1990年

2008年3月11日 (火)

思考のポイエーシス1990年12月

52
 久米博はポール・リクールの隠喩論を引きながらつぎのように書いている。
「詩的イメージは、詩人の魂の中、詩人のインスピレーションの中にではなく、詩の意味作用の中に宿っている。詩的イメージは、言語そのものによって創造される、言語の新しい存在なのである。」(「隠喩の二つの顔」、「現代詩手帖」一九九〇年十一月号所収)
 言うまでもないことなのだが、ここで想いかえしておかねばならないのは、詩の本質が隠喩であるというあたりまえのように思われる議論がじつは近代以後のものであるという説である。これがすでに通説となっているところでは、そうではなくて、言語の隠喩的本質の構成そのものが詩であって、そうである以上、詩の本質は権利上、隠喩的であること、そしてこの性質は詩の発生以来の根源的な性質なのである、と主張することはいささか飛躍がすぎることになるだろうか。あるいはむしろ、詩の本質はより高次の隠喩、言ってみればメタ隠喩であると言ってしまったほうがいいのかもしれない。もしそう言えるなら、たとえばモダニズムのような一見すると隠喩的技法がほとんど使われていないような詩にたいしても、それらがトータルな存在において隠喩的(メタ隠喩的)であることを主張することができるはずだ。この論点がドグマにならないポイントをきわめること。(1990. 12. 2)

53
 モダニズムの主導的な書き手であった北園克衛は、「前衛詩論」というエッセイのなかでアヴァンギャルドとしての立場から、散文のようなロジカルな形式とはちがう詩の問題をじつに今日的なレヴェルでとらえた議論を展開している。北園によれば、詩とは、「天然や社会の現象についての驚きや哀しみや怒りといったようなものを対象にした」ものではないと断言し、こうした詩への古くさいかかわりかたしかできないものの努力とは、「電燈があるにもかかわらず、ラムプによって電燈の明るさを出そうとしているようなもの」だと揶揄している。そしてこうした骨董趣味や偏執狂に陥らずになお詩であるためには、散文では表現することのできない何ものかを見出さねばならないとしたあとでつぎのように書いている。
《……現代の詩は批評でもなければ予言でもない。また哲学でもなければ経済学でもない。それはあくまで「何か」であり、その「何か」そのものを示すための言語の装置である。(原文改行)この「言語をもってつくられた装置」の前に立つすべての人間は、そのとき、かれらを俗社会の囚人としてとじこめていた古ぼけた観念の壁が破られたことを意識する。そして、まったく新鮮な意識の世界に歩み出していくのである。かつて想像してみもしなかったような物や現象にぶつかり、その人間の認識の世界に革命的な変化をあたえるのである。》(『北園克衛とVOU』所収)
 ここでは〈隠喩〉への言及はないが、この〈言語の装置〉とはまさに詩的言語の隠喩性によって構成されている本質そのものの別名にほかならない。詩的言語の形式が構築的な論理を本質とする散文形式と決定的に異なるのは、詩においては、言語の既成の観念や意味がひとまずとりはらわれ、言語の〈装置〉として再構成される過程でこれらの観念や意味も変容を迫られるからである。そこでは個々のことばにつきまとう観念や意味は、そのテクストのなかに呼びだされる必然におうじて、固有の生を与えられ、またみずから与えるものとなるのであって、それ以上のものでもそれ以下のものでもなくなる。あたかもそこではじめて生まれたかのように、テクストという全体との関係の緊密さのうちに生きることばとなるのである。ついでに言えば、ここで詩的言語の隠喩性とは、なにか特定のものの言いかえ、転位として理解されるべきではなく、ありうべき〈生〉をメタファーとするというかぎりにおいて言われうる言語の質のことである。(1990. 12. 9)

54
「芸術家はすべてジヤアナリストではない。しかし真の芸術家はすべてジヤアナリストである。ただ滑稽なことはジヤアナリズムが常に民衆の希望に適合するものだときめてかゝつてゐることだ。だがそれはジヤアナリズムとカンマアシヤリズムとが結婚したに過ぎないのである。」(「超現実主義論」、「現代詩手帖」一九九〇年九月号所収)
 北園克衛の洞察力の深さを示す一節である。このテクストが一九三〇年に書かれたことは注目されてよい。〈ジャーナリスト〉の意味の二重性がすでにあざやかにとらえられており、時流に流されないジャーナルな関心と感受性が芸術家を形成するものであることが述べられている。この認識は、戦後の一九五五年に書かれたつぎの批評文において、みずからをとりまく詩的状況への絶望によって増殖されながら、まっすぐつながっていることは容易にみてとれる。
「詩のような単純で微妙な文学は、その作品がもっている真の価値を見誤られる場合が非常に多いものである。殊にわが国のような混乱した文化をもち、水準の低い読者にみちたところにおいては、その危険は徹底的といってよい。」(「前衛詩論」、『北園克衛とVOU』所収)(1990. 12. 9)

55
 詩と哲学の接近、あるいはその結合と分離。ジャン=リュック・ナンシーはアルチュール・ランボーの『地獄の一季節』の最後の作品「別れ」の、そのまた末尾の一行に着目して秀逸なランボー論を書いている。ナンシーの論文タイトルにもつかわれているランボーの問題の一行とは「ひとつの魂とひとつの身体のなかに真理を所有する」(posse+'der la ve+'rite+' dans une a^me et un corps)というものである。ナンシーによれば、「真理はただひとつだけ」であり、「詩と哲学という競合関係にある二つの現前の審級」に別々に送りとどけられるものではないとされる。ここで詩と哲学は身体と魂とパラレルにおかれているのであって、〈魂_¨と¨_身体〉の〈合一〉というかたちにおいてはじめて、そしてそのかぎりにおいてのみ真理は所有されるというのである。ナンシーも言うように、「哲学は詩の魂ではないし、詩も哲学の肉体ではない」からだ。
《「一つの魂と一つの身体の中の真理」を言うこと、それは、プラトンからわれわれにいたるまで伝わる、美学とエロチシズムの、詩学-哲学的な、プログラム全体を反復する──だが、その本質的媒介を断ち切りつつ──ことである。》(「一つの魂と一つの身体の中に真理を所有する」、「季刊iichiko」17号所収)
 詩の〈真理〉を所有するとはひとつの魂とひとつの身体の合一(結合)によるのだが、この合一(結合)は、それぞれ個別の魂と身体の合一(結合)であることによって、無限の可能性を暗示するとともに、それ自体のうちにたえざる分離の可能性を孕んでいる。そしてナンシーによれば、この結合と分離の共有を実現するものは語 (mot) であり、この語において実現される真理は、たえず〈もっと多くの語〉(plus de mots) をもとめ、ひとつの〈真理〉として、たえず再発見されようとするのだ。(1990. 12. 10)

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思考のポイエーシス1990年11月

50
《私たちはだれもが、自分が死ぬということは避けられないということを十分よく知っているわけです。ただ知ってはいても、納得していないかもしれない。でも、納得できてもできなくても、自分が死ぬということは避けられないことだということは認めざるをえないわけです。(中略)そのことによって、私たちは〈世界〉というもののなかにいられるんだ。(中略)自分が「いる」ということができる場所、それが〈世界〉だといってもいいと思うんですけれど、じゃあ、その場所にどうしたらいられるかというと、それは、自分が死ぬということを知っている、それを認めている、そのことによって〈世界〉というもののなかにいられるんだ。これは人間にだけできること。それをハイデッガーふうにいえば、人は死ぬことができる唯一の存在だ、ということになるわけです。死ぬことができるというのは、自殺するということではないです。死ぬということを知ることができる、あるいは了解することができる、ということです。死ぬということを認めざるをえない。その前提において、生きるということをいわば学んでいくというか、知っていくというかね。》(「《言葉》と死」、『死をめぐるトリロジイ』所収)
 菅谷規矩雄はある講演のなかでハイデガーの解釈をつかいながら〈死〉についてこのように語っている。〈死〉という究極の知(イメージ)によって照射される〈生〉(=〈世界〉)の問題が問われていると言ってもよい。この講演のモチーフは、自分の死が、自分にとって自分が〈いなくなる〉ことであり、そういう事態にたいして自分は耐えられるか、という地点から問いが立てられている。そして〈死〉は〈世界〉を失なうことによって、〈世界〉のなかに自分の固有の場所をもてなくなることによって、現実化されるという結論にいたるのだが、さらに菅谷はつぎのように書いている。
《〈今、ここ〉に自分がいるということは、いつか、どこかで、自分がいなくなる、ということに裏打ちされてはじめて成り立つ、そういう姿だということになるわけです。それは、自分自身の「いる」と「いない」が二重に重ね合わされていることになりますね。横並びではなくて、二重に重ねられている。》(同前)
 この二重の重なりが〈世界〉をうみだすのだ。この存在と非在の二重性こそが〈生〉の前提であり条件であるという考えは、いっぽうで〈死〉の規定力がどこまでも〈生〉をつらぬいていることをも示している。とにかく、菅谷規矩雄の考察はここでおそろしいほどに冴えており、みずからの〈死〉のプログラムが着々と進行していることを予感しつつも、〈死〉の誘惑をふりすてるようにして思考をめぐらせているのがわかる。この思考の力はやはり驚くべきことではないだろうか。(1990. 11. 5)

51
 ミシェル・ド・セルトーは中米のインディオについての論文のなかで、西欧文明の今後のあるべきヴィジョンをインディオ社会を鏡としてつぎのように描きだしている。
「今日、ヨーロッパの民主主義の精神と実効性は、いたるところで文化的・経済的テクノクラシーの拡張によって蚕食され、さらにかつての民主主義システムの可能性の条件(すなわち地域単位間の差異の存在と、それらを代表するものの社会的・政治的自律性)の消失とともに徐々にたち消えになろうとしている。また一方では、ミクロなレベルでの自主管理の実験と探求に基づき、多様な地域的民主主義を再生させていくという方向で、中央集権化の動きへの抵抗がくわだてられてもいる。ところが西欧がこういう状況にあるまさしくいま、かつて西欧〈民主主義〉によって抑圧され失墜させられたインディオ共同体が、数百年の歴史に支えられた、自主管理の形態の唯一の可能性のありかをさし示すものとしてたちあらわれつつあるのだ。まことに、もっとも抑圧されてきたあの辺境の世界において、西欧自身の政治的、社会的再生のチャンスが示されているとも言えるのだ。西欧の権力構造とテクノロジーを起源として、いま容赦なく加速され再生産されつつある全体主義的かつ均質化の力学を転倒することができる唯一の希望は、ヨーロッパによって侮蔑され、打ちのめされ、完全に抑え込まれたと思われていた場所で生まれつつある政治のオルターナティブと社会モデルなのだ。」
 ここでセルトーが言う「西欧自身の政治的、社会的再生のチャンス」という表現自体が〈西欧〉という文化システム、知のシステムの崩壊にたいする反省と、にもかかわらずその〈再生〉の可能性を、〈復活〉の方向においてではなく探ろうとする強い欲求とにもとづいているものであることは明らかである。ここでインディオ社会とは、西欧の経済的・文化的支配と略奪にさらされつつ独自の文化、慣習、伝統を、無意識的にでもあるにせよ守りつづけてきたすべての共同社会のひとつの例にすぎない。そこでは、したがって西欧世界にとってインディオ社会がもつ意義は、たんなる模倣の対象でもなければ、ましてやそこまで文化水準や生活水準を後退させるべき目標となるのでもない。だいたいそんなことはもはや不可能であろう。セルトーもそのことを十分に認識しているようで、かれは同じ論文でつぎのように書いているのである。
「……インディオの政治的実践は私たちの模倣すべきモデルにはなりえない。それをユートピア的なモデルにしてしまうことはできない。つまり、かれらの政治的実践を、私たちの抱える全ての問題を夢のように解決し、私たちの社会の自主管理のプロジェクトが直面している技術的問題を、イデオロギー的に代替するモデルと見なしてしまうことは、問題の本質を見誤ったものでしかない。結局それこそ西欧的言説の目的とすることなのである。インディオたちの〈宣言〉が断固として拒絶するのは、まさしくこのようなイデオロギー的な搾取だ。かれらは差異を見すえながら、同時に協働する。」
 インディオ社会をみつめる西欧的知の視線──それはわれわれ自身の〈進歩〉のイデオロギー的視線でもあるのだが──、それがインディオによって拒否されること、しかもその拒否の論理が西欧の知にとって受け容れられざるをえないこと、このことが西欧的な知のシステム、文化のシステムの解体に拍車をかける。セルトーはそれにたいして差異を差異として見すえながら連帯しようとする。広い目で見れば、西欧社会もまたみずからつくりだした文化のシステムによって、インディオ社会とは異なった形態においてにせよ、支配され内部から蚕色されることになってしまったのだというように。そこからの脱出路がインディオ社会の核心に見られる〈自主管理〉の方向性しかないというのは、いささかロマンチックすぎるけれども、もしこの方法が功を奏するとすれば、やはり西欧の知のシステムがみずからを解体しつつもそれを同時に再生させうる強固な復元力をもっていたということを証明することになろう。昨今の社会論における〈オートポイエーシス〉理論の広がりと深まりはそうした知の自己言及的な問題構造の危機を反映しているにちがいない。ことの決着は当分つきそうもないが、いずれにせよ、西欧的知のシステムにとって新たな局面が切りひらかれはじめたということはたしかである。(1990. 11. 29)

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2008年3月 9日 (日)

