1991年

2008年3月12日 (水)

思考のポイエーシス1991年12月

67
〈ハイデガーとナチズム〉という問題は、とりわけヴィクトル・ファリアスの同名の書物が刊行されて以来、フランスやドイツはもとより、日本でもすでにさまざまなかたちで論じられてきており、一九九一年四月には日仏哲学会による「ハイデガー、ナチズム、デリダ」という公開シンポジウムがなされたりするほどの盛況ぶりである(このシンポジウムの記録は「思想」一九九一年八月号に掲載されている)。いまさら言うまでもなく、この問題は歴史的にも政治的にも、そしてなによりも哲学的に根が深い、本質的な問いを孕んでいる。つまりたんに偉大な哲学者のナチズムへの加担という政治的なふるまいにおける過誤といった歴史的事実の問題にとどまらない哲学的・思想的に現在的な問題性を視野に収める必要があるということだ。アドルノ、ラクー=ラバルト、リオタール、フーゴ・オットらの、この問題にかんする重要なテクストのいくつかの翻訳がまだ刊行されていないという状況にあるとはいえ、これらをふまえたいくつかの論考をもとに、この問題を考えていくことは十分に可能である。
 たとえば、この問題の日本におけるもっとも精力的な紹介者でありすぐれた解説者でもある西谷修は、「ハイデガーがナチだったから読むのをやめるのではなく、_¨ナチだったからこそ_¨ハイデガーは読まれなければならないのである」(『不死のワンダーランド』IV章、傍点―原文通り)という逆説的事態を指摘したうえで、〈ハイデガー的現代〉についてつぎのように問題を整理している。
《近代の軌道を進んできた世界が戦争によって崩壊した後、戦後の世界はその廃墟を僥倖として産業社会の再建と再編を果たし、その産業社会が爛熟する過程でさまざまなかたちで澱を排出し、いまや世界(の一部)はポスト産業社会の段階に入ったと言われている。つまり戦争が「近代」の加速されたやり直しを可能にし、その駆け足の復習ないし修復が終わって、いま世界が「脱近代」に足を踏み入れているとすれば、それこそがまさしくハイデガー的な状況だと言うことができる。なぜならハイデガーの思考が直面していたのは 「脱近代」の要請とそれへの対応だったからである。戦争は「危険」であると同時に行き詰まりの打開でもあり、そこに「近代の超克」の可能性を求めることさえできたが、「世界の崩壊」を招来することによって、戦争は結局「脱近代」への対応を先送りにしたのだった。そしていま世界は、将来の問題としてではなく現在の問題として、この「脱近代」の要請に直面している。近年におけるハイデガーの影響力の背景となっているのはそのような事情である。じじつ、現在本質的な思考の課題となっているテーマの多くは、すでにハイデガーによって見取図を描かれており、だれもが多かれ少なかれハイデガー的な思考の圏内にいるとさえ言えるほどだ。それだけに、思考の歴史を更新しひとつの時代を囲繞しえたこの思考がナチズムと親和しえたということは、ひとりの哲学者の過誤というにとどまらず、まさに現代の思考が、思考を要請する〈現在〉の孕む罠としてまともに見据えずにはいられない問題なのである。》(『不死のワンダーランド』V章)
 まことに簡にして要を得た把握と言うべきであろう。いささか整理されすぎているとさえ言いたいほどだが、ハイデガー哲学によって切り開かれた思考のパラダイムがこの二〇世紀の末にいたってもゆらぐことなく貫徹されているのは真に驚くべきことだ。いや、むしろ、さまざまな思想の生成と発展ないし衰退のあいだをぬって、それらの思想のバックボーンとなりながら生きつづけてきたのがハイデガーの存在の思考なのだと言うべきであろうか。実存主義と構造主義、あるいは別の強固な流れとして存在していた(かに見えた)マルクス主義を超えた地点で、つまりは〈近代〉のどんづまりのところで、〈近代〉を批判的にのり超えようとした思考の多くがハイデガー哲学のなかにみずからの準拠点を見出してきたということにもまたひとは驚くべきだろう。ポスト構造主義と目される思想家たちがハイデガーの思想に多かれ少なかれ影響を受けており、かれらによってハイデガーの思想が新たに読み直されふたたび注目されるようになったのはけだし当然のことだったのである。
