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2017年2月

2017年2月28日 (火)

読書日録2017/2/28

ジョルジョ・アガンベン[上村忠男訳]『哲学とはなにか』の「序文を書くことについて」「付録 詩歌女神の至芸――音楽と政治」を読む。
《哲学の言葉が序文的なものであるということは、それが序文のあとにやってくる哲学的ディスクールへと送付するということを意味しているのではなく、言語活動の本性そのものにかかわっている。……哲学とはもっと哲学的な別のディスクールへの序文ではなく、いわば言語活動そのものおよびその脆弱さへの序文のことなのだ。……哲学的ディスクールは言語活動に反対して言い表わしえないものの肩をもとうとする神秘的ディスクールではない。哲学というのは非哲学的ディスクールに序文としてふるまわせてその不十分さを明らかにしてみせようとするディスクールにほかならないのである。》(168-169ページ)
 ここで言葉の「脆弱さ」とはプラトンの「第七書簡」に見られる表現。この書簡のことは知らなかった。読んでみたい。
《言葉の起源はムーサ的に――すなわち音楽的に――規定されている。そして語る主体――詩人――は事あるごとにみずからの始まりが問題的なものであることに決着をつけなければならない。》(178ページ)
 たしかに詩人の書くことの始まりはいつも問題的であり、あらねばならない。ここでムーサとはミューズのこと。
《自分自身を動かし、自分自身に霊感を与えるかぎりで、哲学的狂気は(……)いわば狂気の狂気である。みずからの狂気ないし霊感を対象とし、ひいてはムーサ的始原の場所そのものに到達する狂気なのだ。》(189ページ)
っp長い訳者あとがきを読んで読了。。
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「地上十センチ」14号を読む。和田まさ子個人詩誌。信頼できる数少ない詩誌だ。
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『リルケ全集3 詩集III』の「ドゥイノの悲歌」の第四の悲歌第二節の註解。どうも解釈が通り一遍で、読むのが苦痛になってくる。10ページが限界だ。

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読書日録2017/2/27

ジョルジョ・アガンベン[上村忠男訳]『哲学とはなにか』の「言い表しうるものとイデアについて」を読了。プラトンのイデア(エイドスとも)とは、可感的な事物と同名異義的関係にあるが、それは先行的にそういうものとして名づけられ、ついで事後的に「前方参照【アナフォラ】的代名詞それ自体をつうじて言語のなかで言語によって再取得すること」(117ページ)とされる。このアガンベンのイデア論は徹底的に言語論的であり、こう解釈すると、イデアがたんなる抽象ではなく、言語運動的なダイナミズムをもつように思えてくる。これは卓見であると言っていいのではないか。
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「タルタ」40号に目を通す。堅実な詩誌で季刊を守って10年になったという。最初から読ませてもらってきたが、魅力的な詩風をもつベテランの女性詩人が多い。
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『鮎川信夫全集IV 評論III』の再読つづける。海外詩人論。「地獄の発見」で「現代の地獄である『荒地』」とエリオットの『荒地』を評している。

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2017年2月26日 (日)

2―2 鮎川信夫という方法:〈内面〉という倫理(4)

 鮎川信夫がポール・ヴァレリーとともに、あるいはそれ以上に高く評価していたのが周知のようにT・S・エリオットをはじめとする英米文学系の詩人たちである。それは鮎川が早稲田大学英米文学科の出身だということもあり、原語で親近しうる唯一の詩人たちだったせいもあろうし、「新領土」や「文芸汎論」などに結集したモダニズムの詩人たちがせっせと紹介していて予備知識もあったせいもあろうが、なによりも当時の軍国主義の風潮が蔓延した荒廃した世相を第一次世界大戦後のイギリスの詩人たちの時代批判と重ねあわせてみると時代診断がしやすかったように思えたからだろう。
 鮎川が戦争直前にかかわった同人誌に中桐雅夫らとの「LUNA」があるが、もうひとつ同時進行的に始めたのが第一次「荒地」である。これは「早稲田第一高等学院の文学仲間であった竹内幹郎、山川俶夫、藤川清らが首謀者であり、同級の十数人の参加が予定されていた」(「詩的青春が遺したもの II私の誕生」、『鮎川信夫全集VII 自伝、随筆』二〇八頁)というものであって、鮎川はすでにその年(一九三八年)の三月から「新領土」にも入っていたから、「作品を発表する場に事欠かなかったので、新しく同人誌を始めることは、よけいな責任を押しつけられるだけのような気がして、はじめのうちはそれほど乗気になれなかった」(同前、二〇九頁)と正直に書いている。結局、自然のなりゆきで参加することになっていくのだが、やはり発行人を引き受けさせられてしまう。しかしこの同人誌につけられようとした最初の誌名は「廿世紀」というモダニズムふうのものだった。メンバー構成上「どの顔をみてもモダニズムとは縁遠く」感じていた鮎川は、たまたま遊びにきた竹内幹郎と相談した結果、最初の会合で名前が出たが無視された「荒地」はどうだろうということになって、「要は雑誌が出さえすればいいので、誌名などにそれほど拘わる者はいなかった」(同前、二一〇頁)ので勝手に変更した、というものである。しかもその誌名の提案者は鮎川ではなく、国文科の同人が提案したものであり、「言われてみると、『荒地』だったら象徴的な誌名であるし、どうにでも解釈できるうえ、不毛に終るかもしれない私たちの文学的前途を暗示していて恰好のものであるように思えてきた」(同前)といった程度の認識であった。そして不毛に終わったとまでは言わないが、この第一次「荒地」は戦争の影響もあり二年間で七冊出して終わった。
 こうしたいきさつからわかることは、戦前の鮎川が「荒地」という誌名を思いつくほどにはこの名前にこだわったわけではないということであり、もちろん誌名にちなんで巻頭の扉にでもエリオットの『荒地』から毎号、何行かずつでも掲載していけば、「自ら同人誌としての特色が出てくるだろう」(同前)ぐらいにしか考えていなかったことである。もっとも別のところでは、この誌名が決まったとき、《私はただちにエリオットのThe Waste Landを連想し、直観的にそれを私たちの精神的風土と結びつけようとした》(「T・S・エリオット」、『鮎川信夫全集IV 評論III』三三〇頁)とも書いているから、鮎川におけるエリオットの位置はすでにある程度は確立していたとみるべきだろう。戦後、むかしの仲間とあらためて同人誌を起こすときにこの誌名が再登場するにあたっては、その間の各自の戦争体験からくる認識の深化が、この誌名に大きな意味あいをもたせようとしたことは間違いない。そこには鮎川を中心としてエリオットとその詩集『荒地』への関心が戦後いっそう強まったことを示していよう。
 鮎川信夫は「現代詩との出合い」という文章(一九六八年刊行の『わが愛する詩』に発表、執筆時は不明、『鮎川信夫全集II 評論I』に収録)のなかでこんなことを書いている。

《エリオットは、およそ詩人が与えうる最大の影響ともいうべきものを、私に与えた詩人である。特にその詩が好きで熱中したとか、彼の思想に深く共鳴したとか、というのではない。……ただ、近代文明全体にたいする強烈なヴィジョンを、そのネガティヴなイメジを通して受けとったのであった。/それは、知的な認識とは言えない。しかし、感性的なものであるだけに、深く心の土壌にしみ込んでしまったように思われる。詩が一種の(感性的な)認識の具として、近代文明全体に対抗してゆけるという、漠然たる信念を抱くに至ったのは、エリオットの詩を読んだことからである。》(『鮎川信夫全集II 評論I』三四五頁)

 ここには鮎川におけるT・S・エリオットの与えた影響の大きさとその意味が率直に述べられている。戦後直後の荒廃した日本のなかでエリオットの『荒地』の描きだす荒廃のイメージがピッタリと符合したというのはこれまでも言われてきた通りであるが、鮎川にとってはそれがさまざまな近代的で「感性的」なイメージをともなったものでもあったことが重要なのだった。
《われわれのやらなければならないことは、近代をのりこえてゆくこと――絶対的に近代的であること――であって、近代からあとずさりすることではない。自分にとって、近代的であるということは、世界と接触を失わないということでなければならないと思った。私にとって、詩はそのための唯一の窓だったのである。》(同前、三五一頁)と鮎川は同じ文章の末尾で書いている。鮎川信夫における詩の絶対性(特権的意識)はときにいささか過剰に思われるが、「絶対的に近代的であること」、近代を乗り越えていくためにはみずからは詩を「唯一の窓」として、近代性をけっして手放さないという姿勢が鮎川にとっては必須であったことがここでは告げられている。
 ところでアルチュール・ランボーの『地獄の季節』の一篇「別れ」のなかにあるキーワードで〈絶対的に近代(現代)的でなければならない〉という一行があるが、鮎川のことばははたしてこのランボーの詩句をふまえているのか、不明である。おそらく鮎川はマラルメと同様、ランボーもあまり読んでいなかったと思われるから、周辺の誰かから教えられた可能性は十分あるが、そうでなければ奇妙な符合ではある。もっともフランス語の "moderne" は「近代」とも「現代」とも解釈(翻訳)可能なので、ランボーは当時としての「現代的」のつもりでそう書いたはずである。鮎川はそういうことは知らずにランボーをまねて〈近代的〉と書いたのかもしれない。
 それでは鮎川にとって戦後のなかで〈近代〉とはどういう意味をもっていたのだろう。鮎川が中心になって担っていった〈戦後詩〉における近代性とは何だったのか。それを問うのがつぎの課題である。

