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2017年5月26日 (金)

読み書き日録2017/5/26

加藤尚武著作集の『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』のファイル修正+通読+表記の一括処理、つづける。「序章 理念的なものの経験可能性」の四節~五節。序章、スミ。
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「現代詩手帖」6月号(大岡信特集号)読みつぐ。中村稔、菅野昭正先生、三浦雅士の鼎談を読む。いろいろ知らないことが語られていて参考になる。中村稔が大岡信の初期の詩を認めていないのは意外だった。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「II 世界精神と自然史――ヘーゲルへの補説」の6節~12節を読む。
《それ〔実証主義的歴史科学の進展〕以前には、哲学的構成にも細かいことを知らなくてもいいという怪しげな長所があって、哲学的構成はとかくそれを「超然たる距離」として自分の手柄にしたがったものだった。たしかに本質的なことを語る分には、これで差しつかえなく、本質的なことは距離を置いてしか掴めないのである。》(387ページ)
《〔へーゲルが構想したような〕普遍史を形而上学的迷信の名残りとして抹殺することは、単なる事実性だけが認識されるべき、それゆえ受容されるべき唯一のものであると、断定することになるかもしれないが、それは以前に、諸事実をただ一個の精神の全体的前進に組み入れた尊大な哲学が、それらを精神の外化として追認したのと知的にはそう変わりがないのである。》(同前)
《歴史は連続性と非連続性の統一である。歴史は矛盾対立を含むにもかかわらずその命脈を保っているのではなく、矛盾対立によってこそ命脈を保っているのだ。》(388ページ)
 この指摘はお見事!
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『石川啄木全集 第二巻 詩集』で詩集『あこがれ』のつづき。
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ヘイドン・ホワイト[上村忠男編訳]『歴史の喩法――ホワイト主要論文集成』の「第5章 歴史的解釈の政治――ディシプリンと脱崇高化」のつづき~終り。歴史修正主義批判の方法の正当性について問うている。
《歴史記録の理解に向かおうとするとき、歴史記録それ自体のうちにはその意味を解釈するどの仕方のほうが他の仕方よりも好ましいかを見さだめるための根拠は存在しないという事実を直視しなければならない。》(183ページ)
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『新潮世界文学32 リルケ』で「マルテの手記」読みつぐ。

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