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2017年5月

2017年5月31日 (水)

読み書き日録2017/5/30

「現代詩手帖」6月号(大岡信特集号)読みつぐ。知り合いの大岡論を読んでもあまりピンとこないものばかりだ。読んでいて先に進まない。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「II 世界精神と自然史――ヘーゲルへの補説」の21節~24節を読む。
《国家すなわち祖国が共通の生活基盤をなし、人間の主観的意志が法に従っているところでは、自由と必然の対立は消え失せる。》というへーゲルにたいし、アドルノはこう言う。――
《〔へーゲルの〕いわゆる自由と必然の綜合とは、必然性への屈従であり、自家撞着した議論にすぎない》(425-426ページ)
 こうあっさり切り捨てられるものか。
   *
さとう三千魚詩集『浜辺にて』読みつぐ。まだ終わらない。



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2017年5月29日 (月)

読み書き日録2017/5/29

加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+印刷+通読+表記の一括処理、つづける。「第三章 『疎外』意識と『歴史』意識――ユートピアのジレンマ」の三節~五節。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第九章 突撃隊の意味と組織に関する根本の考え方」のつづき~終り。悪名高き突撃隊の暴力的「発展」が得々と語られる。
   *
さとう三千魚詩集『浜辺にて』読みつぐが、終わらない。断片的にはいいものがあるが、同じパターンも多く、ちょっと飽きてしまう。
   *
ヘイドン・ホワイト[上村忠男編訳]『歴史の喩法――ホワイト主要論文集成』の編訳者による解題と解説に代わる講演記録、あとがきを読む。これですべて読了。この講演がとてもいい。隠喩論を論じるさいに参考にするべき。アリストテレス『詩学』、とりわけヴィーコ『新しい学』も再確認する必要あり。
《「隠喩」とはいいながら、……ヴィーコの〈詩的知恵〉の世界におけるそれは、論理学的思考の成立を前提としてこれの平面上で文法学者たちによってとらえられているレトリカルな文彩の一種としての隠喩とは、およそその位置と性質を異にしています。》(293ページ)
《ヴィーコもまた、〈詩的知恵〉の世界の始源には、まずもっては隠喩的な作用が存在したと言います。しかし、ヴィーコがそう述べるときの隠喩的な作用とは、すでにできあがった言語の世界の内部にあってのものではありません。ヴィーコは、当の言語の世界の成立過程そのものを視野のうちにとらえこもうとします。そして、ほかでもなく、その言語の創出過程そのもののうちに隠喩的な作用を見てとるのです。……異教諸国民の〈詩的知恵〉の世界の最も原初の、言語が成立する以前の場面において働いていたとみられる自己差異化的な転移の作用を指して、ヴィーコは「隠喩」と称しているのです。……ヴィーコが〈詩的知恵〉の世界の始源に措定している隠喩的作用というのは……「類似性に表現を与える」以前に、なによりもまず人間の心的世界のなかに事物がそもそも自己同一性をそなえて立ちあらわれてくるさいの当の事物の自己同一性の原理にほかならないのです。》(295ページ)
 ここの説明はすばらしい。
   *
「現代詩手帖」6月号(大岡信特集号)読みつぐ。原稿を早く渡してしまったが、もっとじっくり長いものを書いてもよかったかもしれない。

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2017年5月28日 (日)

読み書き日録2017/5/28

テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「II 世界精神と自然史――ヘーゲルへの補説」の17節~20節を読む。
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加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+印刷+通読+表記の一括処理、つづける。「第三章 『疎外』意識と『歴史』意識――ユートピアのジレンマ」のはじめ~二節。
《普遍性は……遊離して特殊的なものとなっている以上、消失してしまっている。ゆえに普遍性はただ思想としてのみ存在し、現実性としては存在していない》とへーゲルは書いているそうだ。
   *
ヘイドン・ホワイト[上村忠男編訳]『歴史の喩法――ホワイト主要論文集成』の「第7章 アウエルバッハの文学史――比喩的因果関係とモダニズム的歴史主義」読む。これでホワイトの論文はすべて読了。あとは訳者の解題と解説。
   *
さとう三千魚詩集『浜辺にて』読みはじめるが、600ページ超なので、途中まで。いかにもNet詩らしく短く軽い。ときに警句っぽいものもあり、もうすこし書き込んだほうがいいのでは。

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2017年5月27日 (土)

