« 読書日録2017/3/1 | トップページ | 読書日録2017/3/3 »

2017年3月 2日 (木)

読書日録2017/3/2

T・S・エリオット『文芸批評論』(岩波文庫) の「完全な批評家」を読む。エリオットは保守的だが、さすがだ。
《〔詩を〕「知的活動をもっともすぐれた形で組織したもの」というような言葉が、現代批評の著名な代表者〔エドマンド・ゴスを指す〕によって行なわれた最高の思想表現だとすれば、それこそ近代の批評は堕落しているということになる。》(22ページ)――いまでもときどきいるよな、こんなのが。
《芸術家の批評は批評になるのである。たいていの人は抑圧された創作の欲望を満たそうとしてこっぴどくやられがちだが、芸術家の批評はそんなものではない。》(28ページ)この断言はすごい。
《もとよりアリストテレスは、知性が目立つというだけでなく、その知性が普遍的であった。普遍的な知性とはアリストテレスがその知性を何事にでも応用することができたという意味である。……感覚の分析をすばやく行なって原理や定義に及ぶというようにいつの時代でも知性そのものが働く実例を見るのである。》(31-32ページ)
《だが本当に大事なことがらについては批評家があれこれ強制してはいけない、またよい悪いの判断を下してもいけない。批評家はただ対象を解明するだけでよい。正しい判断は読者が自分でするだろう。》(32ページ)エリオットは短い断言で本質的なことを言っている。
《本当に鑑賞力のある精神のなかでは、知覚したものは塊りとなって積みかさなるのではなく、組織となって形をととのえるのである。批評とはこの組織の言葉で書いたもので、それは感受性の展開なのである。》(36ページ)その通りだ。
《批評と創作という感受性の二つの方向はたがいに相補うものである。現在ではこの感受性が稀になって一般にいきわたっていない。それでかえって望ましいものになっているから、批評家と創作家とはなるべく多く同一の人であることを期待しなければならない。》(37ページ)このエッセイには珠玉のことばが並んでいる。
   *
『鮎川信夫全集IV 評論III』の再読つづける。エリオットがらみのエッセイ3篇を読む。鮎川へのエリオットの影響は感じ方から考え方まで強いことをあらためて確認。エリオットを〈極端にインパーソナルな詩人〉と呼んでいる。
   *
「兆」173号に目を通す。なぜか同人各人の代表詩選特集。小松弘愛、林嗣夫、清岳こう、などの個性派がそろっている。

|

« 読書日録2017/3/1 | トップページ | 読書日録2017/3/3 »

読書日録」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1007862/69779644

この記事へのトラックバック一覧です: 読書日録2017/3/2:

« 読書日録2017/3/1 | トップページ | 読書日録2017/3/3 »