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2008年3月

2008年3月16日 (日)

思考のポイエーシス2000年

126
  日溜まりのほうへ
  軽く伸びた毛深い腕
  その内側に鼻の長い顔が埋まっている
  かぎりなくいたいけな
  小さな命の無心の世界が
  座布団の上に
  円を描いている
  ヒトの感情の襞に
  じっと瞳を向ける
  いつものとぼけた表情も
  いまは安らかな眠りの
  まん丸い時間なのだ

 犬の時間はまるく、人間のそれは垂直に深淵に切れ込んでいる。(2000/4/2, 3)

127
 しばらくぶりに「思考のポイエーシス」を書く。
 書くという行為は自然に生ずるものではない。考えることをひとはいつでもしているつもりだが、書く行為に結びつかないものはほんとうは何も考えていないことなのかもしれない。いや、そこまで言わずとも、深く考えるということ、よくよく考えてみることは頭のなかだけではなかなか成立しないものなのだ。世俗的な打算や計算、ちょっとした生活の知恵のようなものはある意味で既成の知の反復にすぎない。そんなものならいくらでも考えられるし、知っている。逆に言えば、そんな計算や知ならなにも新しく書く必要はないのだ。どこにも発見がないし、ひとから依頼されたものであったとしたらなおさら、そんなわかりきったことを書く気にはならない。誰もそんなものは読みたがらない。
 とはいえ、書くことがいつでもまったく新しいことばかりなんていうことはできない相談だ。ひとは既知のことを新しく組み替えることができるときにこそ書くべきだ。書くということはそうした既知の知の秩序やら構造を変換すること、そこに独自の発見を付け加えることなのではなかろうか。(2000. 5. 7)

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思考のポイエーシス1999年

125
「エッセイの行き方は方法的に非方法的である」(アドルノ)。──「非方法という方法」こそが〈エッセイ〉の特質である。(1999. 2. 2)

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思考のポイエーシス1998年11/12月

122
「良識はこの世でもっとも公平に分配されているものである。」(ルネ・デカルト『方法序説』冒頭)
「デカルト哲学、ひいては近世哲学の出発を飾るマニフェスト」(塩川徹也)とされるものだが、デカルトが世間の常識的な見解を根拠にしているのはすべてを疑う哲学者デカルトらしくないとされる。
    ◆
「彼女の楽しげな 脚のあいだの
元気づいた 割れ目は
ぼくのバラバラな 欲望を引っ張り込み
ひとつの かたまりにした」(E・E・カミングズ[谷川昇訳]「ひとつの軍隊のように」、詩集『And』より)
    ◆
「人間たちが正しいときはいつも
彼らがもう若くはない
ということなのだ」(E・E・カミングズ[谷川昇訳]「心よ」、詩集『新詩集』より)(1998. 11. 21)

123
「主観性の優位を問題視する徹底的な仕方は、テクスト理論を解釈学の軸とみなすことである。テクストの意味が、その著者の主観的な意図に対して自立するのに応じて、本質的な問題は、テクストの背後に見失われた意図を再発見することではなく、テクストが開示し、発見する〈世界〉をテクストの前に展開することである。」(Paul Ricoeur:Phe+'nomenologie et herme+'neutique)
    ◆
「言述(discours)としてのテクストでは、記号論的次元よりも意味論的次元が優先する。テクストはそれ自身の閉域にとじこもらず、〈世界〉を、テクスト的世界をもつ。それゆえに詩的テクスト、文学テクストも指示作用をもつ。すなわちそれはテクスト世界を指示するのである。」(久米博「『傷ついたコギト』から自己の解釈学へ」)
    ◆
「自己理解することは、テクストの前で自己理解し、テクストから、読解行為に到来する自我とは異なる自己の諸条件を受け取ることである。」(Paul Ricoeur:De l'interpre+'tation)(1998. 11. 24)

124
Elle a la form de mes mains(Paul Eluard: L'amoureuse/詩集“Mourir de ne pas mourir”1924、所収)
「彼女はわたしの手のかたちをしている」とは言うまでもなく、愛撫することの喚楡。(1998. 12. 14)

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思考のポイエーシス1998年7/8月

117
「タブー」(第一稿)
いつもの多忙なひとが
あなたの/わたしの前に立っている
鼻をこすりつける犬の欲望は
なかなか成就されない
腰のはいった脚をひらくと
火の技法が膝を割り
去年今年を貫くように
多忙なひとはねんごろになる(1998. 7. 7)

118
「タブー」(決定稿)
いつもの多忙なひとが
遠来のあなたの前に立っている
ひととひとをへだてる
快楽の犬は鼻の先にあり
秘められた儀式は
なかなか成就されない
あなたのひらかれた企みに
弓なりにしなる腰がはいると
去年今年を貫くように
火の技法が膝を割り
多忙なひとはねんごろになる(1998. 7. 9)

119
([野沢啓が読む6]の下書き原稿)
 このところ比較的平穏な(ぬるま湯的な?)日常を送ってきたかの観のある現代詩の世界にも、最近ようやく戦争の記憶をめぐる現在の思想や歴史の領域できびしくたたかわれているいくつかの論争にかかわろうとする者が現われてきつつある。それもかならずしも生産的というより、むしろある種の反動性をおびるかたちで現われているので始末が悪い。
 あるジャーナリストによって〈歴史主体論争〉と名づけられた加藤典洋と高橋哲哉の論争は、第二次世界大戦における日本軍の侵略によって殺されたアジアの二千万の無辜の死者への謝罪が先か、それとも元日本軍兵士三百万の戦死者への哀悼が先かという争点をめぐって、日本人としての自己の立ち上げを優先する加藤と、自己の立ち上げにはアジアの国々という歴史的な他者との謝罪をふくんだ関係回復の努力が先行するとする高橋の論争であるとまずは整理することができる。昨年夏に出版された『敗戦後論』による加藤典洋の最終的な問題提起にたいしてはさまざまなかたちで批判的な論考が出ているが、なかでも最近、小森陽一と高橋哲哉の共編になる『ナショナル・ヒストリーを超えて』(東京大学出版会)は、たんに加藤批判のみならず、(……)(1998. 7. 12)

120
([野沢啓が読む6]の下書き原稿・つづき)
(……)藤岡信勝や西尾幹二らの主導による「自由主義史観」派や「新しい歴史教科書をつくる会」、はては「自虐史観」といったネオ・ナショナリズムの台頭やその歴史的淵源を包括的に批判している。日本近代のいきつくところが侵略戦争であり、アジアの人々にたいして虐殺・暴行のかぎりをつくして、いまなお謝罪することさえできない日本近代とはいったいどういう近代性なのであろうか。加藤典洋の提言はそういったなしくずしの近代にたいする自己主体の立ち上げが他者を必要としないでどこまで可能かといった観念的な問題設定であり、文学者にとって一定のインパクトを与えたことは否定できない。
 たとえば瀬尾育生がこのところいくつかの雑誌で書いたり発言したりしていることは、没論理的であるばかりでなく、きわめて党派的なイデオロギー性をもっている。瀬尾の批評は、この加藤の自己主体の立ち上げ論に影響を受けたもののように思える。あるいはその論点を現代詩の世界において展開しようとするもののようにも見える。現代詩を日本近代の歴史的な流れのなかにのみ限定してとらえかえそうとする瀬尾の論点は一見、正当な主張のように見えるが、「現代詩手帖」三月号と七月号での北川透との対談などを読むかぎり、その論理はヨーロッパの思想のみならず詩の外部にある他者の思想にたいするやみくもな反発と「形式化されたマルクス主義」だの「モダニズム」だのといった無規定なレッテル貼りにすぎない。ここではいちいち触れられないが、こうした瀬尾へのいくつかの批判は「現代詩手帖」八月号での拙論を参照していただければありがたい。
 今回もあまりスペースがなくなってしまったが、いくつかの収穫を挙げておこう。辻征夫詩集『萌えいづる若葉に対峙して』(思潮社)にはあいかわらず自在な感受性の世界がのびやかに展開されている。幼少のときのやわらかな感性を失なわずにその時代の風物を書きつづけているこの詩人が、これで詩を書くのをやめるというのはほんとうだろうか。財部鳥子詩集『烏有の人』(思潮社)もまた中国大陸の生活経験をもとにこのひとならではの洞察力あふれたスケールの大きな世界を描き出している。人間観察において優れた発見の数々は見逃せない。新藤凉子と高橋順子による『からすうりの花』(書肆とい)は病いに臥せている吉原幸子のことばを記憶から取り出しながら編んだ連詩集である。これもひととひとの情感あふれる関係が引き出した生きることへの思いのひとつの成果だろう。(1998. 7. 13)

121
(「エイ」28号のための感想文の下書き)
「エイ」が休刊することになったという。粒来哲蔵と粕谷栄市という日本現代詩の散文詩の名手二人を擁する実力ある同人誌がまたひとつ消えることになったのは残念である。わたしも一度だけ寄稿させてもらったことがあるが、そのときは詩作品を書くことができなかった。お二人のおメガネにかなう詩を書くことができたかどうか試すチャンスを逃したことは、いまから思えばはなはだ惜しいことをしたと思っている。
 粒来さんとはじつはまだ面識はないけれども、不思議な縁がいくつもある。
 ひとつ目はわたしがはじめて「現代詩手帖」の投稿欄に投稿したときに選者だった粒来さんが高く評価してくれたことである。そのときの作品が「大いなる帰還」というもので、その後わたしの第一詩集のタイトルポエムになった。いまそのときの「現代詩手帖」一九七八年八月号(ちょうど二〇年まえだ!)を引っぱり出してみると、「この旅の抒情と誠実さは気持ちがよい」などと評言を書いてもらっている。学生時代以来数年ぶりに書いた新作であり、自分としては自信作でもあったので、おおいに気を良くして遅ればせながら現代詩の世界に入ることができたといまでも感謝している。じつはそのまえに「ユリイカ」でも旧作を長谷川龍生に評価してもらったばかりでもあったからなおさらのことであった。
 ところで二つ目と三つ目の縁というのはもっと私的なものである。そのひとつは姉の娘がふたりとも粒来さんに教えてもらったことである。小学校の国語の先生をしていた粒来さんのところで姪がふたりとも教えてもらうことになり、姉の話からその「有名な先生」が粒来さんだとわかったときは驚いたものだった。さらにもっと不思議なもうひとつの縁というのは、粒来さんの作品を読んでいて気がついたことで、粒来さんの息子さん(だと思うが)のところへ粒来さんがある晩に酒に酔って帰って行く先が、どうも情景からしてわたしが以前住んでいたマンションの一室らしいことであった。ここには五年ほど仮住まいしていたのだが、ちょっと理由があっていまの自宅に近い世田谷区に移ったのであった。いまはどうなっているのか知らないが、広い東京のなかのほんの一画にすぎないスペースに相前後して粒来さんが行き来していたことを思うと、世間は狭いという世知もまんざらうそではないという気になる。
 そんなわけでいろいろ縁のある粒来さんから寄稿をもとめられたので、「エイ」の休刊とはなんの関係もないが、こんなときでもないと書く機会がないので、この場を利用して粒来さんとのかかわりを記録しておくことにした。(1998. 8. 2)

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思考のポイエーシス1998年5/6月分

115
「愛し合っている者には世界は狭い」。(『天井桟敷の人々』のギャランスのせりふ)(1998. 5. 3)

116
「亡命者は、移住者と異なる存在である。移住とは国境を越えることであるが、おそらく亡命は国境を越えることではない。国境の内と外との間に引き裂かれてあること。亡命とは、国境とともにあること、境界線上を生きることなのではないだろうか。」(浅見洋二「男の子がひとり、国境の河を越えて送信する、詩──北島の詩をめぐる断章」、財部鳥子・是永駿・浅見洋二訳編『現代中国詩集 チャイナ・ミスト──中国朦朧詩集』一二六ページ)
    ◆
「この世界にわたしはただ
紙と縄と影とをたずさえてやってきた
審判の前に
あの判決を下された声を読み上げるために

世界よ、きみに告ぐ
わたしは信──じ──ない!
たとえ戦いを挑んだ一千の者たちをお前の足下に踏みしだいていようと
わたしが一千一人目となろう」(北島「回答」)(1998. 6. 3)

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思考のポイエーシス1998年3月

111
「ユダヤ人の自己への同一性はおそらくありえない。ユダヤ人とはこの自己であることの不可能性の別名なのだろう。」(ジャック・デリダ「エドモン・ジャベスと書物の問い」、L'e+'criture et la diffe+'rence, p. 112)
    ◆
「ブランショの、文学に関する考察の特質は、作家が書くことを通して潜る体験と〈ユダヤ人〉の境涯との親近性を、現代の文学の〈歴史性〉として、あるいは書くことの〈現在〉として発見した点にあるということができるかもしれない。〔中略〕ブランショは、書くことを存在の確かな足場からの踏み外し、そして自己の権能の喪失の体験、受動的な彷徨の体験にしてしまう。」(西谷修「作家はいかにして〈ユダヤ人〉となるのか」『離脱と移動』所収)
 書くことのユダヤ性。どこにも足場も根拠もなく、ただひたすら書くために存在する存在。書物-内-存在としてのユダヤ人。(1998. 3. 3)

112
「ブレヒトの生涯は、ドイツの分断の歴史、今世紀のドイツの悲劇と誤りに結び付いている。しかし、同時に多くの夢と希望の歴史にもつながっている。ブレヒトは、ナチに追われて亡命し、戦後ドイツに戻って新しい、より良いドイツを建設しようと努力した多くのドイツ人の一人である。社会の矛盾に対し多くの疑問を呈したブレヒトを、我々は誇りに思って良い。」(ベルリンの芸術アカデミーでのブレヒト生誕100年記念式典におけるヘルツォーク大統領の挨拶。「未来」1998年3月号の永井潤子「ブレヒト生誕一〇〇年」より)(1998. 3. 12)

113
「真剣で批判的な討論というのはいつにあっても困難なものである。人格的な問題のような合理性を欠いた人間的要素がつねに入りこんでくる。合理的な、つまり批判的な討論の参加者の多くがとくに困難を感じるのは、本能が命じているように見えること、(中略)つまり勝利することを忘れねばならないということである。学ばねばならないことは、論争における勝利にはなんの価値もなく、他方、問題をほんのわずか明晰にすることですら──自分自身の立場や反対者の立場についてのより明晰な理解に向けてなされたほんの些細な貢献ですら──大きな成功だということである。」(カール・ポパー『フレームワークの神話』第2章「フレームワークの神話」)
    ◆
「人間の可謬性という教義を適切に使えば、絶対的真理もしくは少なくとも絶対的真理の規準、たとえば明晰、判明といったデカルト主義者の規準あるいはその他の直観的規準を手にしていると主張する類の哲学的絶対主義を論駁できる。しかし、絶対的真理に対してはまったく異なる態度、すなわち可謬主義的態度というものが存在するのである。それは、われわれの犯す誤りが絶対的な誤りでありうる、つまりわれわれの理論が絶対的に誤りでありうる、言い換えれば真理に届きえないという事実を強調するのである。したがって、可謬主義者にとって、真理という観念および真理に届かないという観念は絶対的規準を示していると言ってもよい。」──加藤典洋の『敗戦後論』の重要なモチーフである〈可謬性〉についての参照として。(1998. 3. 18)

114
「翻訳者たるものテクストに降伏しなければならぬ。彼女はテクストにお願いしてその言語の限界を見せてくれるよう努める。そうしたレトリックの側面こそが、言語が完全にほつれたさきの沈黙、テクストが特別なやり方でかわしているところの沈黙を指し示すからだ。(中略)翻訳者が親密な読者になる権利を自分で獲得しない限り、彼女はテクストに降伏することもできないし、テクストの特別な呼びかけにも答えられないのである。」(ガヤトリ・C・スピヴァック「翻訳の政治学」、「現代思想」1996年7月号)──翻訳者の使命にかんするスピヴァックの最初の論点=「原文のテクストの言語的レトリック性に没入すること」、第二の論点=「原文の状況のなかで識別力をもたなくてはならない」(同前)。(1998. 3. 26)

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思考のポイエーシス1998年2月

107
「もっと気弱くなれ! 偉いのはお前じゃないんだ! 学問なんて、そんなものは捨てちまえ!」(太宰治「十五年間」)(1998. 2. 1)

108
「文学は、誤りうる状態におかれた正しさのほうが、局外的な、安全な真理の状態におかれた、そういう正しさよりも、深いという。深いとは何か。それは、人の苦しさの深度に耐えるということである。文学は、誤りうることの中に無限を見る。誤りうるかぎり、そこには自由があり、無限があるのだ。」(加藤典洋「戦後後論」『敗戦後論』所収)(1998. 2. 7)

109
「自分でわかることがひとつあります。わたしはたぶん、わたし自身が死ぬ三分前でも笑うでしょう。」(ハンナ・アーレント『隠された伝統──パーリアとしてのユダヤ人』のなかのインタビューへの返答。ただしフランス語版にのみ収録か?)(1998. 2. 8)

110
「エクリチュールは、それと見えぬまに、自分ではどれほど不幸だと思っているにせよ、それを操るわたしたちがいごこちよく居座っている言説を破壊するべく詔命を受けているのである。書くとは、この観点からすれば、もっとも大きな暴力である、というのも、書くことは法を、いっさいの法とそれ自身の法を侵犯するからである。」(モーリス・ブランショ『終りなき対話』「ノート」)(1998. 2. 18)

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思考のポイエーシス1998年1月

100
「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということなのだ」(プラトン『クリトン』48b)(1998. 1. 1)

101
「酒債は尋常 行く処に有り
人生七十 古来稀なり」(杜甫)──これが「古稀」の由来。
(大岡信「いのちの言葉──〈折々のうた〉五十選」『ぐびじん草』所収より)
    ◆
「留守と言え
ここには誰も居らぬと言え
五億年経ったら帰って来る」(高橋新吉「留守」)
    ◆
(大岡信論の草稿の一部として)
 貧しくとも恋する若い男女にとってことばがなによりも貴重な贈り物になることがある、ということを大岡信は「言葉の力」というエッセイで書いている。いかにありきたりな美しさをともなった風景であろうとも、もし青年が娘に「今日この風景を君にあげよう」とでも言ったとして、その娘がそのことばに感動を覚えるとしたらそれはその贈り物のささやかさにもかかわらず、いやむしろそれゆえに、その贈り物としてのことばが彼女にとってなにものにも交換しがたい価値を帯びたということにほかならない。ささやかなことばがそれを発した青年とそれを聞く娘との関係のなかで「豊かな音楽を奏でるかどうかが、大切な唯一のことである」と大岡は言うのであり、そうしたささやかなことばの集まりがときに驚くべき力を発揮することに「言葉の偉大な力」があると主張されるのである。
 ここでこのエッセイが発表されたのが一九七八年だということにひとまず注目しておきたい。というのは大岡信の代表的な詩集のひとつである『春 少女に』が刊行されたのが同じく一九七八年であり、このなかのとびきりの秀作である「丘のうなじ」の舞台背景が語られているように想像されるからである。このテクストが「深瀬サキに」という献辞をもつことからもわかるように、この作品はのちに妻となったある娘への若き日の想い出にささげられている。初期の代表作「春のために」のリメイクであることがおそらく確実なこの作品の冒頭と末尾に二度あらわれるつぎのルフラン──

  丘のうなじがまるで光つたやうではないか
  灌木の葉がいつせいにひるがへつたにすぎないのに

というあまりにも官能的なフレーズは、「春のために」の〈ぼくらの視野の中心に/しぶきをあげて廻転する金の太陽〉とともに、若い恋人同士のあいだにとりかわされたことばあるいはイメージの交換を鮮烈に記録している。もちろん実際にそういうことばのやりとりがあったわけではないだろうが、こうした言語の体得にもとづく「言葉の力」への信頼は大岡にとっては若いときからの確信ないしは必然と化していたはずである。そうした深く刻み込まれた言語の経験がなければ、若いころの体験の記憶をこれだけなまなましいエロティシズムでとらえなおすことはむずかしかったであろう。
 大岡の〈言葉の力〉への深い信頼は、「感受性そのもののてにをは」(傍点─原文)の自立を詩の来たるべきすがたとしてとらえ、そうした方法の延長線上にみずからの世代の進路を指ししめした「戦後詩概観」(一九六六~一九六七年執筆)に見られるとおり、感受性そのものの自己発現、〈肉声〉でうたうことの必要というかたちの主張となってあらわれた。「言葉の世界への一層深い潜入ということが詩の目的そのものでありうること」がそこですでに宣言されていたのである。「言葉の力」というエッセイはそのコンテキストで書かれており、その考えはいまに引き継がれている。その意味でも大岡の詩にたいする基本的な考えはつねにかわることのない金太郎飴的確信なのだと言ってよい。
 その意味ではその後の大岡のエッセイ作品の多くはそうした確信のたえざる再確認であり、再提出である。『折々のうた』に代表される倦むことのない啓蒙的な仕事は、そうした確信にもとづく古今東西のポエジーの無限の豊かさを相手どっての批評的フィルターの研磨であり、そこでの大岡はもはやポエジーの宗匠であるというよりも、自分の手技に頑固な職工のようにさえ見える。大岡信の詩作品がしばしば怒りの詩であったり、詩とはなにかをめぐっての詩による考察あるいは断言命題であるのは、こうしたエッセイにおける詩へのかかわりかたと別のものではないからである。「詩とはなにか」「怒つて書いた十八行」「小雪回想集」など本集に収められた作品だけでもいくつも例が挙げられるほどだ。しかしながらこうした傾向は、たとえば初期の「男 あるいは アメリカ」や「大佐とわたし」から最近の「故郷の水へのメッセージ」「火の遺言」などのように、社会や時代へむけての批判的視点の提起という大岡信の詩精神の一貫した特質とも言うべきものであって、これはあくまでも最近の際だった特徴であるというにすぎない。
 とはいえ、同じエッセイ「言葉の力」でも述べているように、この〈言葉の偉大な力〉はけっして平板なコミュニケーションのためのものではない。そこにはあるのはむしろことばのミスティフィケーション、言うなればどんなにことばを費やしても成立するとはかぎらない真の意味でのコミュニケーション、ことばをつうじてある瞬間に突如としてかいま見られる人と人とのまったく新しい関係こそが〈言葉の力〉なのであって、その固有性に大岡の眼差しははなによりも注がれているのである。このことは大岡信のことばへの理解がたんなる啓蒙家のそれではない、ひとりひとりの人間のかかえる底知れぬ暗部の所在にまでも分け入ろうとする強靱な関心によって支えられていることを示しているのである。(1998. 1. 2)
[のち、大幅に加筆訂正して「金太郎飴とことばの力」として『続続大岡信詩集』(1998年8月刊)の解説として収録。]

102
「秋深き隣は何をする人ぞ」(芭蕉)
 芭蕉の最晩年の作。大岡信によれば、辞世の句とされている「旅に病で夢は枯野をかけ_^廻【めぐ】^_る」よりもむしろこの句のほうが芭蕉の「軽み」の代表という意味で「辞世の思い」を表現しているとされている。(大岡信「芭蕉の『辞世』考」、『ぐびじん草』所収)(1998. 1. 4)

103
「私たちはみな年のいった子供たち
床につく時が近づくと むずかるのだ」(「鏡の国のアリス」『ルイス・キャロル詩集』高橋康也訳)
 山田宏一によれば、ルネ・クレマンの映画に出てくる幼児性にとらわれた人物たちにあてはまるそうだ。大人のなかの幼児性の持続。(山田宏一「ルネ・クレマンの世界」、「ユリイカ」1996年5月号)(1998. 1. 9)

104
「デカダンスはつねに精神的なるものの優位が確立されたところに生じるものだ。」(大岡信「水墨画私観」、『ぐびじん草』所収)(1998. 1. 10)

105
(「北海道新聞」の〈野沢啓が読む〉第4回の草稿)
 時代はいよいよ急速にひとつの時代の終焉へとカーブを描いているらしい。新しい年を迎えてもいっこうに回復の兆しを見せない日本経済はこのまま将棋倒しのように崩壊していくのかもしれない。もともと虚妄の上に成り立ってきた経済構造の脆弱さが露呈してきたと言うしかないのだが、そのことにいったいどれだけの政治家が気づいているのだろう。近代日本という国家は宗教も哲学ももたないできたために、いったん後退戦に入ってくると、かつての日本帝国軍隊のようにもう収拾がつかなくなるのである。このあたりで成長神話からそろそろ解放されたらどうか。
 現代詩の世界でも戦後五十年をすぎたあたりから若い世代を中心に、詩の新しい展望を切り開こうとする努力がわずかであるにせよ見られるようになってきた。すでにこの欄でもとりあげた野村喜和夫・城戸朱理の共同討議『討議戦後詩』をめぐって、北九州から出されている「九」という同人誌で北川透が執拗かつ容赦ない批判をくわえてきている。これは戦後詩史の解釈をめぐる新旧論争といった趣きを呈しているが、議論がまるでかみあっていないところにいまひとつ問題が普遍化しないうらみがある。詩における批評の問題として世代交代がなされるには、それなりの方法的な手続きが必要だが、そこに断絶があるとしたら時代のせいばかりとは言えないだろう。
 そんななかで詩歴の長い詩人たちの活動が目につく。辻井喬『南冥・旅の終り』(思潮社)は高見順賞を受けた『群青、わが黙示』(一九九二年)に対応するもので、注をふんだんに盛り込んだ本格的な長篇詩である。前作が詩による戦後史の叙事詩的構築であったとすれば、今回は同じ手法による詩による自伝と言っていい。〈私は死んだ男として傍らを通り過ぎる人だった/その後はずっと繁栄の演出に忙しく/ゲームに熱中してもいたのだ〉(「仰角砲の影」)とか〈いくつもの死 いくつもの別れ/日本の敗北 革命の挫折 近代知への幻滅/私はずいぶん鈍くいろいろな時代を通ってきたのだ〉(「旅へ」)といった自伝的要素が濃厚な記述であっても、辻井の経済人としての別の面を知っているわれわれはそこにどうしても戦後日本を代表する人間・堤清二を重ねあわせてみざるをえない。ここでは細部に踏み込む余裕はないが、この長篇詩に盛り込まれたさまざまな引用や情報の言及には、辻井喬=堤清二という人物をとおしてたんなる戦後詩史をこえた戦後日本の明暗を照らし出していて興味がつきないものがある。
 大橋政人は群馬在住の隠れた逸材であるが、このたび『新隠居論』(詩学社)という人を食ったテーマの詩集を刊行した。「子のない夫婦は/この世にお客に来ているようなもんだ」と言われている自分の立場を逆手にとって居直ったかのような「人生のお客」といった作品をはじめ、ニヒリスティックななかにもひょうひょうとした人生観、哀切な人間観察などがちりばめられていて、詩を読む喜びを満喫させてくれる。得がたい詩人である。
 平田俊子という詩人もまったくなみはずれた人間観察力を具えた詩人である。『ターミナル』(思潮社)は、前作の『(お)もり夫婦』にくらべると主題の統一感では一歩ゆするが、それでも人間関係の襞に食い込むような悪意に的確なことばを与えてひとつの架空譚を構成する力量はすごい。ありえないような話の設定のなかでこそこの詩人の想像力は一段と加速し破壊的になるようだ。一読をすすめたい。(1998. 1. 11)

106
「わたしは文学というのは、ある限定の中におかれながら、そこから無限を見るあり方だと思っている。無限に接するのにあらかじめ人は当初の限定を脱する必要がある、という他者の思想と、これはまっこうから対立する。〔中略〕人がどのような誤りの中におかれようと、そこからそこにいることを足場に、ある真にたどりつくことができないのなら、いったい、考えることに、どんな意味があるだろう」(加藤典洋「戦後後論」『敗戦後論』所収)
    ◆
「私はB29の夜間の編隊空襲が好きだった。昼の空襲は高度が高くて良く見えないし、光も色もないので厭だった。羽田飛行場がやられたとき、黒い五六機の小型機が一機ずつゆらりと翼をひるがえして真逆様に直線をひいて降りてきた。戦争はほんとに美しい。私達はその美しさを予期することができず、戦慄の中で垣間見ることしかできないので、気付いたときには過ぎている。思わせぶりもなく、みれんげもなく、そして、戦争は豪奢であった。(坂口安吾「続戦争と一人の女」)
    ◆
(「交野が原」での『恋愛の解剖学』書評の草稿)
 本書のもとになった文章の多くは、ここ数年のあいだに〈エロスの行方〉と題してあちこちの同人誌等に不連続で書かれたエッセイがもとになっている。そしてわたしの記憶に間違いがなければ、これらのエッセイはある心的転機をはさんで、それまでのわりあい文学少女的な作品論から恋する大人の女の成熟した思想論へとおおきく飛躍しているはずである。そこにはこれまでの寺田操の書くものにはけっして見られなかった哲学的・思想的なレフェランスが介在しており、ひとつのテクストとの大いなる影響ないし相互性のもとにあることを見せているのである。
 その証拠を挙げることはわたしには容易だが、そのことを指摘することにはまったく興味がない。ただ言っておけば、本書でのハイデガー、レヴィナス、プラトン、マラルメなどからの引用と言及が、一九九四年に「現代詩手帖」の連載時評として書かれたわたしの『移動論』というテクストとの相互テクスト性の符牒として出現していることはわたしには明らかなのである。おそらく本書を構成する文章のいくつかはそれ以前に書かれたものであるからそうした特性は見られないが、それ以外の文章にはあからさまに恋する女のメッセージが執拗に発せられている。そのキーワードは〈テクスト〉であり、〈コミュニケーション〉であり、〈移動〉と〈漂流〉であり、〈他者〉であり、〈固有の秘密〉であり、〈ことばの深度と密度〉である。そこにポール・ボウルズやマルグリット・デュラス、スコット・フィッツジェラルドやアンドレ・ブルトン、そして河野多恵子や、森瑤子、折口信夫といった寺田の偏愛する作家たちの作品が点綴されるのである。
 ひとつの典型的なパッセージを引いておこう。

<引用>こころの触れ合いや出会いといったコミュニケーションを超えることばの密度と深度は、固有の秘密(明かしえぬ)を欲望する。/この、固有の秘密を共生=共作することは、しかし、危険な行為である。また禁止事項だからこそ、この世ではありえないような危ういエロスを美しく織りあげるのだ。あえてその禁止事項に踏みこむならば、「命がけの飛躍」(マルクス)をする覚悟が相互になければ悲惨な結果をむかえる。(中略)ふたつの魂をひとつに織り合わせることは至上の喜びである。だが、維持させていく、更新させていくことなどおそらく稀有なのだ。(「愛の病い」、本書二〇一ページ)</引用>

 ここに示されている思想こそ、寺田操がみずからの体験とひきかえにつかみとった魂の心底からの震え、魂の叫びなのだ。そこには固有のメッセージがひそんでおり、もちろん文学作品の解読と批評というモチーフをひきずっているとはいえ、むしろそうした初発のモチーフを超えたところに〈エロスの行方〉を追尋しようとするもうひとつ深いモチーフがあるはずだ。本書がたんなる文学作品論ではなく、ひとりの女としての生き方の探究にもなっているところに彼女の生と性の深淵がのぞいていると言ってよい。
 読者がこの本に異様な迫力を感じるとしたら、こうした文学への接近の方法がみずからの体験にもとづいた言語行為論的なアプローチにひとつの批評の究極のありかたを感知するからではなかろうか。たとえそこにロマンチックな傾向に流れる甘さが散見されるにせよ、ひとがひとつのモチーフにとことん身をゆだねて言語行為をおこなうということはこれほどにも自身の肉体を露出させるものなのだろうか。ここにはほとんど寺田操という女の体臭にまで化した思考のポイエーシスがあふれているのである。

<引用>どのような無残な生活のなかでも、女は、愛するひととの暮らしのなかでは、ささやかな希望を抱いて生きていくことが可能な存在である。(「別れの美学」、本書一〇六ページ)</引用>

 これは森瑤子論の一節であるが、ほんとうだろうかと思うところがある。ふつうこういうことは男の批評家は絶対に書かないし、書けない。しかしこうした言説が事実であるかどうかというよりも、女の批評としてそういう言説が突き出されるという事実こそが重大なことなのである。言説は言説として残される。メッセージは届くところには確実に届くのだ。たとえそれが、スコット・フィッツジェラルドにおける妻ゼルダのように、あるいはアンドレ・ブルトンにおけるナジャのように、文学テクストのための素材に行き着くしかなかったとしても、そこに固有の言説を発したことは記録される。