読み書き日録2017/5/27

「多島海」31号、「タルタ」41号に目を通す。いずれも堅実に刊行をつづけている同人詩誌。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第九章 突撃隊の意味と組織に関する根本の考え方」のつづき。このような毒性の強い書物を読むには、ヘイドン・ホワイトやテオドール・W・アドルノを平行して読むことでガス抜きしながら読むとちょうどよい。
   *
ヘイドン・ホワイト[上村忠男編訳]『歴史の喩法――ホワイト主要論文集成』の「第6章 歴史のプロット化と歴史的表象における真実の問題」読む。これはフリードランダー編『アウシュヴィッツと表象の限界』に収録されたものの再録だが、中身はほとんど忘れている。ナチのホロコーストにたいする歴史記述の問題を論じたもの。ただホワイトの文学的記述への偏見と理解の浅さはいただけない。
《〔ベレル・」〕ラング〔ここではホワイトでも同じ〕にとってなかんずく異論があるのは文学的著作であり、また文学的著作の地位を獲得しようとめざしているたぐいの歴史の著作である。なぜなら、それらの著作においては、表象される事物とそれの表象作用とのあいだに著者自身を割りこませているからである。言述の対象が個人化されるためには比喩化がなされなければならない。そして、その場合には、著者がそのような比喩化行為の行為主体として言述のなかに自身を割りこませざるをえない。文学的著作行為は、比喩化によってのみ個々人の個人化はなされうるという思い違いのもとで遂行されている。》(221ページ)
 歴史的著作の文学的記述にかんしてはともかく、文学行為がたんなる「比喩化」による「個人化」というレヴェルに切り下げられているのは問題だ。そもそも歴史記述の〈直写的=リテラル〉な記述が無邪気に信じられているからだろう。
   *
加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+印刷+通読+表記の一括処理、つづける。「第二章 生の存在構造」のはじめ~七節。第二章もスミ。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「II 世界精神と自然史――ヘーゲルへの補説」の13節~16節を読む。
   *
「現代詩手帖」6月号(大岡信特集号)読みつぐ。大岡信にかんする追悼文をいろいろ読む。猫思いだった話(財部鳥子)、家族工房的な仕事を通じての言語鍛錬(大岡玲)、吉岡実マイナーポエット評価の裏話(高橋睦郎)など微笑ましくも知られない一面だ。
   *
『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」のつづき。

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2017年5月26日 (金)

読み書き日録2017/5/26

加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+通読+表記の一括処理、つづける。「序章 理念的なものの経験可能性」の四節~五節。序章、スミ。
   *
「現代詩手帖」6月号(大岡信特集号)読みつぐ。中村稔、菅野昭正先生、三浦雅士の鼎談を読む。いろいろ知らないことが語られていて参考になる。中村稔が大岡信の初期の詩を認めていないのは意外だった。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「II 世界精神と自然史――ヘーゲルへの補説」の6節~12節を読む。
《それ〔実証主義的歴史科学の進展〕以前には、哲学的構成にも細かいことを知らなくてもいいという怪しげな長所があって、哲学的構成はとかくそれを「超然たる距離」として自分の手柄にしたがったものだった。たしかに本質的なことを語る分には、これで差しつかえなく、本質的なことは距離を置いてしか掴めないのである。》(387ページ)
《〔へーゲルが構想したような〕普遍史を形而上学的迷信の名残りとして抹殺することは、単なる事実性だけが認識されるべき、それゆえ受容されるべき唯一のものであると、断定することになるかもしれないが、それは以前に、諸事実をただ一個の精神の全体的前進に組み入れた尊大な哲学が、それらを精神の外化として追認したのと知的にはそう変わりがないのである。》(同前)
《歴史は連続性と非連続性の統一である。歴史は矛盾対立を含むにもかかわらずその命脈を保っているのではなく、矛盾対立によってこそ命脈を保っているのだ。》(388ページ)
 この指摘はお見事!
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』で詩集『あこがれ』のつづき。
   *
ヘイドン・ホワイト[上村忠男編訳]『歴史の喩法――ホワイト主要論文集成』の「第5章 歴史的解釈の政治――ディシプリンと脱崇高化」のつづき~終り。歴史修正主義批判の方法の正当性について問うている。
《歴史記録の理解に向かおうとするとき、歴史記録それ自体のうちにはその意味を解釈するどの仕方のほうが他の仕方よりも好ましいかを見さだめるための根拠は存在しないという事実を直視しなければならない。》(183ページ)
   *
『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」読みつぐ。

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2017年5月25日 (木)

読み書き日録2017/5/25

加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+通読+表記の一括処理、つづける。「序章 理念的なものの経験可能性」の二節~三節。
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リルケ「マルテの手記」読みつぐ。この小説は散文詩であり批評であると言える。たとえば――
《詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。……詩はほんとうは経験なのだ。》
   *
萩原印刷より第二次「走都」創刊号の表紙、出校。~表紙の色をDIC832(もえぎいろ)に変更。本文とあわせて責了に。
   *
萩原印刷より「季刊 未来」夏号の佐々木力「ライプニッツ編『中国最新事情』への序文(2)――中国論・論中国・On China 10」初校、出校。~ゲラのチェック。赤字を転記して送付。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第九章 突撃隊の意味と組織に関する根本の考え方」のはじめ~。
   
「現代詩手帖」6月号(大岡信特集号)とどく。さっそく「〈孤心〉の軌跡――大岡信さんへの感謝」を読みなおす。ほかに何人かの追悼文を読む。
   *
ヘイドン・ホワイト[上村忠男編訳]『歴史の喩法――ホワイト主要論文集成』の「第5章 歴史的解釈の政治――ディシプリンと脱崇高化」のつづき。

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2017年5月24日 (水)

読み書き日録2017/5/24

萩原印刷より第二次「走都」再刊号のゲラ一式とどく。表1に目次を入れる必要あり。詩のタイトルも決めなくちゃ。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫)の.「第八章 強者は単独で最も強い」読む。
   *
加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+印刷+通読、はじめる。まずは「加藤尚武マクロ.mac」を走らせるが、マクロ記述にいくつかミスあり、修正。さらに機種依存文字をいろいろ修正。表記の一括処理いろいろ。「はしがき」スミ。さらに「序章 理念的なものの経験可能性」のはじめ~一節。
   *
『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」の再読をはじめる。
《人々は生きるためにこの都会へ集まって来るらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ。》と書きはじめるこの都会とは一世紀前のパリだが、金子光晴も同じような感想を書いていたことを思い出す。
   *
夜、第二次「走都」創刊号の巻頭言、詩23ページと鮎川信夫論16ページを読み直し、若干の手入れ。詩のタイトルは「発熱装置」とすることに。これであす責了とする。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』で詩集『あこがれ』のつづき。
   *
ヘイドン・ホワイト[上村忠男編訳]『歴史の喩法――ホワイト主要論文集成』の.「第5章 歴史的解釈の政治――ディシプリンと脱崇高化」のつづき。


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2017年5月23日 (火)

読み書き日録2017/5/23

「gate」24号に目を通す。ずっと寄贈をうけている同人誌だが、発行人の塚本敏雄によると詩集を出しているのは塚本だけ。ことし誰も出さなければ廃刊にすると言っているそうだ。詩集なしというのも驚きだが、出せばいいというものでもなし、このところ20年以上出していない自分も身につまされる。
   *
萩原印刷・中山君に第二次「走都」の表紙用図版スキャンのための資料を渡す。「第二次『走都』再刊にあたって」の原稿渡し。データはE-mailで送付。
   *
「季刊 未来」夏号の佐々木力「ライプニッツ編『中国最新事情』への序文(2)――中国論・論中国・On China 10」の仮ゲラ通読+ファイル修正。図版を追加して入校できるところまで進める。あす天野さんから入校へ。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第七章 赤色戦線との格闘」のつづき~終り。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「II 世界精神と自然史――ヘーゲルへの補説」の1節~5節を読む。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』で詩集『あこがれ』のつづき。

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2017年5月22日 (月)

読み書き日録2017/5/22

「春秋」5月号の島薗進論文を読む。明治神宮ができるまでの日本人の狂気の沙汰を記述している。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第六章 初期の闘争――演説の重要性」のつづき~終り。さらに「第七章 赤色戦線との格闘」の途中まで読む。
   *
加藤尚武著作集用のテキスト処理の終わった『哲学の使命』を52字×20行×2段で校正用本文仮ゲラ印刷134枚+注6枚。~つづけて『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のテキスト処理をはじめる。まず目次、改ページ+大見出し、中見出しのタグ付けと行あけ指定。
   *
『世界の文学 フロベール』(世界の文学15) で山田ジャク先生の解説、年譜を読む。
   *
ヘイドン・ホワイト[上村忠男編訳]『歴史の喩法――ホワイト主要論文集成』の「第5章 歴史的解釈の政治――ディシプリンと脱崇高化」のはじめ~。

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2017年5月21日 (日)

読み書き日録2017/5/21

アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第六章 初期の闘争――演説の重要性」の途中まで読む。
   *
加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+通読、つづける。「附録 ヘーゲル『自然法講義草稿』(一八〇二―一八〇五)」の4節~8節。附録、スミ。さらに「初出一覧を兼ねたあとがき」もスミ。これでこの本は終り。
   *
『世界の文学 フロベール』(世界の文学15) の「三つの物語」のなかの「ヘロデヤ」のつづき~終り。サロメとヨカナーンの首切りの話。これで「三つの物語」も読了。
   *
ヘイドン・ホワイト[上村忠男編訳]『歴史の喩法――ホワイト主要論文集成』の「第4章 現実を表象するにあたっての物語性の価値」のつづき~終り。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』の詩集『あこがれ』のつづき。
   *
「第二次『走都』再刊にあたって」を書く。40字×13行。表1、表4の記載事項も作成し、割付け。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「I 自由――実践理性批判へのメタ批判」の30節~32節を読む。第三部のI、終り。
《〔カントにとって〕善い動物であったと信じられるように生きる試みが、個人にとって唯一の道徳なのである。》(363ページ)
 これはカントの『道徳形而上学』での命題――《ある行為が、あるいは、その行為の格率に従う各人の意思の自由が、普遍的法則に従ってすべての人の自由と両立しうる場合には、そのような行為はいずれもただしい。》とつながっているのか。

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2017年5月20日 (土)

