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2011年9月23日 (金)

断章9

「日本のように、ひとつの国でひとつの日本語という言語を使っているような国」*と
ある詩人は書いている
ことばのありかたに敏感であるべき詩人の
現実認識の程度とはこんなものでいいのか
日本の北端と南端の言語は日本語か
むかしこの国の首相が日本は一民族一言語で構成されていると
無知なのかどうか政治的な言説を吐いていたな
それと変わらないこの無意識と無知
このひとの言説は相当に甘いところがよくある
いまの編集者はこういう不注意をチェックしないのかねえ
もしかしたらできないのかも
そう思うと沖縄のウチナーグチは
鹿児島弁のなんだかわからない方言とも
明らかにちがう
琉球音楽の三線もヤマトの旋律とは
どう聴いてもちがうのである
琉球人の話し方も書き方もどこか翻訳を感じさせる
東アジアの一角という概念は琉球にはない
かわりに南アジアという視角から日本を相対化して見ている
ここではことばは簡単に消滅しない
こういうことを知らないと日本のこともわからない
ことばを書くことは諸刃の剣であることを
日本の詩人もそろそろわからないといけないだろう

*城戸朱理「言葉が消滅するとき」

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コメント

 城戸朱理氏はこんなことを言っているんですね。いわゆる詩壇のここ十年ほど?の質の低さにはがっかりしていますが…… あらためて愕然としました。

投稿: mts | 2012年3月 1日 (木) 12時33分

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