 西谷修が『不死のワンダーランド』で触れているように、バタイユ、ブランショ、レヴィナスといった前世代の思想家や文学者がハイデガーの存在の思考から直接・間接に示唆を受けて──レヴィナスのようにそれを批判的に継承することになる場合もあるとはいえ──それぞれの論を展開させていったわけだが、より若い世代に属するジャック・デリダもまた独自のハイデガーへの理解を示している。『精神について──ハイデガーと問い』というテクストは、その意味でも興味深い。
 ここでは思いがけない角度からのハイデガー批判がなされているのだが、それはある意味でデリダのハイデガーへの取り組みがなみなみならぬものであること、しかしこのテクストではそれがいまだ部分的な展開にとどまっていることを示している。これはもともと講演を下敷きにしたものであるという性格にもよるのだろうが、しかし逆に言えば、講演という形式のなかで論ずるという制約をあえて選ぶことによって、デリダはハイデガー哲学の核心を一挙につかもうとしたかのようにも思える。細かい論述を積み重ねていくのではなしに、ほとんど直観的に、いつもデリダが文学テクストを料理するときのように、ひとつのことば、ひとつのテーマを徹底的に追求していくなかから本質的な主題を浮かび上がらせるあの驚くべき力業で、ハイデガーにおいて隠された主題のひとつを一挙に引きだすのである。それが〈精神〉という主題にほかならないのだが、たしかにアラン・ブウトがこの本の書評論文(「デリダ──フォルマリストの偽証」、「思想」一九九一年八月号)で指摘するように、「ハイデガー論議の表題としては奇異の感を与え」るものであり、「ハイデガー哲学の『精神』に似つかわしくない」とも言える構想なのである。デリダは冒頭でつぎのような問題設定を試みる。
《「精神」[esprit]が、あるいは「精神的なもの」[le spirituel]が問題になるとき、この語は何を意味しえたことになるのか? ただちに、はっきりさせておこう。問題はespritやle spirituelではなく、Geist, geistig, geistlichである。こう言うのは、右の問いが一貫して_^言語【ラング】^_の問いだからだ。これらドイツ語は翻訳されるがままになるだろうか? もう一つ別の意味では──これらの語は避けうるものだろうか?》
 すでにデリダらしい問題設定であると言っていいが、ここからかなり強引なかたちでハイデガーの〈精神〉ということばの使いかたが審問に付されていく。結論的に言えば、このことばはハイデガーのナチズム加担のもっとも顕著な時期、すなわち一九三三~一九三五年に〈民族〉や〈人種〉などということばとともに特権的に使われた煽動的なことばだったのであり、その後、ハイデガーによって使われなくなったことばなのである。デリダはそこに意図的な言い落としと括弧入れを見てとろうとするのである。それはハイデガーにとって「真理の真理」であり、「その真理は、あらゆる問いの彼方かつ可能性に、あらゆる問いの問われえぬもの自体に属す」のでなければならない。あるいはデリダはこうも言う。「精神性、ハイデガーはそれに固執するが、これこそがそれなくしては世界がない、その当のものの名前である」と。それはもはや形而上学以外のなにものでもない。脱構築されるべきものとしての〈精神〉──デリダによれば、ハイデガーは、〈精神〉Geistとはなにかと問い、「一切の存在者を規定し_¨集める¨_絶対的な無制約者である」と答えている。この規定はいぜんとして形而上学的ではあるが、そこにはたとえばヘルダーリンやトラークルの詩と呼応する存在者の存在とも言うべき、本来的な精神のありかたが認められるのであって、もはやここにはナチズムへと頽落してしまった〈精神〉とは異質の、起源へ向かおうとする〈知〉の働きがあると言ってよい。(1991. 12. 14)

