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2012年10月24日 (水)

思考のポイエーシス170 ルソーの自然法理解

 ルソーは『人間不平等起源論』の序文で法のありかたを自然人(野生に生まれついた人間)との関係でつぎのように定式化している。
《われわれが自然人を知らないかぎり、自然人が受け取った法もしくは自然人の構成にもっともふさわしい法を定義しようとしても無駄である。われわれがこの法にかんしてきわめて明白にわかることは、それが法であるためには、その法を課される人の意志が、その法を知ったうえで従わなければならないばかりか、その法が自然のものであるためには、その法はさらに自然の声によって直接にかたりかけねばならないということである。》(『ルソー選集6/人間不平等起源論・言語起源論』19ページ)
 ルソーはここで〈社会性〉という原理の導入以前に、法とは、自然権がもつべき「人間の魂の最初のもっとも単純な働き」への顧慮、すなわち安楽や自己保存への関心とか同胞の死や苦しみにたいする自然な嫌悪感といった、自然人の理解しうる自然法的な裏づけのある〈法〉でなければならないことを指摘している。18世紀前半という、近代以前の封建社会にあっていちはやく人間社会における不平等の問題を論じたルソーは、一世紀後のマルクスのように〈階級闘争〉というような近代的な視点をもつことはできなかったかわりに、まずは自然法という誰にも否定することのできない観点をよりどころに、直観的に先駆的な社会批判を開始することができたのである。そこにはホッブズやロックといったイギリス哲学の自然法理解への批判的媒介を経ていることも考慮すれば、この社会批判は当時にあって、社会思想家としてのルソーの抜群の新しさであったと言っていい。(2012/10/23)

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