読み書き日録2017/5/20

ヘイドン・ホワイト[上村忠男編訳]『歴史の喩法――ホワイト主要論文集成』の「第4章 現実を表象するにあたっての物語性の価値」のつづき。ヘーゲル『歴史哲学講義』が言及されている。ほかにヤコブソンの失語症論も。
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『世界の文学 フロベール』(世界の文学15) で「三つの物語」のなかの「ヘロデヤ」を読みはじめる。
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加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+通読、つづける。「附録 ヘーゲル『自然法講義草稿』(一八〇二―一八〇五)」のはじめ~3節。
   *
『石川啄木全集 第二巻 詩集』を読みはじめる。詩集『あこがれ』の途中まで。さすがに最初の詩集だけに四四四六調、五七調、七五調など定型の単調さは耐えがたい。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第五章 世界観と組織」読む。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「I 自由――実践理性批判へのメタ批判」の27節~29節を読む。
《良心に照らして正か不正かという問いには、単純には答えられない。なぜなら、良心そのもののうちに正と不正が住みついているのであって、抽象的な判断が両者を分けるわけにはいかないからである。》(342ページ)

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2017年5月19日 (金)

読み書き日録2017/5/19

ジャック・ラング、コラン・ルモワーヌ著/塩谷敬訳『ミケランジェロ』見本できる。
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『梯明秀の物質哲学』初校、出校。傍注組み込みで269ページ。これに索引がつく。目次の指定に気に入らないところがあり、行間つめを指定。~中島吉弘さんに送付。tel入れして、ゲラ送りの件とともに索引作成の手順、口絵写真の件なども相談。
   *
第二次「走都」再刊第1号の原稿「鮎川信夫という方法(1)」、「詩的断章」抜粋版をそれぞれ印刷。散文は12Q29字×25行×2段(「季刊 未来」方式)で16ページ、詩は13Q45字×20行で23ページ。~のち、萩原印刷・中山君に渡す。データはE-mailで送付。
   *
「現代詩2017」に目を通す。現代詩人会の年刊機関誌。ことしのH氏賞(北原千代)と現代詩人賞(中村稔)の選考記録ほか、先達詩人顕彰の記事などいろいろ。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第四章 人格と民族主義国家の思想」読む。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「I 自由――実践理性批判へのメタ批判」の24節~26節を読む。
《カントの期待通りに主観が客観性を構成したり、あるいは自分を行為において客観化したりできるためには、主観のほうもまたつねに客観的なものでなければならない。カント哲学のこの秘儀は当然、彼には隠されていた。客観の優位という亡霊が、超越論的主観、つまりおのれを客観的なものとして解釈する純粋理性のなかをひそかにさまよい歩いているのである。》(334ページ)
 カントにおける純粋理性という客観主義的超越論の批判というわけか。
   *
『世界の文学 フロベール』(世界の文学15) で「三つの物語」のなかの「聖ジュリヤン伝」のつづき~終り。

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2017年5月18日 (木)

読み書き日録2017/5/18

きのう紀伊國屋書店創立90周年の祝いに出席。昔からの知り合い多数といろいろ話ができたが、このブログを見てくれているKさんに再刊予定の個人編集誌、第二次「走都」の話をしたら「読みたい」と言ってくれたので、寄贈リストに追加。詩と詩論の雑誌ですが、ほかにもこのブログをお読みでご希望の方には送ります。今月末刊行の予定。
   *
中国新聞社の荒木さんから13日の「中国新聞」の「農業ジャーナリスト賞」受賞記事PDFを送ってもらう。さっそく「トピックス原稿」で「『中国山地 過疎50年』が農業ジャーナリスト賞を受賞」記事を作成し、未來社ホームページにアップ。
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「朝明」3号に目を通す。「地上十センチ」15号も読む。野崎有以の詩「吞川」は昔のわが家のそばを流れていた小さな川。蒲田のほうにも流れていたらしい。
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加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+印刷+通読、つづける。「第十一章 死によって否定される人間の存在とは何か――ヘーゲルにおける『死』の思想」スミ。
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「図書新聞」5月27日号に「ジャック・デリダの思想を読む二冊」として『嘘の歴史 序説』(宮﨑裕助氏)と『最後のユダヤ人』(川口茂雄氏)の書評掲載、読む。『嘘の歴史 序説』は「真か偽かという認識の問題ではなく誠実か否かという信義の問題」だとして問われるべきとされる。『最後のユダヤ人』のユダヤ性の問題はデリダ哲学の核心部分に潜む《余白》を探るための書、とされる。いずれも鋭い読みである。
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ヘイドン・ホワイト[上村忠男編訳]『歴史の喩法――ホワイト主要論文集成』の「第4章 現実を表象するにあたっての物語性の価値」の途中まで読む。
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第二次「走都」再刊第1号のための「鮎川信夫という方法(1)」の原稿を印刷。28字×25行×2段で16ページ。~読み直しと修正。さらに「詩的断章」抜粋版45字×20行で23ページも読み直し、若干の手入れ。タイトルがまだ決まらないが、あすにはいよいよ入校。

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2017年5月17日 (水)

読み書き日録2017/5/17

加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+印刷+通読、つづける。「プロムナード3」スミ。つづけて「第十章 空と弁証法――『懐疑主義』論文をめぐって」もスミ。
   *
ヘイドン・ホワイト[上村忠男編訳]『歴史の喩法――ホワイト主要論文集成』の「第三章 歴史の喩法――『新しい学』の深層構造」読む。ヴィーコの『新しい学』におけける隠喩、換喩、提喩、反語という修辞的トロープによる歴史解釈を肯定的に論じている。この本のタイトルもそこから採っているようだ。
   *
『世界の文学 フロベール』(世界の文学15) の「三つの物語」のなかの「聖ジュリヤン伝」読みはじめる。

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2017年5月16日 (火)

読み書き日録2017/5/16

「ピエリア」2017年春号に目を通す。東京外国語大学出版会が毎年度始めに出す新入生用PR誌。知り合いのものを読む。「わたしのイチオシ」でスタニスラフスキー『俳優の仕事』が紹介されている。
   *
加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+印刷+通読、つづける。「第八章 ヘーゲル哲学の歴史的位置づけ」の4節。これで第八章、スミ。つづけて「第九章 ヘーゲル哲学と近代社会の規範原理――『法哲学』新資料の示すもの」もスミ。
   *
『世界の文学 フロベール』(世界の文学15) で「三つの物語」のなかの「素朴な女」読了。
   *
ヘイドン・ホワイト[上村忠男編訳]『歴史の喩法――ホワイト主要論文集成』の「第二章 文学的製作物としての歴史的テクスト」のつづき~終り。
《わたしの見るところ、ひとつの学問分野としての歴史が今日ふるわないのは、それが文学的想像力のうちにみずからの起源をもっていることを見失っているためである。科学的で客観的であるように見せようとして、それはそれ自身の力と再生のための源泉をみずから抑圧し否定してしまっている。》(80ページ)
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第三章 国籍所有者と国家の市民」読む。

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2017年5月15日 (月)

読み書き日録2017/5/15

加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+印刷+通読、つづける。「第八章 ヘーゲル哲学の歴史的位置づけ」の1節~3節。《近代の超克という思想が近代主義から自由になることはありえない。おのれの時代がその前の時代を「乗り越えている」という意識で自己定位をおこなうことは、まさに近代主義の本質をなすものだからである。》
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第二章 国家」のつづき~終り。国家が教育に力を入れる場合、洗脳教育と弱者排除になる。いまの日本国家もそうなりつつある。
   *
陶原葵詩集『帰、去来』通読。遠い断片化された記憶の去来を紙面に点綴するそのグラフィズムがそのまま詩の形態になっている。――〈出来事はすべて個の履歴〉(「柱」)難解だが、近代詩の知見(中也、光太郎、白秋)もちりばめたことばのダンス。
   *
ヘイドン・ホワイト[上村忠男編訳]『歴史の喩法――ホワイト主要論文集成』の「第二章 文学的製作物としての歴史的テクスト」を途中まで読む。
《或る所与の歴史的状況が_¨どのように¨_形象化されるかは、或る特殊的なプロット構造を歴史家がそこに特別な種類の意味を付与したいと思っている出来事の集合【セット】とうまくマッチさせる歴史家の手腕にかかっている。これは、本質的に文学的な操作、つまりはフィクションをつくりあげる操作である。》(55ページ)
 このまえのところでホワイトは「プロット化」を《クロニクルのなかに収容されている諸事実をプロット構造のもろもろの_¨種類¨_を構成する要素としてコード化すること》と定義している。してみると、ホワイト的メタヒストリーとは歴史的事実のなかからあるプロットを発見してナラティヴのかたちでフィクションとして提出することになるわけだ。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「I 自由――実践理性批判へのメタ批判」の21節~23節を読む。
   *
『世界の文学 フロベール』(世界の文学15) の「三つの物語」のなかの「素朴な女」読みつぐ。

   

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2017年5月14日 (日)

読み書き日録2017/5/14

『梯明秀の物質哲学』の修正仮ゲラの赤字修正のつづき。注ファイルすべてスミ。不統一なところをかなり修正。
   *
ヘイドン・ホワイト[上村忠男編訳]『歴史の喩法――ホワイト主要論文集成』読みはじめる。まず「第一章 歴史という重荷」を読む。
《現代の大部分の思想家たちは、芸術と科学は本質的に世界了解の相異なる様式であるという伝統的な歴史家の想定に賛同していない。芸術は科学とは根本的に異なるという十九世紀の信念はロマン主義的な芸術家の科学にたいする恐怖と実証主義的な科学者の芸術についての無知によって醸成された誤解の結果であったことが、今日ではかなり明確になりつつあるようである。》(9ページ)
 これが発表された1970年代よりもこの理解はいまでははるかに進んでいる。
《現代の歴史家は過去を研究することの価値を自己目的としてではなく、わたしたち自身の時代に特有の諸問題の解決に寄与するような現在にかんする見方を提供するひとつのやり方として確立しなければならないのである。》(30ページ)
 これはたとえば詩人論のようなものを書くときにも必然的に考慮すべき問題意識だ。
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『世界の文学 フロベール』(世界の文学15) で「三つの物語」のなかの「素朴な女」読みはじめる。
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加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+通読、つづける。「第七章 哲学にとって体系とは何か」の5節~6節。第七章、スミ。
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アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の.「第二章 国家」のつづき。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「I 自由――実践理性批判へのメタ批判」の19節~20節を読む。

