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2017年4月

2017年4月30日 (日)

読み書き日録2017/4/30

アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第十一章「民族と人種」のつづき。ユダヤ人への偏見と独断はすさまじいが、いまのイスラエルを見たらヒトラーは自分が正しかったと言うだろう。
   *
Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部VII章のつづき~終り。Emmaの破産を回避しようとする奔走もつぎつぎと破綻する。
   *
「pied」18号、19号に目を通す。おしゃれな海東セラ個人誌。
   *
鮎川信夫論の第二部を「2鮎川信夫という方法」として切り離し(既発表の第一部は「1鮎川信夫とは誰か」として保存し直す)、第二次「走都」用の原稿として読み直しながら加筆と編集。注は最後にまとめる。ゲラは萩原印刷に「季刊 未来」と同じスタイルで出校してもらうことにする。
   *
『リルケ全集3 詩集III』の「オルフォイスへのソネット」の註解の第二部の21節~24節を読む。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第二部「否定弁証法 概念とカテゴリー」22節~24節を読む。このあたりは難解。

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2017年4月29日 (土)

読み書き日録2017/4/29

テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第二部「否定弁証法 概念とカテゴリー」17節~21節を読む。
《へーゲル弁証法は、事がうまく運ばなくなると詭弁的になる。》(213ページ)
 加藤尚武さんもそんなことを言いそうだ。
《主観と客観は究極の二元性でもなく、その背後に究極の統一が隠れているわけでもない。両者は相互に相手によって構成されているのだが、この構成ゆえに、別々に分離して現われもする。/したがって主観と客観の二元構造を原理として根底に置いてみても、この二元構造は、それが拒否する同一性の原理と同じく、再び全体的なものとなり一元的なものとなるにちがいない。つまり絶対的な二元性は、統一性なのである。》(213-214ページ)
 これじゃ主観と客観は相互に反転して統一性のなかに分離して存在することになる、ということか。
《概念とは、対象が収容されるところの自己意識の統一である。それゆえ対象の客観性ないし概念は、それ自体自己意識の本性以外のなにものでもなく、自我自身以外のいかなる契機ないし規定ももたない。》(へーゲルからの引用、216ページ)
 へーゲルのこのことばはすごいが、意識の泥沼だ。
《主観的契機は客観的契機によっていわば「囲い込まれて」いて、限定的に主観に負担させられたものでありながら、それ自体は客観的なのである。》(221ページ)
 サイの身を守る外皮が同時にそれ自体もって生まれた牢獄であるという例はわかりやすい。
   *
『リルケ全集3 詩集III』の「オルフォイスへのソネット」の註解の第二部の14節~20節を読む。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第十一章「民族と人種」の初め~途中まで。ヒトラーの独善的アーリア人種優越感がもろに出ている。
   *
Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部VII章のつづき。
   *
加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+印刷+通読、つづける。秀丸マクロの改訂も。第三章「マルクス主義における『人間』の問題――シュティルナー評価をめぐって」の1節~3節。

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2017年4月28日 (金)

読み書き日録2017/4/28

アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第十章「崩壊の原因」のつづき~終り。ドイツ帝国の崩壊をヒトラーはおもに議会と政府の無能に見ており、それにひきかえドイツ陸軍の優秀さ、官僚機構の相対的優秀さを評価する。しかし、結論的には
《旧帝国の破滅のもっとも深い究極的原因は、人種問題および、それが民族の歴史的発展に対してもつ意味を、認識しなかったことにある》(403ページ)
とする視点である。ナチズムの人種主義の基本はここにあった。
   *
加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+印刷+通読、つづける。秀丸マクロのバグ修正もいくつか。第二章「市民社会観の転回――スミスとヘーゲル」の5節~9節。この章もスミ。以下の章の粗割付もしておく。見出しタグ、注を別ファイルに取り出し、整形。
   *
『リルケ全集3 詩集III』の「オルフォイスへのソネット」の註解の第二部の11節~13節を読む。
   *
「図書」5月号、読む。若松英輔を読んで、『こころ』を再読したくなった。
   *
Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部VII章のつづき。

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2017年4月27日 (木)

