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2013年5月

2013年5月28日 (火)

思考のポイエーシス181:鈴村和成版ランボー全集の意味

 ようやく鈴村和成個人全訳『ランボー全集』(2011年、みすず書房)を読み終わる。これまでいろんなひとのランボー訳を読んできたが、鈴村訳は通常は「酔いどれ船」(小林秀雄訳)と訳すところを「酔いどれボート」とするなど、全体にポップなところがある。わたしのように粟津則雄訳(新潮社版世界詩人全集)によって最初の、そして決定的な刻印を捺されたものにとっては、「……(した)よ」といった語尾で終わるインティメートな語感がちょっと異和感が残る。もうちょっとツッパリ感があるのがランボーじゃないかと思うが、これが鈴村のランボー観なんだろう。
 それはともかく、このみすず版ランボー全集の見どころは、鈴村がこの間、一貫して関心をもちつづけてきた〈アフリカのランボー〉を反映して初期のものをふくむアフリカからのランボー書簡を全訳しているところである。年譜でもほかのひとよりアフリカ以後のランボーに力点が置かれていることがわかる。鈴村の「解題」によれば、「詩・散文・書簡を_¨通して¨_読むことで、今まで信じられてきたランボーの〈沈黙〉という――多分にロマン主義的な――神話から解放された、詩人のうちに〈書くこと〉が持続する、驚くべき新しい光景が発見されます。/そこにランボーの生涯がどんな自伝や伝記よりリアルに浮かびあがるのです。そればかりか、アフリカ書簡がオリエンタリズムやポスト・コロニアリズムと切り結ぶ、すぐれて現代的な主題が見えてきます。」とあるように、〈アフリカのランボー〉を現代の新しい視点から捉え直そうとしているところに鈴村の独自のランボー解釈が見られる。最近、鈴村が刊行した『書簡で読むアフリカのランボー』(2013年、未來社)はアフリカにおいて書簡というかたちで書くことの持続を実現したランボーを〈書簡作家(エピストリエ)〉という視点から解読しており、「著者のランボーにかかわる本の総決算」(「追い書き」)と言わしめているのは、この解釈を徹底して実践してみせたからにほかならない。
 そうしてみると、ランボーとは汲めども尽きぬ謎の詩人でますますありつづけているとあらためて言うほかない。

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2013年5月17日 (金)

思考のポイエーシス180:萩原朔太郎と〈死後の生〉

 萩原朔太郎に「死なない蛸」という散文詩がある。水族館に飼われていた蛸が、いつのまにか存在を忘れられ、ひとびとはその蛸は死んだものと思っていた。腐った海水だけが水槽にたまっていたのだが、蛸は死んでいなかったのだ。
《けれども動物は死ななかつた。蛸は岩影にかくれて居たのだ。そして彼が目を覺した時、不幸な、忘れられた槽の中で、幾日も幾日も、おそろしい飢饑を忍ばねばならなかつた。どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、彼は自分の足をもいで食つた。まづその一本を。それから次の一本を。それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。少しづつ他の一部から一部へと。順順に。/かくして蛸は、彼の身體全體を食ひつくしてしまつた。外皮から、腦髓から、胃袋から。どこもかしこも、すべて殘る隈なく。完全に。》
 そして番人が気づいたときには水槽は空っぽになっていたのである。ところがそのあとがすごい。
《けれども蛸は死ななかつた。彼が消えてしまつた後ですらも、尚ほ且つ永遠にそこに生きてゐた。古ぼけた、空つぽの、忘れられた水族館の槽の中で。永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――或る物すごい缺乏と不滿をもつた、人の目に見えない動物が生きて居た。》〔「そこに」に◎付き〕
 こうして怨念と化した蛸が目にみえずに存在をつづけているという想念はわたしを震撼させる。これは言うまでもなく蛸に擬せられた人間存在の問題であるからだ。個人は死してどこか見えない存在として生きつづけるのかもしれない。たんに宗教的観念としての〈不死〉といったものではなく、怨霊といったこの世への未練でもなく、ただひたすら存在者の結末としての生の永遠の存続、あるいは〈死後の生〉。この永遠に存続する生は人間がいなくなったあとの世界(宇宙)をも凝視しつづけるのではないか。
 レヴィ=ストロースはこんなことを書いている。
《存在することの現実への直観と不可分に結びついている、存在しないという現実がある。というのも、人間には、生き、戦い、考え、信じ、とくに勇気をもちつづけていくことが課せられ、しかも彼は以前には_¨地球上に¨_いなかったことや、つねに_¨地球上に¨_いつづけるわけではないこと、さらにはそれ自身消滅することの約束されたひとつの_¨惑星の表面¨_から人間が間違いなく消えていくのと同時に、人間の労働、苦しみ、喜び、希望、作品もまたあたかも存在したことがなかったようになくなるという確実さを一瞬も見失うことはない(……)》(『裸の人』)
 この〈存在しないという現実〉とは〈死後の生〉でもあり、もしかしたら生まれる以前の生でもあり、地球が消滅したあとにも生きつづけるものかもしれない。そうなると汎神論的存在にちかいものかもしれないが、そこに宗教や神、さらにはアニミズム的な観念を持ち込まずにいることこそ朔太郎的な詩のイメージの強さであり、文学の〈死後の生〉としての価値なのである。(2013/5/17)

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2013年5月 3日 (金)