思考のポイエーシス1990年9月

48
 大森荘蔵は、たとえばある風景を目のあたりにしたときに人が感じる感動とか情動をひきおこす原因となるものを〈_^風情【ふうじょう】^_〉と呼んでいる。これは絵画や音楽や詩歌の美的認識の基礎になるものの側から、感情という、大森言うところの「認識の一形態」であるものを考察しようとするために導き出された概念であるのだが、わたしはここでは、この概念がもつ批評性、あるいはこの概念がさまざまな芸術ジャンルにおける〈表現〉の問題において生成させる認識のフレームワークにとりあえず注目しておきたい。大森はこの概念を用いてつぎのように書いている。
「絵画の動機を風景や人物の視覚的再現に求めるという一般の通念であるが、風情という観念から言えばこの通念に訂正を加えねばならない。確かに絵画は風景・人物の写生、つまりその視覚的再現である。しかし、その真の狙いは知覚風景の上に乗る風情の再現にある、とみるべきではあるまいか。画家の目指すのは知覚風景の写真のような再現写生ではなくて、その対象が与える美的感動なのであり、その美的感動をになうのはまさに風情だからである。」(「風情と感情」、「現代思想」一九九〇年七月号)
 大森はまた、こうした実際に視覚が捕捉する物理的現実としての風景──山のかたちとかその表面の材質といったようなもの──そのものではなく、まさにその物理的現実をひとつの感動の源泉たる風景たらしめているものの知覚、つまり風情の知覚を〈高階知覚〉と呼んでいる。言ってみればメタ知覚とでも言うべきものと考えてよいのだろうが、これらの概念がもっとも強力に作用を及ぼすのが、じつは言語と密接に結びついたときであると大森は指摘する。それは言語のもつ普遍化作用によって、たとえば絵画なら一匹の犬を描くにさいしてその犬の形状や特徴や画面上の配置などの構成とともにでなければ実現しえないのとちがって、〈犬が歩く〉と言えばただちにひとつの(特定のものでない)イメージが得られるという意味である。記憶のなかの風景にしても絵画にしても音楽にしても、個々の具体的な細部が脱落しひとつの情動なり感動なりイメージが残存しているというケースが日常的によくおこるのは、それらがすでに現実的知覚の記憶でなく、それらの高階知覚されたもの、つまり風情として記憶されたものだからである。大森が「_¨高階知覚¨_とは実は_¨思考の一種¨_である」と言うとき、それはこの知覚がすでに言語の普遍化作用の媒介を経ているものであることを示唆しているのである。そして文学言語、とりわけ詩の言語の問題が、こうした観点からみると、ひとつの大きな問題領域をかたちづくっているだろうことはもはや疑いようがない。
 つまり、詩の言語にあっては、個々の言語(単語)がもつとされる固有の意味とそれらのネットワークは字義通りのものとして把握されるべきでもなく、またそのように構成されてもいないということである。ある意味では当然のことだが、詩の言語は高階知覚ならぬ〈高階構成〉されたものとでも言うべき、言語の普遍化作用における重層化されたフレームワークのなかでの思考の運動なのである。逆に言えば、詩が詩であるということの自己同一性は、こうした〈高階構成〉を内部化しえた言語においてのみ成立するのだということができるかもしれない。(1990. 9. 13)

49
 書くことの非人称性あるいは匿名性。にもかかわらず、書くことの署名にあらわれる固有名の決定的な現前。この問題に一貫した哲学的関心を寄せてきたのは言うまでもなくジャック・デリダだが、このとき固有名とはどのような存在なのか。
 小林康夫は、論文「物語の狂気 狂気の物語」(『現代哲学の冒険8・物語』所収)をつぎのような問いではじめている。
「誰であるのか?──そのような問いにどのように答えるのか。たとえばおまえは誰であるのかと問われ、私は誰であるかとみずから問うて、その問いにわれわれはどのように答えたらいいのか。」
 この意味深い問いは、しかしながら、問われた者の外的な諸関係(社会的・共同体的な帰属性とか役割、地位といったような機能性)による規定を受ける過程をつうじて、〈誰?〉という問いではなく、〈何?〉という問いとして受け取られ、答えられることになると小林は指摘する。そこからさらにつぎのように論が展開されるなかで、固有名の問題が導き出されるのである。
「だが、もし〈誰?〉という問いが、ただ単にこうして〈何?〉という問いへと還元され、吸収されるのでないとしたらどうであろう。すなわち、この問いが、その度ごとの状況と相関する一般的な、外的な規定性ではなく、むしろ特異性──本質的に他と置き換え不能な特異性──をこそ目指しているのだとすればどうであろう。そのとき、この問いにわれわれはどのように答えるだろうか。誰であるのか?──すでに一般的には〈私は何である〉という形式の答えが排除されているこの場合に、もっとも容易な答え、そしておそらく唯一の可能な答えは、名つまり固有名をもって答えとすることであるだろう。」
 ここから小林の〈物語〉論は、ハイデガーの『存在と時間』の存在論を媒介しつつはじまっていき、モーリス・ブランショの『白日の狂気』という短いレシのテクストを経めぐりながら、物語においてこの特異性がハイデガー的な本来性や固有性をこえて、むしろそれらのカタストロフィとして実現されるのだということを明らかにしていくのだが、とりあえずここでは、この魅惑的な問いのまえに立ちどまってみたい。というのは、ここでまったく唐突にも、このような問い──〈誰であるのか?〉あるいは〈私は誰であるか〉という問い──を、ある意味では無骨そのままにみずからに問いつづけたように思えるひとりの詩人を思い浮かべざるをえないからである。それが菅谷規矩雄という固有名をもつことに、ひとはもはやけっして驚くことはないはずだ──少なくとも、菅谷の死によって明らかになったカタストロフィックな、さまざまな遺稿やら事実やらを知らされたいまになっては。(1990. 9. 18, 20)

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思考のポイエーシス1990年8月

44
 現代詩のおかれている状況とは洋の東西を問わず困難なものらしい。最近刊行された 『[総展望]フランスの現代詩』によれば、それぞれの歴史的コンテクストのちがいはともあれ、フランスにおいても、詩が現在、読者を十分に惹きつけられないでいること、したがって詩集の売れ部数もきわめて限定されていること(あのマルスラン・プレーネの詩集でさえも二六〇〇部だということだ)、詩人の社会的な影響力がほとんどないことなどがよくわかる。いまさら言うまでもないが、現代詩がみずから孤立の道を歩みはじめなければならなかった必然は、日本においてと同様、フランスにおいても当然あったのだと考えざるをえない。このフランスにおける事情をすこし考えてみたい。兼子正勝は構造主義詩学における〈主体〉概念の転倒──主体の優位をことばの優位へおきかえるという──にあらわれる切断の思考について述べたあとで、アンリ・メショニックのいう主体にふれてつぎのように書いている。
《メショニックのいう主体とは、構造主義以前の主体でもなければ構造主義が抹殺した主体でもない。それは両者に共通する切断の身ぶりをのりこえた、別種の意味での主体である。その主体は言葉のなかに生きている。言葉そのものとして生きている。それは哲学が語る抽象的な主体ではなく、具体的な言葉であるような、言葉の具体的な組織であるような、具体性そのものとしての主体である。メショニックが「歴史性」という言葉をしばしば使うのは、そうした主体の具体性を時間のなかに位置づけるためである。思考の主体や認識の主体とは違い、言葉としての主体は時間のなかにある。しかも戦いとしての時間、歴史としての時間のなかに。》(「詩学のゆくえ」)
 いくつかの留保はつけなければならないとしても、要するに詩のことばという主体とは、超越的な主体性ではなく、歴史的時間のなかに限定された個としての詩人存在が特定の文化状況のなかで発することば──主に詩として書かれたことば──が、それを書いた詩人の存在をこえてわがものとしてしまう主体性のことなのである。言いかえれば、詩人存在の無意識とその意識化の相互作用のはてにうみだされた詩のことばが、結局はある時代の命運を、あるいは精神を、まさに詩のことばそのままのかたちで、つまり他におきかえのきかないことばのつらなりとして、告知し了せてしまうということなのである。それは必ずしもハイデガー的な意味での〈真理への生起〉ということであるわけではない。それどころか詩のことばの具体性というテーマがおのずと示しているように、詩のことばはそれ以前に先験的に存在するようななにものか真理的なものへの志向性としてではなく、それ自体の具体的存在がもうそのことだけである本質的な存在であるような現象なのである。詩のことばは、ある意味では哲学的ディスクールに抽象される一歩手前で現前しつづけようと意志することばなのだと言ってもよい。
 ともあれ、このように現象であり現前しつづけることをその根源的モチーフとしようとする(メショニック的な)詩のことばの主体とは、これまでの詩にたいする考えかたとどこかで大きくちがってきている。それをたとえば兼子正勝のように、マラルメ―フロベール―ソシュールの線で絶対化され、「構造主義詩学」によって定着された「文学」の自立性の終焉と対照するのもわるくはない。
《それ自身、言葉を閉ざされたものとみなした「構造主義詩学」とは、マラルメ―フロベール―ソシュールからはじまったひとつの時代、ひとつの場所の理論であり、その場所を解読するために最後につくりあげられた理論だからである。メショニックのさまざまな批判を通して、いま終わろうとしているのは、そうした「文学」の言葉の場所である。ものを書くこと、物語ることとしての文学そのものが終わるのではない。そうではなくて、「切断」に根敷を置くひとつの文学が、「文学」として絶対化された文学が、終わりつつあるというのである。》(兼子、同前)
 構造主義詩学がマラルメ―フロベール―ソシュールのラインとどこでどのように結びつくのかはあまり定かではないが、詩の、文学のことばにたいするとらえかたとしてはいちおう納得がいく。わたしには、マラルメもフロベールもソシュールも兼子が言うほどには構造主義詩学の創設の役に立ったとは思えないが、しかしかれらの仕事がこのような視角からみれば「言葉を閉ざされたものとみなし」たところで展開されたことはたしかである。つまりは個我の完成であり、そこからの脱出の探究である。わたしならこれは〈近代〉意識のそれぞれの領域における極限の相とみなしたい気がするが、いずれにしても、メショニックが近代的な文学と考えられていたものから転換させようとするものが、他者との交通を孕んだ空間であり、そこでは関係はつねに開かれたものでなければならないとされていることに注目しておきたい。詩が脱文学であることによって文学であり詩であるためには、すくなくとも現代的なテーマのひとつとしての他者との関係、他者とのコミュニケーションという課題をあらためて問題にせずにはいられないのである。(1990. 8. 5)

45
 詩と哲学の接近……そしてこの両者のあいだにあまりにも明らかに存在する深淵。
 詩はついに哲学でなく、哲学もまた詩になることはない。
 詩人にして哲学者という者はすくなからず存在する。しかし詩がそのまま哲学であり、哲学がそのまま詩であるということは、比喩としてならばともかく、現実にはありえないことである。正確に言い直そう。詩のテクストと哲学のテクストは、精神という比喩のレヴェルにおいて接近可能であるにすぎず、テクストという形態上の審級においてははっきりと区別されざるをえない。哲学のテクストは、それがなにものかを思念し、秩序づけ、分析し、なにものかにむけて構築しあるいは脱構築するかぎりにおいて、ひとつの志向性をもつものであり、そうした明確な志向性をもたない詩のテクストとは位相を異にするからである。
 しかし、詩は哲学をたえずみずからの領土に引き入れようとする。言いかえれば、詩は哲学的な思考によって強化されることを望むのだ。フランスの詩人ミシェル・ドゥギーはこう語る。
「詩的行為の瞬間、詩的エクリチュールの瞬間というのは、或る準備期間によって糧を与えられ、養われ、そしてはじめて可能となる瞬間なのであり、この準備の中には文学を読むこと、哲学を読むことなどが含まれる。」(インタビュー「詩の〈物〉たちをめぐって」、『[総展望]フランスの現代詩』所収)
 この意識のありかたを主知的であると言うならそう言ってもよい。これが詩人のすべてに共通の問題意識だとまでは言わないが、多かれ少なかれ、詩人にはこれぐらいの知識と関心はあってしかるべきだろう。ドゥギーはこのことを「詩へと精神を赴かせるための哲学」とも呼んでいる。この強靭な詩学!
 いま哲学のテクストの志向性にたいして、詩のテクストは志向性をもたないというふうに規定したが、じつは哲学にあと押しされた詩は、それ自体が強力な実践であり、自己再帰的な運動性を秘めているという意味では、ひとつの強力な志向性そのものなのかもしれないのである。ミシェル・ドゥギーはさらにこうも言っている。
「私は、真の詩とは、それが言っていることをみずから行なっている詩だと思う。詩が語っているところの事物を、詩そのものが、シニフィアンの物質性において或るやり方で模倣している、そんな詩こそ真の詩だと思う。」(同前)──これはいささかきびしい限定が必要なことばだが、ドゥギーの言いたいことが、詩の自己産出性であり、しかもその形態上のレヴェルでのそれをふくむ絶対的な自己産出、自己組織の問題であることはよくわかる。_^自己生成【ポイエーシス】^_としての詩は、フォルムのうえにおいても自己産出的なのだ。こうした方法の困難を選びとることが現代詩の孤立の原因のひとつであるにしても、その絶対的な自己産出性が具体的なことばの実現を通してしか生成しない以上、これ自体が孤立から他者へむけてひらかれようとしているコミュニケーションの一形態なのかもしれないのである。(1990. 8. 6, 7)