読み書き日録2017/4/27

早寝したら早起きしてしまい(沖縄詩篇2)を一気に書く。未定稿ながら以下に。

沖縄では一篇しか書けなかった
けれど
きょうもオキナワから知らせがとどく
沖縄の中に基地があるのではなく
基地の中にオキナワがある
と鋭く喝破した写真家はもういないが
わたしのなかにもオキナワはある
そう言っていいのか
そこが簡単でないのがオキナワのむずかしいところだ
でもオキナワにはことばがある
ことばを喚起するなにものか
そこを書きたい
書くことによってはじめて
オキナワはわたしのなかに生きる
ヤマトにはもはや存在しないマブイが
わたしのなかに静かな闘志をもたげる
あってはいけない自然破壊
ひとのこころを蹂躙する権力の悪意
こんなことが許されるかという叫びは
どこまでも問いかけてくる
この問いを共有しよう
共有できる相手をこのさびしいヤマトにも
見つけていかなければならない
こういうことを詩で書いて何になる
と反発するだろうところに
ヤマトの貧しさがある
オキナワではことばは生きているが
ヤマトはどうか
わたしのなかのトーキョーは
きょうも曇り空だろう
   *
加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+印刷+通読、つづける。第二章「市民社会観の転回――スミスとヘーゲル」のはじめ~4節。
   *
「交野が原」82号を読了。前号のさいにも述べたが、知り合いが多く書いている。冨上芳秀の「極私的詩界紀行」は丹念に詩集評をやっていて感心する。ほぼ同じものを読んでいるが、冨上のほうが好意的である。わたしが読めていないのかもしれないが。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第十章「崩壊の原因」のつづき。この本を読むには辛抱がいる。
   *
Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部VII章のはじめ~途中。差押え後のEmmaの奔走。
   *
「りんごの木」45号、「弘前詩塾」29号に目を通す。後者での藤田晴央の隠喩解釈は常套的で、現代詩における一般的な誤りを踏襲している。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第二部「否定弁証法 概念とカテゴリー」14節~16節を読む。
《学者馬鹿というやつは、取り扱うべき対象が重大かどうかを考えることをやめてしまい、それについては世間の言うことをそっくりそのまま繰り返すか、あるいは――彼らの言葉を借りれば――「その問題はまだ誰もやっていない」かどうかを、この重大さの基準として選ぶのである。》(207ページ)
 これはニーチェが軽蔑した「学者馬鹿」のことを言い直したもので、強烈だが、たしかにいるよね、こういうのが。誰もやったことのない問題がそのことだけで価値があるわけではない。

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2017年4月26日 (水)

読み書き日録2017/4/26

アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第十章「崩壊の原因」のつづき。
《欠陥のある人間が、他の同じように欠陥のある子孫を生殖することを不可能にしてしまおうという要求は、もっとも明晰な理性の要求であり、その要求が計画的に遂行されるならば、それこそ、人類のもっとも人間的な行為を意味する。》(363ページ
《この世界は力に満ちた「完全な人」のものであり、弱々しい「中途半端な人」のものではない。》(367ページ)
 ヒトラーの断種の思想がここに現われている。東日本大震災は東北でよかったと発言して罷免された今村復興相に見られる安倍低能政権の思惑も大差ない。
   *
加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+印刷+通読、つづける。第一章「革命の死んだ日に歴史が生まれた」の8節~11節。これで第一章、スミ。

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2017年4月25日 (火)

読み書き日録2017/4/25

加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+印刷+通読、つづける。「漢字を開くマクロ必須篇」「漢字を開くマクロ選択篇」のマクロ処理とマクロの修正。第一章「革命の死んだ日に歴史が生まれた」の4節~7節、スミ。
   *
「交野が原」81号を読み終わる。冨上芳秀がこつこつと詩集評を書いている。かれはまじめだなあ。つづけて82号も読みはじめる。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第十章「崩壊の原因」のつづき。
   *
『リルケ全集3 詩集III』の「オルフォイスへのソネット」の註解の第二部の9節~10節、読む。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第二部「否定弁証法 概念とカテゴリー」11節~13節、読む。

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2017年4月24日 (月)

読み書き日録2017/4/24

加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル一括処理(表記統一をふくむ)+印刷+通読、つづける。第一章「革命の死んだ日に歴史が生まれた」の2節~3節、スミ。
 同時に今後のための「加藤尚武マクロ」を作成し、秀丸マクロの修正もおこなう。~加藤さんにtel。表記の統一は内容の変更をともなわないかぎり、読みやすくする方向で統一してかまわないとの了解をもらう。これでだいぶはかどりがちがう。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第十章「崩壊の原因」のつづき。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第二部「否定弁証法 概念とカテゴリー」9節~10節を読む。
   *
「交野が原」81号を読みはじめる。久しぶりに送ってくれた金堀則夫編集詩誌。詩と詩集評に特化している。

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2017年4月23日 (日)

読み書き日録2017/4/23

本を読むことは文句なしに楽しい。つまらない本だったとしても、よほどでなければ完読するのがわたしの主義だ。読み切った充実感がそれだけで十分だからだ。おもしろくて役に立てばなおのことよいのは当然。

   * * *

「ERA」第三次8号、「αρχη」15号に目を通す。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第二部「否定弁証法 概念とカテゴリー」5節~8節を読む。
《主体的態度としての弁証法とは、いったん事態のうちに矛盾を経験したら、その矛盾のために、それにあれこれ異論を唱えながら思考することを意味する。もし矛盾が現実のなかにあれば、弁証法はこの現実に対する異論となる。》(177ページ)
 こういう意味の弁証法なら価値がある。
《否定弁証法は、その批判的歩みのなかで、おのれを是正しなければならない。この批判的歩みによって、当初否定弁証法が形式上は自分にとっても最上位の概念であるかのように扱っていた諸概念の意味が変えられる。》(180ページ)
《伝統的思考の誤りは、同一性が思考の目標だと思い込んだことである。同一性の仮象を粉砕する力は、思考自身の力である。……非同一的なものの認識は、まさにこの認識が同一性思考以上に同一化し、かつ別な仕方で同一化するという点においても弁証法的である。この認識が言おうと欲するのは、あるものが何であるかということである。これに反して同一性思考が語るのは、それは何に属するか、何の範例ないし代表であるかということ、したがって、このもの自身とは別なものである。》(182ページ)
 要するに、同一化思考とは自己否定を知らないものであり、なにものか権威的なものに寄り従うものにすぎない。
   *
北爪満喜 (詩と写真)『月光の音』通読。詩は4篇しかないが、写真がなかなかいい。写真と詩のことばが交配する可能性はたしかにある。この試みをもっとやってみたらいいんじゃないかな。
   *
Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部VI章のつづき~終り。Emmaが差押えの強制執行に追いこまれる。
   *
『リルケ全集3 詩集III』の「オルフォイスへのソネット」の註解の第二部7節~8節を読む。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) 第十章「崩壊の原因」の途中まで読む。
《偉大な人間であるような、偉大な君主をいただくという幸福は国民にとってきわめてまれにしか与えられない。》(337ページ)
 ヒトラーの珍しく正当な君主主義批判。戦時中の日本ではこの箇所が邦訳から削除されたのも無理はない。
   *
加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル一括処理(表記統一をふくむ)+印刷+通読、つづける。第一章「革命の死んだ日に歴史が生まれた」の前書きと1節までスミ。