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2017年5月13日 (土)

読み書き日録2017/5/13

『林嗣夫詩集』(新・日本現代詩文庫) 未読分の詩ほか、解説と年譜を読む。若いときのものはかなり過激だったようだ。
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アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) 「第二章 国家」のつづき。
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『梯明秀の物質哲学』の修正仮ゲラの赤字修正のつづき。第六章の三節~おわりに、終章、あとがきまで、本文スミ。正字へのこだわりがあり、苦労する。残るは注と人名索引。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部X章のつづき~終り。つづけてXI章(最終章)も読む。フランス語としてかなりの難物だということが途中でわかったが、なんとか読了。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「I 自由――実践理性批判へのメタ批判」の15節~18節を読む。
《『純粋理性批判』は、科学的認識の妥当性の理論である以上、あらゆるテーマを法則概念のもとでしか論じられないのであって、その点では法則性にそぐわないはずのものすらも例外ではないのである。》(300ページ)
《自由が存在しなければならないなどというのは、立法する自立的主体が犯す最大の不法である。》(304ページ)
 カントの理論上の枠組みの矛盾をつく批判。

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2017年5月12日 (金)

読み書き日録2017/5/12

加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+通読、つづける。「第七章 哲学にとって体系とは何か」の2節~4節。
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「みすず」5月号に目を通す。あいかわらず岡真理のパレスチナ報告はいい。
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『梯明秀の物質哲学』の修正仮ゲラの赤字修正のつづき。第三章、第四章、第五章、第六章の二節までスミ。
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アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) 「第二章 国家」のつづき。ますます人種主義的言説が独断的になっていく。

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2017年5月11日 (木)

読み書き日録2017/5/11

加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+印刷+通読、つづける。「第七章 哲学にとって体系とは何か」のはじめ~1節。
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思潮社の藤井さんよりE-mailで「現代詩手帖」6月号の大岡信追悼文「〈孤心〉の軌跡――大岡信さんへの感謝」の再校ゲラPDFとどく。印刷して1箇所修正したものをPDFにして返信E-mail。
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『三木亘著作選 悪としての世界史――中東をめぐって』の「宮本常一さんのこと」(pp. 470-484)を読む。宮本との晩年の学問的なつきあいが語られている。ほかに新井高子のあとがきなど。おもしろい先生だったようだ。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary pp. 第III部IX章のつづき~終り。

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2017年5月10日 (水)

読み書き日録2017/5/10

加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+通読、つづける。「第六章 創造以前の神の叙述」の6節~7節。これで第六章もスミ。さらに「プロムナード2」も印刷して通読、スミ。
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中島吉弘さんより『梯明秀の物質哲学』の修正仮ゲラと人名索引原稿、写真類とどく。かなりの赤字が入っている。さっそく仮ゲラの赤字修正をはじめる。はしがき、序章、第一章、第二章までスミ。
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「UP」5月号に目を通す。田中純が《アドルノのように、物象化の挙げ句に資本主義社会の矛盾が作品内で昂進した結果、それが作品構造を内破させる力になると考えることは、資本主義がおのずから恐慌という破局を迎えて終焉することを待つのにも似た、一種の終末待望論にいたってしま》うと書いているが、たしかにそう言える。
 もうひとつ。渡邉茂というひとが〈みつ豆をギリシヤの神は知らざりき〉の出典を敏腕担当編集者に橋本夢道だと教えてもらったとあるが、夢道の『無禮なる妻』新装版の「跋」で金子兜太が紹介してくれていることも教えてくれたかな。
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「詩遊」54号に目を通す。冨上芳秀の林美佐子論はややホメすぎで冗長だが、林の詩のエロスの根底をえぐっている。
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「詩的断章(仮)」の第二次「走都」掲載分の日付を削除し、注など若干の手入れ。1ページ45字×20行のフォーマットを作って流し込むと23ページぴったりになる。あんまり長いのもどうかと思うけど、第二次「走都」再刊第1号にはこれでいく。装幀などは以前のものを流用する。

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2017年5月 9日 (火)

読み書き日録2017/5/9

萬書房からダグラス・ラミス『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』とどく。代表からの挨拶文付き。ラミスさんからの寄贈。これは読む価値がありそうだ。
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加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+通読、つづける。「第六章 創造以前の神の叙述」のはじめ~5節。
《「創造」を語るヘーゲルの本音は〈概念の世界支配〉という論理的汎神論である。》
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「季刊 びーぐる 詩の海へ」35号、読了。なかなか読み応えのある号だった。
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「詩的断章」の詩誌掲載予定用の原稿を縦組み52字19行で印刷してみる。最近書いた沖縄詩篇2篇を入れても24ページで収まることがわかる。いちおうこれでいけそう。あとはタイトルだが。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「I 自由――実践理性批判へのメタ批判」の10節~11節を読む。
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「アリゼ」178号に目を通す。