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読書日録2017/2/26

ジョルジョ・アガンベン[上村忠男訳]『哲学とはなにか』の.「言い表しうるものとイデアについて」を読みつぐ。アガンベンはマラルメの「詩の危機」の有名な一節「わたしが『花』と言う。すると……」をとりあげて、「近代の詩人たちのうちで最もプラトン的な詩人」であると規定している。的確だと思う。これは鮎川信夫論のなかでマラルメについて触れた箇所に取り込む必要がある。
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鮎川信夫論の「2 鮎川信夫という方法」の「2─2 〈内面〉という倫理」の3節に加筆。さらにきのう書いた4節にも加筆すこし。~ココログの「思考のポイエーシス」ページの「鮎川信夫論」カテゴリーで「2─2 鮎川信夫という方法:〈内面〉という倫理(3)」として修正分をアップ。さらに「2─2 鮎川信夫という方法:〈内面〉という倫理(4)」をアップ。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary 4ページ分。EmmaとLe+'onの再会後の親密さが増していく。
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『鮎川信夫全集IV 評論III』の再読はじめる。まずは「『燼灰』のなかから――T・E・ヒュームの精神」。

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2017年2月25日 (土)

読書日録2017/2/25

峯澤典子詩集『あのとき冬の子どもたち』通読。なにか傷心のパリその他への旅の詩と読める。
〈冬を越せないいきものを/あっけなく野に放つように/携帯電話の通話履歴をすべて消した〉(「パリ、16時55分着」)
〈追いつめられ/血や心を抜かれるとしても/ほかに行き場がない/人間もいるということも〉(「サイレン」)
〈生きている理由を/もう増やさないために/ホテルを出て/旅をつなげた〉(「滞在」)
――とてもヘビーだが、後半はいくらかそこから脱出しかけた癒やしと断念の空気が感じられる。H氏賞もとっている力のあるひとだと思うが、こういう詩を書かなければならない個人的な必然があったのだろう。傷ましいことだが、これも詩の効用のひとつである。
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ジョルジョ・アガンベン[上村忠男訳]『哲学とはなにか』の「言い表しうるものとイデアについて」を読みつぐ。アガンベンはどうやらプラトン的イデア主義者であるようだ。ギリシア語が頻出するので理解がむずかしいが。
《イデアの問題を〈普遍的な問題〉と同一視したことが、アリストテレスに始まって、古代末期の註解者たち、さらにはスコラ哲学にいたるまでのイデア理論の受容史とそこにおける誤解の特徴をなしてきた》(90ページ)
《まさに「イデア」という言語的表現の分析から出発してこそ、アリストテレスの解釈の不適切さを明らかにすることが可能となる。と同時に、プラトンの理論のより正確な理解にむけて接近していくことが可能となる。》(93ページ)
《しかしながら、前方参照【アナフォラ】化された語を同定することはとても簡単などころではない。》(99ページ)とあるように、〈イデア〉の理論と理解は論理的には循環するようだ。つまり前提として設定された命名をあとで再帰的に定義として取り込むということか。
 だが、アガンベンはこの循環をつぎのように超越する。
《プラトンは直接的なものからではなく、すでに言語活動のうちにある存在から出発しているのであり、そこからつぎには弁証法的に、言語活動をつうじて、事柄それ自体へとさかのぼっていこうとしているのである。》(100ページ)
 これは「円」というものを定義するのに「円-といわれているもの」をもってするということだ。循環からのうまい脱出法だ。
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『リルケ全集3 詩集III』の「ドゥイノの悲歌」の第三の悲歌のつづきとその註解、スミ。この悲歌はフロイト的な精神分析にかなうところがあると解釈する研究者がいるらしい。やっぱりね。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary 第3部のI、読みはじめる。
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鮎川信夫論の「2 鮎川信夫という方法」の「2─2 〈内面〉という倫理」の4節目を書く。とりあえず6枚半ほど。この項もこれで終了か。

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2017年2月24日 (金)

読書日録2017/2/24

「アブ」19号に目を通す。松原敏夫個人詩誌。〈沖縄的詩学を画策する〉というだけあって、果敢な島クトゥバ(ことば)の詩とエッセイなどを書いている。わたしも行きつけの「レキオス」で倉橋健一などと交流した話も出てくる。
   *
ジョルジョ・アガンベン[上村忠男訳]『哲学とはなにか』の「要請の概念について」読了。〈要請〉とはわかりにくいテーマだ。
《神とは物体が生起するということであり、物体に印を刻みこんで質料化するという要請のことなのだ。》(58ページ)
 つづいて「言い表しうるものとイデアについて」を読みはじめる。テーマからも量から見ても本書の肝と思われる論文。
《言い表わしえないものを言語活動のなかで絶滅させることは言い表わしうるものを哲学的な課題として陳述することと一致する。だから、言い表わしうるものは、言い表わしえないもののように、けっして言語活動の前や後に生じることはありえない。言い表わしうるものは言語活動といっしょに生じるのであり、しかしまた、言語活動には還元されることがないままにとどまっているのである。》(64ページ)
 この場合、ヴィトゲンシュタインのたとえば次のようなテーゼとどうかかわることになるのだろう。
《思考できぬものを、思考することはできない。かくして、思考できぬものを、_¨語る¨_こともまたできない。》(『論理哲学論考』5・61)そして例の《語りえぬものについては、沈黙しなければならない。》(同、7)
 見たところ、先のほうでもヴィトゲンシュタインについての言及はないようだ。
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『リルケ全集3 詩集III』読みつぐ。「ドゥイノの悲歌」の第二の悲歌のつづき~第三の悲歌とその註解の途中まで。第三の悲歌はリルケのエロスが喚起的だが、註解の解釈は微温的だと思う。たとえば〈ああ なんという得体の知れないものを滴らせながら その頭をもたげ〉という行など、スペルマとペニスを指しているのは明らかではないだろうか。

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2017年2月23日 (木)

読書日録2017/2/23

《西洋の知の建築物は、究極的には、奪い去られた音声、音声を文字に転写することを基礎として建築されている。これこそは、西洋の知の脆弱な、しかしまた強靱な創建神話にほかならない。》(ジョルジョ・アガンベン[上村忠男訳]『哲学とはなにか』42ページ)
《哲学はつねにその組成からして詩の/という哲学なのであり、詩はつねにもともと哲学の/という詩なのである。》(同47ページ)――ちょっとわかりやすすぎないか。
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「詩遊」53号に目を通す。冨上芳秀主宰誌。最初から送ってもらって読んできたが、最近は女性詩人に語りのおもしろいひとが集まってきた。《一方的であっても、詩誌を送り続ける限り、私にとっては縁のある人である》と冨上は書いているが、わたしもそうなのだろうな。
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『リルケ全集3 詩集III』で「ドゥイノの悲歌」の第二の悲歌とその註解のつづき。

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読書日録2017/2/22

もう夜中を過ぎてしまった。でもまだきょうのうち。

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「孔雀船」89号に目を通す。望月苑巳がまだ頑張っている。「眠れぬ夜の百歌仙夢語り」を愛読している。家族ネタと自虐ネタを交えながらも、かれの和歌の知識はなかなかのもの。昨年の山口眞理子出版記念会のことにふれて最近は出版記念会が少なくなったと書いているが、たしかにそうかも。ずっとこの雑誌を送ってもらっているが、ゲストに呼ばれたことは一度しかない(冗談です)。
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《言葉は音声の「分節化」をつうじて生み出される。そして「分節化」とは音声のなかに文字【グランマタ】が記入されるということ以外のなにものでもない、文字には音声の象徴であると同時に要素【ストイケイア】であるという特権的な身分が属している……》(ジョルジョ・アガンベン[上村忠男訳]『哲学とはなにか』33ページ)というアリストテレスの定義が西洋形而上学の基礎となった。アガンベンによれば、デリダが『グラマトロジー』でおこなった形而上学批判は「アリストテレスの不十分な読解にもとづいている」(35ページ)とされる。形而上学はグラマトロジーだからである、と。
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『リルケ全集3 詩集III』の「ドゥイノの悲歌」第二の悲歌とその註解のつづき。

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2017年2月21日 (火)

読書日録2017/20/21

「季刊 びーぐる 詩の海へ」34号を読了。細見和之がイツハク・カツェネルソンの童話をヘブライ語から訳出しはじめる。細見さん、頑張るなあ。
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ジョルジョ・アガンベン[上村忠男訳]『哲学とはなにか』読みはじめる。最近2年間でこのテーマで書いた論文4本ほかを集めたもの。
《理解しがたいものというのはもっぱらホモ・サピエンスの獲得物であり、言い表わしえないものというのは人間の言語活動にだけ属するカテゴリーである……人間の言葉は、それが言葉とは関係のないものとして想定しているなにものかとすでにつねに関係しているのだ。》(6-7ページ)これは言語の先験性について言っている。
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『リルケ全集3 詩集III』で「ドゥイノの悲歌」第二の悲歌とその註解の始め。読みはじめたら眠くなって寝てしまった。

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2017年2月20日 (月)

読書日録2017/2/20

岩波書店から桑野隆さんの新著『20世紀ロシア思想史――宗教・革命・言語』が届きました。「1冊でわかる20世紀ロシア人文知のすべて!」とオビが踊っている。
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日本の民話74『近江の民話』の初校通読、つづける。わらべ唄18ページ。この巻も責了に。
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マッシモ・カッチャーリ[上村忠男訳]『抑止する力――政治神学論』読了。「訳者解題――カテコーン再考」で《「抑止している者」と「不法の者」とは明瞭に区別された二つの姿態ではなく、最終的な啓示の前と後とにおける同一の権力の二つのありようを指し示していると言ってもよさそうである》と訳者は書いているが、その通りだと思う。抑止する者(カテコーン)は主の顕現のさいには滅ぶ者であるかぎりにおいて、不法者、反キリストと見分けがつかなくなってしまうからである。
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『リルケ全集3 詩集III』の「第一の悲歌」の註解、読了。まさにexplication de textそのもの。富士川英郎による註解は懇切丁寧だが、ややまだるっこしい。
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「季刊 びーぐる 詩の海へ」34号(特集:再発見 黒瀬勝巳)を読みはじめる。高階杞一が推進役だけあって詩風が似ている。36歳で妻子を残して自死したらしい詩人の生というものは辛い。そういうひとの〈軽いニヒリズム〉とはありうるのか。

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2017年2月19日 (日)

