2013年

2013年7月29日 (月)

思考のポイエーシス184:バフチンのドストエフスキー論

 ミハイル・バフチンの『ドストエフスキーの創作の問題(付:より大胆に可能性を利用せよ)』(桑野隆訳、平凡社ライブラリー)はドストエフスキー論としても出色のものだが、これが一九二九年に書かれたバフチンの処女作だというのも驚きだ。訳者の桑野隆の解説によれば、一九六三年になって増補改訂版として『ドストエフスキーの詩学の問題』が刊行され、そちらのほうは邦訳もすでに二種類出ている。こちらにはバフチンの代名詞とも言える「カーニヴァル」論が加えられているが、一九二九年版初版にはまだそういう視点はないため、ポリフォニー論が中心になっているという特徴がある。なんだ、それじゃ増補改訂版のほうがいいじゃないか、ということになりそうだが、どっこいそうではなく、増補改訂版ではいろいろ編集上の注文のためにかなりの不要な改訂がなされてしまって、バフチンのもともとの表現思想が歪められている、というのが訳者の立場であり、あらためて初版を訳出した理由なのである。
 バフチンははじめのほうで自身のドストエフスキー論を概括してつぎのように述べている。
《<G>自立しており融合していない複数の声や意識、すなわち十全な価値をもった声たちの真のポリフォニーは、実際、ドストエフスキーの長篇小説の基本的特徴となっている。</G>作品のなかでくりひろげられているのは、ただひとつの作者の意識に照らされたただひとつの客体的世界における複数の運命や生ではない。そうではなく、ここでは、<G>自分たちの世界をもった複数の対等な意識</G>こそが、みずからの非融合状態を保ちながら組み合わさって、ある出来事という統一体をなしているのである。》(一八ページ)
 つまりドストエフスキーの小説にあっては作者はプロット上の決定権をもたず、主人公のことばや行動はその意識が動くがままに、複数の他者たちとの関係のなかでいわば自動的に生成されていく。現実の世界のように、さまざまに自立した人間たちがそれぞれの考えをもちながら、他者によって影響されてそれぞれの世界を構築していくように、登場人物は作者の単一的な世界の一構成要素にすぎないわけではない。作者によって設定された人物同士がたがいに作用しあっていくことによって物語がどんどん進行していく。
《主人公の内的対話に介入せず中立的で、客体視して完結した主人公像を構成するであろうような、当事者不在の言葉など、ドストエフスキーは知らない。人間の個性を決定的に総括してしまうような〈当事者不在の〉言葉は、ドストエフスキーの構想のなかにはいっていない。自分の最終的な言葉をすでに述べている、確固たる、死せる、完成した、応答なきものは、ドストエフスキーの世界には存在しない。》(二九〇ページ)
 バフチンはドストエフスキーの小説における対話性を強調するが、その対話には登場人物の内実を伴わないことばなどはないとされる。作者が勝手に介入することはできないのである。ドストエフスキーの小説は、自分自身の内心との対話もふくめて対話部分が通常よりも非常に多いように思うが、それらはあらかじめ決められたプロットに乗っかって展開されるのではなく、あたかもそれ自体が自己増殖するように思いがけない方向に読者を(おそらく作者自身をも)連れ去るのである。これが複数の自立した声をポリフォニックに響かせているドストエフスキーの小説だというわけである。いかにもバフチン的なドストエフスキー解釈だが、たとえば『カラマーゾフの兄弟』においてゾシマ長老の死にあたってのアリョーシャの異常な振舞いにたいして作者が割り込んできて擁護するところなど、かならずしも作者の主導性が失なわれているばかりとは思えない箇所もあるので、いささか自身のポリフォニー論に引きつけすぎている感も否めないわけではない。
 バフチンの結語を引いてみよう。
《作者がそれぞれの主人公の自意識に対置しているのは、主人公を外部から包みこみ取り囲んでいる、主人公についての作者の意識ではなく、複数の他者の意識であり、それらは作者と主人公や主人公どうしの張りつめた相互作用のなかであきらかになってくる。/これが、ドストエフスキーのポリフォニー小説なのである。》(三三二ページ)
 つまりこのことは、ドストエフスキーの小説が作者の十全な構想のもとに書かれたものでありながらも、なおそのなかで主人公たちが生き生きとみずからの実存の声を発することができ、それぞれの存在をみずからの自律的なことばの論理においていっそう深めていくことになる、というおそるべき自己生成力をもった世界であることを示している。その自己生成力が作者をさらに突き動かしていくのである。
(2013/7/29)