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読み書き日録2017/4/22

きのうから仲間との小旅行のため、この記録をつけることができなかった。というより記録することがほとんどなかった。すでに日も変わったが、とりあえず。

   * * *

『リルケ全集3 詩集III』の「オルフォイスへのソネット」の註解の第二部の4節~6節、読む。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第八章「わが政治活動の初め」の途中~終り。つづけて第九章「ドイツ労働者党」も読む。新興弱小政党ドイツ労働者党員になる。
   *
Gustave Flaubert: Madame Bovary pp.  第III部VI章のつづき。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第二部「否定弁証法 概念とカテゴリー」3節~4節を読む。
《思考は、けっしておのれ自身の法則性に自足していてはならない。思考は自己自身を放棄することなしに、自己自身に反して思考することができる。もし弁証法というものが定義できるとしたら、これはそういう定義の一つとして提案しなければなるまい。》(171ページ)
 これが否定弁証法の定義かもしれない。

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2017年4月20日 (木)

読み書き日録2017/4/20

加藤尚武著作集のファイル処理+通読、はじめる。まずは『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』の「プロローグ」(pp. 7-16)を読む。加藤さんの歯切れのいい哲学をこれからどっぷり読ませてもらうことになる。
   *
葉山美玖詩集『スパイラル』通読。氾濫するセックス描写のかげで〈卵巣の傷んだ腹〉をかかえるひとりの哀しみのおんなが透視される。書くことによってしか抜けられない闇を感じさせる。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第7章「革命」読む。戦争体験から政治家へ。ドイツの戦友の死を悼むことはあっても、他国の死者への想いはまったくない。
   *
『リルケ全集3 詩集III』の「オルフォイスへのソネット」の註解の第二部の2節~3節、読む。
   *
Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部VI章のつづき。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第二部「否定弁証法 概念とカテゴリー」1節~2節、読む。

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2017年4月19日 (水)

読み書き日録2017/4/19

「るなりあ」38号、「かいぶつ句集」93号に目を通す。それぞれ荻悦子、新井高子が書いている。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第6章「戦時宣伝」読む。
《残酷きわまる武器も、それがより迅速な勝利を条件づけるならば、人道的であった。》(257-258ページ)
 この凶暴さはヒトラーの本質だが、広島・長崎への原爆投下も容認し、現在のトランプ=安倍による北朝鮮核攻撃恫喝も許されることになる。まことに狂人の没論、ひとりよがりは危険きわまりない。
《大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。この事実からすべて効果的な宣伝は、重点をうんと制限して、そしてこれをスローガンのように利用し、そのことばによって、目的としたものが最後の一人にまで思いうかべることができるように継続的に行なわれなければならない。》(260ページ)
 この巧まざるユーモアというか、この狂気の男は宣伝の本質を知り抜いていた。
   *
Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部VI章のつづき。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第一部「存在論との関係」のII「存在と実存」10節~14節、読む。これで第一部、読了。
《真理が実際に主観〔主体〕性であり、思想が主観の反復以外のなにものでもないとすれば、思想など無きにひとしいものになろう。》(158ページ)
《実存は、みずからそれへと外化される他なるものを欠いているため、……自分が思想の規準であると布告して、単なるその通達でしかないものに権威主義的に効力を与える。》(158-159ページ)
 徹底した実存(主義)批判だ。
   *
『リルケ全集3 詩集III』で「オルフォイスへのソネット」の註解の第一部26節を読む。これで第一部、終り。さらに第二部の導入~1節。

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2017年4月18日 (火)

