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2017年2月14日 (火)

読書日録2017/2/13

マッシモ・カッチャーリ[上村忠男訳]『抑止する力――政治神学論』第五章、第六章を読む。とくに第六章「教会とカテコーン」はこの本の肝になる部分ではないか。章のはじめに「カテコーンの問題の核心」(75ページ)とある。
《教会は傷ついた人間本性にかんしてカテコーンであり、その傷ついた人間本性が惑わしの餌食になるのを抑止する。また政治的主権にかんしてもカテコーンであり、その主権にたいして、その主権を超越したところにある諸目的の_¨代表者¨_でもあることを承認するよう強要しようとこころみる。……教会は終末の時間のカテコーンなのであり、教会がみずからに託されていると証言している回心の仕事が終了するまでその時間が持続するよう祈るのである。》(91ページ)
《それを延期してくれるよう人々が哀願しているまさにその瞬間に<G>最後の審判</G>を告知しなければならない者は、最後のカテコーンである。が、その者は<G>最後の審判</G>と共通の運命を分かちもっている。》(96-97ページ)
 難解だが、カテコーン=抑止する(権)力とはアポカリプスにおいてぎりぎりまで神権的ないし世俗的権力をもって人間を心的ないし社会的に統治=支配するものであり、しかし最後には主の顕現において消滅する運命にあるものということか。
   *
『マラルメ/ヴェルレエヌ/ランボオ』(世界文學大系43) でマラルメの詩論再読。
《詩の世界では、たとえどこの国の言葉であろうとも、言葉で言えないものなどは、存在しません。》(「音楽と文芸」)

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