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2017年2月 4日 (土)

読書日録2017/2/4

きょうからこの「思考のポイエーシス」ブログで「読書日録」をつけることにした。ここでは基本的にだれにも遠慮しないことを原則とし、書いたらそのつどアップ(または追加)する。

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《この国〔アメリカ〕の実情に通じないヨーロッパ人の目に映るアメリカ人は、おしなべて気位を欠いた、金を貰えばどんなことでもする人種ということになりかねないわけだし、逆にアメリカ人の目に映るヨーロッパ人は貴公子気取りのろくでなしということになりがちである。アメリカでは働くことは恥ではないという金言が自明の理として通っている。》(テーオドル・W・アドルノ『ミニマ・モラリア――傷ついた生活裡の省察』303ページ)これじゃウェーバーのベンジャミン・フランクリン評価だ。
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くりはらすなを詩集『遠くの方で』通読。初めて読むひとだが、それなりのキャリアのあるひとらしい。すこし素直すぎる抒情詩で、もうすこし読ませる工夫が必要か。
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日本の民話73『若狭・越前の民話 第二集』の初校通読、つづける。pp. 46-77. 嶺南地方の部14話32ページ。きょうのノルマはこれでおしまい。
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『北川透 現代詩論集成2――戦後詩論 変容する多面体』巻頭の長大な「現代詩、もうひとつの戦後空間」を読了。サブタイトルにもあるようにシュルレアリスム論だが、そのなかでブランショの『文学空間』のなかで鉛筆を持った手が鉛筆を放せなくなる《病んだ手》のことが出てくる。ひさびさに学生時代に読書会で読んだイデー版の "L'espace litte+'raire" を取り出してその部分を読む。粟津則雄訳は持っていないので、この部分の訳がどうなっているかわからないが、これは "pre+'hension perse+'cutrice" (p. 15) として出てくるところで「偏執的把握」と訳すべき重要な概念だ。以前、千代田図書館でこれについてフィリップ・ソレルスのヌーヴォー・ヌーヴォー・ロマン『ドラマ』の冒頭の部分に引きつけて話をしたことがあるのを思い出した。つづいて「中原中也と〈昭和史〉とーー中村稔の詩の論理」も読む。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary 第二部XV章の途中まで。フランス語を忘れないために読んでいるが、それにしちゃあ厄介なフランス語だということを痛感中。思想書を読むより具体物がいろいろ出てくるので知らない単語が多すぎる。それでもRodolpheに裏切られたEmma Bovaryが焦りまくるシーンなどは文が非常に短くカッティングされ、切迫感を出しているところなどは翻訳では味わえない価値があるが。

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