読み書き日録2017/4/18

八重洋一郎詩集『日毒』読了。日本という〈毒〉をめぐってややナマなことばで語られるヤマト批判には抑えきれぬ怒りにあふれている。沖縄石垣島から突きつけられたことばの刃。鈴木比佐雄の長すぎる解説はないほうがいい。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第5章「世界大戦」の途中~終り。
《ある世界観〔マルクシズム〕を、権力を用いて打倒しようとするあらゆる試みは、その闘争がある新しい精神的立場〔ナチズム〕のための攻撃という形をとらないかぎり、最後には失敗する。相対立する二種の世界観の戦いにおいてこそ、残酷な力の武器を不屈に、容赦なく用いて、その支持した側に判定をもたらしうるのである。》(250ページ)
 ヒトラーの凶暴性と徹底性が出ている箇所だ。
   *
『リルケ全集3 詩集III』の「オルフォイスへのソネット」の註解の第一部23節~25節を読む。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第一部「存在論との関係」のII「存在と実存」8節~9節を読む。
《もしなんらかのかたちで存在論というものが可能だとすれば、それはアイロニカルな意味で、つまり否定性の精髄としてであろう。いつまでも変わらないもの、純粋な同一性は悪しきものであり、無時間的には神話的宿命である。哲学はその神話的宿命の世俗化として、その奴隷であった。というのも哲学は、ライプニッツとへーゲルの弁神論にいたるまで、巨大な婉曲語法でもって不変なものこそ善だと解釈し直してきたからである。》(131ページ)
 不変性を善と思いこまされてきたのが哲学の歴史だったわけだ。

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読み書き日録2017/4/17

アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第5章「世界大戦」の途中まで読む。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第一部「存在論との関係」のII「存在と実存」7節読む。
《 ……ハイデガーは、いわばカードのいかさま切りをする。自分に対立するもの、つまり存在者的なものなしにやっていけないという存在論の苦境、存在論的原理がその敵対者に依存しているということ、こうした存在論の取り消しえないスキャンダルが存在論の構成分になるのだ。あまり世故にたけていないほかの存在論に対するハイデガーの勝利の原因は、存在者の存在論化にある。》(144ページ)
   *
八重洋一郎詩集『日毒』読みはじめる。〈日毒〉とは日本という毒、毒でしかない日本、という意味である。

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2017年4月16日 (日)

読み書き日録2017/4/16

アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第4章「ミュンヘン」の途中~終り。
《〔土地要求の〕示談が拒否されれば、まさしく拳骨でいかねばならない。》(204ページ)
《国家を形成したりあるいはまた国家を維持するだけの力とは……全体のために個人を犠牲にする能力と意思である》(223ページ)
 こうしたことをまさに実践したのがヒトラーだった。
   *
藤井晴美詩集『下剤の彼方、爆発する幼稚園』通読。統合失調症なのかそうでないのか、患者なのか看護人なのか、妄想を生きているのか演じているのか、詩を書くことがそうした暴走を可能にしてみせる不思議な世界を書くひとだ。
   *
きのう川満信一さんからいただいた「カオスの貌」11号(島尾敏雄生誕百年特集号)の書き下ろし「島尾敏雄の背中」がすばらしい。講演レジュメとあり32ページもあるが一気に読ませる。記録によれば4年ぶりの「カオスの貌」だ。在庫が残って意欲をなくしていたらしい。
   *
Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部VI章のつづき。
   *
『リルケ全集3 詩集III』の「オルフォイスへのソネット」の註解の第一部20節~22節を読む。

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読み書き日録2017/4/15

高良勉さんからもらった「月刊琉球」3月号に目を通す。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第4章「ミュンヘン」の途中まで。ヒトラーの人種主義と自民族中心主義的侵略志向が露骨になり始める。

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2017年4月15日 (土)

読み書き日録2017/4/14

アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第3章「わがヴィーン時代の一般的政治的考察」のつづき~了。ヒトラーの分析力は意外に的確で侮れないことがわかる。日本の政治家でここまで書けるひとは残念ながらきわめて稀だ。
   *
高良留美子詩集『その声はいまも』通読。東日本大震災のさいに防災放送に殉じた女性職員の忘れえぬ声を津波に表象される自然の仮構された思惟のなかに読み込んだタイトル作は確かにいい。戦争体験や昭和天皇の死の前後、母(高良とみ)との葛藤など、個人史的記憶を丹念に掘り起こしている。
   *
「詩的断章」で沖縄詩篇を書きはじめる。とりあえず「沖縄詩篇1」とする。以下は未定稿。

まずは機上のひととなる
ヤマトの人間として
親しいひとたちが待ってくれている
あの歓待の国ウチナー沖縄へ
欲にまみれた身内主義の亡霊からはるかに遠く
権力に犯されようとしている基地の島へ
米兵の妻かもしれない女も乗っている飛行機の中で
ナチの首領が書いた闘争本を読む
侮れない筆力に驚いてもいられない
所詮は悪魔の妄想
まことのなかの嘘

嘘のないひとたちの待つ居酒屋
驚天動地の爆弾発言を用意している元裁判官
もはや居酒屋政治論どころではない
ことばも熱いがこころも熱い
燃えることばが詩に転化する
沖縄にはなぜ詩人が多いのか
散文では追いつかない思想があるのだ
言語の亜熱帯ならぬ亜言語帯の
批評家も詩がきらいじゃない
詩の書けないわたしも
なんだホラホラ詩が書ける
ヤマトの拘束から解放されて
とても自由なわたしです

「戦後が終わると宮古が見える」
と書いた詩人がいたが
行ってみたい宮古は意外と遠い
そこを通り越して石垣島まで
行ってみたことがある
これは秘密だけど
哲学者と女性ムヌカチャーとね
島を一周して驚いた
ちょっと行くだけで気候がくるくる変わる
景色も変わる
それにしてもうわさの石垣ステーキは良かった
石垣ラーメンも
それに何と言ったか戦争博物館
マラリアで多くのひとが死んだが
実際は軍の機密で見殺しにされたのさ
よくある話だ
軍隊は人殺しのシステム
敵も味方もありゃしない
ひとが死んでナンボの世界
裏でほくそ笑む死の商人たち
原発企業もおんなじだ
東芝くたばれ三菱重工ばかやろう日立の偽善者め
そう言えば悪の元凶東電関電
その裏につながるこころ卑しき悪党政治家
ああいやだ おおいやだ
せっかくの詩的気分が台無しだ

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2017年4月13日 (木)

読み書き日録2017/4/13

「現代詩手帖」6月号の「〈孤心〉の軌跡――大岡信さんへの感謝」のゲラのさらなる加筆。~思潮社の藤井さんに返信E-mailで修正ゲラのPDFと修正ファイルを添付で送る。tel入れも。
   *
中國新聞社から8日の文化欄寄稿記事「『中国山地 過疎50年』刊行によせて」掲載紙とどく。

201704131334190001

   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第3章「わがヴィーン時代の一般的政治的考察」のつづき。
《多数はいつも愚鈍の代表であるばかりでなく、ひきょうの代表でもある。百人のバカどもからは実に一人の賢人も生まれないが、同様に百人のひきょうものからは、一つの剛胆な決断もでてこない。》(129ページ)
 ヒトラー的人間はこうして支持者の大衆を見下しているものだ。安倍支持者よ、あなたたちのことですよ。
   *
ジャック・ラング/コラン・ルモワーヌ『ミケランジェロ』の仮ゲラを原書のPDFを確認しながら通読+チェック、つづける。第13章「神の黄昏」スミ。さらに訳者あとがき、年譜一覧表、文献解説。これですべて読了。天野さんに戻す。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第一部「存在論との関係」のII「存在と実存」6節。

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2017年4月12日 (水)

読み書き日録2017/4/12

「NO NUKES Voice」11号に目を通す。
山崎久隆「原子力産業破たんの一歩手前――東芝の巨額損失はどこから生じたか?」は原子力企業東芝のずさんな経営ぶりを暴いた好レポート。原発企業ウエスチングハウス社は軍需部門では米国の軍事予算にありついて黒字だが、商用原子力部門の赤字だけを東芝に押しつけているという事実が暴かれている。先行き見込みのなくなった原発の赤字を引き受け、成長部門の半導体を分社化して不採算部門の原発部門を残すのなら再建はありえないと厳しく指摘している。三大原発企業の三菱、日立も東芝と同じ傾向にあるという。こんな会社は潰したほうがいい。
   *
ジャック・ラング/コラン・ルモワーヌ『ミケランジェロ』の仮ゲラを原書のPDFを確認しながら通読+チェック、つづける。第11章「ひとつの墓碑から別の墓碑へ」スミ。つづけて第12章「最後の憂鬱」もスミ。
   *
思潮社の藤井さんより返信E-mailで「現代詩手帖」6月号の「〈孤心〉の軌跡――大岡信さんへの感謝」のゲラPDFとどく。~印刷して修正と加筆。すこしアキがあるので書き残しを追加。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第3章「わがヴィーン時代の一般的政治的考察」のはじめ~途中まで。

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2017年4月11日 (火)

読み書き日録2017/4/11

ジャック・ラング/コラン・ルモワーヌ『ミケランジェロ』の仮ゲラを原書のPDFを確認しながら通読+チェック、つづける。第10章「システィナ礼拝堂、この死んだ絵」スミ。
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「瑠璃坏」9号、「へにあすま」52号、「グッフォー」67号に目を通す。いずれも毎号送ってくれる同人詩誌。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部VI章のつづき。
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アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第2章「ヴィーンでの修業と苦難の時代」のつづき~終り。
 ヒトラーの反ユダヤ主義への移行が語られている。「理性と感情の格闘」があったと書いているが、ユダヤ人を〈精神的なペスト〉(96ページ)と呼び、新聞や社会民主党などを牛耳っているユダヤ人を調べて憎悪を募らせていくのがわかる。マルクシズムもユダヤの教説とみなし、《わたしは弱々しい世界市民から、熱狂的な反ユダヤ主義者になった。》(105ページ)と書くにいたる。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第一部「存在論との関係」のII「存在と実存」3節~5節を読む。
《ハイデガーの哲学は、へーゲルとふれ合うところがあるにもかかわらず、弁証法を避けているという事実が、この哲学にすでに超越を手に入れているという魅力を与える。そうは言うものの、この哲学がやはり不断に言及している弁証法的反省に対して耐性があるからこそ、それは伝統的論理をやりくりし、述定判断を範例にしながら、弁証法的論理にとっては単なる契機でしかないようなものの堅固さと無制約性という性格をわがものにするのだ。》(133ページ)
 アドルノのハイデガー理解の屈折が感じられるところだ。

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2017年4月10日 (月)