読書日録2017/2/19

きのう書いた鮎川信夫論を読みなおし、かなりの修正と加筆。15枚半になる。~「思考のポイエーシス」ページで「2─2 鮎川信夫という方法:〈内面〉という倫理(3)」としてアップ。→http://bit.ly/2lj07qK
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『リルケ全集3 詩集III』をようやく読みはじめる。富士川英郎の長い註解つき。昔ふうのテクスト講読。8ポはさすがに読みづらい。「ドゥイノの悲歌」第一の悲歌とその長い註解。
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日本の民話74『近江の民話』の初校通読、つづける。湖西の部8話31ページ。湖西の部、スミ。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary 第二部、読了。
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マッシモ・カッチャーリ[上村忠男訳]『抑止する力――政治神学論』原典資料の分、読了。反キリストが最終的に出現するまで抑止する者として存在するカテコーンについての解釈集。

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2―2 鮎川信夫という方法:〈内面〉という倫理(3)

 この〈書くことの絶対性〉というべき鮎川信夫の詩の規定性にたいしては、どうしてもフランス象徴主義詩人ステファヌ・マラルメを対比的に想起しないわけにはいかない。鮎川はマラルメをどう読んでいたのか。わたしには鮎川がマラルメについてきちんとした理解をしていたとは思えない。たとえば「現代詩とは何か」の「I 詩人の条件」で鮎川は書いている――

《僕は近代詩の過去から現れた一つの固定した概念、ポオやボードレールから、マラルメ、ヴァレリイに至る象徴主義の詩人によってつくられた詩の概念を、まず現代に生きるわれわれのために否定したいと考えている。……サンボリスムがわれわれの世代にまで及ぼした過大な影響が、われわれの現在を、未来を搾めることを懸念するからであり、またサンボリスム以降第一次大戦後のダダやシュルレアリスムによって暗示を受けている一般の詩に対する偏った考え方を除きたいと思うからである。》(『鮎川信夫全集II 評論I』五四頁)

 このあとにつづく文章で鮎川がポール・ヴァレリーを〈サンボリスムの事実上の完成者〉と呼んでその純粋詩の概念を批判していることからもうかがえるように、鮎川はサンボリスムについてある意味では過剰に評価し、ある意味ではまるで理解していないように思える。過剰に評価しているというのは、サンボリスムのエコールとしての運動をその後のダダ、シュールレアリスムにつながる系譜の源流としてとらえている点であり、日本ではそれが戦前のモダニズムとして現われたと見ていることである。〈芸術至上主義的なサンボリスム〉(同前)という鮎川のことばにあるように、サンボリスムの一面をしか鮎川は見ていない。そこだけに限定すれば、そして芸術至上主義を言語至上主義と置き換えて考えるならば、その後の二十世紀におけるあらゆる知的局面での言語論的転回のうえでサンボリスム的な言語至上主義が大きな影響を与えたことは否定できないから、そのかぎりにおいてダダやシュールレアリスムを経て現代の構造主義的言語理論まで系譜づけることは可能である。ロマン主義からの言語論的切断という意味でなら、サンボリスムの現代的影響力の大きさという評価自体は間違いではない。
 もうひとつのより大きな問題は、鮎川がヴァレリーを通じてしかマラルメを理解していないだろうということである。たしかにヴァレリーは戦前から戦後にかけて〈二十世紀最大の知性〉としてエリオットなどとともに大きな存在感を示していたのであって、鮎川がそのようにヴァレリーを見ていただろうことは時代的な必然として考えられる。しかし、ヴァレリーはそもそもマラルメ晩期の有力な弟子であるとはいえ、サンボリスムを代表する詩人ではなく、むしろその影響を受けた詩人のひとりであるにすぎないし、マラルメの代弁者でもない。〈純粋詩〉といったヴァレリーの理念はサンボリスムや、ましてマラルメが考えていた詩の概念からは相当に逸脱したものである。それに戦後直後の鮎川にとって、翻訳がほとんど出ていなかったマラルメの作品や散文を読むことは、不可能だったはずである。フランス語としても超破格なマラルメの思考を、フランス語を読めない鮎川が読むことはありえなかったし、おそらく理解することもむずかしかっただろう。だからマラルメについての言及はあっても、具体的な論評がなにひとつなされていないのは当然なのである。サンボリスムの事後のスポークスマンにすぎないヴァレリーをとおしてマラルメを見ているかぎり、マラルメの本質的な理解などありえない。
 鮎川は「ヴァレリーについて」という一九四七年に書かれた文章で〈純粋詩〉を「あまりにも芸術的な一限界概念」(『鮎川信夫全集IV 評論III』二九六頁)と規定したうえで、こんなことを書いている。

《われわれは生そのものに固執せざるを得ず、純粋詩の観念は、われわれにとってあまりに芸術的に過ぎるのである。われわれの自己証明の場は、_¨観念の有償性¨_のうちにあるので、「何のために」われわれが作品を書くのか、という問いに対する答えを不断に求めてゆかなければならないところにある。/ヴァレリーの流動的思想が_¨詩の無償性¨_にかかわるところで、われわれは逆に有償性を求めねばならぬのであり、詩作という特権的状態を利用して、生の方向を、生の中心を、_¨言葉の全的な意味¨_のうちに把握しようとしなければならないのである。/従ってわれわれは詩に於いて言葉の意味を放棄することは出来ないし、伝達の戦略についても無関心であることは出来ない。》(同前、二九七頁、傍点は筆者)

 ここではいくつもの間違った理解を前提にしているにせよ、当時の鮎川の意図する詩については明確な方向性が与えられている。〈純粋詩〉の無償性に対置された〈観念(詩)の有償性〉という概念に〈書くことの絶対性〉を結びつけることで、かろうじてこの先験性を救出しているとも言えるだろう。しかし、この〈観念(詩)の有償性〉とはそもそも何だろうか。これ自体もじつはかなりあやしい観念にすぎないのではないか。「言葉の全的な意味」がどうして有償性と結びつくのかいっこうに判然としない。意味を重視している姿勢はわかるが、鮎川信夫の詩論にはこうした曖昧さがしばしばつきまとう。さきに引用した「現代詩とは何か」のすこしあとのところで鮎川は書いている。――

《素朴に言ってわれわれの日常生活は、詩よりも詩でないもののうちに多く生きているように見える。しかし、われわれがわれわれ自身を見出すのは、あくまで言葉の上に於てである。「詩という概念が成立するのは、詩と詩でないものとの境界に於てである。詩と詩でないものとの間に生きている人間にとって、彼を詩に駆り立てるものはむしろ詩でないものである」という意見は、われわれが詩を書く立場をよく示している。われわれを詩に駆り立てるものは、詩そのものの空虚な美的価値の世界にあるのではなく、詩でないもの、つまりわれわれが生きている現実の生活の中にあるのだ。》(『鮎川信夫全集II 評論I』五五頁)

 文中の引用は黒田三郎の「詩の難解さについて」からのものであり、この時期の鮎川は黒田のこうした日常生活べったりの通俗的視点に妥協した詩的理解を共有しており、のちの「Xへの献辞」につながる「荒地」グループとしての共同性のうえで詩の書法を模索していた。いわば黒田三郎に引きずられるかたちで非詩的な生活次元を詩的言語構築の絶対性(特権性)と結びつけることは、あまりにも飛躍がありすぎるのだが、鮎川は、詩と詩でないものとの断絶のなかでも「しかし、われわれがわれわれ自身を見出すのは、あくまで言葉の上に於てである」として、この断絶を詩を書くことの次元においてなんとか逆転的に回収するのである。そこには黒田にはない〈書くことの絶対性〉という、より上位の観念が存在しているからであろうか。黒田なら、たとえばこんなことを書いてしまうのだ。――《むしろ、糊口のために悪戦苦闘せよ。かくしてのみ、詩人の胸から新しい詩が育つであろう。糊口の煩わしさを悲鳴をあげ現実の暴状に背をむけて、溺れる者が藁をつかむように、伝統の影に逃げ込もうとすることの怯懦さを、敢えて指摘しなければならぬ。詩人がそこに卑屈にも逃げ込む安価なる花園として、詩を考えることは、我々の誇りを傷けるものである。》(「詩人の運命」『現代詩論大系1』四七頁)
 鮎川には、いかなる時代、いかなる局面においても、みずからの詩人としての矜持を保持しようとする性向が強かったから、黒田のようにずぶずぶの日常性への頽落には耐えがたいものがあっただろう。誤解していたとはいえ、ヴァレリーのような当時のヨーロッパの代表的知性の思想を知ることで、詩を書くことが日常次元を超えた、ことばという独自の次元をもつものであって、その上でしか現実や非現実は対象化しえないということを誰よりもよくわかっていたのである。書くことが内面化された経験を対象化することであって、そこに書くことの最低限の倫理があることを知っていたかぎりにおいて、鮎川の詩は現実をなぞろうとするものではなく、未知の世界をことばによって探り出していく試みであったわけであるから、鮎川の詩がその詩論を裏切ることがあったとしても、なんら驚くにはあたらない。(大岡信は「戦後詩人論――鮎川信夫ノート」のなかで《鮎川氏の詩はその詩論とは全く別個に論じうるし、またそうあるべきだ……何故なら鮎川氏の詩論が今みてきたように、少くともぼくには矛盾を多く含んでいると考えられる以上、この詩論を詩に関連させて考察することはかえって逆効果になると思われるからだ。》[『鮎川信夫全集VI 時評II』月報]と指摘しており、この観点は重要であるが、鮎川の詩が複雑な内面をかかえていたことを考えれば、詩論そのものが矛盾をかかえていたことは否定できない。)

    *

 ところで、〈書くことの絶対性〉とは言っても、鮎川の認識はしかしながらみずからの生の根源から発していたようには見えないところがある。あくまで詩という観念が先験的に存在し、それをいわば推進力として詩の世界へ打って出たといったところが真相に近いのではないか。鮎川の詩的出発がモダニズムであったことを想起すればよい。それでも鮎川において詩を書く主体はいつでも担保されている。その意味では、同じ絶対性をめざし、詩を書くことにみずからの実存をかけていたマラルメとは根本的に異なる場所に生きた詩人というしかない。