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2013年7月13日 (土)

思考のポイエーシス183:思考の生産性について――十九世紀末のイタリア版マルクス主義論争から

 イタリアのマルクス主義者、アントニオ・ラブリオーラは社会主義と哲学について書いた一八九七年の論考で思考するということについてつぎのように書いている。
《思考することは生産することです。学ぶとは再生産することをつうじて生産することなのです。わたしたちは、わたしたち自身が思考し、生産し、検証し、再検証することをつうじて生産できるものしか、それも、いつもわたしたち自身に属する力によって、またわたしたち自身が置かれている社会的領域とそこからの視角によって生産できるものしか、十分に知ることはできないのです。》
 これはマルクス主義の生産にかんする理論とは別に、思考をめぐらすことの生産性を積極的に肯定するとともに、その思考の生産性あるいは生産の思考がその個人のおかれた歴史的社会的な環境によって強力に掣肘されているものであることを指摘している。とはいえ、思考することが物質的生産物の労働生産という実践から峻別された、理論と実践という二項対立の片割れとしてではなく、思考それ自体も生産なのであるという強い定義を主張するものになっている。マルクス主義的観念における労働者と知識人の位相の相違(知識人は労働者にたいして二次的役割しかもてないという先験的な存在規定)を越えて知識人の生産への寄与という視点をもたらすものでもあった。
 このラブリオーラを引用しつつ、ジョヴァンニ・ジェンティーレは一八九九年に書かれた「実践の哲学」において書いている。
《思考が実在的であるのは、それが対象を立てるからであり、またそのかぎりにおいてのことである。思考が存在するとしよう。そのときにはひとは思考している。(……)もし思考しているならば、そのときにはひとは製作をおこなっている。だから思考の実在性、対象性は、思考の本性そのものから出てくることなのだ。これがマルクス的現実主義の最初の帰結のひとつである。》
 ここでジェンティーレはラブリオーラをふまえてさらに「思考の実在性、対象性」についてまで言及している。マルクス的現実主義云々はともかく、これも〈思考〉の現実的可能性を強く肯定する議論になっている。ここに十九世紀末イタリアにおいてマルクスの理論およびマルクス主義をめぐる知識人間でなされた高度哲学的論争が、知識人の理論的言説の生産可能性を主導的なものとして実現させようとするもうひとつの運動であったことがわかる。このことは当時の時代的背景を別にしても、またマルクスの言説を離れても、思考すること、思想の自立性が現代においても強い意味をもっていることを教えてくれるのではないだろうか。

*これらの論文は近刊の『イタリア版「マルクス主義の危機」論争――ラブリオーラ、クローチェ、ジェンティーレ、ソレル』に収録されている。(2013/7/13)

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2013年6月22日 (土)

思考のポイエーシス182:ことばのポリフォニーとしてのドストエフスキーの小説

 ミハイル・バフチンはドストエフスキーの小説についてこんなふうに書いている。
「ドストエフスキーの構想のなかでは、主人公は十全な価値をもった言葉の担い手であり、作者の言葉の物言わぬ、声なき対象ではない。主人公についての作者の構想は、<G>言葉についての構想</G>である。したがって主人公についての作者の言葉も、<G>言葉についての言葉</G>である。それは、言葉としての主人公に向けられており、またそれゆえに<G>言葉に対話的に向けられている</G>。(桑野隆訳『ドストエフスキーの創作の問題』95ページ、ゴチックは原文)
 またすこし先のところでバフチンはこうも書いている。
「ドストエフスキーの主人公は、自分自身についてや自分の身近な環境についての言葉であるだけでなく、世界についての言葉でもある。主人公は意識している者であるだけでなく、イデオローグでもある。」(同99ページ)
 ここで注意しておきたいが、「イデオローグ」とは政治主義的な意味ではなく、「イデーをもつひと」というぐらいの意味であろう。ドストエフスキーを〈<G>ポリフォニー小説</G>の創造者〉(同19ページ)と徹底的に位置づけるバフチンからすれば、ドストエフスキーの小説は作者による一元的なイデーの展開としてのモノローグ的な世界ではなく、それぞれの登場人物のセリフがそれぞれの独立した主体性と世界観をもって小説自体を駆動していく力能なのであって、だからこそのイデオローグなのだが、いずれにせよ、こうした〈ポリフォニー小説〉においては、主人公とはみずからのことばの組成体であり、作者による一元的(モノローグ的な)統括の対象となってはいない。主人公が「十全な価値をもった言葉の担い手」であり、主人公についての作者の構想は「言葉についての構想」となり、したがって作者が主人公について語るときは「言葉についての言葉」という構造になる。ドストエフスキーの小説はそもそもセリフの多い小説だと思うが、徹底してポリフォニックな(つまり多声的な)ことばによって織りなされているテクストなのである。それらはまた対等なことばとして、しかも作者から相対的に独立したことばのテクストとして織りなされている。そこにドストエフスキーの独自性があるのだが、それをバフチンは1923年に書いたドストエフスキー論でいちはやく指摘している。その先駆性と独創性には見るべきものがある。(2013/6/21)