46
 医療という〈知〉のシステム、〈知〉の権力。
「医療という分野では、〈知〉がただ単に権力としてあるのみならず、その行使を非=〈知〉の側が積極的に望んでいるという奇妙な現象が、日常茶飯となって現われている。」(「ポリ・ポジション11」、「防虫ダンス」II―3号)
 加藤健次は、フーコーにしたがいながら、現代の医療システムがいかにそれ自体権力的でありながら、それ以上に、治療される側の非=〈知〉=無権力の要請にもとづいてその権力が有効に機能させられているかを明らかにしている。さらに加藤はこうも書いている。「抑圧される側が嫌がる権力、そこにはもうすでに権力の実体はない。人々によって望まれた権力、それが問題なのだ。」──そう、たしかに権力がその十全な威力を発揮するのは、人びとの無意識のなかにそれと知られずにとりこまれ、それによって支配・抑圧の構造が、その支配され抑圧されるはずの側の人間の欲望や喜び_¨とともに¨_現出するようなときなのである。このことは、たとえば治療というシステムにおいて、病人や患者が医者にみずからの身体をまるごと委ねるときの、あの絶望的な信頼が〈知〉の権力への非=〈知〉の側からのある種の自己無化への欲望と一体化したものであることを想起してみればよい。そしてこの治療システムという〈知〉の権力構造が、程度の差はあっても、現在の社会にあって、〈知〉の側に立つ者と非=〈知〉の側にいる者との関係のアナロジーとして働いていることは見逃されてはならないのである。つまり〈知〉の権力を行使することは、これを〈知〉の絶対性(無謬性)として拝跪する非=〈知〉の側からの積極的な支持なしには存立しえないし、さらに言えば〈知〉の権力を行使すること自体が、この関係を固着化しようとする秘められた欲望の実現でもあるのだ。この隠微な〈知〉の権力構造の二重性──下からの拝跪と上からの関係の固着化──を暴露しようとしない言説は、したがって大なり小なりすべてこの権力構造のネットワークの構成要素にすぎないのだ。(1990. 8. 13)

47
 ユルゲン・ハーバーマスの論文「多数の声部をもった理性の統一」(『ポスト形而上学の思想』所収)によれば、現在、〈統一性〉と〈数多性〉をめぐる論争的問題において、大きく言えば三つの党派が存在している。ひとつは、新たな装いをもって登場してきた形而上学的統一思考であり、もうひとつは、リオタールやローティ流の急進的コンテクスト主義である。単純に言えば、一方は観念的統一性の回復を、もう一方は「観念論が犠牲にしてきた非同一的なものや結合されないもの、逸脱的なものや異質なもの、矛盾するものや葛藤をひきおこすもの、うつろいやすいものや偶有的なもの、などといった契機を救済しよう」とするものである。そしてハーバーマスは、この両者の共通の敵とされている第三の党派をそこに組みいれようとする。それは「カントの伝統を継続しつつ、懐疑的で脱形而上学的ではあるが敗北主義的ではない理性概念を言語哲学的に救済しよう、と試みる人たちの人間主義」ということになる。これがハーバーマスの言うコミュニケーション的理性であって、この理性概念は、形而上学的統一思考からすればその偶発性という性質において弱すぎ、コンテクスト主義からするとその共約不能だとされる境界を往来可能なものとしてしまう点において強すぎるとされるのである。「多に対する一の形而上学的優位と、一に対する多のコンテクスト主義的優位は、ひそかな共犯者なのである」とハーバーマスが言うとき、それは統一性と数多性の二極を振子のように振動するハーバーマス的理性概念の中間性とその成立のあやうさを示していると言えないだろうか。この結果はつぎのようになる。
「私の考察は次のテーゼに行き着く。すなわち、理性の統一は依然としてその多数の声部のうちでのみ聞き取れる──たとえどれほどその場その場のものでしかないとしても、やはり理解可能であるような、ある言語から他の言語への移行の原理的可能性として、聞き取れるのである、と。」
 このような結論はいかにもハーバーマス的な思考であって、たしかに敗北主義的ではないかもしれないが、しかしここで言語哲学的に救済されうる問題がコミュニケーション的に討議されうる問題に限定されているということが見落とされている。つまり、哲学の言説は、論理として交換可能なコミュニケーション性というレヴェルにおいてしか問題化されることができない、ということである。言うまでもなくハーバーマスは、哲学的ディスクールを文学的なるもののいっさいから峻別しようとしているのであって、それは哲学を専門家集団内部において秘教化しようとすることにひとしいのだということが見落とされているのだ。なぜならコミュニケーションの言語的了解の可能性は理論的・抽象的にはともかく、けっして同致しえない差異をもつ人間同士のあいだでは現実的には部分的にしか成立しえないのはあまりにも明らかだからである。(1990. 8. 27)

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思考のポイエーシス1990年7月

41
 問いと答えの関係についての論理というものが存在し、それを「エロテーチック・ロジック」erotetic logicと呼ぶ。飯田隆の解説によれば、「問いの真偽を問いに含まれる前提の真偽と同一視しようとすることによって、問いと答えの意味論を展開しようとする」(「問いと答えの論理」、「創文」一九九〇年一・二月号)のがベルナップの方向である。そのベルナップのいうエロテーチック・セマンティクスの基本定理というのが傑作である。いわく「ばかげた問いにはばかげた答えしか返って来ない。」──これはたしかに基本的に正しい論理にちがいない。(1990. 7. 7)
[41~65=野沢啓「思考のポイエーシス(2)」として「走都」20号(1991. 11)に掲載]

42
 デカルト的コギトの問題。この近代哲学の出発点となった主題──思考それ自体への問いという思考の問題──は、哲学を志向する者にとっての、まさにもっとも切実な課題、いや、ひょっとすると、哲学的思考を可能なものにしうるかどうかの試金石でもあろうか。ともかく思考という問題についての、それ自体重要かつ根底的な問いの宝庫であり、何度でもアプローチしてみなければならない鉱脈である。[この主題については、すでにこの「思考のポイエーシス」5、34、35、36節でわずかずつではあるが、触れているので参照してほしい。]
 高橋哲哉によれば、ハイデガーは〈Cogito sum〉のなかに「存在とは被表象性である」という命題の表明をみている。そしてハイデガーによるデカルト的コギトの解釈はつぎのようなものになると言う。
「デカルト的自我は、_¨表象する¨_自我として_¨表象される¨_自我であり、その存在はこの意味での被表象性に完全に還元される。Cogito <I>ergo</I> sum(われ思う_¨ゆえに¨_われ在り)というのも、〈われ〉は〈われ思う〉つまり〈われ表象す〉において、〈表象するもの〉として必然的に表象されており、そのかぎりでこそ確実に存在するということ以外ではない。」(「コギトの闇と光──デカルトと『主体』の問題」、「人文科學科紀要」第93輯・「哲学XXV」所収、傍点―原文通り、イタリック―原文)
 高橋はここに、ハイデガーの解釈が、デカルト的コギトへの古典的および現代的な〈合理主義的〉諸解釈に〈形而上学的根拠〉を与えていると見ているのだが、同時に、このハイデガー的解釈の帰結が結局は〈存在者の対象化〉への意志としての〈対象的表象作用〉にすぎず、デカルトの思考の根本的モチーフとその可能性を見誤っていると批判する。これにつづけて高橋はつぎのように言う。
「デカルトの懐疑は、その最後の審級においては、可能なすべての対象的存在者を〈存在しない〉と想定する懐疑であり、このように想定する_¨この¨_疑いそのものがコギトの思惟として捉え返される以上、この思惟の本質を表象作用に見ることは決してできないと言わなければならない。」(傍点―原文通り)
 さらに高橋は、この引用部分への注において、「デカルト的懐疑の意志は、結局はロゴスの循環の内に再び捉えられることになるにせよ、たしかに一度はロゴスの外を意志したのだということを、ここで確認しておきたい」とも書いている。ロゴスの外に出ようと意志するロゴス! 高橋哲哉のデカルト論の根源的モチーフはどうやらこのあたりにあるような気がするが、その点を高橋は、哲学者ミシェル・アンリの〈自己触発〉(auto-affection)という概念を媒介にして説明している。高橋によれば、アンリの〈自己触発〉とは「思惟を根元的に自己自身に与え、思惟をそれが在るところのものたらしめる〈自己自身を感ずること〉」である。つまり〈思惟〉が〈意識〉として〈自己自身を感ずること〉であり、「触発するものと触発されるものとの同一性が」「_¨具体的¨_・_¨実質的な経験¨_」であることを示しているということである。
 ロゴスが〈主体性〉と究極のところで密着してしまうというハイデガー的「主体性の形而上学」つまり〈ロゴスの哲学〉としてのデカルト的コギトの解釈でなく、それらの外部への志向性、つまり具体的な経験という現実性への通路をつけようとする思考としてのデカルト的コギトの可能性──高橋哲哉がハイデガーとミシェル・アンリを媒介にしながら最終的に言及しようとしたのは、こういう新しい哲学的地平をきりひらいてみせることだったのではなかろうか。(1990. 7. 22)

43
「他者なしに言葉はない。言葉はつねに他者に向かって語られ、他者に向かって書かれるものだ。特定の他者が現に眼の前にいるかいないか、また他者が、特定の他者であるか不特定の他者であるか、単独の他者であるか複数の他者であるかは問題ではない。そもそも〈他者への関係〉が問題にならないところでは、語ることにも書くことにもなんの意味もないだろうということである。(原文改行)だから、哲学が必然的に言説であり、言語活動であるならば、哲学はまた必然的に〈他者への関係〉でもあることになる。」(高橋哲哉「歴史 理性 暴力」、『現代哲学の冒険3・差別』所収)
 これはまたじつに明快かつ率直な哲学的ディスクールの言説性の確認であることか。しかもこれまでの高橋哲哉のていねいな文体とはかなりトーンがちがって、あたかもコミュニケーション論者であるかのように、書く(語る)こと―ことば―他者(との関係)、といった三項図式が前提されているかのような語り口にさえ思われるほどなのである。もちろんこの図式は、のちに見るように、脱構築的に転倒されるべくここに導かれているのであって、たとえば〈他者〉という概念ひとつをとってみても、通常の意味だけではなく、レヴィナス的な、徹底的に共同体外的な、つまり了解しあう地平を共有しえない〈他者〉という意味をも当然ふくんでいるのである。しかしそうだからと言って、高橋がここで試みようとしていることが、絶対的に不可能な関係の超越的設定を哲学的ディスクールとして幻想的におこなおうとするのではないことは明らかである。その逆なのだ。だから高橋はこう書く。──「私が問題にしたいのは、むしろ、哲学が言説あるいは言語活動として必然的に〈他者への関係〉であるならば、哲学はまた必然的に_¨倫理的¨_-_¨政治的¨_射程をもつ、言いかえると、_¨暴力の偏在する世界¨_において自己を実現しなければならない、ということである。」(同前、傍点―原文通り)
 そして高橋哲哉は、哲学のこうした倫理性-政治性の負の側面を、一見そのようには見えず、むしろきわめて理性的であるようにしか見えないフッサールの歴史への視点、一九三〇年代ヨーロッパ世界の危機的状況にたいするフッサールの理性への信頼(信仰)のなかに読みとろうとする。なぜならフッサールにおける危機とは汎ヨーロッパ主義の危機にほかならなかったからである。そこにはユダヤ人を排除しようとするナチズムによってユダヤ人である自身が〈ヨーロッパ〉という共同性から差別されてしまうという背理、そのことによって〈他者への関係〉どころか、みずからが〈理性の他者〉たる暴力によって〈他者〉化されてしまうという背理が生じたのである。
 ところで普遍的理性としてのフッサールの汎ヨーロッパ主義は、時間軸のほうに転ずると、ヨーロッパ的現代を絶対的基準として、そこからすべてを序列化し価値づけるという暴力性を帯びようとすることになる。そこから高橋哲哉はイタリアの民族学者デ・マルティーノの歴史研究をフッサールの汎ヨーロッパ主義的方向にたいして相対的に肯定的な評価をくわえていくのだが、それは、デ・マルティーノが『呪術的世界』で示したように、それぞれの共同体がかかえている世界はけっして現在のヨーロッパ的世界への発展の途上にあるのでもなければ、それによって意味づけられるものでもないという見方が確立されているからなのである。そのことを明確に語っている高橋の文章を引いておこう。
《「歴史研究」もしくは歴史的省察において、あるいはもっと一般的に、われわれの〈歴史への関係〉そのものにおいて、〈われわれの現在〉の特権はほとんど絶対的であるように見える。事実われわれは、どんな歴史的他者についても、〈われわれの現在〉からまったく独立に、それが「自体的になんであるか」を知ることはできないだろう。〈われわれの現在〉はあらゆる歴史的了解行為の根本形式であり、〈他者の現在〉を「自体的に」知ることは不可能である。(原文改行)だが、_¨他者とはまさに¨_、_¨この¨_「_¨自体的に¨_」_¨知ることの不可能性によって定義される¨_のではないだろうか。そしてそうだとすれば、われわれはこの不可能性から、〈他者の現在〉の「意味」や「課題」の〈われわれの現在〉への_¨還元可能性¨_を引き出すのではなく、まったく逆に、その_¨還元不可能性¨_をこそ引き出すべきではないだろうか。》(同前、傍点―原文通り)
〈他者〉のわれわれにとっての還元不可能性──これこそ決定的に重要な視点であり、それはわれわれもまた他者にとって還元不可能な存在にほかならないことをあらかじめ示しているのである。(1990. 7. 24)

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思考のポイエーシス1990年6月

38
「_¨内面性¨_、_¨それは¨_、_¨存在において¨_、端緒がすでになにかに先行されているという_¨事態¨_なのである。しかし、この先行するものは、けっしてそれを引き受けるような自由な眼差しに現前するのではなく、けっして自らを現在にも表象にもしない。すでに、なにかが現在の《頭上》を無視して通過してしまっており、しかも意識という臍帯を横断してはいなかったのであり、それは回収されはしないのである。端緒そして原理に先立つなにか、存在に_¨逆らって¨_、無-始源的にan-archiquement あるなにかが存在を逆転させ、存在に先行する。」(エマニュエル・レヴィナス「人間主義と無-始源」、『他者のユマニスム』所収、傍点―邦訳原文通り)
 この内面性の規定は、存在論的立場からすれば、根源的な逆転の契機を孕んでいるように見えるかもしれない。なぜなら、このようなかたちでの内面の存在にたいする先行を認めるとすれば、存在論的存在──ハイデガー的な意味での存在者の存在──はみずからの起源としての根底を失なうからである。とはいえ、内面性という存在に先行するなにものか、このけっして現前しない存在あるいは非在が伝統的形而上学に由来するものであり、レヴィナスの思考がこうした形而上的内面性などというものに加担するはずのものでないことは、レヴィナスがハイデガー哲学の影響下にあった哲学者であることを想起するまでもなく、明らかなことである。にもかかわらず、内面性を志向する意識の動きがあとをたたないとすれば、この無規定な存在、つまり存在への先行性という形而上的意味しかもたない非現前の存在とは、存在そのものにとって、ある種の先験性なのかもしれない。内面性の追求が文学の主題でなくなって久しいが、いまの文学はかつての内面性に代わるものとしてなにをもっているだろうか。書くことについての文学、さらには書くべきなにものもないということについての文学には必然性があったが、これらをどうのり超えていくのかが今後の文学の最大の課題にちがいない。それはむろん哲学の課題でもある。(1990. 6. 7)