《純粋な著作のなかでは語り手としての詩人は消え失せて、語に主導権を渡さなければならない。……語と語はたがいの反映によって輝き出す。それが従来の抒情的息吹のなかに感じられた個人の息づかいや、文章をひきずる作者の熱意などにとってかわるのである。》(ステファヌ・マラルメ「詩の危機」、南條彰宏訳、世界文學大系43『マラルメ/ヴェルレエヌ/ランボオ』五二ページ)
《詩句とは幾つかの単語から作った呪文のような、国語のなかにそれまで存在しなかった新しい一つの語である。すでに存在する語は、それに焼きを入れ直して、意味を響きに近づけたり響きを意味に近づけたりするような人工的操作を加えても、やはり偶然性を含んでいるものだが、詩句はその偶然性を力強いひと息で否定する。》(同前、五三ページ)

 マラルメにおいては〈書くことの絶対性〉という以上に、詩人をつうじてことば(語)が主導権を握るべく、ことばの自律性が絶対的に作動するのであり、詩人はそのためにことばの力が発現する場所を提供するのである。いまふうに言えば、詩人はメディウムとなって初めて詩人となる。ロマン派の希求するような〈インスピレーション〉とは異なって、言語の生理に深く分け入ることによって初めて獲得される境地なのである。それはけっして容易なことではなく、骨身を削る長期にわたる忍耐と苦悩を必要とすることになる。親しい友人に宛てた初期マラルメの書簡はその努力の痕跡をよく伝えている。

《君に誓って言うが、ぼくには何時間もの探究に値しなかった語はひとつもないし、最初のアイデアをまとう最初の語が、さらには詩の一般的_¨効果¨_におのずから向かおうとする語は最後の語を準備することにもなる。/不協和音も装飾音もなく、崇拝すべきもので、心を解放する_¨産み出された効果¨_――それがぼくの求めているものです。》(一八六四年一月、アンリ・カザリス宛て、Ste+'phane Mallarme+': Correspondance 1962-1971, p. 103、傍点は原文イタリック)
《一枚の白紙の恐怖、それはあまりに長いこと夢みられた詩句を要求しているようだ。》
《ぼくは怖ろしい一年を過ごしたばかりだ。わが「思考」は思考され、純粋なひとつの「概念」に到達した。その結果、この長い苦悶のあいだにわが存在が苦しんだすべてのものは語りえないが。しかし幸いなことにぼくは完全に死に、わが「精神」が冒険することのできたもっとも不純な領域は「永遠」ということになる。わが「精神」、わが固有の「純粋さ」の習慣となったこの孤独、それを「時」の反映さえもはや暗くすることはできない。》
《君に教えておくが、ぼくはいまや非人称のものになり、もはや君のよく知るステファヌではない、――しかし霊的な「宇宙」は、ぼくであったものをとおして自分を見、自分を発展させる、ひとつの能力〔aptitude〕なのだ。》
《ぼくは、確信をもって語ることができるために「無」へのかなり長い下降をおこなった。そこには「美」しかなく、それは完璧な表現、「詩」しかもたない。》(一八六七年五月十四日、カザリス宛て、ibid., pp. 240-242)

 ことばと〈美〉の絶対の探求者であるマラルメと鮎川信夫を同列に置くわけにはいかない。マラルメには言語の哲学があるが、鮎川にはそこまでの透徹した思考の痕跡は見られないからだ。たとえばジョルジョ・アガンベンは『哲学とはなにか』のなかで、マラルメの「詩の危機」のなかの有名な一節――《わたしが花と言う。するとわたしの声がそのいかなる輪郭も追放してしまう忘却の外に、よく知られた萼以外のなにものかとして音楽的に立ちのぼるのが観念そのもの、あらゆる花束の不在である甘美な観念なのだ。》("Crise de vers", OEvres comple`tes, Bibliothe`que de la Ple+'iade, p. 368、拙訳) ――をとりあげ、「近代の詩人たちのうちで最もプラトン的な詩人」マラルメの「根拠ある詩的直観」(一一二ページ)を称賛している。
 とはいえマラルメと鮎川信夫は、詩を書くことを絶対化した詩人であるというかぎりにおいて、思いの深さと方向性はちがっても、詩を書くことをぎりぎりまで哲学的に深めるという挑戦を共有しうる可能性の地平はどこかで開かれたかもしれないのだが、残念ながら戦後直後の日本の知的状況において鮎川がその方向へみずからの思考を深めてゆく可能性はやはり皆無だったと言わざるをえない。

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2017年2月18日 (土)

読書日録2017/2/18

最近はわたしの得意とする(?)分散的読書方式がやや集中的読書方式になってしまっている。さまざまな種類の本を同時多発的に読むという方法が時間がとれなくなってきているせいか、どうしても当面必要な仕事や事情のある本を優先してしまわざるをえず、余裕をもって古典を読む時間がないのである。これではある時期の状態に戻ってしまい、読むべき本がたんに先送りされてしまうだけなのである。ご興味のある方は、わたしが以前、反省をこめて書いた[出版文化再生]ブログの「69 古典を読む悦び」をごらんください。→http://bit.ly/2lU0g71

   * * *

マッシモ・カッチャーリ[上村忠男訳]『抑止する力――政治神学論』の原典資料のなかのパウロの偽作とされる「テサロニケ人への手紙」のポイントは以下の通り。――《そしていま、不法の者の出現を抑止しているものがあることはあなたがたも知っているとおりであるが、その者は到来すべき時がやってくれば到来するだろう。じっさいにも、不法の秘密はすでに働いているのだが、それはいまのところ、抑止している者が抑止している。が、それも、厳密に言えば、その抑止している者が取り除かれるまでのことである。そのときには不法の者が出現するだろうが、主イエスはご自分の口から吐く息でもってその者を打ち倒し、来臨の栄耀でもってその者を無力にしてしまわれる。不法の者の到来は、サタンの働きによって生じる。……》(二・七―二・一〇)資料はこの文面の解釈と註解をピックアップしたもので政治神学というものを知るうえで参考になる。
   *
赤木祐子詩集『チランジア』通読。後半は呪詛のようなことばが並ぶが、年齢のわりには若々しいことばが随処に出てくるのが、おもしろい。
〈終わりに目を凝らすと/えげつないくらい/生きたくなってきました〉(「最終回」)
〈あなたたちの感性で/わたしを見ないで〉(「ぬるい雫」)
〈属している世界の住民であるあなたたちがつまらないせいで/私のせいじゃないよといつも弁解していたっけ〉(「海面の後悔」)
〈明日から歩行のリハビリだ/また違和を味わうのだ 一歩ごとに/踏まれ続けて今度こそ致命傷になるまで〉(「遠い石 近い石」)
〈初めて愛もやってきて/わたしという廃墟に口づけをする/思いあがった王子のように〉(「幸福な廃墟」)
もうこのへんでいいだろう。やっぱりことばに年輪を感じさせるか。断片が鋭いので、これからはもっと全体の構成力を磨くことが必要だ。
   *
「ミて」137号に目を通す。新井高子の方言詩が笑わせてくれる。石川啄木の短歌を東北弁(ケセン語)に翻訳するという試みを記録しているが、これもおもしろい。それにしても誌名の「ミて」とはどういう意味なんだろう。いちど聞いてみなくちゃ。
   *
日本の民話74『近江の民話』の初校通読、つづける。湖北の部4話12ページ。湖北の部、スミ。つづいて湖西の部6話24ページ。
   *
鮎川信夫論の「2 鮎川信夫という方法」の「2─2 〈内面〉という倫理」の3節目を書く。とりあえず14枚ほど。

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2017年2月17日 (金)

読書日録2017/2/17

Twitterで本についていろいろ書いていたことが意外に役に立つことが多いのがわかってきた。先日もJeffrey Anglesさんの詩集『わたしの日付変更線』の感想を書いたのが本人の目に止まって交流ができた。この「読書日録」でもそうした本にかんする読書記録をまとめておくと便利なようだ。

   * * *

「Shinado」24号、「Griffon」39号に目を通す。いずれも若くはないひとたちが頑張っている。巨悪政治への批判意識も旺盛だ。
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日本の民話74『近江の民話』の初校通読、つづける。湖北の部9話41ページ。
   *
マッシモ・カッチャーリ[上村忠男訳]『抑止する力――政治神学論』第十章、スミ。これで本文は終り。あとは付録の原典資料。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary 第二部第XV章、読みはじめる。

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2017年2月16日 (木)

