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2017年6月17日 (土)

読み書き日録2017/6/17

G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の序論の「C 世界史のあゆみ」のつづき~終り。
《作品には、その要素の一つとして、普遍的な思考がふくまれます。思考なくして作品に客観性はなく、思考が作品の基礎です。一民族の教養文化の最高点は、自分たちの生活や状況、法律や正義や道徳を、思考ないし学問によってとらえることにある。思考の統一こそ精神のもっとも内面的な自己統一だからです。精神はその作品において自分の対象化をめざしますが、自分の本質を対象化するには、自分を思考するほかありません。》(132ページ)
 こういう意識で詩を書けないか。
《わたしたちにとって精神の理念こそが重要であり、世界史上の一切がもっぱら精神のあらわれと見なされるべきだとすれば、過去の事実をたどるに際しても、その過去がどんなに偉大であろうと、わたしたちは_¨現在にかかわるもの¨_だけを問題としなければならない。というのも、真理の探究をこころざす哲学は永遠の現在にかかわるものだからです。……過去の段階は、たしかに、それぞれが独立の段階として順を追って形成されてきてはいるが、精神のありかたという点からすれば、精神自体は不変のままであり、段階のちがいは、精神自体の発展のちがいをしめすにすぎないのです。》(137ページ)
 これはヘーゲルの歴史哲学の基本的な理論的枠組みなのだろう。
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谷内修三がブログで第二次「走都」創刊号の詩「発熱装置」についていろいろ書いてくれているのを発見。谷内らしい思いがけない読み方で、おもしろく読む。→http://bit.ly/2sJ3sFB
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『石川啄木全集 第二巻 詩集』の「雑誌に発表された詩」の部、つづき。啄木の散文詩はとてもいい。犬を冗談で殺す羽目になった詩はいただけないが。
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「詩界」264号で荻悦子のエッセイ、田原の詩の翻訳をめぐる講演記録を読む。一般に翻訳のやりかたにおける二つの方向性が「素っぴん訳」と「厚化粧訳」と呼ばれていることは知らなかった。
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『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」を読みつぐ。第二部のつづき。
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ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「イデオロギーとしてのアメリカ近代化論」のはじめ~2節。博士論文からの抜粋とのことだが、近代化論というパラダイム自体を鋭く批判している。
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加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+通読、つづける。「第五章 疎外と承認――『精神現象学』における疎外論の構造」の十節~十二節。第五章も読了。
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「歴程」601/602号に目を通す。歴程賞特集。どういうわけか合併号。鈴村和成の新しい『地獄の季節』論が始まった。

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