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2017年3月31日 (金)

読み書き日録2017/3/31

桑野隆『20世紀ロシア思想史――宗教・革命・言語』の第4章「言語思想」の途中まで。ボードアン・ド・クルトネがソシュールに先行して構造主義的言語論を打ち出していた。
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日本の民話別巻1『みちのくの民話』の初校通読、つづける。いわての部5話32ページ、スミ。
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テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』序論15節~第18節、読む。
《理性【ラチオ】というものは、それが思考ではないところのものを忘れ、その所産である抽象物を思考の意に反して実体化するとき、非理性的になる。思考に自足的であれとする命令は、思考に空虚なものたれ、ついには愚昧で野蛮なものたれと申し渡すことになる。》(46ページ)
 アドルノの思弁的原理哲学がもっとも冴えるのはこういうときだ。相対主義にたいしては、《相対主義とは、思想など稼ぎの邪魔になるという俗流唯物論である。》(49ページ)という具合だ。
《思考せずに直観に身を委ねるものは、理性批判において認識の感性的な権原を特徴づけるあの受動的な性質をによって、悪しき肯定になりがちである。》(51ページ)
 これはまさにヘイトスピーチに走るあのバカどもの心性を言い当てている。
《これに反して、すべての思想は潜在的に否定的な運動を誘起する。》(同)
だから権力は思想を怖れるのだ。
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松尾真由美詩集『花章――ディヴェルティメント』読了。
〈異物の襞と襞/素朴ではないまろやかな/層が官能を進ませる/どこかで身体が/閉じて開いて〉(145ページ)
 松尾の詩はつねに官能に開かれている。ことばがつねに隠喩的なのはそのせいかもしれない。そのぶん妄想的でもあるのだが。それとも心の叫びが秘められているのか。
〈かさねてたたんで開いていって/こんなにも涙のない/哀しみもあったのだ〉(175ページ)
と開き直られると、そうでもないのかも。

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