読書日録2017/2/16

うっかり読書日録をつけはじめたことをしゃべってしまった。妙なことをやっていると思われてしまってもしかたないかも。

   * * *

日本の民話74『近江の民話』の初校通読、つづける。湖北の部10話34ページ。
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マッシモ・カッチャーリ[上村忠男訳]『抑止する力――政治神学論』第九章「大審問官」読む。ドストエフスキーの〈大審問官〉について「迷いから覚めたカテコーン」と指摘しているが、そう言われればよくわかる。最後に屍臭を漂わせて死んでいるところなど、最後に滅亡するカテコーンそのものだ。《「完成された」カテコーンというのは、とりもなおさず、消えてなくなっていくカテコーン、カテコーンであることを終えてしまうカテコーンにほかならない。……要するに、大審問官とは終末【エスカトン】の無意識な形象なのだ。終末【エスカトン】を遅らせ、それの遅延を作動させることのできる形象ではなく、みずからの無力さを仮面で覆い隠し、カテコーン的エネルギーがすでに使い尽くされて消耗してしまったことをみずからの発する言葉自体が示しているにもかかわらず、そのエネルギーをなおも所有しているものと思いこんでいる、_¨遅れた¨_形象でしかないのである。》(135ページ)
   *
「森羅」2号を通読。といっても粕谷栄市、池井昌樹の二人誌、しかも手書き限定版。この時間錯誤の方法はインパクトがある。
   *
「pied」17号に目を通す。海東セラ個人誌。ゲストもいるが、海東の詩「たてまし」のエッシャーふうナンセンスがおもしろい。才能の伸びを感じさせる。
   *
マラルメ "Correspondance 1962-1971" からの抜き書き(つづき)。《一枚の白紙の恐怖、それはあまりに長いこと夢みられた詩句を要求しているようだ。》《ぼくは怖ろしい一年を過ごしたばかりだ。わが「思考」は思考され、純粋なひとつの「概念」に到達した。その結果、この長い苦悶のあいだにわが存在が苦しんだすべてのものは語りえないが。しかし幸いなことにぼくは完全に死に、わが「精神」が冒険することのできたもっとも不純な領域は「永遠」ということになる。わが「精神」、わが固有の「純粋さ」の習慣となったこの孤独、それを「時」の反映さえもはや暗くすることはできない。》《君に教えておくが、ぼくはいまや非人称のものになり、もはや君のよく知るステファヌではない、――しかし霊的な「宇宙」は、ぼくであったものをとおして自分を見、自分を発展させる、ひとつの能力〔aptitude〕なのだ。》《ぼくは、確信をもって語ることができるために「無」へのかなり長い下降をおこなった。そこには「美」しかなく、それは完璧な表現、「詩」しかもたない。》(1867.5.14 アンリ・カザリス宛て)
《ぼくはただ感覚のみによって「宇宙」の「観念」に到達した。(それはたとえば、純粋な「無」という消しがたい知を保護するために、ぼくは自分の脳髄に絶対的空虚の感覚を課さなければならなかったほどのものだ。)》(1867.9.24 ヴィリエ=ド=リラダン宛て)
《ぼくはと言えば、この二年のあいだ「夢」をその観念的な裸形において見るという罪を犯した。一方では、ぼくは夢と自分とのあいだで音楽と忘却の神秘を積み上げなければならなかった。そしていまや純粋な作品という畏るべきヴィジョンに到達した。ぼくは理性ともっとも親しいことばの意味をほとんど喪失した。》(1868.4.20 フランソワ・コペー宛て)
《実際、ぼくがいるのは特異な位相だ。わが思考は「宇宙」の充実によって占められ、引き伸ばされ、本来の機能を失なった。ぼくは、書くというただひとつの行為に原因をもつとても不安な兆候を感じた。ヒステリーがぼくのことばを乱しはじめたのだ。》(1869.2.4 カザリス宛て)
 とりあえずここでマラルメ書簡集からの抜き書きは終える。やはり1860年代前半から半ばすぎ、つまり詩人が20歳代前半のときに主として親友アンリ・カザリスに宛てた手紙はすごい。骨身を削る思考の過程がたどれるという意味で、これほどリアルな思考の痕跡をとどめた書簡はそうざらにない。

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2017年2月15日 (水)

読書日録2017/2/15

この記録をつけるのもどうしても夜から夜中になってしまう。昼間は仕事中心だし、ひと区切りつくのが遅くなりがちだからだ。

   * * *

『Hiromi Nagakura長倉洋海写真集』のテキスト部分(キャプション、エッセイ、奥付、等)を通読。訂正箇所を見つけて天野さんに戻す。
   *
日本の民話74『近江の民話』の初校通読、つづける。pp. 115-150. 湖東の部6話21ページ。湖東の部、スミ。つづいて湖北の部3話12ページ。
   *
「季刊 未来」春号の深井智朗「一五一七年から二〇一七年へ なぜ宗教改革五百年を祝うのか」の仮ゲラ、通読。図版の指定も。連載1回目。あす深井さんに渡す予定。
   *
マッシモ・カッチャーリ[上村忠男訳]『抑止する力――政治神学論』の第七章、第八章、読む。
   *
井坂洋子詩集『七月のひと房』通読。なぜか安心して読めるなかにやはり井坂さんらしい切れ味鋭い行が立ち並ぶ。どれでもいいが、たとえば「戸口」という詩の後半。〈ある夜明け/戸口に立って迎え入れてくれる老女のことばに/全身でふりむいて/耳を切りおとす//彼女は何も聞くまいとする/うす目をあけて/誰かが与えてくれた甕の水をのみながら/その仄白いのどぼとけが/彼女とは無関係に/ゆっくり自律的に動く〉など、観察眼の細かさと場面設定のあざやかさは健在だ。〈店の熱帯魚を目で追っているつもりが/水槽に映った自分の顔を/ぼんやり見ている/……映る顔を/すみずみまで自分だと/まごうことなく 此処にいると/思えたことがない〉(「水のなかの小さな生物」)などというのはどうだろう。すこしことばの毒が抜けて内省的になりすぎていないか。よけいなお世話かもしれないが、同じ年だけに気になる。
   *
マラルメ "Correspondance 1962-1971" からの抜き書き(つづき)。《ごめんよ。ぼくが発明しいまも実践しているある処方で終わらせてくれ。「書いているものの始まりと終りをいつもカットすること。イントロもフィナーレもなしだ。」》(1864.4.25 アンリ・カザリス宛て)
《紙をまえにして、芸術家は_¨みずからを立ち上げる¨_》(1865.2 ウージェーヌ・ルフェビュール宛て)
《ひとことで言えば、ぼくの作品の主題は「美」であり、その明らかな主題は、「美」へ赴くための口実でしかない。それは、思うに「詩」ということばだ。》(1865.12.31 ヴィリエ=ド=リラダン宛て)
《ぼくは昨晩、わが「詩」をその裸形で見直してかなりしあわせでした。》(1866.1.3 テオドール・オーバネル宛て)
《君に言おう、ぼくはこの一か月来、「美学」のもっとも純粋な氷河にいて、――「虚無」を見つけたあとでぼくは「美」を見つけたわけだ――そして、君はどんな明晰な高度のなかをぼくが冒険しているかを想像することもできない、ということを。》(1866.7 カザリス宛て)
《ぼくについて言えば、この夏はこれまでの生涯よりも仕事をしたよ。全生涯のために仕事をしたと言うこともできる。ぼくはすばらしい作品の基礎づけをした。すべて人間はある「秘密」をみずからのうちにもっている。その多くはそれを見出されないうちに死んでしまう。それは死んだがゆえに見出さないだろうし、もはや存在しないだろう。》(1866.7.16 オーバネル宛て)
《われわれがとくに狙いを定めなければならないこと、それは詩のなかで、語――すでにもはや外部の印象を受け取らないほど十分にそれ自身である語――が_¨互いの上で反映しあい、結果としてそれぞれの色合いをもはやもたず音階上の転移にすぎなくなる¨_、ということだ。それらの語のあいだには空間もなく。そしてそれらが驚異に触れるとはいえ、ぼくがしばしば思うのは、_¨あなたの語が、宝石類のモザイクのようにそれらの固有の生をあまりにわずかすぎるほどしか生きていない¨_ことなのである。》(1866.12.5 フランソワ・コペー宛て)

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2017年2月14日 (火)

読書日録2017/2/14

「UP」2月号に目を通す。
   *
日本の民話74『近江の民話』の初校通読、つづける。湖東の部14話52ページ。
   *
冨上芳秀詩集『恥ずかしい建築』通読。長年の詩友だが、今回は行変え詩で、見開きで読めてしまう短いものがほとんど。おどろおどろしい散文詩にくらべるといくらか解放感があるが、ことばの連想ゲーム的なところも多く、ややマンネリ。東京の女を書いた「筋肉の夏」というのが、新しい方向性を感じさせる。方法的にパタン化しないようにしてもらいたい。
   *
テーオドル・W・アドルノ『ミニマ・モラリア――傷ついた生活裡の省察』ようやく読了。文明批評的アフォリズム集。おもしろいものもあるが、総じて退屈な本。訳者やハーバーマスが言うほどではないかな。ニーチェと比較すれば、おもしろさがちがう。アメリカ生活を余儀なくされたアドルノがアメリカ的生活にいかになじめなかったがよくわかる。
《(弁証法は)何かと言えば逆ねじを食わせて、相手をねじ伏せることがその原理になっていたのである。したがって弁証法が真であるか否かは方法自体の問題ではなく、歴史過程に棹さすその志向性の問題であった。》(388ページ)とはソフィスト以来の《相手を言い負かす手段である弁証法は、当初から権力にありつくための手段、内容のいかんにかかわらず強弁する表面的な技法でもあった》(387ページ)とも述べている。アドルノの好きなことばのはずだが。
最後のことば――《思想は、可能性のためには、自身の不可能性さえもしかるべく理解していなければならない。そのために思想に課せられる要求の大きさに比べるなら、救済が現実性をもっているか否かなどという問題はむしろ取るに足らないのである。》(392ページ)ここにアドルノの矜持をみたい。
   *
マラルメ: “Correspondance 1962-1971” からの抜き書き。《ひとは生まれつき奇妙なもので、ずっとそうでなければならない》(1862.5.2 アンリ・カザリス宛て)
《君に書かないのは、この何日かインクとペンがぼくには異常に嫌なものになってしまったからなのだ。わけがわからない。/事実はこうだ。この半月ほど、ぼくはいたるところを狂ったように走りまわっていて、ソファに身を投げ夢を見るためにだけ戻ってくるぼくの部屋が怖いのだ。》(1862.8.4-5 カザリス宛て)
《彼 ❲エマニュエル=デ=ゼサール❳ はあまりに「理想」と「現実」を混同している。現代詩人の愚かなところは〈「行動」が夢の姉妹ではない〉ことに落胆するところまでいってしまったことだ。》(1863.6.3 カザリス宛て)
《君に誓って言うが、ぼくには何時間もの探究に値しなかった語はひとつもないし、最初のアイデアをまとう最初の語が、さらには詩の一般的_¨効果¨_におのずから向かおうとする語は最後の語を準備することにもなる。/不協和音も装飾音もなく、崇拝すべきもので、心を解放する_¨産み出された効果¨_――それがぼくの求めているものです。》(1864.1 カザリス宛て)