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2013年5月28日 (火)

思考のポイエーシス181:鈴村和成版ランボー全集の意味

 ようやく鈴村和成個人全訳『ランボー全集』(2011年、みすず書房)を読み終わる。これまでいろんなひとのランボー訳を読んできたが、鈴村訳は通常は「酔いどれ船」(小林秀雄訳)と訳すところを「酔いどれボート」とするなど、全体にポップなところがある。わたしのように粟津則雄訳(新潮社版世界詩人全集)によって最初の、そして決定的な刻印を捺されたものにとっては、「……(した)よ」といった語尾で終わるインティメートな語感がちょっと異和感が残る。もうちょっとツッパリ感があるのがランボーじゃないかと思うが、これが鈴村のランボー観なんだろう。
 それはともかく、このみすず版ランボー全集の見どころは、鈴村がこの間、一貫して関心をもちつづけてきた〈アフリカのランボー〉を反映して初期のものをふくむアフリカからのランボー書簡を全訳しているところである。年譜でもほかのひとよりアフリカ以後のランボーに力点が置かれていることがわかる。鈴村の「解題」によれば、「詩・散文・書簡を_¨通して¨_読むことで、今まで信じられてきたランボーの〈沈黙〉という――多分にロマン主義的な――神話から解放された、詩人のうちに〈書くこと〉が持続する、驚くべき新しい光景が発見されます。/そこにランボーの生涯がどんな自伝や伝記よりリアルに浮かびあがるのです。そればかりか、アフリカ書簡がオリエンタリズムやポスト・コロニアリズムと切り結ぶ、すぐれて現代的な主題が見えてきます。」とあるように、〈アフリカのランボー〉を現代の新しい視点から捉え直そうとしているところに鈴村の独自のランボー解釈が見られる。最近、鈴村が刊行した『書簡で読むアフリカのランボー』(2013年、未來社)はアフリカにおいて書簡というかたちで書くことの持続を実現したランボーを〈書簡作家(エピストリエ)〉という視点から解読しており、「著者のランボーにかかわる本の総決算」(「追い書き」)と言わしめているのは、この解釈を徹底して実践してみせたからにほかならない。
 そうしてみると、ランボーとは汲めども尽きぬ謎の詩人でますますありつづけているとあらためて言うほかない。

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2013年5月17日 (金)

