに。

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