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読み書き日録2017/5/8

「季刊 びーぐる 詩の海へ」35号、読みつぐ。細見和之によれば、尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩の訳語をめぐって相当な批判があったらしい。抵抗の詩人としての詩がもつ政治的な意味とキリスト者としての立場の軋轢が解釈の相違、すなわち思想の相違として結露するというわけだ。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部IX章のつづき。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第二章 国家」のつづき。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「I 自由――実践理性批判へのメタ批判」の8節~9節を読む。
《自由は、積極的につまり所与として、あるいはもろもろの所与のただなかにある不可避的なものとして措定されると、ただちに非自由になるのである。》(282ページ)
 これはカントの自由の教義におけるパラドクス批判として言われている。

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2017年5月 7日 (日)

読み書き日録2017/5/7

アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第二章 国家」のはじめ~。
《民族性、より正しくいえば人種は、言語のなかにあるのではなく、血のなかにある》(34ページ)
 この純血主義こそがヒトラー思想の根幹だ。
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加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+通読、つづける。「第五章 『精神現象学』におけるキリスト教の必然性」の4節~6節。第五章もスミ。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部IX章のはじめ~。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「I 自由――へのメタ批判」の7節。
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「季刊 びーぐる 詩の海へ」35号、読みはじめる。

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2017年5月 6日 (土)

読み書き日録2017/5/6

加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+通読、つづける。「第五章 『精神現象学』におけるキリスト教の必然性」のはじめ~3節。
《ヘーゲルの思想が現代のキリスト教社会主義の一角にきわめて強い、内からのインパクトを与えたことはよく理解できる。しかし、そこにおいてキリスト教にとって世界とのかかわりが必然的不可避であるという立場と、キリスト教の存立は世界とのかかわりにあるというヘーゲルの立場とが混同されてはいないだろうか。現代のヘーゲル派の神学者たちにスピノザを図柄にした踏み絵を与えてみればいい。真正のヘーゲル主義者ならスピノザを踏むことができない。》
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アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) 読みはじめる。「第一章 世界観と党」読む。
《民族主義的世界観は決して人種の平等を信じないばかりか、かえって人種の価値に優劣の差異があることを認め、そしてこうした認識から、この宇宙を支配している永遠の意志にしたがって、優者、強者の勝利を推進し、劣者や弱者の従属を要求するのが義務である、と感ずるのである。》(26ページ)
 さらには個体間にも同様の優劣を設定する。徹底した人種主義、アーリア人種優者思想だ。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「I 自由――実践理性批判へのメタ批判」の3節~6節。
《ヘーゲルの『精神現象学』が教えるように、主体は、おのれから引き離されておのれに敵対する必然的なもの〔外的なもの〕に即してはじめて、自由と非自由の概念を獲得し、しかる後に主体はそれらの概念をおのれ自身のモナド的構造〔内外的なもの〕のうちへ引き戻すのである。》(266-267ページ)
 これこそ自己省察のダイナミズムとも言うべきものだ。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部VIII章のつづき~終り。Emmaの死。
   *
高良勉編『山之口貘詩集』(岩波文庫) 解説、年譜もふくめて一気に読了。
〈僕ですか?/これはまことに自惚れるようですが/びんぼうなのであります〉(「自己紹介」)
〈ぼくみたいな詩人が詩でめしの食えるような文化人になるまでの間を/国家でもって税金の立替えの出来るくらいの文化的方法はないものだろうか〉(「税金のうた」)
 ほんとだ。

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2017年5月 5日 (金)

読み書き日録2017/5/5

「現代詩手帖」5月号、読了。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary pp. 第III部VIII章のつづき。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第十二章「国家社会主義ドイツ労働者党の最初の発展時代」のつづき~終り。上巻、読了。
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加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+通読、つづける。「第四章 実体=主体説の三つの局面――国家と宗教と学問」の7節。第四章もスミ。
   *
高良勉編『山之口貘詩集』(岩波文庫) 読みはじめる。先日、沖縄で勉さんから直接恵贈してもらったもの。
〈僕は文明をかなしんだ/詩人がどんなに詩人でも 未だに食わねば生きられないほどの/それは非文化的な文明だった〉(「鼻のある結論」)
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の 第三部「いくつかのモデル」の「I 自由――実践理性批判へのメタ批判」の1節~2節。
《科学が解決のつかないことがらの決定を哲学に期待したというのに、哲学が差し出したものといえば、世界観という慰めだけであった。》(261ページ)

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2017年5月 4日 (木)