思考のポイエーシス179:いま、岡井隆をどう読むか

『岡井隆詩集』『岡井隆歌集』(いずれも現代詩文庫)を読み終わった。これまで雑誌以外ではあまり読むことがなかった岡井だが、なぜかこの二冊は著者から恵贈されたので通読したのだが、感心するところもあり、首をひねるところもあって、岡井隆という歌人のしたたかさがとりわけ印象に残った。
 現代詩の世界で話題になった詩集『注解する者』はたしかに斬新な切り口で含蓄豊かなコメントを散文詩脈で書き流してみせて、これはこれでひとつの書法としてある完成度を示してみせたものだし、歌人でありながら現代詩への関心がこれまでどの歌人よりも高かったせいか、現代詩への越境のしかたも板に付いているところがある。そう思って歌集(これは全歌集からのアンソロジーだが)を繙いてみると、最近のものになるほど現代詩的な喩法が自在に取り込まれているのを見て、なるほどと思うところがあった。大辻隆弘の解説「懊悩と豊穣」によれば岡井のこれまでの歌業の流れのなかでも最近のものは「ハイブリッドな口語文語混交体」によって「いよいよ豊穣の境地に入っていこうとしている」そうだが、もしそうならその自在さは饒舌さ、ゆるさなどと紙一重のところにあるノンシャランスでもあって――事実、そういう危険のある歌も数多い――、『注解する者』はその最大の成果であるかもしれない。
 わたしとしては、これまでの岡井への疑問は、初期の吉本隆明による岡井批判(『抒情の論理』に収められている)と、最近の宮中歌会始選者としてのあられもないかかわりぶりにある。前者については先般「現代詩手帖」に書いた吉本隆明論「吉本隆明をめぐる断言肯定命題」でもすこし触れたが、後者にかんしてはかねがね疑問に思ってきたし、北川透をはじめ詩論家たちがこのことになにも触れようとしていないことにも不信感をもってきた。こういういわば「左翼小児病」的な批判はいまどき時代遅れで、たんなる世間知らずであるかのように思われるのであろうか。
「ちよんまげにてあんた宮中へ行くのかと訊くやつも居る 笑而不答【わらつてこたへず】」という歌にあるように、岡井はそうした批判には大人(たいじん)の微笑でやりすごすことができるのだろう。しかしそれでほんとうにいいのか。
 その疑問がいくらか解けるようになったのは、斉藤斎藤の解説「群衆と大衆――岡井隆のぬるぬるについて」に引用されたつぎの岡井の文章であった。ただしこの文は『岡井隆歌集』のなかには入っていない。
《飯島耕一からわたしが歌会始の選者になつたことについて、不快の念と抗議の文章がありそれに答へねばならないので、困る。栄誉とも思はずに受けたが、叱る人が多いので弱つた。褒める人もゐるけど。むかうから来た話はことわらないのがわたしの流儀。若いときと政治的な態度がかはるのはなぜか、これはわたしには個人的にも面白い問題だ。しかし、歌を作るときになにものにも干渉されないぐらゐのつもりはあつたし、どうも現実にはさういふことらしい。》と。
 これを引用した斉藤は岡井の「突き抜けたのらりくらりっぷりがすがすがしい」と書いているが、バカを言っちゃいけない。ここにはいくつか重要な問題がある。まず飯島耕一が現代詩の世界からきちんとした岡井批判をしてくれていたこと。これは現代詩にとってわずかに面目を保つ行動であった。ふたつめは、岡井が選者就任という行為を子供のように叱られたり褒められたりする行為にすぎないと判断していたこと。これは児戯に等しい。依頼されたらなんでも引き受けるというのはあまりに節操がない。そして三つめは、政治的態度が変わることを問われるのをおもしろがっていること。別に思想の変遷が生ずるのはかならずしも悪いことではないけれども、それにはやはり必然的な個人的理由がなければならないのではないか。岡井には左翼経験があるらしいが、それをあたかも他人事のように見ている自分とは誰なのか。そして最後に、歌を作るときにはなにものにも干渉されない気持ちで書いていること。これだけは正しい。ただしこの最後の一事をもって、思想の変遷、政治的行為の選択のでたらめさが、許されるわけではない。すくなくともものを書くという営為にかかわるものとして最小限の矜持をもつべきではないか――以上が、わたしの岡井への根本的な疑問である。
 こういう批判を書いてきたとはいえ、歌人(あるいは詩人)としての岡井隆の腕前をわたしはすこしも否定するつもりはない。
《きのうの敵は今日もなお敵 頬【ほ】をはしる水いたきまで頬を奔【はし】らしむ》(『岡井隆歌集』一四ページ)
《その場限りの嘘といふけどお前ナアその場限りの真実【まこと】もあるぞ》(同七一ページ、詞書として「直接民主主義に捧ぐる哀歌」)
 吉本隆明が言うように、《大切な想いを言葉の表現のうしろにかくしてさり気ない言葉をつぐことができる短歌的な技法が充分に生かされている。これは古典的な詩歌の「象徴」が長い年月でいかに深くまでとどいているかを示している》(「岡井隆の近業について――『家常茶飯』を読む」『岡井隆歌集』一三〇ページ)のが岡井隆の達成地点なのかもしれないと思う。たしかに岡井の歌は、生きているその場その場で思うことをことばの裏に隠しながら、しかも隠していることをどこかに見せつけながらことばを自在に繰り出していく瞬間芸に近いのかもしれない。そこはそんじょそこらのことば遊びであるツイッターなどとは芸の深さがちがうのである。
《すべてこれ架空の日記【にき】と気付きたるそのうれしさのたとへやうなき》(『岡井隆歌集』一二〇ページ)
 この天衣無縫とも言える磊落さにはどうもつける薬がない。岡井の出自のなせるわざとも、政治的無責任さともちがう、あやしい懐の深さが岡井隆の現在なのだろう。(2013/5/3)

*この文章は「西谷の本音でトーク」で書いた同題の文章を転載したものです。

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