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2017年4月29日 (土)

読み書き日録2017/4/29

テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第二部「否定弁証法 概念とカテゴリー」17節~21節を読む。
《へーゲル弁証法は、事がうまく運ばなくなると詭弁的になる。》(213ページ)
 加藤尚武さんもそんなことを言いそうだ。
《主観と客観は究極の二元性でもなく、その背後に究極の統一が隠れているわけでもない。両者は相互に相手によって構成されているのだが、この構成ゆえに、別々に分離して現われもする。/したがって主観と客観の二元構造を原理として根底に置いてみても、この二元構造は、それが拒否する同一性の原理と同じく、再び全体的なものとなり一元的なものとなるにちがいない。つまり絶対的な二元性は、統一性なのである。》(213-214ページ)
 これじゃ主観と客観は相互に反転して統一性のなかに分離して存在することになる、ということか。
《概念とは、対象が収容されるところの自己意識の統一である。それゆえ対象の客観性ないし概念は、それ自体自己意識の本性以外のなにものでもなく、自我自身以外のいかなる契機ないし規定ももたない。》(へーゲルからの引用、216ページ)
 へーゲルのこのことばはすごいが、意識の泥沼だ。
《主観的契機は客観的契機によっていわば「囲い込まれて」いて、限定的に主観に負担させられたものでありながら、それ自体は客観的なのである。》(221ページ)
 サイの身を守る外皮が同時にそれ自体もって生まれた牢獄であるという例はわかりやすい。
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『リルケ全集3 詩集III』の「オルフォイスへのソネット」の註解の第二部の14節~20節を読む。
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アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第十一章「民族と人種」の初め~途中まで。ヒトラーの独善的アーリア人種優越感がもろに出ている。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部VII章のつづき。
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加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+印刷+通読、つづける。秀丸マクロの改訂も。第三章「マルクス主義における『人間』の問題――シュティルナー評価をめぐって」の1節~3節。

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