39
 レイモンド・タリスは、そのポスト構造主義批判の書『アンチ・ソシュール──ポスト・ソシュール派文学理論批判』のなかで、フランク・レントリッキアの見解をつぎの三つに整理している。
「(I)シニフィアンとシニフィエの価値が差異的なものにすぎないのならば、ある発話とかある詩篇とかの、一つのまとまりをなす言語の意味は差異的なものにすぎないということになる。/(II)一つのまとまりをなす言語の意味が差異的なものだとすれば、いかなる陳述──発話であろうと、詩篇であろうと──も孤立したものではないということになる。/(III)いかなる詩篇も孤立したものでないとすれば、それ自体で詩だと言えるような詩篇などないということになる。」
 タリスはこれらの見解を順を追って批判していき、結論的には(III)の見解にたいしてレントリッキアがほんとうに賛成しているのかどうかわからないと言っている。挙句のはてに、レントリッキアのような批判精神の強い批評家でさえ、「ポスト・ソシュール派批評のばかばかしい主張に懐柔されて同伴者にな」っているとまで言い切っている。〈リアリズム〉擁護の立場をとるタリスの観点からすればおそらくそのような理解にならざるをえないのだろうが、ここでレントリッキアの見解とされている、とりわけ(III)の議論は、タリスの批判にもかかわらず、詩(ポエジー)と詩篇(ポエム)の存在にかかわる本質-現象としての差異としてはじつにまっとうな見解であると言ってよい。つまり詩を詩として成立させるディスクールの形態学的根拠はどこにもないと言っているにすぎないのだから。問題はこの認識を、それではどうすれば詩が詩になるのか、つまりひとつの詩篇が他の詩篇とは独立して存在を主張しうる形象として認知されることになるのかという事態を理論的に究明することである。これについての答えはまだ明確になっていない。(1990. 6. 10)

40
「言語は、表現として、なによりもまず、詩の創造的な言語である。ということは、芸術は美なるものを作り始める人間の幸福な逸脱などではないということだ。文化と芸術的な創造とは、存在論的な領域そのものの一部なのである。それらは、すぐれて存在論的なものなのであり、存在の理解を可能にするものなのである。」(エマニュエル・レヴィナス「意義と意味」、『他者のユマニスム』所収)
 言語の存在論的領域としての詩的言語。この言語は、美をつくる人間が芸術的逸脱ないし逸脱としての芸術として意味づけられ意識化された言語の有意味性の水準にあるのではない。言いかえれば、ある存在の意味の理解が先行し、そこから射出されてくる意味領域にこの詩的言語が実現するのではないということだ。そうではなくて、逆に、この存在の理解さえもあやふやな領域、なによりも言語的実現が優先してしまう領域、そしてそこから存在そのものがすこしずつ姿を現わしてくるような領域、いやむしろ、その存在そのものが言語そのものであるような領域こそが詩的言語の成立する場所なのである。レヴィナスはこの論文で、〈意味〉sensとは別の水準にあり、意味以前であるとともに、意味を超越するような全体──〈照らし出す全体性〉〈光る存在の全体性〉とレヴィナスは言う──としての〈意義〉significationの領域を措定し、その超越性が詩人と芸術家を創造へ導くのだと考えている。〈意義〉とは〈知解可能なもの〉であり、またそれで十分なのだ。〈意味〉の狭く方向づけられ統一された領域でなく、〈意義〉の領域は存在可能性をすべてうちに含んでおり、存在の意味はそこから、そのつど汲み上げられるのだ。詩的言語が意味としてではなく、存在の可能性としてたえず問いなおし問いなおされるべきなのは、この言語が〈意義〉の領域に属しているからであり、しかもこの領域がけっして不変で永遠の実体ではないからだ。詩的言語はみずからの存在の理解をもとめて〈意義〉の領域のなかを模索しつづける運動なのである。(1990. 6. 10)

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思考のポイエーシス1990年5月

30
 一般に、社会科学者の論述は人文科学系の学問、とくに哲学や文学批評のそれとくらべると無味乾燥で貧弱なものが多い、というのがわたしのいつわらざる「偏見」である。哲学や文学批評が本質的に他の言語テクストにたいするメタ言説であるということからもくるのであろうが、それ以上に、社会科学系の人の文章は、言説そのものの展開の自律的な豊かさに同調することをきらって、ひたすら「記述」だけですませようとすることからくるように思えてしまう。要するに味もそっけもないのだが、そのことに社会科学者はすこしも疑問をいだかない。レトリカルな文学などつまらない枝葉末節にこだわっているだけであり、そんなことより理論の核心をなるべく簡潔に示すことのほうがはるかに重要だとでも言いたげなのである。
 ユルゲン・ハーバーマスの文章(=思考)とはまさにそうした社会科学者の言説の典型である。他の哲学者や思想者の言説にたいするハーバーマスの理解のしかたを見ていると、みずからのコミュニケーション的行為理論への親近性の度合によってのみ、その思想への評価が定まっていくように思える。これはあるいは理論家というものの宿命なのかもしれないが、まず理論への全面的な依拠ないし傾斜のうちでしかみずからの思考が起動しにくいものだから、その理論的枠組からすこしでもはずれる思考にたいしては、内在的な批判の視点が見出せないのである。デリダのテクストにたいするハーバーマスの理解などその最悪の例であって、ここにはもっぱらみずからの理論を一方的に外側から押しつけて、それにあわないと言って批判したような気になる、かなり程度の低いデマゴギーが見られる。しかしそれも、哲学と文学批評を機械的に二つの別個の言説ジャンルとして片づけてしまうような粗雑な理解を示すハーバーマスのことだから、デリダの文章も思考もわかるはずがないのだろうが。ハーバーマスの最新論集『ポスト形而上学の思想』の一章「哲学と科学は文学か」のなかでも、あいかわらずこうした低レベルの批判がくりかえされていることも参考になろう。また、オースティン、サールらの言語行為論への理解など、ハーバーマス的コミュニケーション理論との近接性において十分な評価が与えられているが、ここでも文学的ディスクールはあらかじめ特殊なものとして排除されているから当然の帰結としてそうなっているにすぎない。
 とはいえ「社会科学者」ハーバーマスにかんして言えば、その理論の射程はなかなかのものであることも忘れずに指摘しておかねばならない。たとえば現代社会の病理現象を解説しながらつぎのように言うとき、ハーバーマスの理論はある一面で正確に事態のダイナミズムを見据えているように思われる。
「生活世界の合理化が進んだからといって、再生産過程がコンフリクトを免れる確率が高くなるわけでは毛頭ない。ただコンフリクトの発生しうる水準が移動するだけである。生活世界の構造の分化にともなって、多様化するのは、社会病理現象の形態だけであって、構造上の構成要素のどれに、どのような側面で配慮がゆき届いていないかに応じて、多様な病理現象が発生してくる。」(『近代の哲学的ディスクルス』XII章)
「生活世界が規則化され、分解され、コントロールされ、そして監視される形で行なわれる生活世界の変形は、たしかに物質的搾取や窮乏化という露骨な形式に比べれば、より洗練された方法である。しかし心的なものと身体的なものに押しつけられ、内面化された社会的コンフリクトは、それゆえにこそ少なからず破壊的である。」(同前)
〈生活世界〉との〈対話的理性〉によるコミュニケーションをめざすハーバーマスは、これらの洞察によって、最近の幼女連続殺害事件のM君のような例をはじめとする、さまざまな大小の社会病理現象を説明するのに、基本的な枠組を与えてくれる。〈生活世界〉がフッサール以来の哲学の対象であるとしても、ハーバーマスの志向対象としてのそれはほとんど社会科学としてのそれに変容している。そしてその枠組にとどまるかぎり、〈生活世界〉はコミュニケーション的行為をつうじて、より現実的な解読にさらされている。ここでの論議はそれこそ妥当なものだと言っていい。ハーバーマス的モデルネの合理的理性はここでもっともすぐれた仕事をするのである。(1990. 5. 14)

31
《知的な資料をとりあつめ、傍におき、読みに読みこむ作業は〈考えること〉をたすけるだろうか。さかさまに、どんな資料や先だつ思考にもたよらず、素手のまんまで〈考えること〉の姿勢にはいったばあい〈考えること〉は貧弱になるのではないか。わたしたちは現在、いつも〈考えること〉をまえにしてこの岐路にたたずむ。そして情報がおおいため後者の方法にたえられずに、たくさんの知的な資料と先だつ思考の成果をできるだけ手もとにひきよせて〈考えること〉に出立する。》
《すでに知的な資料や先だつ思考の成果を〈読む〉ことだけが〈考えること〉を意味する段階に(段階というものがあるとして)はいってしまったのではないのだろうか。それ以外に〈考えること〉などありえないことになったのでは。ほんとはいつもこの危惧をどこかでいだいているのだ。》(吉本隆明『言葉からの触手』11節)
 吉本隆明の思考のポイエーシスが「どんな資料や先だつ思考にもたよらず、素手のまんまで〈考えること〉」に基礎をおいていることは疑うことができない。それどころか、明治以降の思想家のなかで、吉本ほど、その思想のオリジナリティのレヴェルにおいて、卓越した仕事を残している者は他にいないと言っていいほどである。そして吉本もこうした自前の思想形成のありかたとその結果にたいして、相応の自負をもっているのはたしかだ。ここで「知的な資料をとりあつめ、傍におき、読みに読みこむ作業」が思考だと思っている者、あるいは「素手のまんまで〈考えること〉」の貧弱さへの不安にたえられずに既成の知の整理におもむいてしまう者にたいして、吉本は疑問を呈している。そして同時に、こういう思考の形態にたいして感じとられる疑問が、けっして他人ごとではないという危惧と自戒をもみずからの仕事のうちに認めている。なぜなら、吉本のこれまでの思想の展開がいかに独創的であったとしても、それらは「先だつ思考の成果」からの積極的な吸収によって成立していないわけではないからであるし、そもそもそれ以外のありかたはむずかしいからである。いわば先人の思想の換骨奪胎によって吉本の思想も構成されていること、それは他の有力な思想家の場合と同様なのである。
 だからここで問題なのは、〈思考〉が「先だつ思考の成果」を〈読む〉ことだけに限定されてしまおうとする一般的な知の傾向──それをシミュレーションとしての〈思考〉ととりあえず呼んでおこう──にたいして、いかにして自前の思考の展開を可能ならしめ、そのオリジナリティのレヴェルを維持することができるか、という問いなのである。『言葉からの触手』という本は、したがって先行する思考のことばによってシミュレーション化された〈思考〉のあとをたどるのではなく、いまだことばによって明確に名指されていない領域に踏みこんでいこうという試みなのだ。
 ところで、こうした主題をもつ『言葉からの触手』のさまざまな言説を批評的モチーフとして新たな言説をくわだてようとするわれわれの営為とは、それが「先だつ思考の成果」たる吉本隆明の一著書を〈読む〉ことにほかならないとすれば、それはすでに吉本の主題そのものによってあらかじめみずからのよってたつ地盤を掘り崩されているのではなかろうか。もしそうでないふうにするとすれば、吉本の言説を「読みに読みこむ作業」をつうじて、その中心的モチーフを打ち抜いて可能なかぎり遠くへそこから離脱してしまうほかにない。この課題が苛酷なものとなるだろうことは、この意味で自明なのだ。(1990. 5. 20)
[31, 35~37=野沢啓「思考と〈現在〉のあいだ──吉本隆明『言葉からの触手』に関連して」の1~4として「飢餓陣営」6号(1990. 8)に掲載、のち野沢啓『隠喩的思考』(1993. 11)に収録]

32
「思索と詩作は、ロゴスの二つの道である。思索と詩作は言葉によって創造され、言葉に奉仕する。それらはともに〈根源的な詩作〉(Urdichtung)なのである。」(「言葉と存在」、「現代詩手帖」一九九〇年五月号)
 久米博はハイデガーの言語思想に触れてこう書いている。思索と詩作の語呂あわせはともかくとして、ハイデガー的な意味での哲学と詩の結婚、それらの根源性について考えること。(1990. 5. 22)

33
「なにも証言者のためには証言しない」と言ったというパウル・ツェラン。あるいはイヴ・ボヌフォワの証言によれば、「_¨あなた方は¨_(フランスの詩人たち、西洋の詩人たちのことをさしていた)_¨自分の家の中にいる¨_、_¨自分の言語の中¨_、_¨保証人たちの中¨_、_¨書物の中¨_、_¨好きな作品の中にいます¨_。_¨このぼくはその外にいるんだ¨_」(「パウル・ツェラン」、「現代詩手帖」一九九〇年五月号、傍点―邦訳原文通り)と語ったというツェラン。この存在することの圧倒的な離人症的あてどなさ、自己の他者性、つまりは自己同一性の解体こそが、ツェランにおいて詩作すること以上の根源性を呼びこんでしまっていたのにちがいない。根源的な解体とは死をも二次的なものにし、その死(自殺)によってツェランはわれわれの共同性のうちに回帰しえたのではないか。(1990. 5. 22)

