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2017年2月12日 (日)

読書日録2017/2/12

「読書日録」とは「読み書き日録」と読まれたし。書いたことも入れているので。

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鮎川信夫論の第二部「2 鮎川信夫という方法」の「2─2 〈内面〉という倫理」のつづきを読みなおし、若干の修正と加筆。これは寝ながらQuo Tab PXでテキストエディタJota+を使ってできるのが画期的だ。~ココログの「思考のポイエーシス」ページの「鮎川信夫論」カテゴリーで「鮎川信夫という方法:〈内面〉という倫理(2)」としてアップ。
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マッシモ・カッチャーリ[上村忠男訳]『抑止する力――政治神学論』第4章、読む。
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《新奇なものを礼拝し、モダニズムの理念を掲げるのは、何一つ新しいものをもたらさない現実に反逆するためである。》(テーオドル・W・アドルノ『ミニマ・モラリア――傷ついた生活裡の省察』372ページ)これは日本の戦前戦中のモダニズムにぴったり一致する。
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日本の民話71『近江の民話』の初校通読、はじめる。pp. 1-6, 15-60. まえがき6ページ。湖南の部11話44ページ。湖南の部、スミ。
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『マラルメ/ヴェルレエヌ/ランボオ』(世界文學大系43) でマラルメの詩論再読。まずは「詩の危機」から。つづいて「自叙伝 ヴェルレーヌ宛の手紙」「リヒャルト·ワーグナー あるフランスの詩人の夢想」。
《人間の言語は、種類が二つ以上あるという点で不完全である。つまり、最高絶対の言語というものは存在しない。》
《純粋な著作のなかでは語り手としての詩人は消え失せて、語に主導権を渡さなければならない。……語と語はたがいの反映によって輝き出す。それが従来の抒情的息吹のなかに感じられた個人の息づかいや、文章をひきずる作者の熱意などにとってかわるのである。》
《書かれている国語は違っても聖書は一つしかないように、世の中には元来、ただ一冊の「書物」だけしか実在せず、その掟が世界を支配しているのではないか。作品と作品との間の違いは、正しい本文を指し示すために、文明時代、文学の時代の長い間にわたって提出された版本の違いのようなものである。》マラルメの書物論の原型。
《詩句とは幾つかの単語から作った呪文のような、国語のなかにそれまで存在しなかった新しい一つの語である。すでに存在する語は、それに焼きを入れ直して、意味を響きに近づけたり響きを意味に近づけたりするような人工的操作を加えても、やはり偶然性を含んでいるものだが、詩句はその偶然性を力強いひと息で否定する。》(以上、「詩の危機」より)

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