« 読書日録2017/2/13 | トップページ | 読書日録2017/2/15 »

2017年2月14日 (火)

読書日録2017/2/14

「UP」2月号に目を通す。
   *
日本の民話74『近江の民話』の初校通読、つづける。湖東の部14話52ページ。
   *
冨上芳秀詩集『恥ずかしい建築』通読。長年の詩友だが、今回は行変え詩で、見開きで読めてしまう短いものがほとんど。おどろおどろしい散文詩にくらべるといくらか解放感があるが、ことばの連想ゲーム的なところも多く、ややマンネリ。東京の女を書いた「筋肉の夏」というのが、新しい方向性を感じさせる。方法的にパタン化しないようにしてもらいたい。
   *
テーオドル・W・アドルノ『ミニマ・モラリア――傷ついた生活裡の省察』ようやく読了。文明批評的アフォリズム集。おもしろいものもあるが、総じて退屈な本。訳者やハーバーマスが言うほどではないかな。ニーチェと比較すれば、おもしろさがちがう。アメリカ生活を余儀なくされたアドルノがアメリカ的生活にいかになじめなかったがよくわかる。
《(弁証法は)何かと言えば逆ねじを食わせて、相手をねじ伏せることがその原理になっていたのである。したがって弁証法が真であるか否かは方法自体の問題ではなく、歴史過程に棹さすその志向性の問題であった。》(388ページ)とはソフィスト以来の《相手を言い負かす手段である弁証法は、当初から権力にありつくための手段、内容のいかんにかかわらず強弁する表面的な技法でもあった》(387ページ)とも述べている。アドルノの好きなことばのはずだが。
最後のことば――《思想は、可能性のためには、自身の不可能性さえもしかるべく理解していなければならない。そのために思想に課せられる要求の大きさに比べるなら、救済が現実性をもっているか否かなどという問題はむしろ取るに足らないのである。》(392ページ)ここにアドルノの矜持をみたい。
   *
マラルメ: “Correspondance 1962-1971” からの抜き書き。《ひとは生まれつき奇妙なもので、ずっとそうでなければならない》(1862.5.2 アンリ・カザリス宛て)
《君に書かないのは、この何日かインクとペンがぼくには異常に嫌なものになってしまったからなのだ。わけがわからない。/事実はこうだ。この半月ほど、ぼくはいたるところを狂ったように走りまわっていて、ソファに身を投げ夢を見るためにだけ戻ってくるぼくの部屋が怖いのだ。》(1862.8.4-5 カザリス宛て)
《彼 ❲エマニュエル=デ=ゼサール❳ はあまりに「理想」と「現実」を混同している。現代詩人の愚かなところは〈「行動」が夢の姉妹ではない〉ことに落胆するところまでいってしまったことだ。》(1863.6.3 カザリス宛て)
《君に誓って言うが、ぼくには何時間もの探究に値しなかった語はひとつもないし、最初のアイデアをまとう最初の語が、さらには詩の一般的_¨効果¨_におのずから向かおうとする語は最後の語を準備することにもなる。/不協和音も装飾音もなく、崇拝すべきもので、心を解放する_¨産み出された効果¨_――それがぼくの求めているものです。》(1864.1 カザリス宛て)

|

« 読書日録2017/2/13 | トップページ | 読書日録2017/2/15 »

読書日録」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1007862/69601048

この記事へのトラックバック一覧です: 読書日録2017/2/14:

« 読書日録2017/2/13 | トップページ | 読書日録2017/2/15 »