68
 まず金子光晴の詩を引用する。

  日や月の運行とともに
  一生は平穏無事なもの、
  けふが昨日と同じだつたやうに
  あすも又なんの屈託なしとおもふ、

  さういふ人をさわがせてはならぬ。
  さういふ人のうしろ影もふまず、
  気のつかぬやうにひつそりと、
  傍らをすりぬけてゆかねばならぬ。

  さういふ人こそ今は貴重である。
  さういふ人からにほひこぼれる花、
  さういふ人の信頼や夢こそ、
  ほんたうに無垢なのだ。荒い息もするな。
                     (「信頼」部分、『女たちへのエレジー』所収)

 この詩について辻征夫は、「大きな悲歎に何度も陥り、眼前がゆき止りになったおぼえは数限りもなく、うわべは平気をよそおっているが不安でいっぱいの気持で人生を歩んで来た人間の、成熟した息吹」を読みとっている。(「金子光晴の詩」、『かんたんな混沌』所収)たしかにこの詩のなかに流れているなにかとほうもなく澄みきった人間観は、日常をあくせく生きているわれわれの、日々を平々凡々に生きていては_¨ならない¨_という生への衝迫(強迫?)の逆転であり、われわれが見落としがちな生のもうひとつの真実をずばり言い当てている。〈けふが昨日と同じだつたやうに/あすも又なんの屈託なしとおもふ〉ような人々の存在にたいして、そうでないわれわれのような人間は、辻の表現によれば、「胡散臭い存在」にすぎないのであって、〈さういふ人をさわがせてはならぬ〉のである。ここには見かけとは裏腹になんと重い意味がひそんでいることであろうか。このように言い切ることができてなお安っぽいヒューマニズムとは無縁の思想性を獲得するには、金子光晴の一生のような長いコンテクストが必要だということなのだろうが、いまのわたしにはそこまで達観することができそうもない。(1991. 12. 18)

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思考のポイエーシス1991年9月

65
(三か月の中断ののち再開される以下のテクストは、すでにひとつの大きな変容──決意と確信──を経て、つまり思考の転回を経て構成されるだろう。)
 不可視のテクスト。あるいは読みえないテクスト。そんなものは可能だろうか。詩の手前に、あるいは詩の彼方に、存在するかもしれない詩あるいは批評。根源を指し示すと同時にそこにないもの。根源を奪われつつその痕跡のみを示すものとしてのテクスト。(1991. 9. 2)

66
 ランボー──〈詩人〉という名がもっともふさわしいと同時にみずからそれを全身でもって否定した詩人。激越な他者であり、しかしわれわれの心の中枢にいきなり深く浸透し官能的な力を発揮することばの魔力を知り尽くした男。狂暴さとデカダンスを体現しつつも並みはずれた自己分析力をもって詩を思考のポイエーシスそのものに変換してしまった怖るべき知の装置。(1991. 9. 18)
[現代詩手帖特集版『ランボー101年』(1992. 1)に野沢啓「絶対的他者ランボー」の「0」として収録]

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2008年3月11日 (火)

思考のポイエーシス1991年4/5月

62
「詩人は、降霊の儀式としての詩作を進めながら、その詩作の刻一刻に、同時に一個の読者として立ち合うという態度を要求される。演じられる祭典そのものであると共に、その観客でなければならぬ。ここに詩人の二重性、いいかえれば、《詐欺》的な一面がある。この《詐欺》という呼び名にへきえきするなら、詩をやめるほかあるまい。」(入沢康夫『詩の構造についての覚え書』)
 これは入沢康夫にとってよほど気に入った言いまわしと見えて、『詩の構造についての覚え書』のなかで自己引用としてかつて書かれたものから再録された部分である。祭典そのものであると同時に観客でもなければならないという〈詩人の二重性〉──これは自己批評的であると同時に、この自己批評性に身をさらしながら詩作そのものを推進するという点において批評的でもあらざるをえない。詩が批評的でなければならないとすれば、それはもっぱら詩という形式、詩人という〈二重性〉としての存在様式が要請する問題だからである。(1991. 4. 9)