<引用>ゼルダがスコットにあてた手紙や日記は、ゼルダという固有のテクストである。スコットは、このテクストを批評ではなく小説として解読することでゼルダを表現した。しかしこのテクストがもたらす悲劇は、テクストが生身のゼルダから離れていったことにあり、スコットの小説のなかでしか生きる場所を与えられなかったことによる。(「ふたりのフィッツジェラルド」、本書八六ページ)</引用>

 このようにフィッツジェラルド論に書くとき、寺田はみずからの生と性の深淵をどう乗り越えようとしたのか。ゼルダであり、ナジャでもあり、しかしまたそれらを超越する地点でこうした批評文を書くことによってみずからがゼルダでもナジャでもないことを証明してみせたのが本書であるとすれば、彼女はいったいどこへ行こうとしているのか。移動はそこからまた始まろうとしている。(1998. 1. 31)

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2008年3月14日 (金)

思考のポイエーシス1997年11/12月

95
《「現在」という概念は昔も今も人を困惑させる。把え様とすれば指の間からすり抜けるし把えたと思うと似ても似つかぬものだったという苦い思いをさせる。私はこうしためくらましが生れるからくりを何とか同定できたと思う。それは「現在経験」と「境界現在」との混同である。過去と未来とからなる時間軸上に何とか定位される「境界現在」は現在経験の影武者にさえなれない程に貧困なしろものであって「現在経験」という生の豊かさに満々としての「現在」を近似することもできない。》(大森荘蔵「時は流れず」、「現代思想」1996年4月号)
 要するに、「現在経験」とは過去と未来をふくんだ経験の現在性であり、たんなる時間の線分的な流れのうえに位置する瞬間的な現在の連続とは異質な生の充実と緊張のことなのだ。そこでは過去も未来も時間として流れることはなく、現在的な意識のなかにたえず反復されて出現する。またそうした出現する過去と未来以外に時間は存在しないのである。(1997. 11. 6)

96
カントの『判断力批判』の二種類の〈判断力〉=〈規定的判断力〉と〈反省的判断力〉。「普遍的なもの(規制、原理、法則)が与えられているならば、特殊的なものをその下に包摂する判断力は規定的である。しかし特殊的なものだけが与えられていて、それに対して判断力が普遍的なものを発見せねばならないならば、判断力はたんに反省的である。」
このカントの〈反省的判断力〉こそ詩論の立場である。(1997. 11. 24)

97
「ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的な事件と人物は、いわば二度現われると言っている。ただ彼は、一度目は悲劇として、二度目は_^道化芝居ファルス【】^_として、とつけ加えるのを忘れたのである。」(カール・マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」)
    ◆
「そして、生き物のうちで笑うのは、ただ人間だけである。」(アリストテレス『動物部分論』673a8)(1997. 12. 4)

98
「だが私たちは必ずやよみがえる
よみがえったあとどうなるのかは知らないが」(安藤元雄「夏の想い」部分)(1997. 12. 20)

99
「伴侶とは真夏の栓の抜ける音」(倉本朝世句集『硝子を運ぶ』より)(1997. 12. 29)

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思考のポイエーシス1997年10月

86
「精神のない専門人、心情のない享楽人、この_^無のもの【ニヒツ】^_は、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」(マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』末尾)――この「精神のない専門人」とは「文化発展の最後に現われる『_^末人たち【レツッテ・メンシェン】^_』」のことであり、近代主義の最悪の存在である。山之内靖『マックス・ヴェーバー入門』(岩波新書)34ページほかで言及。
    ◆
「認識の対象となる人間は、自然と歴史によってつくられている。しかし、自然と歴史をつくるのは認識を行なう人間である」(ゲオルク・ジンメル『歴史哲学の諸問題[第2版]』)。北川東子『ジンメル』160-161ページによる。
    ◆
「現在とは、現在を超越するものだ」「生の現在とは、それが現在を超越するという点にある」。(ゲオルク・ジンメル「生の超越」)
    ◆
芸術の本質についての洞察は、民衆にではなく、「個性的法」 の担い手たる天才的な人々にのみ許されている。これこそ、芸術がもつ反社会的な性格であり、その「社会的な悲劇性」である。芸術は一般大衆のものではない。(北川東子『ジンメル』245ページ)(1997. 10. 10)

87
カルチュラル・スタディーズにおける「移動」というここ最近のテーマの重要性について姜尚中は「二〇世紀の文化を考えると二〇世紀の世界は実は『移動』から成り立っているということが、最近ではますますハッキリとあらわれるようになったと思う」と述べている。それを受けて、吉見俊哉もつぎのように補足している。「移動というのは空間の移動、あるいは空間における人や情報、文化の移動ということはもちろん第一義的にあるわけですけれど、同時にそれはジェンダー間の移動、あるいはエスニシティ間の移動ということも伴っています」と述べて、「移動性の広がり」がカルチュラル・スタディーズの変容をもたらしたと指摘している。いずれにせよ、〈移動〉というテーマは現代の世界同時代性からみても本質的な問題を提起する概念、キーワードなのだ。cf.「現代思想」1996年3月号の姜尚中・成田龍一・吉見俊哉の鼎談「カルチュラル・スタディーズへの招待」。(1997. 10. 13)

88
マイナー文学としての詩。ひとつの国語に依拠した国民文学という幻想のなかに仕かけられたエイズのような存在として、詩は存在すべきだ。唾棄されるべきものとして、ラングを内側から破砕するものとして詩は存在することを選択しなければならない。誰からも理解され愛唱される(まさか!)ことは現代詩がけっして望んではならないことだ。みずからがマイノリティであることを宣言し、異語として外国語のように存在する言語。翻訳されなければならず、またそれ自身がなにものかの翻訳であるような言語。そうしてひそかにラングのなかに侵入し、そのラングをみずから崩壊に導くこと以外にその存在理由がないということを自己への至上命題として所有するような言語こそが、逆説的に詩が生き残る唯一の可能性なのだ。
    ◆
「そこ〔ミュージアム〕には他者がいる。時間的にも空間的にも隔たった存在としての他者が。そこには個別性が確保されている。他者の産物が、その個別性を失うことなく展示されている。と同時に、その個別性は、すでにいつも一般化され抽象化されている。オリジナルの時と場所から切り離されたそれら展示品や展示そのものは、すでにいつも収奪された抽象的事物である。それは他者に開かれた場所である。と同時に、他者を殺している場所である。生きながらの死。個別的な全体化。全体化される個性。流動的文化変容と、固定された文化的権威。現代の文化はミュージアムのように構造化されている。」(大橋洋一「断片と全体」、「現代思想」1996年3月号)――この「ミュージアムのように構造化され」た現代文化こそ、全体化されようとする個別性の一側面であるというアンチノミーをわれわれは自覚しなければならない。全体化・統合化志向へ抵抗する個別性であろうとするためには。(1997. 10. 14)

89
([未来の窓9]のための下原稿あるいはメモ)
 今回は学術出版の可能性と各種出版助成金の関係について考えてみたい。昨今の学術専門書出版の厳しい現状についてはいまさら強調することもないだろうが、今日ほどそれぞれの専門領域において専門分化がはなはだしく、どの領域においても専門研究がひとしなみに閉塞状況にあるような時代はこれまでにはなかったといってよい。それぞれの研究領域だけでは出版が成り立つだけの読者を擁しえなくなり、必然的に学術出版の非活性化、研究発表のチャンスの喪失という現象が生じてきているのである。そうした現実をふまえていまや多くの大学では教員の出版行為にたいして各種の出版助成金を出すのがふつうになってきている。文部省の助成金制度もあらためて見なおされてきたようだ。
 もちろんこうした制度の発展が手放しで喜べるわけのものでもない。むしろ制度によってしか支えられなくなっている学術出版の非自立性こそが問題なのだ。(1997. 10. 15)

90
《社会科学のディスクールの基本は、当事者(自我、私)は、自分がなにをしているのか知らない、というものである。「私」の無知。「私」は「自己」について知らない。「自己」に関しては、それについて語る非人称のディスクール、すなわち社会科学のディスクールだけが正しく語ることができるというものである。そこには、社会科学のディスクールによる「私」のディスクールの置き換えがある。「私」に対する憎しみがある。》(田崎英明「私/自己――ディスクール、反復、認識論的暴力」、「現代思想」1996年3月号)
    ◆
([未来の窓9]のための下原稿あるいはメモ・つづき)
 学問研究とはそもそも社会や制度とは独立した次元をもつものであり、社会や制度にたいする相対的な自立性を獲得してきた。大学とはそのような独自の役割をもったものとして成立してきたはずである。そこには実学的な側面もあろうが、多くは社会や歴史の構造を批評的に解読し分析する視点を保持することにその存在理由があったわけである。わたしがかつて大学に入学した一九六〇年代後半という時代にはそうした認識は自明の前提であり、大学の「自治」なるものはたとえ幻想にすぎなかったにせよ、大学人たちの意識をある程度は拘束していたのではなかったろうか。そこでは学問は体制に奉仕すべきものではなく、体制に抵抗し批判的に関与するものとして存在していた。いまから見れば信じられないことであるが、学問研究には社会や制度との接点でまさに生きた学問としてみずからの存在自体を問うという自己言及性というか自己批評性が必要とされたのである。学問は象牙の塔に閉じこもることは許されなかった。
 その意味からすれば、いまほど学問研究のアクチュアリティが失なわれている時代はないのかもしれない。あるいは個別の学問領域が十全に発展しうるには、今日の高度に発達した情報化社会はあまりにひとりの研究者に過剰な負担がかかりすぎるようになってしまったのかもしれない。真に専門家でありつづけるためにはその専門領域だけでもじつに膨大な資料が渉猟されなければならない。読んでみなければその価値もわからないような資料が山積しているのである。これはむろん通常の出版物だけにかぎらない。必要な情報が入手されるためにはおそろしく無駄なエネルギーが消費されざるをえないのである。なにしろ有象無象あわせて年間六万点の新刊が刊行され、流通している出版物だけでも五十万点を超えて横行している時代なのである。
 学術的な専門書出版が困難になってきた背景にはこうした学問自体の存在の困難さがあることはだれも否定できないだろう。情報はそれこそ活字化されたものばかりではない。(1997. 10. 16)

91
「ヘーゲルは近代に属する最初の哲学者というわけではないが、近代を問題化した最初の哲学者であった。彼の理論によって、近代、時間意識、そして合理性が、相互にどのような位置関係を作り上げているかというとことが、はじめて概念的に捉えられるようになった。ヘーゲル自身は結局のところ、合理性を絶対精神にまで膨れ上がらせることによって、近代がようやく自分自身についての意識を獲得していた諸条件を中和し、無効化したために、この布置関係を打ち壊してしまった。このためヘーゲルは、近代の自己確認の問題を解決するまでには至らなかった。」(ユルゲン・ハーバーマス『近代の哲学的ディスクルスI』66ページ)。(1997. 10. 18)

92
(原稿依頼の話原稿の下書き)
 出版社にいて原稿を依頼する立場にありながら一方では原稿を書く仕事もしていると、しばしば矛盾することがおこってくる。ひとに依頼するときは締切りにやたらと厳格になりがちなのに、自分にたいしてはなんとも甘くなってしまうのである。自社のものはもちろん、他社からの依頼原稿についてもなまじ出版の現場の実情を知っているだけにどのぐらいで原稿を渡せば間に合うか、およそ判断できてしまうのである。しかもすこし前からはフロッピーディスクおよびファックス、そしていまや電子メールと遅い原稿でもなんとかなってしまうようなツールが揃ってきたものだから、ますます締切りがぎりぎりになってきてしまう。印刷所にも最近はインターネットが使えるところがふえてきたから、編集者にいやがられるのも承知で出張校正の当日にメール原稿入稿などという無茶を平気でするようになってしまったのだからなおさら始末が悪い。なにを隠そう、この原稿も締切りを大幅に遅れたあげくあわてて帰りの電車のなかでノートパソコンを叩いている始末なのである。(1997. 10. 20)

93
(原稿依頼の話原稿の下書き・つづき)
 とはいうものの、最近は忙しくなる一方で著者とゆっくり会うゆとりがないためもあって、それでも急ぎの原稿の必要性はますます増すばかりなので、なんといっても電子メールによる送稿はありがたい。こんなことをいうと、古いタイプの編集者にはしかられそうであるが、背に腹は代えられないのだから仕方ない。
 FAXが普及しはじめたときに、編集者が著者(執筆者)と会うことが減って、お互いの情報交換が少なくなってしまうことが憂慮されたことがあった。たしかに著者の顔を知らないままで本(雑誌)をつくる編集者、編集者のなんらかの検閲を経ないで原稿を渡してしまう著者がふえたことは事実であり、そのことによる弊害がどのようなかたちでか現われはじめているのではないだろうか。編集者はその著者にとって最初の読者である。著者は編集者に原稿を渡すときには大なり小なり遠慮がちに、あるいは恥ずかしそうにしながら、編集者がその原稿をどう読むのか、その表情をそれとなく探り、不安とともに編集者の感想のひとことを待つ。どれほどのキャリアの持主であっても、若い編集者の「おもしろいですね」のひとことを聞くまでは安心できないものなのである。これはやはりものを書くことがなにがしか個人の想像世界のうちで空中楼閣を築くようなものであるからかもしれない。ものを書く行為とは、その意味で絶対的に個の世界への引きこもりであり、いぜんとして他人に自分の恥部をさらすような行為であって、そうであればこそ書きたての原稿を他者に読んでもらうことを不安に感じるのは、書き手にとってはきわめて生理的な反応なのかもしれない。
 いずれにせよ、著者であることは誰にも手の届かない世界へのたえざる移動であって、そこから首尾よく帰還するとき最初に出会うのは編集者なのである。そのとき、編集者は共同体の側からこの独自の世界への接近を企てるものであり、その世界の独自性を測定し、既存の共同性のなかでの位置づけを与えようとする。世に「編集の時代」と呼ばれて久しいが、それはこうした〈編集〉という行為の相対的な独自性を強調したにすぎない。この場合、編集者に特権的に与えられた特性は、個々の著者のあらかじめ設定された独自性を素材にして一冊の本あるいは雑誌を構成してみせることがすなわちひとつの時代性に明確な輪郭を与えることができるその自在性、多様性および即効性のことなのである。それがうまく機能した場合には、たしかに単独の著者では実現不可能な世界の広がりと深まりが得られるのである。そうした優れた編集本はけっして少なくない。
 編集者としてはこうした優れた編集本の編集はひとつの夢であり、優れた著者と数多くつきあうことができて初めて可能なのである。もちろん、原稿依頼は全体的なプランニングのなかでおこなわれる。このプランニングが良くないと、せっかくの優れた著者も期待通りの原稿で応えてくれることができない。原稿はただ依頼すればいいだけのものではないのである。
 かく言うわたしにしたところで、こうした主体的な編集本を手がけた経験はまだほとんどないのが現状である。むしろいままでのところでは、こうした雑誌感覚の編集本ほど即効性があるわけではないが、一冊一冊の単行本の集合によって、なんらかの自分の夢想の実現をはかってきた。「ポイエーシス叢書」というのがそれである。小林康夫、桑野隆、湯浅博雄、上村忠男、石光泰夫といった実力派の思想家ないし研究者の仕事を中心に、ハーバーマスやアドルノ、リオタール、ポパー、ガーダマー、ラクー=ラバルトといった現代の哲学・思想から文学・芸術批評にいたる翻訳本をかなりいきあたりばったりに出している感のあるシリーズだが、むしろこうした多様性を意識的にねらったものであり、それぞれの単行本がリゾーム状の関係を形成しポイエーシス(生成)の関係をもってたえず再編成され直すような可能性を期待しているのである。このプランがどこまで成功しているか、残念ながらもうひとつ自信をもっていえないが、すこしずつでも現代の思想・文学・批評の進展に役立てれば喜ばしいのである。
 出版不況のいちじるしい昨今、どのような原稿依頼をすべきなのか、ますます判断がむずかしくなってきつつある。規制緩和論者の経済学者などはなにかと「読者のニーズ」にあわせた本を出せばよいと言ってすませているが、はたしてそんなものがほんとうにあるのか、あるとすればどうやってそれを見つけるのか、どうすれば現実的に実現できるのか、教えていただきたい。読者のニーズはそれが発見されてからこそはじめて見えてくるのであり、それを探求するのが編集者の役目なのである。小林康夫氏が編集してベストセラーになった『知の技法』シリーズに象徴されるように、時代はあらたな「編集の時代」の到来を待望しているのかもしれない。(1997. 10. 21)
[のち、前項とともに修正して西谷能英「編集の時代へむけて」として高橋輝次編『原稿を依頼する人、される人──著者と編集者の出逢い』(1998年5月刊)に発表]

94
「大衆の考え、ないしは社会通念なるものはことごとく愚劣事と考えて間違いない、なぜならばそれらは大多数の人間に適合したものであるから。」(シャンフォール『箴言集』より、ギュスターヴ・フロベール『紋切型辞典』のエピグラフ)(1997. 10. 29)

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思考のポイエーシス1997年8月

82
([未来の窓7]のための下原稿あるいはメモ)
 佐伯啓思「信頼の崩壊」(「季刊アステイオン」39号)より引用。「リヴィジョニストによる改革の思想は、基本的にグローバルな市場経済にすべてをゆだねようとするものである。グローバルな市場競争が個人の自由と消費者の利益を実現するという。/しかし、このように定義された個人の自由、消費者の利益とは一体、何であろうか。グローバルな市場競争が、社会の信頼関係をますます崩してゆくことはまず確かであろう。では、安定した社会の、あるいは人間の間の信頼関係に基づかない個人の自由などというものが存在するのであろうか。放埒の自由、止まるところのない自己利益の追求の自由、共同社会に対する義務を負わない自由、などというものは自由ではない。個人の自由は、彼が依存する社会の土台やルールを進んで受け入れるところからしかでてこないだろう。」
 あらためて紹介するまでもなく、佐伯啓思氏はいくらか保守的な立場から論陣を張っているリベラルな経済学者である。佐伯氏はここで消費者利益という錦の御旗のもとに社会的な営為すべてを市場競争原理に委ねてしまおうとする規制緩和論者を「リヴィジョニスト」(修正主義者)と適切にも呼んでいる。ここで「リヴィジョニスト」とは、社会的な現実的諸関係が歴史的に成立してきたプロセスをいっさい無視し、社会をみずからの思い込みに強引にしたがわせようとする論法をもつもののことである。こういう論者が危険なのは、ドイツにおける歴史修正主義者がアウシュヴィッツにはガス室などなかったと主張するのと同じように、また最近の日本のある種のレヴィジョニストが従軍慰安婦の存在を否定しようとするのと同じように、日本の社会がこれまでつくりあげてきたあらゆる制度や仕組みをみずからの経済学的論理一本やりで裁断しようとすることであって、そこには歴史や文化の生成というものにまったく無理解であるとともに、そうした無理解を恥じることなく、むしろ歴史や文化を捨象しうるところにこそ、経済学の本領があるとでも思っているところにある。(1997. 8. 16)

83
([未来の窓7]のための下原稿あるいはメモ・つづき)
 こうした懸念は先日七月二十九日に行なわれた「再販問題シンポジウム」においてやはり現実のものとなったと言わざるをえない。今回はその報告をかねて、主としてパネラーのひとり中条潮氏の発言について検討してみたい。
 木下修氏の問題提起をうけた中条氏の発言はいきなり「再販制はなくなっても大丈夫」という暴言から始まった。政府系の規制緩和小委員会と再販規制研のメンバーでありそのもっとも強硬な再販つぶし論者として知られている中条氏は、聞くところによると、出席者は再販擁護の立場の者が多いだろう今回の再販問題シンポジウムに単身で乗り込んで日頃の再販反対論をぶち上げ、擁護論を粉砕してみせるつもりだったらしい。今回の一連の中条発言を聞いたかぎりではとんだ猿芝居である。そこには論理性もなければ、説得力もない発言に終始したと言ってよく、こんな程度の議論が規制緩和小委員会と再販規制研で一定の発言力をもっているのだとすれば、おおいなる茶番だと言わざるをえない。当人によれば、規制緩和小委員会と再販規制研は民間人の集まりで、むしろ反政府的だそうである。それならなんで政府の行革にそった結論を出そうとするのか。これも笑止のきわみである。こんな子供だましの意見表明が随所にみられたのには正直言ってあきれるしかない。
 ほかにもいくつかの人格を疑わせるような発言についてはこのさい目をつぶっておくとして、問題の性格上どうしても黙認できないものについてだけ触れておこう。
 一、さきほど述べた冒頭発言、「再販制はなくなっても大丈夫」という問題については中条氏はスウェーデンの例を挙げていたが、はたしてそれだけで文化的にも歴史的にも、そして物量的にも事情のおおきく異なる日本社会に適用できる保障がどこにあるのだろうか。その程度の根拠にもとづいて現実的に機能している制度を簡単に覆そうとするのはアカデミズムに禄を食む者の気楽さからなのだろうが、それで生活を営んでいる人びとがいることを忘れているか、見くびっているのだろう。経営努力もしていないような書店などはつぶれてもしかたがないなどと平気で発言しているそうだが、どこにそんな傲慢な考え方を述べる理由がこのひとにはあるのだろう。
 二、再販制度は形骸化しており、ほっておいても崩壊すると中条氏は予言する。それならなにも声を大にして多くのひとを敵にまわしてまで再販つぶしにはしる理由があるのだろうか。自分の長年主張してきたという規制緩和の理論を際立たせたいためだけのつまらぬパフォーマンスならやめたほうがいい。冒頭に述べたように、規制緩和などというものは理論でもなんでもなく、たんなる単純化であり、歴史的なるものへの全面的な清算主義にすぎないのだから。こういうひとが文化という歴史的な生成物にたいする意見を述べるとなると、とたんに馬脚をあらわすことになる。
 三、中条氏によれば、文化的に価値はあるが売れない本がなぜ再販制で守られているのか疑問だという。そういう本は価格を下げるか、もっと売る努力をすべきだというのである。そのためには再販制がじゃまになるというわけだ。本は安くすれば売れるというものではないと一方では言っておきながら、どうもこのひとにかかっては前後の矛盾もなにも気にならないようである。売れない専門書を出しつづけている小社のようなところからすれば、聞き捨てならない問題である。残念ながら価格をなるべく低くおさえる努力やそれなりの売る努力は、中条氏が想像されている以上に中小以下の出版社はやっているはずであり、そんな簡単な処方箋で片づけられる問題ではない。
 四、中条氏はなにかとマーケット・メカニズムとか読者のニーズということで出版物を考えているようである。つまりニーズにあわせて出版をすればいいという話になるのだが、これもきわめて単純な理屈で、ある種の出版物には妥当するかもしれないが、個々の出版物はありきたりな読者のニーズを超えたところに成立するのであって、むしろ出版物それぞれが読者の新たなニーズとやらを発見し、生み出すのである。すくなくともそういう本でなければ、オリジナリティなどは存在しないし、いつまでも読まれうる本になることもできない。専門書とはまさにそういう種類の文化的生産物なのであり、当座は大部数が出なくてもいずれ価値を見出されてくるものなのではなかろうか。中条氏のように、「文化、文化と思い上がるな」ということばは肝に銘じておくとしても、出版社が文化という観念をぬきにしたらただの出版産業にすぎなくなるだろう。文化をなめてはいけない。(1997. 8. 17)
[前項とともに改稿のうえ、「未来」1997年9月号掲載の西谷能英「[未来の窓7]文化をなめてはいけない――『再販問題シンポジウム』での中条発言をめぐって」として発表]

84
「ところで、多分いつの日にか、時代はドゥルーズの世紀ということになるだろう。」(ミシェル・フーコー「劇場としての哲学」)(1997. 8. 19)

85
(『討議戦後詩』をめぐる公開討論会のためのメモ)
*「現代詩手帖」9月号のイベント紹介欄で城戸朱理、野村喜和夫が「詩的ルネサンス」派という名を与えられていたこと、この討論会で野沢が「批判する側」に設定されていたこと、この討論会が注目されていたことには驚いた。
*野沢の『討議戦後詩』についての見解:「新たな火種の効果」(「現代詩手帖」4月号)、「野沢啓が読む」(「北海道新聞」4月6日号)→それにたいする言及:北川透「梯子を編んだら、それを伝わって降りましょうか」(「九」6号)、横木徳久「詩論のエチカ」(「現代詩手帖」5月号)。
*野沢の基本的見解1
本書の特長は、野村喜和夫と城戸朱理という二人の詩人をレギュラーとする座談形式をとり、十回にわたってひとりずつ代表的な詩人をとりあげ、しかもそのさい毎回べつの詩人や批評家をゲストとして招くというかたちで二人の議論に幅をもたせるよう工夫してあるという点にある。これまでのようにひとりの詩人あるいは批評家がそれぞれの方法にしたがって書き上げる詩史論的考察とはちがって、それぞれの批評的視座から思いがけない展開がうまれることもしばしばあるということからも、この試みはひとまずは成功したものと言っていいだろう。
*野沢の基本的見解2
本書の特長はたんに書物の構成における形式上の特異性ばかりではない。これまでの戦後詩史にたいするさまざまなレベルでの考察とくらべて一風変わっているのは、一九九〇年代という時代状況をうけて、狭義の〈戦後詩〉の枠をとりはらい、戦後五〇年という時間の経過のなかで現在からみて、そして今後の現代詩にとって重要であると認定される詩人やその方法を脱構築的に論じていくという姿勢である。ここからいわゆる戦後詩史の平板でローカルなクロニクルはしりぞけられ、その時代ごとの状況におうじた動きを読み込んだ解釈学的地平もあえて無視するという方法がとられている。いま戦後詩を読みなおすということは、当然ながらそうした視座から戦後詩的成果にたいして思いきった大ナタを振るうことにほかならない。
*野沢の基本的見解3
(「ひとことで言うと戦後詩というものを一方ではトランス・モダンな視野のなかに位置づけ、他方では世紀末をむかえつつある世界文学のなかに解き放ちつつ位置づける、そういう意図のもとに討議を行ってきた」ということだ。)たしかにこういう気宇壮大な戦後詩史論はこれまでの詩史論的試みにはなかったものであり、その射程の届き具合はともかく、かれらの意気込みは買うことができる。
*野沢の基本的見解4
まず本書の見やすい主張は、これまでの「荒地」グループ偏重路線を捨てて、それとはほとんどかさなりあわない詩人たちを評価の機軸にすえたことである。それが吉岡実であり、入沢康夫であり、吉増剛造であり、その背景を支える存在として西脇順三郎があげられている。議論の初回に、ハンで押したように鮎川信夫からはじめるのでなく、吉岡実をもってきたことの挑発性は、ゲストの守中高明がその「大胆な選択」と「困難なやり方」に驚きを表明しているほどのものである。
*野沢の基本的見解5
(吉岡実が戦後詩のなかでこれまで遇されてきたのは、同世代の詩人たちとは最初からいきはぐれた徹底的に特異な詩人という評価であり、その詩史論的評価が吉岡の詩人としての達成にくらべるとあまりにも周縁的な低いものでしかなかったというのは事実である。)単独の詩人としての高い評価が詩史論という通時性のなかにおかれるとかならずしも同じだけの評価とつながらないのはよくあることである。本書がそうした従来の詩史論的視座自体の更新をめざすものであり、詩史を根本的に書きかえようとする意図をもっていることはこのことだけからでも証明できる。
*野沢の基本的見解6
こうしたさまざまな問題をはらみながら、本書の最大の功績は戦後詩の問題を否定性の媒介をへずにあたうかぎり肯定的な視点から語ることの愉悦をもって語っている点である。唯一この愉悦が苦渋の色をにじませるのは、最終回の荒川洋治をはじめとする七〇年代詩人を対象としたときである。じつはこの回が一番切実でおもしろいのは、論ずる対象が時代的にもっとも近接しているからであり、批評の言語行為論的なアクチュアリティがもっとも過敏に反応するからである。世代が近くなればなるほど、対象との関係は闘争的にならざるをえない。
*北川透の野沢ほか批判
「この討議で面白いのが、たとえば彼らと発想をことにするゲストである瀬尾育生や、藤井貞和、福間健二が参加した『鮎川信夫』と『谷川俊太郎』、『荒川洋治』であり、いちばん解りにくく面白くないのが、自分たちだけで舞い上がっている『吉岡実』のパートである……いったい《正統的な戦後詩史》(守中高明)というものがあるのか、あるとしたら具体的に、何を指すのか教えてほしいが、そこでは常に編年体で整理がなされ、最初に必ず鮎川信夫や、『荒地』の詩人が持ってこられるのだそうである。この戦後詩史の常識に対して、吉岡実を第一回にもってくるのは、かなり大胆で困難な選択だ、ということになっている。/わたしが驚いたのは、野沢啓までが『新たな火種の効果』で、本書をこれまでの『荒地』偏重路線を捨てて、それと重なり合わない詩人たちを評価の基軸に据えたこと、《ハンで押したように鮎川信夫からはじめ》ていないことを讚えていることである。(野沢の基本的見解5の引用)/もっとも、野沢は手放しで誉めているのではなく、その《更新の手続き》については、批判的な検討を加えている。しかし、ここで具体的な名指しもせずに、《正統的な戦後詩史》とか、詩史の常識とか、野村の言う《戦後詩のなか》とは何を指すのか。いちばんことばを大事に扱わねばならない詩人たちが、こともあろうに、《詩史を根本的に書きかえようとする意図》をもって、こんなデマゴギーに頼っていていいのだろうか。/同じことを言うが、あなたたちは、初めから知らないか、忘れてしまっただろうが、戦後詩史論的領域で、これまでも地の上に図を入れようとする、多くの試みがあったことは言うまでもない。そこでは決してあなたたちが言うような〈正統〉も〈常識〉も存在しないのである。(中略)わたしは『荒地』の限界も含めて、正当な評価をもとめるが、それはこれまであげた詩史論を見ても明らかなように、彼らの評価は低いか、無視されるか、ともかく定まっていないからである。それに比べて、ここにあげたすべての詩史論において、過大評価をも含んで、正当な評価を与えられている、ただ一人の詩人が吉岡実である。それを踏襲しているに過ぎない『討議戦後詩』が、なぜ、《従来の詩史論的視座自体の更新をめざすもの》と言えるのか……(以下、次回へと予告)
*横木徳久の野沢啓批判(?)
また転身という点から見れば、もっと信じがたい例、たとえばついこの間まで「隠喩的思考」を唱えていた野沢啓が「隠喩の方法」を批判した『討議戦後詩』を平気で評価する政治的行為……
*『討議戦後詩』に対する批判としては北川透のものがもっとも執拗かつ根本的と思われるが、そこに世代的なギャップがあることは否定できない。横木の批判はためにする批判であって論外。(1997. 8. 31)

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2008年3月12日 (水)

思考のポイエーシス1997年1月

79
「私はその後[一九四五年の日本敗戦にともなうさまざまな復興の時期]現在に至るまで、現代詩の重要な存在理由が、この世界的同時性の感覚の表現にあることを信じ、その信念のもとに詩を書き、批評を書き続けてきた。/そして私は、この事実こそ、日本の戦前の詩と戦後の詩をわかつ最も重要な点であろうと思っている。逆説的なことのようだが、日本の敗戦と被占領時代こそ、日本の現代詩人たちに国際的視野への窓を開かせたのである。」(大岡信「日本近代詩の風景」、『ことのは草』一二二ページ)
 この「世界的同時性」という認識は今日ますます重要になってきている。戦前の詩と戦後詩をわける差異線としての「世界的同時(代)性」は、いまや現代詩と現代哲学の差異線ともなりつつあるばかりか、現代世界をまえにして思考する者と過去にしがみつく思考停止した者との決定的な差異線ともなっている。この線をまえにして踏みとどまること、けっして線の向こうへ行ってしまわないことが現代に生きることの意味のすべてである。(1997. 1. 2)

