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2017年2月28日 (火)

読書日録2017/2/28

ジョルジョ・アガンベン[上村忠男訳]『哲学とはなにか』の「序文を書くことについて」「付録 詩歌女神の至芸――音楽と政治」を読む。
《哲学の言葉が序文的なものであるということは、それが序文のあとにやってくる哲学的ディスクールへと送付するということを意味しているのではなく、言語活動の本性そのものにかかわっている。……哲学とはもっと哲学的な別のディスクールへの序文ではなく、いわば言語活動そのものおよびその脆弱さへの序文のことなのだ。……哲学的ディスクールは言語活動に反対して言い表わしえないものの肩をもとうとする神秘的ディスクールではない。哲学というのは非哲学的ディスクールに序文としてふるまわせてその不十分さを明らかにしてみせようとするディスクールにほかならないのである。》(168-169ページ)
 ここで言葉の「脆弱さ」とはプラトンの「第七書簡」に見られる表現。この書簡のことは知らなかった。読んでみたい。
《言葉の起源はムーサ的に――すなわち音楽的に――規定されている。そして語る主体――詩人――は事あるごとにみずからの始まりが問題的なものであることに決着をつけなければならない。》(178ページ)
 たしかに詩人の書くことの始まりはいつも問題的であり、あらねばならない。ここでムーサとはミューズのこと。
《自分自身を動かし、自分自身に霊感を与えるかぎりで、哲学的狂気は(……)いわば狂気の狂気である。みずからの狂気ないし霊感を対象とし、ひいてはムーサ的始原の場所そのものに到達する狂気なのだ。》(189ページ)
っp長い訳者あとがきを読んで読了。。
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「地上十センチ」14号を読む。和田まさ子個人詩誌。信頼できる数少ない詩誌だ。
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『リルケ全集3 詩集III』の「ドゥイノの悲歌」の第四の悲歌第二節の註解。どうも解釈が通り一遍で、読むのが苦痛になってくる。10ページが限界だ。

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