63
 このところ〈終焉〉をめぐる議論が盛んである。曰く、「歴史の終焉」「哲学の終焉」「イデオロギーの終焉」等々。これも二十世紀の新たな世紀末を迎えての、あるいは一九八九年一月七日という明確な日付をもつ「昭和の終焉」を経たあとの、あるいはまた東欧危機や湾岸戦争を見てしまったあとの、いささか平和ボケした危機感の所産でもあろうが、ともかくさまざまな〈終焉〉が論じられている。柄谷行人の『終焉をめぐって』という評論集はそうした風潮のひとつの端緒であり帰結でもあると言っていい。
 この本でもくわしく論じられているが、たとえばアメリカのヘーゲル主義者で国務省の政策企画マンでもあるフランシス・フクヤマの「歴史の終焉」という論文は、東欧「民主化」のとどまるところを知らぬ情勢変化をうけて、アメリカの自由主義の勝利とそれにともなう米ソ二極構造の崩壊、そしてイデオロギー闘争のない「退屈な」時代(=歴史の終焉)を予言するものであり、こうした単純な理論が、アメリカはもちろん日本でもおおいにもてはやされているのである。フクヤマの議論がヘーゲルおよびフランスのヘーゲリアン、アレクサンドル・コジェーヴのヘーゲル読解に基礎をおいていることが明らかである以上、この問題はたんなる国際情勢分析上の議論にとどまらず、ヘーゲル哲学の目的論的歴史観(歴史主義)の今日的再検討を必然とするものであった。
 柄谷はヘーゲル哲学についてつぎのように言う。
「彼の哲学の核心は、ある事柄を理解するということは、それを終りから見ることだということにある。哲学を終りにおいて見るだけでなく、終りから見ることが哲学なのだ。こうして、ヘーゲルにおいて哲学は哲学史となる。」(「歴史の終焉について」)
 ここでヘーゲル哲学は、どのような思考をも、それが目的をもつ思考であるかぎり、すなわち〈終りから見る〉思考であるかぎり、それを哲学として認めてしまう。言いかえれば目的論的思考は、ヘーゲル哲学の名においてみずからを哲学的言説として正当化することができるのだ。こうした思考にトリックがあるとすれば、思考というものがもともとなにかについての思考であり、さらにはなにものかを言説化しようとする行為である以上、簡単には振りきることのむずかしい目的論的性格を身にまとってしまうということにこそ由来するのである。またしてもヘーゲル哲学の罠だというわけである。ともあれ、こうしたヘーゲル的思考は、日常レヴェルにおけるもっと凡俗な、あたりさわりのなさそうなことばのコミュニケーションにおいてさえ見てとられるのである。いやむしろそうした場面でこそ猛威をふるっていると言うべきかもしれない。まことに「ヘーゲルを知らなくても、ひとは同じように考えてしまう」(柄谷)のだ。フランシス・フクヤマの議論のような、適度に哲学的な匂いとよそおいをもつ情勢分析がウケてしまうのは、まさしくこうした次元の言説空間においてなのである。
 柄谷はさらに言う。
《「イデオロギーの終焉」という説はつねにまちがっている。「終焉」こそ、イデオロギーの典型なのだから。むろん、今日歴史に目的があるという人は少ないだろう。しかし、どんなかたちであれ、「終り」を考える者は「目的」をもちこんでいるのである。「近代は終った」といっても、「イデオロギーは終った」といっても、その点において同じことになる。「終り」をいうものは、それが核戦争のような終末的な恐怖であっても、必ず究極の「目的」を要求しているのである。》(同前)
 たしかに柄谷の言うとおりであろう。ヘーゲル哲学の歴史主義的思考にまで遡及しないでも、〈終焉〉をめぐる言説が、なにか別の理念的または想像的な枠組みに依拠して、いわば目的論的高みからの断言という体裁をとることが多いという事実には注意を払っておくべきだろう。ほんとうは、どんな結末も予期しない(できない)という地点からしか現在も未来も(したがって過去も)たぐり寄せることはできないし、いかなる思い入れも排除したところからしか視野が開かれることはないのだ。
 この観点からみるならば、柄谷行人が「一九七〇年=昭和四十五年」という論文で指摘したような、「昭和の終焉」の実質を一九七〇年にみてとる視点、そして昭和天皇の長すぎた生存がかえって〈昭和〉の意味づけを風化させてしまったという論点は卓見であり、天皇の死になぜか泣けてしようがなかったというような、ほとんど時代のゆるみきった思想のアスペクトにひたすら同調するだけの言説が跋扈する現在、なにはともあれ信頼しうる知の所在を示していると言っても過言ではない。(1991. 5. 7)

