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2012年1月

2012年1月16日 (月)

思考のポイエーシス142

 出版の問題について教材用にその概略を書く必要があって、古代ギリシアの全盛期アテナイで出版事業と書籍市場が早くも発生していたというカール・ポパーの講演があったのを思い出した。これはポパーが一九九二年の京都賞受賞のさいに来日したときの記念講演で、長尾龍一・河上倫逸編『開かれた社会の哲学──カール・ポパーと現代』(一九九四年、未來社刊)という本に収録されている。
 ここでポパーはあくまでも大ざっぱなものだがと断ったうえで、「歴史上の新発見」として仮説を提示したのである。その後、この議論がどういう位置づけを獲得したのか不明だが、通常は十五世紀のグーテンベルクによる聖書印刷によって開始されたと見なされている近代印刷術とそれにともなう出版事業がなんと二千年も前にさかのぼるギリシア時代にその萌芽があったというのだから驚きだ。
 ポパーによれば、紀元前六世紀ごろのアテナイの僭主であると同時に文化事業の擁護者でもあったペイシストラトスがホメロスの叙事詩を書物とする事業を始めたところに端を発するそうである。「ペイシストラトスのこのホメロス文書化事業こそ、後世に比類なき影響を及ぼしたもので、それは西洋文明史上の焦点というべきものである」とポパーはこの講演での中心命題を要約している。
 どういうことかというと、当時のアテナイ市民のあいだに人気の高かったホメロスの作品を公開朗読会のさいに書物のかたちで配布したところ「大人気を博したことが、出版を商売にしようというような考えを生み出した」ようである。もちろんこの時代に印刷機などはないので、どうしたのか。
《書物の制作は、具体的には、大勢の文字を解する奴隷に、口頭で唱えたものを書き取らせる方法で行なわれた(……)書き取った紙片は巻物に編纂されて、「書物」(ビブロス)とよばれて、「オルケストラ」と呼ばれた場所で売り出されました。》(20ページ)
 こうしてまずホメロス人気に乗って開始された出版事業で、このあと他の詩人の詩集や悲劇・喜劇の作品などがどんどん書物化され、市場(アゴラ)における書籍市場(ビブリオニア)が制度として確立することになった。こうして出版を意図する著述までも現われるようになり、そうした最初の著書はアナクサゴラスの科学論『自然論』だとポパーは推測している。
 こうした地中海世界における最初の出版行為によって出版事業が発明されたとポパーは言う。書籍市場が確立されることによって出版事業も成立したわけであり、ポパーによれば、こうした制度の確立によって市民の字を書く能力の発展をうながし、権力者の「陶片追放」(オストラシズム)を可能にさせ、ギリシアの文化と民主主義の発展に大きく寄与することになったのだということ、それがヨーロッパ文化の起源にもなっていくという壮大なスケールの見取り図がつくられていく。
 この講演をしめくくるにあたってポパーはつぎのように結論づける。
《われわれの文明は、その発端から「書物の文明」(bookish civilization)であったのです。この文明は、伝統に依存しながらも革新的で、真摯であり、知的責任を重んじ、比類ない想像力と創造性を発揮し、自由を尊び、それへの侵害に敏感な文明ですが、これらすべての属性の根底にあるのが、「書物への愛」に他なりません。私は、短期的流行や、ラジオやテレビ、コンピューターなどによって、人々の書物への愛が毀損されないこと、いな多少でも減殺されないことを祈ってやまないのです。》(26ページ)
 いまならこれに携帯電話やインターネット、さらには電子書籍などが加えられるべきだろう。しかしポパーはこのあとさらにつぎのようにクギを刺している。
《しかし私は、書物讃美論によってこの講演の結末としたくはありません。(……)忘れてならないのは、文明を構成するのは人間であり、文明を身につけた、即ち有意義な、文明的な生活を送っている個々の女性ないし男性だということです。書物であれ、文明の他の諸要素であれ、それはわれわれの人間的目的を増進するところにその意義があるのです。》(26-27ページ)
 このポパーの言明をこそ、わたしたちはあらためて出版文化再生のための原点に据えなければならない。

*この文章は「出版文化再生ブログ」の「11 出版事業の発明」として掲載されたものを転用したものです。
(2012/1/15)

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2012年1月 7日 (土)

思考のポイエーシス141

 デカルトの方法はコギトつまり思惟することを第一原理とするところにあったが、『方法序説』をよく見ると、まるで社会科学者のようなことを言っているところがある。
「私が見いだしたものはわずかでもすべてありのままに世間に伝え、有能な人々を私よりもさらにさきへ進むようにうながし、かれらがおのおのの好みと能力とに応じて、必要な実験に協力するように、かつかれらもまたみずからの学び知ったところをすべて世間に伝えるようにうながすことである。こうすれば、後の者は先の者が終えたところから始めることになり、かく多くの人の生涯と努力とをあわせることによって、われわれは皆いっしょに、めいめいがひとりで達しうるよりもはるか遠くまで進むことになるであろう、と思ったのである。(『方法序説』第六部)
 まるで思惟の歴史が別人のなかであたかも系統発生のように反復あるいは反芻されることがありうるかのように。たしかに哲学史とはそうした先人の思索の衣鉢を継ぐようにして思想の新たな展開をはかることがありうる。その意味でデカルトのコギトは誰がなんと言おうと哲学の原点はまさにひとが哲学すること、つまりことばで考えることを出発点としてそこに自分の存在を確定するという、言語的存在としての人間の地歩を固めたところに、めざましい発見があったと言える。たしかに後生のひとがいろいろ批判するように(わたしもそうだが)問題点がないわけではない。
 しかし思惟の力は「後の者は先の者が終えたところから始める」ことができるかもしれないが、社会科学のように先人の達成がそのまま学問の財産として前提になっていくのとちがって、哲学することはその思惟の力量がないものにとってはただ先人のエピゴーネンになるにすぎないことがあまりにも多いのではないか。デカルト派と呼ばれるひとたちが結局デカルトを超えることが誰もできなかったように。デカルトはじつはすでにこうした事態を見抜いていたのではないか。先の引用の先の方でこう書いているからだ。
「それを始めた者がまた最もよくそれを仕上げうる者であるような仕事が世にあるとすれば、それこそ私のやっている仕事なのである。」──ここにデカルトという人間の一筋縄でいかないしたたかさがあった。(2012. 1. 7)

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2012年1月 5日 (木)

思考のポイエーシス140

「私はデカルトを許すことができない。彼はその全哲学のなかで、できれば神なしに済ませたいと思った。だが、彼は世界に運動を与えるために、神に最初のひと弾きさせないわけにいかなかった。それがすめば、もはや彼は神を必要としない。」とブレーズ・パスカルは書いている。(『パンセ』77)
 この十七世紀の同時代人(と言ってもパスカルはデカルトより二七歳も年下だが)はいずれも優れた科学者であり、フランス流のモラリストと言うべき側面をもっていて、体系的な哲学者ではなかった。それでもデカルトのほうは哲学的方法論の提唱者として近代哲学の幕開けにおいていまでも重要な思想家であることは変わりない。しかし前節でわたしがデカルトに向けた疑問は、こうして同時代人パスカルから見れば、デカルトはたんに神を利用しただけだ、という批判に尽きてしまう。キリスト者であったパスカルからすれば、デカルトの功利主義的な神の利用を許せなかったということであろうか。ともあれ、このようにデカルトを解釈してみれば、その哲学的方法の致命的とも思われる欠陥をむしろ希釈して、デカルト哲学を再評価する途が開けるとも言えるかもしれない。(2012. 1. 5)

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