34
 小林康夫はデカルト哲学における、表象の存在以前にある表象装置としての〈コギト〉(私は考える)という審級の絶対確実な存在を指摘し、それがデカルトにおいては〈神〉の存在の証明へと方向づけられていることを認めたあとで、つぎのように書いている。
「神は私が持ち得る幾多の表象のうちで唯一、世界と対になったその表象装置に還元できない特異な表象、しかも他のすべての表象が、〈完全さ〉に関して、その一点へと収斂されるべき一種の透視法の消失点のような機能を果たしていることになる。神は表象装置の外にあるが、それはまさに無限に外にあるような仕方で外にあるのである。そして、それ故に同時に、神は_¨はじめから¨_私のなかにあるのでなければならない。」
「私──つまり表象能力を持つものとしての私、コギトという装置を可能にしているものとしての私──は神の作品であると同時に、神の表象なのである。コギトという表象装置において、私は神と同じ無限の一点の場所をしめるのである。」
「デカルトの思想は、きわめて単純化してしまえば、世界への問いと神への問いとを同時に、同じような仕方で、つまり光学-幾何学的な仕方で問うことに存していたようにすら思われるのである。そしてこの光学-幾何学的なアプローチこそ、表象という問題を主体の装置として解明し、また逆に主体を表象の装置として確立することを可能にしたように思われるのである。」(「デカルト的透視法──表象装置としてのコギト」、「現代思想」一九九〇年五月号、傍点―原文通り)
 ここから小林康夫は、透視図法という表象の方法が主体という概念の近代的な意味での成立をうみだしたことを確認していくのだが、それと同時に、主体が、見る主体と表象する主体として一致することをつうじて〈点〉にすぎないものに還元されていく必然をも示していく。透視図法が普遍的な制度として確立されるということは見る者が不要になるということであり、視線あるいは表象そのものに化すことである。小林によれば、主体ははじめから分断され、分裂させられていたのであり、「光と闇に、可視性と不可視性とに、理性を情念ないしは欲望に分裂させられ」た主体として、もうひとつの近代的主体にたいする超越性として追放されたことになる。そしてじつはこの超越的主体、〈神〉という無限の外部あるいは外部の無限性にも比すべき存在こそデカルトの表象装置としての〈コギト〉であり、それはほとんど無限小の点と化すことによって、逆説的に普遍化された存在、表象(思考)装置としての絶対性に転化しうるのである。(1990. 5. 24)

35
 吉本隆明の思考のスタイルは、おそらく、その見かけとはうらはらに、きわめてデカルト的なものではなかろうか。『言葉への触手』のなかで(さきの引用のすぐあとで)、ただ一個所、デカルトについて触れているところがある。
《〈考えること〉の範囲にはいってくるすべての事物は、おなじ仕方でつながっているから〈真〉でないものを避け、そのうえ演繹する〈順序〉さえ間違えなければ、どんなとおく隔ったものでも、かならず到達できるし、どんな隠されたものでもかならず発見できる。これがデカルトの確信だった。当然いちばん単純で、いちばん認識しやすいものが、デカルトの〈起源〉にやってきたのだが、そういうデカルト自身もまったくおなじ理由で〈考えること〉の〈起源〉になった。》(11節)
 言われていることはとりたてて重要なことではない。デカルトについての認識としては常識的な部類に属するものだとさえ言ってよい。ただここで重要なのは、吉本隆明がみずからの思考の原理を考察するにあたってデカルトの方法を想起しているということのほうなのである。そして、思考を展開するにあたって、先人の思考に依拠することもなく、しかしいたずらにそれらを排除することもなく、〈考えること〉の運動に身をあずけることによって、そのあるがままの姿をさらそうとすることのほうなのである。デカルト的であるというのはこの思考の姿態においてにほかならない。
 ところでデカルトの〈コギト〉とは、思考する主体の存在をほんとうに保証するものなのだろうか。あるいは吉本の言うように、みずからの存在の〈起源〉となるものなのだろうか。〈コギト〉とは、〈わたし〉という空虚な存在の内部にもうひとつの世界を劃定することにすぎないのではないか。内部にうみだされた外部──。そしてこの外部とはじつは〈内部〉の内面化されたものである──〈コギト〉とは、こうした無限に縮小する入れ子構造をとった世界にすぎないのではないか。デカルトは、思考の運動と存在の論理とが切りむすぶこの究極の一点(もしそういうものがあるとするならば)を〈コギト〉と名づけたのではないか。そのときつぎつぎに排除されていった残りの部分はどこへいってしまったのだろう。それらはじつは跡形もなくなってしまったのではないだろう。むしろ思考の運動にともなって、思考のまわりにつぎつぎとまとわりついてくる不純物、偶然そこにあるものとしてよみがえっているはずだ。しかも、それらの存在を媒介にすることによって思考は、仮構された思考の原理(〈コギト〉) から出発することができるし、みずからの運動を持続させることもできるのではないか。そうであってみれば、思考の純粋な運動などというものがあるのではなく、そのように見えるものがあるとしても、それは思考の運動を抽象のレヴェルで見たときにそうであるにすぎない。
 小林康夫は、その卓抜なデカルト論のなかで、透視図法のもたらしたものが、人間の表象史のなかで歴史上はじめて〈視点―表象―物体〉という関係、つまり人間の視点とその対象とのあいだに〈表象〉という第三項を発見することであったと書いている(「デカルト的透視法──表象装置としてのコギト」、「現代思想」一九九〇年五月号)。そしてさらに、見る主体と表象する主体の一致によって近代的主体という概念が成立したことを示しつつ、それが同時に、この主体の分裂をもうみだしたということを鋭く指摘している。つまり、見る主体は表象する主体でもあると同時に、そういう主体であることができないのである。すくなくとも、表象する主体であることは見る主体であることから生成したにもかかわらず、この見る主体をも対象化する関係のなかにはいっていかなければ、みずからの〈表象〉の位置を持続させることができない。それは、さきにふれたように、〈内部〉の内面化された外部であることによって、しかもこの関係を重層化させることによって、ひたすら分裂の度をますことにほかならないからである。それはもはや二重性とか複層性とかといった概念ではとりおさえることのできない自己破壊的な衝動につらぬかれた運動性と言ってもよい。デカルトの思考とはそのような暴力的な狂気を孕んでいたのである。(1990. 5. 25, 27)

36
《思考にふさわしい環境は、身体にふさわしい環境とおなじだ。だが思考しているときには身体は無意識になっているか、思考そのもののなかに熔融してしまっている。一瞬内省する眼ざしのとき思考しているじぶんの身体の_^像【イメージ】^_が視えたとおもうだけだ。思考のなかに融けてしまった身体が、そのときいわば無意識の像の水面にさざなみをたてたのだ。おなじように思考するじぶんの身体を、思考の対象にしたいとおもって振舞うとき、身体の_^像【イメージ】^_が視える。》(『言葉からの触手』8節)
 吉本隆明がこのように書くとき、それは思考の身体性を指すのでもなければ、身体によって拘束された思考の規定性を指すのでもない。それよりはむしろ身体が思考において無意識化される過程、身体という外部が思考という内部において消失する過程を指しているのである。そしてこのことは、前節で触れたように、小林康夫の指摘する〈デカルト的透視法〉における〈視点―表象―物体〉という関係のなかで、〈視点〉が不要となり〈表象〉の働きばかりが肥大化してくる事態と対応している。そのさい、思考(表象)する身体そのものが思考(表象)の対象となることがあっても、それは〈物体〉的対象であるよりも、ほとんどイメージ化されてとらえられるにすぎないものと化している。言いかえれば、思考する身体とはすでに〈表象〉の一部なのである。
 このことはたとえばエマニュエル・レヴィナスのつぎのような見方と比較するとき、そこに微妙な差異が見られる。
《身体〔と〕は、思考が、それが思考している世界のなかに入り込んでいるという事態、そしてその結果、思考は、この世界を思考していると同時に表現しているという事態なのである。身体の身振りとは、神経的な放出なのではなく、世界の奉祝であり、詩であるのだ。身体とは感じられる感じるものである(……)》(『他者のユマニスム』)
 思考の二重性、二重存在の形式としての身体。つまり〈感じられる感じるもの〉としての身体、言いかえれば表現しつつ表現されるものとしての身体がここで論及されているのだが、吉本隆明の〈身体〉は、すでに〈表象〉の一部としてイメージ化される存在となっている。その意味ではレヴィナスの直接性、根源性にくらべて、吉本のほうがより媒介的、表象的である。それは思考と身体の関係が、レヴィナスの場合が身体的側面を重視しているのにたいして、吉本の場合は思考の働きに一義性を見ているからかもしれない。
 いずれにせよ、このように〈思考〉について考える吉本隆明はたしかにデカルト的である。しかしここから〈現在〉という主題に移ろうとするとき、奇妙なほど反デカルト的になる。
《現在は、すでに〈考えること〉のとおくまでやってきた。〈考えること〉は、単独でも、また〈考えること〉をしているときだけ、確かに存在しているようにみえる〈わたし〉とひと組みでも、もう存在〔し〕なくなってしまった。知的な資料をとりあつめ、先だつ思考などを〈読む〉ことで、その主題に同一化することだけが、起源にある〈考えること〉に対応している。この現状では〈わたし〉はただ積み重ねられた知的な資料と先だつ思考のなかに融けてしまって、すでに存在しないものにすぎない。》(11節)
 じつはこの引用は前節で引いたデカルトへの言及個所のすぐあとにくるものである。ということは、デカルトが〈起源〉であるような思考の様式から吉本自身はすでに離反したものとしてふるまおうとしていることになる。デカルトの近代的思考にたいして、そこから「とおくまでやってきた」ものとして〈現在〉の思考を考えている。ここでの吉本は、レヴィナスのように、思考の身体性の考察のほうに大きく踏み出すことはしない。それはむしろ思考の媒介性を連続的に累積することによって、直接性から無限に遠ざかったのである。しかしこの考えかたは、この小論の冒頭(「31」)で触れた、吉本の思想形成の自前性、そして「知的な資料や先だつ思考の成果を〈読む〉ことだけが〈考えること〉を意味する」今日的事態にたいしての批判的モチーフを大きく裏切っていることにならないだろうか。吉本の言う〈<G>現在</G>というものの病原〉(ゴチック―原文通り)に、吉本自身が過剰に侵されている。もちろん吉本は、これは思想の歩む必然の過程であって、いつまでも〈現在〉にたいして免疫状態でいられると思っているほうがオメデタイのだ、と言うにちがいない。しかしデカルト的近代意識に共通する思考のラディカルな原理を掌中にしていたかに見える吉本にとって、この反デカルト的立場への移行は、飛躍と断絶ではあっても、必然的な連続性ではない。それは、この二つのパラグラフがなんの説明もなく接続されていることによく象徴されている。(1990. 5. 27, 29)