思考のポイエーシス180:萩原朔太郎と〈死後の生〉

 萩原朔太郎に「死なない蛸」という散文詩がある。水族館に飼われていた蛸が、いつのまにか存在を忘れられ、ひとびとはその蛸は死んだものと思っていた。腐った海水だけが水槽にたまっていたのだが、蛸は死んでいなかったのだ。
《けれども動物は死ななかつた。蛸は岩影にかくれて居たのだ。そして彼が目を覺した時、不幸な、忘れられた槽の中で、幾日も幾日も、おそろしい飢饑を忍ばねばならなかつた。どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、彼は自分の足をもいで食つた。まづその一本を。それから次の一本を。それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。少しづつ他の一部から一部へと。順順に。/かくして蛸は、彼の身體全體を食ひつくしてしまつた。外皮から、腦髓から、胃袋から。どこもかしこも、すべて殘る隈なく。完全に。》
 そして番人が気づいたときには水槽は空っぽになっていたのである。ところがそのあとがすごい。
《けれども蛸は死ななかつた。彼が消えてしまつた後ですらも、尚ほ且つ永遠にそこに生きてゐた。古ぼけた、空つぽの、忘れられた水族館の槽の中で。永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――或る物すごい缺乏と不滿をもつた、人の目に見えない動物が生きて居た。》〔「そこに」に◎付き〕
 こうして怨念と化した蛸が目にみえずに存在をつづけているという想念はわたしを震撼させる。これは言うまでもなく蛸に擬せられた人間存在の問題であるからだ。個人は死してどこか見えない存在として生きつづけるのかもしれない。たんに宗教的観念としての〈不死〉といったものではなく、怨霊といったこの世への未練でもなく、ただひたすら存在者の結末としての生の永遠の存続、あるいは〈死後の生〉。この永遠に存続する生は人間がいなくなったあとの世界(宇宙)をも凝視しつづけるのではないか。
 レヴィ=ストロースはこんなことを書いている。
《存在することの現実への直観と不可分に結びついている、存在しないという現実がある。というのも、人間には、生き、戦い、考え、信じ、とくに勇気をもちつづけていくことが課せられ、しかも彼は以前には_¨地球上に¨_いなかったことや、つねに_¨地球上に¨_いつづけるわけではないこと、さらにはそれ自身消滅することの約束されたひとつの_¨惑星の表面¨_から人間が間違いなく消えていくのと同時に、人間の労働、苦しみ、喜び、希望、作品もまたあたかも存在したことがなかったようになくなるという確実さを一瞬も見失うことはない(……)》(『裸の人』)
 この〈存在しないという現実〉とは〈死後の生〉でもあり、もしかしたら生まれる以前の生でもあり、地球が消滅したあとにも生きつづけるものかもしれない。そうなると汎神論的存在にちかいものかもしれないが、そこに宗教や神、さらにはアニミズム的な観念を持ち込まずにいることこそ朔太郎的な詩のイメージの強さであり、文学の〈死後の生〉としての価値なのである。(2013/5/17)

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2013年5月 3日 (金)

