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2017年5月15日 (月)

読み書き日録2017/5/15

加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+印刷+通読、つづける。「第八章 ヘーゲル哲学の歴史的位置づけ」の1節~3節。《近代の超克という思想が近代主義から自由になることはありえない。おのれの時代がその前の時代を「乗り越えている」という意識で自己定位をおこなうことは、まさに近代主義の本質をなすものだからである。》
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アドルフ・ヒトラー『わが闘争(下)II 国家社会主義運動』(角川文庫) の「第二章 国家」のつづき~終り。国家が教育に力を入れる場合、洗脳教育と弱者排除になる。いまの日本国家もそうなりつつある。
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陶原葵詩集『帰、去来』通読。遠い断片化された記憶の去来を紙面に点綴するそのグラフィズムがそのまま詩の形態になっている。――〈出来事はすべて個の履歴〉(「柱」)難解だが、近代詩の知見(中也、光太郎、白秋)もちりばめたことばのダンス。
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ヘイドン・ホワイト[上村忠男編訳]『歴史の喩法――ホワイト主要論文集成』の「第二章 文学的製作物としての歴史的テクスト」を途中まで読む。
《或る所与の歴史的状況が_¨どのように¨_形象化されるかは、或る特殊的なプロット構造を歴史家がそこに特別な種類の意味を付与したいと思っている出来事の集合【セット】とうまくマッチさせる歴史家の手腕にかかっている。これは、本質的に文学的な操作、つまりはフィクションをつくりあげる操作である。》(55ページ)
 このまえのところでホワイトは「プロット化」を《クロニクルのなかに収容されている諸事実をプロット構造のもろもろの_¨種類¨_を構成する要素としてコード化すること》と定義している。してみると、ホワイト的メタヒストリーとは歴史的事実のなかからあるプロットを発見してナラティヴのかたちでフィクションとして提出することになるわけだ。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第三部「いくつかのモデル」の「I 自由――実践理性批判へのメタ批判」の21節~23節を読む。
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『世界の文学 フロベール』(世界の文学15) の「三つの物語」のなかの「素朴な女」読みつぐ。

   

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