読み書き日録2017/4/10

中国新聞社の荒木さんよりE-mailで先日の原稿「『中国山地 過疎50年』刊行によせて」掲載の紙面PDFを送ってくれる。掲載紙は本日発送の由。
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アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) より。
《自分の責任であるという意識の陰影につきまとわれなくなったときにはじめて、内心の落ちつきとともに、野草の芽を残酷に、断固として刈りとり、雑草を引き抜く外面的な力を持つようになるのだ。》(58ページ)
 ここにヒトラーの本性が現われている。野草の芽、雑草をユダヤ人や社会的弱者と読み替えれば、その本音が出ていることがわかる。そして自己が空洞化した人間は悪を平然とおこなえるようになることもヒトラーは知り抜いていたのだ。
《際限もなく多く「読む」人、一冊一冊、一字一字読む人々をわたしは知っている。けれどもわたしはかれらを「博識」ということはできない。かれらはもちろん多量の「知識」を持っている。だがかれらの頭脳は、自分にとり入れたこの材料を分類したり、整理したりすることを知らない。かれらには、本の中から自分にとって価値あるものと価値なきものを選別する技術が欠け、さらにあるものはいつも頭の中に保持し、あるものはできるなら無視するというように、どんな場合にも無用なやっかい物を引きずっていくことをしないという技術が、欠けている。》(65ページ)
 「読書法」という項目のこの文は、ろくな本も読まなかったと言われている(まともな書名があげられたことがない)ヒトラーごときに言われたくないことである、わたしもそのひとりだろうから。
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ジャック・ラング/コラン・ルモワーヌ『ミケランジェロ』の仮ゲラを原書のPDFを確認しながら通読+チェック、つづける。第9章「未完成の妙味」スミ。
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きのう書いた「現代詩手帖」6月号のための大岡信追悼文「〈孤心〉の軌跡――大岡信さんへの感謝」を読み直し、すこし刈り込みと修正。~思潮社の藤井さんにE-mailで送付。
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Gustave Flaubert: Madame Bovaryの第III部VI章、読みつぐ。EmmaのLe+'onへの愛想づかし。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第一部「存在論との関係」のII「存在と実存」1節~2節を読む。
《ハイデガーの存在は、その対極である精神とほとんど区別しがたいものであり、精神に劣らず抑圧的である。ただ、その原理が透明性にある精神よりも、不透明だというだけのことである。》(122ページ)
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『リルケ全集3 詩集III』で「オルフォイスへのソネット」の註解の第一部17節~19節を読む。

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2017年4月 9日 (日)

読み書き日録2017/4/9

日本の民話別巻4『みちのくの百姓たち』の初校通読、つづける。5話26ページ+附録6ページ。これでこの巻も終わり、全79巻すべて読了。2年半で3万ページほどを読破したことになる。
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アドルフ·ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) 読みはじめる。懸案の書物。第I巻の初版は1925年。
《ドイツ民族は、自分のむすこたちを、共通の国家〔ドイツとオーストリアを指す〕に包括することすらできないかぎり、植民政策の活動への道徳的権利を持ちえない。ドイツ国の領域が、ドイツ人の最後のひとりにいたるまでも収容し、かれらの食糧をもはや確保しえなくなったときにはじめて、自国民の困窮という理由から、国外領土を獲得する道徳的権利が生ずるのである。》(22ページ)
 のっけから自分勝手な理屈をたてて侵略主義を正当化しようとしている。安倍-麻生ラインが飛びつきそうな理屈だ。
 訳注によればヒトラーはこの本で相当な脚色をしているようだ。画家志望としての慢心もかなり異常だから、挫折もそれだけ強いルサンチマンとなったのだろう。
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『リルケ全集3 詩集III』で「オルフォイスへのソネット」の註解の第一部14節~16節を読む。リルケは犬を特別な動物とみなしていたらしい。記憶にないが『マルテの手記』にも出てくるとか。
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Gustave Flaubert: Madame Bovaryの第III部VI章、読みはじめる。EmmaとLe+'onの逢い引きにHomaisの邪魔が入る。
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「現代詩手帖」6月号のための大岡信追悼文をとりあえず書く。4枚ちょっと。タイトルは「〈孤心〉の軌跡――大岡信さんへの感謝」とする予定。

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2017年4月 8日 (土)

読み書き日録2017/4/8

テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第一部「存在論との関係」のI「存在論への欲求」13節~16節を読む。
《復古的な保守主義とファシズムとが、その点ではいつも喜んで共鳴し合う急進的【ラディカル】な現代芸術への嫌悪は、現代芸術がこれまでなおざりにされたものを思い起こさせたり、他律的な構造の理想の疑わしさを、この芸術があるというそれだけのことで明るみに出したりすることからくる。……物象化された意識は、物象化された世界の全体性のうちの一契機である。存在論への欲求は、こうした物象化された意識の形而上学なのである。》(118ページ)
 これがとりあえずの中間的結論だろう。
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日本の民話別巻4『みちのくの百姓たち』の初校通読、つづける。10話41ページ。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部V章、終了。Emmaの破綻の兆しがそろそろ見えてくる。
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桑野隆『20世紀ロシア思想史――宗教・革命・言語』読了。第7章「雪解け時代の新潮流」の途中~第8章「ポストソ連思想」「おわりに」「あとがき」。
 ソルジェニツィンは《欧米の民主主義や科学技術文明を批判する「民族主義的保守派」であった》(206ページ)とされ、サハロフも違和感を抱いていたらしい。「あとがき」で桑野さんも書いているように、《「二〇世紀ロシア思想案内」と呼ぶべき一種の入門書》であるが、広範な情報量で勉強になった。
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「ミて」138号に目を通す。新井高子の方言詩と連載「大船渡ノート」がおもしろい。じつはこのノートを読んで『石川啄木、東北弁の海へ還る』(仮題)の企画を新井さんに伝えて、啄木の歌100首を東北弁(ケセン語)に訳すというプロジェクトを1冊にまとめることになった。異色で画期的なものになると思う。
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『リルケ全集3 詩集III』で「オルフォイスへのソネット」の註解の第一部8節~13節を読む。

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2017年4月 7日 (金)

読み書き日録2017/4/7

「春秋」4月号の島薗進論文によると、明治天皇崩御にさいして朝日新聞などマスコミはじめ、全体主義的動員の体制が内務省などから指示された。当時の愚かな国民の天皇崇拝ぶりを見ていると、批判者を「共謀罪」とやらで取り締まろうとする安倍凶暴内閣の復古政策が非常に危険であることがわかる。独裁体制は着々と築かれようとしている。
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ジャック・ラング/コラン・ルモワーヌ『ミケランジェロ』の仮ゲラを原書のPDFを確認しながら通読+チェック、つづける。第8章「対抗意識・この誠実な競争相手」スミ。
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日本の民話別巻4『みちのくの百姓たち』の初校通読、つづける。pp. 123-158. 6話36ページ。
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桑野隆『20世紀ロシア思想史――宗教・革命・言語』の第7章「雪解け時代の新潮流」の途中まで。

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2017年4月 6日 (木)

読み書き日録2017/4/6

「UP」4月号に目を通す。恒例の「東大教師が新入生にすすめる本」の総特集。人文系が少ないせいか、興味がわかない本を取り上げるひとが多い。教養不足で既読分は9冊にとどまる。ちなみにこの9冊とは、クーン『科学革命の構造』、カミュ『異邦人』、フランクル『夜と霧』、ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』『[新訳・評注]歴史の概念について』、『フランクリン自伝』、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』、ルソー『社会契約論』、井筒俊彦『意識と本質』。このうち未来社本は1冊。
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日本の民話別巻4『みちのくの百姓たち』の初校通読、つづける。pp. 87-122. 6話36ページ。
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桑野隆『20世紀ロシア思想史――宗教・革命・言語』の第6章「ソヴィエト哲学の確立」ののつづき~終り。マール言語学の荒唐無稽とスターリンの評価から一転した否定など、スターリンの独裁時代の絶望的な知的状況が紹介されている。
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鈴木正樹詩集『壊れる感じ』通読。〈手を伸ばせば届くところを/すり抜けたのだけれど/声はかけなかった 振り向くことで/壊れてしまうものがある〉(「夕暮れに」)――ふと買物をする主婦たちのなかの妻に気づいたときの対応らしく、詩集名はそこからきているのか。男女の関係をいろいろなシチュエーションで書いているようだが、テーマ自体がどこか切ない。
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きのう亡くなった大岡信さんについて単発の大岡信論が6本あることを思いだし、書いた順に読み直す。
 最初は現代詩読本『大岡信』(1992年)の「孤独な詩的転換装置――大岡信の詩の原理」9ページ(これはのちに詩論集『隠喩的思考』1993年、に収録)、
 つづいて「國文學」1994年8月号の「他者とのコミュニケーション――大岡信と連詩の問題」6ページ、
「現代詩手帖」1995年5月号の「見ることの廃絶──初期大岡信の詩法」6ページ、
現代詩文庫『続続・大岡信詩集』(1998年)の詩人論「金太郎飴とことばの力」7ページ、
「現代詩手帖」2001年5月号の「大岡信の詩論の今日性」2ページ、
思潮ライブラリー復刊『蕩児の家系――日本現代詩の歩み』(2004年)の解説「危機のクリティック――大岡信の戦後詩史論」14ページ(忘れていたが、これは「現代詩手帖」2003年2月号の大岡信特集のために書かれた同題の評論に大幅な書き換えと追加をおこなったものと注記されている)。
 あらためて大岡信の存在の大きさを思う。

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2017年4月 5日 (水)

読み書き日録2017/4/5

「みすず」4月号に目を通す。大井玄さんのエイズ論はおもしろい。とくに吉原のセックスワーカーの調査結果など、びっくりする。くわしくはここでは書けない。
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ジャック・ラング/コラン・ルモワーヌ『ミケランジェロ』の仮ゲラを原書のPDFを確認しながら通読+チェック、つづける。第7章「『ダビデ』、政治的イコン」スミ。
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日本の民話別巻4『みちのくの百姓たち』の初校通読、つづける。8話43ページ。
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桑野隆『20世紀ロシア思想史――宗教・革命・言語』の第6章「ソヴィエト哲学の確立」の途中まで読む。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部V章のつづき。
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思潮社の藤井さんよりE-mailで大岡信さんが亡くなったとのお知らせ。なんとか快復を願ってはいたが、やはりダメだったのか。生前に大岡論を書きたいとお知らせしていたのに。6月号の追悼特集への原稿依頼。28日までに4枚。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第一部「存在論との関係」のI「存在論への欲求」10節~12節、読む。
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『リルケ全集3 詩集III』の「オルフォイスへのソネット」の註解の第一部5節~7節を読む。