37
 吉本隆明の〈現在〉志向がその本来の思考のスタイルを裏切っているという認識はこれまでほとんど指摘されてこなかったことのように思える。そのことの確認は、たとえば〈権力〉についてのつぎの指摘からも容易に見てとることができるはずである。
《権力は小から大にわたる、視えないものから視えるものにわたる、あるいは合意から不同意にわたる分布のことを意味する。けっして天からふってくる鋭い槍先でもなければ、漠然とした抑圧の重石でもない。むしろ合意を中央値としたさまざまな形の分布とみなした方がいいのだ。わたしはあなたに合意する。そう頷きあっている場所では、中央値にむかって近づこうとする無意識の矢印が働いている。習俗や慣行から理念の党派にいたるまで、すべてこのたぐいの合意の系列なのだといってよい。》(『言葉からの触手』15節)
 言うまでもなくこの〈権力〉論はミシェル・フーコーのそれに似ている。つまり権力構造の本質は日常性におけるその分散化、極小化においてこそ発現するという考えかたである。吉本がこの考えをひとりフーコーのみから導いているとは考えられない。なぜなら、このフーコーの権力論こそ、ある意味では脱西欧的な思考であって、むしろ逆に、アジア的な支配の思想に近いものだからである。すでに丸山眞男によって、日本の天皇制が、上は国家の構制そのものから下は一般の市井の人びとの日常的関係意識の襞々にいたるまで、大なり小なりのさまざまな〈小天皇〉によってネットワーク化され支えられてきたことが指摘されている。フーコーの〈権力〉論は、西欧近代の特徴たるロゴス中心主義(ロゴサントリスム)と自民族中心主義(エトノサントリスム)という出自と文脈をもっているとはいえ、その表層的なあらわれは、アジア的な支配の思考とも吉本の〈現在〉志向の思考とも一見きわめてよく似ている。それが〈ポスト・モダン〉の思考とみなされるのは、西欧近代以後の歴史的文脈のなかにそれをおいてみると、たしかにその脱西欧、脱近代の志向性においてその積極的な意味が見出されるからである。しかし逆に言えば、ここにこそフーコーの思考と吉本の〈現在〉の思考との決定的な差異があらわれるのである。
 たとえば吉本はこう書く。
《わたしたちはしばしば表面層が善であり、深層が悪であると言ってみたり、表面層は悪だが深層は善だと言ってみたりしている。だがその種のものはただ権力、その表象でしかない。》
《これらの命題には現在の緊急な主題と、たぶん人類の叡知が最後に解決すべき主題とがふたつとも含まれていて、それが同時に混融してあらわれている。これを緊急の層によって判断するのも、最後の永続的な主題として深層で判断するのも、錯誤に到達するよりほかない。》(15節)
 ここで吉本の念頭におかれているのは、しばらく前の、文学者による「反核宣言」であったり、クジラやイルカの捕獲をおさえようとする運動であったり、地球の緑を守ろうとするエコロジーだったりするのだが、ここで問題なのは、それらの個々の運動や考えかたや認識の正しさの問題ではなく、むしろそういった判断を下すこと自体を錯誤としてしまう吉本の見方のほうなのである。たしかに、誰もが道徳的に否定しようのない「反核宣言」のような運動のイデオロギー性自体がもついかがわしさを批判する吉本の認識は決定的に正しかったと言ってよい。しかし、こうした問題のもつ正当性―いかがわしさのセリーは無限に連続可能であり、したがってその審級のレヴェルもいくらでも上昇可能であり、下降可能なのである。ということは、いかなる問題も、ポスト近代への過程にある今日にあっては、決定不可能性をもつことを避けることができないことになる。しかし吉本はそれらの問題への判断それ自体を〈錯誤〉として片づけてしまうのであって、そこに吉本の〈現在〉志向の思考が最終的に放棄してしまった問題領域が残されるのである。つまり〈倫理〉という領域がそれである。
 ところで、〈ポスト・モダン〉の思考がかかえるもっとも大きなアポリアは、それらが現実の諸問題にたいしてつねに判断中止に陥らざるをえなくなってしまうことに帰せられる。なぜなら、この思考は現実にたいして同時多発的にいくつもの審級をもち、そしてこれらの審級がたえず振動していることによって、近代の思考がもちえたような定点をもつことができないからである。もしもみずからを正当化しようとするならば、ジャン=フランソワ・リオタールの言うような〈力による正当化〉によってみずから制度化し制度化される以外にない。
 ミシェル・フーコーの〈権力〉論が独自の相貌をもってたちあらわれるのはおそらくまさにここなのである。なぜならフーコーの思想は、たとえば晩年の『性の歴史』三巻のエクリチュールの変質そのものが示しているように、書くこと自体のうちに〈倫理〉という課題をあたかもみずからの身体のように内実化しているからである。思考が身体をもつことのおそるべき逆説は、フーコーに見られるように、身体こそが思考をはじめるときに、この思考はそれまでのみずからの思考を喰い破ってしまうことがあるということだ。おそらく身体は、思考とは別の文脈を生きてきたのである。すくなくともその逆説こそが西欧近代という思想的土壌のもつ無意識の強迫なのかもしれない。そして〈倫理〉とはほかでもないこの強迫の別名なのだ。
 それにしてもフーコーと吉本とのあいだにある差異、言いかえれば西欧近代と日本近代のそれぞれの終結点で生じたこの決定的とも言える差異はどこから生じたのか。
『言葉からの触手』から吉本の二、三のことばを拾ってみよう。
《たぶん現在は、書かれなくてもいいのに書かれ、書かれなくてもいいことが書かれ、書けば疲労するだけで、無益なのに書かれている。これが言葉の概念に封じこめられた生命を、そこなわないで済むなどとは信じられない。現在のなかに枯草のように乾いた渇望がひろがって、病態をつくっている。》(2節)
《でもただひとつのことは明瞭だ。「思考の死」または「老い」ににた「茫然とした無為」がなければ、思考は転結をもちえないだろうということ。べつの言葉でいえば物語をつくりえないだろうということだ。そうなったら思考は冒険にむかったり、自滅にむかったり、没落にむかったりすることなしに、ただ緩やかな曲線で未知から未知のほうへ走るだけだろう。》(8節)
 この吉本のことばはかぎりなく〈現在〉的で、そのかぎりにおいて美しい。そしてこの美しさはほとんど戦争中の小林秀雄のことばの美しさと似ている。これはフーコーの思考がたどろうとする命運とは驚くほど似ていない。おそらくそれは吉本の〈現在〉志向をフーコーが共有しなかったことからくるのではないか。だからこそフーコーはギリシア時代へと遡及することから、ありうべき現在=ポスト近代の構想を展開してみせようとしたのであろう。〈現在〉とは、その意味で、思考の運動の行程に張られた罠であるのにちがいない。(1990. 5. 30, 31)

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思考のポイエーシス1990年4月

22
 豊崎光一は、亡くなる直前の文章のひとつでブランショについてつぎのように書いた。《彼について、謂わばいつでもネクロロジーを書くことのできる作家。ネクロロジー(死についての言葉、追悼文)という言葉がこれ以上ふさわしく、かつそぐわない作家もあるまい。それは、彼がつねにすでに死を書き、書くことが死であることを書くものによって示してきたから、ばかりではない。「最後の人」を語り「最後の作家」、最後の作家としての批評家として自らを措定してきた人が「来るべき書物」を語って倦まないというところにこそ、われわれにとって彼の真骨頂がある。》(「来るべきブランショのために」、『クロニック』所収)
 このことばを書きつつあった豊崎光一は、おそらくみずからの予見された死のむこうに、ブランショによって象徴される書くことの不死性の可能性を、あるいは死の不可能性を信じようとしていたのかもしれない。だからこそ、豊崎は、ブランショの来たるべき読者を想定しながら、ボルヘス由来のつぎのようなあざやかなことばを最後に書くことができたのだ。──「現存する作品を_^未来【アヴニール】^_の読者の眼で読むことは、まさしく厳密な意味で、その未だ到来せぬ時代の文学を_¨書く¨_ことに等しい」(同前、傍点―原文ママ)と。(1990. 4. 2)

23
「芸術は、現存在の顕現を、創設的な仕方で、作品のなかに設置しつつ、真理を生起へと持ち来たらすのである。」(M・ハイデガー「芸術作品の起源」プレ・オリジナル、小林康夫「起源の問いの運命」より引用、ただし邦訳原文は傍点つき)
 このハイデガーのテクストは、小林康夫の指摘するように、一九五〇年に発表された「芸術作品の起源」という論考の前身、一九三五年に書かれたプレ・オリジナルである。そこには哲学的問題における大きな変改が含まれているが、そのことの精密な分析は小林論文にあたってもらうことにして、ここではたとえばハイデガーの〈現存在〉Daseinの概念がもっともハイデガー的な思考──とりわけ芸術や詩にたいするハイデガー的な了解のありかた──において、〈真理の生起〉というこれまたハイデガー的な問題意識と結びつけられて、〈芸術〉という営為の根源的な定義として用いられているのをみることができる。この厳密な問題設定を再検討してみること。(1990. 4. 9)

24
 哲学の内部と外部。内部へむかっては自己言及の無限の可能性を、外部へむかってはその絶対的な不可能性と沈黙を本質とする、哲学という体系。柄谷行人はたとえばこう言う。
「哲学の内部では、いくらでも転倒、折衷も、合成も、ディコンストラクションもできる。事実そうなされてきた。形式的にみれば、何でも可能だ。そして、ヘーゲルはそれをすべて考察し、哲学の歴史を終らせたのです。だから西田が何と言おうと必ずヘーゲルの一部、ないしその変形になる。だけどそのことが何を意味するのかという外部に関しては、哲学は考察できないはずです。マルクスはそれを見たんだと思うんです。」(座談会「〈近代の超克〉をめぐって」での発言、『シンポジウム』所収)
 こうした〈内部〉の拡大によって巨大に充満した哲学体系と、その体系の境界に立ちつくし〈外部〉をのぞき見ようとした哲学──言うまでもなく前者はヘーゲルの哲学的世界史の理念であり、後者はヴィトゲンシュタインの言語の思想だ。そして前者を転倒させることによって〈外部〉たる社会や歴史との交通を可能にしたのがマルクスである。この観点は基本的にはそう間違っていないはずだ。(1990. 4. 10)

25
 パウル・ツェランの詩における日付の重要さ──ジャック・デリダが『シボレート──パウル・ツェランのために』のなかで解明している問題領域のひとつがこれである。デリダが言おうとするところを見てみよう。
「この日付に詩や詩篇に起きていること、それはまさしく日付、日付の或る種の経験である。それはたしかにきわめて古い経験、日付なき経験ではある、だがその日付においては絶対的に新しい経験でもあるのだ。」
「詩が日付というものに_¨債務を負っている¨_とすれば、ちょうど自己のおよそ最も固有な事柄(Sache)、原因あるいは署名に対してのように日付にみずからを負っているとすれば、つまり自己の秘密にみずからを負っているとすれば、詩が語るのはただ、そのような日付に──一個の贈与donでもあったこの日付に──いわば借りを返すことによってのみなのである。」(傍点―邦訳原文通り)
「日付という換喩(日付はまたつねに換喩でもある)は、何かひとつの出来事、ないしさまざまな出来事の連なりの一部分を示すことによってその全体を喚起するのである。」
 ここには最近のデリダの関心のありかたがもっとも集約的なかたちで示されている。日付―署名―贈与―出来事、これらのモチーフはデリダの論理のなかでは一貫して相互に深く結びつきあっていることを想起しよう。ここでは、そのつど一回的な絶対的な出来事として生起する詩のエクリチュールにおいて、日付を記すこととはそれ自体がひとつの出来事への指向であり、しかもなおかつ、その企てが詩において十全な意味をもつレフェランスとはついにけっしてなりえないという本質をもつがゆえに(あるいはそれにもかかわらず)、こうした詩の指向自体がつねにひとつの出来事たらんとしているのだ、ということを確認しておこう。日付がなにものかの換喩であるとは、そこにおいて詩のエクリチュールが出来事として生起しうる場所が与えられたことを意味するにすぎない。詩において日付を記すことは、その日付の特定の意味が消滅してしまうほどにある全体性のなかに包みこまれてしまうところまでいったときに、逆説的に意味をもつ。詩における日付とは、もっとも個的な水準への還元であり、その還元をとおして、まったく新しい全体的な経験(出来事)を構成する強力なモチーフなのだ。すくなくともそれがツェランの方法だったということをデリダは明らかにしているのである。(1990. 4. 11, 16)

26
 デリダのツェラン論が詩の問題として要請している最大のテーマは、その書名にもとられている〈シボレート〉Schibbolethというヘブライ語らしき語のもつ深い意味あいであろう。このことばは通常の辞書的意味では「合いことば」というふうに理解されるものであるが、それはデリダによれば、戦争中あるいは戦後に、警戒下の国境線の通行時に用いられた暗号だったのであり、「その際この語が重要だったのは、その意味ゆえにであるよりも、それが発音される仕方によってであった」。というのは、エフター軍に敗れたエフライム人たちが河を渡って逃亡するのを阻止するために、〈シボレート〉と発音することが要求されたからである。
「エフライム人たちは_¨シボレート¨_Schibbolethのschi[∫i]を正確に発音できないことで知られていたのであり、それゆえに彼らにとってそれは、_¨発音し得ぬ¨_=_¨口にしてはならない¨_名と化していたのである。彼らはSibboleth[sibolεt]と言い、schi[∫i]とsi[si]のあいだのこの目に見えぬ境界線上で、歩哨に己れの正体を明かし、みずからの生命を危険にさらしてしまうのだった。彼らは、schiとsiのあいだの弁別的_^差異【ディフェランス】^_に_¨無関心【アンディフェラン】^_になることによって己れの差異を明かす。つまり彼らは、このようにコード化された_^刻印【マルク】^_を_^再【ル】^_=_^刻印【マルク】^_し得ぬことで識別されるのであった。」(『シボレート』III章、傍点―邦訳原文通り)
 要するに、この境界のことばは、それを発音もできないし、その気もないエフライム人たちにとっては不在であることによって意味をもつことばなのであって、逆説的な意味で特権化されたことばなのである。なぜなら、このことばはエフライム人たちにとって禁じられていたからであって、この発音できない=しないという行為、否定としての行為あるいは行為の否定がほかならぬかれらの表現だったからなのだ。ここではもちろん、エフライム人とは、ツェランがそうであるところのユダヤ人を、その民族の心性をみごとに象徴している。そして、デリダのように考えるとすれば〈シボレート〉とは、詩における日付の主題と同じく、ひとつの絶対的な出来事、他におきかえることの不可能な固有名なのであって、それ自体すでになにものか大きなものの換喩なのである。詩のテクストのなかにこのことばを導入したツェランは、おそらく、詩そのものをこのことばの固有性、その巨大な否定性のなかに倒立させてみせようとしたのではなかろうか。(1990. 4. 12)

27
「_¨哲学的経験¨_とは、さまざまな境界に問いかけつつそれらを横断すること、哲学の領野の境界線に関して危険を冒すこと──そしてとりわけ、つねに哲学的であるのと同じくらい詩的、あるいは文学的な、_¨言語というものの経験¨_なのである。」(ジャック・デリダ『シボレート』V章、傍点―邦訳原文通り)
 デリダの哲学的テクストの文学性、あるいは_¨文学としてのデリダ哲学¨_──ここに現前しているのはまさしくデリダの、ツェラン論というかたちをかりて定式化されたみずからの哲学=文学論であり、これこそわたしがデリダのテクストにひかれる理由なのだ。豊崎光一が正しく指摘したように(「フーコーの死」)、デリダもまたフーコーやレヴィ=ストロースらとともに今世紀最大の「作家」のひとりとして「文学史」に名を残すことになるのであろう。読むことの深さ、それを哲学的経験として書くこと、しかも言語の経験としてそれを認めること。文学とは究極のところそういうものであり、そういうものでしかないのではなかろうか。(1990. 4. 15)

