« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »

2013年4月

2013年4月20日 (土)

断章16

ひたすらことばを追うのはどうしてか
読むことをやめられない
書きたいことをみつけるためにはことばに接していなければならない
するとこんなことばに出会う
「小日向【こびなた】から音羽【おとは】へ降りる鼠坂と云ふ坂がある。(……)ここからが坂だと思う辺【へん】まで来ると、突然勾配の強い、曲がりくねつた小道になる。」
これは森鴎外の「鼠坂」にあるそうで岡井隆の「鼠年最初の注解【スコリア】」(*)からの孫引きだが
この坂道には心当たりがある
だからどうだというわけではない
それは同じ区にある仕事場のそばの法蔵院に引きこもっていた漱石を子規が訪ねたことがあるらしいとあるとき来訪された女性研究者とその娘さんに教えたことがあるというぐらいに平凡な話だ
数寄者の岡倉天心の『茶の本』は西欧のタームで日本の美の精神を世界に弘めたと小林康夫は書いている(**)
すごい秀才だが時の権力者九鬼隆一をコキュにして妻波津子を奪ったその手口は波津子が当時としてはまれにみる美形だったところが天心の美学にかなったのだろうがけっこう通俗的だった
いつも母から天心の話ばかり聞かされていた周造はドイツ留学も気もそぞろだったかハイデガーも認めた優秀な哲学者も日本に戻れば「いき」を分析することで母の恋人の精神をいくらかは継承したことになる
明治の近代はそうして暮れたがいまは浮力のついたことば(***)をどうやって落ち着かせるか誰も考えない
こうしてことばが開く深淵に時代とともにみんなして墜ちていくのである

(*)『岡井隆詩集』(現代詩文庫)四四頁。
(**)小林康夫『こころのアポリア――幸福と死のあいだで』七八頁以下。
(***)粟津則雄の渋沢孝輔との対談「言語と想像力の危機」でのことば。
(2013/4/19)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月15日 (月)

断章15

ついに怒りに火がついた
ことばは決定的に壊れるがよい
日本語は日々汚染されていく
「公開を迫られるくらいなら捨ててしまえ」
外務省の雑魚役人がわめく
政治家や官僚にとってことばは方便
嘘つきのリアリティさえもない
かつての鳥肌の立つような「美しい国」から
殺意を秘めた「強い国」へ
ことばもろくに知らない施政者がつづくこの国で
だれが責任とる?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »