1996年

2008年3月12日 (水)

思考のポイエーシス1996年10/11月

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 冨上芳秀の詩はとても人間くさい。男と女のどろどろした情念の世界からひとをサメの海に突き落とすような残忍な論理の世界まで、ここにはありとあらゆる人間たちの生存のドラマが繰りひろげられる。生と死、セックスと暴力、人間世界の不気味さと不条理、サド・マゾ的倒錯──いつもながらの冨上芳秀の怨念渦巻く物語がいよいよ磨きのかかった極彩色の筆致で描かれる。(1996. 10. 6)
[冨上芳秀詩集『熊楠のスカラベ』(1996. 11)の野沢啓の帯文として発表]

78
(ようやくこの「思考のポイエーシス」のデータ見直しと整備が終わる。われながらなかなかよく書けている。野村喜和夫が『散文センター』のある文章で、この「詩と哲学との関係を追究してやむことがないといった趣の、長い断章形式の文章」について「氏のライフワークのひとつになるだろう」と書いてくれているように、こうしたスタイルが自分にはあっているのかもしれない。それにしても、〈ライフワーク〉とはいささか気恥ずかしいが、ひとが他者を理解するということはそんなものだろう。いずれにせよ、この断章を復活させなければならない。)(1996. 11. 5)

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思考のポイエーシス1996年9月

74
 ひさしぶりにこのノートを再開する。思考すること、それがそのまま言語の無意識の表出であり、つまり詩であり、あるいは思索の試み=エッセイであるような場所の設定。あるいはその可能性の信憑。そのとき言語とはこのわたしだ。わたしは言語を表出することによってかろうじて存在する。すくなくともこのノートはそのようにしてあり、わたしの思考のポイエーシスを証しだてるだろう。なによりもこのわたしにとって。(1996. 9. 8)

75
 思考すること、言語が言語そのものについて考えること、それが思考のポイエーシスだ。
言語による思考(もっとも思考とはつねに言語を介した行為であり、むしろそれ以上に言語の行為そのものだから、この言い方はトートロジーにすぎないかもしれないが)は、話すことあるいは書くことによって意識のありどころを探りだし、なんらかの_^意味=方向【サンス】^_を導きだそうとすることだと言っていいだろう。だとすれば、思考することがそのまま言語の限界域の表出となるような行為、それは通常の言語行為あるいは思考の作用とはかけはなれたものであり、もしそのような行為を詩と呼ぶとすれば、その言語行為の本質にはなにかひとを既知のものから未知なる外へと誘い出す不気味な力が隠されてあるはずだ。それはその言語を読むひとはもとより、それを書いた当人にさえもけっして知ることのできない言語というものの無限の可能性のひとつの現われにすぎないのである。
 たとえばここに〈詩の外出〉という観念がある。昨年秋、野村喜和夫・眞里子夫妻を仕掛け人としておこなわれた現代詩フェスティヴァルを支える観念がそれであり、その名のもとにこのフェスティヴァルも開かれたのだった。いまその試みについてささやかな考察をめぐらせてみる。
 ところで、このタイトルをみて、詩はそもそも〈外出〉することができるのだろうか、という問いにさらされないひとはいまい。詩人が密室から外へ出ていくことによって、それにつれて詩も〈外出〉するのだと考えられているのだろうか。まさか。現代詩の尖端部分をになっている若い詩人たちの観念はもうすこし策略に充ちたものであり、そのぶん解体的であろうとしているはずだ。しかし、にもかかわらず、現代詩をとりまく状況のきびしさは、そうした若い詩人たちの試みをあざ笑うかのように、それじしんもまたみずからにたいして解体的に変容しようとするそのしたたかさにあるのだ。いわばそれはつねにみずからにたいして投げつけられる反作用の鏡像なのである。
 この一筋縄ではいかない状況にたいして若い詩人たちのたてた作戦は、天王洲アイル・スフィアメックスなる東京の内海にかかえこまれた人工的な空間の脱近代的な劇場に〈詩の外出〉を実現しようとすることであった。この偽物めいた疑似未来都市的劇場こそは、この観念的な運動にたいしてあたえられたアレゴリカルな枠組であり、それ自体がすでに外部として〈詩の外出〉という観念を包みこんでいるように思われてならない。〈詩の外出〉が可能になるところにもうひとつの外部があるのではないか。
 そういうなかで、たまたま見させてもらった守中高明の国境をめぐる長篇詩の朗読は、それがまさに国境という〈境界〉を主題とし、また、男と女というもうひとつの〈境界〉をめぐるドラマを背景とするものであっただけに、この、いつともどことも言うことのできない無時間的な茫漠とした世界のメタファー的空間から、あるときは外出し、またあるときはそこへ内転する思考の往還する運動を巧みなアレゴリーとして表出していて、その古典的で抒情的なたたずまいとあわせて印象に残った。
 この守中の試みもふくめて、フェスティヴァルのうちのいくつかのパフォーマンスにはたしかに詩をテクストの外部に表出してみようとして印象的なものがあった。それらがパフォーマンスとして魅力的であったかどうかはともかく、またそれがはたして〈詩の外出〉であるのかどうかもわからないが、テクストのみで読まれる詩とはあきらかにちがった面を提出していたことだけは確かだと思う。詩というメディアも、他のジャンルにおけると同じく、内部に自足しているばかりではいられなくなってきたのであって、どのようなかたちにせよ、詩に外部はあるのかを問わなければならないし、問いそのものをかたちで示してみせなければならなくなった。今回のフェスティヴァルでのさまざまな試みにそのあたらしい展開があるとはなかなか断言できないにせよ、かぎりなく混迷を深めていきつつある世界にたいしてささやかながら現代詩の抵抗線を示しえたという点で、貴重な試みであったと言うべきであろう。(1996. 9. 8, 11)
[野沢啓「〈詩の外出〉に外部はあるか」として書かれたが、未発表のままになった。]

76
 瀬沼孝彰が亡くなった。もう二週間もまえの八月二十八日の水曜日のことである。それ以来、この一見すると内気にみえるがじつはシンの強いそして無類に優しい詩人について、どうしてもなにか書いておきたい気持ちが消えないのだ。ところがなかなか書くことができなかったのは、ほかにいろいろ片づけることが多かったせいもあるが、とにかくどういうかたちで瀬沼君を悼んでいいのか、わからなくなってしまったからである。
 なぜわたしは、書くものをつうじて以外にそれほど深くつきあったわけでもない瀬沼君に哀悼の意を表そうとするのか。瀬沼君はけっして儀礼的に葬られることでよしとするようなタイプのひとではなかった。つまり、その死が葬儀の壮麗さとか集まるひとの多寡によって評価されるようなひとではなかったということである。そのことをどうしても述べないわけにはいかない気がするのである。
 その週はたまたま月曜から水曜までお通夜や葬儀・告別式などがずっとつづいていた。そんな木曜日の午前中、仕事場にむかしの仲間の近藤洋太より電話があり、瀬沼君の死亡、それも交通事故死との知らせを受け取ったのだった。わたしは唖然とし、つづいて戦慄が走った。こんなことがあっていいことか。まさか、あの瀬沼君が。いつでも会うと、すこしはにかみながら挨拶するあの独特の表情が目に浮かぶ。どことなく不器用そうな生き方がまたなんともかれらしいとしか言うよりない、あの心優しい詩人が突然この世から姿を消してしまったのだ。
 瀬沼孝彰があっけなく亡くなったことを聞いて、しかし最初に思ったことは、残念なことながら、いかにもかれらしい失敗をやってしまったな、ということだった。かれの生き方が不器用そうだといま書いたが、それはかれを知る者ならだれも否定しないだろう。もちろんこれはかれを貶めて言うのではない。むしろ現代にはまれなほど純粋に、誠実に生きようとしたことの代償としてかれの日常は現実とのさまざまな軋轢や葛藤を引き起こさざるをえなかったはずであり、しかしそのことによって深く傷つきながらも、かれはおそらくは悲しみを感じることはあっても、けっして他者を恨んだり攻撃的になることはなかったであろう。それはかれの遺した三冊の詩集がなにより雄弁に語っている。
 瀬沼孝彰はこの六月に第三詩集『凍えた耳』を刊行したばかりだった。この詩集はそれまでの『小田さんの家』『ナイト・ハイキング』と同様、いやそれ以上に、個人的な日常をモチーフにしたきわめてリアルなスタイルをますますとぎすませてきており、そこに描き出される世界はほとんどかれの生きている世界と同型のものであると言ってよい。かれはいつでも社会的弱者の立場にみずから身を置き、そこで触れ合うひとびとへのあくなき共感と愛着を示す。このことが安っぽいヒューマニズムと無縁なのは、かれがそこに人間という存在のもつ本質的な哀しみにたいする深い了解と諦念をふくませているからである。たとえば『凍えた耳』に収められた「カチューシャ」という掌編小説とも言っていい散文詩など、ロシア人娼婦アグネスの引き取り手のない老人病院での孤独な死を見届ける作品だが、ここにはさまざまな人間の生きざまが縮図のようにして織り込まれ、そうしたささやかな共同体のなかでアグネスがだれにともなく「カチューシャ」を唄いながら死んでいくという、考えようによってはおそるべくリアルな、身につまされる話が語られている。ここでも瀬沼孝彰はかぎりない共感を惜しまないばかりか、〈いつかアグネスのように、わたしもカチューシャを歌うことができるだろうか〉というふうに、アグネスの最後の姿に自分の最後の姿を重ね合わせようとするのだ。人間存在のかぎりない頼りなさこそがだれにも根源的に存在することを、かれほど実感的に把握しているひとはそうはいないのではないか。それが瀬沼孝彰の詩を成り立たせている。
 わたしたちはかれの詩を読むことによって自分たち自身の存在の底知れぬ不安を慰撫することができる。そういう意味で瀬沼孝彰はもっともっと理解され評価されるべき詩人であり、多くの人びとの死や悲惨さを見つめつづけた詩人が突如としていなくなってしまった以上、今度はわたしたちがかれの存在に思いを馳せ、心からの哀悼を捧げるべきときがきたのではないだろうか。
 お通夜は小雨の降る晩であった。近藤から知らせを受けて、さっそくこれもむかしの同人仲間の添田馨に連絡をとっていっしょに八王子の家へ向かった。家は旧街道沿いの旧家といった風情で、すぐにそれと知れた。ひとの死は、ふだん会うこともないひとたちを会わせてくれる。そこで旧知の何人もの詩人たちと挨拶を交わし、すこしだけ瀬沼君の話をすることができたが、そこで聞くことのできた話はやはり想像していたとおりのものだった。かれは生きたとおりの現実を詩に書いたばかりでなく、詩を書くように生きたのである。
 通夜の帰りに遅れて来た近藤洋太とともに、瀬沼君の詩ですでに馴染みになった浅川を徒歩で渡りながら、ここがかれのいつまでもこだわり愛した最初にして最後の場所なのだということを確認した。わたしにとって〈浅川〉とは、瀬沼孝彰の多くの詩においてその暴力的な開発によって痛めつけられた聖なる場所として書き記され、かれの愛してやまないひとたちの魂がいまも棲みついている場所なのだった。かれはこの浅川に沿う道路を自転車で横断しようとしてクルマにひっかけられたそうなのだ。なんとも皮肉な、この悪しき因縁のことを考えると、世界はこのように熱い心をもちつづけたひとりの詩人を失なってますます寒いものになるのだろう。
 ここでようやくわたしが冒頭で述べた疑問に答えることができる。瀬沼孝彰は、「ゴースト」という詩のなかで〈なくなった人を悼むことはすぐに嘘っぽく偽善的なものに堕ちてしまう〉と書きつつ、アルバート・アイラーを悼んだ。〈わたしはもう/わたしの死を死にきることもできやしない〉と。かれはすべてを見通して死んだかのようではないか。そのことがまた、かれの世界への最後の愛のメッセージであり、わたしたちへの世界の委託であるかのように。瀬沼孝彰の死をわたしたちはこのように理解しなければならない。(1996. 9. 15, 16)
[野沢啓「世界の委託であるかのように……──瀬沼孝彰の詩と死をめぐって」として「エイ」23号に掲載]

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