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2017年6月16日 (金)

読み書き日録2017/6/16

『ホモ・コントリビューエンス』の仮ゲラ通読、つづける。加藤尚武「世界の思想動向と『貢献する気持ち』研究の位置」14ページ、通読。
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アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第十四章 東方路線か東方政策か」のつづき~。「第十五章 権利としての正当防衛」の途中。
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G・W・F・ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫) の序論の「C 世界史のあゆみ」のつづき~。
《どんな内容であれ、それを構成要素に分解し、その要素を思考観念ないし思考形態としてとらえるというだけでは、形式的思考たるをまぬかれない。自由な一般観念がそれだけ独立して意識の対象にされる必要があるのに、そうはなっていないからです。思考をそのように形式的に理解し、素材から形式だけをとりだしてくるような哲学は、いうまでもなく、教養の域を出ることのない哲学です。》(120ページ)
 さすがにへーゲルはさりげなく厳しいことを言っている。こちらも用心してかからねば。
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阿蘇豊詩集『とほくとほい知らない場所で』通読。マレーシア、ヴェトナムでの異国生活を風物詩的に書いている。だからどうだというわけではないが、詩がイージーに流れないようにもうひと工夫してほしい。
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ダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』の「影の学問、窓の学問」読む。ラミスの学問批判は相当にラディカルだ。プラトン国家論の洞窟の比喩を使って本質的な学問をしないですますことのできる日米の大学制度を叩いている。
《学生たちは有識者になるためというよりむしろ「知識を怖れる人」となるべく教育されるわけだ。》(68ページ)
 つまり従順な人間になること。その典型が官僚というわけである。
《今日の状況では真理の探求そのものがラディカルなのだ。学問自体が反乱であり、反乱の現場こそ真に学ぶ場にふさわしい。》(77ページ)これが書かれたのが1976年とは驚きだが、事態はますます切迫している。
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『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」を読みつぐ。 第二部のつづき。

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