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2013年3月28日 (木)

思考のポイエーシス177:モンテーニュの臭さ

 モンテーニュは自分の弱さを卑下しながら、こんなふうに書いている。
《危険と直面すると、わたしの場合、どうやってこれを逃れようかと考えるよりも、むしろ、これを逃れることなど、どうでもいいことではないかという風に発想する。そして、このままだと、はたしてどうなるのだろうかと考えるのだ。できごとを調整できなければ、自分自身を調整するのだし、できごとがわたしに合わせないのなら、こちらから合わせにいく。運命をかわしたり、逃れたり、ねじ曲げたり、先見の明をもって、ことがらを自分の有利な方向に導くといった才覚を、わたしはほとんど持ち合わせてはいない。そのようなことに求められるつらさや気苦労に耐えるだけの忍耐力などは、さらに持ち合わせていない。》(ミシェル・ド・モンテーニュ[宮下志朗訳]『エセー5』87ページ)
 わたしもときにそんな気になるが、実際はそんな遁辞を言っていてすまされるようなわけにはいかない。モンテーニュの出自と環境がこんな悠長なことを書いていられるのだから。このような記述こそルソーがもっとも嫌うものだろう。
 ルソーは『孤独な散歩者の夢想』のなかでこんなことを書いていたではないか。
《わたしはいつもモンテーニュのいつわれる無邪気さを笑っていた。彼は自分の欠点を白状するようなふりをしながら、ただ好ましい欠点しか暴露しないように用心しているのだ。》(岩波文庫、181ページ)
 ルソーのように逆境に身をさらされつづけた人間だからこそ、このモンテーニュの臭さがよく見抜けたのだ。(2013/3/9)

(この文章は「西谷の本音でトーク」の同題の文章を転載したものです。)

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