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読書日録2017/2/13

マッシモ・カッチャーリ[上村忠男訳]『抑止する力――政治神学論』第五章、第六章を読む。とくに第六章「教会とカテコーン」はこの本の肝になる部分ではないか。章のはじめに「カテコーンの問題の核心」(75ページ)とある。
《教会は傷ついた人間本性にかんしてカテコーンであり、その傷ついた人間本性が惑わしの餌食になるのを抑止する。また政治的主権にかんしてもカテコーンであり、その主権にたいして、その主権を超越したところにある諸目的の_¨代表者¨_でもあることを承認するよう強要しようとこころみる。……教会は終末の時間のカテコーンなのであり、教会がみずからに託されていると証言している回心の仕事が終了するまでその時間が持続するよう祈るのである。》(91ページ)
《それを延期してくれるよう人々が哀願しているまさにその瞬間に<G>最後の審判</G>を告知しなければならない者は、最後のカテコーンである。が、その者は<G>最後の審判</G>と共通の運命を分かちもっている。》(96-97ページ)
 難解だが、カテコーン=抑止する(権)力とはアポカリプスにおいてぎりぎりまで神権的ないし世俗的権力をもって人間を心的ないし社会的に統治=支配するものであり、しかし最後には主の顕現において消滅する運命にあるものということか。
   *
『マラルメ/ヴェルレエヌ/ランボオ』(世界文學大系43) でマラルメの詩論再読。
《詩の世界では、たとえどこの国の言葉であろうとも、言葉で言えないものなどは、存在しません。》(「音楽と文芸」)

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2017年2月12日 (日)

2―2 鮎川信夫という方法:〈内面〉という倫理(2)

 戦時中の国家権力との熾烈な内面的闘争を経てきた鮎川信夫にとっては、なによりも〈書く〉ことはみずからの存在を自己証明していくうえでの必要不可欠な作業であった。ましてや鮎川ら「荒地」の詩人たちは戦後においても高等遊民的な生き方をしていたから、書くことがほとんどかれらにとって唯一のレゾン・デートルであったと言っても過言ではない。たとえば、一九四七年に出された「荒地」の創刊号で鮎川はこんなふうに書いている。

《現代に於て詩を書くことが如何に困難であるかについては多言を要しない。しかも我々が詩を書いているということ、――そこにはどうしても言葉に対するある信頼がなければならぬ。》(「暗い構図――『囚人』に関するノート」、『鮎川信夫全集II 評論I』一三頁)

 この同じ文章のなかで、鮎川は〈詩という特権的な認識手段〉(同前、二一頁)というようなことばを書きつけているし、この文章のすぐあとに発表された「詩人の出発」という文章でもこの問題を敷衍している。

《荒地の中に生きているということは、直に外的世界の影響によって、現代の病的徴候をそのままに受継ぎ、頽廃し、倦怠し、無批判的になることを意味しはしない。否、むしろ現代を荒地として意識することによって、却って批判的になり、厳格な客観的基準と宗教的詩的価値の絶対性の必要が痛感されるのである。詩作過程を指して特権的行為とし、其処に一つの意義を認めるのは、それが我々の精神にとって必要であるばかりではなく、さらに我々の経験に秩序を与え、我々の感情の訓練としても役立ち得るからである。》(同前、二六頁)

 詩を書くことへの信頼、詩を書くことのこの「宗教的」とまでいう「絶対性」の顕彰は、すでに明らかにしてきたとおり、戦前から戦中にかけての国家権力との闘いのなかでおのずから身につけてきた思想的抵抗の最後の砦だったにちがいない。これ以上退くに退けない実存の唯一の拠点としてあったのが、この詩を書くことの絶対性だった。いまの時代のように生きることの根拠が拡散し、生きるための方法ならいくらもあるような時代からみると、いささか大仰な感じを否めない鮎川のこの〈詩という特権的な認識手段〉という認識こそ、時代を超えてあらためてその内実を問うことがいまの問題ではないかと思う。すなわち詩とは何か、そこに特権的な可能性はほんとうにあるのか、という問題を普遍的に問い直すことが鮎川を真に継承する意味なのではないか、ということである。そんなもの、あるわけないじゃないか、という白けきった現在の詩人たちの姿勢こそも問われなおすべきであろう。

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読書日録2017/2/12

「読書日録」とは「読み書き日録」と読まれたし。書いたことも入れているので。

   *

鮎川信夫論の第二部「2 鮎川信夫という方法」の「2─2 〈内面〉という倫理」のつづきを読みなおし、若干の修正と加筆。これは寝ながらQuo Tab PXでテキストエディタJota+を使ってできるのが画期的だ。~ココログの「思考のポイエーシス」ページの「鮎川信夫論」カテゴリーで「鮎川信夫という方法:〈内面〉という倫理(2)」としてアップ。
   *
マッシモ・カッチャーリ[上村忠男訳]『抑止する力――政治神学論』第4章、読む。
   *
《新奇なものを礼拝し、モダニズムの理念を掲げるのは、何一つ新しいものをもたらさない現実に反逆するためである。》(テーオドル・W・アドルノ『ミニマ・モラリア――傷ついた生活裡の省察』372ページ)これは日本の戦前戦中のモダニズムにぴったり一致する。
   *
日本の民話71『近江の民話』の初校通読、はじめる。pp. 1-6, 15-60. まえがき6ページ。湖南の部11話44ページ。湖南の部、スミ。
   *
『マラルメ/ヴェルレエヌ/ランボオ』(世界文學大系43) でマラルメの詩論再読。まずは「詩の危機」から。つづいて「自叙伝 ヴェルレーヌ宛の手紙」「リヒャルト·ワーグナー あるフランスの詩人の夢想」。
《人間の言語は、種類が二つ以上あるという点で不完全である。つまり、最高絶対の言語というものは存在しない。》
《純粋な著作のなかでは語り手としての詩人は消え失せて、語に主導権を渡さなければならない。……語と語はたがいの反映によって輝き出す。それが従来の抒情的息吹のなかに感じられた個人の息づかいや、文章をひきずる作者の熱意などにとってかわるのである。》
《書かれている国語は違っても聖書は一つしかないように、世の中には元来、ただ一冊の「書物」だけしか実在せず、その掟が世界を支配しているのではないか。作品と作品との間の違いは、正しい本文を指し示すために、文明時代、文学の時代の長い間にわたって提出された版本の違いのようなものである。》マラルメの書物論の原型。
《詩句とは幾つかの単語から作った呪文のような、国語のなかにそれまで存在しなかった新しい一つの語である。すでに存在する語は、それに焼きを入れ直して、意味を響きに近づけたり響きを意味に近づけたりするような人工的操作を加えても、やはり偶然性を含んでいるものだが、詩句はその偶然性を力強いひと息で否定する。》(以上、「詩の危機」より)

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2017年2月11日 (土)

読書日録2017/2/11

《自由詩がジャンルの独自性を発揮するのは韻律詩の枠組みを破って出て来たときであり、詩人の主観がその枠組みに安住できなくなったときである。》(テーオドル・W・アドルノ『ミニマ・モラリア――傷ついた生活裡の省察』348ページ)これはドイツのゲオルゲなどを念頭においたことばだが、日本の詩においても言えることである。既成の枠組みに収まっているかぎり、自由詩=韻律や型から解放された詩の存在理由はない。
   *
Gustave Flaubert: Madame Bovary pp. 244-246. 第二部XIV章、終わり。CharlesがRouenで野暮ったさ丸出しになる。
   *
「アリゼ」176号に目を通す。主宰者の以倉絋平が伊藤桂一追悼文のなかで、マッカーサー回想録のなかのことばを紹介している。《一つの国、一つの国民が終戦時の日本人ほど徹底的に屈服したことは、歴史の上に前例をみない。》と書いていたらしい。これほど侮蔑的なことばはないが、昭和天皇などにその典型を見たのだろう。いまのトランプに蛇のようにすり寄る安倍晋三もそっくりではないか。ああ恥ずかしいし情けない。
   *
マッシモ・カッチャーリ[上村忠男訳]『抑止する力――政治神学論』の第3章「エポックとアエウム」では、アエウム(=永劫)とエポック(個別の時代性)の関係を論じ、時の権力がアエウムに成り代わろうとする傾性があることを指摘している。
   *
鮎川信夫論の第二部「2 鮎川信夫という方法」の「2─2 〈内面〉という倫理」のつづきを書く。前節の読み直しと加筆も少々。マラルメについて書くべきところで中断。4枚弱。マラルメの "Correspondance 1862-1871" を引っ張り出していろいろ拾い読む。このなかの重要な断片部分を訳してみようかな。筑摩版全集はあるけど。

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2017年2月10日 (金)

読書日録2017/2/10

なんだかいろんなひとに見られてしまって恥ずかしくなってきた。

   * * *

マッシモ・カッチャーリ[上村忠男訳]『抑止する力――政治神学論』読みはじめる。「不敬虔な霊の最終的な勝利を阻止/抑止/制止しているものないし者」としての〈カテコーン〉という力の「歴史的、政治的、神学的重要性」を論じようとするもの。なんだかむずかしい。
   *
日本の民話73『若狭・越前の民話 第二集』の初校通読、つづける。pp. 192-243. 嶺北地方の部15話46ページ+わらべうた6ページ。この巻も読了。

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2017年2月 9日 (木)

読書日録2017/2/9

なかなか本を読む時間がとれない。きょうも経理仕事に追われて校正もこれからだ。

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「図書」2月号に目を通す。いまの「図書」での読みどころは柄谷行人の柳田國男論、若松英輔の『こころ』論ぐらいか。
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ジェフリー・アングルス詩集『わたしの日付変更線』通読。〈四十四歳で初めて会った母に〉という献辞をもつこの詩集は、長い間のこだわりから解放された充実感に溢れている。日本語への関心から日本文学の訳者、紹介者としての位置へ、そしてそこから日本語詩の詩人としてみごとに変貌していく姿がこの詩集に刻印されている。〈見えないことは/いないことと/同じではない/いないからこそ/見る、感じるものがある〉(「境界」) ーー読むほどに表現者としての成長を遂げているのがわかる。存在を知らなかった母や妹たちとの、日本語と英語の、日本とアメリカとの、境界を緊張感をもって生き抜いてきたことに感銘を受けた。〈境界の詩人〉と呼んでみたい。
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《幸福は不経済であるために時代おくれになった。なぜなら幸福のイデーである両性の交合はリラックスした状態の反映であり、無理強いされた労働が呪わしい緊張状態であるとすれば、至福の緊張状態だからである。》(テーオドル・W・アドルノ『ミニマ・モラリア――傷ついた生活裡の省察』342ページ)

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2017年2月 8日 (水)

読書日録2017/2/8

日本の民話73『若狭・越前の民話 第二集』の初校通読、つづける。pp. 157-191. 嶺北地方の部14話35ページ。きょうはこれまで。
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「水の呪文」45号に目を通す。「榛名団」終刊後の復刊で富沢智の個人誌。群馬県榛東村の現代詩資料館まほろばの主宰者。2年前に当地でわたしの講演会を開いてくれた。
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「現代詩手帖」2月号、読みつぐ。ボブ・ディラン特集の部分を読む。それぞれにディランへの思いを語っているが、そこまでディランの文学性を評価する必要があるのか疑問だ。ノーベル賞なんて政治的なものでしかない。
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『北川透 現代詩論集成2――戦後詩論 変容する多面体』で谷川雁、黒田喜夫についての最後の論を読む。それぞれに屈折した批判だが、黒田にたいしては追悼的文章でやや穏便だ。これで残るは既読本からのものばかり。

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2017年2月 7日 (火)

読書日録2017/2/7

「現代詩手帖」2月号、読みはじめる。今号はボブ・ディラン特集。特集以外のところはだいたい読む。
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『北川透 現代詩論集成2――戦後詩論 変容する多面体』で辻井喬論2本、読む。最近つまらない辻井論が出ているが、さすがに北川の論は辻井にこびずに勘所をつかんでいる。むかし八ヶ岳の辻井さんの別荘でふた夏つづけて若手座談会に参加したことを思い出す。その後、この記録は「現代詩手帖」の別冊かなにかになったが、辻井さんも途中から顔を出して参加してくれた。その後、お会いしたときに「あのときはおもしろかったね」と声をかけてくれた。柔軟なひとだった。
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『北川透 現代詩論集成2――戦後詩論 変容する多面体』で、つづけて御庄博実論を読む。原爆被爆したひとたちの救護にあたった医師として献身的な活動で知られたひとだが、代々木病院で共産党から除名処分を受けて追い出されようとした結核患者の黒田喜夫を主治医として擁護した筋金入りの医者でもあり、さらに60年安保のさいに権力によって虐殺された樺美智子を検死して、それが女子学生の腹部を警棒で突くという悪質な機動隊上司の指示による腹部破裂による死であったことを怒りをもって糾弾した正義のひとでもあった。晩年に寄贈していただいた詩集『燕の歌』に感銘を受け、本を出させてもらいたいと思ったが、そのときには亡くなられたあとだった。

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2017年2月 6日 (月)

読書日録2017/2/6

「みすず」1/2月号に目を通す。恒例の読書アンケート特集だが、岡崎宏樹というひとがおととしのジャック・デリダ『赦すこと――赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの』を挙げているだけでガッカリ。『信と知』とか『反原子力の自然哲学』とか『人類の薄明――表現主義のドキュメント』など、取り上げられるべき本はあるのにどうもこの特集とは相性が悪いようだ。
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日本の民話73『若狭・越前の民話 第二集』の初校通読、つづける。pp. 121-156. 嶺北地方の部12話34ページ。
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『北川透 現代詩論集成2――戦後詩論 変容する多面体』で岡井隆論3本(短評ふくむ)を読む。岡井が宮内庁御用係を引き受けたことにはどうしても異和感があり、北川もそれを許容していることにも異和感がある。あとは辻井喬論だが、ここで眠くなった。

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2017年2月 5日 (日)

2─2 鮎川信夫という方法:〈内面〉という倫理(1)

 前節で鮎川信夫における内部(内面)と外部(社会)という分節のありかたをみたが、こうした単純な二元論が本来的に成り立つものかどうかはともかく、鮎川においてはそうした分節が信じられていたことは疑えない。それは戦前から戦中にかけての度しがたい軍国主義的国家主義体制と、擬似的なものとはいえヨーロッパ近代的知性をブッキッシュに習得し身につけつつあった若き知性とのあいだのいかんともしがたい断層をいやがうえにも認識しなければならなかった鮎川たちの世代にとっては、みずからを守っていくうえでの絶対条件だったかもしれない。
 実際、荒地同人の中桐雅夫から、中桐が神戸から上京した直後に、身近な詩人たちが官憲によって身柄を拘束されるという「神戸詩人事件」について鮎川は情報を得ている。それは一部に共産党にかかわりの深い詩人が編集に関与した「神戸詩人」という機関誌を発行していた神戸詩人クラブのメンバー十四名が、一九四〇年三月三日朝、特高によって一挙に検挙され二年近くにわたって拘禁された事件であり、その多くは転向書を余儀なく書かされ、その後の沈黙に追いやられた。中桐も神戸からの上京がちょっとでも遅れれば、このメンバーのひとりとして検挙されたかもしれないという、かなり危うい立場だった。その事件は、戦前、戦中においては共産主義、社会主義を問わず、非国家主義的と目された文学者や詩人はもちろん、知識人全般にたいして特高警察が圧倒的な〈外部〉として権力的な思想統制をおこなっていたという一例にすぎない。鮎川はこの事件について次のようにまとめている――《「神戸詩人事件」は、詩的次元にあった〈理念〉が、当局の弾圧にあい、いやおうなく日常性の次元につき落されればどうなるかを証しているという意味で、当時のモダニストがおかれていた状況の苛烈さを物語るきわめて象徴的な事件であったと言わなければならないだろう。》(「詩的青春が遺したもの――わが戦後詩」、『鮎川信夫全集VII 自伝、随筆』二七五頁)
 モダニズムの衣裳が、権力の目からみると、卑近な日常性の次元で解釈され、危険思想を隠しもっているものとされてしまうのである。テーオドル・W・アドルノが言うように、《新奇なものを礼拝し、モダニズムの理念を掲げるのは、なにひとつ新しいものをもたらさない現実に反逆するためである。》(『ミニマ・モラリア――傷ついた生活裡の省察』三七二ページ、一九七九年、法政大学出版局)のが当時のモダニズム詩人たちの実体だとすれば、その内容をみずから注解しようとしても、短絡的な解釈格子にあてはめて説明することにならざるをえないから、簡単に国家権力のフィルターにひっかけられてしまうのである。国家権力とは支配の目線でしかものごとを見ようとしないから、モダニストたちの政治感覚ではとうてい立ち向かうことができない。国家権力がこうした暴威をふるっていた時代、それを鮎川信夫がみずからの思想や立場にたいして〈外部〉として受けとめざるをえなかったとしても、やむをえないだろう。詩を書くこと、しかも当時はモダニスト詩人として活動をはじめていた鮎川にとって、こうした事件はけっしてひとごとではなかったはずだ。現に鮎川は「荒地」(第一次)の編集名義人であったため、警視庁から二回呼び出しを受けており、しかも当時は一〇名以上の集会は届け出る必要があったため淀橋署にたびたび出頭しているほどであった(同前、二七〇頁)から権力とはどういうものかをよく知っていたのである。つまり、《この頃の特高にとっては、いつも文筆家の〈用語〉が問題だったわけである。難しい理窟はどうでもよく、その人間が、どういう〈用語〉を使って物を考える人間であるかということだけに眼を光らせていた》(同前、二七二頁)。いつにおいても、権力に身をすり寄せている人間などは文学や詩、哲学などの内容的なことにはいっさい興味も理解力ももたず、ただただ権力にとって危険な有意性のあるものだけを取締りの対象にするような獰猛な〈外部〉にすぎない。このことをいやというほど知り抜いていたために戦後においてもこうした思考の二分法が鮎川にとっては自明の理だったのである。
 こうした鮎川的二分法からすれば、強圧的な〈外部〉にたいして自己の固有性を対抗的に強固なものにし、〈外部〉から守り抜くことはいわばみずからの自立性の基本であるにすぎなかった。それは〈外部〉がどう変化しようともみずからのうちでは不変の価値と意味をもつものでなければならなかった。それは〈外部〉にたいしてみずからの存在を主張しうる唯一の内的な根拠であり、それはいつかみずからの公明性を認めさせることのできる普遍的なものでなければならない。この価値と意味こそすでに、生きることの思想そのもの、あるいは思想の倫理でなければならなかった、鮎川にとっての世代的必然があったと言うべきであろう。
 ところで、鮎川信夫は一九三九年二月の「LE BAL」19号に書かれた「覚書」という文章で、当時のモダニズム詩における「方法乃至技術的追求」ばかりの方向性にたいして、詩の思想性、主題性の必要をいちはやく力説している。

《何が故に、詩には方法の進歩のみが大切で、思想性や主題の追求は不必要であり、物体の不可思議性を含んだオルドルの世界のみが重要であるか、などといふことを学んで詩の限界を益々狭めてゆくよりも、何が故に、純粋なる詩には不必要であるかも知れないところの思想性について考へたり、主題の追求をしなければならないか、といふことを、背後にある時代を意識して真剣に考察してみることの方が更に重大なことである。》(『鮎川信夫全集II 評論I』三六五頁)

 戦前の若書きでたどたどしくはあるが、そこに身をおいていたモダニズム詩からの脱却を意図して、十代末ですでに詩における思想性の必要を考えていたことがわかる。これは前述の「神戸詩人事件」に一年以上も先立つ時期に書かれたものであることにも注意しておいていい。だからこそ、「不安の貌」という同時期のこれにつづく文章で、当時の文学者の動向を見ながら戦後の戦争責任論に通ずるつぎのような批判をすでに書いているのは先見的であると言っていい。