読み書き日録2017/5/4

「人文会ニュース」126号に目を通す。今井書店外商の現場の工夫話、西田幾多郎記念哲学館での考えることの楽しさを知ってもらう努力には思うところがあった。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第二部「否定弁証法 概念とカテゴリー」29節~32節。弟二部、読了。
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田中勲詩集『幻の光の中で』通読。ここには避けがたい老いの哀しみとでも呼ぶべき事態の数々が刻み込まれている。同世代としてはやるせないが、まだやることがあるよ、と言いたいが。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部VIII章のつづき。Emmaの服毒騒ぎ。
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加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+印刷+通読、つづける。「第四章 実体=主体説の三つの局面――国家と宗教と学問」の5節~6節。
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アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第十二章「国家社会主義ドイツ労働者党の最初の発展時代」のつづき。
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「詩的断章」全篇を読み直し。新詩誌に掲載するものの選択をはじめる。そんなに悪くない。1ページ18行にすると40ページ分ほどあり、既発表のものは割愛するうえにさらにセレクトする必要あり。タイトルを別に考える必要もあり。
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「現代詩手帖」5月号、読みつぐ。辺見庸の新連載長篇詩はなんじゃろね。大岡信追悼文5篇も読む。渡辺武信が大岡さんを兄貴分と評していたが、わたしにとっても大岡さんは年の離れた兄貴分だった。高橋順子が晩年に大岡さん宅へ行った話が書いてある。最後に許されて良かった。

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2017年5月 3日 (水)

読み書き日録2017/5/3

アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第十一章「民族と人種」のつづき。~終り。さらに第十二章「国家社会主義ドイツ労働者党の最初の発展時代」のはじめ~途中まで。いよいよナチ党の記述へ。嘘と間違いもこれだけ続けられると洗脳されるひとが出たことは不思議でない。ワイマール時代の政治家、経済界そして左翼のどうしようもない無能ぶりが容赦なく暴かれているが、残念ながら的を外していない。今日の日本も同じではないか。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の」第二部「否定弁証法 概念とカテゴリー」25節~28節を読む。
《全体的な破局の可能性に比べれば、物象化はひとつの副次的な現象にすぎない。物象化と対をなし、物象化に対応する主観的な意識状態である疎外にいたっては、完全にそうである。疎外は不安によって再生産される。ということは、意識はけっして社会の構成者ではなく、すでに構成された社会のなかで物象化されているということである。》(233ページ)
 意識とは物象化された社会意識にすぎないということか。
《哲学の任務は、思想にとって異質的なものを思考することである。この思想にとっての異物こそが思想を思想たらしめるのであって、いくら思想の守護神がそんなものは存在しないと言い張ろうとも、哲学はそれを思考しなければならない。》(235ページ)
   *
Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部VIII章のつづき。
   *
加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+印刷+通読、つづける。「第四章 実体=主体説の三つの局面――国家と宗教と学問」の2節~4節。
   *
「現代詩手帖」5月号、読みつぐ。ジェフリー・アングルスにかんする分(対談、批評)を読む。

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2017年5月 2日 (火)

読み書き日録2017/5/2

加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+印刷+通読、つづける。秀丸マクロの修正も。プロムナード1、3ページ、スミ。つづけて「第四章 実体=主体説の三つの局面――国家と宗教と学問」のはじめ~1節。
   *
「現代詩手帖」5月号、読みはじめる。

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2017年5月 1日 (月)

読み書き日録2017/5/1

「[新版]日本の民話」シリーズ最終回(26回)配本4冊(別巻1=東北農山漁村文化協会編『みちのくの民話』/別巻2=及川儀右衛門編『みちのくの長者たち』/別巻3=同『みちのくの和尚たち』/別巻4=同『みちのくの百姓たち』)見本できる。これでめでたく全巻完結。
   *
加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+印刷+通読、つづける。第三章「マルクス主義における『人間』の問題――シュティルナー評価をめぐって」の4節~6節。この章もスミ。
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アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第十一章「民族と人種」のつづき。
   *
『リルケ全集3 詩集III』の「オルフォイスへのソネット」の註解の第二部の25節~29節、ほか。これでようやく読了。詩にたいして4倍も註解のある580ページの本を読み通すのは正直言って疲れた。碩学富士川英郎の註解はいわゆるエクスプリカシオン・ド・テクストそのもので、一字一句をパラフレーズしていく解説的手法は大学の退屈な講義を聞いているようだ。解釈がしばしば凡庸に陥ってしまうのは、失礼ながら解釈の正確さのために詩心の出番がないためか。それにしても
〈静かな大地に向かっては、言うがいい 私は流れてゆくと/すばやい水の流れに向かっては 言うがいい 私は在【あ】ると〉(「オルフォイスへのソネット」の最後の2行)
はすばらしい。あらためて若いときに感動した「マルテの手記」を読み直したくなった。
   *
Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部VIII のはじめ~途中まで。EmmaがRodolpheに泣きつくが断わられ、悪態をつく。
   *
「図書」岩波文庫創刊90年記念臨時増刊[私の三冊]に目を通す。ひとり3冊限定。数えてみたらそのひとが取り上げる3冊とも読んでいたのは、大澤真幸、國分功一郎、小林敏明、長尾龍一、檜垣立哉、松浦寿輝、三浦雅士など10人しかいなかった。積ん読のものもふくめて読むべきものがまだまだたくさんあることがあらためてわかった。教養主義者としては困るよな、こんな刺戟は。

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