80
 ハンナ・アーレントとマルティン・ハイデガー──この二人の哲学者が産み出した愛憎と思想のドラマは激しい。この二人にカール・ヤスパース、エルフリーデ・ハイデガー(ハイデガーの妻)、ハインリッヒ・ブリュッヒャー(アーレントの二番目の夫)をくわえた葛藤はそれぞれの個性もあいまってきわめて屈折した物語になっている。エルジビェータ・エティンガーの『アーレントとハイデガー』は、暴露的で、ややうがちすぎの解釈もないわけではないが、こうしたアーレントとハイデガーの恋愛と交流をめぐる無類におもしろい物語となっている。いまさら言うまでもなく、アーレントが若いころハイデガーの恋人であったのではないかという風評はひろく知られていることだが、エティンガーの本はその事実を実証的に裏づけているばかりでなく、その関係が両者の生涯にわたっていることを明らかにしたのである。アーレントのハイデガーあて書簡およびブリュッヒャーとの往復書簡を中心として組み立てられた二人の恋愛関係は、ハイデガーによるアーレントへの支配的な関係、師弟関係の強要といった要素をはらんでいたとはいえ、アーレントのそこからの離反そして妻のエルフリーデをはさんでの三角関係といったややこしいドラマを経て、それでもこの二人ならではのスケールをともなった思想的事件になっている。二人の恋愛が、ハイデガーのナチズムとのかかわりに端を発するいわゆる〈ハイデガー問題〉の一エピソードにすぎないかもしれないにせよ、アーレントがユダヤ人であることによって、それだけでも複雑な問題を提起しているのである。
 エティンガーの議論は、ハイデガーとエルフリーデの夫婦の反ユダヤ思想の一貫性と徹底性を明らかにすることで、アーレントやヤスパースをはじめとするハイデガーの思想的責任を擁護しようとする、戦後のひとつの流れに決定的な批判をくわえようとするものである。これはフーゴ・オットの大著『マルティン・ハイデガー──伝記への途上で』でも論証されているポイントであって、げんにエティンガーはオットの本にかなりの部分を依拠しているのである。いずれにせよ、こうした一連のハイデガー研究の成果によって、ハイデガーという哲学者の存在がいよいよ明るみに出されてきたという感は否めない。たとえば、エティンガーはつぎのようなひとつの結論を導いている。
《アーレントに言わせれば、夫にかんする一切のことに決定をくだし、同僚や学生との彼の関係についてまで采配をふるったのはエルフリーデ・ハイデガーであり、彼女のせいで、彼と「文字どおりすべての人」とのあいだには敵意しかなくなってしまったのだった。あるいはそのとおりかもしれない。夫を孤立させて味方は一人きり──妻だけ──という状態をつくりだすことで、彼女はかつてなかったほど彼を制御することができただろう。だがそれにしても、ハイデガーほどの意志強固な男がそこまで彼女の意のままになったとは、にわかには信じがたい。おそらくこのときの彼は、非ナチ化の五年間によって精魂尽きはててしまって、ただただ欲しいものは仕事のできる平穏だけ、そのためならアーレントもふくめて友人を失ってもかまわない、という気分だったのだろう。》(一二三ページ)
 エティンガーの方法は、ハイデガーをいくらか卑小化しすぎるような気がするし、アーレントにたいしては、男に呪縛された性としての女性という通俗的な理解を強調しすぎるきらいがあるとはいえ、このひと筋縄ではいかない二人の思想家の内面心理によく踏み込んでおり、したがって、かれらもまたむずかしい時代状況のなかで生き抜かざるをえなかった人間たちでもあったことをあざやかに示しているとも言えるのである。こういうことを知ってしまったあとで、ハイデガーやアーレントを読むことはまた新たな発見を見出すことになるのだろう。思想でも文学でも、その肉体存在としての現存性の深みからしか理解しえないことも確かなのだ。(1997. 1. 18, 19)

81
 石田英敬によれば、〈リズム〉のギリシャ語源〈リュトモス〉には、もともと「波動、周期的反復、同一性の回帰」といったいわゆる近代的意味での〈リズム〉の方向とは別に、動詞〈流れる〉から派生した〈流れ方〉といった抽象的意味あいをもった〈かたちの形成運動〉という含意があった。石田は、ここから個々の言説がかたちづくられていくにあたってこの〈リュトモス〉が言語に能動的にかかわっていく働きを言語にとって本質的なものとしている。
「リュトモスなしの言説は有り得ない。言説の生起はつねにリュトモスとして起こる。言説はリュトモスの襞にそって繰り拡げられるのである」(「襞にそって襞を…pli selon pli──詩学のモナドロジー序説」、「ルプレザンタシオン」3号)と石田は書いている。「個々の言語的事件としての言説は必ずリュトモスとして起こる」(同前)のである。こういう観点にたてば、ことばの微細な差異として存在する襞にそってリュトモスとともに生起する言説とは、「同じ二枚の葉はない」とするライプニッツのように、それぞれ異質なモナドとして単独に成立することを認めることになる。その意味でラングの共同体とは、「同一性なきシステム」であり、「言語のパラドックスとは、それがつねに『私にとっての言語』としてしか存在しない」ところにあるということになる。「言語活動は個々の実現の単独性ゆえに無限なのである。そして、言語の襞の無限を通して、世界はその無限を明かすのである。」──この石田のとらえかたは、これをとりわけ詩的ディスクールにあてはめてみるとき、よく納得できるのである。
 詩がなぜ詩となるのか。そしてまた詩はなぜ書きつがれるのか。それは詩を書くことにおいて、ことばがまさにそのときかぎりの襞をのぞかせるからであり、その襞にそってことばがあらたに生起しようとするからなのである。書くということはこのことばの一瞬かいまみせる襞にそって突き進むことであり、そこに貫入し、織り込まれ、そこで果てることなのだ。この言語的事件の不可逆性、一回性こそが詩の存在の根拠であり、世界の無限性に抗して詩が存立しうる理由なのである。(1997. 1. 27, 28)

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思考のポイエーシス1996年10/11月

77
 冨上芳秀の詩はとても人間くさい。男と女のどろどろした情念の世界からひとをサメの海に突き落とすような残忍な論理の世界まで、ここにはありとあらゆる人間たちの生存のドラマが繰りひろげられる。生と死、セックスと暴力、人間世界の不気味さと不条理、サド・マゾ的倒錯──いつもながらの冨上芳秀の怨念渦巻く物語がいよいよ磨きのかかった極彩色の筆致で描かれる。(1996. 10. 6)
[冨上芳秀詩集『熊楠のスカラベ』(1996. 11)の野沢啓の帯文として発表]

78
(ようやくこの「思考のポイエーシス」のデータ見直しと整備が終わる。われながらなかなかよく書けている。野村喜和夫が『散文センター』のある文章で、この「詩と哲学との関係を追究してやむことがないといった趣の、長い断章形式の文章」について「氏のライフワークのひとつになるだろう」と書いてくれているように、こうしたスタイルが自分にはあっているのかもしれない。それにしても、〈ライフワーク〉とはいささか気恥ずかしいが、ひとが他者を理解するということはそんなものだろう。いずれにせよ、この断章を復活させなければならない。)(1996. 11. 5)

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思考のポイエーシス1996年9月

74
 ひさしぶりにこのノートを再開する。思考すること、それがそのまま言語の無意識の表出であり、つまり詩であり、あるいは思索の試み=エッセイであるような場所の設定。あるいはその可能性の信憑。そのとき言語とはこのわたしだ。わたしは言語を表出することによってかろうじて存在する。すくなくともこのノートはそのようにしてあり、わたしの思考のポイエーシスを証しだてるだろう。なによりもこのわたしにとって。(1996. 9. 8)

75
 思考すること、言語が言語そのものについて考えること、それが思考のポイエーシスだ。
言語による思考(もっとも思考とはつねに言語を介した行為であり、むしろそれ以上に言語の行為そのものだから、この言い方はトートロジーにすぎないかもしれないが)は、話すことあるいは書くことによって意識のありどころを探りだし、なんらかの_^意味=方向【サンス】^_を導きだそうとすることだと言っていいだろう。だとすれば、思考することがそのまま言語の限界域の表出となるような行為、それは通常の言語行為あるいは思考の作用とはかけはなれたものであり、もしそのような行為を詩と呼ぶとすれば、その言語行為の本質にはなにかひとを既知のものから未知なる外へと誘い出す不気味な力が隠されてあるはずだ。それはその言語を読むひとはもとより、それを書いた当人にさえもけっして知ることのできない言語というものの無限の可能性のひとつの現われにすぎないのである。
 たとえばここに〈詩の外出〉という観念がある。昨年秋、野村喜和夫・眞里子夫妻を仕掛け人としておこなわれた現代詩フェスティヴァルを支える観念がそれであり、その名のもとにこのフェスティヴァルも開かれたのだった。いまその試みについてささやかな考察をめぐらせてみる。
 ところで、このタイトルをみて、詩はそもそも〈外出〉することができるのだろうか、という問いにさらされないひとはいまい。詩人が密室から外へ出ていくことによって、それにつれて詩も〈外出〉するのだと考えられているのだろうか。まさか。現代詩の尖端部分をになっている若い詩人たちの観念はもうすこし策略に充ちたものであり、そのぶん解体的であろうとしているはずだ。しかし、にもかかわらず、現代詩をとりまく状況のきびしさは、そうした若い詩人たちの試みをあざ笑うかのように、それじしんもまたみずからにたいして解体的に変容しようとするそのしたたかさにあるのだ。いわばそれはつねにみずからにたいして投げつけられる反作用の鏡像なのである。
 この一筋縄ではいかない状況にたいして若い詩人たちのたてた作戦は、天王洲アイル・スフィアメックスなる東京の内海にかかえこまれた人工的な空間の脱近代的な劇場に〈詩の外出〉を実現しようとすることであった。この偽物めいた疑似未来都市的劇場こそは、この観念的な運動にたいしてあたえられたアレゴリカルな枠組であり、それ自体がすでに外部として〈詩の外出〉という観念を包みこんでいるように思われてならない。〈詩の外出〉が可能になるところにもうひとつの外部があるのではないか。
 そういうなかで、たまたま見させてもらった守中高明の国境をめぐる長篇詩の朗読は、それがまさに国境という〈境界〉を主題とし、また、男と女というもうひとつの〈境界〉をめぐるドラマを背景とするものであっただけに、この、いつともどことも言うことのできない無時間的な茫漠とした世界のメタファー的空間から、あるときは外出し、またあるときはそこへ内転する思考の往還する運動を巧みなアレゴリーとして表出していて、その古典的で抒情的なたたずまいとあわせて印象に残った。
 この守中の試みもふくめて、フェスティヴァルのうちのいくつかのパフォーマンスにはたしかに詩をテクストの外部に表出してみようとして印象的なものがあった。それらがパフォーマンスとして魅力的であったかどうかはともかく、またそれがはたして〈詩の外出〉であるのかどうかもわからないが、テクストのみで読まれる詩とはあきらかにちがった面を提出していたことだけは確かだと思う。詩というメディアも、他のジャンルにおけると同じく、内部に自足しているばかりではいられなくなってきたのであって、どのようなかたちにせよ、詩に外部はあるのかを問わなければならないし、問いそのものをかたちで示してみせなければならなくなった。今回のフェスティヴァルでのさまざまな試みにそのあたらしい展開があるとはなかなか断言できないにせよ、かぎりなく混迷を深めていきつつある世界にたいしてささやかながら現代詩の抵抗線を示しえたという点で、貴重な試みであったと言うべきであろう。(1996. 9. 8, 11)
[野沢啓「〈詩の外出〉に外部はあるか」として書かれたが、未発表のままになった。]

76
 瀬沼孝彰が亡くなった。もう二週間もまえの八月二十八日の水曜日のことである。それ以来、この一見すると内気にみえるがじつはシンの強いそして無類に優しい詩人について、どうしてもなにか書いておきたい気持ちが消えないのだ。ところがなかなか書くことができなかったのは、ほかにいろいろ片づけることが多かったせいもあるが、とにかくどういうかたちで瀬沼君を悼んでいいのか、わからなくなってしまったからである。
 なぜわたしは、書くものをつうじて以外にそれほど深くつきあったわけでもない瀬沼君に哀悼の意を表そうとするのか。瀬沼君はけっして儀礼的に葬られることでよしとするようなタイプのひとではなかった。つまり、その死が葬儀の壮麗さとか集まるひとの多寡によって評価されるようなひとではなかったということである。そのことをどうしても述べないわけにはいかない気がするのである。
 その週はたまたま月曜から水曜までお通夜や葬儀・告別式などがずっとつづいていた。そんな木曜日の午前中、仕事場にむかしの仲間の近藤洋太より電話があり、瀬沼君の死亡、それも交通事故死との知らせを受け取ったのだった。わたしは唖然とし、つづいて戦慄が走った。こんなことがあっていいことか。まさか、あの瀬沼君が。いつでも会うと、すこしはにかみながら挨拶するあの独特の表情が目に浮かぶ。どことなく不器用そうな生き方がまたなんともかれらしいとしか言うよりない、あの心優しい詩人が突然この世から姿を消してしまったのだ。
 瀬沼孝彰があっけなく亡くなったことを聞いて、しかし最初に思ったことは、残念なことながら、いかにもかれらしい失敗をやってしまったな、ということだった。かれの生き方が不器用そうだといま書いたが、それはかれを知る者ならだれも否定しないだろう。もちろんこれはかれを貶めて言うのではない。むしろ現代にはまれなほど純粋に、誠実に生きようとしたことの代償としてかれの日常は現実とのさまざまな軋轢や葛藤を引き起こさざるをえなかったはずであり、しかしそのことによって深く傷つきながらも、かれはおそらくは悲しみを感じることはあっても、けっして他者を恨んだり攻撃的になることはなかったであろう。それはかれの遺した三冊の詩集がなにより雄弁に語っている。
 瀬沼孝彰はこの六月に第三詩集『凍えた耳』を刊行したばかりだった。この詩集はそれまでの『小田さんの家』『ナイト・ハイキング』と同様、いやそれ以上に、個人的な日常をモチーフにしたきわめてリアルなスタイルをますますとぎすませてきており、そこに描き出される世界はほとんどかれの生きている世界と同型のものであると言ってよい。かれはいつでも社会的弱者の立場にみずから身を置き、そこで触れ合うひとびとへのあくなき共感と愛着を示す。このことが安っぽいヒューマニズムと無縁なのは、かれがそこに人間という存在のもつ本質的な哀しみにたいする深い了解と諦念をふくませているからである。たとえば『凍えた耳』に収められた「カチューシャ」という掌編小説とも言っていい散文詩など、ロシア人娼婦アグネスの引き取り手のない老人病院での孤独な死を見届ける作品だが、ここにはさまざまな人間の生きざまが縮図のようにして織り込まれ、そうしたささやかな共同体のなかでアグネスがだれにともなく「カチューシャ」を唄いながら死んでいくという、考えようによってはおそるべくリアルな、身につまされる話が語られている。ここでも瀬沼孝彰はかぎりない共感を惜しまないばかりか、〈いつかアグネスのように、わたしもカチューシャを歌うことができるだろうか〉というふうに、アグネスの最後の姿に自分の最後の姿を重ね合わせようとするのだ。人間存在のかぎりない頼りなさこそがだれにも根源的に存在することを、かれほど実感的に把握しているひとはそうはいないのではないか。それが瀬沼孝彰の詩を成り立たせている。
 わたしたちはかれの詩を読むことによって自分たち自身の存在の底知れぬ不安を慰撫することができる。そういう意味で瀬沼孝彰はもっともっと理解され評価されるべき詩人であり、多くの人びとの死や悲惨さを見つめつづけた詩人が突如としていなくなってしまった以上、今度はわたしたちがかれの存在に思いを馳せ、心からの哀悼を捧げるべきときがきたのではないだろうか。
 お通夜は小雨の降る晩であった。近藤から知らせを受けて、さっそくこれもむかしの同人仲間の添田馨に連絡をとっていっしょに八王子の家へ向かった。家は旧街道沿いの旧家といった風情で、すぐにそれと知れた。ひとの死は、ふだん会うこともないひとたちを会わせてくれる。そこで旧知の何人もの詩人たちと挨拶を交わし、すこしだけ瀬沼君の話をすることができたが、そこで聞くことのできた話はやはり想像していたとおりのものだった。かれは生きたとおりの現実を詩に書いたばかりでなく、詩を書くように生きたのである。
 通夜の帰りに遅れて来た近藤洋太とともに、瀬沼君の詩ですでに馴染みになった浅川を徒歩で渡りながら、ここがかれのいつまでもこだわり愛した最初にして最後の場所なのだということを確認した。わたしにとって〈浅川〉とは、瀬沼孝彰の多くの詩においてその暴力的な開発によって痛めつけられた聖なる場所として書き記され、かれの愛してやまないひとたちの魂がいまも棲みついている場所なのだった。かれはこの浅川に沿う道路を自転車で横断しようとしてクルマにひっかけられたそうなのだ。なんとも皮肉な、この悪しき因縁のことを考えると、世界はこのように熱い心をもちつづけたひとりの詩人を失なってますます寒いものになるのだろう。
 ここでようやくわたしが冒頭で述べた疑問に答えることができる。瀬沼孝彰は、「ゴースト」という詩のなかで〈なくなった人を悼むことはすぐに嘘っぽく偽善的なものに堕ちてしまう〉と書きつつ、アルバート・アイラーを悼んだ。〈わたしはもう/わたしの死を死にきることもできやしない〉と。かれはすべてを見通して死んだかのようではないか。そのことがまた、かれの世界への最後の愛のメッセージであり、わたしたちへの世界の委託であるかのように。瀬沼孝彰の死をわたしたちはこのように理解しなければならない。(1996. 9. 15, 16)
[野沢啓「世界の委託であるかのように……──瀬沼孝彰の詩と死をめぐって」として「エイ」23号に掲載]

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思考のポイエーシス1992年4/5月

72
 エマニュエル・レヴィナスの思考は脈絡がとてもたどりにくい。リトアニア出身のユダヤ人という出自がそうさせるのか、さらにはハイデガーの現象学的存在論から出発しそれを否定的にのり越えようとする独特の形而上学への志向がそうさせるのか、にもかかわらず、レヴィナスの思考がヨーロッパの戦後思想の流れにおける今日的な結節点をかたちづくっていることはまちがいない。その〈他者〉をめぐる思考、〈顔〉という表出、〈無限〉への志向といったものがレヴィナス思想の核心を占めている。ここでは主著『全体性と無限』のなかからいくつかのポイントを抽出してみよう。
「形而上学的欲望は充たしうる欲望とは別の志向を有している。形而上学的欲望はそれを充足させうるだけのものすべての彼方を欲望する。形而上学的欲望は善良さのごときものである。」(第一部A―1)
 ──まずここで多くの人はつまづくかもしれない。いともあっさりと言われている〈形而上学的欲望〉とか〈善良さ〉ということばがどれほど近代西欧哲学の主流から排除されつづけてきたものであるか、あらためて言うまでもないほどだ。ここで形而上学とは哲学の克服すべき課題であるのではなく、逆に哲学のほうを根底のところで支える根源的欲望としてたちあらわれている。
 レヴィナスは「善良さとは、〈他者〉が自分自身よりも重視されるような仕方で、存在内に自己を定立すること」だと言い、「哲学はつねに他人をめざす言説」なのだとも言っている。つまりレヴィナスにとって哲学とは〈他者〉にかかわり、〈他者〉の存在の絶対性を明らかにする言説なのであって、〈善良さ〉とはこうした哲学にとっての前提となっているものだと言える。ともかく、こういう独特な哲学の方法をとるレヴィナスにとっては、これまでの西欧哲学の全体はあまりにも自己中心的であると思わないわけにはいかなかっただろう。レヴィナスがつぎのような帰結を引きだしているのは当然だ。
「被造物の_¨実存すること¨_そのものとして知をたてること、根拠づける者たる〈他人〉へとみずからの条件を越えて遡行する動きとして知をたてること、それは哲学のある伝統全体と絶縁することである。被造物の_¨実存すること¨_そのものとして知をたてることで、われわれは、自分とは異質な臆見を除外して自己のうちに自分の根拠を求めようとした哲学の伝統全体と絶縁するのだ。」(第一部C―2、傍点―邦訳原文通り、以下同じ)
 レヴィナスの思考はたえず行きつ戻りつしながら基本的なモチーフを徐々にふくらませていく。ここでつぎに〈他者〉というキイワードについて見ていこう。
「〈同〉の審問が〈同〉の自我中心的自発性においてなされることはありえない。〈同〉の審問は〈他〉によってなされるのだ。他者の現前によって私の自発性がこのように審問されること、われわれはこれを倫理と呼ぶ。〈他者〉の異邦性とは〈他者〉を〈自我〉、私の思考、私の所有物に還元することの不可能性であり、それゆえ〈他者〉の異邦性はほかでもない私の自発性の審問として、倫理として成就される。」(第一部A―4)
 ──「絶対的〈他〉、それが〈他者〉である」とレヴィナスは別のところで言っている。柄谷行人ふうに言えば、他者とは「自分と言語ゲームを共有しない者」(『探究I』)ということになろうか。ともかく、みずからの自己同一性の彼方からやってくる異貌の者、あるいはコミュニケーションをもつことの不可能な者が〈他者〉であって、その他者のまえでは自己同一性というものはかぎりなく相対化されざるをえない。なぜならみずからにとって他者がそうであるように、他者にとってはこの自己同一性が他者と化しているからである。だからここで見出されるのは相互の審問であり、それを〈わたし〉の側から言えば要請されるのは〈倫理〉ということになる。レヴィナスの思考がもっとも有効な力を発揮するのは、こうした倫理的関係を介して知の批判的本質が成就される局面を引きだしているからである。この知が形而上学の別名であることはもはや言うまでもあるまい。(1992. 4. 20, 5. 5)

73(承前)
 ここでいま引用した部分が『全体性と無限』の「形而上学は存在論に先行する」という項のなかの一節であることに注目したい。なぜならここでは明らかにハイデガー存在論への批判をつうじてみずからの哲学的立場の表明があるからだ。事実、レヴィナスはこう書いている。
《ハイデガー存在論の優位性を基礎づけている言葉、すなわち「_¨存在者¨_を認識するためには、存在者の存在を了解していなければならない」は自明の理ではない。_¨存在者¨_に対する_¨存在¨_の優越を肯定すること自体、哲学の本質についてある選択をすることである。つまり、それは一個の存在者である_¨誰か¨_との関係(倫理的関係)を_¨存在者の存在¨_との関係(知の関係)に従属させることであり、存在者のこの存在が、非人称的存在として、存在者の把持、支配を許すのである。」(第一部A―4)
 ──ここでレヴィナスはおそらくハイデガー哲学の暴力性、支配志向性を指摘しながら、この哲学のナチズムへの傾斜の理路を想定していたにちがいない。レヴィナスの思考が、ハイデガー的存在論──存在と存在者の存在論的差異の設定と前者の後者にたいする優位性の確認──にたいする転倒を〈他者〉とその〈実存〉という概念を介しておこなうことができたのは、ハイデガーの存在論が、結局はアーリア民族のなかにしか〈存在〉を見出そうとしなかったという苦い経験を経てきたからである。レヴィナスから見れば、ハイデガー哲学こそが〈全体性〉という暴力とその社会的歴史的帰結を導いたのであって、そこから脱出するには〈同〉の自己同一性と自己反復を切断しうる契機が必要だった。それが〈他者〉と〈無限〉という概念だったのである。
 ところで、レヴィナスは〈他者〉という概念に具体的イメージを与えるにあたって〈顔〉という独特の概念を提示する。
「_¨私の内なる¨_〈_¨他人¨_〉_¨の観念¨_をはみ出しつつ〈他人〉が現前する仕方、この仕方をわれわれはここで顔と呼称する。(中略)顔は_¨自分を表出する¨_。顔が現代存在論に抗してもたらす真理の概念、それは非人称的〈中立態〉の開示とは異なる真理の概念、_¨表出¨_としての真理の概念である。」(第一部A―5)
 ──〈顔〉(visage)とはなにか。「顔は語る。顔の表出はすでにして言説である」とレヴィナスは言う。哲学の歴史のなかで〈顔〉という概念がこれほどまで深く論究されたことはなかったであろう。なぜなら顔とは人間の表層であり、本質的なものを背後に隠してしまう表面的な現象にすぎなかったのであり、哲学とはいつも表層のうしろに隠れている本質を暴きだそうとする衝迫のことだったから、顔などというものは非本質的な、問うに値しない場所にすぎなかったのである。レヴィナスはしかしこの顔のもつ意味に誰よりも注目した。それは〈他者〉という〈無限〉の存在、容易に解読することのできない存在との接点なのであり、おそらくは〈他者〉の存在開示の唯一の場所なのである。顔のもつ〈他者〉性の開示という意味がそれぞれの自我の相互性として把握されるときには〈対面〉face-a`-face という関係が生じることになる。
 この〈顔〉という概念がもつ身体性についてレヴィナスはさまざまに語ってみせる。たとえば顔の裸出性(nudite+')について。
「顔の裸出性は、私によって開示され、この開示によって私に供されるものではない。顔の裸出性は、私にとって外的な光のなかで、私に、私の権能に、私の眼に、私の知覚に供されるものではない。顔が私のほうを振り向いたということ、それが顔の裸出性にほかならない。顔は体系に決して準拠することなくそれ自身で_¨存在する¨_のだ。」(第一部B―5)
 ──ところで、レヴィナスによれば、「事物にとっての裸出性とは、この事物の存在がその目的性に対して有する剰余のことである。不条理でかつ無用な事物、それが裸の事物である」というふうに把握されていた。それが「体系を喪失した事物の不条理性」という〈裸出性〉の第一の意味である。しかしこれに、それ自体肯定的な価値をもち、どんな形態をも貫いていく顔の裸出性という意味(第二の意味)が付け加わる。そしてこの意味は必然的に第三の意味、すなわち「恥じらいをつうじて感得される身体の裸出性、嫌悪の情や欲望を惹起しつつ他者に対して現われる身体の裸出性」をも招きよせる。この最後の二つの裸出性こそ、レヴィナスが〈他者〉の問題を肯定的に構成するときにつねに念頭においているにちがいないものなのだ。
〈他者〉は顔あるいは身体の裸出性として十全にあらわれるかぎりにおいて、〈他者〉であり、〈他者〉の他性alte+'rite+'として顕現する。そしてそのとき自我の審問が生起するのだが、レヴィナスはこの審問をさして〈言語〉と呼んでいる。〈他者〉の顕現において審問される自我は、言語のなかに突き落とされる。「言説において私は〈他者〉の問いかけにさらされており、この問いかけに即答しなければならないという切迫感が鋭くとがった現在の切っ先のように私を突きさす。かくして、私は有責者として産み出されるのだ」(第二部E―2)というわけである。哲学とは〈他者〉のこの問いかけに答えるべく、もっとも強力に意識化されねばならない言説体系なのだ。レヴィナスの思考は、この〈他者〉をけっして知解可能な〈表象〉へと転移させることなく、この〈他者〉との対面を引き受けつづけようとする実存の思考なのである。
「人間の実存は、それが内面性でありつづける限りにおいて、現象的なものにとどまる。言語によって、ある存在は別の存在のために実存する。人間の実存がその内面的実存以上の実存によって実存しうるための唯一の可能性、それが言語である。」(第二部E―3)
 ──ここで〈内面性〉とはすでにつぎのように規定されていたこともここで想起しておこう。
「全体性ではなく自己と関わり、全体から撤退し、全体への統合を延期する余地を、生は思考する存在に対して残す。この撤退、この延期こそ内面性にほかならない。」(第一部B―1)
 ──〈内面性〉とはみずからを「存在の全体性とみなすことのない」存在であり、したがって「外部性と関係することのできる存在」である、とレヴィナスは言う。別のことばで言えば、〈無限〉から分離された存在としてしかしその次元で〈無限〉を手放すことなく、現象的な実存として〈他者〉存在と対面し、その対面をつうじて言語化をみずからの責務とする実存──これがレヴィナスがみずからの方法としてとりだした形而上学の形式なのだ。『全体性と無限』が「主観性擁護の書」として書かれたとするレヴィナスのことばを裏づけるとすれば、この〈主観性〉には自我の思考と〈他者〉の存在とが渾然一体化して、ひとつの全体性(客観性)の暴力に対抗しようというモチーフがこめられているからではないだろうか。(1992. 5. 5)

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思考のポイエーシス1992年1月

69
〈構想力〉imagination について深い洞察をめぐらしたのは三木清である。「思想」一九九一年九月号の「構想力」特集号では三木の『構想力の論理』に言及したものがいくつかあったが、そのうちのたとえば木前利秋の「構想力・神話・形の論理」によれば、三木はハイデガーの存在論を参照しながら、歴史をつくる行為としての〈事実としての歴史〉という概念をつくられた歴史としての〈存在としての歴史〉と対置している。三木はハイデガー流の〈存在への超越〉よりも歴史をつくるものとしての〈事実への超越〉をより根源的なものとみていたらしい。
《〈存在者と存在との存在論的差異〉に変わる〈存在に対する事実への人間学的超越〉、三木がハイデガーに対置した超越の地平は、この事実の地平である。そして事実への超越において、たんに「人間は世界のうちにある」(人間存在の状況性)のみならず「人間は世界を作る」(人間存在の表現性)。 なぜなら事実としての歴史は、歴史を作る行為そのものにほかならないからだ。構想力が本来の機能を発揮するとみなされるのも実はこの超越の地平である。すなわち〈人間存在の状況性〉が〈人間存在の表現性〉へと架橋される地点、世界のうちにある(危機の最中にある)人間が新しい世界を作る(事実として歴史を作り出す)プロセスに参与する時点こそ、構想力の登場する場なのである。_¨構想力はこの意味で超越の問題にほかならない¨_。》(木前前掲論文、傍点―原文通り)
 ここで〈構想力〉とはハイデガー的な存在論の規定性を超えようとする運動としての存在の志向性(指向性)であると言っておこう。こうした〈構想力〉という概念が、いまなら通常〈想像力〉と訳されるimagination の訳語のひとつとしていつごろ日本に定着したかは詳らかにしないが、哲学の問題としてはカントの『純粋理性批判』あたりに遡ることができるということに注目しておきたい。そして木前によれば、三木清の『構想力の論理』はカントの「体系性を犠牲にしてでも、具体的な素材の豊かさを救おう」とするものであった。ここで問題にしたいのは、カントからハイデガー、三木清を経由して発展させられた哲学固有のディスクールの分析ではなく、また木前利秋がこれらについて論じている一文の哲学的ディスクールとしての当否でもない。ここではやや唐突ながら、〈構想力〉という概念を詩のエクリチュールの問題と重ねて考えることはできないかということである。
 言うまでもなく、詩人という存在もまたハイデガー的な意味で〈世界内存在〉であり、またある意味ではそのことをもっともよく(つまりもっとも痛切に)知っている存在であるのではないか。もしそうであるならば、三木の〈構想力〉は、そうした受苦的な存在規定性を超えてみずからの表現の世界においてこの世界を超越しようとする詩人的な感受性にとって、もっとも根源的な欲望のありかたを語るものだと言っていい。詩人はみずからの存在規定性にどれだけ自覚的であろうと無自覚であろうと、みずからの生きている時代にどこまでも深く規定されており、そのことをじつは詩的表現の根源に刷りこまれているのである。詩的表現というものに哲学的な意味づけを与えるとすれば、どうしてもこれだけは押さえておく必要があることだろう。(1992. 1. 15)