《さて現代の我が国の文学が、表面は戦争文学その他いろいろと新らしい局面への転回で活況を呈してゐても芸術的価値から見てむしろ低下してゐることは、時が経つに従って次第に誰の眼にもはっきり顕れてくるであらう。文化に対して一定の落ちつきを持って冷静なる批判力を回復するやうになった時、其処に見出す文学は如何なる相貌を呈してゐるであらうか。》(『鮎川信夫全集II 評論I』三七四頁)

 この前後にも世間の民族主義的昂揚などをもくろむ言辞への批判もあり、コスモポリタン的世界主義への方向性を打ち出していたり、相当に抑制し韜晦しているところはあるものの、この時代の検閲的状況からみると勇気ある主張だったとさえ言えるだろう。こういう初期鮎川信夫の文学への姿勢には信頼できるものがあり、戦後詩に現われた詩における思想(意味、内面、主題)の重視という姿勢への先駆性がここにすでに兆しているのであって、戦後の鮎川信夫の詩的ポジションが深い裏づけをもっていたことを示している。

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読書日録2017/2/5

この記録を始めるやいなや親しいひとから興味をもたれてしまった。これまで日録では書かなかったところまでオープンにしようというのだから問題発言も出てくるだろうし、あきれられてしまうかもしれない。そこがおもしろいと言われればそれまでだが、始めた以上はつづけなければならないとさっそく覚悟を新たにしているところ。

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西村勝詩集『シチリアの少女』通読。105日間で世界を船旅でまわりながら書かれた紀行詩。62歳での第一詩集。船中朗読会などもあり、詩(ことば)が束の間の共有のなかで消費されていくむなしさがこのひとにはわかっているのかな。
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《どんな芸術作品も社会の仕組みの中では文化に帰属せざるを得ない。しかしたんなる工芸品の域をこえたもので拒絶的なジェスチャーを文化に対して示していない作品は一つもないと言っていいので、そうした拒絶的なジェスチャーは芸術作品の成立に必然的につきまとうものなのである。芸術も、それに携わる芸術家も、世にいわゆる芸術に対しては敵対的な関係にあるのだ。》(テーオドル・W・アドルノ『ミニマ・モラリア――傷ついた生活裡の省察』336ページ)これは「露出狂患者」という断章の一部。本物の芸術家は露出狂患者たらざるをえないということか。
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日本の民話73『若狭・越前の民話 第二集』の初校通読、つづける。pp. 78-120. 嶺南地方の部11話37ページ+わらべうた6ページ。嶺南地方の部、スミ。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary pp. 241-243. Emma Bovaryの復調。
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『北川透 現代詩論集成2――戦後詩論 変容する多面体』で「沈黙の韻律――戦後詩における中村稔という逆説」を読みはじめるとすぐ、現代詩文庫版『続・中村稔詩集』でのわたしの解説「存在の詩学」が入沢康夫とともに言及され、参考にされているのに驚く。北川の中村稔への関心は意外なほど古くまた深いものがあったことを知る。

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2017年2月 4日 (土)

読書日録2017/2/4

きょうからこの「思考のポイエーシス」ブログで「読書日録」をつけることにした。ここでは基本的にだれにも遠慮しないことを原則とし、書いたらそのつどアップ(または追加)する。

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《この国〔アメリカ〕の実情に通じないヨーロッパ人の目に映るアメリカ人は、おしなべて気位を欠いた、金を貰えばどんなことでもする人種ということになりかねないわけだし、逆にアメリカ人の目に映るヨーロッパ人は貴公子気取りのろくでなしということになりがちである。アメリカでは働くことは恥ではないという金言が自明の理として通っている。》(テーオドル・W・アドルノ『ミニマ・モラリア――傷ついた生活裡の省察』303ページ)これじゃウェーバーのベンジャミン・フランクリン評価だ。
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くりはらすなを詩集『遠くの方で』通読。初めて読むひとだが、それなりのキャリアのあるひとらしい。すこし素直すぎる抒情詩で、もうすこし読ませる工夫が必要か。
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日本の民話73『若狭・越前の民話 第二集』の初校通読、つづける。pp. 46-77. 嶺南地方の部14話32ページ。きょうのノルマはこれでおしまい。
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『北川透 現代詩論集成2――戦後詩論 変容する多面体』巻頭の長大な「現代詩、もうひとつの戦後空間」を読了。サブタイトルにもあるようにシュルレアリスム論だが、そのなかでブランショの『文学空間』のなかで鉛筆を持った手が鉛筆を放せなくなる《病んだ手》のことが出てくる。ひさびさに学生時代に読書会で読んだイデー版の "L'espace litte+'raire" を取り出してその部分を読む。粟津則雄訳は持っていないので、この部分の訳がどうなっているかわからないが、これは "pre+'hension perse+'cutrice" (p. 15) として出てくるところで「偏執的把握」と訳すべき重要な概念だ。以前、千代田図書館でこれについてフィリップ・ソレルスのヌーヴォー・ヌーヴォー・ロマン『ドラマ』の冒頭の部分に引きつけて話をしたことがあるのを思い出した。つづいて「中原中也と〈昭和史〉とーー中村稔の詩の論理」も読む。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary 第二部XV章の途中まで。フランス語を忘れないために読んでいるが、それにしちゃあ厄介なフランス語だということを痛感中。思想書を読むより具体物がいろいろ出てくるので知らない単語が多すぎる。それでもRodolpheに裏切られたEmma Bovaryが焦りまくるシーンなどは文が非常に短くカッティングされ、切迫感を出しているところなどは翻訳では味わえない価値があるが。

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2017年2月 2日 (木)

2─1 鮎川信夫という方法:モダニズムから新たな意味の発見へ(4)

 鮎川信夫や「荒地」の詩人たちが戦後まもなく、詩の世界でいちはやく〈戦後詩〉というカテゴリーを創出し、しばらくのあいだは圧倒的な影響力を揮うことができたとしても、それはかれらの優位性が、第一次世界大戦後ヨーロッパの荒廃を目の前にしたヨーロッパの知識人たち、そしてかれらの依拠した詩誌のタイトルに示されているように、とりわけT・S・エリオットが示した世界把握にあらかじめ先導された近代意識とその崩壊感覚を学習していたからであったことはいまさら言うまでもない。鮎川や「荒地」の詩人たちの多くが英米系の文学や思想を中心に戦前からなじんでいたこと、そしてすでに「1 鮎川信夫とは誰か」で論じたように、戦前からモダニズムの詩人として出発したこと、そればかりかポール・ヴァレリーの詩やカフカの小説など、二十世紀ヨーロッパ全般に及ぶひろい関心をもっていたことによって、戦前においてすでに疑似ヨーロッパ的感性の持ち主だったことが、戦争をくぐり抜けたあとの戦後において周囲の詩人や文学者たちより一頭地を抜く知性を発揮しえたのである。しかし、かれらの戦後はそうしたヨーロッパ的知性の影響もあって、日本の戦後にたいしても、それ自体をしっかりと凝視したうえでの強固な認識というよりは、第二次大戦後日本を第一次世界大戦後のヨーロッパと重ねあわせてみる視点をオーヴァーラップさせたうえでの、いわば疑似現実的な世界認識であったことも指摘しておかなければならない。逆に言えば、そうした知的操作が簡単に破綻しない程度には、この時代的地政的な位相の違いは見分けにくかったし、かれらがどこまで意識的であったかどうかはともかく、たとえばエリオット的な視線で戦後日本を見たとしても、近代化の三〇年近い遅れが第一次世界大戦後ヨーロッパと第二次世界大戦後日本の落差にちょうど波長が合ってしまうということもありえたのである。第一次大戦後のヨーロッパの精神を第二次大戦後の日本の現実に接ぎ木したところで認識された戦後世界――つまり鮎川らの見た戦後日本の風景は、エリオットやヴァレリーがみた第一次世界大戦後ヨーロッパ世界のそれとパラレルだったということにな
 それはたとえば田村隆一の代表作のひとつ「一九四〇年代・夏」などに端的に現われている。

 世界の真昼
 この痛ましい明るさのなかで人間と事物に関するあらゆる自明性に
 われわれは傷つけられている!

 (中略)

 彼女の文明は黒い その色は近代の絵画のなかにない
 彼女のやさしい肉欲は地球を極めて不安定なものとする
 彼女の問いはあらゆる精神に内乱と暴風雨を呼び起す
 彼女の幻影にくらべればどのような希望もはかない
 彼女の批評は都会のなかに沙漠を 人間のなかに死んだ経験を 世界のなかに黒い空間を覚醒する そして
 われわれのなかにあの未来の傷口を!

 ここにはおよそ戦後日本の風景とは思えない抽象的な概念的な世界が広がっている。わたしに言わせれば、これこそどこにもない世界、せいぜい第一次世界大戦後のヨーロッパを内在的な視点から切り抜いてきた世界であると言えるぐらいである。この知性主義的な世界把握は、当時の戦後日本のなかでいかに非現実的に見えようと、それが新しい詩的視角からの戦後表象だとして提出されてしまえば、その鮮やかな切り口こそが新しい詩の世界を告知するものとして圧倒的に現前して見えてしまう、というある意味での顛倒がおこなわれていることに誰も異を立てることができないというかたちで現実化されていったのではないだろうか。ことばが現実と遊離するとしても、そこに見えない現実を見るという視点が担保されていれば、ひとはいやおうなしにこれが新しい詩、すなわち〈戦後詩〉と呼ばれるものの威力なのだと感じさせられたはずである。そこに見出されたものこそが〈戦後詩〉が生み出した新しい意味であり、戦慄的な美であり、その技法としての隠喩なのだととりあえず言っておこう。それはもはや失われた意味の回復でさえなく、むしろ新たな意味の発見、意味の設定だったと言うべきなのである。

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