思考のポイエーシス179:いま、岡井隆をどう読むか

『岡井隆詩集』『岡井隆歌集』(いずれも現代詩文庫)を読み終わった。これまで雑誌以外ではあまり読むことがなかった岡井だが、なぜかこの二冊は著者から恵贈されたので通読したのだが、感心するところもあり、首をひねるところもあって、岡井隆という歌人のしたたかさがとりわけ印象に残った。
 現代詩の世界で話題になった詩集『注解する者』はたしかに斬新な切り口で含蓄豊かなコメントを散文詩脈で書き流してみせて、これはこれでひとつの書法としてある完成度を示してみせたものだし、歌人でありながら現代詩への関心がこれまでどの歌人よりも高かったせいか、現代詩への越境のしかたも板に付いているところがある。そう思って歌集(これは全歌集からのアンソロジーだが)を繙いてみると、最近のものになるほど現代詩的な喩法が自在に取り込まれているのを見て、なるほどと思うところがあった。大辻隆弘の解説「懊悩と豊穣」によれば岡井のこれまでの歌業の流れのなかでも最近のものは「ハイブリッドな口語文語混交体」によって「いよいよ豊穣の境地に入っていこうとしている」そうだが、もしそうならその自在さは饒舌さ、ゆるさなどと紙一重のところにあるノンシャランスでもあって――事実、そういう危険のある歌も数多い――、『注解する者』はその最大の成果であるかもしれない。
 わたしとしては、これまでの岡井への疑問は、初期の吉本隆明による岡井批判(『抒情の論理』に収められている)と、最近の宮中歌会始選者としてのあられもないかかわりぶりにある。前者については先般「現代詩手帖」に書いた吉本隆明論「吉本隆明をめぐる断言肯定命題」でもすこし触れたが、後者にかんしてはかねがね疑問に思ってきたし、北川透をはじめ詩論家たちがこのことになにも触れようとしていないことにも不信感をもってきた。こういういわば「左翼小児病」的な批判はいまどき時代遅れで、たんなる世間知らずであるかのように思われるのであろうか。
「ちよんまげにてあんた宮中へ行くのかと訊くやつも居る 笑而不答【わらつてこたへず】」という歌にあるように、岡井はそうした批判には大人(たいじん)の微笑でやりすごすことができるのだろう。しかしそれでほんとうにいいのか。
 その疑問がいくらか解けるようになったのは、斉藤斎藤の解説「群衆と大衆――岡井隆のぬるぬるについて」に引用されたつぎの岡井の文章であった。ただしこの文は『岡井隆歌集』のなかには入っていない。
《飯島耕一からわたしが歌会始の選者になつたことについて、不快の念と抗議の文章がありそれに答へねばならないので、困る。栄誉とも思はずに受けたが、叱る人が多いので弱つた。褒める人もゐるけど。むかうから来た話はことわらないのがわたしの流儀。若いときと政治的な態度がかはるのはなぜか、これはわたしには個人的にも面白い問題だ。しかし、歌を作るときになにものにも干渉されないぐらゐのつもりはあつたし、どうも現実にはさういふことらしい。》と。
 これを引用した斉藤は岡井の「突き抜けたのらりくらりっぷりがすがすがしい」と書いているが、バカを言っちゃいけない。ここにはいくつか重要な問題がある。まず飯島耕一が現代詩の世界からきちんとした岡井批判をしてくれていたこと。これは現代詩にとってわずかに面目を保つ行動であった。ふたつめは、岡井が選者就任という行為を子供のように叱られたり褒められたりする行為にすぎないと判断していたこと。これは児戯に等しい。依頼されたらなんでも引き受けるというのはあまりに節操がない。そして三つめは、政治的態度が変わることを問われるのをおもしろがっていること。別に思想の変遷が生ずるのはかならずしも悪いことではないけれども、それにはやはり必然的な個人的理由がなければならないのではないか。岡井には左翼経験があるらしいが、それをあたかも他人事のように見ている自分とは誰なのか。そして最後に、歌を作るときにはなにものにも干渉されない気持ちで書いていること。これだけは正しい。ただしこの最後の一事をもって、思想の変遷、政治的行為の選択のでたらめさが、許されるわけではない。すくなくともものを書くという営為にかかわるものとして最小限の矜持をもつべきではないか――以上が、わたしの岡井への根本的な疑問である。
 こういう批判を書いてきたとはいえ、歌人(あるいは詩人)としての岡井隆の腕前をわたしはすこしも否定するつもりはない。
《きのうの敵は今日もなお敵 頬【ほ】をはしる水いたきまで頬を奔【はし】らしむ》(『岡井隆歌集』一四ページ)
《その場限りの嘘といふけどお前ナアその場限りの真実【まこと】もあるぞ》(同七一ページ、詞書として「直接民主主義に捧ぐる哀歌」)
 吉本隆明が言うように、《大切な想いを言葉の表現のうしろにかくしてさり気ない言葉をつぐことができる短歌的な技法が充分に生かされている。これは古典的な詩歌の「象徴」が長い年月でいかに深くまでとどいているかを示している》(「岡井隆の近業について――『家常茶飯』を読む」『岡井隆歌集』一三〇ページ)のが岡井隆の達成地点なのかもしれないと思う。たしかに岡井の歌は、生きているその場その場で思うことをことばの裏に隠しながら、しかも隠していることをどこかに見せつけながらことばを自在に繰り出していく瞬間芸に近いのかもしれない。そこはそんじょそこらのことば遊びであるツイッターなどとは芸の深さがちがうのである。
《すべてこれ架空の日記【にき】と気付きたるそのうれしさのたとへやうなき》(『岡井隆歌集』一二〇ページ)
 この天衣無縫とも言える磊落さにはどうもつける薬がない。岡井の出自のなせるわざとも、政治的無責任さともちがう、あやしい懐の深さが岡井隆の現在なのだろう。(2013/5/3)

*この文章は「西谷の本音でトーク」で書いた同題の文章を転載したものです。

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2013年3月28日 (木)