70
 前田英樹のソシュール読解はきわめて刺戟的な仕事である。瞠目すべき書『沈黙するソシュール』にひきつづいて刊行された『ソシュール講義録注解』は前著の「不可欠の追補、ありうべき最終章」(「あとがき」)とも言われているだけあって、ソシュールのテクストを綿密に読み解きながらソシュール以上にソシュール的な言語把握をいたるところで示し、いわばソシュールを超えるソシュールを披瀝している。ソシュールが展開しようとした方法をより遠くにまで導こうとする前田の力業は、ときに驚くべき断言となって提示される。その読解がソシュール学にとってどれほど斬新なものか、残念ながら不明だが、しかしかれがソシュールのなかに読みとろうとしている問題がどれほど今日的な問題意識にかかわるものであるかは理解できる。たとえば「語」と「文」のちがいにかんして前田はつぎのように書いている。
《「語」が無際限でないのはなぜか。言語が有限個の単位でなる体系だから、と言うのはあべこべな説明だろう。言語が一種のシステム性を持つように見えるのは、「語」が無際限ではありえない、そのありかたのせいなのだ。「語」とはひとつの純粋な反復、それ自身が他の「語」とのあいだに質の差異を(あるいは差異の質を)生みだすような純粋な反復である。(中略)「文」が「巨大な多様性」において〈ある〉のは、それらの差異のありかたが「語」の場合のような反復によっていないからだ。あるいは、こう言ってもいい。「文」の反復は差異を前提とするが、「語」の差異は反復を前提とすると。「語」が「文」へ上昇するには、差異のありかたを分けるこの深淵が飛び越されなくてはならないのだ。いわゆる言語学とは、この深淵を隠蔽するひとつの手段でなくて何だろう。》
 ここではすごいことが言われていると言うべきだ。すくなくともソシュールの論理を延長すると言語学の否定にゆきつくということがひとつと、「語」の有限性=反復性こそが「文」の多様性を生みだすということがここでのもうひとつの重大な確認であろう。さらにはこうも言われている。 《「文」は「語」の質的転換においてしか語られることも考えられることも不可能》であり、《「文」それじたいを扱う方法はない》と。
 ソシュールがパロールの言語学をあらかじめ排除したことは言うまでもないが、ここではその根拠が明快に示されている。ソシュールが排除したパロールの言語学とは、エミール・バンヴェニストが試みたような閉鎖的な次元の問題ではなく、いわば絶対的な不可能性としてのパロール(=「文」)なのであって、それはその「巨大な多様性」によって「一般言語学」というソシュールがみずからに課した学問的な構築の対象とはなりえないのだ。言うまでもなくその先は文学の領域であり、「言語には、言語自身による異質性の産出以外、どんな分離を生みだす基盤もない」(前田)ということに言語学は接近を禁じられているからである。
 同じことはたとえばこんなふうにも言うことができる。
《ソシュールの「一般言語学」が終始する問いは「単位」の画定だった。(中略)「単位」とは、「語られるかたまり」のなかに発生する反復的な質の「度合」である。この「度合」のなかに従来のあらゆる区分は消滅する。むろん、「単位」の質的「度合」という発想は〈使用〉に関する何の説明でもない。というよりも、そうした説明に赴くことを拒否することが彼の「一般言語学」なのだ。》
 ここで〈単位〉とはいちおう「文」の意と解釈しておこう。すると、そこに含まれる「語」(「反復的な質」)の関係の密度こそが「単位」を形成するものであり、「文」の強度ともなるのである。これこそソシュールがどれだけ排除しようとしていても、不可避的に犯してしまう反・言語学的言語への逸脱なのであり、その関心のボーダーがつねに「単位」の画定というところにあらわれるのも考えてみれば当然なのだ。(1992. 1. 20)

71
 詩における外国語。そもそも詩とは固有の国語(ラング)にたいして外国語なのではないか。あるいは外国語のように機能する難解かつ奇怪な言語、それが詩の言語なのではないか。
 鈴村和成はジャベスの詩についてつぎのように書いている。
《ジャベスがフランス詩にもたらした寄与にははかりしれないものがあるが、ジャベス自身もいうように、彼はもっとも「純粋な」フランス語を使いながら、それとはことなる異質な言語、「外国人」の言語をそこに導入して、『問いの書』を始めとする彼の書物を書いた。それはフランス詩の伝統には組み込まれることのできない異邦性をもっている。だがこの異邦性はフランス詩を転倒しながら、逆説的なかたちでフランス詩の尖端を切り開いた。フランスの現代詩はこのカイロ生まれのユダヤ人詩人によって再生を体験したのである。》(「百年の歩みについて、あるいは白い炸裂」、『ランボー101年』所収)
 このエッセイは、ランボーとジャベスを交錯させたところで現代フランス詩にいたりつくランボーの今日性を引きだそうとしたものだが、ここではとりあえずそのことではなく、引用した部分に見られる、ジャベスのような外国人──ただしフランス語系の外国人だが──の詩の言語によって、フランス詩の言語が活性化されたという事態を考えてみたいのである。つまり、異邦性をかかえているがゆえに固有言語(ラング)の停滞を打ち破ることができるという逆説。いや、すこし先走りをしすぎたようだ。フランス詩の伝統がはたしてフランス語というひとつの強力な固有言語とパラレルに考えられていいのかどうか問いなおす必要があるからである。日本の詩的言語ないし詩的伝統が日本語と同一ではないように、フランス詩の伝統といえども、フランス語というラングとは同一ではないからである。むしろ、こう言うべきだ。詩的言語とはどこの国のことばでもないような特異な言語、どこの国にとっても外国語であるような体系化されていない言語、その意味でのみ逆説的に普遍的な言語のことではないか、と。たとえば短歌や俳句のように一見形式化されているかのように見える言語形式も、じつは各種の約束事や技法といった側面においてのみ形式化された言語なのであって、詩の言語がたえず新しい形式の創出そのものであるとするならば、伝統的な形式と本来的に矛盾するのが詩の言語の本質なのである。ここでは言語は通常の文法とも言いまわしともちがう別個の範疇にあると考えねばならない。わたしは詩の言語を修辞学的な意味での隠喩ではなく、いわば隠喩の隠喩、あるいは隠喩としての隠喩、つまりひとつ位相のずれたところにある〈隠喩〉というふうに考えたいのである。この論点をより精密に解明していかねばならない。(1992. 1. 23)

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思考のポイエーシス1991年12月

67
〈ハイデガーとナチズム〉という問題は、とりわけヴィクトル・ファリアスの同名の書物が刊行されて以来、フランスやドイツはもとより、日本でもすでにさまざまなかたちで論じられてきており、一九九一年四月には日仏哲学会による「ハイデガー、ナチズム、デリダ」という公開シンポジウムがなされたりするほどの盛況ぶりである(このシンポジウムの記録は「思想」一九九一年八月号に掲載されている)。いまさら言うまでもなく、この問題は歴史的にも政治的にも、そしてなによりも哲学的に根が深い、本質的な問いを孕んでいる。つまりたんに偉大な哲学者のナチズムへの加担という政治的なふるまいにおける過誤といった歴史的事実の問題にとどまらない哲学的・思想的に現在的な問題性を視野に収める必要があるということだ。アドルノ、ラクー=ラバルト、リオタール、フーゴ・オットらの、この問題にかんする重要なテクストのいくつかの翻訳がまだ刊行されていないという状況にあるとはいえ、これらをふまえたいくつかの論考をもとに、この問題を考えていくことは十分に可能である。
 たとえば、この問題の日本におけるもっとも精力的な紹介者でありすぐれた解説者でもある西谷修は、「ハイデガーがナチだったから読むのをやめるのではなく、_¨ナチだったからこそ_¨ハイデガーは読まれなければならないのである」(『不死のワンダーランド』IV章、傍点―原文通り)という逆説的事態を指摘したうえで、〈ハイデガー的現代〉についてつぎのように問題を整理している。
《近代の軌道を進んできた世界が戦争によって崩壊した後、戦後の世界はその廃墟を僥倖として産業社会の再建と再編を果たし、その産業社会が爛熟する過程でさまざまなかたちで澱を排出し、いまや世界(の一部)はポスト産業社会の段階に入ったと言われている。つまり戦争が「近代」の加速されたやり直しを可能にし、その駆け足の復習ないし修復が終わって、いま世界が「脱近代」に足を踏み入れているとすれば、それこそがまさしくハイデガー的な状況だと言うことができる。なぜならハイデガーの思考が直面していたのは 「脱近代」の要請とそれへの対応だったからである。戦争は「危険」であると同時に行き詰まりの打開でもあり、そこに「近代の超克」の可能性を求めることさえできたが、「世界の崩壊」を招来することによって、戦争は結局「脱近代」への対応を先送りにしたのだった。そしていま世界は、将来の問題としてではなく現在の問題として、この「脱近代」の要請に直面している。近年におけるハイデガーの影響力の背景となっているのはそのような事情である。じじつ、現在本質的な思考の課題となっているテーマの多くは、すでにハイデガーによって見取図を描かれており、だれもが多かれ少なかれハイデガー的な思考の圏内にいるとさえ言えるほどだ。それだけに、思考の歴史を更新しひとつの時代を囲繞しえたこの思考がナチズムと親和しえたということは、ひとりの哲学者の過誤というにとどまらず、まさに現代の思考が、思考を要請する〈現在〉の孕む罠としてまともに見据えずにはいられない問題なのである。》(『不死のワンダーランド』V章)
 まことに簡にして要を得た把握と言うべきであろう。いささか整理されすぎているとさえ言いたいほどだが、ハイデガー哲学によって切り開かれた思考のパラダイムがこの二〇世紀の末にいたってもゆらぐことなく貫徹されているのは真に驚くべきことだ。いや、むしろ、さまざまな思想の生成と発展ないし衰退のあいだをぬって、それらの思想のバックボーンとなりながら生きつづけてきたのがハイデガーの存在の思考なのだと言うべきであろうか。実存主義と構造主義、あるいは別の強固な流れとして存在していた(かに見えた)マルクス主義を超えた地点で、つまりは〈近代〉のどんづまりのところで、〈近代〉を批判的にのり超えようとした思考の多くがハイデガー哲学のなかにみずからの準拠点を見出してきたということにもまたひとは驚くべきだろう。ポスト構造主義と目される思想家たちがハイデガーの思想に多かれ少なかれ影響を受けており、かれらによってハイデガーの思想が新たに読み直されふたたび注目されるようになったのはけだし当然のことだったのである。
 西谷修が『不死のワンダーランド』で触れているように、バタイユ、ブランショ、レヴィナスといった前世代の思想家や文学者がハイデガーの存在の思考から直接・間接に示唆を受けて──レヴィナスのようにそれを批判的に継承することになる場合もあるとはいえ──それぞれの論を展開させていったわけだが、より若い世代に属するジャック・デリダもまた独自のハイデガーへの理解を示している。『精神について──ハイデガーと問い』というテクストは、その意味でも興味深い。
 ここでは思いがけない角度からのハイデガー批判がなされているのだが、それはある意味でデリダのハイデガーへの取り組みがなみなみならぬものであること、しかしこのテクストではそれがいまだ部分的な展開にとどまっていることを示している。これはもともと講演を下敷きにしたものであるという性格にもよるのだろうが、しかし逆に言えば、講演という形式のなかで論ずるという制約をあえて選ぶことによって、デリダはハイデガー哲学の核心を一挙につかもうとしたかのようにも思える。細かい論述を積み重ねていくのではなしに、ほとんど直観的に、いつもデリダが文学テクストを料理するときのように、ひとつのことば、ひとつのテーマを徹底的に追求していくなかから本質的な主題を浮かび上がらせるあの驚くべき力業で、ハイデガーにおいて隠された主題のひとつを一挙に引きだすのである。それが〈精神〉という主題にほかならないのだが、たしかにアラン・ブウトがこの本の書評論文(「デリダ──フォルマリストの偽証」、「思想」一九九一年八月号)で指摘するように、「ハイデガー論議の表題としては奇異の感を与え」るものであり、「ハイデガー哲学の『精神』に似つかわしくない」とも言える構想なのである。デリダは冒頭でつぎのような問題設定を試みる。
《「精神」[esprit]が、あるいは「精神的なもの」[le spirituel]が問題になるとき、この語は何を意味しえたことになるのか? ただちに、はっきりさせておこう。問題はespritやle spirituelではなく、Geist, geistig, geistlichである。こう言うのは、右の問いが一貫して_^言語【ラング】^_の問いだからだ。これらドイツ語は翻訳されるがままになるだろうか? もう一つ別の意味では──これらの語は避けうるものだろうか?》
 すでにデリダらしい問題設定であると言っていいが、ここからかなり強引なかたちでハイデガーの〈精神〉ということばの使いかたが審問に付されていく。結論的に言えば、このことばはハイデガーのナチズム加担のもっとも顕著な時期、すなわち一九三三~一九三五年に〈民族〉や〈人種〉などということばとともに特権的に使われた煽動的なことばだったのであり、その後、ハイデガーによって使われなくなったことばなのである。デリダはそこに意図的な言い落としと括弧入れを見てとろうとするのである。それはハイデガーにとって「真理の真理」であり、「その真理は、あらゆる問いの彼方かつ可能性に、あらゆる問いの問われえぬもの自体に属す」のでなければならない。あるいはデリダはこうも言う。「精神性、ハイデガーはそれに固執するが、これこそがそれなくしては世界がない、その当のものの名前である」と。それはもはや形而上学以外のなにものでもない。脱構築されるべきものとしての〈精神〉──デリダによれば、ハイデガーは、〈精神〉Geistとはなにかと問い、「一切の存在者を規定し_¨集める¨_絶対的な無制約者である」と答えている。この規定はいぜんとして形而上学的ではあるが、そこにはたとえばヘルダーリンやトラークルの詩と呼応する存在者の存在とも言うべき、本来的な精神のありかたが認められるのであって、もはやここにはナチズムへと頽落してしまった〈精神〉とは異質の、起源へ向かおうとする〈知〉の働きがあると言ってよい。(1991. 12. 14)

68
 まず金子光晴の詩を引用する。

  日や月の運行とともに
  一生は平穏無事なもの、
  けふが昨日と同じだつたやうに
  あすも又なんの屈託なしとおもふ、

  さういふ人をさわがせてはならぬ。
  さういふ人のうしろ影もふまず、
  気のつかぬやうにひつそりと、
  傍らをすりぬけてゆかねばならぬ。

  さういふ人こそ今は貴重である。
  さういふ人からにほひこぼれる花、
  さういふ人の信頼や夢こそ、
  ほんたうに無垢なのだ。荒い息もするな。
                     (「信頼」部分、『女たちへのエレジー』所収)

 この詩について辻征夫は、「大きな悲歎に何度も陥り、眼前がゆき止りになったおぼえは数限りもなく、うわべは平気をよそおっているが不安でいっぱいの気持で人生を歩んで来た人間の、成熟した息吹」を読みとっている。(「金子光晴の詩」、『かんたんな混沌』所収)たしかにこの詩のなかに流れているなにかとほうもなく澄みきった人間観は、日常をあくせく生きているわれわれの、日々を平々凡々に生きていては_¨ならない¨_という生への衝迫(強迫?)の逆転であり、われわれが見落としがちな生のもうひとつの真実をずばり言い当てている。〈けふが昨日と同じだつたやうに/あすも又なんの屈託なしとおもふ〉ような人々の存在にたいして、そうでないわれわれのような人間は、辻の表現によれば、「胡散臭い存在」にすぎないのであって、〈さういふ人をさわがせてはならぬ〉のである。ここには見かけとは裏腹になんと重い意味がひそんでいることであろうか。このように言い切ることができてなお安っぽいヒューマニズムとは無縁の思想性を獲得するには、金子光晴の一生のような長いコンテクストが必要だということなのだろうが、いまのわたしにはそこまで達観することができそうもない。(1991. 12. 18)

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思考のポイエーシス1991年9月

65
(三か月の中断ののち再開される以下のテクストは、すでにひとつの大きな変容──決意と確信──を経て、つまり思考の転回を経て構成されるだろう。)
 不可視のテクスト。あるいは読みえないテクスト。そんなものは可能だろうか。詩の手前に、あるいは詩の彼方に、存在するかもしれない詩あるいは批評。根源を指し示すと同時にそこにないもの。根源を奪われつつその痕跡のみを示すものとしてのテクスト。(1991. 9. 2)

66
 ランボー──〈詩人〉という名がもっともふさわしいと同時にみずからそれを全身でもって否定した詩人。激越な他者であり、しかしわれわれの心の中枢にいきなり深く浸透し官能的な力を発揮することばの魔力を知り尽くした男。狂暴さとデカダンスを体現しつつも並みはずれた自己分析力をもって詩を思考のポイエーシスそのものに変換してしまった怖るべき知の装置。(1991. 9. 18)
[現代詩手帖特集版『ランボー101年』(1992. 1)に野沢啓「絶対的他者ランボー」の「0」として収録]

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2008年3月11日 (火)

思考のポイエーシス1991年4/5月

62
「詩人は、降霊の儀式としての詩作を進めながら、その詩作の刻一刻に、同時に一個の読者として立ち合うという態度を要求される。演じられる祭典そのものであると共に、その観客でなければならぬ。ここに詩人の二重性、いいかえれば、《詐欺》的な一面がある。この《詐欺》という呼び名にへきえきするなら、詩をやめるほかあるまい。」(入沢康夫『詩の構造についての覚え書』)
 これは入沢康夫にとってよほど気に入った言いまわしと見えて、『詩の構造についての覚え書』のなかで自己引用としてかつて書かれたものから再録された部分である。祭典そのものであると同時に観客でもなければならないという〈詩人の二重性〉──これは自己批評的であると同時に、この自己批評性に身をさらしながら詩作そのものを推進するという点において批評的でもあらざるをえない。詩が批評的でなければならないとすれば、それはもっぱら詩という形式、詩人という〈二重性〉としての存在様式が要請する問題だからである。(1991. 4. 9)

63
 このところ〈終焉〉をめぐる議論が盛んである。曰く、「歴史の終焉」「哲学の終焉」「イデオロギーの終焉」等々。これも二十世紀の新たな世紀末を迎えての、あるいは一九八九年一月七日という明確な日付をもつ「昭和の終焉」を経たあとの、あるいはまた東欧危機や湾岸戦争を見てしまったあとの、いささか平和ボケした危機感の所産でもあろうが、ともかくさまざまな〈終焉〉が論じられている。柄谷行人の『終焉をめぐって』という評論集はそうした風潮のひとつの端緒であり帰結でもあると言っていい。
 この本でもくわしく論じられているが、たとえばアメリカのヘーゲル主義者で国務省の政策企画マンでもあるフランシス・フクヤマの「歴史の終焉」という論文は、東欧「民主化」のとどまるところを知らぬ情勢変化をうけて、アメリカの自由主義の勝利とそれにともなう米ソ二極構造の崩壊、そしてイデオロギー闘争のない「退屈な」時代(=歴史の終焉)を予言するものであり、こうした単純な理論が、アメリカはもちろん日本でもおおいにもてはやされているのである。フクヤマの議論がヘーゲルおよびフランスのヘーゲリアン、アレクサンドル・コジェーヴのヘーゲル読解に基礎をおいていることが明らかである以上、この問題はたんなる国際情勢分析上の議論にとどまらず、ヘーゲル哲学の目的論的歴史観(歴史主義)の今日的再検討を必然とするものであった。
 柄谷はヘーゲル哲学についてつぎのように言う。
「彼の哲学の核心は、ある事柄を理解するということは、それを終りから見ることだということにある。哲学を終りにおいて見るだけでなく、終りから見ることが哲学なのだ。こうして、ヘーゲルにおいて哲学は哲学史となる。」(「歴史の終焉について」)
 ここでヘーゲル哲学は、どのような思考をも、それが目的をもつ思考であるかぎり、すなわち〈終りから見る〉思考であるかぎり、それを哲学として認めてしまう。言いかえれば目的論的思考は、ヘーゲル哲学の名においてみずからを哲学的言説として正当化することができるのだ。こうした思考にトリックがあるとすれば、思考というものがもともとなにかについての思考であり、さらにはなにものかを言説化しようとする行為である以上、簡単には振りきることのむずかしい目的論的性格を身にまとってしまうということにこそ由来するのである。またしてもヘーゲル哲学の罠だというわけである。ともあれ、こうしたヘーゲル的思考は、日常レヴェルにおけるもっと凡俗な、あたりさわりのなさそうなことばのコミュニケーションにおいてさえ見てとられるのである。いやむしろそうした場面でこそ猛威をふるっていると言うべきかもしれない。まことに「ヘーゲルを知らなくても、ひとは同じように考えてしまう」(柄谷)のだ。フランシス・フクヤマの議論のような、適度に哲学的な匂いとよそおいをもつ情勢分析がウケてしまうのは、まさしくこうした次元の言説空間においてなのである。
 柄谷はさらに言う。
《「イデオロギーの終焉」という説はつねにまちがっている。「終焉」こそ、イデオロギーの典型なのだから。むろん、今日歴史に目的があるという人は少ないだろう。しかし、どんなかたちであれ、「終り」を考える者は「目的」をもちこんでいるのである。「近代は終った」といっても、「イデオロギーは終った」といっても、その点において同じことになる。「終り」をいうものは、それが核戦争のような終末的な恐怖であっても、必ず究極の「目的」を要求しているのである。》(同前)
 たしかに柄谷の言うとおりであろう。ヘーゲル哲学の歴史主義的思考にまで遡及しないでも、〈終焉〉をめぐる言説が、なにか別の理念的または想像的な枠組みに依拠して、いわば目的論的高みからの断言という体裁をとることが多いという事実には注意を払っておくべきだろう。ほんとうは、どんな結末も予期しない(できない)という地点からしか現在も未来も(したがって過去も)たぐり寄せることはできないし、いかなる思い入れも排除したところからしか視野が開かれることはないのだ。
 この観点からみるならば、柄谷行人が「一九七〇年=昭和四十五年」という論文で指摘したような、「昭和の終焉」の実質を一九七〇年にみてとる視点、そして昭和天皇の長すぎた生存がかえって〈昭和〉の意味づけを風化させてしまったという論点は卓見であり、天皇の死になぜか泣けてしようがなかったというような、ほとんど時代のゆるみきった思想のアスペクトにひたすら同調するだけの言説が跋扈する現在、なにはともあれ信頼しうる知の所在を示していると言っても過言ではない。(1991. 5. 7)

64
《デカルトのコギトは、カントやヘーゲルが考えたような「思考主体」ではない。コギトはたんなる内省によってつかまれたものではない。それはデカルト自身がいうように、他の国々や過去を見て、自分にとって自明で確実であることがたんに自分が属する言語や文化といった慣習によるだけではないかという「疑い」に発している。つまり、コギトとは共同体の外部に「在る」ことなのだ。いわゆるデカルト主義においては、それは心理的自我と混同されてしまう。》(柄谷行人「歴史の終焉について」、『終焉をめぐって』所収)
 この柄谷のデカルト理解は、〈コギト〉の問題を共同体の内部と外部の問題にリンクすることによって思考における主体のありようにひとつの突破口を見出そうとしている。柄谷が言いたいのは、カントやヘーゲルのように思考主体というものを先験的に立ててその必要かつ十分な条件を原理的に探っていこうとするその精緻さが問題なのではなくて、もっと外在的な条件によって思考の本質が決められているということなのだろう。デカルトが思考の自由をもとめて他国に出向かなければならなかったように、柄谷もまた狭い日本社会の〈外部〉に身をおこうとした経験を踏まえており、そうした境界のたえざる越境が思考を可能にすることを言おうとしているのだ。デカルト主義が心理的自我とコギトを混同するというのは、デカルトにあってデカルト主義にないもの、すなわち〈外部〉をもたないゆえである。ひたすら〈内部〉での自己確認の反復にすぎないのがデカルト主義なのであり、それはデカルトともコギトとも無縁なのだ。(1991. 5. 26)

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思考のポイエーシス1991年3月

60
 ジャック・ラカンは〈無意識〉の思考を隠喩と換喩によって規定しようとした。『エクリ』のなかのつぎの断言を記憶せよ。
「症候が隠喩であると言っても、そういう言い方は隠喩ではないし、人間の欲望が換喩であると言うのもまた隠喩ではない。なぜなら好むと好まざるとにかかわらず、症候は隠喩_¨であり¨_、同様に人がいかに嘲弄しようと、欲望は換喩_¨である¨_のだから。」(「無意識における文字の審級」、A・ジュランヴィル前掲書より、傍点―邦訳原文ママ)
 ラカンの〈無意識〉をめぐる考察が、言語の修辞学的形態論、さらにはソシュールの言語論に触発された独自のシニフィアン論、つまり〈シニフィエなきシニフィアン〉あるいは〈純粋シニフィアン〉という概念をめぐって展開されていることはおおいに注目されてよい。なぜなら詩の言語とはこうした構成された〈無意識〉あるいは〈無意識〉の構造化にほかならないからである。詩が意識的なものであるとしたら、この〈無意識〉の領野からの──あるいはこの領野への──決定的な跳躍であるということ以外のものではない。もちろん〈前意識〉的なレヴェルの言語化(つまりは、たんに気がつかなかったようなことを言明すること)が詩であるわけではないのと、これは同一の事態の言いかえにすぎない。(1991. 3. 7)
[この項、「樹林」一九九一年五月号の野沢啓「表現論という問いをめぐって」の「1」に一部加筆修正して転用]

61
 天才ピアニスト、グレン・グールドは語る。
「アーティストが創造的な仕事に頭脳を使おうとするならば、いわゆる自己規律──社会から自分を切り離すやり方以外のなにものでもない──が絶対に必要不可欠なものとなるのだ。関心をもつに値する仕事をなしとげようとするすべての創造的なアーティストは、社交的存在としてはどちらかといえば凡庸なものとならざるをえない。」
 このことばをその著書『グレン・グールド  孤独のアリア』で引用したミシェル・シュネデールは、グールドのピアノ演奏についてつぎのように指摘している。──「彼の特徴をなすのは、むしろ本来の自己の探求なのだ。自分に合ったもの、つまり好みとテクニックに合ったものしか演奏しないこと、そしてたえず素材を自分のものとしながら演奏すること。」
 真のアーティストたること、アーティストの生活を送ること、あるいは創造者たること──この特異性はいったいどのように自覚されるのか。おそらくグールドのように、ひとつのジャンルにおいてそのジャンルを究めつくすだけの技量と個性をもちながらなおかつそのジャンルを超えようとする意志、さらにはジャンルを破壊しみずからの本来的世界の核心にまでつき進もうとする無類に強固で非妥協的な意志をもった人間のみが、あたかも偶然のようにこの特異な環境のなかにすえられるのである。それは時代的要請にもとづくものであるかのようなかたちで出現するほとんど必然的な出来事の様相を呈するが、しかしにもかかわらず、たとえばグールドのようなたぐい稀な才能──柄谷行人なら〈固有名〉と呼ぶだろう単独性──なしには出現しえない事件なのである。この散文的な時代に、〈自己規律〉だの〈本来の自己の探求〉だのという一見ロマンティックな志向が胚胎されることすら困難になりつつあるが、しかしそれでもみずからのうちに聖なるものや簡単に始末をつけるわけにいかないものを感じとっている者はいつでもけっしていないわけではない。そうした者のなかに、もうひとりのグールドはすでに準備されているにちがいない。(1991. 3. 31)

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思考のポイエーシス1991年2月

58
 バタイユの『至高性』からのさらなる引用──。
 まず〈知〉の獲得について──。
「われわれが真に知識を得ると言えるのは、また充分に認識すると言えるのは、どうすればそれを生産することができるのかを知っている対象だけだ。あるいはそれを再生させる仕方を充分心得ているような現象、それがどのように反復されるのかを予見できる現象だけなのである。」
 つぎに〈主体〉の概念をめぐって──。
「主体とはどのような存在なのかと言うと、_¨内部から自分自身に現われるものであるような_¨存在である。」
「われわれの生きている世界は《主体たち》の世界なのであり、その_¨外部的な¨_、_¨客観的な¨_様相はつねに_¨内部¨_と切り離すことができないのだ。」(傍点―邦訳原文通り)
「伝統的な至高性においては、原則としてある唯一の人間だけが主体の特典を享受するのであるが、といってもそれはごく単純に、大衆は労働するのに、その唯一の者はそうした労働の生産物の大部分を消費するということを意味しているわけではない。それがもっと深く意味しているのは、大衆はそのような至高者のうちに主体を──大衆自身がその対象であるような主体を──見ているということなのである。」
 この〈主体〉概念はもはや古いのだろうか。この文章が書かれたと思われる一九五〇年代前半はたしかに主体性をめぐる論議がようやくにして起こりはじめた時代であると思われるが、そしてそのなかでマルクス主義の立場に立つ論者が圧倒的に優勢であったはずであるが、にもかかわらずバタイユの思考と方法はやはり一貫して独自なものであったにちがいない。そのことはソ連社会主義を批判する観点が、現代資本主義の破綻とその対症療法への根本的な批判に共通するポイントをふくんでいることによく現われている。つまりそれは、〈至高性〉への意志の解体としてしか出現しえず、それに代わるものとして〈権力〉とか〈経済〉しか見出すことのできない近代の頽落という観点によって特徴づけられているのである。したがってバタイユの主張は、近代主義者が論じる〈主体〉とははじめから次元を異にしているのだ。「自由とは必然性の認識である」と言ったマルクスに端的に現われているように、近代主義の〈主体〉とは客観的な認識を基礎にした思考対象なのである。しかしバタイユはこの客観性にたいして主観性の価値を見出そうとしており、それを〈至高性〉にリンクさせることによって理論に厚みをくわえている。バタイユは言う。
「主観性は、それが存在するかぎり、至高なものである。また、それが伝達されるかぎり、主観性は存在する。」
「功利的人間は、何よりもまず自分の条件に関心を払う人であり、至高な人間とは、突きつめれば、この条件を否定する人である。」
 だからこそ、至高者にみずからの〈主体〉を見出そうとしてきた人間たち(大衆)も自分の条件を否定するにいたるときにはいつでもみずからを至高なる者としてとらえかえすチャンスをもつことができるのだ。バタイユもつぎのように言っている。              「真の反抗が始まるとすれば、それは王という_^位格【ペルソナ】^_が問われ、巻き込まれるときである。すなわち大衆の一員である人間が、たとえそれがどのような人物であろうとだれか他の者のために、自らに帰すべき至高性の部分を疎外するということを、もはややめるようになるときである。そういうときにのみ彼は、自分自身のうちに──自らのうちだけに──主体の全的な真実を引き受けるのだ。」(傍点―邦訳原文通り)
 主観性のまったき自由のなかに存在している〈主体〉こそが〈至高者〉なのだとすれば、現代でもその可能性は十分に残されていると考えるのがバタイユの立場なのである。それが〈芸術〉において実現されているのは明らかだが、それだけでなく、人が生きるということの究極の意味を取り出そうとする理念でもそれはあるのであって、その意味でもバタイユのこの主張はいぜんとして有効であると言わねばならない。(1991. 2. 20)

59
 アラン・ジュランヴィルは、ラカンにもとづく無意識の理論と哲学的言説を関係づけるうえで、哲学はそもそも問いであり、とりわけ〈問いかけ〉であることを指摘している。この哲学的問いかけは、まず〈知〉を対象とし、ついで「善の存在とでも言うべきものへの懐疑の上にうち立てられる」としたあとで、この問いかけの様式の本質的特徴をつぎのように規定している。
「それ〔哲学的問いかけ〕は問いかけ〔questionnement〕であって、単に一つの問い 〔question〕ではない。単発的な問いは哲学的問いを構成するには十分ではない。哲学的問いは繰り返されねばならないのだ。もちろん、まったく同じものとしてではない。そうだとすれば、答えは何ももたらさなかったことになってしまうだろう。そうではなくて、同一の問いかけに属する別の問いとして繰り返されるのである。」(『ラカンと哲学』第二章)
 この規定は重要である。なぜなら哲学とは哲学それ自身を問うことであり、したがって哲学にかかわる者自身への問いかけであるからだ。つまりそれはひとつの答えをもって満足すべき問いへの対応ではなく、不断にわきおこる自己の思考、自己への思考をもって_¨とりあえずの回答_¨とみなすような問いかけ=回答なのである。とりあえずの回答はさらなる問いを要請し、しかし問いかけとしては同一の問いを誘発しつづける。「哲学的問いは繰り返されねばならない」とジュランヴィルが言うのはまさにそのことにほかならない。そしてそれは書くことあるいは思考することが、みずからの存立基盤にたいして懐疑的であろうとするかぎり、それ自体がすでに永遠の問いかけであることとも通じている。そここそが詩と哲学が接近しうる原理的な場所なのだ。(1991. 2. 25)

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思考のポイエーシス1991年1月

56
 神山睦美は、母の病いをめぐって書かれた『家族という経験』という長篇エッセイのなかで、小林秀雄の考えに導かれながらつぎのように書いている。
《人は、おのれを写し出す鏡としての存在との離別を思うとき、「死の観念」にとらえられるのではないかと思われます。(原文改行)他人の死に出会うとは、いわば、このような互いに写し合う鏡としての他者の死に直面するということでしょう。ですから、他人の死をおのれの眼で確かめるとき、死の予感がやってくるのは、そのようなつながりの「死」を鋭敏に感じとってしまうからなのです。》
 この経験はたしかに誰もがひとの死に立ち会うときに実感することである。ひとは他者の死において、その他者との個人的なかかわりを想起させられ、その他者の記憶のなかにあったはずのみずからの存在の意味の喪失を経験することによって、みずからの生の一部を失なうのである。〈互いに写し合う鏡としての他者〉とはそういうことであり、そのことはみずからの死においてそれまでに関係したすべての他者の記憶が一挙に失なわれることと相補的であることによって二重に意識されるのだ。言いかえれば、ひとは他者の死に直面するたびにたえず死につづけていることになるのである。この事態がひとの意識に及ぼす影がおそらく死の予感ということなのであろう。(1991. 1. 20)