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2017年4月 4日 (火)

読み書き日録2017/4/4

日本の民話別巻4『みちのくの百姓たち』の初校通読、はじめる。いよいよ79冊目で最後の巻。口絵1ページ、pp. 1-4, 12-43. はしがき4ページのほか9話32ページ。
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「図書」4月号に目を通す。柄谷行人の柳田国男論が連載終了。高橋三千綱のガン話はあまり感心しない。
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桑野隆『20世紀ロシア思想史――宗教・革命・言語』第5章「革命思想」読了。
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『リルケ全集3 詩集III』で「オルフォイスへのソネット」の註解の第一部2節~5節を読む。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』第一部「存在論との関係」I「存在論への欲求」7節~9節を読む。

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2017年4月 3日 (月)

読み書き日録2017/4/3

桑野隆『20世紀ロシア思想史――宗教・革命・言語』の第5章「革命思想」のつづき。
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日本の民話別巻1『みちのくの民話』の初校通読、つづける。やまがたの部5話28ページ、スミ。あとがき3ページ。これでこの巻も終了。
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ジャック・ラング/コラン・ルモワーヌ『ミケランジェロ』の仮ゲラを原書のPDFを確認しながら通読+チェック、つづける。第6章「最高傑作の『ピエタ』」を読む。
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「侃侃」27号に目を通す。
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中国新聞の荒木さんよりE-mailで先日渡した原稿「『中国山地 過疎50年』刊行によせて」のゲラのPDFとどく。全体にすこし削られているのは写真を入れるためか。これでいいことにする。~返信E-mailで一部加筆の必要箇所と質問への回答を伝える。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第一部「存在論との関係」I「存在論への欲求」6節、読む。

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2017年4月 2日 (日)

読み書き日録2017/4/2

ジャック・ラング/コラン・ルモワーヌ『ミケランジェロ』の仮ゲラを原書のPDFを確認しながら通読+チェック、つづける。第5章「雪の彫刻」を読む。
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法橋太郎詩集『永遠の塔』通読。装幀とは裏腹に生をみつめる真摯な散文詩集。
〈一度きりの一生を送るのに、われわれは未熟すぎるのかもしれない何かを解かったような気になっていて。〉(「自由の鍵」)
とか
〈常なるものは何ひとつない。思うことでない。思うことでないひとつの状態。幸福を思わず、不幸を思わない状態。そこに到れば、誰もが、真の幸福に安らいでいることができるのだ。〉(「幸福」末尾)
といった達観はおよそ詩的感興をそそらないが、この透徹した境地はだてではない。
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桑野隆『20世紀ロシア思想史――宗教・革命・言語』の第5章「革命思想」の途中まで読む。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部V章のつづきを読む。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第一部「存在論との関係」I「存在論への欲求」1節~5節を読む。
《哲学にあっては、たいていのばあい、真の問いはなんらかの仕方でその答えをふくんでいる。哲学にあっては、科学的研究のばあいのように、まず問いがあって次に答えがくるという前後関係があるわけではない。哲学はその問いを、自分が経験したものに即して、その経験がうまく取り入れられるように形づくらねばならない。その答えは、与えられも作られも生み出されもしない。問いが展開されて透明になると、それが答えになる。》(79ページ)
 この答えには脱帽するしかない。ドゥルーズが言うように、哲学とは問いを提出することである、ということを別のかたちで答えたものだ。
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日本の民話別巻1『みちのくの民話』の初校通読、つづける。みやぎの部7話25ページ。みやぎの部、スミ。さらにふくしまの部5話23ページ、スミ。
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『リルケ全集3 詩集III』の「オルフォイスへのソネット」の註解の序説、第一部1節を読む。

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2017年4月 1日 (土)

読み書き日録2017/4/1

桑野隆『20世紀ロシア思想史――宗教・革命・言語』の第4章「言語思想」のつづき~終り。
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「水の呪文」46号(富沢智個人誌)、「THROUGH THE WIND」36号に目を通す。現代詩文庫版『原田勇男詩集』について渡辺武信さんがわたしの解説をほめてくれているとのこと。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary の第III部V章の途中まで読む。Emmaのふしだらさ。
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日本の民話別巻1『みちのくの民話』の初校通読、つづける。みやぎの部8話37ページ、スミ。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の序論19節~第26節、読む。長い序論、終り。
《プラトンから意味論者にいたるまで、すべての公認の哲学的伝統は表現に対するアレルギーをもっているが、それは、論理学のなかにまでも入りこんで規律のない態度を懲罰してやまない啓蒙全体の傾向、つまり物象化された意識の防御機制に合致している。》(72ページ)
 これは「修辞法【レトリック】」という最終節で言われている。この〈物象化された意識の防御機制〉ということばは、権威として硬直した意識の反動性にたいする批判として有効である。
   *
『リルケ全集3 詩集III』で「オルフォイスへのソネット」全篇、読む。
〈そして地上のものがお前を忘れたら/静かな大地に向かっては 言うがいい 私は流れてゆくと/す早い水の流れに向かっては 言うがいい 私は在【あ】ると〉(第二部末尾)

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