思考のポイエーシス178:モンテーニュの結婚をめぐる考察

 モンテーニュの『エセー』第2巻第35章「三人の良妻について」はモンテーニュらしく精彩あふれる考察に充ちている。この章の後半は3人の妻(そのうちのひとりは弟子である暴君ネロに自死を命じられたセネカの妻)が夫の死にさいして、みずからもいっしょに死のうとする「善良さと愛情の力を示した」具体例を挙げたものである。それぞれの事情において切羽詰まった状況のなかで高邁な精神の表われと言うべきものばかりだが、そうした例が稀少であるだけ、前半の夫婦をめぐる考察は鋭く真相に迫っているものと言ってよい。
 冒頭、結婚の義務についてモンテーニュはこう書く。
《結婚とは、厄介な事情がたくさんからまった取引【マルシェ】であって、ひとりの女性の意志が、全体として長期間持続することは、なかなか困難なのである。》(ミシェル・ド・モンテーニュ[宮下志朗訳]『エセー5』288ページ)
 男においても事情は同じようなものだが、いずれにせよこの困難を乗り切ってくれた女性にたいして男は感謝すべきかもしれない。そういうケースは稀であるが。
 モンテーニュによれば、その当時の妻たちは「義務や激しい愛情は、夫が死んだときまで、出さずにしまっておくのが当たり前」になっている結果、死んでからでは出し遅れの証文みたいなもので、「死んでからでないと夫を愛さないことの証拠のようなものだ」と言う。だから「生は争いで満ちあふれ、死は愛情と礼儀で満ちあふれている」(同前)という皮肉なことになる。
《悲しみの少ない女たちほど、派手に泣く》とはモンテーニュによるタキトゥスの書き替え(同289ページ)らしいが、真実に迫っていると言うべきか。今日でもまったく通用する痛烈なアフォリズムである。
《わたしが生きているときには、顔につばするようなことをした人間が、こっちが死にかけたら、足をさすりにやって来たりしたら、それこそ、腹が立って生き返るのではないだろうか。》(同前)これは想像するだけで笑える。
《夫の死に涙を流すことに、なにかしら名誉があるとしたら、それは生前に笑った妻だけに与えられるべきものだ。夫の生前に泣いた女たちは、寡婦となったら、心の中だけではなくて、表情に出して笑うがいい。》(同前)
《夫に先立たれて、メキメキと元気にならないような寡婦は少ない――健康ばかりは、うそをつけないのである。》(同前)これは広くみられるわりと凡庸な真実だが、後半のレトリックが優れている。
 訳注にあるつぎのセネカのことばも的確で、現代においてますます通じる観察だ。
《実際は、たいていの人間は人に見せるために涙を流すのであって、見ている者がいなくなれば、途端にその目は乾いてしまう。》(『心の平静について』一五の六)
 現代の乾いた夫婦関係において、このモンテーニュやセネカの考察が時代を超えてどれほど賢明であるかは驚くほどである。ローマ時代やモンテーニュの時代の結婚観、夫婦観を究極的に体現したここで挙げられた三人の良妻のようには、いまの女性たちには対応することはできないだろうが、問題はそのことではなく、この章のはじめでモンテーニュがふれているように、よい結婚であるかどうかが「両者の結びつきがどのくらい続いたのか、それがつねに穏やかで、忠実で、快適なものであったか」が問われているということなのである。わたしもふくめてどれだけの夫婦がこの問いに耐えられるだろうか。(2013/3/23)

(この文章は「西谷の本気でトーク」で掲載した同題の文章の転載です。)

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2013年3月 1日 (金)

思考のポイエーシス176:思考を思考する思考

 アリストテレスの「第一動者」とはみずから動くことも動かされることもないが、他のすべてのものを動かす。それはアリストテレスによれば「自己回帰の運動、循環運動」だとされるそうだが、デリダはこの自己回帰の循環運動を「思考を思考する思考」として欲望可能だとする。運動の欲望としての自己回帰が思考の欲望ということになる。このあたりの機微をサミュエル・ウェーバーはつぎのようにまとめている。
《思考は(……)自己が自己反省の過程を通して「自己享楽」する運動として、言い換えると時間と空間を越えて_¨同じままにとどまっている¨_能力に、つまり_¨一にして同¨_である能力――そのように_¨あり続ける¨_能力――に快を感じる運動として定義される。》(「ならず者民主主義」、「みすず」2010年7月号、傍点原文通り)
 まことに魅力的な〈思考〉の定義である。なんとも無時間的な運動であるから、そういう運動概念自体が自己矛盾してしまいかねないのだが――なぜなら運動とは時間と空間のなかを移動することであるから――、それでも思考を思考する思考という自己同一性への欲望こそが思考の運動を引き起こし、継続させ、ありうべき着地点で思考が自己完結する、というかたちでまた新たな思考を発生させうる。そういう思考の永遠性への欲望が解放されようとしているのであり、その更新されるダイナミズムこそ思考のポイエーシスへの欲望なのである。(2013/2/28)

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2013年2月27日 (水)

思考のポイエーシス175:藤井貞和を読みながら原発問題にあらためて言及する

 藤井貞和は時評コラム集『人類の詩』(思潮社)の「人類の詩 後書」(あとがき)のなかで、この批評集の刊行が東日本大震災の前に刊行準備をしていたのを震災の影響で中断したあとで、「前書」と「後書」を付すことで刊行することにしたと書いているが、そのあとで原発についてこんなことを書いている。
《日本社会を覆う、「安全論議」=再稼働の動きは、福島原発事故が収束していない、巨大な犯罪としてあるにもかかわらず、それをあたかも例外であるかのごとき位置に置いて、政治的に進められる。なすべきは福島原発事故を原点に、その人類的な〈悪〉に立ち返っての論議を進めることだろう。そこを外して、推進派の経済的思惑を楯に行われる安全という議論である。福島県への仕打ちとして、最悪の稼働の動きではないか。複雑な議論構造に耐えられるか、いまこそ叡智が試されるときに来ている。》(340ページ)と。
 まったくその通りである。その一方で、震災と原発の被災をリアルタイムでツイッターを使って福島から発信した和合亮一の動きを途中から追うようになったと言って和合を支持しながら、こんなことも書いている。
《あとになって、私の知るところでは、かれへの批判が次から次へ出てきて、信じられないことだ。ツイッターという、現代詩としては新しいメディアを動かし始めたことに対して、だいじな試みであると注目しこそすれ……》(349ページ、なお「……」は藤井の原文通り)
 わたしもその批判者のひとりなので(藤井が認識しているかどうかは知らないが)、いちおう言わせておいてもらう。ここで問題になっている「信じられないこと」というのが何を意味するつもりなのか判然としないが、もし和合のツイッターを使ったリアルタイムの原発(批判)詩が「新しいメディアを動かし始めた」「だいじな試み」だというだけなら、それはまずツイッターというものへの藤井の過剰評価にすぎないし、そんな試みならすでにいろいろなされている。藤井はツイッターについてあまり知らないと言っているからしょうがないが、ツイッターで書ける詩などそもそもそれほどのものではない。ただ問題は、まわりでひとが次々と被災し(そればかりか死んでいき)、自身もかなりの被災体験をしている渦中の和合がそれでも「詩」として、ある意味では異様に昂揚した気分でその体験を実況放送のように書いている、まさにそこに書くことの倫理の問題がひそんでいることなのである。
 その渦中の体験をツイッターででも書くことを、書くことへの飽くなき執念として評価するのは自由だが、特異な状況のなかで書くことの新しい体験を身をもっておこなったことへの和合の意識が、書かれてしまったことにたいして半ば無意識にある種の絶対性、悪く言えば、誰にも批判することのできない無謬性として権力的に主張されていないか、という倫理の問題なのである。まわりで死んでいくひとたちはもともと「ことばをもたない」ひとたちであり、ことばを発することさえ許されない状況のなかに埋没していくなかで、すくなくともことばをツイッターで発信できる環境にいる和合の書かれたものがジャーナリズムの世界で特権的に評価されてしまうそのなかで、書くことのだれにも代行しえない特権的な位置をすばやく獲得した和合の意識と無意識の問題が問われていないということなのである。
 たとえば神山睦美はそのような和合の書く行為にたいして「和合の言葉の発信はとどまるところを知らずというだけではなく、さまざまなメディアに登場することによって、なかば見境ないまでに語り続けられた」(「『信』の言葉」、「現代詩手帖」2012年12月号)ことに〈人間存在のヴァニティ〉の問題を見てとっている。
 神山の批評は穏当なものだが、和合亮一の無自覚なヴァニティへの傾きに懐疑的な視線を送っている。それにくらべても藤井は和合のことばの発信をあまりに手放しで了解しているのではないか、とわたしは思う。
 それとは直接の関係はないが、「現代詩手帖」の1月号で岡井隆が反原発の動きをあざわらう評言をしていたのが気になっている。〈原発を魔女のやうに怖れる風潮もここまで高まると一種滑稽味を帯びる。〉と。
 正確にはかぎりなく弛緩した散文詩「レクイエムの夜まで」のなかのことばであり、評論的なものではないが、詩のかたちをとったからと言って、その評言の反動性というかシニシズムが免除されるとは思えない。鼻持ちならない大人【たいじん】の対応のつもりなのだろう。
 反原発運動がいろいろ内部的に問題をかかえているのは、この種の運動論ではある面で当然だが、それでも藤井が言うように原発が「巨大な犯罪」「人類的な〈悪〉」であることにはかわりはない。自身は宮中の歌会始めにどっぷり浸かっていることを平然と書きながら、こういう評言を書いてしまう歌人を、この世界にくわしい藤井貞和ならどう考えるのかを知りたいと思うのは、わたしばかりではないだろう。(2013/2/27)

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2013年2月12日 (火)