64
《デカルトのコギトは、カントやヘーゲルが考えたような「思考主体」ではない。コギトはたんなる内省によってつかまれたものではない。それはデカルト自身がいうように、他の国々や過去を見て、自分にとって自明で確実であることがたんに自分が属する言語や文化といった慣習によるだけではないかという「疑い」に発している。つまり、コギトとは共同体の外部に「在る」ことなのだ。いわゆるデカルト主義においては、それは心理的自我と混同されてしまう。》(柄谷行人「歴史の終焉について」、『終焉をめぐって』所収)
 この柄谷のデカルト理解は、〈コギト〉の問題を共同体の内部と外部の問題にリンクすることによって思考における主体のありようにひとつの突破口を見出そうとしている。柄谷が言いたいのは、カントやヘーゲルのように思考主体というものを先験的に立ててその必要かつ十分な条件を原理的に探っていこうとするその精緻さが問題なのではなくて、もっと外在的な条件によって思考の本質が決められているということなのだろう。デカルトが思考の自由をもとめて他国に出向かなければならなかったように、柄谷もまた狭い日本社会の〈外部〉に身をおこうとした経験を踏まえており、そうした境界のたえざる越境が思考を可能にすることを言おうとしているのだ。デカルト主義が心理的自我とコギトを混同するというのは、デカルトにあってデカルト主義にないもの、すなわち〈外部〉をもたないゆえである。ひたすら〈内部〉での自己確認の反復にすぎないのがデカルト主義なのであり、それはデカルトともコギトとも無縁なのだ。(1991. 5. 26)

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思考のポイエーシス1991年3月

60
 ジャック・ラカンは〈無意識〉の思考を隠喩と換喩によって規定しようとした。『エクリ』のなかのつぎの断言を記憶せよ。
「症候が隠喩であると言っても、そういう言い方は隠喩ではないし、人間の欲望が換喩であると言うのもまた隠喩ではない。なぜなら好むと好まざるとにかかわらず、症候は隠喩_¨であり¨_、同様に人がいかに嘲弄しようと、欲望は換喩_¨である¨_のだから。」(「無意識における文字の審級」、A・ジュランヴィル前掲書より、傍点―邦訳原文ママ)
 ラカンの〈無意識〉をめぐる考察が、言語の修辞学的形態論、さらにはソシュールの言語論に触発された独自のシニフィアン論、つまり〈シニフィエなきシニフィアン〉あるいは〈純粋シニフィアン〉という概念をめぐって展開されていることはおおいに注目されてよい。なぜなら詩の言語とはこうした構成された〈無意識〉あるいは〈無意識〉の構造化にほかならないからである。詩が意識的なものであるとしたら、この〈無意識〉の領野からの──あるいはこの領野への──決定的な跳躍であるということ以外のものではない。もちろん〈前意識〉的なレヴェルの言語化(つまりは、たんに気がつかなかったようなことを言明すること)が詩であるわけではないのと、これは同一の事態の言いかえにすぎない。(1991. 3. 7)
[この項、「樹林」一九九一年五月号の野沢啓「表現論という問いをめぐって」の「1」に一部加筆修正して転用]

