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2012年3月 1日 (木)

思考のポイエーシス145

 書物を警戒せねばならぬ
 書物は我等の目を盗んで増殖するから
 (中略)
 書物を焼却せねばならぬ
 書物は魂を持って繰り返し蘇生するから
 書物を読んだ頭も焚殺せねばならぬ
 書物を読んだ頭はもう一つの書物であるから
 書物を記憶した遺伝子も絶滅せねばならぬ
 書物を記憶した遺伝子は書物の種子であるから
 書物を産んだ世界は終末せしめねばならぬ
 書物を産んだ世界こそ本源の書物であるから

 なんという不穏な詩だろう。全部でたった十八行しかないこの詩の行頭はすべて「書物」で始まっていて、表面的に読めば、あたかも反書物論のように見えるかもしれない。もしそう思うひとがいたら、そのひとは詩ということばの構造がどのような逆転を孕んで成り立っているものか想像の及ばないひとであろう。この詩はむしろ書物への偏愛をうたったものであり、〈書物〉というモノがわれわれ人間にとってどれほど奥深いところで仕掛けられた、汲めども尽きぬ豊かさの源泉になりうるものかを言祝いでいるのである。
 この詩のタイトルは「書物戒」(*)。書いたのは反逆の詩人、高橋睦郎。作品そのものはこの詩人のものとしては必ずしも出来のいいものではないが、むかしから〈書物〉に耽溺しているであろうこの詩人の書物愛が思わずほとばしったと思える佳篇である。いまは書物のデジタル化だの電子書籍だのといった書物への愛のかけらも感じられない情報のエコノミーが蔓延しているなかで、このような偏執的なまでのボルヘス的書物愛は異例であり、だからこそこうした屈折した反語的表明になったのだろう。本源の書物はけっして絶滅させることはできないのである。

 *この詩は昨年(2011年)刊行された高橋睦郎詩集『何処へ』(書肆山田刊)に収録されている。(2012/2/29)

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