思考のポイエーシス174:折口信夫の詩的言語論

 折口信夫は一九五〇年に書かれた「詩語としての日本語」のなかで詩的言語のあるべき方向性についていくつかの重要な提案をしている。当時の現代詩にたいする言及もあるにはあるが、これはほとんど建設的な意味をもたない。この時点での日本語詩は象徴詩のままであるという折口の認識は、その〈象徴〉の意味が上田敏や蒲原有明・薄田泣菫の時代のものの延長として、つまり外国詩の翻訳された観念としてしかとらえられていないから、曖昧である。もっとも折口は日本の詩における浪漫派と象徴派が、ヨーロッパのように時代必然的に交替すべきものとして現われてきたのではなく、いわば同時的に発生したことを見抜いているから、文学史的理解としては外れているわけではない。
「外国に必至的なものであつた象徴派・浪漫派の対立は、我国では見る事が出来なかつた。今から考へれば、日本の詩に限り、象徴派が即浪漫派であつたと謂ふ、不思議な姿を見せてゐる。つまり我国では、_¨ろまんちつく¨_な詩の運動は一足飛びに、理論的に象徴派に入つた事になる。」(『折口信夫全集12』一五三頁)
 たしかに戦前・戦中までの日本近代詩においては象徴派・浪漫派が混在して両立していたということはできる。問題は戦後初期にもその言語意識がそのまま継承されていたかということである。ここはにわかに断を下す準備はないので後日に期すことにして、「詩語としての日本語」の切り開いた視点をここでは確認しておくことにしよう。
 この論文のエピグラフとして掲げられた小林秀雄訳ランボー「酩酊船」の訳に現われているように、「極めて晦渋な第二国語」としての翻訳語の文体が出現しつつあり、もともとの国語(第一国語)とのあいだに断絶があることを指摘して、つぎのように折口は書く。
「二つの国語の接触・感染・影響と言ふ様な直接な効果ではなく、一種不思議な翻訳文が間に横はつてゐて、それの持つ原語とも、国語ともどちらにつかずの文体が、基礎になつてゐるのでは、何としても健全とは言へぬ。(中略)詩語はどこまでも、第一国語と同じものでなくてはならぬと言ふ訣ではなく、第二国語として独立しないまでも、第一国語に対してもつと自由であつてよい訣だ。そこに詩語の権威がある。第一国語から離れすぎてゐると言ふ事が誇るべき事でないと同じに、それに近いと言ふ事が必しも詩語の強みになる訣でもない。」(同前一四二頁)
 ここで主張されていることはベンヤミンの「翻訳者の使命」で言われる、諸言語間の翻訳を通じて理念的に想定される〈純粋言語〉というようなものではもちろんない。しかし、日本語内においてネイティヴな国語と外国詩の翻訳を通して導入された「極めて晦渋な第二国語」とのあいだに「健全とは言」えない関係が構築されつつあるのは事実であり、にもかかわらずその関係が今後の日本語自体にもたらそうとする決定的なことばの変容への予感というか覚悟が問題とされているのである。「だが多く日常の第一国語は、詩語としての煉熟を経てゐない。たゞ生きたままの語である。この日常生活には極度に生活力をもつた第一国語の生活力を、詩語としての生活力に換算するのが、今日の詩人の為事でもあり、大きな期待でもある。」(同前一四二―三頁)と折口が書くのはそのためである。
 そして途中の細かい実例をとばして言えば、折口信夫はこの小論文のまとめとしてつぎのように書く。
「私の話は、詩語としての古語を肯定した。併しこれは、最近までの歴史上の事実の肯定に過ぎない。そしてつゞいて、詩に於ける現在語並びにその文体を悲観して来た。併しこれは、未来語発想と言ふことを土台として考へる時、もつと意義を持つて来る。単なる現代語は、現代の生活を構成するに適してゐる、と言ふ様な合理論に満足出来ぬのである。未来語の出て来る土台として現在語を考へるのである。(中略)こゝに到つて、私は最痛切に悲観した翻訳詩体を意味あるものとして、とりあげねばならなくなつた。翻訳詩を目安として、新しい詩を展示しようとしてゐる詩人たちの努力を無にせずにすむのである。」(同前一五四頁)
 こうして問題は一巡する。「極めて晦渋な第二国語」としての翻訳文体がここで復権するのである。折口はここから先には進んでいかないが、こうした断層化した日本語の現在語の事態を、そこから未来語のでてくるための土台として肯定することによって日本語のヴァイタルな進展を希望したのであろう。すくなくとも現代詩はそうした折口の期待にいくらかは応え、多くは未回答のままであると言うべきである。(2013/2/12)

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