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2017年2月11日 (土)

読書日録2017/2/11

《自由詩がジャンルの独自性を発揮するのは韻律詩の枠組みを破って出て来たときであり、詩人の主観がその枠組みに安住できなくなったときである。》(テーオドル・W・アドルノ『ミニマ・モラリア――傷ついた生活裡の省察』348ページ)これはドイツのゲオルゲなどを念頭においたことばだが、日本の詩においても言えることである。既成の枠組みに収まっているかぎり、自由詩=韻律や型から解放された詩の存在理由はない。
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Gustave Flaubert: Madame Bovary pp. 244-246. 第二部XIV章、終わり。CharlesがRouenで野暮ったさ丸出しになる。
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「アリゼ」176号に目を通す。主宰者の以倉絋平が伊藤桂一追悼文のなかで、マッカーサー回想録のなかのことばを紹介している。《一つの国、一つの国民が終戦時の日本人ほど徹底的に屈服したことは、歴史の上に前例をみない。》と書いていたらしい。これほど侮蔑的なことばはないが、昭和天皇などにその典型を見たのだろう。いまのトランプに蛇のようにすり寄る安倍晋三もそっくりではないか。ああ恥ずかしいし情けない。
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マッシモ・カッチャーリ[上村忠男訳]『抑止する力――政治神学論』の第3章「エポックとアエウム」では、アエウム(=永劫)とエポック(個別の時代性)の関係を論じ、時の権力がアエウムに成り代わろうとする傾性があることを指摘している。
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鮎川信夫論の第二部「2 鮎川信夫という方法」の「2─2 〈内面〉という倫理」のつづきを書く。前節の読み直しと加筆も少々。マラルメについて書くべきところで中断。4枚弱。マラルメの "Correspondance 1862-1871" を引っ張り出していろいろ拾い読む。このなかの重要な断片部分を訳してみようかな。筑摩版全集はあるけど。

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