28
 ユルゲン・ハーバーマスはヘーゲル哲学と〈近代〉との関係をつぎのように定式化している。
《ヘーゲルによって近代に関するディスクルスの先鞭がつけられた。彼こそは近代論の主題を決めた人である。その主題とはすなわち近代の批判的自己確認である。また彼こそはこの主題を変奏するにあたっての規則を設定した人である。その規則とはすなわち「啓蒙の弁証法」である。》( 『近代の哲学的ディスクルス』III章)
 ヘーゲルの近代論はひとつの巨大な円環である。なぜならすべての主題は、肯定的なものであれ否定的なものであれ、ひとつのパースペクティヴのなかに布置されており、しかもこの円環はヘーゲル的な〈近代〉を問題とするかぎり出口なしだからである。このことはヘーゲルのつぎの世代にすでに認識されていた。ハーバーマスによれば、アーノルト・ルーゲは一八四一年にすでにこう書いていた。
「ヘーゲルの哲学はすでにその歴史的継承の第一段階にあって、これまでの_¨一切の¨_哲学的体系のたどった経過とは本質的に異なる性格を示している。この哲学こそははじめて、一切の哲学はその時代の思想以外のなにものでもないということを明言したのであるが、同時にこのヘーゲルの哲学こそは、みずからが時代の思想であることを認めたはじめての哲学でもある。これまでの哲学は、それが時代の思想であるといっても、それは無意識かつ抽象的にそうであるにすぎなかったのに対して、ヘーゲルのそれは意識的かつ具体的にそうなのである。(中略)みずからを思想であるとして叙述し尽くすこのヘーゲル哲学こそは、思想にとどまることができないのであり、……行為に変じざるをえない。この意味でヘーゲル哲学は<傍線>革命の哲学</傍線>であり、およそこれまでのすべての哲学の<傍線>最後の哲学</傍線>となるものである。」(ハーバーマス前掲書より引用。傍点―邦訳原文通り、傍線―引用者)
 言ってみれば、自己意識_¨の¨_哲学、批判的自己確認の哲学は〈近代〉という時代の符牒であり、そこに立脚しつつこの意識化をどこまでも尖鋭にしようとする哲学は、すべてヘーゲルの思考のパースペクティヴにとらえられうるのだ。まさにこのアリジゴクのような世界がヘーゲル哲学の本領であり、〈近代〉という問題領域の底知れぬ闇の深さ、いや、無限に明晰な光──啓蒙!──の世界なのだと言っていい。(マルクスの哲学は唯一、このヘーゲルの〈革命の哲学〉の革命性を、観念の弁証法のほうへではなく、社会現実を媒介にした弁証法としてアウフヘーベンしようとしたものであったが、やはりそこにも〈近代〉の哲学としての制約が課せられていたのであって、その思考の透徹した論理にもかかわらず、今日の社会状況とのあいだに深刻な亀裂を走らせざるをえないものを内包してしまっていたのである。)
 ここから〈ポスト・モダン〉の世界への脱出とは、ほとんど自暴自棄の行為であり、絶望的に不可能な飛躍なのかもしれない。ハーバーマスが言う〈未完のプロジェクト〉としての〈近代〉がそれなりに安定した位相における思想の営みであるのにくらべて、〈ポスト・モダン〉の思考がほとんどでたらめな、方向のはっきりしない思考、しょせんは〈近代〉の思想に回収可能な捨て鉢な思考の運動に見えてしまうのもやむをえないだろう。しかし逆に、ハーバーマス的モデルネがはたしてヘーゲル哲学の緻密な思考のネットワークをかいくぐり、この巨大なアリジゴクを克服できるのかどうかもはっきりしない以上、この哲学的思考の正当性もまた確実なものとは言えないのではないか。しかもこの正当性の論拠自体を問うのが〈ポスト・モダン〉の思考だとしたら、この二つの潮流の対立は、ほんとうに接点があるのかどうかさえあやしくなってくるとも言えるのである。(1990. 4. 17)

29
 哲学と文学(あるいは詩[的機能]との差異。ユルゲン・ハーバーマスは、哲学と文学のジャンル差の解消、さらには哲学の文学への同化、文学の哲学への同化に反対してつぎのように書く。
「こうした同化は、言語のもつレトリックの要素がそれぞれ_¨まったく異なった¨_役割を果たすさまざまな状況を混同させてしまう。レトリック的なものが_¨純粋な形¨_で現われるのは、<傍線>詩的表現の自己還帰性</傍線>においてのみである。すなわち、世界開示をもっぱらひきうけるように特殊化した、<傍線>虚構の言語</傍線>においてのみである。」(『近代の哲学的ディスクルス』VII章、傍点―邦訳原文通り、傍線―引用者)
 ここではさしあたり二つのことに注意しておこう。ひとつは、ハーバーマスにおいては、この引用部分のすこしまえで述べられているように、言語の機能は、芸術や文学の営みにおける世界開示の能力と、科学・道徳・法の領域に対応して形成される文化的な行為システムがもつ問題解決の能力との二つに分別され、哲学はこの二つの機能を統合するものであるという見地から、一見これと同じように二つの機能をもつように見える文学批評の営為を哲学から峻別するのである。なぜなら、哲学は、一方では、普遍主義的な問いを立て強力な理論戦略をとることによって個別的な諸科学の基礎づけをおこなうと同時に、他方では、生活世界という全体的なるものへ、ある種の反省的態度を保つことによって関心をもつのであって、文学批評のように、哲学と同じくレトリック的機能をもつ点では共通していても、レトリックの範囲をこえることのないものと哲学は同化することはできない、と主張されるからである。ここでハーバーマスがこうした哲学の文学批評への同化ないし傾斜をもたらした張本人をジャック・デリダに見立てていることは明らかである(そもそもこの本の長大な第七章はデリダ批判として構成されている)。ハーバーマスは結論的にこう書いている。
「哲学の思考がもしデリダの勧めるように、問題解決を行なうという義務から解かれ文学批評として機能するようになってしまえば、思考の真摯さが失われるばかりでなく、その生産的側面と能力をも喪失してしまうことになる。また逆に、文学部のなかでデリダの衣鉢を継ぐものたちが考えているように、文学批評の役割を美的体験の内容の摂取ではなく、形而上学批判へと移してしまうならば、文学批評がもっている判断力のポテンシャルは失われてしまう。つまり文学批評を哲学に、そしてまた哲学を文学批評に同化させてしまうのは誤りであり、そうした同化は哲学からも文学批評からもその実質を奪ってしまうことになる。」(同前)
 ハーバーマスがみずから言うように、「哲学はなお合理性の護り手、つまりわれわれの生活形態の内にある理性の要求の護り手であると考えている」(同前)ことは明らかであり、こうした哲学的自明性(への信仰)を根底的に批判しようとするデリダの思想的立場からすれば、このハーバーマスの批判はとうてい容認しえないばかりか、許しがたい反動というふうに見えてもしかたあるまい。つまり、哲学は厳然と自立しており、文学批評はけっして哲学的言説の高みに到達することのできない不完全な言説にすぎないと言わんばかりなのである。しかしデリダの文学テクストの批評ないし研究のいくつかが明らかにしているように、文学批評の形式をとってこそ、つまり具体的な文学テクストを媒介にしてこそ、ハーバーマス的な意味での哲学的思考の高みにまで精神や知の運動が運ばれることもあるのだという事実を認めないわけにいかない。そしてこの場合、哲学の伝統的なディスクールではけっして起こりえない精神の始源的な開示、美の瞬間的な現われが生起するのである。ハーバーマスのように、言語の機能を世界開示の能力と問題解決の能力というふうに二分して事足りる理性的思考には、ことばによって世界を開示することが哲学的思考の深みにおいて哲学することであり、そのまま文学批評でもあり、科学することでもあるような、まったく新しい哲学的思考(いぜんとしてあえてもしそう名づけるならば、だが)であることがわからないのである。
 はじめの引用でもうひとつ注意しておくべきなのは、〈詩的表現の自己還帰性〉の問題である。ハーバーマスは、言語の世界開示能力の側面のひとつの極限として詩的表現を考えているのであり、それが現実の生活世界への還元性をいっさいもたない自己還帰性として、つまり虚構の言語として規定するのである。しかしここでもハーバーマスの理解はいささか単純すぎる。詩的言語の虚構性は、それが現実世界との直通をいったん回避する方法であり、そうした虚構をつうじてうちたてられるテクスト(作品)の自立性を前提とするかぎりにおいてのみ言いうるのである。作品という、言語の世界開示性をもとめる純粋な運動が終焉する段階において、ふたたび現実世界への還元をこの言語は要求しうるからである。たとえその言語の様態がハーバーマス流の〈妥当性要求〉にふさわしくなかろうと、それは言語のひとつの存在の絶対性として、けっして抹消することのできない言語的経験の記憶となるのである。言うなれば、〈詩的表現の自己還帰性〉とは、〈虚構の言語〉であることによって現実に還帰し、その現実還帰性を保持することによって、ふたたび自己へと還帰しうる二重性であり永遠性であるような、還帰性をもつ言語のありかたなのであるという理解によってのみ、この規定を受けいれることが可能になるのである。(1990. 4. 30)

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思考のポイエーシス1990年3月

18
 月村敏行が吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』にたいしてソシュールを媒介にした批判をおこなっている。周知のように、吉本のこの言語理論は時枝誠記の言語理論とそのソシュール批判にもとづいており、文学言語理論としては〈自己表出-指示表出〉という独自の表出論として大きな達成はとげたものの、それがいかにも一文学者の実感にのっとった理論にすぎず、言語の理論としてはいささか不透明かつ強引な論理の引きまわしを感得させるものであったことも事実である。「ソシュールを読まなかったのは、時枝誠記や吉本隆明が評価しなかったからである」と正直に白状している月村に代表されるように、多くの吉本主義者がソシュールにたいするまったくの誤解ないし無理解に終始してきたことはいまもって重大な欠落と言わねばなるまい。月村が言うように、吉本がその文学言語理論のなかにソシュールの〈ラング〉の概念を排除せずに取りこんでいたら、もっと豊かな理論構築が可能になっていたかもしれない。ともあれ、つぎに月村の吉本理論批判のカナメであり、またその脱構築にあたると思える部分を引いておく。
「言葉は全てが自己表出と指示表出にあるのではない。_^表出言語【パロル】^_が意図における構造表出としてあるとき、幾分かは自己表出、幾分かは指示表出の錯合した構造を呈するまでである。(原文改行)それならば、言葉としての文学は、_^表出言語【パロル】^_であるのは自明だとしても、どう考えられるのだろうか。ソシュールには、後で触れるように〈_^文学言語【ラング・リテレール】^_〉という概念がある。私の考えでは、この_^表出言語【パロル】^_が《表現》である。まず詩人や小説家達が、自分の作品のなかにあるとき、_^現存言語【ラング】^_と〈文学言語〉の二重の現存を《表現》として生きているが、この現存の二重性はさまざまであり得る。〈文学言語〉を厚い被膜とする_^現存言語【ラング】^_との二重性もあれば、比較的往来の自由な薄い被膜という二重性もある。原理的には、_^現存言語【ラング】^_を拒否し得る厚い被膜における〈文学言語〉から、〈文学言語〉がまるで介在しない《表現》までを両極として、その間にさまざまな二重性を想定できよう。吉本の提出した『文学体』『話体』という概念が蘇えるのは、このときで、〈文学言語〉の被膜が厚ければ、『文学体』の創出に向かうほかないし、被膜が薄ければ否応なしに『話体』を実現する。これらは《表現》、即ち作品の実現における問題である。いくら詩人や小説家達でも常に〈文学言語〉を生きているわけではないので、彼の_^現存言語【ラング】^_に対する、日常の自己意識こそがその作品=《表現》の質を決定する根本である。」(「ソシュールから考える──『言語にとって美とはなにか』の現在(2)」、「而シテ」20号)
 長い引用になったが、月村のソシュール言語学や用語へのかなり恣意的な理解──たとえば〈ラング〉と〈パロール〉をそれぞれ〈現存言語〉〈表出言語〉とするのは粗雑すぎる──を別にすれば、ここではラングと文学言語の〈二重の現存性〉という魅力的な考えを確認すればいいので、要するに、個々の文学営為たるエクリチュールはパロールの一現象であって、このエクリチュールはラングに規定されるとともに、パロールでありながらその累積それ自体によってラングにかぎりなく接近しようとする〈文学言語〉によっても規定されているのである。エクリチュールはラングと〈文学言語〉といういずれも非在の制度のなかで、そしてまたそれらへの抵抗とのりこえによって実現されるのである。
 月村の批判はこれで尽くされているわけではない。むしろいちばん根底的な批判点は、吉本の表出論が表出のレベルでのみ、つまり自己表出性と指示表出性の度合というレベルでのみ、すべての言語表現が意味づけられているのにたいし、ソシュールの理論によれば、そうしたパロールの現象はもともとラングとの関係のなかにおいてしか成立しないという点にある。表出論のなかで〈自己表出-指示表出〉のベクトル性をいかに実感的に展開してみせても、それらが意味をもつのは、あくまでも〈シニフィアン-シニフィエ〉の関係の恣意性の原理、あるいは音声や概念の非実体的な差異性の原理にもとづいているからである。このソシュール的な大原則を踏まえていないところでの言語理解は、文学理論としては示唆的であっても、言語理論としては狭小なものにとどまらざるをえなかったのだということが指摘されているのだ。(1990. 3. 5, 19)

19
 ジャック・デリダは一九八三年の来日講演のなかで、みずからの〈テクスト〉概念をつぎのように説明している。
《私が規定しようと試みた広い意味での、一般的な意味でのテクストは、言語外の実在をも、つまり狭い意味での言語の空間ではない空間をも含んでいます。したがって厳密に言えば、テクストなしに贈与はないし、また贈与なしにテクスト、痕跡はない、ということになります。》
《私が「テクスト的」と言うとき、その場合もまた私は「テクスト」という語の意味を拡張しているのです。もちろん私は「テクスト」を、もろもろのパロールを書き写す諸テクストとのみ解しているのではありません。そうではなくて、私にとってはすべてがテクストなのです。(中略)痕跡があり、他なるものへの差し向けがあるや否や、テクストがあるのです。》(「時間を──与える」、『他者の言語』所収)
 これはセミネールのあとの質疑応答のなかで述べられたものであり、これまでのデリダの基本的な考えを要約しているものと思われるが、ここでの議論がマルセル・モースの贈与論をめぐって、〈贈与〉という行為の不可能性、そのダブル・バインド的性質を論証するものだったあとだけに、きわめて興味深いものがあった。デリダによれば、「真の贈与は、与えているということを知りさえせずに与えることのうちに、その本領をもっている」ことになるわけで、それこそまさにテクストの本質的規定でもあるはずだからである。すぐれたテクストはみずから意図することも知ることもなしに、それ自体で贈与の行為なのだ。「テクストなしに贈与はない」し、「贈与なしにテクスト、痕跡はない」というのはそういう意味である。(1990. 3. 19)