61
 天才ピアニスト、グレン・グールドは語る。
「アーティストが創造的な仕事に頭脳を使おうとするならば、いわゆる自己規律──社会から自分を切り離すやり方以外のなにものでもない──が絶対に必要不可欠なものとなるのだ。関心をもつに値する仕事をなしとげようとするすべての創造的なアーティストは、社交的存在としてはどちらかといえば凡庸なものとならざるをえない。」
 このことばをその著書『グレン・グールド  孤独のアリア』で引用したミシェル・シュネデールは、グールドのピアノ演奏についてつぎのように指摘している。──「彼の特徴をなすのは、むしろ本来の自己の探求なのだ。自分に合ったもの、つまり好みとテクニックに合ったものしか演奏しないこと、そしてたえず素材を自分のものとしながら演奏すること。」
 真のアーティストたること、アーティストの生活を送ること、あるいは創造者たること──この特異性はいったいどのように自覚されるのか。おそらくグールドのように、ひとつのジャンルにおいてそのジャンルを究めつくすだけの技量と個性をもちながらなおかつそのジャンルを超えようとする意志、さらにはジャンルを破壊しみずからの本来的世界の核心にまでつき進もうとする無類に強固で非妥協的な意志をもった人間のみが、あたかも偶然のようにこの特異な環境のなかにすえられるのである。それは時代的要請にもとづくものであるかのようなかたちで出現するほとんど必然的な出来事の様相を呈するが、しかしにもかかわらず、たとえばグールドのようなたぐい稀な才能──柄谷行人なら〈固有名〉と呼ぶだろう単独性──なしには出現しえない事件なのである。この散文的な時代に、〈自己規律〉だの〈本来の自己の探求〉だのという一見ロマンティックな志向が胚胎されることすら困難になりつつあるが、しかしそれでもみずからのうちに聖なるものや簡単に始末をつけるわけにいかないものを感じとっている者はいつでもけっしていないわけではない。そうした者のなかに、もうひとりのグールドはすでに準備されているにちがいない。(1991. 3. 31)

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思考のポイエーシス1991年2月

58
 バタイユの『至高性』からのさらなる引用──。
 まず〈知〉の獲得について──。
「われわれが真に知識を得ると言えるのは、また充分に認識すると言えるのは、どうすればそれを生産することができるのかを知っている対象だけだ。あるいはそれを再生させる仕方を充分心得ているような現象、それがどのように反復されるのかを予見できる現象だけなのである。」
 つぎに〈主体〉の概念をめぐって──。
「主体とはどのような存在なのかと言うと、_¨内部から自分自身に現われるものであるような_¨存在である。」
「われわれの生きている世界は《主体たち》の世界なのであり、その_¨外部的な¨_、_¨客観的な¨_様相はつねに_¨内部¨_と切り離すことができないのだ。」(傍点―邦訳原文通り)
「伝統的な至高性においては、原則としてある唯一の人間だけが主体の特典を享受するのであるが、といってもそれはごく単純に、大衆は労働するのに、その唯一の者はそうした労働の生産物の大部分を消費するということを意味しているわけではない。それがもっと深く意味しているのは、大衆はそのような至高者のうちに主体を──大衆自身がその対象であるような主体を──見ているということなのである。」
 この〈主体〉概念はもはや古いのだろうか。この文章が書かれたと思われる一九五〇年代前半はたしかに主体性をめぐる論議がようやくにして起こりはじめた時代であると思われるが、そしてそのなかでマルクス主義の立場に立つ論者が圧倒的に優勢であったはずであるが、にもかかわらずバタイユの思考と方法はやはり一貫して独自なものであったにちがいない。そのことはソ連社会主義を批判する観点が、現代資本主義の破綻とその対症療法への根本的な批判に共通するポイントをふくんでいることによく現われている。つまりそれは、〈至高性〉への意志の解体としてしか出現しえず、それに代わるものとして〈権力〉とか〈経済〉しか見出すことのできない近代の頽落という観点によって特徴づけられているのである。したがってバタイユの主張は、近代主義者が論じる〈主体〉とははじめから次元を異にしているのだ。「自由とは必然性の認識である」と言ったマルクスに端的に現われているように、近代主義の〈主体〉とは客観的な認識を基礎にした思考対象なのである。しかしバタイユはこの客観性にたいして主観性の価値を見出そうとしており、それを〈至高性〉にリンクさせることによって理論に厚みをくわえている。バタイユは言う。
「主観性は、それが存在するかぎり、至高なものである。また、それが伝達されるかぎり、主観性は存在する。」
「功利的人間は、何よりもまず自分の条件に関心を払う人であり、至高な人間とは、突きつめれば、この条件を否定する人である。」
 だからこそ、至高者にみずからの〈主体〉を見出そうとしてきた人間たち(大衆)も自分の条件を否定するにいたるときにはいつでもみずからを至高なる者としてとらえかえすチャンスをもつことができるのだ。バタイユもつぎのように言っている。              「真の反抗が始まるとすれば、それは王という_^位格【ペルソナ】^_が問われ、巻き込まれるときである。すなわち大衆の一員である人間が、たとえそれがどのような人物であろうとだれか他の者のために、自らに帰すべき至高性の部分を疎外するということを、もはややめるようになるときである。そういうときにのみ彼は、自分自身のうちに──自らのうちだけに──主体の全的な真実を引き受けるのだ。」(傍点―邦訳原文通り)
 主観性のまったき自由のなかに存在している〈主体〉こそが〈至高者〉なのだとすれば、現代でもその可能性は十分に残されていると考えるのがバタイユの立場なのである。それが〈芸術〉において実現されているのは明らかだが、それだけでなく、人が生きるということの究極の意味を取り出そうとする理念でもそれはあるのであって、その意味でもバタイユのこの主張はいぜんとして有効であると言わねばならない。(1991. 2. 20)