57
 ジョルジュ・バタイユは〈_^至高性【スーヴレヌテ】^_〉という概念をつぎのように説明している。
「至高性を際立たせるのは、富を消尽するということだ。つまりもろもろの富を生産するにもかかわらず、それを消尽することのない労働とか隷従性とは正反対の富の消尽である。至高者は消尽し、労働しない。(中略)原則として、労働へと拘束されている人間は、それなしには生産活動が不可能になるような最低限の生産物を消費する。その逆に至高者は生産活動の超過分を消費するのである。至高者は、もし彼が自分の想像のなかだけで至高者であるというのではないとすれば、この世界の生産物を自らの必要限度などをはるかに超えて享受することが実際にありうる。まさにそのことのうちに至高性は存しているのだ。こう言ってもよいだろうか。必要なものが保証され、生の可能性が無制限に開かれるときに、至高者は(あるいは至高な生は)初めて現われるのだ、と。(原文改行)それと相関的に言えば、けっして有用性というものによって正当化されることのないようなかたちで諸可能性を享受することは至高なのである(有用性というのはつまり、その目的が生産的な活動にあるもののことである)。有用性を超えた_¨彼岸¨_こそ至高性の領域である。」(『至高性』)
 見られる通り、バタイユの〈至高者〉とは、富を生産する者、労働を強いられている者とは正反対の存在者であり、にもかかわらず、そうした労働の富を消尽し、そのことによって他者(労働を強いられた者)の尊崇と敬愛をうける者のことである。これは一見するとマルクスの労働概念および労働-搾取の関係にもとづく剰余価値、さらにはそれを享受する者(資本家階級)の存在形態と似ている。しかし言うまでもなくこれは似て非なる概念である。事実、バタイユがこの本のうしろのほうで〈至高性〉と〈権力〉とを対極にあるものと把握しているように、権力ないし資本力によって支配非支配の関係におかれた人と人との関係は、すでにそのこと自体によって〈至高な生〉という存在様式を排除するからである。したがってバタイユも鋭く指摘するように、搾取と疎外という形態を止揚したはずの社会主義にあっても、それが権力関係でありつづけ、しかも伝統的な封建社会の残存物をすべて強権的に否定し葬り去ろうとする思考であるというまさにその点において〈至高性〉は〈有用性〉という概念に置きかえられるのであって、社会主義社会からは〈至高性〉は一掃されるのである。言いかえれば、権力は〈至高性〉を追求するにはあまりにもエコノミーによって規定されすぎていて、「有用性を超えた彼岸」にある〈至高性〉の領域には本質的にとどきえないものなのである。〈至高性〉とは無償性を刻印されたものであり、バタイユのことばをつかえば〈rien〉(なにでもないもの)なのである。フランス語の〈リアン〉が否定辞でありながらそのままポジティヴな側面をもつのとまったく同様に、〈至高性〉とは顕在化している不可視のもの、あるいは不可視性の顕在なのである。バタイユが〈至高性〉のモデルとして芸術を考えようとしているのは思えば当然のことである。(1991. 1. 30)

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思考のポイエーシス1990年12月

52
 久米博はポール・リクールの隠喩論を引きながらつぎのように書いている。
「詩的イメージは、詩人の魂の中、詩人のインスピレーションの中にではなく、詩の意味作用の中に宿っている。詩的イメージは、言語そのものによって創造される、言語の新しい存在なのである。」(「隠喩の二つの顔」、「現代詩手帖」一九九〇年十一月号所収)
 言うまでもないことなのだが、ここで想いかえしておかねばならないのは、詩の本質が隠喩であるというあたりまえのように思われる議論がじつは近代以後のものであるという説である。これがすでに通説となっているところでは、そうではなくて、言語の隠喩的本質の構成そのものが詩であって、そうである以上、詩の本質は権利上、隠喩的であること、そしてこの性質は詩の発生以来の根源的な性質なのである、と主張することはいささか飛躍がすぎることになるだろうか。あるいはむしろ、詩の本質はより高次の隠喩、言ってみればメタ隠喩であると言ってしまったほうがいいのかもしれない。もしそう言えるなら、たとえばモダニズムのような一見すると隠喩的技法がほとんど使われていないような詩にたいしても、それらがトータルな存在において隠喩的(メタ隠喩的)であることを主張することができるはずだ。この論点がドグマにならないポイントをきわめること。(1990. 12. 2)

53
 モダニズムの主導的な書き手であった北園克衛は、「前衛詩論」というエッセイのなかでアヴァンギャルドとしての立場から、散文のようなロジカルな形式とはちがう詩の問題をじつに今日的なレヴェルでとらえた議論を展開している。北園によれば、詩とは、「天然や社会の現象についての驚きや哀しみや怒りといったようなものを対象にした」ものではないと断言し、こうした詩への古くさいかかわりかたしかできないものの努力とは、「電燈があるにもかかわらず、ラムプによって電燈の明るさを出そうとしているようなもの」だと揶揄している。そしてこうした骨董趣味や偏執狂に陥らずになお詩であるためには、散文では表現することのできない何ものかを見出さねばならないとしたあとでつぎのように書いている。
《……現代の詩は批評でもなければ予言でもない。また哲学でもなければ経済学でもない。それはあくまで「何か」であり、その「何か」そのものを示すための言語の装置である。(原文改行)この「言語をもってつくられた装置」の前に立つすべての人間は、そのとき、かれらを俗社会の囚人としてとじこめていた古ぼけた観念の壁が破られたことを意識する。そして、まったく新鮮な意識の世界に歩み出していくのである。かつて想像してみもしなかったような物や現象にぶつかり、その人間の認識の世界に革命的な変化をあたえるのである。》(『北園克衛とVOU』所収)
 ここでは〈隠喩〉への言及はないが、この〈言語の装置〉とはまさに詩的言語の隠喩性によって構成されている本質そのものの別名にほかならない。詩的言語の形式が構築的な論理を本質とする散文形式と決定的に異なるのは、詩においては、言語の既成の観念や意味がひとまずとりはらわれ、言語の〈装置〉として再構成される過程でこれらの観念や意味も変容を迫られるからである。そこでは個々のことばにつきまとう観念や意味は、そのテクストのなかに呼びだされる必然におうじて、固有の生を与えられ、またみずから与えるものとなるのであって、それ以上のものでもそれ以下のものでもなくなる。あたかもそこではじめて生まれたかのように、テクストという全体との関係の緊密さのうちに生きることばとなるのである。ついでに言えば、ここで詩的言語の隠喩性とは、なにか特定のものの言いかえ、転位として理解されるべきではなく、ありうべき〈生〉をメタファーとするというかぎりにおいて言われうる言語の質のことである。(1990. 12. 9)

54
「芸術家はすべてジヤアナリストではない。しかし真の芸術家はすべてジヤアナリストである。ただ滑稽なことはジヤアナリズムが常に民衆の希望に適合するものだときめてかゝつてゐることだ。だがそれはジヤアナリズムとカンマアシヤリズムとが結婚したに過ぎないのである。」(「超現実主義論」、「現代詩手帖」一九九〇年九月号所収)
 北園克衛の洞察力の深さを示す一節である。このテクストが一九三〇年に書かれたことは注目されてよい。〈ジャーナリスト〉の意味の二重性がすでにあざやかにとらえられており、時流に流されないジャーナルな関心と感受性が芸術家を形成するものであることが述べられている。この認識は、戦後の一九五五年に書かれたつぎの批評文において、みずからをとりまく詩的状況への絶望によって増殖されながら、まっすぐつながっていることは容易にみてとれる。
「詩のような単純で微妙な文学は、その作品がもっている真の価値を見誤られる場合が非常に多いものである。殊にわが国のような混乱した文化をもち、水準の低い読者にみちたところにおいては、その危険は徹底的といってよい。」(「前衛詩論」、『北園克衛とVOU』所収)(1990. 12. 9)

55
 詩と哲学の接近、あるいはその結合と分離。ジャン=リュック・ナンシーはアルチュール・ランボーの『地獄の一季節』の最後の作品「別れ」の、そのまた末尾の一行に着目して秀逸なランボー論を書いている。ナンシーの論文タイトルにもつかわれているランボーの問題の一行とは「ひとつの魂とひとつの身体のなかに真理を所有する」(posse+'der la ve+'rite+' dans une a^me et un corps)というものである。ナンシーによれば、「真理はただひとつだけ」であり、「詩と哲学という競合関係にある二つの現前の審級」に別々に送りとどけられるものではないとされる。ここで詩と哲学は身体と魂とパラレルにおかれているのであって、〈魂_¨と¨_身体〉の〈合一〉というかたちにおいてはじめて、そしてそのかぎりにおいてのみ真理は所有されるというのである。ナンシーも言うように、「哲学は詩の魂ではないし、詩も哲学の肉体ではない」からだ。
《「一つの魂と一つの身体の中の真理」を言うこと、それは、プラトンからわれわれにいたるまで伝わる、美学とエロチシズムの、詩学-哲学的な、プログラム全体を反復する──だが、その本質的媒介を断ち切りつつ──ことである。》(「一つの魂と一つの身体の中に真理を所有する」、「季刊iichiko」17号所収)
 詩の〈真理〉を所有するとはひとつの魂とひとつの身体の合一(結合)によるのだが、この合一(結合)は、それぞれ個別の魂と身体の合一(結合)であることによって、無限の可能性を暗示するとともに、それ自体のうちにたえざる分離の可能性を孕んでいる。そしてナンシーによれば、この結合と分離の共有を実現するものは語 (mot) であり、この語において実現される真理は、たえず〈もっと多くの語〉(plus de mots) をもとめ、ひとつの〈真理〉として、たえず再発見されようとするのだ。(1990. 12. 10)

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思考のポイエーシス1990年11月

50
《私たちはだれもが、自分が死ぬということは避けられないということを十分よく知っているわけです。ただ知ってはいても、納得していないかもしれない。でも、納得できてもできなくても、自分が死ぬということは避けられないことだということは認めざるをえないわけです。(中略)そのことによって、私たちは〈世界〉というもののなかにいられるんだ。(中略)自分が「いる」ということができる場所、それが〈世界〉だといってもいいと思うんですけれど、じゃあ、その場所にどうしたらいられるかというと、それは、自分が死ぬということを知っている、それを認めている、そのことによって〈世界〉というもののなかにいられるんだ。これは人間にだけできること。それをハイデッガーふうにいえば、人は死ぬことができる唯一の存在だ、ということになるわけです。死ぬことができるというのは、自殺するということではないです。死ぬということを知ることができる、あるいは了解することができる、ということです。死ぬということを認めざるをえない。その前提において、生きるということをいわば学んでいくというか、知っていくというかね。》(「《言葉》と死」、『死をめぐるトリロジイ』所収)
 菅谷規矩雄はある講演のなかでハイデガーの解釈をつかいながら〈死〉についてこのように語っている。〈死〉という究極の知(イメージ)によって照射される〈生〉(=〈世界〉)の問題が問われていると言ってもよい。この講演のモチーフは、自分の死が、自分にとって自分が〈いなくなる〉ことであり、そういう事態にたいして自分は耐えられるか、という地点から問いが立てられている。そして〈死〉は〈世界〉を失なうことによって、〈世界〉のなかに自分の固有の場所をもてなくなることによって、現実化されるという結論にいたるのだが、さらに菅谷はつぎのように書いている。
《〈今、ここ〉に自分がいるということは、いつか、どこかで、自分がいなくなる、ということに裏打ちされてはじめて成り立つ、そういう姿だということになるわけです。それは、自分自身の「いる」と「いない」が二重に重ね合わされていることになりますね。横並びではなくて、二重に重ねられている。》(同前)
 この二重の重なりが〈世界〉をうみだすのだ。この存在と非在の二重性こそが〈生〉の前提であり条件であるという考えは、いっぽうで〈死〉の規定力がどこまでも〈生〉をつらぬいていることをも示している。とにかく、菅谷規矩雄の考察はここでおそろしいほどに冴えており、みずからの〈死〉のプログラムが着々と進行していることを予感しつつも、〈死〉の誘惑をふりすてるようにして思考をめぐらせているのがわかる。この思考の力はやはり驚くべきことではないだろうか。(1990. 11. 5)

51
 ミシェル・ド・セルトーは中米のインディオについての論文のなかで、西欧文明の今後のあるべきヴィジョンをインディオ社会を鏡としてつぎのように描きだしている。
「今日、ヨーロッパの民主主義の精神と実効性は、いたるところで文化的・経済的テクノクラシーの拡張によって蚕食され、さらにかつての民主主義システムの可能性の条件(すなわち地域単位間の差異の存在と、それらを代表するものの社会的・政治的自律性)の消失とともに徐々にたち消えになろうとしている。また一方では、ミクロなレベルでの自主管理の実験と探求に基づき、多様な地域的民主主義を再生させていくという方向で、中央集権化の動きへの抵抗がくわだてられてもいる。ところが西欧がこういう状況にあるまさしくいま、かつて西欧〈民主主義〉によって抑圧され失墜させられたインディオ共同体が、数百年の歴史に支えられた、自主管理の形態の唯一の可能性のありかをさし示すものとしてたちあらわれつつあるのだ。まことに、もっとも抑圧されてきたあの辺境の世界において、西欧自身の政治的、社会的再生のチャンスが示されているとも言えるのだ。西欧の権力構造とテクノロジーを起源として、いま容赦なく加速され再生産されつつある全体主義的かつ均質化の力学を転倒することができる唯一の希望は、ヨーロッパによって侮蔑され、打ちのめされ、完全に抑え込まれたと思われていた場所で生まれつつある政治のオルターナティブと社会モデルなのだ。」
 ここでセルトーが言う「西欧自身の政治的、社会的再生のチャンス」という表現自体が〈西欧〉という文化システム、知のシステムの崩壊にたいする反省と、にもかかわらずその〈再生〉の可能性を、〈復活〉の方向においてではなく探ろうとする強い欲求とにもとづいているものであることは明らかである。ここでインディオ社会とは、西欧の経済的・文化的支配と略奪にさらされつつ独自の文化、慣習、伝統を、無意識的にでもあるにせよ守りつづけてきたすべての共同社会のひとつの例にすぎない。そこでは、したがって西欧世界にとってインディオ社会がもつ意義は、たんなる模倣の対象でもなければ、ましてやそこまで文化水準や生活水準を後退させるべき目標となるのでもない。だいたいそんなことはもはや不可能であろう。セルトーもそのことを十分に認識しているようで、かれは同じ論文でつぎのように書いているのである。
「……インディオの政治的実践は私たちの模倣すべきモデルにはなりえない。それをユートピア的なモデルにしてしまうことはできない。つまり、かれらの政治的実践を、私たちの抱える全ての問題を夢のように解決し、私たちの社会の自主管理のプロジェクトが直面している技術的問題を、イデオロギー的に代替するモデルと見なしてしまうことは、問題の本質を見誤ったものでしかない。結局それこそ西欧的言説の目的とすることなのである。インディオたちの〈宣言〉が断固として拒絶するのは、まさしくこのようなイデオロギー的な搾取だ。かれらは差異を見すえながら、同時に協働する。」
 インディオ社会をみつめる西欧的知の視線──それはわれわれ自身の〈進歩〉のイデオロギー的視線でもあるのだが──、それがインディオによって拒否されること、しかもその拒否の論理が西欧の知にとって受け容れられざるをえないこと、このことが西欧的な知のシステム、文化のシステムの解体に拍車をかける。セルトーはそれにたいして差異を差異として見すえながら連帯しようとする。広い目で見れば、西欧社会もまたみずからつくりだした文化のシステムによって、インディオ社会とは異なった形態においてにせよ、支配され内部から蚕色されることになってしまったのだというように。そこからの脱出路がインディオ社会の核心に見られる〈自主管理〉の方向性しかないというのは、いささかロマンチックすぎるけれども、もしこの方法が功を奏するとすれば、やはり西欧の知のシステムがみずからを解体しつつもそれを同時に再生させうる強固な復元力をもっていたということを証明することになろう。昨今の社会論における〈オートポイエーシス〉理論の広がりと深まりはそうした知の自己言及的な問題構造の危機を反映しているにちがいない。ことの決着は当分つきそうもないが、いずれにせよ、西欧的知のシステムにとって新たな局面が切りひらかれはじめたということはたしかである。(1990. 11. 29)

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2008年3月 9日 (日)

思考のポイエーシス1990年9月

48
 大森荘蔵は、たとえばある風景を目のあたりにしたときに人が感じる感動とか情動をひきおこす原因となるものを〈_^風情【ふうじょう】^_〉と呼んでいる。これは絵画や音楽や詩歌の美的認識の基礎になるものの側から、感情という、大森言うところの「認識の一形態」であるものを考察しようとするために導き出された概念であるのだが、わたしはここでは、この概念がもつ批評性、あるいはこの概念がさまざまな芸術ジャンルにおける〈表現〉の問題において生成させる認識のフレームワークにとりあえず注目しておきたい。大森はこの概念を用いてつぎのように書いている。
「絵画の動機を風景や人物の視覚的再現に求めるという一般の通念であるが、風情という観念から言えばこの通念に訂正を加えねばならない。確かに絵画は風景・人物の写生、つまりその視覚的再現である。しかし、その真の狙いは知覚風景の上に乗る風情の再現にある、とみるべきではあるまいか。画家の目指すのは知覚風景の写真のような再現写生ではなくて、その対象が与える美的感動なのであり、その美的感動をになうのはまさに風情だからである。」(「風情と感情」、「現代思想」一九九〇年七月号)
 大森はまた、こうした実際に視覚が捕捉する物理的現実としての風景──山のかたちとかその表面の材質といったようなもの──そのものではなく、まさにその物理的現実をひとつの感動の源泉たる風景たらしめているものの知覚、つまり風情の知覚を〈高階知覚〉と呼んでいる。言ってみればメタ知覚とでも言うべきものと考えてよいのだろうが、これらの概念がもっとも強力に作用を及ぼすのが、じつは言語と密接に結びついたときであると大森は指摘する。それは言語のもつ普遍化作用によって、たとえば絵画なら一匹の犬を描くにさいしてその犬の形状や特徴や画面上の配置などの構成とともにでなければ実現しえないのとちがって、〈犬が歩く〉と言えばただちにひとつの(特定のものでない)イメージが得られるという意味である。記憶のなかの風景にしても絵画にしても音楽にしても、個々の具体的な細部が脱落しひとつの情動なり感動なりイメージが残存しているというケースが日常的によくおこるのは、それらがすでに現実的知覚の記憶でなく、それらの高階知覚されたもの、つまり風情として記憶されたものだからである。大森が「_¨高階知覚¨_とは実は_¨思考の一種¨_である」と言うとき、それはこの知覚がすでに言語の普遍化作用の媒介を経ているものであることを示唆しているのである。そして文学言語、とりわけ詩の言語の問題が、こうした観点からみると、ひとつの大きな問題領域をかたちづくっているだろうことはもはや疑いようがない。
 つまり、詩の言語にあっては、個々の言語(単語)がもつとされる固有の意味とそれらのネットワークは字義通りのものとして把握されるべきでもなく、またそのように構成されてもいないということである。ある意味では当然のことだが、詩の言語は高階知覚ならぬ〈高階構成〉されたものとでも言うべき、言語の普遍化作用における重層化されたフレームワークのなかでの思考の運動なのである。逆に言えば、詩が詩であるということの自己同一性は、こうした〈高階構成〉を内部化しえた言語においてのみ成立するのだということができるかもしれない。(1990. 9. 13)

49
 書くことの非人称性あるいは匿名性。にもかかわらず、書くことの署名にあらわれる固有名の決定的な現前。この問題に一貫した哲学的関心を寄せてきたのは言うまでもなくジャック・デリダだが、このとき固有名とはどのような存在なのか。
 小林康夫は、論文「物語の狂気 狂気の物語」(『現代哲学の冒険8・物語』所収)をつぎのような問いではじめている。
「誰であるのか?──そのような問いにどのように答えるのか。たとえばおまえは誰であるのかと問われ、私は誰であるかとみずから問うて、その問いにわれわれはどのように答えたらいいのか。」
 この意味深い問いは、しかしながら、問われた者の外的な諸関係(社会的・共同体的な帰属性とか役割、地位といったような機能性)による規定を受ける過程をつうじて、〈誰?〉という問いではなく、〈何?〉という問いとして受け取られ、答えられることになると小林は指摘する。そこからさらにつぎのように論が展開されるなかで、固有名の問題が導き出されるのである。
「だが、もし〈誰?〉という問いが、ただ単にこうして〈何?〉という問いへと還元され、吸収されるのでないとしたらどうであろう。すなわち、この問いが、その度ごとの状況と相関する一般的な、外的な規定性ではなく、むしろ特異性──本質的に他と置き換え不能な特異性──をこそ目指しているのだとすればどうであろう。そのとき、この問いにわれわれはどのように答えるだろうか。誰であるのか?──すでに一般的には〈私は何である〉という形式の答えが排除されているこの場合に、もっとも容易な答え、そしておそらく唯一の可能な答えは、名つまり固有名をもって答えとすることであるだろう。」
 ここから小林の〈物語〉論は、ハイデガーの『存在と時間』の存在論を媒介しつつはじまっていき、モーリス・ブランショの『白日の狂気』という短いレシのテクストを経めぐりながら、物語においてこの特異性がハイデガー的な本来性や固有性をこえて、むしろそれらのカタストロフィとして実現されるのだということを明らかにしていくのだが、とりあえずここでは、この魅惑的な問いのまえに立ちどまってみたい。というのは、ここでまったく唐突にも、このような問い──〈誰であるのか?〉あるいは〈私は誰であるか〉という問い──を、ある意味では無骨そのままにみずからに問いつづけたように思えるひとりの詩人を思い浮かべざるをえないからである。それが菅谷規矩雄という固有名をもつことに、ひとはもはやけっして驚くことはないはずだ──少なくとも、菅谷の死によって明らかになったカタストロフィックな、さまざまな遺稿やら事実やらを知らされたいまになっては。(1990. 9. 18, 20)

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思考のポイエーシス1990年8月

44
 現代詩のおかれている状況とは洋の東西を問わず困難なものらしい。最近刊行された 『[総展望]フランスの現代詩』によれば、それぞれの歴史的コンテクストのちがいはともあれ、フランスにおいても、詩が現在、読者を十分に惹きつけられないでいること、したがって詩集の売れ部数もきわめて限定されていること(あのマルスラン・プレーネの詩集でさえも二六〇〇部だということだ)、詩人の社会的な影響力がほとんどないことなどがよくわかる。いまさら言うまでもないが、現代詩がみずから孤立の道を歩みはじめなければならなかった必然は、日本においてと同様、フランスにおいても当然あったのだと考えざるをえない。このフランスにおける事情をすこし考えてみたい。兼子正勝は構造主義詩学における〈主体〉概念の転倒──主体の優位をことばの優位へおきかえるという──にあらわれる切断の思考について述べたあとで、アンリ・メショニックのいう主体にふれてつぎのように書いている。
《メショニックのいう主体とは、構造主義以前の主体でもなければ構造主義が抹殺した主体でもない。それは両者に共通する切断の身ぶりをのりこえた、別種の意味での主体である。その主体は言葉のなかに生きている。言葉そのものとして生きている。それは哲学が語る抽象的な主体ではなく、具体的な言葉であるような、言葉の具体的な組織であるような、具体性そのものとしての主体である。メショニックが「歴史性」という言葉をしばしば使うのは、そうした主体の具体性を時間のなかに位置づけるためである。思考の主体や認識の主体とは違い、言葉としての主体は時間のなかにある。しかも戦いとしての時間、歴史としての時間のなかに。》(「詩学のゆくえ」)
 いくつかの留保はつけなければならないとしても、要するに詩のことばという主体とは、超越的な主体性ではなく、歴史的時間のなかに限定された個としての詩人存在が特定の文化状況のなかで発することば──主に詩として書かれたことば──が、それを書いた詩人の存在をこえてわがものとしてしまう主体性のことなのである。言いかえれば、詩人存在の無意識とその意識化の相互作用のはてにうみだされた詩のことばが、結局はある時代の命運を、あるいは精神を、まさに詩のことばそのままのかたちで、つまり他におきかえのきかないことばのつらなりとして、告知し了せてしまうということなのである。それは必ずしもハイデガー的な意味での〈真理への生起〉ということであるわけではない。それどころか詩のことばの具体性というテーマがおのずと示しているように、詩のことばはそれ以前に先験的に存在するようななにものか真理的なものへの志向性としてではなく、それ自体の具体的存在がもうそのことだけである本質的な存在であるような現象なのである。詩のことばは、ある意味では哲学的ディスクールに抽象される一歩手前で現前しつづけようと意志することばなのだと言ってもよい。
 ともあれ、このように現象であり現前しつづけることをその根源的モチーフとしようとする(メショニック的な)詩のことばの主体とは、これまでの詩にたいする考えかたとどこかで大きくちがってきている。それをたとえば兼子正勝のように、マラルメ―フロベール―ソシュールの線で絶対化され、「構造主義詩学」によって定着された「文学」の自立性の終焉と対照するのもわるくはない。
《それ自身、言葉を閉ざされたものとみなした「構造主義詩学」とは、マラルメ―フロベール―ソシュールからはじまったひとつの時代、ひとつの場所の理論であり、その場所を解読するために最後につくりあげられた理論だからである。メショニックのさまざまな批判を通して、いま終わろうとしているのは、そうした「文学」の言葉の場所である。ものを書くこと、物語ることとしての文学そのものが終わるのではない。そうではなくて、「切断」に根敷を置くひとつの文学が、「文学」として絶対化された文学が、終わりつつあるというのである。》(兼子、同前)
 構造主義詩学がマラルメ―フロベール―ソシュールのラインとどこでどのように結びつくのかはあまり定かではないが、詩の、文学のことばにたいするとらえかたとしてはいちおう納得がいく。わたしには、マラルメもフロベールもソシュールも兼子が言うほどには構造主義詩学の創設の役に立ったとは思えないが、しかしかれらの仕事がこのような視角からみれば「言葉を閉ざされたものとみなし」たところで展開されたことはたしかである。つまりは個我の完成であり、そこからの脱出の探究である。わたしならこれは〈近代〉意識のそれぞれの領域における極限の相とみなしたい気がするが、いずれにしても、メショニックが近代的な文学と考えられていたものから転換させようとするものが、他者との交通を孕んだ空間であり、そこでは関係はつねに開かれたものでなければならないとされていることに注目しておきたい。詩が脱文学であることによって文学であり詩であるためには、すくなくとも現代的なテーマのひとつとしての他者との関係、他者とのコミュニケーションという課題をあらためて問題にせずにはいられないのである。(1990. 8. 5)

45
 詩と哲学の接近……そしてこの両者のあいだにあまりにも明らかに存在する深淵。
 詩はついに哲学でなく、哲学もまた詩になることはない。
 詩人にして哲学者という者はすくなからず存在する。しかし詩がそのまま哲学であり、哲学がそのまま詩であるということは、比喩としてならばともかく、現実にはありえないことである。正確に言い直そう。詩のテクストと哲学のテクストは、精神という比喩のレヴェルにおいて接近可能であるにすぎず、テクストという形態上の審級においてははっきりと区別されざるをえない。哲学のテクストは、それがなにものかを思念し、秩序づけ、分析し、なにものかにむけて構築しあるいは脱構築するかぎりにおいて、ひとつの志向性をもつものであり、そうした明確な志向性をもたない詩のテクストとは位相を異にするからである。
 しかし、詩は哲学をたえずみずからの領土に引き入れようとする。言いかえれば、詩は哲学的な思考によって強化されることを望むのだ。フランスの詩人ミシェル・ドゥギーはこう語る。
「詩的行為の瞬間、詩的エクリチュールの瞬間というのは、或る準備期間によって糧を与えられ、養われ、そしてはじめて可能となる瞬間なのであり、この準備の中には文学を読むこと、哲学を読むことなどが含まれる。」(インタビュー「詩の〈物〉たちをめぐって」、『[総展望]フランスの現代詩』所収)
 この意識のありかたを主知的であると言うならそう言ってもよい。これが詩人のすべてに共通の問題意識だとまでは言わないが、多かれ少なかれ、詩人にはこれぐらいの知識と関心はあってしかるべきだろう。ドゥギーはこのことを「詩へと精神を赴かせるための哲学」とも呼んでいる。この強靭な詩学!
 いま哲学のテクストの志向性にたいして、詩のテクストは志向性をもたないというふうに規定したが、じつは哲学にあと押しされた詩は、それ自体が強力な実践であり、自己再帰的な運動性を秘めているという意味では、ひとつの強力な志向性そのものなのかもしれないのである。ミシェル・ドゥギーはさらにこうも言っている。
「私は、真の詩とは、それが言っていることをみずから行なっている詩だと思う。詩が語っているところの事物を、詩そのものが、シニフィアンの物質性において或るやり方で模倣している、そんな詩こそ真の詩だと思う。」(同前)──これはいささかきびしい限定が必要なことばだが、ドゥギーの言いたいことが、詩の自己産出性であり、しかもその形態上のレヴェルでのそれをふくむ絶対的な自己産出、自己組織の問題であることはよくわかる。_^自己生成【ポイエーシス】^_としての詩は、フォルムのうえにおいても自己産出的なのだ。こうした方法の困難を選びとることが現代詩の孤立の原因のひとつであるにしても、その絶対的な自己産出性が具体的なことばの実現を通してしか生成しない以上、これ自体が孤立から他者へむけてひらかれようとしているコミュニケーションの一形態なのかもしれないのである。(1990. 8. 6, 7)

46
 医療という〈知〉のシステム、〈知〉の権力。
「医療という分野では、〈知〉がただ単に権力としてあるのみならず、その行使を非=〈知〉の側が積極的に望んでいるという奇妙な現象が、日常茶飯となって現われている。」(「ポリ・ポジション11」、「防虫ダンス」II―3号)
 加藤健次は、フーコーにしたがいながら、現代の医療システムがいかにそれ自体権力的でありながら、それ以上に、治療される側の非=〈知〉=無権力の要請にもとづいてその権力が有効に機能させられているかを明らかにしている。さらに加藤はこうも書いている。「抑圧される側が嫌がる権力、そこにはもうすでに権力の実体はない。人々によって望まれた権力、それが問題なのだ。」──そう、たしかに権力がその十全な威力を発揮するのは、人びとの無意識のなかにそれと知られずにとりこまれ、それによって支配・抑圧の構造が、その支配され抑圧されるはずの側の人間の欲望や喜び_¨とともに¨_現出するようなときなのである。このことは、たとえば治療というシステムにおいて、病人や患者が医者にみずからの身体をまるごと委ねるときの、あの絶望的な信頼が〈知〉の権力への非=〈知〉の側からのある種の自己無化への欲望と一体化したものであることを想起してみればよい。そしてこの治療システムという〈知〉の権力構造が、程度の差はあっても、現在の社会にあって、〈知〉の側に立つ者と非=〈知〉の側にいる者との関係のアナロジーとして働いていることは見逃されてはならないのである。つまり〈知〉の権力を行使することは、これを〈知〉の絶対性(無謬性)として拝跪する非=〈知〉の側からの積極的な支持なしには存立しえないし、さらに言えば〈知〉の権力を行使すること自体が、この関係を固着化しようとする秘められた欲望の実現でもあるのだ。この隠微な〈知〉の権力構造の二重性──下からの拝跪と上からの関係の固着化──を暴露しようとしない言説は、したがって大なり小なりすべてこの権力構造のネットワークの構成要素にすぎないのだ。(1990. 8. 13)

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 ユルゲン・ハーバーマスの論文「多数の声部をもった理性の統一」(『ポスト形而上学の思想』所収)によれば、現在、〈統一性〉と〈数多性〉をめぐる論争的問題において、大きく言えば三つの党派が存在している。ひとつは、新たな装いをもって登場してきた形而上学的統一思考であり、もうひとつは、リオタールやローティ流の急進的コンテクスト主義である。単純に言えば、一方は観念的統一性の回復を、もう一方は「観念論が犠牲にしてきた非同一的なものや結合されないもの、逸脱的なものや異質なもの、矛盾するものや葛藤をひきおこすもの、うつろいやすいものや偶有的なもの、などといった契機を救済しよう」とするものである。そしてハーバーマスは、この両者の共通の敵とされている第三の党派をそこに組みいれようとする。それは「カントの伝統を継続しつつ、懐疑的で脱形而上学的ではあるが敗北主義的ではない理性概念を言語哲学的に救済しよう、と試みる人たちの人間主義」ということになる。これがハーバーマスの言うコミュニケーション的理性であって、この理性概念は、形而上学的統一思考からすればその偶発性という性質において弱すぎ、コンテクスト主義からするとその共約不能だとされる境界を往来可能なものとしてしまう点において強すぎるとされるのである。「多に対する一の形而上学的優位と、一に対する多のコンテクスト主義的優位は、ひそかな共犯者なのである」とハーバーマスが言うとき、それは統一性と数多性の二極を振子のように振動するハーバーマス的理性概念の中間性とその成立のあやうさを示していると言えないだろうか。この結果はつぎのようになる。
「私の考察は次のテーゼに行き着く。すなわち、理性の統一は依然としてその多数の声部のうちでのみ聞き取れる──たとえどれほどその場その場のものでしかないとしても、やはり理解可能であるような、ある言語から他の言語への移行の原理的可能性として、聞き取れるのである、と。」
 このような結論はいかにもハーバーマス的な思考であって、たしかに敗北主義的ではないかもしれないが、しかしここで言語哲学的に救済されうる問題がコミュニケーション的に討議されうる問題に限定されているということが見落とされている。つまり、哲学の言説は、論理として交換可能なコミュニケーション性というレヴェルにおいてしか問題化されることができない、ということである。言うまでもなくハーバーマスは、哲学的ディスクールを文学的なるもののいっさいから峻別しようとしているのであって、それは哲学を専門家集団内部において秘教化しようとすることにひとしいのだということが見落とされているのだ。なぜならコミュニケーションの言語的了解の可能性は理論的・抽象的にはともかく、けっして同致しえない差異をもつ人間同士のあいだでは現実的には部分的にしか成立しえないのはあまりにも明らかだからである。(1990. 8. 27)

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思考のポイエーシス1990年7月

41
 問いと答えの関係についての論理というものが存在し、それを「エロテーチック・ロジック」erotetic logicと呼ぶ。飯田隆の解説によれば、「問いの真偽を問いに含まれる前提の真偽と同一視しようとすることによって、問いと答えの意味論を展開しようとする」(「問いと答えの論理」、「創文」一九九〇年一・二月号)のがベルナップの方向である。そのベルナップのいうエロテーチック・セマンティクスの基本定理というのが傑作である。いわく「ばかげた問いにはばかげた答えしか返って来ない。」──これはたしかに基本的に正しい論理にちがいない。(1990. 7. 7)
[41~65=野沢啓「思考のポイエーシス(2)」として「走都」20号(1991. 11)に掲載]

42
 デカルト的コギトの問題。この近代哲学の出発点となった主題──思考それ自体への問いという思考の問題──は、哲学を志向する者にとっての、まさにもっとも切実な課題、いや、ひょっとすると、哲学的思考を可能なものにしうるかどうかの試金石でもあろうか。ともかく思考という問題についての、それ自体重要かつ根底的な問いの宝庫であり、何度でもアプローチしてみなければならない鉱脈である。[この主題については、すでにこの「思考のポイエーシス」5、34、35、36節でわずかずつではあるが、触れているので参照してほしい。]
 高橋哲哉によれば、ハイデガーは〈Cogito sum〉のなかに「存在とは被表象性である」という命題の表明をみている。そしてハイデガーによるデカルト的コギトの解釈はつぎのようなものになると言う。
「デカルト的自我は、_¨表象する¨_自我として_¨表象される¨_自我であり、その存在はこの意味での被表象性に完全に還元される。Cogito <I>ergo</I> sum(われ思う_¨ゆえに¨_われ在り)というのも、〈われ〉は〈われ思う〉つまり〈われ表象す〉において、〈表象するもの〉として必然的に表象されており、そのかぎりでこそ確実に存在するということ以外ではない。」(「コギトの闇と光──デカルトと『主体』の問題」、「人文科學科紀要」第93輯・「哲学XXV」所収、傍点―原文通り、イタリック―原文)
 高橋はここに、ハイデガーの解釈が、デカルト的コギトへの古典的および現代的な〈合理主義的〉諸解釈に〈形而上学的根拠〉を与えていると見ているのだが、同時に、このハイデガー的解釈の帰結が結局は〈存在者の対象化〉への意志としての〈対象的表象作用〉にすぎず、デカルトの思考の根本的モチーフとその可能性を見誤っていると批判する。これにつづけて高橋はつぎのように言う。
「デカルトの懐疑は、その最後の審級においては、可能なすべての対象的存在者を〈存在しない〉と想定する懐疑であり、このように想定する_¨この¨_疑いそのものがコギトの思惟として捉え返される以上、この思惟の本質を表象作用に見ることは決してできないと言わなければならない。」(傍点―原文通り)
 さらに高橋は、この引用部分への注において、「デカルト的懐疑の意志は、結局はロゴスの循環の内に再び捉えられることになるにせよ、たしかに一度はロゴスの外を意志したのだということを、ここで確認しておきたい」とも書いている。ロゴスの外に出ようと意志するロゴス! 高橋哲哉のデカルト論の根源的モチーフはどうやらこのあたりにあるような気がするが、その点を高橋は、哲学者ミシェル・アンリの〈自己触発〉(auto-affection)という概念を媒介にして説明している。高橋によれば、アンリの〈自己触発〉とは「思惟を根元的に自己自身に与え、思惟をそれが在るところのものたらしめる〈自己自身を感ずること〉」である。つまり〈思惟〉が〈意識〉として〈自己自身を感ずること〉であり、「触発するものと触発されるものとの同一性が」「_¨具体的¨_・_¨実質的な経験¨_」であることを示しているということである。
 ロゴスが〈主体性〉と究極のところで密着してしまうというハイデガー的「主体性の形而上学」つまり〈ロゴスの哲学〉としてのデカルト的コギトの解釈でなく、それらの外部への志向性、つまり具体的な経験という現実性への通路をつけようとする思考としてのデカルト的コギトの可能性──高橋哲哉がハイデガーとミシェル・アンリを媒介にしながら最終的に言及しようとしたのは、こういう新しい哲学的地平をきりひらいてみせることだったのではなかろうか。(1990. 7. 22)

43
「他者なしに言葉はない。言葉はつねに他者に向かって語られ、他者に向かって書かれるものだ。特定の他者が現に眼の前にいるかいないか、また他者が、特定の他者であるか不特定の他者であるか、単独の他者であるか複数の他者であるかは問題ではない。そもそも〈他者への関係〉が問題にならないところでは、語ることにも書くことにもなんの意味もないだろうということである。(原文改行)だから、哲学が必然的に言説であり、言語活動であるならば、哲学はまた必然的に〈他者への関係〉でもあることになる。」(高橋哲哉「歴史 理性 暴力」、『現代哲学の冒険3・差別』所収)
 これはまたじつに明快かつ率直な哲学的ディスクールの言説性の確認であることか。しかもこれまでの高橋哲哉のていねいな文体とはかなりトーンがちがって、あたかもコミュニケーション論者であるかのように、書く(語る)こと―ことば―他者(との関係)、といった三項図式が前提されているかのような語り口にさえ思われるほどなのである。もちろんこの図式は、のちに見るように、脱構築的に転倒されるべくここに導かれているのであって、たとえば〈他者〉という概念ひとつをとってみても、通常の意味だけではなく、レヴィナス的な、徹底的に共同体外的な、つまり了解しあう地平を共有しえない〈他者〉という意味をも当然ふくんでいるのである。しかしそうだからと言って、高橋がここで試みようとしていることが、絶対的に不可能な関係の超越的設定を哲学的ディスクールとして幻想的におこなおうとするのではないことは明らかである。その逆なのだ。だから高橋はこう書く。──「私が問題にしたいのは、むしろ、哲学が言説あるいは言語活動として必然的に〈他者への関係〉であるならば、哲学はまた必然的に_¨倫理的¨_-_¨政治的¨_射程をもつ、言いかえると、_¨暴力の偏在する世界¨_において自己を実現しなければならない、ということである。」(同前、傍点―原文通り)
 そして高橋哲哉は、哲学のこうした倫理性-政治性の負の側面を、一見そのようには見えず、むしろきわめて理性的であるようにしか見えないフッサールの歴史への視点、一九三〇年代ヨーロッパ世界の危機的状況にたいするフッサールの理性への信頼(信仰)のなかに読みとろうとする。なぜならフッサールにおける危機とは汎ヨーロッパ主義の危機にほかならなかったからである。そこにはユダヤ人を排除しようとするナチズムによってユダヤ人である自身が〈ヨーロッパ〉という共同性から差別されてしまうという背理、そのことによって〈他者への関係〉どころか、みずからが〈理性の他者〉たる暴力によって〈他者〉化されてしまうという背理が生じたのである。
 ところで普遍的理性としてのフッサールの汎ヨーロッパ主義は、時間軸のほうに転ずると、ヨーロッパ的現代を絶対的基準として、そこからすべてを序列化し価値づけるという暴力性を帯びようとすることになる。そこから高橋哲哉はイタリアの民族学者デ・マルティーノの歴史研究をフッサールの汎ヨーロッパ主義的方向にたいして相対的に肯定的な評価をくわえていくのだが、それは、デ・マルティーノが『呪術的世界』で示したように、それぞれの共同体がかかえている世界はけっして現在のヨーロッパ的世界への発展の途上にあるのでもなければ、それによって意味づけられるものでもないという見方が確立されているからなのである。そのことを明確に語っている高橋の文章を引いておこう。
《「歴史研究」もしくは歴史的省察において、あるいはもっと一般的に、われわれの〈歴史への関係〉そのものにおいて、〈われわれの現在〉の特権はほとんど絶対的であるように見える。事実われわれは、どんな歴史的他者についても、〈われわれの現在〉からまったく独立に、それが「自体的になんであるか」を知ることはできないだろう。〈われわれの現在〉はあらゆる歴史的了解行為の根本形式であり、〈他者の現在〉を「自体的に」知ることは不可能である。(原文改行)だが、_¨他者とはまさに¨_、_¨この¨_「_¨自体的に¨_」_¨知ることの不可能性によって定義される¨_のではないだろうか。そしてそうだとすれば、われわれはこの不可能性から、〈他者の現在〉の「意味」や「課題」の〈われわれの現在〉への_¨還元可能性¨_を引き出すのではなく、まったく逆に、その_¨還元不可能性¨_をこそ引き出すべきではないだろうか。》(同前、傍点―原文通り)
〈他者〉のわれわれにとっての還元不可能性──これこそ決定的に重要な視点であり、それはわれわれもまた他者にとって還元不可能な存在にほかならないことをあらかじめ示しているのである。(1990. 7. 24)

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思考のポイエーシス1990年6月

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「_¨内面性¨_、_¨それは¨_、_¨存在において¨_、端緒がすでになにかに先行されているという_¨事態¨_なのである。しかし、この先行するものは、けっしてそれを引き受けるような自由な眼差しに現前するのではなく、けっして自らを現在にも表象にもしない。すでに、なにかが現在の《頭上》を無視して通過してしまっており、しかも意識という臍帯を横断してはいなかったのであり、それは回収されはしないのである。端緒そして原理に先立つなにか、存在に_¨逆らって¨_、無-始源的にan-archiquement あるなにかが存在を逆転させ、存在に先行する。」(エマニュエル・レヴィナス「人間主義と無-始源」、『他者のユマニスム』所収、傍点―邦訳原文通り)
 この内面性の規定は、存在論的立場からすれば、根源的な逆転の契機を孕んでいるように見えるかもしれない。なぜなら、このようなかたちでの内面の存在にたいする先行を認めるとすれば、存在論的存在──ハイデガー的な意味での存在者の存在──はみずからの起源としての根底を失なうからである。とはいえ、内面性という存在に先行するなにものか、このけっして現前しない存在あるいは非在が伝統的形而上学に由来するものであり、レヴィナスの思考がこうした形而上的内面性などというものに加担するはずのものでないことは、レヴィナスがハイデガー哲学の影響下にあった哲学者であることを想起するまでもなく、明らかなことである。にもかかわらず、内面性を志向する意識の動きがあとをたたないとすれば、この無規定な存在、つまり存在への先行性という形而上的意味しかもたない非現前の存在とは、存在そのものにとって、ある種の先験性なのかもしれない。内面性の追求が文学の主題でなくなって久しいが、いまの文学はかつての内面性に代わるものとしてなにをもっているだろうか。書くことについての文学、さらには書くべきなにものもないということについての文学には必然性があったが、これらをどうのり超えていくのかが今後の文学の最大の課題にちがいない。それはむろん哲学の課題でもある。(1990. 6. 7)

39
 レイモンド・タリスは、そのポスト構造主義批判の書『アンチ・ソシュール──ポスト・ソシュール派文学理論批判』のなかで、フランク・レントリッキアの見解をつぎの三つに整理している。
「(I)シニフィアンとシニフィエの価値が差異的なものにすぎないのならば、ある発話とかある詩篇とかの、一つのまとまりをなす言語の意味は差異的なものにすぎないということになる。/(II)一つのまとまりをなす言語の意味が差異的なものだとすれば、いかなる陳述──発話であろうと、詩篇であろうと──も孤立したものではないということになる。/(III)いかなる詩篇も孤立したものでないとすれば、それ自体で詩だと言えるような詩篇などないということになる。」
 タリスはこれらの見解を順を追って批判していき、結論的には(III)の見解にたいしてレントリッキアがほんとうに賛成しているのかどうかわからないと言っている。挙句のはてに、レントリッキアのような批判精神の強い批評家でさえ、「ポスト・ソシュール派批評のばかばかしい主張に懐柔されて同伴者にな」っているとまで言い切っている。〈リアリズム〉擁護の立場をとるタリスの観点からすればおそらくそのような理解にならざるをえないのだろうが、ここでレントリッキアの見解とされている、とりわけ(III)の議論は、タリスの批判にもかかわらず、詩(ポエジー)と詩篇(ポエム)の存在にかかわる本質-現象としての差異としてはじつにまっとうな見解であると言ってよい。つまり詩を詩として成立させるディスクールの形態学的根拠はどこにもないと言っているにすぎないのだから。問題はこの認識を、それではどうすれば詩が詩になるのか、つまりひとつの詩篇が他の詩篇とは独立して存在を主張しうる形象として認知されることになるのかという事態を理論的に究明することである。これについての答えはまだ明確になっていない。(1990. 6. 10)

40
「言語は、表現として、なによりもまず、詩の創造的な言語である。ということは、芸術は美なるものを作り始める人間の幸福な逸脱などではないということだ。文化と芸術的な創造とは、存在論的な領域そのものの一部なのである。それらは、すぐれて存在論的なものなのであり、存在の理解を可能にするものなのである。」(エマニュエル・レヴィナス「意義と意味」、『他者のユマニスム』所収)
 言語の存在論的領域としての詩的言語。この言語は、美をつくる人間が芸術的逸脱ないし逸脱としての芸術として意味づけられ意識化された言語の有意味性の水準にあるのではない。言いかえれば、ある存在の意味の理解が先行し、そこから射出されてくる意味領域にこの詩的言語が実現するのではないということだ。そうではなくて、逆に、この存在の理解さえもあやふやな領域、なによりも言語的実現が優先してしまう領域、そしてそこから存在そのものがすこしずつ姿を現わしてくるような領域、いやむしろ、その存在そのものが言語そのものであるような領域こそが詩的言語の成立する場所なのである。レヴィナスはこの論文で、〈意味〉sensとは別の水準にあり、意味以前であるとともに、意味を超越するような全体──〈照らし出す全体性〉〈光る存在の全体性〉とレヴィナスは言う──としての〈意義〉significationの領域を措定し、その超越性が詩人と芸術家を創造へ導くのだと考えている。〈意義〉とは〈知解可能なもの〉であり、またそれで十分なのだ。〈意味〉の狭く方向づけられ統一された領域でなく、〈意義〉の領域は存在可能性をすべてうちに含んでおり、存在の意味はそこから、そのつど汲み上げられるのだ。詩的言語が意味としてではなく、存在の可能性としてたえず問いなおし問いなおされるべきなのは、この言語が〈意義〉の領域に属しているからであり、しかもこの領域がけっして不変で永遠の実体ではないからだ。詩的言語はみずからの存在の理解をもとめて〈意義〉の領域のなかを模索しつづける運動なのである。(1990. 6. 10)

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思考のポイエーシス1990年5月

30
 一般に、社会科学者の論述は人文科学系の学問、とくに哲学や文学批評のそれとくらべると無味乾燥で貧弱なものが多い、というのがわたしのいつわらざる「偏見」である。哲学や文学批評が本質的に他の言語テクストにたいするメタ言説であるということからもくるのであろうが、それ以上に、社会科学系の人の文章は、言説そのものの展開の自律的な豊かさに同調することをきらって、ひたすら「記述」だけですませようとすることからくるように思えてしまう。要するに味もそっけもないのだが、そのことに社会科学者はすこしも疑問をいだかない。レトリカルな文学などつまらない枝葉末節にこだわっているだけであり、そんなことより理論の核心をなるべく簡潔に示すことのほうがはるかに重要だとでも言いたげなのである。
 ユルゲン・ハーバーマスの文章(=思考)とはまさにそうした社会科学者の言説の典型である。他の哲学者や思想者の言説にたいするハーバーマスの理解のしかたを見ていると、みずからのコミュニケーション的行為理論への親近性の度合によってのみ、その思想への評価が定まっていくように思える。これはあるいは理論家というものの宿命なのかもしれないが、まず理論への全面的な依拠ないし傾斜のうちでしかみずからの思考が起動しにくいものだから、その理論的枠組からすこしでもはずれる思考にたいしては、内在的な批判の視点が見出せないのである。デリダのテクストにたいするハーバーマスの理解などその最悪の例であって、ここにはもっぱらみずからの理論を一方的に外側から押しつけて、それにあわないと言って批判したような気になる、かなり程度の低いデマゴギーが見られる。しかしそれも、哲学と文学批評を機械的に二つの別個の言説ジャンルとして片づけてしまうような粗雑な理解を示すハーバーマスのことだから、デリダの文章も思考もわかるはずがないのだろうが。ハーバーマスの最新論集『ポスト形而上学の思想』の一章「哲学と科学は文学か」のなかでも、あいかわらずこうした低レベルの批判がくりかえされていることも参考になろう。また、オースティン、サールらの言語行為論への理解など、ハーバーマス的コミュニケーション理論との近接性において十分な評価が与えられているが、ここでも文学的ディスクールはあらかじめ特殊なものとして排除されているから当然の帰結としてそうなっているにすぎない。
 とはいえ「社会科学者」ハーバーマスにかんして言えば、その理論の射程はなかなかのものであることも忘れずに指摘しておかねばならない。たとえば現代社会の病理現象を解説しながらつぎのように言うとき、ハーバーマスの理論はある一面で正確に事態のダイナミズムを見据えているように思われる。
「生活世界の合理化が進んだからといって、再生産過程がコンフリクトを免れる確率が高くなるわけでは毛頭ない。ただコンフリクトの発生しうる水準が移動するだけである。生活世界の構造の分化にともなって、多様化するのは、社会病理現象の形態だけであって、構造上の構成要素のどれに、どのような側面で配慮がゆき届いていないかに応じて、多様な病理現象が発生してくる。」(『近代の哲学的ディスクルス』XII章)
「生活世界が規則化され、分解され、コントロールされ、そして監視される形で行なわれる生活世界の変形は、たしかに物質的搾取や窮乏化という露骨な形式に比べれば、より洗練された方法である。しかし心的なものと身体的なものに押しつけられ、内面化された社会的コンフリクトは、それゆえにこそ少なからず破壊的である。」(同前)
〈生活世界〉との〈対話的理性〉によるコミュニケーションをめざすハーバーマスは、これらの洞察によって、最近の幼女連続殺害事件のM君のような例をはじめとする、さまざまな大小の社会病理現象を説明するのに、基本的な枠組を与えてくれる。〈生活世界〉がフッサール以来の哲学の対象であるとしても、ハーバーマスの志向対象としてのそれはほとんど社会科学としてのそれに変容している。そしてその枠組にとどまるかぎり、〈生活世界〉はコミュニケーション的行為をつうじて、より現実的な解読にさらされている。ここでの論議はそれこそ妥当なものだと言っていい。ハーバーマス的モデルネの合理的理性はここでもっともすぐれた仕事をするのである。(1990. 5. 14)

31
《知的な資料をとりあつめ、傍におき、読みに読みこむ作業は〈考えること〉をたすけるだろうか。さかさまに、どんな資料や先だつ思考にもたよらず、素手のまんまで〈考えること〉の姿勢にはいったばあい〈考えること〉は貧弱になるのではないか。わたしたちは現在、いつも〈考えること〉をまえにしてこの岐路にたたずむ。そして情報がおおいため後者の方法にたえられずに、たくさんの知的な資料と先だつ思考の成果をできるだけ手もとにひきよせて〈考えること〉に出立する。》
《すでに知的な資料や先だつ思考の成果を〈読む〉ことだけが〈考えること〉を意味する段階に(段階というものがあるとして)はいってしまったのではないのだろうか。それ以外に〈考えること〉などありえないことになったのでは。ほんとはいつもこの危惧をどこかでいだいているのだ。》(吉本隆明『言葉からの触手』11節)
 吉本隆明の思考のポイエーシスが「どんな資料や先だつ思考にもたよらず、素手のまんまで〈考えること〉」に基礎をおいていることは疑うことができない。それどころか、明治以降の思想家のなかで、吉本ほど、その思想のオリジナリティのレヴェルにおいて、卓越した仕事を残している者は他にいないと言っていいほどである。そして吉本もこうした自前の思想形成のありかたとその結果にたいして、相応の自負をもっているのはたしかだ。ここで「知的な資料をとりあつめ、傍におき、読みに読みこむ作業」が思考だと思っている者、あるいは「素手のまんまで〈考えること〉」の貧弱さへの不安にたえられずに既成の知の整理におもむいてしまう者にたいして、吉本は疑問を呈している。そして同時に、こういう思考の形態にたいして感じとられる疑問が、けっして他人ごとではないという危惧と自戒をもみずからの仕事のうちに認めている。なぜなら、吉本のこれまでの思想の展開がいかに独創的であったとしても、それらは「先だつ思考の成果」からの積極的な吸収によって成立していないわけではないからであるし、そもそもそれ以外のありかたはむずかしいからである。いわば先人の思想の換骨奪胎によって吉本の思想も構成されていること、それは他の有力な思想家の場合と同様なのである。
 だからここで問題なのは、〈思考〉が「先だつ思考の成果」を〈読む〉ことだけに限定されてしまおうとする一般的な知の傾向──それをシミュレーションとしての〈思考〉ととりあえず呼んでおこう──にたいして、いかにして自前の思考の展開を可能ならしめ、そのオリジナリティのレヴェルを維持することができるか、という問いなのである。『言葉からの触手』という本は、したがって先行する思考のことばによってシミュレーション化された〈思考〉のあとをたどるのではなく、いまだことばによって明確に名指されていない領域に踏みこんでいこうという試みなのだ。
 ところで、こうした主題をもつ『言葉からの触手』のさまざまな言説を批評的モチーフとして新たな言説をくわだてようとするわれわれの営為とは、それが「先だつ思考の成果」たる吉本隆明の一著書を〈読む〉ことにほかならないとすれば、それはすでに吉本の主題そのものによってあらかじめみずからのよってたつ地盤を掘り崩されているのではなかろうか。もしそうでないふうにするとすれば、吉本の言説を「読みに読みこむ作業」をつうじて、その中心的モチーフを打ち抜いて可能なかぎり遠くへそこから離脱してしまうほかにない。この課題が苛酷なものとなるだろうことは、この意味で自明なのだ。(1990. 5. 20)
[31, 35~37=野沢啓「思考と〈現在〉のあいだ──吉本隆明『言葉からの触手』に関連して」の1~4として「飢餓陣営」6号(1990. 8)に掲載、のち野沢啓『隠喩的思考』(1993. 11)に収録]

32
「思索と詩作は、ロゴスの二つの道である。思索と詩作は言葉によって創造され、言葉に奉仕する。それらはともに〈根源的な詩作〉(Urdichtung)なのである。」(「言葉と存在」、「現代詩手帖」一九九〇年五月号)
 久米博はハイデガーの言語思想に触れてこう書いている。思索と詩作の語呂あわせはともかくとして、ハイデガー的な意味での哲学と詩の結婚、それらの根源性について考えること。(1990. 5. 22)

33
「なにも証言者のためには証言しない」と言ったというパウル・ツェラン。あるいはイヴ・ボヌフォワの証言によれば、「_¨あなた方は¨_(フランスの詩人たち、西洋の詩人たちのことをさしていた)_¨自分の家の中にいる¨_、_¨自分の言語の中¨_、_¨保証人たちの中¨_、_¨書物の中¨_、_¨好きな作品の中にいます¨_。_¨このぼくはその外にいるんだ¨_」(「パウル・ツェラン」、「現代詩手帖」一九九〇年五月号、傍点―邦訳原文通り)と語ったというツェラン。この存在することの圧倒的な離人症的あてどなさ、自己の他者性、つまりは自己同一性の解体こそが、ツェランにおいて詩作すること以上の根源性を呼びこんでしまっていたのにちがいない。根源的な解体とは死をも二次的なものにし、その死(自殺)によってツェランはわれわれの共同性のうちに回帰しえたのではないか。(1990. 5. 22)

34
 小林康夫はデカルト哲学における、表象の存在以前にある表象装置としての〈コギト〉(私は考える)という審級の絶対確実な存在を指摘し、それがデカルトにおいては〈神〉の存在の証明へと方向づけられていることを認めたあとで、つぎのように書いている。
「神は私が持ち得る幾多の表象のうちで唯一、世界と対になったその表象装置に還元できない特異な表象、しかも他のすべての表象が、〈完全さ〉に関して、その一点へと収斂されるべき一種の透視法の消失点のような機能を果たしていることになる。神は表象装置の外にあるが、それはまさに無限に外にあるような仕方で外にあるのである。そして、それ故に同時に、神は_¨はじめから¨_私のなかにあるのでなければならない。」
「私──つまり表象能力を持つものとしての私、コギトという装置を可能にしているものとしての私──は神の作品であると同時に、神の表象なのである。コギトという表象装置において、私は神と同じ無限の一点の場所をしめるのである。」
「デカルトの思想は、きわめて単純化してしまえば、世界への問いと神への問いとを同時に、同じような仕方で、つまり光学-幾何学的な仕方で問うことに存していたようにすら思われるのである。そしてこの光学-幾何学的なアプローチこそ、表象という問題を主体の装置として解明し、また逆に主体を表象の装置として確立することを可能にしたように思われるのである。」(「デカルト的透視法──表象装置としてのコギト」、「現代思想」一九九〇年五月号、傍点―原文通り)
 ここから小林康夫は、透視図法という表象の方法が主体という概念の近代的な意味での成立をうみだしたことを確認していくのだが、それと同時に、主体が、見る主体と表象する主体として一致することをつうじて〈点〉にすぎないものに還元されていく必然をも示していく。透視図法が普遍的な制度として確立されるということは見る者が不要になるということであり、視線あるいは表象そのものに化すことである。小林によれば、主体ははじめから分断され、分裂させられていたのであり、「光と闇に、可視性と不可視性とに、理性を情念ないしは欲望に分裂させられ」た主体として、もうひとつの近代的主体にたいする超越性として追放されたことになる。そしてじつはこの超越的主体、〈神〉という無限の外部あるいは外部の無限性にも比すべき存在こそデカルトの表象装置としての〈コギト〉であり、それはほとんど無限小の点と化すことによって、逆説的に普遍化された存在、表象(思考)装置としての絶対性に転化しうるのである。(1990. 5. 24)

35
 吉本隆明の思考のスタイルは、おそらく、その見かけとはうらはらに、きわめてデカルト的なものではなかろうか。『言葉への触手』のなかで(さきの引用のすぐあとで)、ただ一個所、デカルトについて触れているところがある。
《〈考えること〉の範囲にはいってくるすべての事物は、おなじ仕方でつながっているから〈真〉でないものを避け、そのうえ演繹する〈順序〉さえ間違えなければ、どんなとおく隔ったものでも、かならず到達できるし、どんな隠されたものでもかならず発見できる。これがデカルトの確信だった。当然いちばん単純で、いちばん認識しやすいものが、デカルトの〈起源〉にやってきたのだが、そういうデカルト自身もまったくおなじ理由で〈考えること〉の〈起源〉になった。》(11節)
 言われていることはとりたてて重要なことではない。デカルトについての認識としては常識的な部類に属するものだとさえ言ってよい。ただここで重要なのは、吉本隆明がみずからの思考の原理を考察するにあたってデカルトの方法を想起しているということのほうなのである。そして、思考を展開するにあたって、先人の思考に依拠することもなく、しかしいたずらにそれらを排除することもなく、〈考えること〉の運動に身をあずけることによって、そのあるがままの姿をさらそうとすることのほうなのである。デカルト的であるというのはこの思考の姿態においてにほかならない。
 ところでデカルトの〈コギト〉とは、思考する主体の存在をほんとうに保証するものなのだろうか。あるいは吉本の言うように、みずからの存在の〈起源〉となるものなのだろうか。〈コギト〉とは、〈わたし〉という空虚な存在の内部にもうひとつの世界を劃定することにすぎないのではないか。内部にうみだされた外部──。そしてこの外部とはじつは〈内部〉の内面化されたものである──〈コギト〉とは、こうした無限に縮小する入れ子構造をとった世界にすぎないのではないか。デカルトは、思考の運動と存在の論理とが切りむすぶこの究極の一点(もしそういうものがあるとするならば)を〈コギト〉と名づけたのではないか。そのときつぎつぎに排除されていった残りの部分はどこへいってしまったのだろう。それらはじつは跡形もなくなってしまったのではないだろう。むしろ思考の運動にともなって、思考のまわりにつぎつぎとまとわりついてくる不純物、偶然そこにあるものとしてよみがえっているはずだ。しかも、それらの存在を媒介にすることによって思考は、仮構された思考の原理(〈コギト〉) から出発することができるし、みずからの運動を持続させることもできるのではないか。そうであってみれば、思考の純粋な運動などというものがあるのではなく、そのように見えるものがあるとしても、それは思考の運動を抽象のレヴェルで見たときにそうであるにすぎない。
 小林康夫は、その卓抜なデカルト論のなかで、透視図法のもたらしたものが、人間の表象史のなかで歴史上はじめて〈視点―表象―物体〉という関係、つまり人間の視点とその対象とのあいだに〈表象〉という第三項を発見することであったと書いている(「デカルト的透視法──表象装置としてのコギト」、「現代思想」一九九〇年五月号)。そしてさらに、見る主体と表象する主体の一致によって近代的主体という概念が成立したことを示しつつ、それが同時に、この主体の分裂をもうみだしたということを鋭く指摘している。つまり、見る主体は表象する主体でもあると同時に、そういう主体であることができないのである。すくなくとも、表象する主体であることは見る主体であることから生成したにもかかわらず、この見る主体をも対象化する関係のなかにはいっていかなければ、みずからの〈表象〉の位置を持続させることができない。それは、さきにふれたように、〈内部〉の内面化された外部であることによって、しかもこの関係を重層化させることによって、ひたすら分裂の度をますことにほかならないからである。それはもはや二重性とか複層性とかといった概念ではとりおさえることのできない自己破壊的な衝動につらぬかれた運動性と言ってもよい。デカルトの思考とはそのような暴力的な狂気を孕んでいたのである。(1990. 5. 25, 27)

36
《思考にふさわしい環境は、身体にふさわしい環境とおなじだ。だが思考しているときには身体は無意識になっているか、思考そのもののなかに熔融してしまっている。一瞬内省する眼ざしのとき思考しているじぶんの身体の_^像【イメージ】^_が視えたとおもうだけだ。思考のなかに融けてしまった身体が、そのときいわば無意識の像の水面にさざなみをたてたのだ。おなじように思考するじぶんの身体を、思考の対象にしたいとおもって振舞うとき、身体の_^像【イメージ】^_が視える。》(『言葉からの触手』8節)
 吉本隆明がこのように書くとき、それは思考の身体性を指すのでもなければ、身体によって拘束された思考の規定性を指すのでもない。それよりはむしろ身体が思考において無意識化される過程、身体という外部が思考という内部において消失する過程を指しているのである。そしてこのことは、前節で触れたように、小林康夫の指摘する〈デカルト的透視法〉における〈視点―表象―物体〉という関係のなかで、〈視点〉が不要となり〈表象〉の働きばかりが肥大化してくる事態と対応している。そのさい、思考(表象)する身体そのものが思考(表象)の対象となることがあっても、それは〈物体〉的対象であるよりも、ほとんどイメージ化されてとらえられるにすぎないものと化している。言いかえれば、思考する身体とはすでに〈表象〉の一部なのである。
 このことはたとえばエマニュエル・レヴィナスのつぎのような見方と比較するとき、そこに微妙な差異が見られる。
《身体〔と〕は、思考が、それが思考している世界のなかに入り込んでいるという事態、そしてその結果、思考は、この世界を思考していると同時に表現しているという事態なのである。身体の身振りとは、神経的な放出なのではなく、世界の奉祝であり、詩であるのだ。身体とは感じられる感じるものである(……)》(『他者のユマニスム』)
 思考の二重性、二重存在の形式としての身体。つまり〈感じられる感じるもの〉としての身体、言いかえれば表現しつつ表現されるものとしての身体がここで論及されているのだが、吉本隆明の〈身体〉は、すでに〈表象〉の一部としてイメージ化される存在となっている。その意味ではレヴィナスの直接性、根源性にくらべて、吉本のほうがより媒介的、表象的である。それは思考と身体の関係が、レヴィナスの場合が身体的側面を重視しているのにたいして、吉本の場合は思考の働きに一義性を見ているからかもしれない。
 いずれにせよ、このように〈思考〉について考える吉本隆明はたしかにデカルト的である。しかしここから〈現在〉という主題に移ろうとするとき、奇妙なほど反デカルト的になる。
《現在は、すでに〈考えること〉のとおくまでやってきた。〈考えること〉は、単独でも、また〈考えること〉をしているときだけ、確かに存在しているようにみえる〈わたし〉とひと組みでも、もう存在〔し〕なくなってしまった。知的な資料をとりあつめ、先だつ思考などを〈読む〉ことで、その主題に同一化することだけが、起源にある〈考えること〉に対応している。この現状では〈わたし〉はただ積み重ねられた知的な資料と先だつ思考のなかに融けてしまって、すでに存在しないものにすぎない。》(11節)
 じつはこの引用は前節で引いたデカルトへの言及個所のすぐあとにくるものである。ということは、デカルトが〈起源〉であるような思考の様式から吉本自身はすでに離反したものとしてふるまおうとしていることになる。デカルトの近代的思考にたいして、そこから「とおくまでやってきた」ものとして〈現在〉の思考を考えている。ここでの吉本は、レヴィナスのように、思考の身体性の考察のほうに大きく踏み出すことはしない。それはむしろ思考の媒介性を連続的に累積することによって、直接性から無限に遠ざかったのである。しかしこの考えかたは、この小論の冒頭(「31」)で触れた、吉本の思想形成の自前性、そして「知的な資料や先だつ思考の成果を〈読む〉ことだけが〈考えること〉を意味する」今日的事態にたいしての批判的モチーフを大きく裏切っていることにならないだろうか。吉本の言う〈<G>現在</G>というものの病原〉(ゴチック―原文通り)に、吉本自身が過剰に侵されている。もちろん吉本は、これは思想の歩む必然の過程であって、いつまでも〈現在〉にたいして免疫状態でいられると思っているほうがオメデタイのだ、と言うにちがいない。しかしデカルト的近代意識に共通する思考のラディカルな原理を掌中にしていたかに見える吉本にとって、この反デカルト的立場への移行は、飛躍と断絶ではあっても、必然的な連続性ではない。それは、この二つのパラグラフがなんの説明もなく接続されていることによく象徴されている。(1990. 5. 27, 29)

37
 吉本隆明の〈現在〉志向がその本来の思考のスタイルを裏切っているという認識はこれまでほとんど指摘されてこなかったことのように思える。そのことの確認は、たとえば〈権力〉についてのつぎの指摘からも容易に見てとることができるはずである。
《権力は小から大にわたる、視えないものから視えるものにわたる、あるいは合意から不同意にわたる分布のことを意味する。けっして天からふってくる鋭い槍先でもなければ、漠然とした抑圧の重石でもない。むしろ合意を中央値としたさまざまな形の分布とみなした方がいいのだ。わたしはあなたに合意する。そう頷きあっている場所では、中央値にむかって近づこうとする無意識の矢印が働いている。習俗や慣行から理念の党派にいたるまで、すべてこのたぐいの合意の系列なのだといってよい。》(『言葉からの触手』15節)
 言うまでもなくこの〈権力〉論はミシェル・フーコーのそれに似ている。つまり権力構造の本質は日常性におけるその分散化、極小化においてこそ発現するという考えかたである。吉本がこの考えをひとりフーコーのみから導いているとは考えられない。なぜなら、このフーコーの権力論こそ、ある意味では脱西欧的な思考であって、むしろ逆に、アジア的な支配の思想に近いものだからである。すでに丸山眞男によって、日本の天皇制が、上は国家の構制そのものから下は一般の市井の人びとの日常的関係意識の襞々にいたるまで、大なり小なりのさまざまな〈小天皇〉によってネットワーク化され支えられてきたことが指摘されている。フーコーの〈権力〉論は、西欧近代の特徴たるロゴス中心主義(ロゴサントリスム)と自民族中心主義(エトノサントリスム)という出自と文脈をもっているとはいえ、その表層的なあらわれは、アジア的な支配の思考とも吉本の〈現在〉志向の思考とも一見きわめてよく似ている。それが〈ポスト・モダン〉の思考とみなされるのは、西欧近代以後の歴史的文脈のなかにそれをおいてみると、たしかにその脱西欧、脱近代の志向性においてその積極的な意味が見出されるからである。しかし逆に言えば、ここにこそフーコーの思考と吉本の〈現在〉の思考との決定的な差異があらわれるのである。
 たとえば吉本はこう書く。
《わたしたちはしばしば表面層が善であり、深層が悪であると言ってみたり、表面層は悪だが深層は善だと言ってみたりしている。だがその種のものはただ権力、その表象でしかない。》
《これらの命題には現在の緊急な主題と、たぶん人類の叡知が最後に解決すべき主題とがふたつとも含まれていて、それが同時に混融してあらわれている。これを緊急の層によって判断するのも、最後の永続的な主題として深層で判断するのも、錯誤に到達するよりほかない。》(15節)
 ここで吉本の念頭におかれているのは、しばらく前の、文学者による「反核宣言」であったり、クジラやイルカの捕獲をおさえようとする運動であったり、地球の緑を守ろうとするエコロジーだったりするのだが、ここで問題なのは、それらの個々の運動や考えかたや認識の正しさの問題ではなく、むしろそういった判断を下すこと自体を錯誤としてしまう吉本の見方のほうなのである。たしかに、誰もが道徳的に否定しようのない「反核宣言」のような運動のイデオロギー性自体がもついかがわしさを批判する吉本の認識は決定的に正しかったと言ってよい。しかし、こうした問題のもつ正当性―いかがわしさのセリーは無限に連続可能であり、したがってその審級のレヴェルもいくらでも上昇可能であり、下降可能なのである。ということは、いかなる問題も、ポスト近代への過程にある今日にあっては、決定不可能性をもつことを避けることができないことになる。しかし吉本はそれらの問題への判断それ自体を〈錯誤〉として片づけてしまうのであって、そこに吉本の〈現在〉志向の思考が最終的に放棄してしまった問題領域が残されるのである。つまり〈倫理〉という領域がそれである。
 ところで、〈ポスト・モダン〉の思考がかかえるもっとも大きなアポリアは、それらが現実の諸問題にたいしてつねに判断中止に陥らざるをえなくなってしまうことに帰せられる。なぜなら、この思考は現実にたいして同時多発的にいくつもの審級をもち、そしてこれらの審級がたえず振動していることによって、近代の思考がもちえたような定点をもつことができないからである。もしもみずからを正当化しようとするならば、ジャン=フランソワ・リオタールの言うような〈力による正当化〉によってみずから制度化し制度化される以外にない。
 ミシェル・フーコーの〈権力〉論が独自の相貌をもってたちあらわれるのはおそらくまさにここなのである。なぜならフーコーの思想は、たとえば晩年の『性の歴史』三巻のエクリチュールの変質そのものが示しているように、書くこと自体のうちに〈倫理〉という課題をあたかもみずからの身体のように内実化しているからである。思考が身体をもつことのおそるべき逆説は、フーコーに見られるように、身体こそが思考をはじめるときに、この思考はそれまでのみずからの思考を喰い破ってしまうことがあるということだ。おそらく身体は、思考とは別の文脈を生きてきたのである。すくなくともその逆説こそが西欧近代という思想的土壌のもつ無意識の強迫なのかもしれない。そして〈倫理〉とはほかでもないこの強迫の別名なのだ。
 それにしてもフーコーと吉本とのあいだにある差異、言いかえれば西欧近代と日本近代のそれぞれの終結点で生じたこの決定的とも言える差異はどこから生じたのか。
『言葉からの触手』から吉本の二、三のことばを拾ってみよう。
《たぶん現在は、書かれなくてもいいのに書かれ、書かれなくてもいいことが書かれ、書けば疲労するだけで、無益なのに書かれている。これが言葉の概念に封じこめられた生命を、そこなわないで済むなどとは信じられない。現在のなかに枯草のように乾いた渇望がひろがって、病態をつくっている。》(2節)
《でもただひとつのことは明瞭だ。「思考の死」または「老い」ににた「茫然とした無為」がなければ、思考は転結をもちえないだろうということ。べつの言葉でいえば物語をつくりえないだろうということだ。そうなったら思考は冒険にむかったり、自滅にむかったり、没落にむかったりすることなしに、ただ緩やかな曲線で未知から未知のほうへ走るだけだろう。》(8節)
 この吉本のことばはかぎりなく〈現在〉的で、そのかぎりにおいて美しい。そしてこの美しさはほとんど戦争中の小林秀雄のことばの美しさと似ている。これはフーコーの思考がたどろうとする命運とは驚くほど似ていない。おそらくそれは吉本の〈現在〉志向をフーコーが共有しなかったことからくるのではないか。だからこそフーコーはギリシア時代へと遡及することから、ありうべき現在=ポスト近代の構想を展開してみせようとしたのであろう。〈現在〉とは、その意味で、思考の運動の行程に張られた罠であるのにちがいない。(1990. 5. 30, 31)

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思考のポイエーシス1990年4月

22
 豊崎光一は、亡くなる直前の文章のひとつでブランショについてつぎのように書いた。《彼について、謂わばいつでもネクロロジーを書くことのできる作家。ネクロロジー(死についての言葉、追悼文)という言葉がこれ以上ふさわしく、かつそぐわない作家もあるまい。それは、彼がつねにすでに死を書き、書くことが死であることを書くものによって示してきたから、ばかりではない。「最後の人」を語り「最後の作家」、最後の作家としての批評家として自らを措定してきた人が「来るべき書物」を語って倦まないというところにこそ、われわれにとって彼の真骨頂がある。》(「来るべきブランショのために」、『クロニック』所収)
 このことばを書きつつあった豊崎光一は、おそらくみずからの予見された死のむこうに、ブランショによって象徴される書くことの不死性の可能性を、あるいは死の不可能性を信じようとしていたのかもしれない。だからこそ、豊崎は、ブランショの来たるべき読者を想定しながら、ボルヘス由来のつぎのようなあざやかなことばを最後に書くことができたのだ。──「現存する作品を_^未来【アヴニール】^_の読者の眼で読むことは、まさしく厳密な意味で、その未だ到来せぬ時代の文学を_¨書く¨_ことに等しい」(同前、傍点―原文ママ)と。(1990. 4. 2)

23
「芸術は、現存在の顕現を、創設的な仕方で、作品のなかに設置しつつ、真理を生起へと持ち来たらすのである。」(M・ハイデガー「芸術作品の起源」プレ・オリジナル、小林康夫「起源の問いの運命」より引用、ただし邦訳原文は傍点つき)
 このハイデガーのテクストは、小林康夫の指摘するように、一九五〇年に発表された「芸術作品の起源」という論考の前身、一九三五年に書かれたプレ・オリジナルである。そこには哲学的問題における大きな変改が含まれているが、そのことの精密な分析は小林論文にあたってもらうことにして、ここではたとえばハイデガーの〈現存在〉Daseinの概念がもっともハイデガー的な思考──とりわけ芸術や詩にたいするハイデガー的な了解のありかた──において、〈真理の生起〉というこれまたハイデガー的な問題意識と結びつけられて、〈芸術〉という営為の根源的な定義として用いられているのをみることができる。この厳密な問題設定を再検討してみること。(1990. 4. 9)

24
 哲学の内部と外部。内部へむかっては自己言及の無限の可能性を、外部へむかってはその絶対的な不可能性と沈黙を本質とする、哲学という体系。柄谷行人はたとえばこう言う。
「哲学の内部では、いくらでも転倒、折衷も、合成も、ディコンストラクションもできる。事実そうなされてきた。形式的にみれば、何でも可能だ。そして、ヘーゲルはそれをすべて考察し、哲学の歴史を終らせたのです。だから西田が何と言おうと必ずヘーゲルの一部、ないしその変形になる。だけどそのことが何を意味するのかという外部に関しては、哲学は考察できないはずです。マルクスはそれを見たんだと思うんです。」(座談会「〈近代の超克〉をめぐって」での発言、『シンポジウム』所収)
 こうした〈内部〉の拡大によって巨大に充満した哲学体系と、その体系の境界に立ちつくし〈外部〉をのぞき見ようとした哲学──言うまでもなく前者はヘーゲルの哲学的世界史の理念であり、後者はヴィトゲンシュタインの言語の思想だ。そして前者を転倒させることによって〈外部〉たる社会や歴史との交通を可能にしたのがマルクスである。この観点は基本的にはそう間違っていないはずだ。(1990. 4. 10)

25
 パウル・ツェランの詩における日付の重要さ──ジャック・デリダが『シボレート──パウル・ツェランのために』のなかで解明している問題領域のひとつがこれである。デリダが言おうとするところを見てみよう。
「この日付に詩や詩篇に起きていること、それはまさしく日付、日付の或る種の経験である。それはたしかにきわめて古い経験、日付なき経験ではある、だがその日付においては絶対的に新しい経験でもあるのだ。」
「詩が日付というものに_¨債務を負っている¨_とすれば、ちょうど自己のおよそ最も固有な事柄(Sache)、原因あるいは署名に対してのように日付にみずからを負っているとすれば、つまり自己の秘密にみずからを負っているとすれば、詩が語るのはただ、そのような日付に──一個の贈与donでもあったこの日付に──いわば借りを返すことによってのみなのである。」(傍点―邦訳原文通り)
「日付という換喩(日付はまたつねに換喩でもある)は、何かひとつの出来事、ないしさまざまな出来事の連なりの一部分を示すことによってその全体を喚起するのである。」
 ここには最近のデリダの関心のありかたがもっとも集約的なかたちで示されている。日付―署名―贈与―出来事、これらのモチーフはデリダの論理のなかでは一貫して相互に深く結びつきあっていることを想起しよう。ここでは、そのつど一回的な絶対的な出来事として生起する詩のエクリチュールにおいて、日付を記すこととはそれ自体がひとつの出来事への指向であり、しかもなおかつ、その企てが詩において十全な意味をもつレフェランスとはついにけっしてなりえないという本質をもつがゆえに(あるいはそれにもかかわらず)、こうした詩の指向自体がつねにひとつの出来事たらんとしているのだ、ということを確認しておこう。日付がなにものかの換喩であるとは、そこにおいて詩のエクリチュールが出来事として生起しうる場所が与えられたことを意味するにすぎない。詩において日付を記すことは、その日付の特定の意味が消滅してしまうほどにある全体性のなかに包みこまれてしまうところまでいったときに、逆説的に意味をもつ。詩における日付とは、もっとも個的な水準への還元であり、その還元をとおして、まったく新しい全体的な経験(出来事)を構成する強力なモチーフなのだ。すくなくともそれがツェランの方法だったということをデリダは明らかにしているのである。(1990. 4. 11, 16)

26
 デリダのツェラン論が詩の問題として要請している最大のテーマは、その書名にもとられている〈シボレート〉Schibbolethというヘブライ語らしき語のもつ深い意味あいであろう。このことばは通常の辞書的意味では「合いことば」というふうに理解されるものであるが、それはデリダによれば、戦争中あるいは戦後に、警戒下の国境線の通行時に用いられた暗号だったのであり、「その際この語が重要だったのは、その意味ゆえにであるよりも、それが発音される仕方によってであった」。というのは、エフター軍に敗れたエフライム人たちが河を渡って逃亡するのを阻止するために、〈シボレート〉と発音することが要求されたからである。
「エフライム人たちは_¨シボレート¨_Schibbolethのschi[∫i]を正確に発音できないことで知られていたのであり、それゆえに彼らにとってそれは、_¨発音し得ぬ¨_=_¨口にしてはならない¨_名と化していたのである。彼らはSibboleth[sibolεt]と言い、schi[∫i]とsi[si]のあいだのこの目に見えぬ境界線上で、歩哨に己れの正体を明かし、みずからの生命を危険にさらしてしまうのだった。彼らは、schiとsiのあいだの弁別的_^差異【ディフェランス】^_に_¨無関心【アンディフェラン】^_になることによって己れの差異を明かす。つまり彼らは、このようにコード化された_^刻印【マルク】^_を_^再【ル】^_=_^刻印【マルク】^_し得ぬことで識別されるのであった。」(『シボレート』III章、傍点―邦訳原文通り)
 要するに、この境界のことばは、それを発音もできないし、その気もないエフライム人たちにとっては不在であることによって意味をもつことばなのであって、逆説的な意味で特権化されたことばなのである。なぜなら、このことばはエフライム人たちにとって禁じられていたからであって、この発音できない=しないという行為、否定としての行為あるいは行為の否定がほかならぬかれらの表現だったからなのだ。ここではもちろん、エフライム人とは、ツェランがそうであるところのユダヤ人を、その民族の心性をみごとに象徴している。そして、デリダのように考えるとすれば〈シボレート〉とは、詩における日付の主題と同じく、ひとつの絶対的な出来事、他におきかえることの不可能な固有名なのであって、それ自体すでになにものか大きなものの換喩なのである。詩のテクストのなかにこのことばを導入したツェランは、おそらく、詩そのものをこのことばの固有性、その巨大な否定性のなかに倒立させてみせようとしたのではなかろうか。(1990. 4. 12)

27
「_¨哲学的経験¨_とは、さまざまな境界に問いかけつつそれらを横断すること、哲学の領野の境界線に関して危険を冒すこと──そしてとりわけ、つねに哲学的であるのと同じくらい詩的、あるいは文学的な、_¨言語というものの経験¨_なのである。」(ジャック・デリダ『シボレート』V章、傍点―邦訳原文通り)
 デリダの哲学的テクストの文学性、あるいは_¨文学としてのデリダ哲学¨_──ここに現前しているのはまさしくデリダの、ツェラン論というかたちをかりて定式化されたみずからの哲学=文学論であり、これこそわたしがデリダのテクストにひかれる理由なのだ。豊崎光一が正しく指摘したように(「フーコーの死」)、デリダもまたフーコーやレヴィ=ストロースらとともに今世紀最大の「作家」のひとりとして「文学史」に名を残すことになるのであろう。読むことの深さ、それを哲学的経験として書くこと、しかも言語の経験としてそれを認めること。文学とは究極のところそういうものであり、そういうものでしかないのではなかろうか。(1990. 4. 15)

28
 ユルゲン・ハーバーマスはヘーゲル哲学と〈近代〉との関係をつぎのように定式化している。
《ヘーゲルによって近代に関するディスクルスの先鞭がつけられた。彼こそは近代論の主題を決めた人である。その主題とはすなわち近代の批判的自己確認である。また彼こそはこの主題を変奏するにあたっての規則を設定した人である。その規則とはすなわち「啓蒙の弁証法」である。》( 『近代の哲学的ディスクルス』III章)
 ヘーゲルの近代論はひとつの巨大な円環である。なぜならすべての主題は、肯定的なものであれ否定的なものであれ、ひとつのパースペクティヴのなかに布置されており、しかもこの円環はヘーゲル的な〈近代〉を問題とするかぎり出口なしだからである。このことはヘーゲルのつぎの世代にすでに認識されていた。ハーバーマスによれば、アーノルト・ルーゲは一八四一年にすでにこう書いていた。
「ヘーゲルの哲学はすでにその歴史的継承の第一段階にあって、これまでの_¨一切の¨_哲学的体系のたどった経過とは本質的に異なる性格を示している。この哲学こそははじめて、一切の哲学はその時代の思想以外のなにものでもないということを明言したのであるが、同時にこのヘーゲルの哲学こそは、みずからが時代の思想であることを認めたはじめての哲学でもある。これまでの哲学は、それが時代の思想であるといっても、それは無意識かつ抽象的にそうであるにすぎなかったのに対して、ヘーゲルのそれは意識的かつ具体的にそうなのである。(中略)みずからを思想であるとして叙述し尽くすこのヘーゲル哲学こそは、思想にとどまることができないのであり、……行為に変じざるをえない。この意味でヘーゲル哲学は<傍線>革命の哲学</傍線>であり、およそこれまでのすべての哲学の<傍線>最後の哲学</傍線>となるものである。」(ハーバーマス前掲書より引用。傍点―邦訳原文通り、傍線―引用者)
 言ってみれば、自己意識_¨の¨_哲学、批判的自己確認の哲学は〈近代〉という時代の符牒であり、そこに立脚しつつこの意識化をどこまでも尖鋭にしようとする哲学は、すべてヘーゲルの思考のパースペクティヴにとらえられうるのだ。まさにこのアリジゴクのような世界がヘーゲル哲学の本領であり、〈近代〉という問題領域の底知れぬ闇の深さ、いや、無限に明晰な光──啓蒙!──の世界なのだと言っていい。(マルクスの哲学は唯一、このヘーゲルの〈革命の哲学〉の革命性を、観念の弁証法のほうへではなく、社会現実を媒介にした弁証法としてアウフヘーベンしようとしたものであったが、やはりそこにも〈近代〉の哲学としての制約が課せられていたのであって、その思考の透徹した論理にもかかわらず、今日の社会状況とのあいだに深刻な亀裂を走らせざるをえないものを内包してしまっていたのである。)
 ここから〈ポスト・モダン〉の世界への脱出とは、ほとんど自暴自棄の行為であり、絶望的に不可能な飛躍なのかもしれない。ハーバーマスが言う〈未完のプロジェクト〉としての〈近代〉がそれなりに安定した位相における思想の営みであるのにくらべて、〈ポスト・モダン〉の思考がほとんどでたらめな、方向のはっきりしない思考、しょせんは〈近代〉の思想に回収可能な捨て鉢な思考の運動に見えてしまうのもやむをえないだろう。しかし逆に、ハーバーマス的モデルネがはたしてヘーゲル哲学の緻密な思考のネットワークをかいくぐり、この巨大なアリジゴクを克服できるのかどうかもはっきりしない以上、この哲学的思考の正当性もまた確実なものとは言えないのではないか。しかもこの正当性の論拠自体を問うのが〈ポスト・モダン〉の思考だとしたら、この二つの潮流の対立は、ほんとうに接点があるのかどうかさえあやしくなってくるとも言えるのである。(1990. 4. 17)

29
 哲学と文学(あるいは詩[的機能]との差異。ユルゲン・ハーバーマスは、哲学と文学のジャンル差の解消、さらには哲学の文学への同化、文学の哲学への同化に反対してつぎのように書く。
「こうした同化は、言語のもつレトリックの要素がそれぞれ_¨まったく異なった¨_役割を果たすさまざまな状況を混同させてしまう。レトリック的なものが_¨純粋な形¨_で現われるのは、<傍線>詩的表現の自己還帰性</傍線>においてのみである。すなわち、世界開示をもっぱらひきうけるように特殊化した、<傍線>虚構の言語</傍線>においてのみである。」(『近代の哲学的ディスクルス』VII章、傍点―邦訳原文通り、傍線―引用者)
 ここではさしあたり二つのことに注意しておこう。ひとつは、ハーバーマスにおいては、この引用部分のすこしまえで述べられているように、言語の機能は、芸術や文学の営みにおける世界開示の能力と、科学・道徳・法の領域に対応して形成される文化的な行為システムがもつ問題解決の能力との二つに分別され、哲学はこの二つの機能を統合するものであるという見地から、一見これと同じように二つの機能をもつように見える文学批評の営為を哲学から峻別するのである。なぜなら、哲学は、一方では、普遍主義的な問いを立て強力な理論戦略をとることによって個別的な諸科学の基礎づけをおこなうと同時に、他方では、生活世界という全体的なるものへ、ある種の反省的態度を保つことによって関心をもつのであって、文学批評のように、哲学と同じくレトリック的機能をもつ点では共通していても、レトリックの範囲をこえることのないものと哲学は同化することはできない、と主張されるからである。ここでハーバーマスがこうした哲学の文学批評への同化ないし傾斜をもたらした張本人をジャック・デリダに見立てていることは明らかである(そもそもこの本の長大な第七章はデリダ批判として構成されている)。ハーバーマスは結論的にこう書いている。
「哲学の思考がもしデリダの勧めるように、問題解決を行なうという義務から解かれ文学批評として機能するようになってしまえば、思考の真摯さが失われるばかりでなく、その生産的側面と能力をも喪失してしまうことになる。また逆に、文学部のなかでデリダの衣鉢を継ぐものたちが考えているように、文学批評の役割を美的体験の内容の摂取ではなく、形而上学批判へと移してしまうならば、文学批評がもっている判断力のポテンシャルは失われてしまう。つまり文学批評を哲学に、そしてまた哲学を文学批評に同化させてしまうのは誤りであり、そうした同化は哲学からも文学批評からもその実質を奪ってしまうことになる。」(同前)
 ハーバーマスがみずから言うように、「哲学はなお合理性の護り手、つまりわれわれの生活形態の内にある理性の要求の護り手であると考えている」(同前)ことは明らかであり、こうした哲学的自明性(への信仰)を根底的に批判しようとするデリダの思想的立場からすれば、このハーバーマスの批判はとうてい容認しえないばかりか、許しがたい反動というふうに見えてもしかたあるまい。つまり、哲学は厳然と自立しており、文学批評はけっして哲学的言説の高みに到達することのできない不完全な言説にすぎないと言わんばかりなのである。しかしデリダの文学テクストの批評ないし研究のいくつかが明らかにしているように、文学批評の形式をとってこそ、つまり具体的な文学テクストを媒介にしてこそ、ハーバーマス的な意味での哲学的思考の高みにまで精神や知の運動が運ばれることもあるのだという事実を認めないわけにいかない。そしてこの場合、哲学の伝統的なディスクールではけっして起こりえない精神の始源的な開示、美の瞬間的な現われが生起するのである。ハーバーマスのように、言語の機能を世界開示の能力と問題解決の能力というふうに二分して事足りる理性的思考には、ことばによって世界を開示することが哲学的思考の深みにおいて哲学することであり、そのまま文学批評でもあり、科学することでもあるような、まったく新しい哲学的思考(いぜんとしてあえてもしそう名づけるならば、だが)であることがわからないのである。
 はじめの引用でもうひとつ注意しておくべきなのは、〈詩的表現の自己還帰性〉の問題である。ハーバーマスは、言語の世界開示能力の側面のひとつの極限として詩的表現を考えているのであり、それが現実の生活世界への還元性をいっさいもたない自己還帰性として、つまり虚構の言語として規定するのである。しかしここでもハーバーマスの理解はいささか単純すぎる。詩的言語の虚構性は、それが現実世界との直通をいったん回避する方法であり、そうした虚構をつうじてうちたてられるテクスト(作品)の自立性を前提とするかぎりにおいてのみ言いうるのである。作品という、言語の世界開示性をもとめる純粋な運動が終焉する段階において、ふたたび現実世界への還元をこの言語は要求しうるからである。たとえその言語の様態がハーバーマス流の〈妥当性要求〉にふさわしくなかろうと、それは言語のひとつの存在の絶対性として、けっして抹消することのできない言語的経験の記憶となるのである。言うなれば、〈詩的表現の自己還帰性〉とは、〈虚構の言語〉であることによって現実に還帰し、その現実還帰性を保持することによって、ふたたび自己へと還帰しうる二重性であり永遠性であるような、還帰性をもつ言語のありかたなのであるという理解によってのみ、この規定を受けいれることが可能になるのである。(1990. 4. 30)

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思考のポイエーシス1990年3月

18
 月村敏行が吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』にたいしてソシュールを媒介にした批判をおこなっている。周知のように、吉本のこの言語理論は時枝誠記の言語理論とそのソシュール批判にもとづいており、文学言語理論としては〈自己表出-指示表出〉という独自の表出論として大きな達成はとげたものの、それがいかにも一文学者の実感にのっとった理論にすぎず、言語の理論としてはいささか不透明かつ強引な論理の引きまわしを感得させるものであったことも事実である。「ソシュールを読まなかったのは、時枝誠記や吉本隆明が評価しなかったからである」と正直に白状している月村に代表されるように、多くの吉本主義者がソシュールにたいするまったくの誤解ないし無理解に終始してきたことはいまもって重大な欠落と言わねばなるまい。月村が言うように、吉本がその文学言語理論のなかにソシュールの〈ラング〉の概念を排除せずに取りこんでいたら、もっと豊かな理論構築が可能になっていたかもしれない。ともあれ、つぎに月村の吉本理論批判のカナメであり、またその脱構築にあたると思える部分を引いておく。
「言葉は全てが自己表出と指示表出にあるのではない。_^表出言語【パロル】^_が意図における構造表出としてあるとき、幾分かは自己表出、幾分かは指示表出の錯合した構造を呈するまでである。(原文改行)それならば、言葉としての文学は、_^表出言語【パロル】^_であるのは自明だとしても、どう考えられるのだろうか。ソシュールには、後で触れるように〈_^文学言語【ラング・リテレール】^_〉という概念がある。私の考えでは、この_^表出言語【パロル】^_が《表現》である。まず詩人や小説家達が、自分の作品のなかにあるとき、_^現存言語【ラング】^_と〈文学言語〉の二重の現存を《表現》として生きているが、この現存の二重性はさまざまであり得る。〈文学言語〉を厚い被膜とする_^現存言語【ラング】^_との二重性もあれば、比較的往来の自由な薄い被膜という二重性もある。原理的には、_^現存言語【ラング】^_を拒否し得る厚い被膜における〈文学言語〉から、〈文学言語〉がまるで介在しない《表現》までを両極として、その間にさまざまな二重性を想定できよう。吉本の提出した『文学体』『話体』という概念が蘇えるのは、このときで、〈文学言語〉の被膜が厚ければ、『文学体』の創出に向かうほかないし、被膜が薄ければ否応なしに『話体』を実現する。これらは《表現》、即ち作品の実現における問題である。いくら詩人や小説家達でも常に〈文学言語〉を生きているわけではないので、彼の_^現存言語【ラング】^_に対する、日常の自己意識こそがその作品=《表現》の質を決定する根本である。」(「ソシュールから考える──『言語にとって美とはなにか』の現在(2)」、「而シテ」20号)
 長い引用になったが、月村のソシュール言語学や用語へのかなり恣意的な理解──たとえば〈ラング〉と〈パロール〉をそれぞれ〈現存言語〉〈表出言語〉とするのは粗雑すぎる──を別にすれば、ここではラングと文学言語の〈二重の現存性〉という魅力的な考えを確認すればいいので、要するに、個々の文学営為たるエクリチュールはパロールの一現象であって、このエクリチュールはラングに規定されるとともに、パロールでありながらその累積それ自体によってラングにかぎりなく接近しようとする〈文学言語〉によっても規定されているのである。エクリチュールはラングと〈文学言語〉といういずれも非在の制度のなかで、そしてまたそれらへの抵抗とのりこえによって実現されるのである。
 月村の批判はこれで尽くされているわけではない。むしろいちばん根底的な批判点は、吉本の表出論が表出のレベルでのみ、つまり自己表出性と指示表出性の度合というレベルでのみ、すべての言語表現が意味づけられているのにたいし、ソシュールの理論によれば、そうしたパロールの現象はもともとラングとの関係のなかにおいてしか成立しないという点にある。表出論のなかで〈自己表出-指示表出〉のベクトル性をいかに実感的に展開してみせても、それらが意味をもつのは、あくまでも〈シニフィアン-シニフィエ〉の関係の恣意性の原理、あるいは音声や概念の非実体的な差異性の原理にもとづいているからである。このソシュール的な大原則を踏まえていないところでの言語理解は、文学理論としては示唆的であっても、言語理論としては狭小なものにとどまらざるをえなかったのだということが指摘されているのだ。(1990. 3. 5, 19)

19
 ジャック・デリダは一九八三年の来日講演のなかで、みずからの〈テクスト〉概念をつぎのように説明している。
《私が規定しようと試みた広い意味での、一般的な意味でのテクストは、言語外の実在をも、つまり狭い意味での言語の空間ではない空間をも含んでいます。したがって厳密に言えば、テクストなしに贈与はないし、また贈与なしにテクスト、痕跡はない、ということになります。》
《私が「テクスト的」と言うとき、その場合もまた私は「テクスト」という語の意味を拡張しているのです。もちろん私は「テクスト」を、もろもろのパロールを書き写す諸テクストとのみ解しているのではありません。そうではなくて、私にとってはすべてがテクストなのです。(中略)痕跡があり、他なるものへの差し向けがあるや否や、テクストがあるのです。》(「時間を──与える」、『他者の言語』所収)
 これはセミネールのあとの質疑応答のなかで述べられたものであり、これまでのデリダの基本的な考えを要約しているものと思われるが、ここでの議論がマルセル・モースの贈与論をめぐって、〈贈与〉という行為の不可能性、そのダブル・バインド的性質を論証するものだったあとだけに、きわめて興味深いものがあった。デリダによれば、「真の贈与は、与えているということを知りさえせずに与えることのうちに、その本領をもっている」ことになるわけで、それこそまさにテクストの本質的規定でもあるはずだからである。すぐれたテクストはみずから意図することも知ることもなしに、それ自体で贈与の行為なのだ。「テクストなしに贈与はない」し、「贈与なしにテクスト、痕跡はない」というのはそういう意味である。(1990. 3. 19)

20
「哲学者は存在しない。カントの言っていることをまとめれば、こういうことになる。哲学の理念は存在する。哲学することは存在する。哲学することを学びうる人々、それを他人から学びうる人々、それを他人に教えうる人々は存在する。教師が存在し、弟子が存在し、場所、制度、権利そしてこれらすべてに対する権力が存在する。しかし、哲学者は存在しないのである。」(ジャック・デリダ「哲学を教えること──教師、芸術家、国家」、『他者の言語』所収)
 これはデリダが得意とする論法、可能であると同時に不可能であるというアンチノミーに追いこんだところに出現する言説であろうか。デリダによれば、カントは「純粋理性の教師」として哲学者を定義しているが、この教師は同時に二つの場所にいなければならない。すなわち、大学(の哲学部)という制度のなかで哲学を教える者として、そして諸学問にたいして、人間知のすべての領域にたいしてそれらを「喚問し、それらの真理を検討に付す」権利をもつがゆえに「遍在という非場所」つまりどこにも固有の場所をもたない者として、哲学者は存在しなければならない。これは、存在するためには相互に打ち消しあう以外にない二つの存在する場所を占めなければならないという当為によって、論理的に不可能な存在となる。このデリダの論法はじつにあざやかに哲学および哲学者の存在(不在)についてのみずからの方法と立場を示している。「教師は哲学すること(philosopher)の教師であって、哲学(philosophie)の教師ではない。」(同前)ここで哲学を文学に置きかえてもまったく同じことが言いうるのだが、ここではこれ以上言及することもあるまい。(1990. 3. 24)

21
 デリダのテクストの思想ほど根源的な問いを含んだ思想があるのだろうか。ある質問にたいして、デリダは、初期の仕事は「エクリチュールの欲望」から出発したものだと答えているが(「私の立場」、『他者の言語』所収)、かれにとってエクリチュールの運動とは、なによりもそこに自分の文学的・哲学的な言語と思考の経験を定着させる唯一の可能性があると思われたからにほかならない。あるいは逆に、この運動こそが言語と思考の経験そのものであり、したがってエクリチュールの起源こそが経験に先立つと言ってもよい。みずからのうちにエクリチュールの起源ないしは欲望以外になにものも認めないこと。デリダのこうした思考方法は、必然的にイデオロギー的な思考やアカデミックな実証主義をしりぞけ、みずからのエクリチュールの欲望のなかに、そうした欲望のかたちをとった経験や知の痕跡をさがそうとする。たとえそれらが、すでに消え去ったものであり(だから痕跡なのだ)、いまや現前しえないという本質によって規定されているのだとしても。ついでに注意しておかねばならないのは、この痕跡はかならずしも過去の痕跡というだけではなく、未来の痕跡でもありうる、ということで、このことをデリダはたとえばインタビュー「他者の言語」(『他者の言語』所収)ではっきりと述べている。それは体験を介在させたものであるだけでなく、経験の可能性をも内包する思想なのだ。そして、そうであればこそ、この痕跡はどこまでも深くたどられなければならない。その先にあるのは、みずからの存在を根源的に規定する現実存在の世界性以外のなにものでもないはずであるが、だからこそ、この世界性を明らかにすること、それを通じてこの世界への働きかけの視点を確保することが最終的にもとめられるのだ。
 デリダは「痕跡の思想を練り上げようと試み」たと言ったあとで、この痕跡の思想がいつも「西洋哲学の総体によっていわば抑圧され」、「余白化され、抑制され、隠蔽されてきた」こと、それが「厳密な意味での哲学的思想にはなりえなかった」ことを述べている(「私の立場」)。そしてこの〈痕跡の思想〉こそ、デリダのエクリチュールの運動が狙いをさだめ、そのあとを追いもとめようとした対象だったのであり、その運動の痕跡そのものがテクストであった。だからデリダがすべてはテクストだと言うのは、こうした非現前を本質とするなにものかの対象化への指向が存在するかぎりにおいてなのである。非現前の現前化としてのテクスト、これこそデリダのテクストの思想が根源的である理由である。
 そう考えると、デリダがベンヤミンの「翻訳者の使命」というテクストに関連して力説する〈翻訳〉という概念は、たんにある言語から他の言語への移しかえにとどまらない、非常に深い意味あいで言われていることがわかる。それは非現前の現前化としてのひとつのテクストを、もうひとつの他者の言語における非現前のなかにいちど解放し、共調させることをつうじてかたちづくられるテクストだからだ。
 デリダは〈翻訳〉概念における最終的な審級として詩(文学)の問題をもちだす。
「翻訳の問題は、テクストの裡に詩的効果がある場合にしか成立しないのです。《詩的効果》あるいは《聖性の効果》と呼ばれているものは、まさしく意味されるもの、人が言わんとするところのものがあまりにも言語、意味するものに密着しているので一方から他方へと渡っていくことができないというようにする効果なのです。そして、そのときに翻訳が問題となるのです。つまり、翻訳への要請と同時に翻訳の困難が現われる。」(同前)
 ひとつのテクストから他のテクストへの移行、つまり翻訳とは、本質的な意味で、非現前の痕跡を追求する行為であり、それ自体が痕跡の経験であり、痕跡そのものなのだ。デリダのテクストを読むとは、そうした根源的な経験に知らぬまに連れ去られることだ。そこでは非現前の痕跡は非現前のままに、もっとも鋭いかたちで現前している。
「一つのエクリチュールが存在するや否や(中略)その_^読解【レクチュール】^_もまた一つの新しいエクリチュールでなければならない」ともデリダは語っている(「他者の言語」)。してみると、エクリチュールもその読解も非現前の痕跡の〈翻訳〉をつうじて実現される出来事であり、同時にその痕跡なのだ。(1990. 3. 26, 27)

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思考のポイエーシス1990年2月

14
「_^言語【ラング】^_と_^ことば【ランガージュ】^_は、同じものでしかない。一方は、他方の一般化なのです。ことばを研究しようとしても、その多様な現われ、つまり諸言語なるものの研究の労をはぶくなら、それは、まったくむなしい、空想的な企てとなってしまいます。逆に、諸言語を研究しようとしても、その諸言語が、ことばの観念に要約される原理に本源的に支配されていることを忘れるなら、なおさらそれは、まじめな意味をぽっかりと欠いた、真の学問基盤を持たない仕事となってしまいます。」(フェルディナン・ド・ソシュール「ジュネーヴ大学就任講演I」、前田英樹・編訳著『沈黙するソシュール』所収)
 ラングはランガージュの、ランガージュはラングのそれぞれ一般化であるという論理は、これまで通常に理解されてきたランガージュ/ラングの対立と二元性というスタティックな関係を、その相互作用という連関でとらえることによって、しかもそれを全体/部分という連関でとらえるというよりも無限円環的な二重性の連関としてとらえようとすることによって、決定的につきくずしている。前田英樹によれば、このテクストは一八九一年十一月におこなわれた講演の下書きであるが、ここにはすでに、ソシュールの死後にセシュエとバイイによって『一般言語学講義』として刊行される書物をすでに批判的に先取りした論点が提出されているのである。このダイナミックな相互連関性への視点こそソシュール言語学のかくれたモチーフなのかもしれない。このことに留意しよう。(1990. 2. 5)

15
《ソシュールの「共時態」は、時間=環境の限定ではなく、言語事象そのものによる抹消なのである。そうでなければ、共時的であることはたんに同時代的であることの同義語になってしまう。》(前田英樹のノート、前田前掲書所収)
 このテクストは前田英樹のソシュール「ジュネーヴ大学就任講演III」についてのノートにたいする脚注として書かれている。これに対応する部分でも触れられているように、ソシュールにとって〈通時/共時〉の概念装置は、時間軸にそって水平軸/垂直軸の方向へ延長した次元ととらえるよりも、言語の〈自己産出的な質〉が時間的な次元であらわれるか、空間的な次元であらわれるかの差異として考えるほうが、より本質的な理解が得られるかもしれない。すくなくとも晩年のソシュールのように、言語の機能性の側面ではなく、表現性の側面(神秘性、文学性)に関心を転換させた者にとっては、言語はますます深まる謎に見えていたはずであるから。(1990. 2. 7)

16
 ソシュールは「言語学」と「ほかの領域」を区分し、そこに決定的な差異をもちこんでいる、と前田英樹は言う(前田、前掲書)。それは「言葉が生みだす諸事象の列のなかに〈_^言語【ラング】^_それじたい〉を組み入れることの禁止を要請」するものである。なぜなら言語それ自体は言語以外のものを生みだし、それを支えているのであるから、もしそこに言語それ自体の組み入れを認めてしまえば、言語それ自体は自立した対象として把握されなくなってしまうからである。言語が発生し存在するということを、他のなにものに依拠することなしに了解すること、そのために事象と言語を分離すること──そこにソシュールのねらいがあった。
 そのためにソシュールは記号学という装置を戦略的に導入する。前田によれば、「ソシュールの記号学とは、〈_^言語【ラング】^_それじたい〉の階層的な組み入れを、拡散的な侵蝕に逆転させる巧妙な装置」だということになる。
《ソシュール的な「記号学」では、_^言語【ラング】^_を記号学的事象の列に組み入れる基盤は、まさしく〈_^言語【ラング】^_それじたい〉でしかないのであり、ここではあらゆる事象が_^言語【ラング】^_によって侵蝕され、無基盤化される方向に置き直されている。(中略)記号学的なあらゆる還元は言語によって行われ、その還元の中心にある「定式」は、〈_^言語【ラング】^_それじたい〉である。記号学の還元、つまり記号学的事象を作りだす操作は、その中心に〈_^言語【ラング】^_それじたい〉を組み入れることによって、みずからがたつ基盤を無意識化する、あるいはもうすこし厳密に言うと、その基盤を「ある」ことへの問いそのものに転換させる。_^言語【ラング】^_は、記号学が取りだす諸定式の理想的モデルなどではまったくない。それは、諸事象の記号学的配列を生みだす中心であると同時に、たえずその配列を揺るがし、不可能にする源泉なのだ。》(同前)
 ここで前田英樹は、ソシュールの記号学にひそんでいる究極の問いたる言語の発生と存在の了解──言語の存在可能性としての問い──という問題の所在を指摘しつつ、それが構造主義的立場と決定的にわかれていく地点をみごとに明らかにしている。つまりソシュール記号学とは、言語それ自体を核心としてもち、しかもその言語が対象にたいするみずからの自立性を前提としたものである以上、その言語によって生みだされる言語的事象は、言語それ自体が究極的に問われるみずからの存在とはなにかという問いを、本質的に共有せざるをえなくなるという、おそるべき逆説的な「侵蝕組織」なのだ。ソシュールの記号学的還元はこのような存在への問いを秘めた逆転の方法論なのであって、構造主義のように、この本質的な問いを欠落させ、言語の存在を自明のものとするところから他の領域のものを超越的に規定しうるとする立場とはまったく異なるのである。そう理解すれば、ロラン・バルトが主張した、言語学が記号学の一部なのではなく記号学こそが言語学の一部だとした立場は、まさに存在への問いを欠いた構造主義的思考が陥りがちな短絡を戯画的なまでに示していたのだということがよくわかるのである。(1990. 2. 11)

17
《関係論が〈実質〉という基盤の底に沈めてきた質の問題は、その基盤の無化とともに言語セームの自己産出のなかに蘇ってくる。「語る主体の意識」、「言語の感情」、「表意性の度合」、そういった言葉、この限りなく注釈を要求する不適切な言葉を彼〔ソシュール〕の言語学草稿から駆逐することは不可能だ。彼がその果てまで降りていった言語事象の自己産出は、その産出に外在する説明原理(「機能」「伝達」「表現」はみなそうだ)をすべて抹消しており、この絶対的抹消のなかでこそ、彼は言語的な質の純粋な伸縮に出会っている。緊張弛緩の度合を含んだ決定されえない発生の_¨質¨_に出会っている。》(前田英樹のノート、前田前掲書、傍点―原文通り)
 ソシュールの、のちの構造主義的理論展開にたいする、まえもってなされたとみなされうる立場は、ここに明らかにされている。関係とは〈実質〉substanceのうえにひろげられた網の関係であって、この網によって切り取られる関係(たとえばシニフィアンとシニフィエ、ことばと意味の関係)以外に実体的なものはなにもないとするのが構造主義(構造言語学)だとすれば、ここでソシュールはそういった関係論的関係ではなく、ことばがどんな関係も成立しない以前にそこに発生することの原初的な意味、すなわちことばの質または価値の問題にぶつかったのである。この過程を前田は〈ソシュール的下降〉と呼び、構造主義的記号論の切り取りの恣意性の原理による上昇過程と区別している。この下降過程においてソシュールの言語への考察は、ソシュール自身の意図はどうあれ、完璧に文学的行為と重なってしまうように思えるのである。文学と言語の関係の底知れない闇の深さは、結局のところ、ことばの原初的実在の質の問題を抜きにしてはありえないのであるから。
 ソシュールもつぎのように言っているではないか。「私がいやというほど知っているのは、言語の領域に足を踏みいれたら、もう誰も天地の類推のいっさいから見捨てられるということだ。」(F・ド・ソシュール「ホイットニー追悼」、前田前掲書所収)(1990. 2. 18)

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思考のポイエーシス1990年1月

8
 詩の一行がいかにして成立するかというのは、現代詩がいぜんとしてかかえるアポリアのひとつである。近代詩の黎明期において定型からの離脱として開始された口語自由詩の試み以来、じつに多くの方法やら観点やらが導入されてきた。つぎの天沢退二郎の発言もそのひとつで興味深い。「行を分けるということは、そこに切れ目を作るわけでしょう。そこから下に何もない、つまり白紙をつくるわけで、何もないものに支えられると詩になる、ということなんだね。」(「現代詩手帖」一九八九年九月号、入沢康夫・平出隆との討議「詩の‘核心’を貫くために」)
 この考えは、行と行のあいだに余白(=行間)を見ようとする従来の理解のしかたをさらに一歩すすめたものだと思える。つまり、詩の一行は文字の下にたんなる空白をもつのではなく、その文字列と拮抗しうる有意味な空白としての〈白紙〉をもつのであって、そのことによって詩の一行の必然が強化されもし価値づけられもするという視点である。この〈何もない〉ということが詩を支える隠れた力となっていることの有意味性は充分に考察に値するだろう。(1990. 1. 1)

9
「公開的に書かれるすべての言葉は、その生成過程をひとりの人間に担われているのだが、最後には文字の物質性に支えられてそれ自体の構造をもち、任意の他者の誰からもアクセス可能な文字(作品)機械になる。」(瀬尾育生「砂のなかの崩壊機械」、「現代詩手帖」一九八九年十二月号)
 エクリチュールの絶対性、肯定性(「05」参照)と切りはなされ自立した構造としての作品機械(なんとドゥルーズ的なことばよ!)。その作品機械は、瀬尾なら〈言語の死後の生〉と呼ぶだろうものであって、一般にエクリチュールの対概念と理解されているレクチュールに通過されることによって賦活されるべき装置なのだ。レクチュールの視線に触れるたびに起きあがるターミネーター的存在。古典とは結局そういう世界ではないか。(1990. 1. 11)

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 文学作品の〈構造〉とは、それ自体の自立した構造をもつものではあるが、そうした構造が誰の目にも明らかなものとして見えているわけではない。作品を読むことはあっても、その構造まで読みとることはなかなかむずかしいことであるからだ。批評が成立するのはしたがってそうした自明ならざる構造を明確なかたちで言語化することができたときにおいてであって、しかしそのことさえもほんとうは完璧に成就されることが本質的に不可能なのだという了解をともなうことにおいてのみ現実化されるのである。つまり批評はひとつの解答であると同時に、その解答であることがそのまま問いであるようなひとつの形式だと言えばいいだろうか。決定的なことが言われながら、なにひとつ決定されることができないという矛盾こそが批評の原理であり生命線なのだ。このパラドックス自体は批評それ自身がひとつの作品であり、つまりは無意識を内部にかかえこまざるをえないエクリチュールの実践にほかならないという理由によってしか説明されることができない。意識そのものであろうとする無意識! ある文学作品の一義的な解釈がありえないのとおなじく、その作品への決定的と思われる批評がやがては他の批評によって凌駕されたり包摂されてしまうのは、作品の中核に存在する構造がけっして静的なものではなく、たえざる増殖作用をはらんだ生成を本質とするからだ。批評とはこの増殖作用に手をかすもうひとつの構造なのである。(1990. 1. 13)

11
「あるひとつの文学作品は、眼にみえない<G>形態</G>をもっている。だから作品は意識的にしろ無意識的にしろ作者の<G>形態</G>認知のあらわれにあたっている。かれはすでにじぶんの外部にあるとみなしている言葉の地勢にたいして、かれの内的な言語のうちでいちばん精緻な、繊細なふるえ(摂動)によってつくられたスクリーンを媒介にして、ある反復をやっている。」(吉本隆明『ハイ・イメージ論I』の「形態論」より/ゴチックは原文通り)
 ここで〈形態〉とは〈構造〉とほとんど同じことを意味する。もちろん〈形態〉とは、作品ないしテクストとしての形態をいうのではなく、そうした形態とか形式の内部に織りこまれけっして姿を見せることのない本質をさすのであり、それはエクリチュールの実践においてもレクチュールの行為においても直観的にしかたどられることのできないものなのである。いわば形態のなかの形態、構造のなかの構造として宿っているものだ。したがってここでは言語は徹底的に外部性としてあらわれる。しかも内部はこの外部の言語によってとりまかれ暗示を受けながらも、けっしてそれとして指示されることができないのであるから、文学とは書き手にとっても読み手にとっても、外部から内部へむかっての終わりなき反復行為とならざるをえないのである。(1990. 1. 13)

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 批評とはなにか。批評の科学をめざしているテリー・イーグルトンはつぎのように言う。
《批評は自分自身と対象とのあいだに決定的な裂け目を入れ、対象に対し一定の距離を保ったうえで、対象に関する新しい認識をつくりだす。文学テクストを知るということは、そこにすでにある言説に耳を傾けたり、その言説を翻訳することではない。むしろそれは、テクストの沈黙に「語らせる」_¨新たな¨_言説を生みだすことなのだ。》(「マシュレとマルクス主義文学理論」、『批評の政治学──マルクス主義とポストモダン』所収、傍点―邦訳原文通り、以下の引用も同評論より)
《批評とは、「別の語り方」を模索することではなく、「語られなかったこと」を探ることなのだ。》
 批評とは文学作品としてのテクストと別種のテクストを書くこと、それもただオリジナルへの追補としてのテクストをではなく、科学としてのテクストを作品=テクストに即して書くことなのだ。
 それではテクストとしての作品、あるいは作品としてのテクストとはなにか。ふたたびイーグルトンは言う。
《テクストの真の必然性は、テクストのなかでは一語たりとも変更できないし、そこになにかをつけ加えたりもできないという確定性となっておのずと現われるわけだ。》
《作品は完成されていると同時に変化してやまない。<傍線>恣意性と必然性の矛盾に満ちた結合体</傍線>。まさにこれが、作品がとろうとしている姿である。》(傍線―引用者)
 そして、批評とは「この_¨多様性の必然性¨_を理論づけること」だとイーグルトンは言うのである。
 そこで最後の、根源的な問いとは文学の、文学作品の意味とはなにかということになる。
《文学こそ、文学自身の意味の源泉なのである。文学は、前にも後ろにもなにも隠しもっていないので、なんらかの異質な存在に取りつかれている気遣いはない。つまり文学は深層を欠いている分それだけ、自律的なのである。文学ではありとあらゆることが表層において生起する。》
《作品は閉じられてはいないし、隠れた中心のまわりに「全体性」が築き上げられているのでもない。作品は徹底して脱中心化され不規則で、未完かつ不十分なものなのだ。しかしこの未完状態、作品の「空白」は、批評がそこになにかを充当すれば消えてなくなるようなものではない。むしろそれは、変更のきかない_¨確定した¨_未完状態として存在する。いうなれば、テクストとは<傍線>完成された未完成なのだ</傍線>。》(傍線―引用者、傍点―邦訳原文通り)
 ここではテクスト論として基本的なことが明快に言われている。この評論が書かれた時点(一九七五年)で、イーグルトンには構造主義的な視点をふまえつつそれを批評の自律性の方向へ確立していこうとする立場が貫かれているのをみることができる。この方法と立場は、イーグルトンが批判するポスト構造主義の批評的立場と微妙に食いちがってくるのだが、テクストをテクストとして読むことから批評が出発しなければならないとする原理はいまもってつき崩されていないように見える。とは言っても、イーグルトンも言うように、イギリス文芸批評においてはいぜんとしてジョン・ベイリー流の〈実利主義的経験主義〉──自然主義的、保守的なイデオロギー批評──がいまも主流を占めているのであって、テクストをそれ自体として見ようとする態度、しかもそれを〈未完成〉のものとして見ようとするこうした批評のありかたがいまだに一般化しているわけではない。これは日本においてもまったく同じであって、いくらかましな人でさえいともやすやすと経験主義的な読解──既成のコードによる了解──という罠におちいりやすいのである。イーグルトンの批評の戦闘的な姿勢はその点でもめざましいものであることは確認しておいていい。(1990. 1. 18)

13
 テリー・イーグルトンのヴィトゲンシュタイン批判の一節。ヴィトゲンシュタインが友人に語ったと言われるつぎのことば──「ヘーゲルというのは、違ってみえるものが実は同じであることを言いたくて仕方がない人間にみえる。かたや私はというと、同じにみえるものが実は違うことを示したくてならないのだ」といういかにもヴィトゲンシュタインらしいことばにたいしてイーグルトンはこう言う。──「この発言に重大な真実が隠されていると考えたりしようものなら、おそらく馬鹿を見よう。なぜなら、ヴィトゲンシュタインが古典哲学に対し距離を保っていられたのは、それを読んでいなかったからだ。」(「ウィトゲンシュタインの友人たち」、『批評の政治学』所収)
 これはどちらかと言えば_¨ためにする¨_批判だと言わなければならない。たとえそういう側面があるかもしれないにせよ、ヴィトゲンシュタインの哲学的思考の明晰さはそんな批判でゆらぐものとも思えない。たとえばつぎのような一節を読め。
「哲学的なことがらについて書かれてきた命題や問いの多くは、誤りではない。ナンセンスなのだ。したがって、われわれはこの種の問いにおよそ答えるすべを知らず、ただそのナンセンスであることを立証できるにすぎぬ。哲学者のかかげる問いや命題の多くは、われわれが自分たちの言語の論理を理解していないことにもとづく。(中略)そして、きわめて深遠な問題がじつは<傍線>問題でもなんでもなかった</傍線>ということは驚くにあたらない。」(L・ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』4-003/傍線―邦訳原文白マル)(1990. 1. 21)

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思考のポイエーシス1989年12月

3
「理論や学説のはいっている作品は、正札のとれていない品物である。」(マルセル・プルースト『失なわれた時を求めて』)
 理論や学説を究めること、そしてそれが語りえないもののむこうへ突き抜けること。それが詩を書く唯一の目標であり根拠である。(1989. 12. 3)

4
「パランプセスト」というのは何度でも書き直しのできる羊皮紙のことを言うが、ジェラール・ジュネットはプルーストの小説空間をこの何度も書き直しができ、消し残された部分があらたに書かれた部分のしたに透かして見えるような紙に擬している。千葉文夫によれば、プルーストの小説空間を〈パランプセスト〉のイメージでとらえたのはジュネットの創見であり、それはジュネットにとって文学空間そのものであると言うが(「無限にして、しかも閉ざされた空間」、「早稲田文学」一九八九年十一月号)、わたしも同感である。という以上に、文学の世界とは、すくなくとも書き手にとってはつねに〈パランプセスト〉であるのではなかろうか。
 書くことが話すことと決定的にちがう点は、いつでも時間を遡及できること、つまり以前に書いたものを消して書き直すことができるということにある。話すことがリニアーな時間の経験であるのにくらべて、書くことは時間を複層化することができるのであって、それは読むことにおいても同じである。ひとは書くことにおいても読むことにおいても、時間のリニアーな流れをたえず反転させ増幅させることができる。文章はたしかにリニアーな流れを作るが、この流れを堰きとめ、たえずもうひとつの時間を想起させること、あるいは時間そのものの無化へとむかわせること──つまりはテクストの絶対性と全体性を確立しようともくろむこと──文学の究極の目的とはこのようなものなのではなかろうか。〈パランプセスト〉とは文学のもつこの永遠の夢の形象化されたものなのではなかろうか。(1989. 12. 3)

5
「作品とは、もっとも基本的なディスクールとともに、ひとつの意味の最初の分節とともに、_¨文章¨_(phrase)とともに、〈このようなもの〉のはじめの統辞上の切り口とともにはじまる。というのは、文章をつくることは、ひとつの可能な意味を_¨表示する¨_(manifester)ことだからである。文章は本質的に正常なものである。文章はそれじたい正常性、つまり_¨意味¨_〔_¨方向¨_〕──このことばのあらゆる意味における意味、とりわけデカルトのいう意味──を有している。文章はそれじたいで正常性と意味を有しており、それを述べる人の、あるいはその人によって文章が通過したり、そこで〔そのうえで、またそのなかで〕文章が分節化されるような人の、状態や健康や狂気にかかわりはしないのである。もっとも貧弱な構文にあってさえロゴスは理性であり、すでに歴史的な理性なのである。」(ジャック・デリダ「コギトと狂気の歴史」、『エクリチュールと差異』所収、傍点―原文イタリック)
 ここでデリダは後年のロゴサントリスム批判の立場からすれば意外なほど素朴にもロゴスの自立性と絶対性を賞揚しているように見える。しかしここでは、書くこと自体の、意味を生産する必然的な構造をデリダが自立的なものとして肯定していることだけを確認しておくだけにしよう。文章を書くことが意味の生成の可能性を前提としてしかはじまることがないというのは、デリダにとっても、ものを書くことのもっとも始源的な前提であったのにちがいない。その意味ではデカルトのコギトの問題設定は決定的であった。「わたしが気狂いであろうとなかろうと、Cogito, sum〔わたしは考える、わたしは存在する〕である」とデリダは書く。こう書くことによって、書くことと存在することがデカルト的な論理的連続性としてではなく、論理的同時性であり同一性でもあるという視点がくりこまれたのである。そこにミシェル・フーコーの歴史記述を批判的に検討しながら、書くことの根底をめぐってデリダがデカルト的思考を脱構築しえた転回点が見出せるのだと考えてよい。(1989. 12. 6)

6
《レヴィナスは、ハイデガーの言う「差異」のみならず、それを批判的に継承したデリダの「差延」をも暗に批判しようとしていたと考えられる。たしかに、「差延」は「存在論的差異」よりも古く、「存在論的差異」以上に忘却された「差異化する差異」である。》(合田正人「果てなきパリノーディア──レヴィナスにおける言語の陰謀」「季刊iichiko」13号)
 デリダのレヴィナス批判「暴力と形而上学──エマニュエル・レヴィナスの思想についてのエッセイ」(『エクリチュールと差異』所収)を検討すること。(1989. 12. 14)

7
「人は書物のなかにおいてしか書物の外へ出ることはない。なぜならジャベスにとって、書物は世界のなかになく、世界が書物のなかにあるからだ。(中略)存在するとは書物-内-存在することである。」(ジャック・デリダ「エドモン・ジャベスと書物の問い」、『エクリチュールと差異』所収)
 ここでデリダは、言うまでもなくハイデガー的な存在論を転倒させたかたちでエドモン・ジャベスの詩の世界をとらえようとしている。だが本質的に考えれば、人が詩人であるとは、多かれ少なかれ、こうした書物と世界との内包・外延関係の逆転をあたかも自明の前提として生きているはずである。〈書物-内-存在〉をもっとつきすすめれば〈エクリチュール-内-存在〉という存在のありかたさえも考えることができる。この様態についてもっと考察すること。(1989. 12. 17)

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思考のポイエーシス1989年11月

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 このノートのコンセプト。
 思考をできるだけ解放すること。
 テーマをあらかじめ立てずに、思考のおもむくがままにすること。
 できれば具体的なテクストのもとに、その引用、解釈、およびそれに触発された思考を展開すること。
 構成や文体は当面考えないが、一定の期間をおいたのちの事後的な編集(再構成)は明確な意図をもってすること。
 この思考の痕跡を記録すること。原則的には公表を前提としないが、もし公表するときはこのままのかたちをとることが望ましい。項目ごとに書かれた日付を入れておくこと。(1989. 11. 13)
[00~30, 32~34, 38~40=野沢啓「思考のポイエーシス(1)」として「走都」19号(1990. 7)に掲載]

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「もし哲学が他の専門科学と異なるところがあるとすれば、哲学ではいかなる小部分においても、必ずその存在の全体を洞察するという点である。」(カール・レーヴィット「歴史と歴史意識」、『歴史の意味』所収)
 すぐれた哲学、あるいはことばの真正な意味での哲学は、世界に生起するあらゆる事象について、いつでもすでに一度はその考察の対象にしたことがあり、その事象に明確な規定を与えたことがある、というふうに存在する。事実はそうでなくとも、そのようなことを可能にする構想力と論理的展開力を哲学はもたねばならない。そうした印象を与える哲学者はたしかに現代でも存在する──ごく稀にではあるが。(1989. 11. 20)

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お知らせ

●〈思考のポイエーシス〉開設にあたって

 1989年以来〈思考のポイエーシス〉として断続的に書いてきた文章を公開することにしました。内容は文学(とくに詩)、哲学、批評に関連する思索・思考を断章ふうに並べたものです。一部は活字になったものもあります。ひとつのテーマについて一日で書いてしまうという原則にもとづいて思考のトレーニングとして書いてきたもので、何度も大なり小なりの断絶を経てきましたが、最近これを復活することにしました。書かれた日付順になっています。
 なお、時間がたっているものについてはいまの時点で訂正や追加の必要のあるものもありますが、これもそのまま掲載していきます。
 また、ご意見があればおおいに尊重させてもらいますが、特別な場合を除いては直接的な返答は避け、新たな思考の展開ができるようであれば、そのなかで回答できるかもしれません。読者の皆様の来訪をお待ちしております。
(2008年3月9日、西谷能英記)

※記事中の_¨文字列¨_の表記は傍点を示し、_^親文字【ルビ文字】^_はルビを示します。ほかにイタリック表示、ゴチック表示はHTML表記の原則に準拠しています。

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