20
「哲学者は存在しない。カントの言っていることをまとめれば、こういうことになる。哲学の理念は存在する。哲学することは存在する。哲学することを学びうる人々、それを他人から学びうる人々、それを他人に教えうる人々は存在する。教師が存在し、弟子が存在し、場所、制度、権利そしてこれらすべてに対する権力が存在する。しかし、哲学者は存在しないのである。」(ジャック・デリダ「哲学を教えること──教師、芸術家、国家」、『他者の言語』所収)
 これはデリダが得意とする論法、可能であると同時に不可能であるというアンチノミーに追いこんだところに出現する言説であろうか。デリダによれば、カントは「純粋理性の教師」として哲学者を定義しているが、この教師は同時に二つの場所にいなければならない。すなわち、大学(の哲学部)という制度のなかで哲学を教える者として、そして諸学問にたいして、人間知のすべての領域にたいしてそれらを「喚問し、それらの真理を検討に付す」権利をもつがゆえに「遍在という非場所」つまりどこにも固有の場所をもたない者として、哲学者は存在しなければならない。これは、存在するためには相互に打ち消しあう以外にない二つの存在する場所を占めなければならないという当為によって、論理的に不可能な存在となる。このデリダの論法はじつにあざやかに哲学および哲学者の存在(不在)についてのみずからの方法と立場を示している。「教師は哲学すること(philosopher)の教師であって、哲学(philosophie)の教師ではない。」(同前)ここで哲学を文学に置きかえてもまったく同じことが言いうるのだが、ここではこれ以上言及することもあるまい。(1990. 3. 24)

21
 デリダのテクストの思想ほど根源的な問いを含んだ思想があるのだろうか。ある質問にたいして、デリダは、初期の仕事は「エクリチュールの欲望」から出発したものだと答えているが(「私の立場」、『他者の言語』所収)、かれにとってエクリチュールの運動とは、なによりもそこに自分の文学的・哲学的な言語と思考の経験を定着させる唯一の可能性があると思われたからにほかならない。あるいは逆に、この運動こそが言語と思考の経験そのものであり、したがってエクリチュールの起源こそが経験に先立つと言ってもよい。みずからのうちにエクリチュールの起源ないしは欲望以外になにものも認めないこと。デリダのこうした思考方法は、必然的にイデオロギー的な思考やアカデミックな実証主義をしりぞけ、みずからのエクリチュールの欲望のなかに、そうした欲望のかたちをとった経験や知の痕跡をさがそうとする。たとえそれらが、すでに消え去ったものであり(だから痕跡なのだ)、いまや現前しえないという本質によって規定されているのだとしても。ついでに注意しておかねばならないのは、この痕跡はかならずしも過去の痕跡というだけではなく、未来の痕跡でもありうる、ということで、このことをデリダはたとえばインタビュー「他者の言語」(『他者の言語』所収)ではっきりと述べている。それは体験を介在させたものであるだけでなく、経験の可能性をも内包する思想なのだ。そして、そうであればこそ、この痕跡はどこまでも深くたどられなければならない。その先にあるのは、みずからの存在を根源的に規定する現実存在の世界性以外のなにものでもないはずであるが、だからこそ、この世界性を明らかにすること、それを通じてこの世界への働きかけの視点を確保することが最終的にもとめられるのだ。
 デリダは「痕跡の思想を練り上げようと試み」たと言ったあとで、この痕跡の思想がいつも「西洋哲学の総体によっていわば抑圧され」、「余白化され、抑制され、隠蔽されてきた」こと、それが「厳密な意味での哲学的思想にはなりえなかった」ことを述べている(「私の立場」)。そしてこの〈痕跡の思想〉こそ、デリダのエクリチュールの運動が狙いをさだめ、そのあとを追いもとめようとした対象だったのであり、その運動の痕跡そのものがテクストであった。だからデリダがすべてはテクストだと言うのは、こうした非現前を本質とするなにものかの対象化への指向が存在するかぎりにおいてなのである。非現前の現前化としてのテクスト、これこそデリダのテクストの思想が根源的である理由である。
 そう考えると、デリダがベンヤミンの「翻訳者の使命」というテクストに関連して力説する〈翻訳〉という概念は、たんにある言語から他の言語への移しかえにとどまらない、非常に深い意味あいで言われていることがわかる。それは非現前の現前化としてのひとつのテクストを、もうひとつの他者の言語における非現前のなかにいちど解放し、共調させることをつうじてかたちづくられるテクストだからだ。
 デリダは〈翻訳〉概念における最終的な審級として詩(文学)の問題をもちだす。
「翻訳の問題は、テクストの裡に詩的効果がある場合にしか成立しないのです。《詩的効果》あるいは《聖性の効果》と呼ばれているものは、まさしく意味されるもの、人が言わんとするところのものがあまりにも言語、意味するものに密着しているので一方から他方へと渡っていくことができないというようにする効果なのです。そして、そのときに翻訳が問題となるのです。つまり、翻訳への要請と同時に翻訳の困難が現われる。」(同前)
 ひとつのテクストから他のテクストへの移行、つまり翻訳とは、本質的な意味で、非現前の痕跡を追求する行為であり、それ自体が痕跡の経験であり、痕跡そのものなのだ。デリダのテクストを読むとは、そうした根源的な経験に知らぬまに連れ去られることだ。そこでは非現前の痕跡は非現前のままに、もっとも鋭いかたちで現前している。
「一つのエクリチュールが存在するや否や(中略)その_^読解【レクチュール】^_もまた一つの新しいエクリチュールでなければならない」ともデリダは語っている(「他者の言語」)。してみると、エクリチュールもその読解も非現前の痕跡の〈翻訳〉をつうじて実現される出来事であり、同時にその痕跡なのだ。(1990. 3. 26, 27)

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思考のポイエーシス1990年2月

14
「_^言語【ラング】^_と_^ことば【ランガージュ】^_は、同じものでしかない。一方は、他方の一般化なのです。ことばを研究しようとしても、その多様な現われ、つまり諸言語なるものの研究の労をはぶくなら、それは、まったくむなしい、空想的な企てとなってしまいます。逆に、諸言語を研究しようとしても、その諸言語が、ことばの観念に要約される原理に本源的に支配されていることを忘れるなら、なおさらそれは、まじめな意味をぽっかりと欠いた、真の学問基盤を持たない仕事となってしまいます。」(フェルディナン・ド・ソシュール「ジュネーヴ大学就任講演I」、前田英樹・編訳著『沈黙するソシュール』所収)
 ラングはランガージュの、ランガージュはラングのそれぞれ一般化であるという論理は、これまで通常に理解されてきたランガージュ/ラングの対立と二元性というスタティックな関係を、その相互作用という連関でとらえることによって、しかもそれを全体/部分という連関でとらえるというよりも無限円環的な二重性の連関としてとらえようとすることによって、決定的につきくずしている。前田英樹によれば、このテクストは一八九一年十一月におこなわれた講演の下書きであるが、ここにはすでに、ソシュールの死後にセシュエとバイイによって『一般言語学講義』として刊行される書物をすでに批判的に先取りした論点が提出されているのである。このダイナミックな相互連関性への視点こそソシュール言語学のかくれたモチーフなのかもしれない。このことに留意しよう。(1990. 2. 5)

15
《ソシュールの「共時態」は、時間=環境の限定ではなく、言語事象そのものによる抹消なのである。そうでなければ、共時的であることはたんに同時代的であることの同義語になってしまう。》(前田英樹のノート、前田前掲書所収)
 このテクストは前田英樹のソシュール「ジュネーヴ大学就任講演III」についてのノートにたいする脚注として書かれている。これに対応する部分でも触れられているように、ソシュールにとって〈通時/共時〉の概念装置は、時間軸にそって水平軸/垂直軸の方向へ延長した次元ととらえるよりも、言語の〈自己産出的な質〉が時間的な次元であらわれるか、空間的な次元であらわれるかの差異として考えるほうが、より本質的な理解が得られるかもしれない。すくなくとも晩年のソシュールのように、言語の機能性の側面ではなく、表現性の側面(神秘性、文学性)に関心を転換させた者にとっては、言語はますます深まる謎に見えていたはずであるから。(1990. 2. 7)

16
 ソシュールは「言語学」と「ほかの領域」を区分し、そこに決定的な差異をもちこんでいる、と前田英樹は言う(前田、前掲書)。それは「言葉が生みだす諸事象の列のなかに〈_^言語【ラング】^_それじたい〉を組み入れることの禁止を要請」するものである。なぜなら言語それ自体は言語以外のものを生みだし、それを支えているのであるから、もしそこに言語それ自体の組み入れを認めてしまえば、言語それ自体は自立した対象として把握されなくなってしまうからである。言語が発生し存在するということを、他のなにものに依拠することなしに了解すること、そのために事象と言語を分離すること──そこにソシュールのねらいがあった。
 そのためにソシュールは記号学という装置を戦略的に導入する。前田によれば、「ソシュールの記号学とは、〈_^言語【ラング】^_それじたい〉の階層的な組み入れを、拡散的な侵蝕に逆転させる巧妙な装置」だということになる。
《ソシュール的な「記号学」では、_^言語【ラング】^_を記号学的事象の列に組み入れる基盤は、まさしく〈_^言語【ラング】^_それじたい〉でしかないのであり、ここではあらゆる事象が_^言語【ラング】^_によって侵蝕され、無基盤化される方向に置き直されている。(中略)記号学的なあらゆる還元は言語によって行われ、その還元の中心にある「定式」は、〈_^言語【ラング】^_それじたい〉である。記号学の還元、つまり記号学的事象を作りだす操作は、その中心に〈_^言語【ラング】^_それじたい〉を組み入れることによって、みずからがたつ基盤を無意識化する、あるいはもうすこし厳密に言うと、その基盤を「ある」ことへの問いそのものに転換させる。_^言語【ラング】^_は、記号学が取りだす諸定式の理想的モデルなどではまったくない。それは、諸事象の記号学的配列を生みだす中心であると同時に、たえずその配列を揺るがし、不可能にする源泉なのだ。》(同前)
 ここで前田英樹は、ソシュールの記号学にひそんでいる究極の問いたる言語の発生と存在の了解──言語の存在可能性としての問い──という問題の所在を指摘しつつ、それが構造主義的立場と決定的にわかれていく地点をみごとに明らかにしている。つまりソシュール記号学とは、言語それ自体を核心としてもち、しかもその言語が対象にたいするみずからの自立性を前提としたものである以上、その言語によって生みだされる言語的事象は、言語それ自体が究極的に問われるみずからの存在とはなにかという問いを、本質的に共有せざるをえなくなるという、おそるべき逆説的な「侵蝕組織」なのだ。ソシュールの記号学的還元はこのような存在への問いを秘めた逆転の方法論なのであって、構造主義のように、この本質的な問いを欠落させ、言語の存在を自明のものとするところから他の領域のものを超越的に規定しうるとする立場とはまったく異なるのである。そう理解すれば、ロラン・バルトが主張した、言語学が記号学の一部なのではなく記号学こそが言語学の一部だとした立場は、まさに存在への問いを欠いた構造主義的思考が陥りがちな短絡を戯画的なまでに示していたのだということがよくわかるのである。(1990. 2. 11)

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《関係論が〈実質〉という基盤の底に沈めてきた質の問題は、その基盤の無化とともに言語セームの自己産出のなかに蘇ってくる。「語る主体の意識」、「言語の感情」、「表意性の度合」、そういった言葉、この限りなく注釈を要求する不適切な言葉を彼〔ソシュール〕の言語学草稿から駆逐することは不可能だ。彼がその果てまで降りていった言語事象の自己産出は、その産出に外在する説明原理(「機能」「伝達」「表現」はみなそうだ)をすべて抹消しており、この絶対的抹消のなかでこそ、彼は言語的な質の純粋な伸縮に出会っている。緊張弛緩の度合を含んだ決定されえない発生の_¨質¨_に出会っている。》(前田英樹のノート、前田前掲書、傍点―原文通り)
 ソシュールの、のちの構造主義的理論展開にたいする、まえもってなされたとみなされうる立場は、ここに明らかにされている。関係とは〈実質〉substanceのうえにひろげられた網の関係であって、この網によって切り取られる関係(たとえばシニフィアンとシニフィエ、ことばと意味の関係)以外に実体的なものはなにもないとするのが構造主義(構造言語学)だとすれば、ここでソシュールはそういった関係論的関係ではなく、ことばがどんな関係も成立しない以前にそこに発生することの原初的な意味、すなわちことばの質または価値の問題にぶつかったのである。この過程を前田は〈ソシュール的下降〉と呼び、構造主義的記号論の切り取りの恣意性の原理による上昇過程と区別している。この下降過程においてソシュールの言語への考察は、ソシュール自身の意図はどうあれ、完璧に文学的行為と重なってしまうように思えるのである。文学と言語の関係の底知れない闇の深さは、結局のところ、ことばの原初的実在の質の問題を抜きにしてはありえないのであるから。
 ソシュールもつぎのように言っているではないか。「私がいやというほど知っているのは、言語の領域に足を踏みいれたら、もう誰も天地の類推のいっさいから見捨てられるということだ。」(F・ド・ソシュール「ホイットニー追悼」、前田前掲書所収)(1990. 2. 18)

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