59
 アラン・ジュランヴィルは、ラカンにもとづく無意識の理論と哲学的言説を関係づけるうえで、哲学はそもそも問いであり、とりわけ〈問いかけ〉であることを指摘している。この哲学的問いかけは、まず〈知〉を対象とし、ついで「善の存在とでも言うべきものへの懐疑の上にうち立てられる」としたあとで、この問いかけの様式の本質的特徴をつぎのように規定している。
「それ〔哲学的問いかけ〕は問いかけ〔questionnement〕であって、単に一つの問い 〔question〕ではない。単発的な問いは哲学的問いを構成するには十分ではない。哲学的問いは繰り返されねばならないのだ。もちろん、まったく同じものとしてではない。そうだとすれば、答えは何ももたらさなかったことになってしまうだろう。そうではなくて、同一の問いかけに属する別の問いとして繰り返されるのである。」(『ラカンと哲学』第二章)
 この規定は重要である。なぜなら哲学とは哲学それ自身を問うことであり、したがって哲学にかかわる者自身への問いかけであるからだ。つまりそれはひとつの答えをもって満足すべき問いへの対応ではなく、不断にわきおこる自己の思考、自己への思考をもって_¨とりあえずの回答_¨とみなすような問いかけ=回答なのである。とりあえずの回答はさらなる問いを要請し、しかし問いかけとしては同一の問いを誘発しつづける。「哲学的問いは繰り返されねばならない」とジュランヴィルが言うのはまさにそのことにほかならない。そしてそれは書くことあるいは思考することが、みずからの存立基盤にたいして懐疑的であろうとするかぎり、それ自体がすでに永遠の問いかけであることとも通じている。そここそが詩と哲学が接近しうる原理的な場所なのだ。(1991. 2. 25)

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思考のポイエーシス1991年1月

56
 神山睦美は、母の病いをめぐって書かれた『家族という経験』という長篇エッセイのなかで、小林秀雄の考えに導かれながらつぎのように書いている。
《人は、おのれを写し出す鏡としての存在との離別を思うとき、「死の観念」にとらえられるのではないかと思われます。(原文改行)他人の死に出会うとは、いわば、このような互いに写し合う鏡としての他者の死に直面するということでしょう。ですから、他人の死をおのれの眼で確かめるとき、死の予感がやってくるのは、そのようなつながりの「死」を鋭敏に感じとってしまうからなのです。》
 この経験はたしかに誰もがひとの死に立ち会うときに実感することである。ひとは他者の死において、その他者との個人的なかかわりを想起させられ、その他者の記憶のなかにあったはずのみずからの存在の意味の喪失を経験することによって、みずからの生の一部を失なうのである。〈互いに写し合う鏡としての他者〉とはそういうことであり、そのことはみずからの死においてそれまでに関係したすべての他者の記憶が一挙に失なわれることと相補的であることによって二重に意識されるのだ。言いかえれば、ひとは他者の死に直面するたびにたえず死につづけていることになるのである。この事態がひとの意識に及ぼす影がおそらく死の予感ということなのであろう。(1991. 1. 20)

57
 ジョルジュ・バタイユは〈_^至高性【スーヴレヌテ】^_〉という概念をつぎのように説明している。
「至高性を際立たせるのは、富を消尽するということだ。つまりもろもろの富を生産するにもかかわらず、それを消尽することのない労働とか隷従性とは正反対の富の消尽である。至高者は消尽し、労働しない。(中略)原則として、労働へと拘束されている人間は、それなしには生産活動が不可能になるような最低限の生産物を消費する。その逆に至高者は生産活動の超過分を消費するのである。至高者は、もし彼が自分の想像のなかだけで至高者であるというのではないとすれば、この世界の生産物を自らの必要限度などをはるかに超えて享受することが実際にありうる。まさにそのことのうちに至高性は存しているのだ。こう言ってもよいだろうか。必要なものが保証され、生の可能性が無制限に開かれるときに、至高者は(あるいは至高な生は)初めて現われるのだ、と。(原文改行)それと相関的に言えば、けっして有用性というものによって正当化されることのないようなかたちで諸可能性を享受することは至高なのである(有用性というのはつまり、その目的が生産的な活動にあるもののことである)。有用性を超えた_¨彼岸¨_こそ至高性の領域である。」(『至高性』)
 見られる通り、バタイユの〈至高者〉とは、富を生産する者、労働を強いられている者とは正反対の存在者であり、にもかかわらず、そうした労働の富を消尽し、そのことによって他者(労働を強いられた者)の尊崇と敬愛をうける者のことである。これは一見するとマルクスの労働概念および労働-搾取の関係にもとづく剰余価値、さらにはそれを享受する者(資本家階級)の存在形態と似ている。しかし言うまでもなくこれは似て非なる概念である。事実、バタイユがこの本のうしろのほうで〈至高性〉と〈権力〉とを対極にあるものと把握しているように、権力ないし資本力によって支配非支配の関係におかれた人と人との関係は、すでにそのこと自体によって〈至高な生〉という存在様式を排除するからである。したがってバタイユも鋭く指摘するように、搾取と疎外という形態を止揚したはずの社会主義にあっても、それが権力関係でありつづけ、しかも伝統的な封建社会の残存物をすべて強権的に否定し葬り去ろうとする思考であるというまさにその点において〈至高性〉は〈有用性〉という概念に置きかえられるのであって、社会主義社会からは〈至高性〉は一掃されるのである。言いかえれば、権力は〈至高性〉を追求するにはあまりにもエコノミーによって規定されすぎていて、「有用性を超えた彼岸」にある〈至高性〉の領域には本質的にとどきえないものなのである。〈至高性〉とは無償性を刻印されたものであり、バタイユのことばをつかえば〈rien〉(なにでもないもの)なのである。フランス語の〈リアン〉が否定辞でありながらそのままポジティヴな側面をもつのとまったく同様に、〈至高性〉とは顕在化している不可視のもの、あるいは不可視性の顕在なのである。バタイユが〈至高性〉のモデルとして芸術を考えようとしているのは思えば当然のことである。(1991. 1. 30)

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