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2017年4月27日 (木)

読み書き日録2017/4/27

早寝したら早起きしてしまい(沖縄詩篇2)を一気に書く。未定稿ながら以下に。

沖縄では一篇しか書けなかった
けれど
きょうもオキナワから知らせがとどく
沖縄の中に基地があるのではなく
基地の中にオキナワがある
と鋭く喝破した写真家はもういないが
わたしのなかにもオキナワはある
そう言っていいのか
そこが簡単でないのがオキナワのむずかしいところだ
でもオキナワにはことばがある
ことばを喚起するなにものか
そこを書きたい
書くことによってはじめて
オキナワはわたしのなかに生きる
ヤマトにはもはや存在しないマブイが
わたしのなかに静かな闘志をもたげる
あってはいけない自然破壊
ひとのこころを蹂躙する権力の悪意
こんなことが許されるかという叫びは
どこまでも問いかけてくる
この問いを共有しよう
共有できる相手をこのさびしいヤマトにも
見つけていかなければならない
こういうことを詩で書いて何になる
と反発するだろうところに
ヤマトの貧しさがある
オキナワではことばは生きているが
ヤマトはどうか
わたしのなかのトーキョーは
きょうも曇り空だろう
   *
加藤尚武著作集の『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』のファイル修正+印刷+通読、つづける。第二章「市民社会観の転回――スミスとヘーゲル」のはじめ~4節。
   *
「交野が原」82号を読了。前号のさいにも述べたが、知り合いが多く書いている。冨上芳秀の「極私的詩界紀行」は丹念に詩集評をやっていて感心する。ほぼ同じものを読んでいるが、冨上のほうが好意的である。わたしが読めていないのかもしれないが。
   *
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)I 民族主義的世界観』(角川文庫) の第十章「崩壊の原因」のつづき。この本を読むには辛抱がいる。
   *
Gustave Flaubert: Madame Bovary 第III部VII章のはじめ~途中。差押え後のEmmaの奔走。
   *
「りんごの木」45号、「弘前詩塾」29号に目を通す。後者での藤田晴央の隠喩解釈は常套的で、現代詩における一般的な誤りを踏襲している。
   *
テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』の第二部「否定弁証法 概念とカテゴリー」14節~16節を読む。
《学者馬鹿というやつは、取り扱うべき対象が重大かどうかを考えることをやめてしまい、それについては世間の言うことをそっくりそのまま繰り返すか、あるいは――彼らの言葉を借りれば――「その問題はまだ誰もやっていない」かどうかを、この重大さの基準として選ぶのである。》(207ページ)
 これはニーチェが軽蔑した「学者馬鹿」のことを言い直したもので、強烈だが、たしかにいるよね、こういうのが。誰もやったことのない問題がそのことだけで価値があるわけではない。

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