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2017年3月23日 (木)

読み書き日録2017/3/22

またまたきょうも新しいコンピュータのセットアップのトラブルで時間をとられてしまった。どういうわけかテンキーが入力できないことになって、DELLテクニカルサポートと長時間にわたって話をしたが、Microsoftのユーザプロファイルのわけのわからないトラブルが原因らしく、結局、新しいユーザアカウントを作ってそちらのセットアップのためにかなり時間がかかった。とりあえず解決したが、こんどはDVD-ROMが動かず、プリンタドライバの再インストールができない。またあす連絡してみる羽目に。
 そんなわけですべてがあす以降に順送り。

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星野太『崇高の修辞学』の第九章「読むことの破綻――ポール・ド・マンにおける『崇高』と『アイロニー』」の途中まで読む。
《近年の批評の発展は、_¨規範的かつ記述的なかつての修辞学ではなく¨_、修辞的比喩の志向性をめぐる、多かれ少なかれ開かれた問いを提起するものとしての修辞学の可能性を明らかにしている。》(240ページ、ド・マン「時間性の修辞学」からの孫引き)
 まさにその通り! レトリック研究はいまや現代表現論の基軸となるものだ。
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中国新聞の荒木さんより返信E-mailできのう送った原稿の手直しの箇所の依頼。~のち、telあり。手直しをしてほしい部分を聞く。過疎の問題が全国的な問題であることをもうすこし強調することにし、本の企画と進行にかんする部分は縮小することに。~夜、かなり加筆と修正。荒木さんにE-mailで送付。
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中島吉弘『梯明秀の物質哲学』の原稿読み+テキスト修正、つづける。「終章 三木哲学批判と戦時下の抵抗」の第二節の1項までしか進まず。
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仲里効さんよりE-mailで「琉球新報」3月20日~22日号に掲載された「沖縄戦後思想と実践の射程――高橋哲哉氏に答える」上中下のPDFとどく。~データをダウンロードして印刷。読む。
 高橋さんの批判文を読んでいないので確かなことは言えないが、基地引き取り論を、自身の問題として引き受けざるを得なかった沖縄人の内在的視点から「空隙」をもつものとして批判し、《植民地主義と共犯した戦争責任や戦後責任や復帰後責任を潜らない差別解消や平等は虚妄である。》と反論している。これは仲里らしい沖縄思想のラディックスに依拠した視点からの対応だ。

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