2000年

2008年3月16日 (日)

思考のポイエーシス2000年

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  日溜まりのほうへ
  軽く伸びた毛深い腕
  その内側に鼻の長い顔が埋まっている
  かぎりなくいたいけな
  小さな命の無心の世界が
  座布団の上に
  円を描いている
  ヒトの感情の襞に
  じっと瞳を向ける
  いつものとぼけた表情も
  いまは安らかな眠りの
  まん丸い時間なのだ

 犬の時間はまるく、人間のそれは垂直に深淵に切れ込んでいる。(2000/4/2, 3)

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 しばらくぶりに「思考のポイエーシス」を書く。
 書くという行為は自然に生ずるものではない。考えることをひとはいつでもしているつもりだが、書く行為に結びつかないものはほんとうは何も考えていないことなのかもしれない。いや、そこまで言わずとも、深く考えるということ、よくよく考えてみることは頭のなかだけではなかなか成立しないものなのだ。世俗的な打算や計算、ちょっとした生活の知恵のようなものはある意味で既成の知の反復にすぎない。そんなものならいくらでも考えられるし、知っている。逆に言えば、そんな計算や知ならなにも新しく書く必要はないのだ。どこにも発見がないし、ひとから依頼されたものであったとしたらなおさら、そんなわかりきったことを書く気にはならない。誰もそんなものは読みたがらない。
 とはいえ、書くことがいつでもまったく新しいことばかりなんていうことはできない相談だ。ひとは既知のことを新しく組み替えることができるときにこそ書くべきだ。書くということはそうした既知の知の秩序やら構造を変換すること、そこに独自の発見を付け加えることなのではなかろうか。(2000. 5. 7)

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